( 295840 ) 2025/06/02 04:10:18 2 00 学校での「田植え体験」は必要か? 「大変さを植えつけないで」「経験は大切」とSNSで賛否両論…ご近所や保護者からはクレームも集英社オンライン 6/1(日) 11:02 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/d07614b9ab3ce0dfa9a1bd5a661b8cfbbb729d66 |
( 295841 ) 2025/06/02 04:10:18 1 00 日本の農業や食育を学ぶ一環として行われる「田植え体験」について賛否が分かれている。 | ( 295843 ) 2025/06/02 04:10:18 0 00 「田植え体験」の学習は必要か?
一向に収まる気配のない「令和のコメ騒動」。備蓄米の売り渡し方法の見直しで店頭価格の値下がりが期待されるが、コメ需要の減少や農家の後継者不足などの課題は山積したままだ。そんな中、全国では田植えのシーズンを迎え、教育現場でも食育体験等の一環として「田植え体験」を行なう学校が多く見られる。ところが、Xのある投稿が賛否を巻き起こしているのだ。
長引くコメ不足と高騰。農水相の交代により備蓄米の売り渡し方法を随意契約に方針転換するなど状況は刻々と変化しているが、それでも「令和のコメ騒動」が収まる気配はない。
そんな中、全国では田植えのシーズンを迎えている。教育現場でも、食育活動等の一環として田植えに取り組む学校が多く見られ、子どもたちがそろって励む姿をニュースで見た人もいるのではないだろうか。
ところが、Xに投稿されたある投稿が賛否を巻き起こしている。
「手植えを体験させて『大変』なんてネガティブ思考を子どもに植えつけるの止めてほしい」
農家であるという投稿者は、子どもたちが手植えに挑戦したというニュースを引用し、「いまコメ農家はこんな田植えはしていない」と発信。「田植え体験」に否定的な意見を述べたのである。
これをめぐってXには、
「伝えたいのは『実際の農業を教えること』ではなくて『体験に基づくその輝く瞬間』だと個人的には思います」
「お米はどうやってお米になるのかを体験として知るいい機会だと思います」
「食育の一環として、手植えは良いと思うなぁ…機械で出来ないところは、手植えだし…」
「私の通ってた小学校では、体験授業の最後に田植機が登場して手作業の何倍もの速さで終わらせて文明の利器ってすげーって終わり方でしたね」
「個人的には田植え体験して良かったと思っている身ですが、今現実的に農家さんが工夫されている方法や農機具等も同時に学ぶべきなのだと思います」
など、さまざまな声があがったのだ。
全国の公立小学校のおよそ80%で農業体験学習が実施されているというデータ(全国農村青少年教育振興会 2010)にもあるように、日本の教育現場では積極的に農業を体験する機会を設けており、中でもコメ作りに取り組む学校は少なくない。
そうした中、全国有数のコメどころである新潟県新潟市では、市内の小学校でスマート農業(ロボットやAI、IoTなどの先端技術を活用する農業)学習を進めており、実施する学校数は年々増えているという。
取り組みの内容について、市の担当者に話を聞いた。
「新潟市は、SDGsの達成に向けて優れた取り組みを行なう自治体として2022年度に『SDGs未来都市』に選定され、その中核事業である『食と農のわくわくSDGs学習』に取り組んでいます」
この事業は、小学校高学年から大学生までを対象に、「総合的な学習の時間」などの授業の中で「食」や「農」をテーマにした探究的な学習を行なうというもの。
スマート農機の見学や稲の品種改良について学ぶなど、さまざまな学習に取り組んでいるという。同担当者は、事業の目的について次のように話した。
「農業に対して『つらい』『大変』といったネガティブなイメージを持たれる方も多いと思いますが、スマート農機などを使った農作業の省力化や、『持続可能な食や農に向けてどうしたらいいのか』ということをテーマにすえた取り組みを通して、子どもたちの深い学びや能力の育成につなげられればと、教育委員会と連携して取り組んでいます」
農家の高齢化による後継者不足が課題となっている新潟市。前述の事業が目指すものとして、「スマート農業や6次産業化など、農業のイメージを転換させる取り組みについても学ぶことで、将来、食や農の産業を様々な面から支える人材の育成につなげる」こともあるという。
ちなみに「6次産業化」とは、農業(1次産業)の従事者が、加工(2次産業)、流通・販売 (3次産業)まで取り組むことをいう。
では市内の学校が「手植え」の体験をしていないのかというと、そういうわけではないと担当者は話す。
「『手植え』や『手刈り』体験をしている学校もあります。ただ、そうした体験にとどまらず、農業の未来について考えるような機会になれば、という思いもあります」
実際に学習に取り組む子どもたちの反応はどうなのだろうか?
「長期間の学習になるので、スマート農業も取り入れた最近の農業について学んでいく過程で『そうした施設や設備があることを知らなかったから、知る機会になってよかった』という声が多くあります。
『農業の担い手につながる』という形が一番理想的かもしれません。ですが、それだけではなくて、『自分たちが食べているものは地域の方々がこうやって作っているんだな』ということを知ってもらい、身近に感じてもらって、『自分たちにできることは何か』と考えてもらうきっかけになればと思います」
新潟市の取り組みは、全国有数の農業都市ならではの実践的なものであると言えるだろう。しかし、いっぽうで田植え体験にはこんなトラブルもある。
静岡県浜松市内で環境保護に取り組む、あるNPO団体の理事長(70代)は「10年ほどやったのですが…本当に大変だった」と当時のことを語る。
「近所に湧き水を使ってコメ作りをされていた農家の方がいたので、ウチが一部を借りて無農薬の『田んぼ体験』を地域の子どもやNPOの会員さん向けにやっていました。田んぼにはドジョウやタガメもいて、子どもたちは大喜び。小学校の5、6年生の遠足でも使われて裸足でみんな田んぼに入っていました。
でも、いろいろ大変でね、一番は草刈り。借りた田んぼの近所が農薬を使うところだったから、草の種が田んぼに入らないように、こまめに草刈りをやるのがしんどかった。それに無農薬だから、虫も出るので近隣からのクレームもあって、よく近所に菓子折りを持っていきました。子どもたちへの影響も考えて他の農薬を含んだ水が入らないように、気を遣うことが多かったですね。
あと熱中症対策で、水分補給のために子ども用の麦茶も準備したのですが『容器が汚い』と保護者からクレームを言われてしまうこともありましたね。
地域貢献、ボランティアでやってたから息子には『お金にもならないし無理するな』とよく怒られました。結局体力もなくなり、いろいろ疲れてしまって田んぼはやめました」
食べ物へのありがたさを教えてくれる農業体験。それを支える大人たちには、知られざる苦労があった。これらの取り組みが、将来、実を結ぶことを期待したい。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
集英社オンライン編集部ニュース班
|
( 295842 ) 2025/06/02 04:10:18 1 00 この記事では、田植え体験や農業体験に対する意見や反応が多岐にわたっています。
一方で、現代の機械化が進んでおり、手植えの体験だけでは現代の農業現場を理解するには不十分である、という意見もあります。
さまざまな意見がある中で、体験を通じて得られる知識や経験の価値、食べ物の生産に関する理解、農業や食育の重要性などが議論されています。
(まとめ) | ( 295844 ) 2025/06/02 04:10:18 0 00 =+=+=+=+=
米作りに限らず、将来的に有効なものを作ったり発明したりするためにはまずは原始的なやり方で実際の仕組みや工夫、必要な労働力等々を身体で経験することが大事だと思う。その小さな経験が将来大きな実をつけることもあるので機会があれば挑戦してみる価値は高いと思う。
▲3563 ▼88
=+=+=+=+=
まだ日本住血吸虫がいる可能性は0ではないので長靴手袋はしっかり着用してやって欲しい。自分は小学生の時にバケツで稲を育てよう!。と苗をもらい家で育てた。秋、立派な稲が実なり収穫しようと決めたその日の朝雀が全部食べてしまった。でもずんずん大きくなり花が咲き実がなるのを間近に見れてとても良かった。今の子もぜひ体験して欲しい。
▲20 ▼7
=+=+=+=+=
先日、ラジオを聴いていたら、小学校の校庭にミニ田んぼを設けてお米作りをしている話を知りました。 ラジオに投稿されたのは、その小学校に通う生徒の保護者さんで、生徒の皆さんは毎年その作業を楽しみにしているそうです。 調べてみたら、けっこうあちこちの学校でこの取り組みを行なっているようです。 お米がどうやってできるのか、どのくらいの稲からどのくらいのお米が穫れるのかなどを知ることは、とても大事なことと思います。
▲2178 ▼29
=+=+=+=+=
学校に限らず子どもたちに手で稲を植えさせる田植え体験が行われている地域は多い。田畑と触れ合うという目的であればいいが、農作業の大変さを教えるという目的ならやらないほうがいい。なにしろ田植え体験でやるような農作業は現代においてほとんど行われていないのだ。棚田のような狭小な場所でも小型の田植え機でやるのが普通。自分たちでやらないような作業をやらせて「農作業は大変」と教えるのは違うと思う。「のんのんびより」という漫画原作のアニメで、主役の子どもたちが苦労して田植えをしたシーンの最後は、大人が機械であっという間に片付けていく光景を子どもたちが悟ったような死んだような目で見つめるオチだったのを思い出した。
▲5 ▼14
=+=+=+=+=
祖父が米農家で子供の頃から米作りを手伝っていたけれど、もちろん農機具も使うけれど苗を育てるところから刈り取るまで付きっきりですし、余程儲けてないと最新の農機具なんて買えませんから、やっぱり農業は大変です。 でも、農業は大変だ。で終わらずに、だからこそ生産者に感謝する心を育ったり、持続可能な農業を考える機会になったりしてほしい。
▲1204 ▼21
=+=+=+=+=
子どもたちはほとんど楽しかったと言っていましたよ。 大変と思うか、達成感を感じるかは子どもそれぞれでしょう。 お茶衛生面を心配される方もおられるのですね。毎年田植えの手伝いに行っている私は用水の水で手を洗ってお茶を飲んでいます。だからどのお子さんも大丈夫というわけではないのでしょうが、心配なら水筒をもっていけばいいのにと思います。 手間暇かかる仕事ですが、私は好きです。夜もぐっすり眠れるし。 経営となると大変ですが。大気の重みを感じ、いろいろな生き物もいるし、田植えシーズンは週末普段の仕事の事を忘れてリフレッシュです。たしかに初日は筋肉痛や腰が痛むこともありますが。
▲672 ▼19
=+=+=+=+=
農業の後継者に対しての田植え体験だとしたら大変さを体験させないでという意見は正しいですが、自分が食べている米がどの様に作られているか?をテキストだけでなく体験して知る事とは違うと思います。 大変さを伝えるのを躊躇って体験を止めてしまい、米作りを知らない子供ばかりになってしまったら米作りに携わろうという未来の後継者にも事欠いてしまうかも知れません。 でも賛否が出て討論し合う事は良い事なので、続けて欲しいです。
▲626 ▼29
=+=+=+=+=
小学校教員です。 田植え体験には教育的な意義はあります。 子どもたちが自分で植えた苗が成長していき、やがて秋には稲穂となって稲刈りをする。 もち米なら、収穫の後に餅つき体験をする学校も多いでしょう。 子どもたちにとっては、おそらく多くの子どもたちは二度と体験できないものでしょう。 地域との交流にも役立ちます。
しかし、今、学校の行事が多くなり過ぎて、 パンク状態となり、精選を余儀なくされています。 そうなると、この田植え体験や稲刈り体験は、精選の対象に挙げられる行事となる可能性は大きいです。 やるなら、土日の地域行事として受け継いでいくのが、一番良いと思われます。
▲616 ▼51
=+=+=+=+=
どんなことでも体験してもらうことは大切かと思います。人それぞれのとらえ方や価値観があるのは仕方がないかと思います。親御さんはもちろん、お子さんにしてもどうしてこんなことをしなければと思う子もいれば、面白かったと思う子もいるでしょう。それが普通だと思います。水を張って踏ん張りの余り効かない田んぼの中を歩くのがいかにしんどいかだけでも体験してもらうことが大切ではないかと。日本の主食ですから、記憶違いでなければ天皇家でも行事として田植えをされているので。
▲193 ▼8
=+=+=+=+=
今の時代は機械化が進み、手植えは実際には少ないが手植えの体験は米作りだけの学びではなく実際に肌を通じて泥に植える感触や泥の中を歩く感覚、手で苗を埋め込む感覚などを五感で感じることができる。また、実際に、機械植えではできない田んぼの隅や機械の植え残し箇所は手植えで行わなければできない。そして、手植えは人間の持つ五感を通じた自然を体感する学びとも繋がる。また、歴史を学ぶ際の昔の米作りについての学びにも繋がる。なので手植えと機械植えの両方を体験することが最もよいのかもしれない。決して手植えに意味がないという記事の内容には賛成しかねる。
▲98 ▼8
=+=+=+=+=
実際には棚田レベルじゃないと手植えはしないが(わたしは自分のところでやった時代はあります。委託せずに金浮かすため)、 「趣味じゃなく利益得る仕事としての規模だと、手植えじゃなく機械化しないと無理」 を学ぶという意味はあるかもしれません やらんでもわかる人ばかりならわざわざやる必要はないと思います コンバイン使わずに手で鎌で狩る経験もしたことありますが、水を張った田んぼで足を引き抜きながら田植えするのとはまた違った大変さがあります 理解できるようになったら、農業用機械は他の普通車みたいなものほど大量製産されないもの、というあたりも学んで欲しいです
▲275 ▼20
=+=+=+=+=
苦労があるから機械のありがたみがわかる部分があるしな。どんな仕事でもそうだが根本の原理や仕組みを知ることでその機械やシステムが何をしているのか?や問題が起こったとき何をしなけれはならないか?本質的に大事なものはなにか?がわかったりする。なんでも方程式で解くんじゃなく考え方を鍛えないと応用力がつかない。それはどんなことにも言える。
▲378 ▼16
=+=+=+=+=
先日行ってとても楽しかった、泥が気持ち良かったと言っていました。同じ説明を受けても、植え方に個性が出たり、その場で工夫したり頭も使ったと思います。秋には同じ田んぼで収穫体験も予定されています。 しかし、中には終始泣き叫んでほとんど参加できない子もいました。虫等が苦手みたいで、そういう子にとって田んぼは地獄。無理強いはしないであげて欲しいです。 なんでも効率化が進みますが、一から十までわかっている人間が携ったり監修しないと抜けがあったり問題につながったりすると思います。なので、古いやり方を体験することは意味があると思います。
▲154 ▼6
=+=+=+=+=
田植えだろうが稲刈りだろうが、コメや農産物に限らず日用製品や工業製品がどのようにして出来るか体験、見学する事はアニメのタイトルじゃないけど「知」の習得に他ならない。勿論それは理科や算数、図工など他の教科も同様。極端な話、子供達が将来にわたって生きていく中で有益な知識を身に付けるのが学校教育だと思う。受験の為のテクニックばかり習ってもしょうがない。
▲231 ▼2
=+=+=+=+=
子供に田植えを体験させるのを大変さを植え付けないで、とは時代も変わったものですね。少し前だったら、農家の大変さが分かれば、お米一粒の大切さが分かって、食べ残しが無くなると言った意見でしたが。今は物が溢れているのが前提だから、それが当たり前で、その当たり前が如何に貴重かと言うのを忘れている様な気がしてなりません。田植えをお子さんに経験させるのは、お米の出来るまでを想像させるもので大切だと思います。
▲166 ▼8
=+=+=+=+=
>食べ物へのありがたさを教えてくれる農業体験。
近頃の大人達はやたらと子供達を過保護に育てるよね。 素晴らしい農業体験だと思うし、子供達が楽しく体験出来るのでれば、周りの大人達はそっと見守るのが普通ではないでしょうか。クレームを入れる保護者やご近所の方々の気持ちは分からないではないが、これも貴重な体験。田植え体験を通じて得るものもあるだろうし、記事にもあるように食べ物のありがたさを感じる事も出来る。それこそクレームばかり入れるのではなく、農業体験をさせてくれる方々に感謝の気持ちを持つ事のほうが大事だと思うけど…。 こう言った取り組みはどんどんやって行けば良いと思う。
▲325 ▼13
=+=+=+=+=
小学校の時に校庭の横の道沿いに専用の田んぼがあり、学校の授業として毎年該当の学年だけで稲を植える体験だけします。 それ以外は農家さんが全て管理してくれて、米を収穫すると生徒に精米した状態で少量ですがちゃんともらえます。
中学校では畑に変わりますが、生徒でさつまいもの苗を植えて、後は農家さんが全て管理してくれて、収穫は自分たちがやります。 どちらも授業の一環として、生産や食べ物に関してを学ぶことが出来るので、とても貴重な体験でした。
学校から歩いて行ける範囲に見るだけでもあるとか、農家さんに全て丸投げ出来るってのが無い場合は先生やボランティアでは管理が大変なので、地域によっては無くてもいいのかなとは思います。
▲51 ▼5
=+=+=+=+=
うちの子が通う幼稚園では毎年田植え体験ごあります。 「大変さの植え付け」と考えた事が無かったのでそういう意見もあるのだなぁと思いました。 あくまでも体験なので本人達は楽しんで帰ってきましたし、泥水に手足を入れて感触を楽しんだりしているようです。 親としてはお米がどうやってできているのかを知る機会だと捉えていますし、教育機関で教えていただけるのはありがたいなぁ、と思います。 知識を得る経験と前向きに捉えてもいいかなぁ。
▲42 ▼0
=+=+=+=+=
うちの小学校はPTAとか地域の人、先生が協力作った小さな水田かある。 田植えだけでなく草取りとか色々やって収穫している。稲の成長を観察して絵を書いたりしている。畑もそんな感じ。あと地域の人から蚕をもらって各自持ち帰って育てたり。 総合の授業でやっている。理科社会にも関連してくるし良いんじゃないかな。
まぁでも楽しいところだけやって知った気になる弊害もあるとは思うけどね。
▲98 ▼7
=+=+=+=+=
小学生の農業体験は大切なことだと思います。農業だけではなく、漁業も工業も商業も含めて、より多くの業種を体験、見学する機会を得ることは、教室で資料だけ見るのとは比べ物にならない貴重な経験になるでしょう。 どの仕事にも大変さはあります、農業より更に大変な仕事もたくあんあります。それをしっかり見て、受け止めて自分の将来を考えるには体験学習はとても有意義なものです。 農家で大変さを知るのなら、同時に得られる収穫の喜びや食べた人からの感謝に対する喜びも知っているはずです、それを教えてあげましょう。
▲11 ▼1
=+=+=+=+=
農業は体力的にもちょっときついが、一番嫌なのは近所に気を遣うことです。とにかく水と草の管理が大変で、少雨で水が少ないときは取り合いになるし、勝手に入水口を塞がれたり、脅しで田んぼにカマを置かれたり、畦の草刈りをサボると文句を言われるし、直接言われるより、あの人が文句言ってたよとか間接的に言われるほうがきついです。ということで、兼業で数年前までやってましたが、やめました。草刈りは引き続きしてますが、水管理しなくていいと思うとダイブ気は楽です。
▲146 ▼12
=+=+=+=+=
田植えもですが、バーチャル体験が多い中で実体験は貴重な体験と思います。田植えなら田んぼに足を入れた時、稲の感触や様々な匂いや頬に当たる風など他にもバーチャル画像では、わからないことだらけでは?
やっぱり実体験は大事かと。
教科書や机の上ではわからないことたくさんありますよ。
子どもたちな体験させることは、安全面含めて準備や段取りが山のようにあるけど、先生たちと一緒に様々体験してほしいなぁ。
微力ですが何かあればお手伝いできますよ。
▲26 ▼0
=+=+=+=+=
何でもかんでも学校のやってることを批判的に捉えるのはやめた方がいいと思います。実際、今の農業がどういうふうになっているのか、機械化や自動化などの学習は社会科の教育課程に入っていて、子どもたちはきちんと学んでいるはずです。なので、総合的な学習の時間等学校にもよりますが、日常では中々体験できない活動として、又はみんなで何かを育てて一緒に味わうなどの協働的な体験としての教育活動だと思います。家が農家なら、大変ではなくなってきてる事を子どもに自ら伝えることもできるのでは?でも、作る喜びやそれを味わって嬉しいなどの感情が沸かない子どもは、おそらく農業に目が向かないのではないかとおもいます。
▲17 ▼1
=+=+=+=+=
農業の体験もっとした方がよいと思います。自然農を実践していますが、自分も自然の一部であること、鳥やカエル、虫などの小動物も安易に薬で殺していいものではなくみんなつながって生きているんだと農業を通じて初めて理解できました。これだけ環境の問題が深刻化している中でもっと自然と人間のつながりやどうやって食料が生産されて自分たちが活かされているのか子供のうちから体験を通じて知っておくべきだと強く思います。
▲12 ▼0
=+=+=+=+=
子豚を育ててトサツして食べる教育をさせろとは思わないが、子どもの時に田植え体験の教育って楽しめると思う。 普段は泥まみれになったら親に怒られるのに、前進泥まみれになって自然と触れ合える機会としては絶好かと。
「切り身で泳いでいる魚が存在してると思ってる子がいる」って平成の時に笑い話があったが、今や本当に信じてる子もいるらしい。 元々魚には骨が無いとかも。 そうなれば、自分の食べてるコメは何もしなくても真っ白のまま袋に入って最初から存在してると思っていても変でもない。
自分が何を食べてるか、どうやって出来てるのか体験し、その体験から農業を目指す子どもも増えるかもしれない。 子どもの夢なんて何が切っ掛けか分からない。
▲54 ▼2
=+=+=+=+=
米は八十八回の手間がかかり、ご飯として食べるのは何ともありませんが、実際はとても大変なんだと教わりました。農機具も進化して昔ほど手前はかからないかもしれませんが、それでも職業として米作りをするのは大変だと思います。米の高騰は子供も判っていると思う今、田植え体験は子供が何かを考える機会として良いと私は思います。
▲28 ▼4
=+=+=+=+=
田植えに限らず、今や様々なことは機械で行っている。だが、機械化以前は人の手で行っていたのだ。機械化以前の苦労を実感できることは、歴史についてもより深く理解できるし、また機械の仕組みについても興味を持ちやすくなると思います。 毎年のように田植えしているのであればともかく、一生に一度くらいは経験しておくべきだし、若いうちの方が経験を反映しやすくなるので効果は高いでしょう。 特に収穫体験は食育の面でも有効だと思います。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
私は職人ですが、今主流になっているやり方を教えたりします。 でも、昔のやり方も教えたりします。 なぜなら、何もない時代に今と同じ様な効果を得られる方法を先達はやっていました。 お金を出せば何でも手に入る今とは違い、手元にあるもの、手に入る物で仕事をしていた人達の知恵は素晴らしいです。 機械や専用工具がないと出来ない仕事も、知識と知恵で何とか出来る事も多々あります。 その様な技術を伝えることも大事なことです。 何事においても基本を知る事は大事なことです。 今どき水盛管で高さを出す事もそんなにないでしょうし、パイプの継手に縄を使うこともないし、岩を割るのに矢を打つ人もそんなにいないでしょう。 でも、その様な仕事があることを知っておくのは大事なことだと思います。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
私も昔(小学生の頃)田植え(手植え)体験したけど、単純に「楽しかった」という記憶しかない。遠足的な感覚。その体験で 最後に出してくれたおにぎりがすごく美味しくて、30年近く経った今でも覚えてる。 別に大変さを知るとかまでいかなくても「田んぼってこういうところだよ」「お米はこうしてできるんだよ」というのを知るだけでも意義はあると思うので、「今どき手植えなんてしない」とか「大変さを押し付けてる」みたいな意見は気にしなくて良いように思う。
▲6 ▼0
=+=+=+=+=
私は子供の頃に田植えの手伝いをしましたが、この程度だと「大変さを植え付ける」ほどにはできていません。そもそも、子供のやる程度の田植えでは遊びなので、あれを見た大人が大変だと思うのは想像力の不足でしょう。ほとんどの保護者の世代が田植えの経験自体ないので説明のしようもありませんが。
泥田に足を踏み入れる感触と、稲の苗をゆるい泥田に植えることが意外と難しいことをわかってもらえれば、良いと思います。
▲22 ▼1
=+=+=+=+=
手作業と機械化作業の両方を子供達に見せてあげればいいと思う。 いろんな体験をして将来どんなことをしたいか、農業に携わるならたくさんのアイデアを出して少ない労力で効率よく生産性を上げられる仕組みを考えるなど、新たなアプローチで農業が活性化されれば嬉しいね。 個人的には陸稲の栽培に興味があります。
▲7 ▼0
=+=+=+=+=
親が小学校教員だが、 極端な事を言えば子供の中には、魚は切り身で泳いでいると本気で思っている子供もいたそうです。 そういった事を考えると、食べ物を育てる経験はある程度必要だと思う。 こんなに手間がかかっているとわかる事は食べ残しを減らす一つの手段、感謝して食べる習慣に繋がると思う。
そういった事もあって、子供には、そういった経験がたくさんできる幼稚園に入園させました。幼児期の色々な経験は大切だと思ってです。
また、マンション住まいですが、 ベランダで植物の栽培可能な状態なので、 夏野菜を育てて子供に1歳の頃から収穫させたり、水やりを任せたり。 そのお陰なのか、子供は好き嫌いなく育ち、幼稚園の先生にもびっくりされます。
色々賛否はあるけれど、 命を育てて食べる経験は子供にとって良い経験と思います。 私も子供の頃によく祖父について家庭菜園一緒にしたいい思い出がありますし、学びもありました
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
実家が兼業米農家なので学校で体験しても得られるものはなかったな。そもそも手で植えるなんて田んぼの四隅とか田植え機で植えられないところくらいしかない。それと田植えの前に耕運して畦塗りして肥料撒いて水入れて代掻きして除草剤を撒いてなどなどやらなければいけないことはたくさんある。手で植えるだけ体験してもしょうがない感は強く感じる。ファーミングシミュレータが25から稲作できるようになったから興味がある人はこれをやれば良いと思う。農業は如何にして人件費を抑えて機械化して高効率な生産方法を達成するかに尽きる。
▲1 ▼5
=+=+=+=+=
現在義務教育レベルで、プログラミング・プレゼンが組み込まれていると、いわれています。 農業の田植えという、昔ながらのやり方を体験して、どういう育て方と、どれほど手掛ける事で食べれるようになるのか、泥んこになりながら、楽しみながら、友達・仲間と大変な体験をする事で、コミュニケーションを深める。非常に子供達、日本の未来にとって大切な教育だと思います。 一定数、何事にも否定意見は、あると思いますが、教育現場は、ブレずに子供達の為に教育を推し進めて欲しいものです。 机上だけ無く、子供達の発想力と倫理的に考える為の現場教育、仲間達と集団組織の中で、意見を発言する為のプレゼン教育、暗いニュースばかりの中に明るい兆しのニュースだと思います。
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
ひと昔は小さいながらも家に畑があった、近所に住んでいるおじいちゃんちに田畑があった。親戚が農家だったなど、農業にふれる機会はいくらでもあったけど、いまは田舎でもほとんどないと思います。 子供の頃の体験、経験はいつまでも心に残るし、同級会など集まれば話になる。 だだお米つくって食べるんじゃなく、甘酒にもなる、お味噌にもこうじとしてはいっている。 米粉のパンも作れるなどお米はいろいろなものに使われることも勉強してほしいですね。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
テレビやネット、本で知識は身に付く。だから体験など不用って人もいるだろう。人間は概念を扱えるから、体験なしでも知識として知っていれば同じーと思っている人もいる。 ミカン3個が3と理解していればいい、頭のいい人ほどそう考える。その方が効率がいいからね。これは、料理のレシピをまる覚えしたら料理人に成れるーと思っているのと同じ。やってみないと分からないことは世の中に沢山ある。知識は大事だけど、それだけではあまり役に立たない。体験はものすごく大事だ。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
個人的には田植え体験してみたかった。けれども母の実家が近所で農家だったので種蒔きの前のくぼみ作りや大根の水洗いや雑草取り…色々させてもらえてた。畑って放っておくと雑草だらけになる事実とスギナとスベリヒユとアカザの驚異を知った。現在の機械化を前提に、手作業たる八十八の手間の体験は貴重だと思う。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
農業体験とゆうか、体験型の学習が大切です。植付けとゆうなら、別にその日だけ子どもを休ませれば良いだけです。それぞれに考えはありますから。米などたくさんの作物が、たいへんな労力と時間をかけて食卓まで運ばれる、生産者ー加工ー流通の初期段階を学ぶことは大切です。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
大変なのも含めて体験なんじゃなかろうか。授業の一環としてなら専用機具の事等も学ぶだろうしね。体験を通して見えてくるものだってあるんだし、体験がきっかけで将来の仕事に繋がる事もあるんだから、これからも続いてくれるといいなと思う
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
大人になってから自発的にしようと思わないとできないことは 子供時代に経験しておくのも悪くないかと思います 今は機械植だけど 田植え体験の中で苗を土に挿して どんどん成長していくのを見るのも、その後収穫までの期間がかかるというのを知ることも いい体験学習のように思います
▲10 ▼1
=+=+=+=+=
「機械が無かった昔のお百姓さんは大変だった」という歴史教育の一環としてはわかります。しかし、小学校高学年くらいになってからでいいので、現代の稲作がどのような手順で行われているのか機械化や化学化(肥料や農薬など)も含めて実態を理解できるような教育をすべきだと思います。 なお、稲作の体験学習というと「田植え」か「稲刈り」がほとんだと思いますが、田植えの前には、育苗や田んぼの準備(田起こし、畔ぬり、代掻きなど)や稲刈りの前までには防除や水の管理、稲刈りの後にも脱穀、選別などのいろいろな工程があることにも触れてほしいです。もちろん細かい工程は覚える必要は無いが、お米になるまでにはいろいろな手間がかかるということは感覚として知ってほしいです。
▲10 ▼2
=+=+=+=+=
色々な意見がありますがそれを言うと体育や美術、図工、家庭科なども大変だし危ないとかでやらせたくない、塾やスポーツも名門大学、プロにはなれそうもないからやらせたくないと親が勝手にきめるのですかね。 色々と経験させてあげられるのであれば、本人がどう感じてどうしたいか等経験値として残ればいいなと思います。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
もう40年以上も昔ですが、神社の中にある幼稚園に通っていた時に、神事として神社の田んぼで田植えや稲刈りをしました。 あと、その神社には小さな動物園もあって、先ず神社に参拝したら動物園へ行って全ての動物に挨拶してから各クラスに入り、帰りも全ての動物に挨拶して神社を参拝してから帰りました。 なんとなくですが、人も自然も動物も同じように敬い感謝するように育ちました。なので、田植えで農家の大変さを学ぶというのは、僕には無い感覚です。それに農家に限らずどの仕事も大変です。 それなら、田植えでなくても良いと思いますが、稲作は日本国の歴史と文化に深く関わっています。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
自分は兼業農家であと数年で古希だけど小学低学年ごろ田植えと稲刈りは 一日づつ手伝わされて腰かがめての泥田での田植えや稲刈りは大変だなと 感じた。昔だったので食事は正座で米を残すと目がつぶれると母親には時々 言われて育った。だから白米は絶対に残さない家庭教育だった。田植えや 稲刈りの実体験は絶対必要だと思う。いまは機械化だろうけどだからこそ 現場の大変さ苦労は体で実感したほうがいい。その苦労さと実った後の 炊き立ての白米の美味さは格別だ。
▲8 ▼3
=+=+=+=+=
私は音痴で運動神経は有りませんし美術資質も全くありません。
でも、小・中・高と音楽の時間は有りました体育の時間もありました。そして美術の時間も有りました。
私はそんな授業は嫌いだから受けなくて良いのなら受けなかったですが受けて良かったと心の底から思います。
なぜにそんな授業を受けるのでしょうかとなると感性を育むのですよ。音楽に触れて身体に音感を染み込ませて優雅な気持ちを知ります。体育で身体を動かして汗をかく楽しさを感じ取るのです。絵筆などを取り想像力を豊かにする。
これは青年期には絶対に必要です。苦であるとか楽であるからでは無いのですよ。感性とは人としての心を育てるのですよ。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
米作り体験の始まりの時期に教員をしていました。まだ、減反が政策として続き、米の消費量が落ちていた頃です。地域の農業団体のリーダーが学校を訪れ、米作り体験の実施を依頼されました。米の消費量を上げることと日本の農業の将来について考える体験を子どもたちにさせたいということで、頭を下げての依頼でした。本音では農業政策を転換したいという政治的な狙いもあったようです。学校では、途中の除草や水の管理、施肥などのたいへんなところには関われないが、田植えと収穫だけでよいならと依頼を受託し、学習の一貫として計画を立てました。その試みはアチコチに広まり、依頼をする農業団体の方たちも世代交代をしました。そうするといつの間にか、学校が忙しい農家の方たちに依頼をして、体験をさせてもらっているという捉えをする農業の方たちが増えてきました。本末転倒です。それが、今も惰性で続いているので、こんな不満も出てきました。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
小学校教員です。総合で米づくりをするのは時代遅れと言われますが、自分は5年生を持つと必ず米づくりをします。都会なので敷地内に田んぼがない学校もありますが、バケツ稲でやりました。近場に田畑がなく、協力者がいない時には、岩手で米農家をしている方に連絡を取りました。 何が言いたいかというと、自分の主食の作られ方も知らないで、どう国を背負うというのでしょうか。自分が毎日口にするものが、誰のどんな思いを受けて自分の食卓に届いたのか。1年だけでも、ちゃんと考えてほしい。きっとそれが、アイデンティティとかいう大きなものの根元になると思うからです。子どもたちは稲の成長や訪れる生き物に目を輝かせ、収穫できる量の少なさに驚き、自分たちで作りあげた米を大切に味わいます。保護者の方は自分の思い出を伝えたり、一緒に学んだり、子どもたちの感動に寄り添っていただいてます。クレームなんて一度もいただいたことありません。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
同じ体験でも、そこから何を学べるかは、その子次第です。 講師がある程度誘導したり、家庭で補足するものですが、単純に、この親の子どもは、体験からネガティブな学びしか得られなかったということでしょう。
授業をする上では、賛成意見と否定意見の双方に耳を傾けながら、どうすればより良いものになっていくかブラシュアップしていく必要がありそうですね。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
何でもお金で買える時代だからこそ、その買い取ってる部分を体験することが大切な時間なんだと思う。 誰かがやらなければ消滅してしまう。 ただ、教える時に『大変!』と伝えるのではなくその職業の素敵なところを伝える授業にしてほしい。 同じ先入観を植え付けるなら、素敵な職業として紹介してほしい。
田植え体験はしてないけど、大豆を植えたり、トマトやピーマンを育ててみたりする事で我が家の子供たちは苦手だった食材もチャレンジするようになったり、大事に食べるようになったからメリットしかないと思うけどね。
田植え体験反対の人は、お米食べないのかな?
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
野菜農家です。
仲間の稲作農家(数十ヘクタール)が田植え体験に来てもらってるけど、手植えもやりますが、トラクターや田植え機、収穫のときも手刈りとコンバインの体験してます。
私は野菜農家なので、コンバインや田植機は未経験なので良かったなあ。
学校でやるとなると原始的になるけど、もっと血と肉の通った稲作体験をするのなら、ありだとおもってます。
仲間の場合は、山田錦など酒米栽培して、地元の酒造と日本酒づくりまでセットなので、毎年人気です。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
技術や栽培方法、その他様々な物が進歩した今だからこそ、原点を知ることは重要だと思います。魚は切り身で海を泳いでいるのか、ピーナッツは木にぶら下がっているのか、木登りには何が必要か、水は恐れるべき物か、子供の時に多くの知識を身につけることは必要だと思います。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
田植え体験って別に米農家の後継ぎを作るための研修ではないよね。子供に田植え機を運転させるわけにも行かないし、稲が育つ原理を学ぶことに意味があるんじゃないのかな。米という食物が出来上がる過程を知る、稲作に親しみを持つ、とか、稲作文化を体験することにも意味があるんだと思う。 自分は学校では田植えはしてないけど、親が買って来たキットを使ってバケツで稲作りをやったことがある。本を見ながら容器で稲を育てて、病害虫のことを調べたり、倒れないよう気を遣ったり、水を張ったり抜いたりして収穫まで行った。農家の人の作業とは全然違うけどすごく勉強になったし良い体験だった。子供だって今は機械でやってるって事はそのうち知るけど、そんなの関係なく体験学習で得られるものはあるよ。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
「田植え、米作はこうやってやるもの」と伝えるのか、米作りの手作業でやる大変さを伝えつつ、現在では機械による効率化やさらに自動運転による田植えやIT農業化をしてコスト削減や効率化促進をしている農家もあるなどどこまで伝えるかで子供たちの認識も変わってくるかもしれませんね。
手作業による田植えという体験と知るきっかけになれば良いのではないかと自分は思います。
大人になってから好き好んでやらない限り経験できる事ではないですからね。学生のうちの一経験ですね。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
田植え作業を経験させるのって、 将来農業をさせるためじゃないよね
農業だけじゃなくて、子どもたちが経験できる職業体験って、 他にもいろいろあって、それぞれが学びの場なんやけど、 その仕事をさせるために経験するんじゃない
子どもの成長のために、いろんな体験をさせてあげて、 彼らの将来の選択肢を増やしてあげる意味もあるし、 田植え体験って、さらに土や泥を触るって意味も大きい 今の子がなかなか体験できない部分
ご飯をおいしく食べる事にもつながるし、 本当に書ききれないくらいいろんな意味がある
大変か大変じゃないか、とかそういうちっちゃな話じゃないよね
感想なんてみんな違って当たり前で、 中には、 「こんな苦労する仕事は絶対嫌だ!」 って思う子だっているやろね それでいい
考えなんてコロコロ変わるし、 田植え体験してくれた子全員に農業を担ってもらう必要もない
▲9 ▼3
=+=+=+=+=
社会体験としての意味は深く重要です。今や機械で田植えをしている時代にあり、ともすると効率的ではない田植え体験を受け入れ下さっている農家に感謝です。同じく職場体験としても、漁業体験、酪農体験、畑の芋掘り、子ども達にとって、とても重要な授業です。
▲53 ▼2
=+=+=+=+=
今の教育現場において、子どもたちに「体験」させることはとても重要なこと。 お米に限らず、食べ物がどうやってできるのかを身をもって知ることで、フードロスを減らしたり、環境について考えるきっかけにもなる。 そして「大変さ」を知ることも学びだと思う。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
いろいろな産業の一部でも体験できるのはいいのではないかと思うが、忙しい先生、てんこもりのカリキュラム、学校や先生の負担を増やしてまでやることかどうかはよく考えてほしい。自分が携わっている仕事のことを社会が理解してくれることは、多くの人が望むところなので、田植え以外にも、いろいろな職業体験もしないとバランスが悪くなるかもしれないよ。
タイトルにあるような「大変さを植え付けないで」は、「大変なことを、機械化や別の合理化で解決できるかもしれない」という方向にもっていけば、農作業の体験にとどまらず、機械や栽培の研究への関心も引き出せるのではないか。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
小学校の敷地内に田んぼがあって1~6年生全員で毎年米作りをしていました。田植えは泥だらけになって楽しいし、稲刈りの後に食べた出来たての塩おにぎりの味は今でも覚えています。「大変さの植え付け」と感じたことは一度もありませんし、現在の米不足の中、米の有難さをより感じることができてとても有意義な経験だったと思います。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
機械使って田植えしても、角は植えられないのでそこは手で植えるしかないんですよ。 今時全部手で植えるなんてないですよ。ある程度の広さのたんぼなら。そういうことを話したり体験させるだけで十分です。
大変さを植えつけないで、ってどういう意味なんだろう?食材を作るのって大変なんですよ?お金を出しても買えないものが出てきている時代です。 お金を出してもやるべき貴重な経験だと思います。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
江戸時代から続く小作農家です。 田植え体験を含め、役所的な前例踏襲主義で様々な農業体験会を依頼されます。 近年、「食育」を掲げ稲作の極一部である田植えや稲刈りだけにフォーカスする風潮に違和感を感じています。 田植え等を体験してもらい大変さを児童達に植え付けるよりも、田植え後の除草剤散布を体験して貰った方が今の稲作現場の現状に即しております。 既に田に入り腰を曲げて手植えする作業は乗用田植え機に切り替わり、稲刈りも乗用コンバインで楽チンです。 田植え後からお盆明けま炎天下で続く雑草取り程大変な作業はありません。 「選択性除草剤」の驚くべき発達により、全体の99%は薬物に頼りきりの農薬栽培化成肥料仕立てに安穏としています。 テレビや新聞等のマスコミを集め、その前で児童達にマスクと手袋を着けてもらい除草剤散布体験会を実施する。 「映え」てバズる最高の稲作体験会になるのは間違いありません。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
小学生の頃は都会でしたが、魚屋さんでもらった発泡スチロールに土を入れ、学校でもらった苗を植えて自宅で育てるというのがありました。 夏場になるとあっという間に水が渇き、小まめに継ぎ足すのに苦労しました。 そしてお茶碗に半分もない程度の稲籾を収穫しました。
一頃は魚の切り身がそのまま泳いでいると考えている子供、なんていうのが話題になりましたが、現在は一層、ゲームのコマンド感覚で選んだものが間髪おかず手元に届いて当然と考えている大人が増えてしまったように感じられます。 「(命を)いただきます」という食育だけでなく、自分の意識しないところでたくさんの人が関わっていて、食べ物(原材料)の形がどう変わって手元に届くのかという社会教育の面からもこのような実体験は必要だと考えます。
少し極端になりますが、それが嫌だというならサプリとゼリー飲料だけ召し上がっててくださいと思います。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
元小学校教員です。 田植えと稲刈りの体験学習に関わったことがありますが、たいして中身があったようには思えません。みんなで水田に入り少しだけ手植えしたあと大部分は田植え機で植えることとなります。次に行くのは収穫です。カマで少しだけ刈り取って後はコンバインで刈り取り世話役が用意してくれたおにぎりをいただいて帰るだけ。年末行事で児童参加の餅つきがあります、 大事なのは稲作の手順のなかの賑やかし的な行程をかじるだけで地道な世話をすることには全く触れません。 食育という言葉の元地域のJAと教育委員会のご機嫌伺いに学校長が関わっているに過ぎない行事でした。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
お百姓さんに感謝してご飯を食べましょう、と、よく言われました。これは、ほかの食べ物もまったく同じはずなのですが、特にご飯についてよく言われましたね。おコメ作りは神聖なもの、尊いもの、そういう考え方があったと思います。
田植え体験も、そういう考え方の延長線にあるのではないでしょうか。ほかの食品の生産現場については、見学などは行うことがあっても、ここまで踏み込んだ体験学習は珍しい。
ただ、こうした学習は倫理的な側面が強調される気もします。農業も産業であり、収益性や成長があって然るべきはずです。殊更に神聖視することなく、産業としての農業の実態などをきちんと教えることとセットで、学習して欲しいと思いますね。
▲7 ▼1
=+=+=+=+=
今やってるのは農業体験ではなく田植え体験。 田植えしたなら教えてもらいながら秋まで育て稲刈りそして玄米にするまでを自分達でやって初めて農業体験になる だからお米を粗末にしてはいけないという教えになる 自分達の学校は校庭内に花壇の代わりに小さな田んぼを作って6年生が全員で育ててました 下級生に入らないように工夫したり害虫対策したり農家さんに来てもらって授業してもらったりとかとてもいい体験をしました。 そして秋に収穫し脱穀して玄米から精米機にかけて出来たお米をみんなで美味しく給食で食べた事は鮮明に記憶に残っています
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
賛否両論というのは、意見が拮抗しているところで出る言葉では? どう考えても「大変さをうえつけないで」という意見は「経験は大切」よりはるかに少ないと、 ヤフコメ見てても思います。泥の感触も、ちいさな苗がそだっていくのも、すべては命につながるもの。学びであり教育と思いますので、学校で体験できるのはありがたいと感じます。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
2校で学校農園を指導と保護者への協力お願いし、維持費の管理を担った。朝5時集合で水路の泥上げや、畦の整備、近くに迫る山林の雑木の枝うちを保護者PTAの役員や消防団員有志など30人前後でがんばった。秋は稲刈りの後、きねうすで学年ごとにもちつき、終了後、校庭でアンコロもちきなこもち 納豆もちなどを給食代わりに食べた。ところがそれまでのやり方できねうすの手配ができない学年ができて、かまど炊きでご飯を炊き、おにぎりパーティーにし、給食わくで豚汁を添えた。指導のマニュアル作りから、必要なご飯の量、何人保護者に協力を求めるか、細かい実施プランは私が作った。ところが東日本大震災の後、縮小から廃止で学校の借りていた水田は、耕作放棄の茅原になっている。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
現代はサービス、情報産業の時代と言われていますが、人間が生きて行く上で最も基本的で重要なことはモノ作りです。しかしながら、そのモノ作りも機械化、高度化、分業化されてモノ作りの全体像を把握し難い状況下でもあります。 このような状況下であるからこそ、小、中学生にモノ作りを体感してもらうのは重要なことです。そして、農業はモノ作りの基本中の基本であり、また、その全体像を体感するには非常に良い対象でもあります。
その意味で、「田植え」→「稲刈り」→「脱穀」→「ご飯炊き」を体験することは重要なことです。また、例えば、「大豆栽培」→「豆腐、納豆、味噌作り」など、農業関係には良い対象が多くあります。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
海なし県なので、子供が小さい時は普通に田植え体験、水田の生き物の研究、稲刈り、最後は精米してご飯を炊き給食時に、全生徒に少しずつですが分けて皆で味わってました。 食に対する感謝を感じる事は大切な事だと思いますがね。コンビニ行けば何でもある時代でも、柔軟性のある子供のうちに体験しとくのは良いかと思ってます。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
実家は稲作して生前父は小学生に米作りを教え、米名人とお便りまでいただきました。自分はその環境にあったので、工程も知り大変さだけでなく楽しさも知っています。ただ単にネガティブを植え付けさせるためにそういう事しないでしょ。音無し盆踊りとかの批判もある世の中、いきなり米が生えてるとか魚が切り身で泳いでる児童の絵とか、成り方を知らないでそういう絵を描くより、ものの作り方を知るのは当たり前の勉強だと思います。ネガティブな考えを植え付けさせるためという思考が出てくるのが信じられません。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
どんな業種でも、第一次産業を一からやるのは本当に大変。 けど、それを体験するのはそれ相応に価値があると思う。 ただ、子どもに『第一次産業はこんなに大変なんだ』と過剰に植え付けるのは反対。 田植えなら、バケツでもできるんだから。
業界が機械化と集約化を進めて、あんなに大変な作業がこんなに楽に出来てきちんと収入に繋がるというところまで学べればいいと思う。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
田んぼを借りて、10年ほど田植えイベントをやりましたが、子どもが参加するイベントレベルで農業の大変さなんか分かるわけないです。 あれで大変なんて思うなら、社会人になった後が心配だし、もう少し世の中を体験したほうがいいと感じます。
田植え、草取り、稲刈りと、田んぼ体験に長年通ってくれた子が数人いますが、それぞれ全く違う方面で、色々感じることがあったようです。それは、親子で話をしていたからかも。 それに田んぼ体験より、その周りの自然体験のほうが心に残ったみたいだし、そこから、環境を守ることの大事さを感じたほうが多かったかも。 水や土などの環境も守らないと、農業はできないので。
数回の体験より、親が大変と思ってしまい、子どもに、大変よね大変よね、と話すほうがよっぽど影響力があると感じています。
▲1 ▼1
=+=+=+=+=
戦略のない田植え体験なら遊びじゃないので不要だと思います。バケツ稲栽培のほうがよほど深みを得られそうです。
私は、小学校の要望を受けて田植え・稲刈り体験を再開しました。 以前協力していたチームが高齢化のため手を退いていたのです。その頃は自分たちが多忙な中、足洗いスイカや稲納ヤキイモまで用意する周到さだったので、疲れてしまいました。 今は有色米の保護者農家に協力いただき、水田のガクブチ部分だけ植えさせるので田植え綱といった準備や補助は激減。稲刈りも一般米と時期が異なるので楽です。むやみな「おもてなし」の類も省略しました。 そもそも参加児童への事前事後授業が行われるようになり、学校との意思疎通によっても狙いが明らかになっているのが大きな改善点です。何を体験させ何を考え想像させるのか、貴重な授業時間に最大のタイパを発揮できるよう、水田にいない時間を大切にしています。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
その日かぎりイベントとして田植えをするのではなく、地域の産業として、長期的に学習したほうが身になると思うけどな。農家さんにサポートしていただけるのであれば、実際に育ててみるのもいいと思う。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
体験で手植えするくらいの量を大変とか思うようじゃ… 自動運転の農機を使って田植えや収穫してるところとかドローンで農薬散布してるところを見せればいいのかな それだったら教室で映像を見ても変わらない やっぱり実際に触れてみることが大事だと思う
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
「令和のコメ騒動」の中、泥に触れ、苗を植える原始的な手作業は、現代のアグリテックが進化するからこそより深い学びと思います。
この体験を通じお米が食卓に届くまでの労力や、先人たちの知恵を肌で感じられます。戦国時代の「石高」がいかに膨大な労力の上に成り立っていたか歴史の重みを実感する貴重な機会となるでしょう。かつて肉食が稀だった時代に、「剛力」として重い荷を担った当時の食生活と身体能力の繋がりを「動いて感じる」ことで理解が深まります。
物が溢れる今、「お米一粒の大切さ」を体験で実感することは極めて重要です。単なる「大変さ」で終わらせず、その労力への感謝、そして持続可能な社会を築くきっかけとなるはずです。
体験に加え、ICTやロボット技術を用いたアグリテックを紹介することで、子どもたちは伝統と最先端技術の両面から農業を理解し、次世代の開発者育成にも繋がる深い「気づき」を得られるでしょう。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
農業大変と考えるより、これで農業に興味持つ人が増えそうに思いますが。 それより農家って求人情報サイトとかで簡単になれないし、農業系の学校出るとか、実家が農家とかじゃないと始めるのが難しいから減ってるんだと思います。 工場みたいなIT農業が出てきてるし、ドローンとか最新の体験させて、最新の農業を始められる環境を支援とかすればいいんじゃないですかね?
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
田植え体験の際に農家の人が普段は手では植えないで農機具使ってるから楽なんだよと伝えたらいい話では?と思うな。 子供達も農機具を使ってるのは知ってる人は知ってるんじゃないかな? 田植え体験は農家ではない子供からしたら貴重な経験だしどうやって米が出来るのかを知れるいい機会だと思う。 最近は農家が減って使わない田んぼを皆でシェアして使うイベントが増えてる。 自分が食べる米を自分で作る時代がこれから来るかもね。
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
主食のコメがどのような過程で生産されるか,その基本を実地で学び,或いは食育のためにも,学校の校外実習として無理なら地元の生産者の理解と協力でこういう作業を実体験する機会が与えられれば・・・・・・・・と思う.苦労の後には収穫の喜びもある.1粒のコメも大切にする気持ちが育まれればなお良い.
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
体験授業にはきちんと目的があり、今回は自分達の主食がどうやってできるのか。どのような苦労があるのか等を学べる機会で、今は分からなくても将来きっと思い返す時が来ると思う。子供の時からスマホやタブレットでデジタル漬けにするより、アナログ的な体験が必要という事を見直す時期だとも思います。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
子供のうちに色々経験できるのはとてもいいことだと思います。もしかしたらそういう経験から興味を見出して、将来につながるかもしれませんしね。今はお金払って色々な体験させてもらえるで大人になってからやりたいと思ってもできるのでしょうけど、子供の時にやるのと大人の時にやるのとでは感じ方も違う気がします。私も小学校の時田植えと稲刈り体験ありましたが、苦手だったカエルが怖かったぐらいで、たのしかったですよ!田植えすごい大変!!っていう印象は残りませんでした。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
子供に米はどこで採れるとインタビューしたら木からと答えていたのが前テレビでやっていた。 何の作物でも全く知らない子供も多いだろう。 学校で米やジャガイモなど植えて収穫するのは将来の為にもなるんじゃないかな? 私も農家ですが農作業は大変なものですよ。 私はどうしたら楽にできるかいつも考えています。 そうして工夫していくのが良いと思うんですけどね。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
「手植えを体験させて『大変』なんてネガティブ思考を子どもに植えつけるの止めてほしい」
逆だと思います。 美味しくて安全な農作物を生産するには、それだけ大変な苦労が伴うものなのです。 だから農家に感謝していただく。そういう意識を子どもたちに自然に養ってもらうことが大切ではないでしょうか。
個人的には田植えもそうですが、トラクターやコンバインの操作や維持の方もそれはそれで大変だろうと思います。
▲17 ▼1
=+=+=+=+=
小学生の頃、田植えをして稲刈りまでしましたが、実に面白かったですね。学校での経験も毎日する訳でもなく、年に田植え1日、稲刈り1日の2日くらいだと思いますが、それを「大変」というならば、何しても大変でしょうね。何事も経験を積まないと、大人になると精神が貧弱な人間になると思う。そういえば、就職してから上司に叱られて泣く若者を見かけることがありますが、大変なことも経験なく叱られることもなく、甘やかされて育った人間の末路だと思う。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
学校で田植え体験をさせている所は結構有りますね。 私は必要だと思う方です。 何故なら、食物を得るには消費者はお金だけ出せば手に入ります。 しかしその物を苦労して作って下さる人がいるから、難なく口に入れる事が出来る。 其のありがたみを感じる為にどの様にして米が作られるのか、矢張り体験して得る物は有ると思います。大変だから、たとえ野菜などでも其の命を貰っている。言え食べる物は大切にしなければ成らない。 勉強ばかりが人間を形成するのでは有りません。 私は一通りの農業体験は必要だと思う。 これからは必ず食糧難時代が来ると思います。 貧富の差も広がる事でしよう。 生きる為の知恵の一つとして、農も身体を持って学ぶ必要が有ると思います。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
時代も変わり何事にも集団より個人の思考の優先主義が広く浸透する時代。 私的にはパソコンやiPadに依存した画面生活より、風に吹かれ地球の営みに触れる体験学習は非常に重要な生きる力の糧になると思ってます。 一次産業の体験は心の肥やしになる貴重な体験です。 近年は心の肥やし不足で殺伐とした味気のない世の中にどんどんなってきているように感じてなりません。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
このような体験学習をする場合、大人のファシリテーション能力が必要です。
体験最中の子どもに対しての言葉がけ、体験後に、どんなことを感じたのかを引き出す言葉がけ、将来、自分たちが食べる食料について考える言葉がけ、など。 建設的な言葉をかければ、子ども達も様々なことを感じ考え、よりよい体験になります。
大人がファシリテーションを意識せず、「大変だよ~」「しんどいよね~」「疲れた~」と、言ってれば、子ども達は自分自身で感じる前に、その考えに染まってしまいます。 「ネガティブ思考になるのでは」というのは、体験学習を開催したことがない大人の勝手な言い分です。
▲0 ▼2
=+=+=+=+=
いまコメ農家は手植えの様な田植えはしていないと言うが、もちろんそうだけど、始めての事をいきなり便利方法でやっても何の意味もない 例えば、小学校の算数の計算問題を解くのに 最初から『電卓使って良いです』と言う授業がありますか やっぱり、最初はアナログ的なやり方でやらないと、どうしてそうなるのかと言う、しくみがわからないと身につかない。 同じ様に、手植えでやると、しんどい思いをして作った物を大切にしようと言う気持ちが出てくる。 そう言う気持ちを育てる事はとても大切な事だと思う。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
自分は小学校の時に授業の一環でバケツで米を作ったことがあるが、記事で書かれているような伝統的な田植えはしたことはない。ただどのような形であれ米作りや野菜作りは体験させた方がいいと思う。ちなみに野菜作りの方は学校の中の畑を利用したので本格的なものだった。 いずれにせよ授業科目の「生活」の時間などで農業体験をすることは重要だろう。伝統的な方法に固執する必要はないかもしれないが、現代人は高度な技術に依存している傾向があるので、たまにはアナログ的なやり方で物事を取り組んでも良いかと思う。また伝統的な田植えは神社や皇室などでは行われていることが多く、日本の文化を知ることにも繋がる。伝統的な田植えを通じて日本の文化に関心を持って欲しいという目的もあるのではないだろうか。 以上を踏まえると個人的には伝統的な田植え体験には賛成だ。日本文化を知ることやアナログ的なやり方も理解しておくことにつながるからだ。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
食料危機などのさまざまなな社会問題を解決するために商社やコンサルで働く、などというのは所詮きれいごと。 汗水垂らして働いている人こそが食料難を解決し、安全な都市を作り出している。実際に米を作る人、土木作業をする人、畑で作物を作る人達がいなければ、いくら人と人を繋げたり、アイデアを出したところで何も生まれない。 労働は大変。物理的にものを生み出す価値のある仕事です。口先だけでなく労働を提供した人がより多く対価をもらえる社会システムを作らないと、頭だけ使ってものを右から左へ動かすだけの仕事ばかりが高給を得られる憧れの職業になつてしまう。体を使った労働が軽んじられ、労働搾取を当然とする社会の構造が歪んでいる。 学校での体験云々より労働を下に見る風潮を政治や教育の現場から払拭していってほしい。
▲74 ▼3
=+=+=+=+=
当地でも田んぼの学校はありますが、水稲なら苗箱に種まき・田植え・鎌をを使っての収穫、さつまいもは植え付け・収穫、そばは種まき・かまを使っての収穫ですが、その生育過程はほとんどタッチしていないのが現実です、植える場所の準備、生育中の管理は営農組合に丸投げ状態で何を学習しているんだろうと言ってる人もいます。
▲0 ▼0
|
![]() |