( 297725 ) 2025/06/09 05:43:52 2 00 名大医学部、慶応医学部、東大理3に“すべて合格”も、「理3を退学」彼が選んだ《その後の道》東洋経済オンライン 6/8(日) 5:47 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/c4a104fe89af489ce8264a95dbbf00afe7906e46 |
( 297728 ) 2025/06/09 05:43:52 0 00 ※写真はイメージです(写真: マハロ / PIXTA)
浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 今回は3浪して東京大学理科3類に進んだ後に退学。その後、学習院大学に進学・卒業後、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻に進み、博士課程を2年で退学。現在は教育者・哲学者・作家として活躍している大竹稽(おおたけ けい)さんにお話を伺いました。
■3浪で合格した東京大学理科3類を退学
今回お話を伺った大竹さんは、3浪で東京大学理科3類に進まれた方です。
医師になりたいと考えた大竹さんは、1浪目で名古屋大学医学部に合格、2浪目では慶応義塾大学医学部に合格したものの、諦めきれずに東大の理科3類を受け続けます。
しかし、3浪の末に合格して進んだ東大の理科3類も退学した彼は、驚きの選択をします。
なぜ別の大学に入学しても、3浪してまで東京大学理科3類にこだわったのか。
3浪して入った東京大学理科3類をやめようと思った理由はなんだったのか。詳しくお話を伺いました。
大竹さんは1970年3月、愛知県の蒲郡市に、公務員の父親と主婦の母親のもとに生まれました。
小さいころの大竹さんは、本を読んだり、山の中に入って遊ぶのが好きな子どもだったそうです。
「父方は農業の家系で、母の血筋はみな教育者の家系でした。私はそれをどちらも受け継いでいて、本を読むのが好きでしたし、山や田んぼでメダカやトンボ、クワガタを捕まえるのも好きでした。友達はそんなにいなかったのですが、自然と本が友達という感じでした」
読みきれないまでも、小学生のときには西洋の文学作品や、『古事記』なども読んでいたと語る大竹さんは、小学校のときのテストは満点以外を取ったことがありませんでした。
中学校に入ってからも優等生ぶりは変わらず、テストはほぼ満点で成績もずっと1位。成績をキープしたまま高校受験に臨んだ大竹さんは、県有数の進学校、愛知県立旭丘高等学校の普通科に無事進学しました。
■叔父の死をきっかけに医学部目指す
「高校に入っても1番を取れるだろう」と思っていた大竹さん。
しかし、ここで初めて1番以外の点数を取るようになり、「350〜400人ほどの同級生の中で3年間、ずっと10位前後だった」と語ります。
「高校に入ってからは満点が取れなくなってきました。中学時代は90点が自分にとっての失敗だという気持ちだったのですが、高校に入ってからは60〜70点も取るようになったのはショックでしたね。もともと、私の勉強法は授業で言われたことを後回しにせず、その場で全部吸収して次に進むスタイルだったのですが、高校で出される課題が多すぎて手に負えず、だんだんできなくなりました」
最初から理系に進もうと決めていたため、必修の文系科目に力を入れず、0点を意図的に取ったこともある大竹さん。そんな当時の彼の夢は、医者になること。そのきっかけは、叔父が癌で早逝したことが大きかったようです。
「それまでは虫をはじめとする動物の研究職に就こうと思っていましたが、叔父が亡くなってからは、癌を世の中からなくすようなことができればいいと考え、研究医になろうと思いました。そこで東京に行きたかったこともあって、東京大学の理科3類を志望するようになりました」
現役のときは模試で理科3類のE判定しか取ったことがなかった大竹さん。共通一次試験(現:共通テスト)で800点中720点という結果を見て、この年は理3の受験を断念します。さらには志望学部を変えて受験した東大の理科2類も落ちて、浪人が決定しました。
大竹さんに浪人を決意した理由を聞いたところ、「医学部に入りたいから」と答えてくれました。
1浪目は駿台予備学校に在籍し、授業は取らずに自習室だけを使用していた大竹さん。朝起きたら予備校の自習室に行き、自分の体調と相談しつつ、夕方まで勉強をするか、途中で周辺を散策しにいくかを決めていたそうです。
「河合塾と代々木ゼミナールにも在籍者として名前だけ置いていたのですが、自習室は駿台ばかり使っていました。なぜなら名古屋城の堀が近くて、そこまで歩いていってアヒルや白鳥と過ごす時間が好きだったからです。喫茶店や雀荘、近くの円頓寺商店街にもよく行きましたね。散策する日は、予備校の自習室に戻ってから1日のまとめをして帰る生活をしていたので、勉強時間は5〜10時間くらいだったと思います」
■成績がぐんぐん上昇した
自然が好きな大竹さんらしいリフレッシュ方法は、成績にも表れます。
河合塾・駿台・代々木ゼミナールの受けられる模試をすべて受けていた大竹さんの判定は、この年でグッと上がり、理科3類でもB〜A判定が取れるようになりました。
「これなら、もうこれ以上上げなくてもいいだろうってところまで成績が上がりました」と語る大竹さんは、この年に受けた最後の共通一次試験では国語の小説の1問ミスだけだったそうです。
この年は800点中790超えという結果を受け、東大理3と後期試験で受けた名古屋大学の医学部、慶応の医学部に出願。しかし、東大理3と慶応医学部には合格できず、唯一合格した名古屋大学の医学部に進学しました。
名古屋大学医学部に合格した大竹さんは大学に進学こそするものの、理3に合格したかったためにすぐに仮面浪人を決めます。大学に籍だけを置き、同じように籍を置いていた駿台で前年と同じような生活を続けました。
模試の判定は前年・前々年と変わらず、第1回試行であったセンター試験の結果もまたしても小説の1問ミス止まり。
それでも理3には届かず、併願していた慶応の医学部に合格し、入学しました。
■慶応に入学も「ここは自分がいる場所じゃない」
2浪で入った慶応義塾大学の医学部には半年間は通いましたが、「自分がいる場所ではない」と感じていたことで、もう一度だけ理3を受けてみようと思ったそうです。
「あまりにも慶応の同級生と世界観が違ったんです。普通の家庭が買えない車に乗っていますし、行動の1つ1つを見ていて庶民じゃないなと感じました。それでいて、彼らは『マウントを取る』ようなこともせず、何の見返りも求めずにご飯を奢ってくれたりしました。彼らはきっと自分が恵まれていることがわかっているんでしょう。あまりにも人柄がよすぎたんです。それでもう一度だけやってみて、ダメなら慶応に戻ろうと思い、ラストチャレンジのつもりで理3を受験しました」
3浪目の受験生活も2浪目までと同じような生活を続け、成績も判定も安定していました。そしてこの年のセンター試験の結果も、小説の1問ミスのみだった大竹さん。前年・前々年と非常に高い点数を取り続けたにも関わらず、理3に落ち続けた彼は、今まで落ちた理由を「運」と振り返ります。
「1浪目以降、理3に合格できるかは運次第でした。そのときに出た問題ができるかできないかにかかっていましたね。たとえば私は数学の確率の問題が苦手で、これがセンター試験のレベルでも解けませんでした。センター試験では(確率か、違う分野で選べる)選択問題だったため回避することもできたのですが、東大で出たら1問ミスが確定でした」
こうして臨んだ3回目の理3受験でしたが、残念ながらこの年も数学で確率が出題されました。しかし、幸いそれ以外の問題はすべて解くことができ、6問中5問を完答することができました。
こうして、ついに大竹さんは、目標であった東京大学理科3類に合格することができました。
3浪の末、悲願であった東大理3に合格した大竹さん。
浪人してよかったことを聞くと「多浪を経験したということで興味を持ってくれる人がいること」「浪人生へのアドバイスができること」と答えてくれました。
「私は現役で大学に行ったわけではないので、同じことを繰り返す人生を数年間送ったわけです。でも、その後の人生で、『愉快な人生を歩んでいる人だ』と思ってくれる人と会えて、それでご縁が広がったりしているのはありがたいことだと思います。浪人している人の気持ちにも配慮できるようになれたのもよかったですね。今、浪人している方に伝えたいのは、『絶対に早寝早起きをすること』ですね」
東京大学理科3類に進んでからの大竹さんは、「恋愛と文学にのめり込む生活を送った」という2年の留年を経て、進学振り分けで医学部に進むことが決まります。ようやく夢であった医師への道が見えてきた段階で、大竹さんは大切な人の死に直面し、そのショックから理科3類を退学します。
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( 297727 ) 2025/06/09 05:43:52 1 00 この記事には、受験や大学進学に関する様々な意見や批判、賞賛が寄せられています。
この記事を通じて、個人の人生選択や進路に対する考え方や葛藤、親の支援などについて多様な意見が示されています。
(まとめ) | ( 297729 ) 2025/06/09 05:43:52 0 00 =+=+=+=+=
多分この人は勉強の目的が医師になるためではなく、ただ勉強が好きだっただけ。本当に医師になりたかったら確率は避けられない。単に確率は嫌いだったから勉強しなかっただけだし、理3を目指した理由も単に最難関という理由だろうね。 確かに理3合格はすごいのだが、あくまでも個人的趣味の範疇。一浪して入学した名大医学部を卒業して医師になっていたほうが社会的には意義深いことだったと思う。
▲1993 ▼119
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浪人生活も悪くはなかったです。 その時知り合った方々からは色々な影響を受けましたし。 滑り止めだった大学は合格していましたが、浪人することを許してもらい、予備校のお金まで出してくれた両親にも感謝しています。
最初の目標と変わっても良いのではないですか。 人生いろいろな分かれ道があるのでしょうけど、正解など分からないですから。 若い方々には、その時最善と思った道を信じて進むことを期待しています。
▲391 ▼53
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世の中いろいろな人がいて、おもしろいなと思います。曲がりくねった道であっても、どこか真っ直ぐな気持ちを持ち続けて、かつ自分の探究心に素直な人は結局は自分の心が求めているところに到達する、ということを教えてくれているように思いました。とはいえ、それを誰もがなし得るとは限らないのかもしれません。大竹さんの場合、優れた素質に恵まれたことは幸運だったと言えるでしょう。大竹さんのインタビュー動画を観たことがありますが、とても繊細な感受性をお持ちの方だと思いました。多くの人が大人になるにつれ生きていく上で必要な術として自ずと身につけていく鈍感さに抗する弱さと紙一重の剛さを備えておられるようにも感じました。出会いのある方々と共に学ぶ場をひとつの事業として運営されていることは素晴らしいことだと思いました。
▲77 ▼23
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慶應大医学部に進学して、周りはお金持ちばっかりで世界が違ったと言われているけど、この方も何年も予備校通わさせてもらったり、高額な慶應大医学部の授業料をはらってもらったりと、親御さんが裕福でなければここまでさせてもらえないと思う。
結局、医者にはならなかったけれど、ご自身のやりたいことを見つけたのだから結果オーライなのでしょうけれど。 なんだろ、ちょっとそこまでの過程(入退学を繰り返す)にモヤッと感がありました。
▲1674 ▼41
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立派な生き方とは思うが。名古屋大学や東京大学の医学部入学の椅子を一つずつ他の人から奪ってしまった、ということだね。特学費の点で国立でないと入れないという人も多く、そこが気になった。自分よりも点数が高ければよかっただけ、と言われればそれまでだけど。
▲23 ▼3
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う〜ん、まっ、人それぞれですね。大学入学に、人生をかける人もいれば、大学卒業後、それから先に進んだところに、人生をかける人もいます。あ〜、それと、もう一つ、高田びーまんさん に、教えておきたいことがあります。これは、会社本店に勤務していた時に聞いたことなのですが。人事部の方が、大学浪人はよくいるが、大学院浪人は、知られていない割に、意外といるそうですよ。これは、大学卒業後に浪人した人と、聴講生として大学に留まった人がいます。聴講生は、留年扱いになります。採用条件に、年齢制限がなけれは、大学院と大学浪人合わせて、七浪という人もいますよ。いづれにしても、これらは履歴書でブランク扱いになりますので、採用試験では、要注意ですね。
▲1 ▼5
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この人の体験記を聞いても、まったくすがすがしい気持ちにはならなかった。私は大学を、「何を学びたいのか」を基準にせず、ブランド名で選んでしまった。そのことを今でも後悔している。そのせいで人生まで変わってしまったからだ。受験生の中には、その大学にはどんな研究をしている教授がいるのかまで調べ、「その人の元で学びたいから」という理由で進学する人もいる。私も高校生のころ、そこまで頭が回っていたらと後悔の念しかない。
この彼の場合なら、大学名にこだわらず、まっすぐ名大医学部を出て医者になり、その上でフランスに興味があるのなら、フランスに留学するような道も開かれたはずだ。作家のなだいなだ氏は慶応医学部を出た後、フランス政府給費留学試験に合格して留学している。こういう道をたどるほうが、ずっと実り多い人生だったと思う。この彼の場合、親がどうして許してきたのか不思議だ。
▲1317 ▼53
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初志貫徹したのは素晴らしいことだし、途中で合わないと感じた際に修正出来る行動力も凄い。
しかし、彼が退学したことにより、名古屋大学医学部や慶應医学部や理Ⅲに入学し医師になるはずだった方の人生を変えた可能性もある。
医師になることが目的ではなく、ただただ単に合格証書が欲しいだけの受験生は面接ではじいた方が全体の利益になると思う。
▲938 ▼140
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私立の慶応はともかく、名大医を蹴った時点で医者になる云々より学力コレクションに目が向いていたのかなと思う。
医者って難しいもので、なるためには受験時はしっかり学力に向き合わないといけないので、学力偏重、そしてそこにプライドを持つようになるのは自然なことだけれど、いざ医学部に入るといきなり職人質を求められる。というか座学は膨大な量で苦労は絶えないが、それらは「出来て当然」という感じで、学力では「頑張っても褒めてもらえない」中、医者となるべく実技を求められる。それまでの常識が通用せず「あれおかしいぞ?」となる学生は多い。
エリート官僚や商社マンのような総合職を目指すのなら、少なくとも入社までは受験時と同じ学力コレクターマインドで貫徹できるが、医者は学生のうちからマインドチェンジが求められる。やはりそこで躓いてしまう学生は多いのよね。 まあ医者という職業の特性考えれば当然といえば当然だけど。
▲514 ▼23
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私の卒業した大学の医学部の同級生には、旭ヶ丘高校出身者が10人ほどいました。皆さん優秀で、ほとんどの人は、卒業後名古屋大学の医局に入って活躍しています。東大医学部出身者が、卒業後に医師として活躍できるかどうかは、別問題です。いくら難関な入学試験を突破したとしても、医師としての資質に欠ける人は、病院勤務の中で淘汰されてしまいます。普通の医学部を卒業して、普通に勉強し、医師国家試験を無事取得し、医師として長く勤め上げる事が大切だと思います。また、研究で名をあげようと思うのであれば、基礎研究で有名な場所で頑張れば、臨床の分野では、それなりに評価されます。医学部卒業後は、どこの大学出身かというよりも、医師本人の人間性や臨床医としての実力がものをいいます。また、鶏口牛後という諺のように、上には上があるものです。
▲267 ▼21
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医師になりたかったのか、理三に入りたかったのか。。 私も東大生でしたが、反省をこめて言うと、入った途端に勉強の優先度が下がってバイトサークルが主になってしまう人が多いかなと。それまではとても努力するのですが。 アメリカの大学で教えたことがありますが、向こうのトップの層は東大生より勉強します。大学院になると向こうの方がレベルが上。受験勉強を頑張りすぎるのは個人にとっても社会にとっても副作用が多いかなと感じています。
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どの学部でも良いから有名大学に合格したい人もいるけど、やっぱり進路は大学の知名度とか偏差値では無くて、しっかり自分のやりたい事を考えて選ぶと1番近道なのでしょうね。合格で勝ち負けとかじゃ無くて、本当にその分野で学びたい人が気概を持って学ぶ所が大学という機関であるのでしょう。同時にやりたい事が変わったり失敗しても誰でもやり直し、学び直しがし易い機関である必要もあるよね。日本は本当にやり直しがし難い。皆んなに何度もやり直しのチャンスがないと国は栄えない。企業の働かせ方にも問題があって、生涯学習が定着し難いので文化面で生活が豊かにならないし生産性も上がらない。
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理Ⅲに入って1つの目標を達成したのでしょう。 受験勉強をただのゲームや競争と考える人達も多いと思います。 そういう人達が医学部に入るべきではないと思いますし、そもそも医学にそれほどの高学力が必要とも思えません。 数学が受験科目に課されない帝京大学医学部卒でも医師になれるのです。 もっと昔なら医学部は偏差値50台の時代もありました。 トップレベルの高学力の方達は、理学や生命科学の分野で研究職になってもらう方が国の為です。
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考えや、夢、やりたいこと、大きな目標があるのは素晴らしいことです。 ただ、やってみたら合わなかったとか、様々な理由で向かう方向が変わるのはよくある話です。別に一つのことに収まっていないことが悪いこととは全く思いません。むしろ、人に迷惑をかけずにやりたいことをやりたいだけやれる人生なら充実していて幸せではないでしょうか。羨ましいと思います。
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主に浪人と受験を繰り返すことによって得られたもの、たとえば良き生活習慣や良き心がけなどについて語られており、受験生・浪人生にはある程度のアドバイスになるとは思う。
反面、進路の選び方については卒業後の目的よりはその時々の居心地の良さが最優先されていた印象を受けるせいで、参考にできる人は限られるだろう。
当初は医学による癌の克服を念頭に医学部を目指していたはずが、実際に医学部に進学してから医学についてどう思ったか語られていない。
また理3を退学した理由やその後予備校を仕事に選んだ理由、後に文化研究大学院まで進み博士課程の途中で退学した理由については実にあっさり書かれているか、もしくは全く理由が書かれていない。
インタビュアーの力量か関心の欠如のせいなのだろうか。たまたまそういう人生になっただけだから敢えて深く掘り下げる必要も無し、というような人生観を記事から感じる。
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周りから見て紆余曲折した人生行路を辿ろうとも、節目節目で下した己の選択決断に悔いが無ければ、それは本人が納得していることだから、他人がとやかく言う筋合いのものではないだろう。 ただ本記事を読んで、学問の入口(受験)での価値判断が全てではなく、出口(学業修了)が社会への、引いては自分の人生での新たな出発地点(スタート)だという事実に、どれだけ上手く向き合えるか、折り合いがつけられるかが重要なんだと感じた。 受験勉強においては、頭の良い人ほど最上の結果が得られないと満足できないみたいだから、他人(ひと)が羨む難関校に受かったのに再受験を選んで、結果的に多浪の道を辿る傾向が強いようだ。 半世紀ほど昔のことながら一浪した私としては、多浪が多労に終わらぬことを切に祈るほかない。シナトラの「My Way」かチンペイの「昴(すばる)」をBGMにして(えらい古くてゴメン)、受験生には頑張ってもらいたい。
▲1 ▼1
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もがき続けた人生の選択の中で流されて医師になるようなことなく自分の進む方向性を見失わずに生き続けているように見えます。自分の人生を自分のものにするにはこのこだわりが必要な気がします。自分の人生ですので人にとやかく言われようとも自分が信じた我が道を突き進む、これが正解だと思います。マイウエイ♪ですね。 今 船出が 近づくこの時に ふとたたずみ 私は振りかえる 遠く旅して 歩いた若い日を すべては心の 決めたままに
▲11 ▼15
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10歳頃の自分の友達の中での関係性で自分がどのような人間かの考え方、アイデンティティーが決まると言われています。 この方はその頃飛び抜けて周りより勉強ができたため、「自分は世の中で一番頭がよい人間」というアイデンティティーになったはずです。 そのため大学受験も一番のところに行くべき人間だと思っていたはずで、行くまで諦められなかったわけです。 入学する事自体が目的だったためやめて他の道に行くことへの抵抗が少なかったのでしょう。 10歳の時に形成された自己肯定感のお陰で、理3をやめても自分なら何とかなるとう自信があったのもあるでしょう。 この方は実際にその能力があったからいまこのように紹介されるだけ成功していますが、勘違いしている人はひどい人生を歩むことになります。
▲34 ▼4
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単に小中学校で成績が良かったから勘違いしちゃった人と感じる。 まあ学習範囲と高校入試での出題範囲が違うからで、大学入試となるとそれが大きく異なる。 だから大学入学偏差値を参考に、予備校の模試を受けて自分のレベルを客観的に判断していくのだが。 医学部も3年からが大変。それを頑張ってないから良く分からないが、今後のこの人の人生次第。「その後の道」でこれらを糧にどう成功していくのか。
▲9 ▼4
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いわゆる神童と周りから見られていた子供の殆どが、10代の後半には普通の人となっている。 学業だけの話しではなく、子供ながらに自分が得意だと思っていた事が、途中から急速に周囲に追い付かれ、抜かされて行く。
これは人間特有の《まやかし》であり、現象。 これに拘るか、抗わず新しい事に目を向けるかで第二の人生が決まる。 挫折は人生に付きものであり、成長過程において必至である。
子供の頃、やんちゃで人見知りなどしなかった子が、思春期等を境に急によそよそしくなったり、 大人しく独りを好むような子供が、いつの間にか交友広く、目立つような存在になっている事は珍しくない。 問題はどちらが本当の自分なのか、に気が付くか否か。
もちろん得意だと思っていた事の片鱗は持ち合わせている。 だから本当の自分の人生に利用すれば良い。 逆にいつまでも片鱗を主体にすると、巧く行かない。 実に巧妙かつ真理的だと思う。
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何やかんやで足かけ10数年にわたり学生生活を送ったことになるが、生活費や学費はどう工面したのだろう。特に慶應には短期間とはいえ入学して通学したようだし桁違いの費用がかかった筈。慶應の同級生は住む世界が違ったとの感想だけど感性はともかく費用の面では同じだった筈。幾多の道を模索して今に至ったのであろうが、この間の費用の相当分が親がかりだったのなら決して誉められない。
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確かに理3合格は凄いですが「理3病」にかかって実際に合格できた稀な例としか思えませんでした。叔父の死がきっかけで研究医になりたいと思った志は立派ですが、それなら1浪で入れた名大医を普通に卒業する方がよかったと思います。理3に固執しながら、名大医を退学してまで慶大医に入りなおすのも理解に苦しみますし、慶大医を退学する理由も親だったら呆れるような内容。今が幸せならそれでよいのかもしれませんが、随分と遠回りをした人生で、貴重な若い時代を相当無駄にしてしまった印象をもちます。
このシリーズは現役で受かった大学に入るのが主流になった今の時代に、あえて浪人を選択して得難い経験をした話、というのが当初のテーマだっと思いますが、どんどんその趣旨から外れていっていますね。
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この人にとっては入学試験は人気ゲームをクリアするような感覚だったのではないか。 興味のあるゲームをとにかくクリアすることで満足はするが、そもそもクリアすること自体が目標でなので達成したらそこで終わり。 次はまた他に面白そうなゲームがないかいろいろ探してまたそれにのめり込む。この連続。 それに付き合える親もそれなりの資金力、精神力があったということだろう。
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この人YouTubeにも出ていたが、この記事でもう少し詳しい実態がよくわかった。お金を無駄にしすぎている。複数の予備校に籍だけおいて行かないなど、普通の家庭の常識では考えられない。成績が良いので無料なのだろうか。入学、退学を繰り返すのも、普通の親であれば「もういいかげんにしてくれ」と怒られて終わりだ。多浪人のYouTube番組が多く、こういうことが一般的と思われてしまわないか心配だ。家庭の事情で現役で地元の大学に入らなければならない、入れなければ就職という方も多々いることを忘れないでほしい。
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様々な考え方があると思うけど、ブランドで大学を選んでも良いと思う
哲学や心理学に興味があったが、就職に不利であること、漢文を完全に捨てていたこと、などからMARCH・関関同立レベルの社会科学系大学に進んだ
はっきりいって勉強なんか全然せずに部活動ばかりしていた劣等生だったが、周りの(自分から見たら)優秀な同級生には刺激を受けたし、よく知られた大学なので就職も苦労しなかった
大学の勉強は今の生活に全く役に立っていないけど、受験期の勉強する時間やプレッシャーはその後の人生に大きな自信・糧になったし、興味を持ったものに対してとことん突き詰める素養を身に付けられたとも思う
大学の勉強が仕事に結びついている人なんて自分の周りにほとんどいない だったら進みたい大学をブランドで選んでもいいのではないか
▲11 ▼11
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結局、この方は医師になるのが目的だったわけ でなく「東大理三」に、それも「合格すること が目的」だった人だと思います。
たしかにお勉強はデキたのかも知れませんが、 一見色々考えてそうにみえて、その実、これと 言った信念らしい信念もなく、随分と薄っぺら な人だなと感じました。
私自身現役の医療従事者ですが、この方は医師 の適性はないと思うので、こういう方が医師に ならなくて心底良かったと思います。
▲62 ▼3
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いくつもの予備校に通ったり、いくつもの大学に入学金支払ったり・・・。 そもそも親がどれだけ援助していたのだろう。
俺だって、俺の子ども達にだって、そうしたかったけれど、そんな金がないから、そのときに入れる大学に入学し卒業せざるを得なかった。
普通の家庭では、そんな時間と金は提供できないだろう。
また中学校のテストでほとんど満点など、普通は無理。 色々な意味で、何も、参考にはならなかった。
▲216 ▼9
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教科学習や受験勉強が好き過ぎたんだな。 いわゆる受験勉強の秀才中の秀才。
叔父の死がきっかけで理3を目指したものの、大切な人の死で医者になることを断念か。 下衆の勘繰りになるが、(東大で)研究医になるために理3を目指したというが、それが目標だったとはちょっと思えないな。
先に入学した名大医や慶應医から東大医の大学院へ進学し、念願の東大での研究医になることだって可能だったはず。 でも、名大在学中は「籍だけを置き、同じように籍を置いていた駿台で前年と同じような生活を続けました」。 さらには、理3合格後は、2年の留年と「恋愛と文学にのめり込む生活」。 受験秀才にありがちな燃え尽き症候群とも違う。 研究医になることが目標で入学したとはちょっと思えない。
結局は、「理3に合格するためだけの受験勉強」にハマってしまい、それを長く続けることが目的になってしまったんだろうな。
▲23 ▼0
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合格に到達できずに終わる人は世の中に数多くいるが、到達することができるこの人にはこの人なりの悩みや苦労があったのだろう。ただ個人的には、受験システムの運に翻弄されたことよりも、その後にフランス語・フランス文学に興味を持った理由やお寺で作家の活動をしてく経緯の方に興味がある。
▲0 ▼0
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考え方、捉え方、振る舞いがやっぱり1番大事。
学力や仕事力等、能力は上記が伴わないとやっぱり行き詰まる事がある。
私は営業の仕事をしているが、日々反省の連続。
そもそももっと勉強を頑張っておけばとか、元の家族にやさしくしていればとか、後悔は色々ある。
しっかりとした考え方が伴っていれば、行き詰まる事は少なくなると考える。
そういう私も今は転職意欲が無いのに、朝から年1受験可能の宅建を勉強して、将来に備えたいけれど、実態は早起きしてインスタみたり無意味な時間を消費したあげく、ヤフコメにいきついている。
▲59 ▼6
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大前提として、今が幸せならそれまでの人生はその人に取って良い選択をしてこれたのだと思いますので攻撃的な意図は全くありません。 そのうえでこの記事を読んで感じたのは、「妥協や逃げ出しはやはり癖になるんだな」ということ。
・初年度での理IIへの志望変更。 ・名大/慶應での仮面浪人 ・東大の中退 ・博士課程の中退
現役から3回も落ちて(しかも初年度からセンターの得点率は9割以上で)、自身で数学弱いとわかっていてもなお合否の決め手が「運」と言ってしまう精神性をみても、壁にぶち当たったときに問題の本質を見抜いて解決に導き突破する力、というのは何かをやり遂げることで始めて培われるのだなと感じました。
▲4 ▼1
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教育レベルを評価すべきゴールは、大学受験する人達で言えば大学教育完了時点。 その観点では、記事の方は何もやり切れておらず低レベルだと思う。
米国に留学した際、中堅大学だったが皆凄く勉強しており、日本の大学のようなテーマパーク基準(学業は入試難易度のみ重視し、在学中は恋愛、バイト、サークル経験の充実度が成否基準)は感じず、学問する場だった。 大学時の思い出話でも、日本ではテーマパーク基準が高い人ほど堂々と自慢し、米国では学業やその関連活動の話を聞ける傾向があり、個人的には後者の方が面白く魅力的に感じた。
入学時点の学力では日本人が上に感じ、私も当初はスマート!などと言われたが、卒業時点の知識人としてのレベルは多くの人に抜かれたと思う。 日本と米国双方に良さがあるが、冒頭の評価基準ではアメリカに利があると実感する。 記事の方は、日本的価値基準の負の部分に振り回された被害者のように感じた。
▲6 ▼2
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こういう人も居るということですね。ブランドで大学を選ぶというのは今もさほど変わっていない感じがします。理想的には高校までに自分が将来的にやりたいことを決めてそのための準備が出来る大学及び学科、更には有能な教授達を選ぶことが大事。
▲5 ▼1
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この記事と直接関係ない話になっちゃちゃうけど 賢い人をただの医者にしておくのは勿体ない 国民の健康を守る大事な仕事だけど言ってしまえばただのオペレーターだし、、、
一発で何億人も救えたりする医療技術開発や新薬開発 政治を含めたそれらの仕組み作りに賢い脳のリソース割いたほうが国益最大化できると思うの
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大変面白き記事でした。 ここまで自分に正直に人生を貫ぬかれるかたがいるんだなと感心すると同時に、自分の小ささを痛感しました。 しかし、人は人、自分は自分です。自分で「これでいいんだ」「これでよかったんだ」と感じることができたら、それは素晴らしい人生です。 素晴らしいと感じることができるかどうか、それは「神のみぞ知る」ことだと感じています。
▲3 ▼11
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代ゼミ絡みの3年間は価値観の確執もあってか、著名大学選びで目まぐるしく過ぎたと思います。世間の評判と自分の価値観との違いにも迷われたとも思います。 記事では、東大退学後には、代ゼミのサテライン予備校で働くとは記載されてはいますが、学習院大学に入る36歳まで何をされていたかは具体的には分かりません。最終的には東大文化系の修士を終了なさったのですから、世俗を離れた思索や文筆活動で自分を生かす道を見つけられたのだと思います。 東大退学後には、これだと思われる自己実現手段を見付けられたのですから、迷いの三年間は自己の成長に不可欠な期間だったのではないかと思います。 今は、超翻訳モンテーニュもなされているとの事ですから、これかもお寺で子供の相手をされながら、自ら起こされた株式会社とともに進まれることを期待しています。
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今の医学部1番みたいなの、本当に対策すべきだと思う。 こんなに勉強好きな人は、医者ではなく研究者になるべきだし、そちらのほうが向いている。 そっちのほうが1番だったら、そっち目指してるよね? むしろ、医者はバカじゃ困るけど、総合的に判断する力とコミュニケーション能力のほうが大切だと思うんだよね。 キチンとした先生って、時に他大学の先生に相談したり、紹介したりしてるって言うし。 そもそも、今は過重労働させるためにもチームになってきてるから、孤高の医者みたいなのは煙たいし。
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大竹さん予備校で一緒だったので当時面識くらいはありました。予備校でも当然断トツトップ(笑)。私は凡人なので普通に理一に合格し、入学手続きの日に本郷三丁目で偶然出会って本郷通りを一緒に歩いたのを覚えています。飾り気のないひょうひょうとした方でした。 この方の「その日の事はさっさと終わらせて清々しく」ってよくわかるんですが、それは多分普通の人には無理です(笑)。みんなその日の事を毎日たくさんできずにそのまま忘れていきます。 私もそうですが大概の事はさっさとわかってしまうのでそれに打ち込むことにならないし、どんなことでも気になって手を出してそれなりにできてしまうので興味があちこち移ってしまいます。 そういう人って自分で問題を探す、目的を見つけるの苦手なので研究者に向かないというか、逆に問題にあふれている(向こうからやってくる)場所に身を置くのがあっています。哲学はこの方に向いていると思います。
▲8 ▼3
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素晴らしい人生です 全国民、全受験生のお手本です 名古屋大医学部、慶応医学部 日本最難関、東大理3合格は素晴らしい 慶応医は明らかに東大理3を意識している 英語、数学の難易度は東大を超えています 全てを制覇できたのは一生の宝です 慶応の校風に合わないのも普通、行く必要もないです 全てを退学し、学習院大学に進学で人生を見つけたのです 教育者・哲学者・作家が向いていたのです 東大理3合格したんだ、自分から退学してやった そもそも通学していない、精神に非常に安心をもたらします 柴三郎に勝った、医学部大嫌い 自分が日本トップだという気持ちにあふれます こういう人こそ最高の人生です
▲1 ▼19
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彼の人とは違う経験は、作家になるための素地として、とても有益だったでしょうね。
たたし、支えてくれた両親や友人、そして良き医師を育てようと指導してくれた各大学の先生達への感謝を、忘れないでいただきたい。
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「学力が高かったから理三を目指したい」という本音を、「叔父が亡くなったから医師を目指す!」という体裁の良い理由でもってカモフラージュしていたのでしょう。 人間、そういうの良くありますよね。
で実際、医師になる一歩前で人の死に直面して、「人の生死にかかわる重責のある医師など自分には無理だ」と逃げたのでしょう。 『覚悟』ということに欠けている人物像です。
▲81 ▼2
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どうやら医者になるべきではなかったようですね。まぁそういう運命です。膨大な時間とお金を費やして結局全て投げ出すなら、この人の代わりに医学部に入れた若者が3人居たんですけどね。本人はいい経験になったと思ってますが無駄にリソースを消費した気がします。
▲12 ▼0
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個人的な経験でしかありませんが、迷った末にブランドで東大受験を選んで良かったと思っています。 何物でもない時代に、東大ブランド=ポテンシャルを信じて待ってもらえたおかげで、努力が実を結び結果を出すことができました。
▲8 ▼4
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私は東大受験で失敗し、早稲田大学へ行きました。 母子家庭だったので浪人は選択肢にありませんでした。 会社勤め約20年、42才で不動産会社を起業し50才になりましたが、この記事で自身を振り返り、当時浪人してもしなくても正解だったと思いました。 息子も昨年東大を落ちて、浪人せず明治大学に行きました。 親子だなぁと思うのと、当時の自分をみているようで少し体温が上がりました。
▲5 ▼1
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国公立でも医学部医学科は『生まれ自体が違う。』人が結構いる。 初めての車が外車なのは普通だし、家政婦がいるとか家に「テニスコート」があるとか、合格のプレゼントに「軽井沢の別荘」なんて人がいた。 仕送りが月に50~80万円(35年くらい前ですよ!) 母子家庭で親戚や奨学金借りまくりの自分とは全然別世界。(あまりの違いに嫉妬心も湧かない。) この世には、努力してもどうにもならない事があると分かった学生時代でした。
▲2 ▼0
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今現在、医療の最前線を担っているであろう50代医師が受験生の頃、 私大医学部の偏差値は50台が当たり前どころか40台さえあったが、 当時の認識は「受験生が限られるんだし偏差値が高いわけがない」 慶応大だけ突出してたがそれは「慶応だから高いんじゃねえの?」 こんな程度の認識だった。だからと言うて 当時の医者の社会的地位は低かったわけでなく今現在と全く変わらん。 そして今現在の50代医師は問題あるという話は聞いたことない。
医学部は難化しすぎ。 中学時代、クラスで10番辺りの成績で十分。
▲12 ▼11
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読み進めて行く中で、素人考えだが、3つの予備校に籍だけ置いて、授業は取らずに駿台自習室を使ってずっと勉強していたとあったが、現実的に3つの予備校に籍だけを置くというのは、それなりに費用は掛かりますよね?授業を取らないなら、図書館や自宅で良くないの?モチベーションが違うから、予備校の雰囲気の中で勉強がしたいのか? 入学して中退、仮面浪人等、親も相当に経済的に豊かで考え方も相当柔軟でないと無理ですし、お金が湯水のようにある家で、経済的な面は何も考えず好き放題…。 本当に医者になりたいなら、名古屋大をそのまま卒業してから他の道を考えても良かったのでは?と、途中で読む気が失せました。人間的にどうなのかと思ってしまいました。
▲27 ▼2
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普通の生き方から逸脱してしまう人は常にいるものだ。奇人変人と一蹴することなく、「そんな人も面白いし、まあいいか」くらいに思える社会のほうが健全なのかもしれない。濱井正吾さんの記事は多浪にも意味があったという結論になるので、批判を浴びがちだが、興味をもって読む人も多いのでは。
▲2 ▼0
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旧帝大の名大医学部や私立最難関の慶応医学部を蹴って、慶応医学部はしばらくは通われたのかな?。大変珍しいですが、その後全国最難関の理3合格、その後退学なんて、そんな方いるのかな、 作り話しかなと思いました。 今はある程度の年齢で、この方が大学受験されたのは、数十年前で、今なら大学入試の面接しっかりされてますから、面接で落とされるかも。 まあ個人の自由は有りますが、この方が合格したせいで、別の合格すべき方が、不合格となった。 特に国立大学医学部は、学費以外に多額の税金使われていて、勿体ない話だと思います。
▲30 ▼5
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今の医学部神格化の象徴的な事案。マスコミ、予備校の煽り商法から、医学部受験(特に理3)は、自分の名誉心を満足させる為が大きなウエイトを置いているのでは思う。真に医療従事者を目指している方も居るだろうが、今は、特に理3は名誉受験のウエイトが大きいのでは。自分も、理3がそれ程騒がれて居なかった時代だが、東大の志望学部選定で、理系、文系の選択以外に、理3はハナから落として居た、何故なら、実習で死体解剖があると聞いたから。とても自分では出来ないことだと思った。今は理3合格者でも、医者以外の道を選ぶ人が多いと聞く。医者は重労働且つストレスが溜まる職業。病院経営も難しい世の中になっている。 志を持って居ないと難しい職業なのでは、それに美容整形外科界に行く人が多いのは、病人の相手せずに、単に儲かるからと言うことでしょう。 国家の行末を考えたら、変な理3神格化商法はいい加減やめた方が良いだろう。
▲7 ▼0
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どうみても、大学に入る事そのものが目的になってますよね。医者に成りたかった様にはとても見えないし、その後のビジョンが漠然としていて、何の為に大学に入ったのか、大学で何を勉強するのか、何も考えていなかった様にしか思えない。
この人は浪人だけど、進学校の高校教育の良くない所で、受験で良い大学に行けとひたすら指導するけど、その先は何も考えさせない。というより、指導側も生徒側も考える時間的余裕が無い。
▲36 ▼2
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理三落ちて後期で九医に行って、最初未練もあって浪人も考えたけど、今になると、やっぱり分相応ってあって無理しなくて本当によかったし、何より留学したり研究者なって賞とったりしていく上で年齢って以外と大事。 研究予算がある程度ある旧帝大あたりでまたしっかり努力すれば、研究者として東大卒にも全然勝てる
▲11 ▼2
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50歳で受験時代のことを細かくあれこれ説明するのはモラトリアム的な生き方を感じます。結局何にもなれなかったのでは?東大医学部でも優秀な人が競争相手だから3浪入学はキツかったのではないでしょうか。他人事ながら、1浪で名大行くのが最良だったように思います。
▲9 ▼1
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東京大学理科3類に進んでからの大竹さんは、「恋愛と文学にのめり込む生活を送った」という2年の留年を経て(中略)大竹さんは大切な人の死に直面し、そのショックから理科3類を退学します。
→多浪、留年歴のある医師ですが、あれだけ執着した東大卒の医師の肩書をなぜやめたのか重要な部分が非常に短い。この記者の文章は基本的に受験体験記と高学歴の異色な経歴という表面的な内容が多い。この方は最高峰の理3に憧れていただけで医学には余り興味を抱かなかっただけだと思います。もっと言えば職業より学問に重きを持つ方なのでしょう。理3進学者には比較的多いタイプですね。何になって社会貢献したいかではなく、学問を追求した結果の高学歴が。大学で学ぶ学問に興味を抱いたら学者になりますが受験学問で興味が止まればこの方みたいになりますね。
▲3 ▼0
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勉強がゲーム感覚なんでしょうね。合格するまでが一番高揚する。入ってみたら別の大学(ゲーム)にトライしたくなる。合格歴フルコンプネタに人々が引き寄せられ自己顕示欲も満たされる。医学部は「最高学歴」と思われていて「とりあえず行っておくか」の人がそれなりにいて、今まで勉強だけして成績が良ければ満たされていたものが、医学部入学後に膨大な暗記作業に何がやりたいのかわからなくなる。
▲11 ▼1
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知人は逆に、進学校の文系クラスから現役で東大の文系学部に合格し、 一年で退学して、一年浪人し、国立大学の医学部に入り直しました。 ずっと文系を選びながら、一年の浪人生活で国立大学の医学部に合格したことに驚きました。 今は医師をしています。
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この方は典型的な大学合格がゴールであって、大学を出て何をするのかという人生設計ができていないように思われます。 勉強ができることが人生ではないと後々気づかれるようですが、こういった高等教育絶対論者を生み出しているのでしょう。
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結局は医師になりたかったのではなくて理3に合格したかっただけな気がします 出身校で前期で理3を記念受験して見事合格したものの蹴って、後期で本命の京大理学部に行った先輩がいました
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無駄な時間を過ごしたね。親が豊かであなたを支えれたね。社会人では、受験勉強はあまり役に立たないでしょうが。 よく有名大学中退と言って、頭が良かったと言うのは芸能人だけ。 普通の会社は、仕事に対してどれだけ頭を使ったや運が強いやコネや人間関係が重要です。
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自分は本当は何をしたいのか?が 途中で わかって良かったです。 また、思いきって 「方向転換」された行動力に 行動力に 敬意を表します。
個人的に好きな俳優さんに 故・成田三樹夫氏がいます。 彼も東京大学法学部に入学して、 役人の道を歩もうとされていましたが 、やはり「演技の道を進みたい!」という思いを諦めきれず、大学を中退されて 俳優の道を進みました。
▲1 ▼2
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この記事の内容を見てると疑問点が出てきます まず医学部はお金持ちが多くとありますが自身も金持ち家庭でないと医学部自体選択できないでしょう (当時の教師家系ならかなり裕福でしょう) あと東大理3の試験は運、確率の問題が出るか出ないかで合否が決まるなんてそれ以外が完璧ならなぜそこだけ対策しないんでしょうか不思議です 自伝的なものから情報を得ているんでしょうけど医師になりたかったんじゃなく東大理3に合格したという肩書だけが欲しかったのかな 当時は大学合格がゴールの人結構いましたからね
▲23 ▼2
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この表題を見て思わず記事を読みましたが(濱井さんの記事なので失礼ながら共感出来ない事は想定の上で笑) 人サマの人生…、特に進学先なんかは他者はとやかく言う権利はありませんし、その人が今の自分に満足しているのであればいいとは解っていますが、今回の記事で取り上げられている方には、いつもにもまして全く共感出来ませんでした。
かなり回り道をしてまでも日本最難関の理Ⅲにやっと合格したまではまぁいいと思います。 その反動で東大の中で 2度の留年をしたことも保護者の経済状態が許せば他人がとやかく言う筋合いでもありません。 ですが叔父さんの死で退学、まさかの学習院さんに入学とは理解に苦しみます。 そして、彼が進んだ院は、失礼ながら東大院の中でも最も入りやすい大学院です。 学習院さんを首席卒業とのことですが、おそらく彼は「自分が身を置いた場所でトップ」でなければ納得しない人生を送りたかったのでしょう。
▲35 ▼1
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この方がただただ、勉強が好きだったということはわかりました。 ただ高校卒業以降、浪人・入学・退学を含めてその時の資金繰りは親でしょうか?独学ではなく予備校に座席を置く。これはとてもお金がかかります。 それだけでも実家はお金持ちとしか思えません。 一般の家庭ではとても無理だと思うので、この方もかなり恵まれた環境では?
▲0 ▼1
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東大医学部ではなく理三。受験という名のクイズグランプリを競うための場所。自分のペーパーテストの適合力がどこまで通じるかを試すのは楽しいのだろう。合格すればそれが証明出来る。だから合格したらそこに意味も興味も無くす、それだけ。
▲8 ▼1
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叔父さんが亡くなったのが医師を志した動機なのに、大切な人が亡くなったら医師を諦めた? 整合性がなさ過ぎでちょっと作り込みが甘いなと。そんなに医学に興味なかったって素直に言えばいいのに。
名大医、慶医、理三は立派だと思いますが、すごいというより「何考えてるか分からない。得体が知れず怖い」が勝っちゃう
▲101 ▼2
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私もおおむかしの受験生のころには,本記事の主人公と同等の受験学力があった。理学部・理学系大学院をでて大学教員になり,すでに定年退職した。小学校の先生ほどの人格者ではないが,教育業界人のひとりとして生きた。
本記事のような「流れ藻の人生」を送るのは個人の勝手だが,大学の教育資源を無駄に食い潰したことは反省するほうがいい。人前でも言わないほうがいい。受験学力ではなく良識の有無の問題だ。
▲35 ▼3
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色々あったんだろうが、東大理3に合格することが目標、医者になるということが目標、そのための医学部合格という手段だったはずなのに、最難関の東大理3合格が目標になってたんだろうな。
実際お勉強もできたんだろうし、目標の東大理3に合格してる(創作じゃなきゃね)けど、名大や慶應が「自分の居場所じゃない」って、賢い人特有のプライドの高さが透けて見える。
医者になって何をするのか、とか全く考えてないただお勉強できるから医学部行く、みたいな意識しか持ってなかったんだろうな〜
賢いオツムと時間の無駄遣いだな
▲3 ▼0
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当記事を読んでの感想。 「人間の価値観はそれぞれ多様だ」という事だ。 抱く「価値」を得ん為に努力する「目標」が生まれ、それを達成したときに満足が生まれる。 皆、同じ目標では進歩がない。多様な目標により進歩があるのだろう。
▲2 ▼0
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医師になりたかったならなぜ現役から合格可能な医学部を受験しなかったのか? 何故、合格した名古屋大学医学部で医学の勉強に励むことなく中退したのか? なぜ大切な人の死で東大理3を退学したのか? とてもよい方というのはつ伝わりましたが 矛盾と疑問ばかりが残りました。
▲23 ▼1
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東大と東京医科歯科大医学部医学科を中退したボディビルダーの故マッスル北村さんを思い出しました。北村さんは「秋になると勉強したくなる」とTVで語っていましたが、本当にやりたいことはボディビルだったんですよね。
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3浪してまでも理3に入れたのは立派です。 僕もセンター試験世代で国立大学医学部に進学しましたが東大は別格です。
慶応大学医学部はそんな事は行かなくても分かるはずです。6年間で学費2000万円だったか?忘れましたが。寄付金やなんやらでもっとかかりますよね。慶応大学医学部附属病院は最近まで?研修医の月給?50000円でしたよね。普通はそんなんで暮らせる訳ないので家が金持ちに決まっています。 慶応もやめてって。親にいくらお金払わせてるんだ?と思います。限度てものがありますよね。僕は6年間の学費と仕送りしたくれただけで親に感謝しています。 しかし大切な人がなくなったら普通は医師の道に進もうとより強く思うはずです。 何を考えているのか良く分からないですね。
▲7 ▼3
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常に迷走してる?みたいな感じ。こういう人は医者になってもすぐに自分都合で匙を投げそうで怖い気もします。お勉強はできるわけだけど仕事に結びつかないのかな。何か自分に合ったものが見つかるといいんでしょうね。
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人の死わきっかけに東大医学部を目指し、人の死をきっかけに東大医学部を退学し、30代半ばになってから学習院大学文学部に進学し直し、学歴ロンダで東大院に進み修士を取る。 段階段階で転んだ理由の踏み込みが足りない記事だが、貧困とは無縁の、なんとも恵まれた環境の人だ。
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1970年以前に旭丘を卒業しているけれども、在学中には3年生にならないと席次は出なかったから、安心して沈んでおられた。浮き上がるのは大変。そもそも蒲郡は学区外だったんじゃなかったかな。
▲21 ▼2
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多分また、関心がかわられるだろうという気がしました。頭が良く与えられた課題をクリアできる能力と、正解の見えない社会のなかで、現実を自分の理想に向けて切り拓く能力とは全く別のものです。前者の代表は、光秀で、後者は秀吉です。幸せの感じ方は、皆違うので、他人がどうこう言うことではありませんが。
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この方が優秀なのは分かったが、「だから?」 という感じ。両親の理解や経済的な支援も含めて恵まれた環境だからこそ、多浪も可能だったと思う。他の人には真似できない自由な人生ですね。
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=+=+=+=+=
この方、勉強を継続する過程で、全く別の分野に興味が湧いたことにつき、理科三類を蹴ることで、自分の中で決着させ別の道を選ぶ選択をされたのではないかと思う。 このライターさんの力量ではその内面の葛藤を受験という視点でしか語れないから、読後感はモヤモヤするし、読者を彼が学歴コレクターであると誤って誘導していると感じた。
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医療は適性が必要な職業だから合わない人は合わない。 文系科目であえて0点をとったり、苦手分野を避けようとするあたり、全方位に向かっている医学部でなく、自分の興味のある分野に特化した研究をするほうが向いているタイプだね。
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結局、「受験勉強して試験にパスするという作業が好きであり得意」になってしまった結果、そこから抜け出せなくなり、いわゆる社会的な「職業」を受け付けなくなってしまたのでしょう・・・ 受験しすぎて、学習しかできない体になったから、結局「受験生しか相手に出来ない、受験生にしか価値がない」自分になってしまった為、今は塾あるいは予備校的な「先生」しかやれないと・・・ まあ本人もそれを自覚して、喜んでそれを実践しているなら、それはそれでいいかと・・・ ただ・・・まあ・・・「初めに受かった名大医学部を普通に過ごしていたら、普通に優秀な医者になれたんだろうになぁ」とは第三者として思う。
▲11 ▼1
=+=+=+=+=
なんだろう。 3浪、予備校3つ掛け持ち、名古屋大、慶大にも入学、東大で2年留年のち退学、と経済状況がどうなってたのか。 慶應生が世界観が違ったと言うが、一般の受験生から見たらこの方の生き方も十分浮世離れしてる。経済的に。 そこに一切、触れないってことは触れない方が良い事情がライター側か本人側か、どちらかにあるんだろうな。
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大学に拘りすぎな感があったけど、その紆余曲折を経たからこそ、いまはやりたい分野で活動なさってる。これだから人生は面白い。ただご両親は気が気ではなかった事だろう。
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=+=+=+=+=
コメントを見ると否定的なものも多く見受けられるが、私は面白かった。 自分の人生を自分の力で精一杯生きてくれることが本人だけでなく親にとっての幸せだと思う。
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私だったら名古屋大学医学部を卒業して医師になりますね。 私の身近の名医と呼ばれる医師も、出身大学は偏差値の高くない私立大学だったりします。医師としての能力と学歴はあまり関係ないと思っています。
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残念ながら、東大理三は受験界の最高峰というだけあって、「山がそこにあるから」じゃないが、理三がそこにあるから受験したのであって、医者になりたいから受験する受験生の割合は思ったほど高くないのかも。
それでも、今時、理三の肩書きがあれば、いろんな分野で引っ張りだこなので、食うに困ることはないのだろ。
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周りにも「医師になる!」はずが、理Ⅲにこだわって数浪して何故か早稲田の法学部に入って、そして司法試験も受からず、お金に困ってお金借りるばかりの関係になったので疎遠になった人いた。 何がしたかったのか未だに分からない。 理Ⅲにこだわっていなければ医師になってそれなりの生活していたはずなのに.. あーいう人達って変なこだわりで自分を雁字搦めにして、そして机上の空想論ばかり語っては言い訳を繰り返している。自分をちゃんと見ようとしないし、痛いところつかれると逃げる。 それぞれの生き方があるけど、面倒くさいので関わらない。
▲0 ▼0
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お金があって自由に振る舞えて羨ましいですね。バカバカしくて途中までしか読めませんでした。こういう人は、教育ではなく、塾や予備校の受験でしか使い道がないんですよね。 賢い人、頭がいい人、勉強ができる人、色んな言い方ができるけど、優秀だとも友達になりたいとも思えない人でした。
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随分と個性的な人生。こういうモラトリアムな人生が可能って事は実家が裕福なのだろう。慶應医学部生ほどではないにせよ。 否定も肯定もしないけれど、社会にこうした人がいるというのはそれはそれで悪くないと思いました。
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東大の研究が、その「肩書」の素晴らしさにも関わらず、今ひとつショボくて突出したものが無い理由がここからもわかる。多くの人が書いているように、高校学力コンテストの賞品(勲章)になってしまっていて、入学後のことはどうでも良いと考えられてしまっていることは本当に残念。
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センターで9割超えてても落ちる世界か~凄いなぁ。自分は7割でよろんでそのレベルの大学どまりだったから世界が違うわ。でもいま思うと数百万の学費を受験料も合わせ払ってくれた親に感謝だ。 当時は学歴が人生を決める!みたいな塾の価値観を盲信してたが、今となっては将来不安だから宗教に依存してたようなものだろうな。その時の自分に言ってやれることがあればそんなものは些細な事で、重要なのは就活する時の世の中の経済状況だった…(泣)
就活リーマンショック世代より
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それぞれの大学に合格したことはすごいことなんだけども、浪人の時の学費、入学金だけでも1000万はくだらないお金はかかっている。 挙げ句の果てに退学… どれだけ脛をかじった生き方かはよく分かる。親御さんに感謝して人生を過ごしてください。全く共感はできない。 自分は経済的に浪人も留年も出来なかったし、生活費はバイトで稼いでいたので。
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