( 299671 )  2025/06/16 06:26:41  
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春風亭一之輔さんがコラムで「米」について書いている。

新幹線の車窓から見る青々と伸びる田んぼから腹が減ると感じ、隣のおじさんが食べるシウマイ弁当にも興味を抱く。

一度も米を買ったことがないという失言をした元農水大臣の失言に対する反応や、自身が米を頂くことが多いことなど、米に関するエピソードを綴りつつ、腹が減ったことや育てた米への思いを綴る。

(要約)

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落語家・春風亭一之輔 

 

 落語家・春風亭一之輔さんが連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今回のお題は「米」。 

 

 いま、盛岡へ向かう新幹線の車内でこの原稿を書いている。車窓からは田植えを終えひと月あまり経ち、青々と伸びた苗が並ぶ田んぼが美しい。 

 

 田んぼを見ていて腹が減る。苗を見て腹が減るなんて、いま空腹が極まっている。朝から何も食べていないのだ。早く育て、苗たち。一刻も早く稲穂を実らせてくれ。 

 

 そんな状況で、隣の席のおじさんが崎陽軒のシウマイ弁当を食べている。おかずを食べ終え、ごはんを半分残して折の蓋を閉めた。炭水化物ダイエットでもしてるのだろうか。もったいない。俵型にスジの入った、真ん中に小梅が鎮座したゴマのかかったシウマイ弁当のごはん。冷たくても美味しいあのごはん。ひと区画でいい。私に譲ってくれないか。 

 

 おじさんは折を手にしてデッキへ向かい、それをゴミ箱へ捨てて戻ってきた。「食べる?」と言われてもそりゃ食べやしないが、やっぱりせつない。 

 

■「それは買ってないことにしましょう!」 

 

「私は米を買ったことがない」 

 

 もうすでに懐かしい失言になりつつある。江藤拓前農水大臣の辞任のきっかけになった名台詞だ。「支援者の方々がくださる」「うちの食品庫には米が売るほどある」などなど。 

 

 よほどご機嫌だったのだろうか。その会合ではウケていたのだろうか。もしくはウケさせようと必死だったのか。 

 

 地方の独演会でそのことを弄(いじ)ったマクラを喋ってみる。富山の某町では、最前列のお婆さんAが「買わん! 買わん! うちも買ったことがない!」と言う。隣のお婆さんBも「うちもや!」、その隣のお爺さんCも「わしも!」。 

 

 ここは私の独演会で決して意見を交換する場ではないのだが、とりとめもなくなり「じゃあ、この会場で買ったことない人!?」と聞くと3割くらいの人が手を挙げた。「年1回くらい、なんかのときに買うっ!」という大声が遠くの方から聞こえたが「それは買ってないことにしましょう!」と手を打った。 

 

 

 米を買ったことがない人は、案外多い。 

 

 実は私もけっこう頂戴する。米農家を営んでいるご贔屓さんがご厚意で送ってくれる。また地方で独演会があったとき、そこが地元の後輩に前座やゲストをお願いすると、御両親や御親戚が楽屋に挨拶にきてくれて、「いやいや、いつもお世話になっております」「とんでもない、こちらこそ」「つきましては私、米を作ってまして。新米の時期になりましたら師匠のご自宅へお送りさせていただきます!」。 

 

 年によっては、30キロの米袋が2~3袋も我が家の玄関に積まれることがある。 

 

 本当に助かっています。 

 

 だから前大臣の失言を聞いて「いや、オレもそんなところがある!」とちょっと共感してしまった。 

 

 政治家じゃなく、落語家でよかった。 

 

■なぜなら売るほどあるから 

 

 あと買ったことがないものとして、これは意外に思われるかもしれないが、扇子と手拭いがある。これはまず買ったことがない。なぜなら真打披露や二ツ目昇進、またお正月に手拭いを染めた際に、仲間内でもらったり交換し合ったりするからだ。 

 

 だから扇子と手拭いがうちには売るほどある。 

 

 ときどきネットオークションに出品されているのを見かけるが、どうかすると業界関係者が売ってるんじゃなかろうか。 

 

 なぜなら売るほどあるから。 

 

 某後輩はどう考えても芸人仲間か関係者が自分のものを出品しているのを見て悔しくなり、それを自らセリ落として、誰が出品したのかを(何となくではあるが)突き止めたらしい。 

 

 やるなぁ。 

 

 あとうちにはTシャツが山ほどある。何かというとTシャツを作りがち、配りがち、もらいがち。一回も着てないものも含め、クローゼットがパンパンだ。でも常時着るものは2~3枚。どうにかしてくれと、カミさんが言う。でも捨てられない。ラジオのゲストから頂いた見本版のCDや書籍。売るほどあるが、見本なので売れない、捨てられない。 

 

 

 まずい。話が「米」から逸れてきた。というか、実はわざと逸らしたのだ。でももう無理だ。 

 

 とにかく、今、何が言いたいかというと猛烈に腹が減っている。 

 

 なぜなら通路を挟んで右隣のおばさんが、仙台から乗り込んできて牛たん弁当の包みを広げ始めたのだ。紐を引っ張ると温かくなるアレだ。 

 

■米よ育て。頼むよ 

 

 どうやって引っ張るのか、悪戦苦闘し始めて数分。諦めてそのまま食べようとしている。そりゃないぜ、セニョーラ。冷たいままの牛たん弁当なんて、絶対有り得ない。 

 

 原稿の手を止めて、紐の引っ張り方を教えてあげてもいいですか。それはかなり力を入れないとダメなんだ、おばさん。みなさん、ちょっと待っていて欲しい。 

 

(数分経過) 

 

 なかなか不審がられたが、どうやら私の意図は伝わったようで、おばさんはいま美味しそうに牛たん弁当を食している。「ご丁寧にありがとうございます」と御礼を言うと箸を割った。 

 

 一枚の牛たんと一箸のごはん。 

 

「つまらないものですが、よかったらいかが?」 

 

 それくらいの御礼を差し出されたらどうしようかな? と想像したが、そんなことはある訳もなく、おばさんはいま、南蛮味噌を辛そうに舐めている。 

 

 嗚呼、腹が減った。 

 

 窓の外は田んぼが続く。雨が降り始めた。東京は昨日梅雨入りしたようだ。米よ育て。頼むよ、ホント。 

 

 おばさんが牛たん弁当の容器を捨てに行った。戻ってきてひとつゲップをした。聞こえてないと思ったら大間違いだ。空腹だと人間は敏感になるのだ。寝始めた。実に幸せそうだ。 

 

 人は米を食うと幸せになる。 

 

 また腹が減った。早く米が食いたい。 

 

春風亭一之輔 

 

 

 
 

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