( 301550 ) 2025/06/23 04:48:44 0 00 石破茂首相は「本当に困っておられる方々」に、給付金を支給する検討を指示した。だが、様々な観点で疑問に残る公約と言えるだろう(写真:時事)
石破茂首相が、物価高対策として表明した「国民1人当たり2万円の給付」が猛反発を呼んでいる。
さきごろ夏の参院選の自民党公約に盛り込んだもので、子どもと住民税非課税世帯の大人には1人2万円を加算するとしている。約1400万世帯が対象になるという。
国会では、「消費減税」で足並みをそろえる野党から「バラマキ」との批判が出た。各種世論調査においても5〜6割が否定的な回答をしており、SNS上では「事実上の票の買収ではないか」「舐められている」との声も上がっている。
■一律ではない現金給付は国民間の分断を引き起こす
石破首相は「物価上昇に負けない賃上げの実現が基本であり急務であるが、賃上げが物価上昇を上回るまでの間の対応も必要」と主張し、「決してばらまきではなく、本当に困っておられる方々に重点をおいた給付金を来るべき参院選の公約に盛り込むよう検討を指示した」と語った。
だが筆者は、以下に述べるように、どのような基準を掲げたところで、一律ではない現金給付は国民間の分断を引き起こす悪手中の悪手であると考えている。
そのため、子どもと住民税非課税世帯を手厚く支援するという石破首相のアイデアに驚いたが、さらにそれが今すぐに実行される政策などではなく、選挙公約の目玉にすると聞いてもっと驚いた。
現金給付の原資は、いわずもがな税収という名のわたしたちの血税である。それがどのような形で再分配されるかという問題は、恐ろしくセンシティブなものなのだ。
しかし、与党の幹部は、どうやら事の重大性がまるで理解できていないようである。かつて経済学者の井手英策らは、「救済型の再分配」に警鐘を鳴らした。
「制度をつくるとき、私たちは、『財源には限りがあるから、支援を本当に必要とする人にだけ財源を投入しよう』(略)という理屈についつい説得されそうになる。/この理屈は正しいように思われる。だが、そうではない。なぜなら、『本当に救済に値する人』を正しく判定することなど不可能に近いからだ」と看破した(井手英策・古市将人・宮﨑雅人『分断社会を終わらせる 「だれもが受益者」という財政戦略』筑摩選書)。
■「本当に困っておられる方々」の雑過ぎる定義
今回、石破首相は、「本当に困っておられる方々に重点をおいた」と弁明したが、この言葉を字義通り受け取れば、「子どもと住民税非課税世帯」が「本当に困っておられる方々」となってしまう。
言うまでもなく、こんな雑過ぎる定義に納得できる国民はほとんどいないであろう。
また、給付金額の水準の根拠については、「家計調査をもとにして、食品にかかる消費税負担額を念頭においたうえで、物価高の影響が大きい子育て世帯と低所得者世帯の負担に特に配慮した」と話しているが、当然ながらそこには有業か無業か、正規か非正規か、あるいは資産状況や住宅事情、介護や障害の有無などは一切考慮されていない。
このような大雑把なカテゴリー分けで「本当に困っておられる方々」に現金給付が届くと本気で思っていたとしたら、頭がお花畑としか言いようがない。むろん、これは間違いなくただの詭弁であって、財政状況などの制約から導き出された結論ありきの再分配の提案だったのだろう。
だが、その代償は大きい。井手らは、「『財政収支のバランス』を優先させるために、再分配の受益者をしぼり込み、対象者を限定する際にこの言葉が使われるのである。結果として、弱者の切り捨てが横行することになる」と指摘している(前掲書)。
今回の対象は、全国民だが、再分配に傾斜を設けてしまった。驚愕するようなカテゴリー分けによって、例えば就職氷河期世代で家族形成がかなわず、非正規のまま50代に突入した人々などの「本当に困っておられる方々」には2万円のみが給付され、子どもが2人いる年収数千万円の4人家族には12万円が給付されることになる。
これは「切り捨て」のほんの一例に過ぎない。「幸福の平等」ではなく、「不幸の平等」というゆがんだ公平化を招くとして、井出らは、これを「再分配の罠」と呼んだ。ただでさえ、社会全体の経済状況が悪化し、実質的な所得減が進む中で、「限定性・選別性は、『既得権』をもつ者への嫉妬やねたみの原因となる」からである(前掲書)。
■でたらめな再分配が引き起こすもの
「負担」と「取り分」の公平性に細心の注意を払わなければ何が起こるか。結局のところ「最も割を食っていると感じる層」が反発し、自分たちの「取り分」が得られるかどうかなどよりも、「既得権」が生じるでたらめな再分配に対する怒りから、現金給付という手法そのものを全否定する方向に流れることになるのだ。
現代特有の社会状況について、「人びとは、富と地位が、明確な合理性や公平性なく無秩序に分配されていると感じている。相対的剥奪感が、物質的にも地位という点でも広がっている」と分析したのは、社会学者のジョック・ヤングである(木下ちがや・中村好孝・丸山真央訳『後期近代の眩暈 排除から過剰包摂へ』青土社)。
あらゆる領域で能力主義が喧伝される社会では、このような「報酬と承認のカオス」は不公平感を醸成し、「相対的剥奪感は、『友愛的』(同等な水準の個人間の比較か、異なる水準の報酬の間での紛争)なそれから『自己本位的』(原子化された個人間の比較)なそれへと変容する」としている(前掲書)。
先に述べたでたらめな再分配は、日常的に感じているこの相対的剥奪感をさらに悪化させる一因になるだろう。再分配は想像以上に社会的承認と結び付いている。しかも、その不公性さを通じて自覚されやすい。つまり、個々の尊厳への配慮が欠如している状態を助長する意思決定を行う政治勢力からの最後通牒となりうるのだ。
ヤングは、「後期近代の世界を生き延びるためには、相当な努力、自己統制、抑制が必要である」とも述べているが、これは常に「倹約」「禁欲」を強いられる立場といえる(前掲書)。日本においては、働くことが人格を陶冶(とうや)し、その精神を美徳とする勤労観がここに加わってくる。
要するに、わたしたちは仕事や生活において、破綻を来さないように常に自制しなければならない。家族の生活水準や社会的地位を維持するための自己犠牲を受け入れ、絶え間ない不安と緊張にさらされている。
不確実性と不確定性が支配する先行きが不透明な世界において、病気や事故などによる「自己管理能力の喪失」におびえ、解雇や取引停止などをきっかけにして「自己の尊厳が失われる可能性」に絶えず付きまとわれながら、その一方で、「何かが起こった場合の確実なセーフティネット」を切実に必要としてもいる。そこでは「負担」と「取り分」の公平性が重視されることは言うまでもない。
■公平性が無視されることによりたどり着く被害者意識
そのため、正当な理由もなく給付を受けているように見えたり、給付に合理的とは思えない格差が存在する場合、多くの人々はそれを「不当な不労所得」とみなすのである。
この感情は「働いて稼ぐことが当たり前」という世間的な価値観に裏打ちされたものだが、不信感をつのらせるような先の救済策によって一気にマイナスの効果が発揮される。
すでに致命的な状態にある国民間の分断は、さらに深まることになることは明白であり、勤労意欲も削がれてしまうことが懸念される。
「負担」と「取り分」の公平性が無視されることによってたどり着く究極の心理は、「自分のお金が盗まれている!」「自分が本来得られるはずの権利が奪われている!」という被害者意識だからだ。
2万円という金額だけを見ると、大したことではないように思うかもしれない。だが、最も抑圧的な働き方を余儀なくされている現役世代に対する嘲笑として認識されるには十分過ぎる金額なのだ。
【もっと読む】「俺たちに投票しなければ支援はない。あなたは困っている人を見殺しにする」と言ってるようだ…石破政権「全国民に2万円給付」に批判殺到の必然 では、2万円給付公約の問題点を、コラムニストの城戸譲氏が詳細に解説している。
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真鍋 厚 :評論家、著述家
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