( 304688 )  2025/07/04 06:31:15  
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静岡県伊東市の田久保真紀市長が学歴詐称疑惑で批判を受けています。

この問題は、彼が東洋大学法学部を卒業したとされる経歴に怪文書が寄せられたことから始まり、7月2日の記者会見で自身が除籍であることを認めました。

しかし、会見では説明が不十分で記者とのやりとりも不明瞭で、市長としての適性が疑問視されています。

 

 

市長は証明書を示すことなく弁護士を介して説明を避け、初動からの対応が不適切であったと批判されています。

会見の内容も核心に触れず、特に詐称の意図については回答を逃れる形で進められました。

 

 

このような対応から、会見は逆に状況を悪化させ、批判を集める結果となり、今後の職務に影響を及ぼす可能性も指摘されています。

最終的には、誠実に謝罪し過去の過ちを認める姿勢が求められており、そうでなければ政治家としての信頼は回復できないとの意見が述べられています。

(要約)

( 304690 )  2025/07/04 06:31:15  
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学歴詐称疑惑で厳しい追及を受けている田久保真紀市長(写真:静岡県伊東市の公式サイトより) 

 

 静岡県伊東市の田久保真紀市長に降ってわいた「学歴詐称疑惑」。東洋大学法学部を卒業したとされていた田久保市長の経歴に嘘があると、匿名の文書が市議全員に送られてきたことに端を発します。 

 

 7月2日には、田久保市長自ら記者会見を開き、「自ら大学に出向いて確認したところ、除籍であることが判明した」と説明しましたが、その事実はもとより会見内容もひどすぎるものでした。 

 

 学歴詐称の問題以上に、ずさんな説明や記者とのかみ合わないちぐはぐなやり取りは、市長としての適性に疑問を抱かせかねない事態へとエスカレートさせるものだったといえます。 

 

■そもそも「負け戦」という不利なスタート 

 

 学歴や経歴の詐称という問題は一般企業などでも採用選考などにおいて、まま起こることです。しかし、その判断はシンプルです。卒業した学校が直近で発行した正規の卒業証明書さえあれば、一発で解決するからです。 

 

 揉めることも議論になることすらもなく、証明書の正当性さえ担保できればあっという間に解決する問題なのです。 

 

 逆にいえば、証明ができないのであれば、何を説明したところで事態を収拾することはできません。私はこのニュースが話題に上がった当初から、大学の正規卒業証明書さえ出せば一発で終わることをYahoo! ニュースのオーサーコメントなどでも指摘していました。 

 

 しかし田久保市長はなぜかこの疑惑について、弁護士を交えて回答すると、即時の説明を避けていました。 

 

 また、市議会で追及された際、議長や秘書課に「チラ見せ」で“証拠書類”を示したそうですが、いったいその書類は何だったのか。記者会見でも再三にわたって記者から質問を浴びたものの、最後まで回答をはぐらかし、答えませんでした。 

 

 もし学歴を詐称していたとすれば、これは答え方や説明によって何とかなるものではありません。わざわざ事態を長引かせ、騒ぎを大きくするという、初動から間違っている“負け戦”にしてしまったといえるでしょう。  

 

 

■既視感のある「ひどすぎた会見」 

 

 会見は、田久保市長と弁護士が同席して行われました。ここまで述べてきたように、説明すべき点はきわめて明確でシンプルです。市長が東洋大学を卒業しているか、していないかだけの問題です。 

 

 しかし田久保市長は「市民や関係者にご心配をおかけし……」とテンプレ謝罪から始め、なかなか本質にたどり着かない経緯説明を繰り返すなど、一方的な釈明を行いました。 

 

 「卒業」ではなく「除籍」だったことを認める一方で、自ら学歴を公表していない(広報誌が勝手に書いた)というロジックで公職選挙法に抵触するものではない、つまり問題はないと伝達するのが、この会見の目的だと理解しました。 

 

 しかし、不祥事やトラブルの釈明において、自分側が有利になる情報だけを伝えるのは無理です。 

 

 今回の件は、先日、国民民主党から参議院選挙に出馬予定だった山尾志桜里氏の会見が大炎上し、結果として国民民主党離党にまで至った騒動を想起させました。 

 

 山尾氏の会見が批判されたのも、記者や世間が一番知りたいことに答えず、一方的に自身の発したいメッセージだけしか答えなかったことが大きな原因だと考えます。田久保市長の会見とその主張構造は同じに見えます。 

 

 問題の一番の核心として明らかにしてほしかった部分は、市長に詐称の意思があったかどうかです。その説明を一切しない市長に対し、質疑応答では記者団から厳しく追及されました。 

 

 故意の詐称だったのか、カン違いをしていただけなのかという追及に対し、田久保市長は答えをはぐらかして回答しないという対応をしました。一番の核心をはぐらかせ、質問に答えないという姿勢がどう受け止められたのか、会見結果は明らかです。ただちにネットニュースには批判的なコメントであふれました。 

 

 時折声を詰まらせ、涙声で話した市長ですが、一方的な主張しかしない姿勢からか、同情の声も聞こえません。とどめは、会場の都合で時間切れという“強制終了”によるエンディングも批判を集めるものとなりました。 

 

 フジテレビが騒動に際し行った2度目の会見で、高齢の経営陣が10時間超えの会見をし、内容はともかく結果的に同情も集めたのと比べても、「強制終了」は悪手としかいえません。 

 

 結局、会見の結果、何一つ事態収拾につながらなかったどころか、批判が燃え広がる最悪の結果となってしまいました。 

 

 

■田久保市長の「最大の問題点」 

 

 せっかく釈明会見を開いたのに、それが燃料投下のような大炎上に至ってしまったということは、その会見が大失敗だったと言わざるをえないでしょう。伊東市役所にはクレームの電話が殺到していると報道されています。 

 

 私は会見を通じて、経歴詐称問題以上に気になったことがあります。そもそもの今回の発端となった匿名の告発に対し、市長は「怪文書なので、公益通報ではない」という発言をしてきました。この日の会見でも同じ説明がありましたが、これは「告発(者)に問題があるから、首長として対処しない」という意味と理解できます。 

 

 首長にとって不都合な告発を怪文書として握りつぶすという行為は、兵庫県の斎藤元彦知事を巡る騒動でも大問題とされているはずですが、田久保市長はそこから何も学ばず、既視感ある対応を取ったということ。市長の資質への疑問に直結するような、きわめて間違った取り扱いだったといえます。 

 

 そして何より、説明責任を負うべき立場なのにもかかわらず、記者会見を通じて核心に触れるような回答は一切しないという態度。 

 

 「経歴を偽る意図があったかどうか」「議長に提示した証拠書類と呼ばれるものの中身が何であったか」という質問に論点ずらしで答えない行為は、経歴詐称よりも大きな問題なのではないのでしょうか。 

 

■もし素直に謝っていたら…… 

 

 歴史に「if(もし)」はありません。しかし会見の場で、弁護士の方が「法的には問題がない」と説明していたことが正しいのであれば、対応によっては流れが変わった可能性もゼロではないかもしれません。 

 

 むしろ、こういった問題ではそのわずかなチャンスに賭ける以外の対応はしようがないのです。 

 

 謝罪では、自分の非を全面的に認め、自らの愚かさを含めてダメっぷりを開示することが大切です。 

 

 「卒業したのか、しなかったのか、当時の状況や自分のチャランポランな生き方のせいでよくわからなかった。しかし単位もすべて取得していたし、4年の3月まで籍があったので勝手に卒業だと思い込んでいた。自分がうかつであり、申し訳なかった」 

 

 このような感じで、自分の愚かさを認めることは、こうした事案では決定的に重要です。自らの非を否定したり説明から逃げたりして事態を乗り切れた人はいないでしょう。市長は会見で除籍の経緯を調べると説明していましたが、そんなことは問題ではないのです。 

 

 

 市長自身にだます意図があったのか、それが愚かなだけで悪質なものでは無かったと、受け手である伊東市民が思えるかどうかがカギなのです。 

 

 人間としての弱さやずるさ、だらしなさを積極的に開示し、誠心誠意、謝罪することで、納得感が生まれる可能性はあります。いや、それ以外に政治家としての業務を継続することは不可能でしょう。自己正当化や他人のせい(この場合、告発文書)にするという説明で納得する人などいないでしょう。 

 

 これまで経歴を偽って表舞台から去った人はたくさんいます。政治家でも、芸能人でも、詐称を正当化できた人はいません。証明すべきことは自身の正当性ではなく、本来の仕事の実力があるかどうかです。人としての弱さがあっても、その仕事での実力が評価されているなら、再び業務に就ける道がありうると思います。 

 

 しかし今回の会見は、市長としての職務を継続することも危ぶまれるほど、ひどい結果となったのではないかと思っています。 

 

増沢 隆太 :東北大学特任教授/危機管理コミュニケーション専門家 

 

 

 
 

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