( 304963 )  2025/07/05 06:54:22  
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静岡県伊東市の田久保真紀市長が、学歴詐称疑惑で問題視されている。

彼女はこれまで「東洋大学卒業」を経歴としていたが、実際には大学から除籍されていたことが明らかになり、公職選挙法に違反の可能性が指摘されている。

田久保氏は一カ月半前に市長に当選したばかりで、選挙結果には“下克上”の要素があった。

7月2日に行った記者会見では、除籍事実を認めつつも問題視しない考えを示した。

一方、伊東市議会は調査を行う意向を持っているが、田久保氏は百条委員会の開催を求めない姿勢を見せている。

 

 

選挙出馬時には経歴に関する書類の提出が求められないが、報道では学歴が重要視されるため、学歴詐称は大きな問題となる。

過去には有名な政治家が学歴詐称で問題を起こした例もあり、田久保氏の言動に対しては一貫性に疑問が生じている。

加えて、最近の選挙では“ジャイアントキリング型”の勝利が多く、ストーリー重視で候補者が選ばれる傾向があるが、このアプローチにはリスクが伴うとも指摘されている。

 

 

要するに、選挙で人々は候補者の「ストーリー」に投票しており、それが結果的に期待外れや失望を生む可能性があることが問題視されている。

(要約)

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学歴詐称疑惑で厳しい追及を受けている田久保真紀市長(写真:静岡県伊東市の公式サイトより) 

 

 静岡県伊東市の田久保真紀市長が、学歴詐称疑惑で揺れている。これまで「東洋大学卒業」を経歴としていたが、実際は「除籍」であったと判明し、公職選挙法に違反しているのでは、といった指摘が相次いでいるのだ。 

 

 田久保氏は1カ月半前の市長選で、現職を破って初当選したばかりだった。“下克上”のようなストーリーは、しばしば選挙において重視されがちだ。 

 

 しかし、「本質を見誤る可能性」を考えると、安易に身を委ねるのは危険でもある。そこで今回は、田久保氏のこれまでを振り返りつつ、投票行動において見逃しがちな“落とし穴”について考えたい。 

 

■7月2日、学歴詐称疑惑をめぐる会見を開いた 

 

 2025年7月2日、田久保氏は学歴詐称疑惑をめぐる会見を開いた。そこでは除籍であったことを認めつつ、公職選挙法上は問題ないとの認識を示した。 

 

 伊東市議会側は、地方自治法第100条に基づく、いわゆる「百条委員会」による調査を行う方針だが、7月3日の各社報道によると、田久保氏は議長らに「百条委員会を開かないで」と要請しているという。 

 

 田久保氏はメガソーラー建設計画の反対運動を経て、2019年の伊東市議選で初当選(定数20中10位)した。2023年の市議選で再選(20位)し、2期目の途中で市長選に出馬した。2025年5月の市長選では新図書館計画への反対を打ち出し、3選を目指した小野達也前市長との一騎打ちを制する。田久保氏1万4684票、小野氏1万2902票の僅差だった。 

 

 そして5月、第21代伊東市長に就任した田久保氏。市の広報紙である「広報いとう」7月号を開くと、経歴に「平成4年東洋大学法学部卒業」と書かれている。しかし6月に入り、学歴をめぐる“怪文書”が市議全員に届けられた。 

 

 その内容は「東洋大学卒ってなんだ!  彼女は中退どころか、私は除籍であったと記憶している」といったもので、田久保氏は公式サイトで「何の根拠もない怪文書を公的な場で取り上げることは、卑怯な行為をますます増長させる原因になります」「私が公式に発表している経歴に間違いはないことを改めて申し上げるとともに現在公開されている経歴についての必要な機関、必要な人に対してのファクトチェック(真偽のチェック)は既に完了しております」と全面否定していた。 

 

 

 なお、この発表は7月1日付で行われている(なぜかトップページで公開日とされているのは6月13日付)が、7月2日の会見では、田久保氏みずからが「除籍だった」と確認したのは6月28日だったと明かしている。 

 

■出馬において、経歴に関する資料の提出は不要だが… 

 

 選挙出馬において、広報物に書かれた経歴を裏付ける資料の提出は求められない。住民票や戸籍抄本・謄本(全部事項・一部事項証明書)、供託金を納めた証明書などの提出は必要になるが、いずれも経歴に関するものではない。 

 

 ただし、報道機関から記入を求められる「調査表」には、学歴や職歴の記入欄があることが多い。その記述を基に報道が行われるため、投票にあたり判断材料とする有権者もいるだろう。 

 

 ここで個人的な見解を述べると、政治家のみならず、あらゆる職業は「きちんと働いてくれるなら、学歴や職歴はどうでもいい」と感じるタイプだ。しかしながら、事実でないものまで「盛る」ことは、あってはならない。 

 

 また一般社会において「卒業か除籍か」は、「大卒か高卒か」の差になる。これらで判断することの是非はあるが、あらゆる職場の採用基準に用いられている現状があることは忘れてはならないだろう。 

 

 選挙をめぐる学歴詐称疑惑は、これまで幾度もあった。有名なところだと、「サッチー」こと野村沙知代氏が、コロンビア大学卒だと選挙公報に記載し、公職選挙法で告発された(後に不起訴処分)。タレントの新間正次氏は、参院選当選時の選挙公報に「明治大学中退」と記載したところ、実際は入学手続きも行っていなかったと判明して、最高裁の有罪判決後に議員失職となった。 

 

■なぜ主張が二転三転したのか 

 

 田久保氏の「東洋大卒業」は、選挙公報には書かれていない。しかし、田久保氏は議長らに“卒業証書”とする書類を見せたと報じられている。仮にこれが本物でないのなら、私文書偽造に問われる可能性もある。 

 

 

 田久保氏の処遇は今後、議会や法廷に任される。決着はその結果を待つしかないが、現時点で違和感を覚えるのは、「なぜ主張が二転三転したのか」だ。 

 

 怪文書を「何の根拠もない」と一蹴し、関係機関へのチェックも完了していると断じたにもかかわらず、会見ではその態度が一変した。大学そのものは“関係機関”ではなかったのか。こうした言動の一貫性から、「政治家としての器」に疑義が付いているのは間違いない。 

 

 そこで、ふと感じるのが「ジャイアントキリング型選挙」が秘めている課題だ。ジャイアントキリングとは、圧倒的優位にある相手を、不利な立場の挑戦者が下すことで、「下克上」や「番狂わせ」「大物食い」を意味する英語表現であり、主にスポーツの世界で用いられる。 

 

 選挙で言えば、“現職打倒”だ。田久保市長は当選直後、まさにその文脈で注目を集めた。「現職男性に新人女性が挑む」構図は、メディア受けもいい。実際に当選直後には、「なぜ最下位市議が現職市長を破ったのか」と好意的に報じる大手紙もあった。 

 

 首長選や1人区では、事実上の一騎打ちになることが珍しくない。そうした選挙では、おのずと候補者同士の比較が、評価の中心になるが、それが単純化された結果、「新たな風」がゲタとなり、当選に一歩近づくのではないか。加えて、田久保氏の場合には「メガソーラーに賛成か反対か」「新図書館に賛成か反対か」といった、YES・NOがわかりやすい争点も持っていた。 

 

■全国各地で“ジャイキリ型選挙”が多発?  

 

  このような“ジャイキリ型選挙”および選挙報道は、ここ数年、全国各地で多発しているように感じる。筆者の地元である東京都杉並区でも、2022年の区長選で「政治未経験の40代が、4選を目指す都議出身の60代」を僅差で破り、注目を集めた。 

 

 この新人を追いかけたドキュメンタリー映画も話題になっている。しかし、区長選の争点が「現職か新人か」になってしまった結果、あまり個別の政策に焦点が当たらず、生まれ育った私からすると、消化不良感を覚えたのは否めない。 

 

 

 先日の東京都議選では、千代田区での「都政与党の現職VS.無所属の新人」が注目されている。最終的に約250票の僅差で新人が勝利し、都民ファーストの会が「東京の中心」で議席を落とした。 

 

 これらの事例は、本人が意図していないにせよ、「改革か守旧か」の単純な対立構図で伝えられ、有権者もそう受け止めた。あくまでSNSや各社報道を読んでの印象だが、個人の素質や能力、そして政策を十分に評価する前に、「圧倒的不利」であることが、当選の原動力になっているように感じられてしまう。 

 

■一気に“アンチ化”する可能性 

 

 つまりは、近ごろの有権者は「候補者」でなく、「ストーリー」に投票しているということだ。思えば、2024年の“出直し”兵庫県知事選もそうだった。あれは反対に「現職の改革を止めるな」といった雰囲気によるものだったが、物語消費の構図としては似ている。 

 

 しかし、こうした“ジャイキリ型選挙”には、落とし穴もある。ストーリーに酔いしれ、「なんか良さそう」「変えてくれそう」といったフワッとした印象で投票してしまうと、ふとした瞬間に「なんか違う」となり、強烈な嫌悪感や失望を受ける。 

 

 つまり一気に“アンチ化”する可能性を秘めているのだ。言動が一貫していないように見える、今回の件などは、まさにその引き金を引きかねない。 

 

 そう考えると、個人をまるっと信任する「ストーリー重視の選挙」より、個別に判断できる「政策重視の選挙」のほうが、よりジャッジしやすい。聞こえの良い「街を変えよう」に身を委ねる前に、方法論である「どう変えるのか」をしっかり見極める。さもないと、誤った選択を招きかねない。 

 

 これは別に、候補者を批判しているわけではない。政治に挑む挑戦者は、誰しも尊敬されるべきだ。責めを負うべきは、わかりやすい“対立構図”を描き、単純化することでコンテンツとして消費する人々にある。なんとなくで判断した結果、しっぺ返しを食うのは自分自身であることを忘れてはいけない。 

 

城戸 譲 :ネットメディア研究家・コラムニスト・炎上ウォッチャー 

 

 

 
 

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