( 305503 ) 2025/07/07 06:05:48 1 00 日本における物価高騰は、海外要因から国内要因へとシフトし、特に賃金の引き上げが物価に転嫁されることで「賃金と物価の悪循環」が生まれている。 |
( 305505 ) 2025/07/07 06:05:48 0 00 「賃金が上昇し、物価も上昇する」という状況は「賃金と物価の好循環」であると評価されている。だが、それは真実なのか(写真:ブルームバーグ)
日本の物価高騰の原因は、2023年から大きく変化した。これまで海外要因によって決まっていた国内物価が、国内要因によって決まるようになったのだ。とりわけ大きな変化は、賃金の引き上げが物価に転嫁されるようになったことだ。これは賃金と物価の悪循環であり、日本を破滅させる恐ろしい病だ――。野口悠紀雄氏による連載第150回。
■輸入物価が10%下落なのに消費者物価は3.7%も上昇
現在の日本が抱える大きな問題は、物価高騰が収まらないことだ。
消費者物価指数(生鮮食品を除く総合)の対前年同月比の増減率は、2025年5月には3.7%だった。3%を超える伸び率は2024年12月から続いている。
ここで注意すべきは、物価高騰の原因だ。従来の日本では、国内の物価動向はほぼ輸入物価の動向で決まっていた。ところが現在は、これとはまったく異なる状態になっている。
日本銀行がまとめた企業物価指数を見ると、輸入物価指数は下落している。円ベースでは2024年9月以降、前年同月比でマイナスの月が多く、2025年5月速報値では同10.3%下落という、驚くべき値になっている。
本来なら国内の消費者物価は下落してしかるべきなのに、現実には物価高騰が収まらない。信じられないような事態が進行しているといわざるをえない。
上で述べた問題を分析するための強力な道具は、GDPデフレーターだ。これはGDP(国内総生産)についての物価指数であり、GDPを構成する各支出項目についてデフレーターが算出され、それらの加重平均としてGDPデフレーターが算出される。
GDPの計算において、輸入は控除項目だ。つまり、ほかの項目が変わらずに輸入が増えれば、GDPは減少する。だから、輸入物価が高騰して、国内物価が不変にとどまれば、GDPデフレーターは、輸入物価上昇率に輸入のウェートをかけた分だけ低下する。
一方、輸入物価の高騰分が国内物価に完全に転嫁されれば、輸入物価の上昇率にウェートをかけた値と国内物価の上昇率にウェートをかけた値とがバランスして、GDPデフレーターの上昇率はゼロになる。この場合、国内物価が上昇しているにもかかわらず、GDPデフレーターの伸び率がゼロになることに注意が必要だ。
■コメ価格高騰は重要だが、それだけが原因ではない
GDPデフレーターの推移を示したグラフを見ると、日本ではGDPデフレーターが上昇しない状況が続いてきた。これは、輸入物価の高騰分が国内物価にほぼ完全に転嫁され、国内要因による物価上昇はほぼなかったことを示している。
つまり、日本の消費者物価上昇は、海外の状況によって引き起こされていたのだ。図を見ると、2021年から2022年中頃にかけてこうした現象が顕著に起きたことがわかる。
ところが、2023年頃からこの状況が一変。GDPデフレーターが急上昇している。これは、2023年以降の物価上昇は国内要因によるものであることを示している。
では、最近時点での消費者物価高騰をもたらしている国内要因とは、具体的には何か。
まず考えられるのは、コメ価格の高騰だ。これが国内の消費者物価を引き上げる要因になっていることは間違いない。5月の消費者物価指数を見ると、コメ価格は対前年同月比101%の上昇率となっており、極めて高い。
ただし、消費者物価全体に対する寄与度は0.38だ。だから、コメだけの問題ではないことがわかる。つまり、最近時点の消費者物価は、主として食料品以外の要因によって上昇していることがわかる。
■単位労働コストから労働生産性の伸びを見る
消費者物価を上昇させているもう1つの重要な要因として、賃金の上昇が考えられる。これを分析するための指標として、単位労働コストがある。これは次のような式によって定義される指標だ。
単位労働コスト = 名目雇用者報酬 ÷ 実質GDP つまり、1単位の最終生産物を作るために必要とされる賃金の支払い額である。これは労働生産性を示す。
労働生産性が上昇すれば、1単位の最終生産物を作るために必要とされる賃金支払額は減少するから、単位労働コストは低下する。それに対して、労働生産性が下落すれば、単位労働コストは上昇する。
単位労働コストは、 GDP統計における実質GDPと名目雇用者報酬から計算できる。その推移は、図に示したとおりだ(季節調整値)。これからわかるように、日本の労働生産性は長期にわたって低下を続けている(2020年に単位労働コストが急上昇しているのは、新型コロナによって実質GDPが下落する半面で、賃金が下がらなかったことによる)。
最近時点での単位労働コスト上昇の経緯は、次のようなものであった。
まず、2023年の春闘から、顕著な賃上げが行われた。生産性が上昇していないにもかかわらず賃上げを行うには、企業利益を圧縮するか、賃上げ分を販売価格に転嫁するしかない。ところが企業利益は、零細企業を除けば、かなり顕著に増加した。したがって、転嫁によって賃上げが行われたと考えられる。
転嫁は最終財の価格を上昇させた。このため、消費者物価が高騰したのである。
賃金の上昇が転嫁によって行われていることは、次のような問題を引き起こす。
第1に、大企業ほど転嫁が容易なので、大企業ほど賃金の伸びが高くなる。第2に、名目賃金の引き上げが物価上昇を招くので、実質賃金が上昇しない。実際、毎月勤労統計調査によれば、実質賃金の低下が続いている。第3に、賃金引き上げの恩恵に浴することができない人々の実質所得が減少する。
それにもかかわらず、「賃金が上昇し、物価も上昇する」という状況は、「賃金と物価の好循環」であると評価されている。政府も日銀も、経済界も労働組合も、そうした評価をしている。
しかし、これは「悪循環」なのだ。1970年代のオイルショックの際にイギリスが陥った病である。日本は、いまやこの悪循環過程に入ってしまった。
■物価対策も参院選の争点も見当違い
以上で述べたことに対する政府や政治の反応は、極めて不十分だ。
まず、現在の政府の物価対策は、ガソリン代や電気・ガス代など、主として海外のエネルギー価格上昇に対応するものになっている。確かに2022年頃の状況は、そうした要因によって物価が上昇した。しかし、現在の状況はまったく異なるものになっているので、それに対応して物価対策を根本から考え直す必要がある。
また、参議院選挙の争点も見当違いだ。最大の争点は、野党が主張する消費税減税なのか、それとも与党が主張する一時給付金なのかになっている。しかし、これらはいずれも物価上昇の原因に手をつけるものではないので、物価高騰に対して何の効果もない。
むしろ、消費を増やすことによって物価上昇を促進させる効果を持つ。こうして、賃金と物価の悪循環過程は加速することになるだろう。
野口 悠紀雄 :一橋大学名誉教授
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