( 307111 ) 2025/07/13 05:27:13 0 00 写真はイメージ/gettyimages
「今後は米を増産する」。国は、半世紀以上にわたって実質的に続けてきた「減反」政策を転換した。しかし、農家からは「いまさら増産は無理」という声が上がっている。何が起こっているのか。
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■「現場を知らない」と怒り
「政府が『米を増産しろ』と言いさえすれば、農家が直ちに増産すると思ったら、大違いです。現場を知らない、机上の空論ですよ」
憤まんやるかたない口調で語るのは、福島県天栄村の米農家・吉成邦市さんだ。
政府は今年4月、中長期的な農政の指針となる「食料・農業・農村基本計画」を閣議決定。目玉となるのが米農政の大転換で、1970年代から続いてきた事実上の「減反」から、増産に舵を切る。23年は791万トンだった米の生産量を、30年には818万トンに増やす方針だ。
石破茂首相は7月1日、政府の「米の安定供給等実現関係閣僚会議」で、「令和7年産から増産を進めていく。不安なく増産に取り組める新たな米政策に転換する」と表明した。
■米農家の約6割が70歳以上
だが、米を増産するには作付面積を増やさねばならず、増産規模に合わせた新たな農業機械も必要になる。吉成さんはこう話す。
「高齢化が進む米農家が、増産を目指していまさら農業機械を買えるわけがないでしょう。農機がどれほど高額か、知っていますか」
現在、個人経営の米農家の平均年齢は71.1歳(2020年)で、70歳以上が58.9%を占める。
■3000万円を投資、減価償却費だけで年300万円
吉成さんは同村の元職員で、20年あまり農政を担当した。定年前に退職し、2ヘクタールから米農家を始めた際、約3千万円を投資してトラクターや田植え機、コンバインなどの農業機械を買い揃えた。退職金だけでは足りず、JAからの借入金もつぎ込んだ。減価償却費だけで年間約300万円にもなるという。
「米農家になったときは59歳だったので、これだけの金額を投資できた。66歳の今だったら、無理でしょう。投資した費用が回収できるか心配で、気持ちももたない」(吉成さん)
米農家を始める際、どうすれば経営が成り立つか、念入りに計算した。米の売り上げから農業機械や肥料、農薬、燃料などの資材代を差し引くと、損益分岐点となる作付面積は3ヘクタールだった。
■大規模でないと儲けが出ない
「つまり、米農家は大規模にやらないと、儲けが出ないんです」(同)
全国の平均作付面積は1.8ヘクタールだが、その規模の農家の場合、生産コストは60キロ1万5944円(23年)。これに対し、農家の米の売値(23年11月の相対取引価格)は同1万5240円で、シンプルに赤字だ。15ヘクタール以上の農家であれば、生産コストは同1万1350円に下がる。
ちなみに、20年時点の全国の米農家(水稲作付経営体)71万3792軒のうち、作付面積が2ヘクタール未満の小規模農家は全体の81%。つまり、米農家のほとんどが「赤字経営」なのだという。
■農機が壊れるまで作り続けるのが得
「ただ、数字の上では赤字ですが、小規模農家はトラクターを30年くらい使う(法定耐用年数は原則7年)。そうすると、肥料や農薬、燃料などの資材代を差し引いても多少は儲けが出る。であれば、農業機械が壊れるまでは米を作り続けたほうが得になる」(同)
裏返せば、「年をとってトラクターが壊れても、400万円を支払って買い替えない」。機械が壊れたら、そこで米作りを引退する小規模農家は多いという。そんな小規模農家が今後、作付面積を増やしたり、リスクを取って農業機械を新たに購入することはまずないだろう。
■9割が「経営が苦しい」
今年5月に産直通販サイト「食べチョク」を運営する株式会社ビビッドガーデンが行ったアンケート「米の生産に関する実態調査 第2弾」によると、米農家の9割が「経営が苦しい」と回答した(回答人数は121人。生産規模は1ヘクタール未満21%、1~5ヘクタール未満36%、5ヘクタール以上43%)。内訳は、「廃業を考えるほど苦しい」13.1%、「とても苦しい」49.2%、「少し苦しい」27.9%、「その他」9.8%だった。
■後継者のいる農家は3、4人
吉成さんは「農業機械が壊れた」「体が動かなくなった」などの理由で米作りを引退した農家から、水田を購入したり借り受けたりして、作付面積を10ヘクタールまで増やしてきた。
20年ほど前、天栄村の米農家は600軒ほどあったが、現在は約350軒に減少した。そのうち、吉成さんのように、稲作を主な収入源とする「主業農家」はたった10軒ほどしかないという。
「後継者不足も深刻で、10軒のうち、後継者のいる米農家はうちも含めて3、4人しかいません」(同)
高齢化が進むなか、若手は不可欠だ。米作りの世界に飛び込んでくる若手はいないのか。
■「新規就農は可能性ゼロ」
「稲作で新規就農なんて、まったく無茶な話で、可能性ゼロですよ」(同)
50歳代以下の農業従事者の割合は、稲作は11.3%、露地野菜は26.0%、施設野菜は36.0%、果樹は20.6%で、米作りをする若者は少ない(20年)。最大の壁は、農業機械を購入する費用が用意できないことではなく、水田を入手できないことだという。
「米農家として経営を成り立たせるには一定面積以上の水田を借りなければならない。米農家は先祖代々受け継いだ土地を荒らされたくない。だから、知らない人には土地を貸さない。『この人なら絶対に大丈夫』という人にしか、水田は集まらない」(同)
■米農家の生々しい現実
吉成さんは「一人でどこまで作付面積を増やせるか」挑戦してきたが、10ヘクタールが限界だという。天栄村の竜田川流域の水田はかんがい施設が未整備で、天水(雨水)に頼った稲作が行われている。
「関東平野の利根川下流域の水田ではバルブをひねれば水がバーッと出ますが、この周辺では水路に土のうを積んで水田に水を入れなければならない。使える水が限られているので、こまめに管理しなければならない。労力がかかるうえ、我田引水ということわざもあるように、引く水量の調整は他の米農家にものすごく気をつかう」(同)
吉成さんが生まれる少し前、天栄村では、水争いが原因で凄惨な殺人事件が起きたという。
「米農家にとってそれほど水は重要で、水争いはそれほど怖い。全国の耕地面積の約4割はこのような『中山間地域』にあるのに、生々しい米農家の現実が国には全く伝わっていない」(同)
■「団塊の世代」の稲作農家が消えていく
これまでは離農する人がいても、水田を引き受けてくれる農家がいた。しかし、最近は断る人も出てきたという。
「所有する水田が散らばってしまい、遠くの田んぼは管理しきれない。そこまで行って帰ってくるだけで、燃料代もばかにならない。仕方ないことですが、米を作りづらい水田は引き受け手が見つからず、放棄される。村の風景も変わっていくと思います」(同)
今年、いわゆる「団塊の世代」は全員が75歳以上になった。
「これまで団塊の世代の農家が頑張って米作りを支えてきた。これから米農家は急激に減るでしょう。国のどんなに偉い人が『増産しろ』と言っても、現状では無理ですよ」(同)
そう言う吉成さんの表情は悲しげにすら見えた。
作り手の切実な事情を、政治家の誰が知っているのだろうか。
(AERA編集部・米倉昭仁)
米倉昭仁
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