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なぜ田沼意知は35歳で非業の死を遂げたのか…「無敵の人」に斬りつけられても刀を抜かなかったワケ

プレジデントオンライン 7/13(日) 17:17 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/43a012f20d3100e20b6de6f2a486c944656bd00b

 

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大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」では、老中・田沼意次の息子・意知の暗殺を中心に描かれます。

意知は1749年に生まれ、父の権勢のおかげで異例の早さで出世しましたが、1784年、江戸城で同僚の佐野政言に斬られ、その後死亡します。

斬殺の理由には佐野の乱心説や私怨説、公憤説が存在しますが、その真相は不明です。

事件は幕府の動揺を引き起こし、意知の死後に米価が下がったことから佐野は「神様」として崇められ、一方で意知には石が投げられるなど、民衆の不満が表れました。

(要約)

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2025年7月8日、パリファッションウィーク「シャネル」での宮沢氷魚(「べらぼう」の田沼意知役) - 写真=ABACA PRESS/時事通信フォト 

 

大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(NHK)の大きな山場となる老中・田沼意次(渡辺謙)の息子・意知(宮沢氷魚)の死。歴史研究者の濱田浩一郎さんは「江戸城内で意知に斬りかかった佐野政言の動機には諸説ある。いずれにしても明確な殺意を持っていたことは確かだ」という――。 

 

■江戸城内で意知が…、幕府を揺るがした大事件 

 

 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(NHK)において老中・田沼意次(おきつぐ)を演じているのは、渡辺謙さんです。そして意次の子・意知(おきとも)を演じているのが宮沢氷魚さんであります。その意知が吉原遊郭に通い、主人公の蔦屋重三郎(横浜流星)とも交流を持ったというのはドラマの創作ですが、蔦重の生きた時代には、江戸城内で意知が暗殺されるという幕府中枢を揺るがす大スキャンダルが起きました。もちろんドラマでもその事件は描かれるようです。 

 

 意知が意次の子として生まれたのは寛延2年(1749)のことでした。その前年、9代将軍・徳川家重に引き立てられた意次は小姓組番頭に昇進、御用取次見習の役職を兼任しておりました。意次が目覚ましい出世を遂げていく前段階と言えるでしょうか。意次の正室は伊丹直賢(伊丹家は元来は紀州藩士であったが、将軍・徳川吉宗の時に幕臣となる)の娘でした。 

 

■まだ家督を継いでいないのに…異例の出世 

 

 意次には後妻もおり、それが黒沢定記の娘です。黒沢家は大番組の番士の家でした。この黒沢定記の娘と意次の間に生まれたのが長男・意知だったのです。ちなみに意知の正室は松平康福の娘。康福は石見国(島根県西部)浜田約5万の譜代大名であり、意次より先に老中に就任しています。意知は明和元年(1764)、10代将軍・徳川家治に初お目見え。意次の後継者として認知されます。 

 

 その後、意知は明和4年(1767)に従5位下、大和守となり、天明元年(1781)には播磨守、翌年には山城守となっています。天明元年には譜代大名が老中へと上り詰めていくその端緒とされる奏者番(江戸城中の武家の儀式・典礼に関する職)に就任していますが、まだ家督を継承していない者がそれに就任するのは「例外中の例外」と評されることもあります。天明3年(1783)、意知は部屋住の身で若年寄(わかどしより)(老中に次ぐ重職であり、旗本や老中支配以外の諸役人を統轄した)となりますが、そうした先例はありませんでした。異例ということです。 

 

 父・意次が老中となるのが安永元年(1772)のことであり、意次が失脚するのが天明6年(1786)のこと。いわゆる「田沼時代」の後半に意知は若年寄に就任したのです。異例と言うと、父が老中、子が若年寄というのも異例でした。意次の権勢が続いていたならば意知がいずれ老中になることは確実だったと言えるでしょう。 

 

 

■父・田沼意次の「七光り」で優遇された 

 

 若年寄は月番(毎月交替でそのうちの1人が諸般の政務を担当し、他の者はこれを補佐する勤務方法)でしたが、意知はこれを免除され、奥勤めを時々するように命じられています。これも意次の後継者ならではの優遇でしょう。部屋住みの身でここまでの出世をするのは父・意次の権勢があったればこそ。意知は親の七光をものすごく受けていたことになります。 

 

 将来が有望視されていた意知ですが、突如、暗転します。それが天明4年(1784)3月24日のことでした。同日の昼頃、意知は同じ若年寄の同僚・太田資愛(遠州掛川藩主)、酒井忠休(出羽松山藩主)らと共に江戸城を退出しようとしていました。老中の父・意次は既に退出しています。意知らが新番組(将軍の警護を職掌とした)の詰所の前を通りかかった時に事件は起こりました。 

 

■意知暗殺の瞬間、江戸城内でのドキュメント 

 

 それは午後1時頃だったとされますが、番士の旗本・佐野善左衛門政言(「べらぼう」で矢本悠馬が演じる)が突然、意知に斬りかかったのです。番所の詰所には佐野だけがいたわけではありません。5人の番士の中から佐野が突然抜刀して走り出し、意知を袈裟懸(けさが)けに斬ったのです。佐野が所持していた刀は粟田口忠綱の作と言われています。 

 

 佐野の攻撃に対し、意知は脇差を抜きませんでした。殿中だったからです。鞘(さや)で佐野の攻撃を受け止めたので、意知は斬られることになります。斬られても意知はその場で倒れ込まず、近くの桔梗の間に後ずさりしながら逃げるのでした。佐野は意知を執拗に追いかけ、意知に致命傷を負わせます。ここで意知はうつ伏せに倒れ込みます。 

 

 そこに駆け付けてきたのが大目付の松平忠郷です。忠郷は背後から佐野を組み伏せます。そして一説によると柳生久通(目付)が佐野から刀を取り上げるのでした(忠郷が刀を取り上げたともされます)。佐野の捕獲に成功したのです。 

 

 重傷の意知は抱えられて下部屋に連れて行かれました。そこで医師による傷の手当てが行われます。しかし医師らによるしっかりした治療はできなかったと言われています(針と糸がなかったので傷口を縫うことはできなかったとされます)。 

 

 父・意次は神田橋の屋敷にいましたが、注進により意知の遭難を知り急いで登城したとされます。簡易な治療の後、意知は駕籠で神田橋の屋敷に運ばれました。 

 

 一方、意知に斬り付けて捕獲された佐野は蘇鉄の間に連行、押し込められます。その後、町奉行に引き渡され小伝馬町(東京都中央区)の揚屋(御目見(おめみえ)以下の御家人ほか未決囚を収容した雑居房)に入れられました。佐野は旗本(御目見以上)でしたのでこの扱いを不当と感じたかもしれません。 

 

 佐野の取り調べが大目付や目付により行われますが、今回の刃傷事件は佐野の乱心によるものとされます。4月3日、佐野に切腹が申し渡されました。揚屋座敷の前庭で切腹そして介錯が行われます。佐野はこのとき、28歳。意知は3月26日に佐野に斬られたことで死亡したとされます。 

 

 

■斬った佐野は28歳、斬られた意知は35歳 

 

 佐野はなぜ意知に斬りかかったのか。1つの説に前述した乱心というものがあります。これは幕府評定所の判決ではありますが、本当にそうかは疑問です。意知が退出する際、彼1人ではなく、他の若年寄も一緒に歩いていました。佐野が乱心だったならば、他の若年寄も斬り付けられてもおかしくはないと思うのです。 

 

 ところが佐野はそれをせず、意知を標的にして執拗に追いかけて何度も斬り付けています。ということは佐野は意知もしくは田沼家に何らかの恨みを抱いており斬り付けたと考えた方が良いのではと筆者は思うのです。心神喪失の状態になって斬り付けたのではなく、しっかりした意志のもと佐野は意知を斬ったと感じます。佐野が意知に斬り付けたのは私怨ではないかとの説もあります。 

 

■なぜ旗本の佐野は老中の息子を斬りつけた? 

 

 例えば意知に頼まれて佐野家の系図を貸したのに催促しても返却されない。佐野は何か役職に付けてくれるように田沼の用人に依頼し、賄賂(620両)を贈ったのに梨のつぶてだったこと。そうしたことの恨みが重なって佐野は刃傷に及んだともされますが、そのことが記された佐野の口上書は偽(にせ)文書とされており、私怨説もそのまま信じるのも困難です。 

 

 他には公憤説もあります。田沼意次・意知親子が権勢をふるい改革を行っていくことを快く思わない人々もおり、佐野もその1人であり、よって意知を殺したというのです。天下のために意知を殺したというのが公憤説です。 

 

 意次は老齢であるが、意知はまだ若年なので、いずれ父の意志を継ぎ改革を続けると思われるので、意知を殺したとの見解もあります。しかしこの公憤説も信憑性が高い史料に掲載されているわけではないので、私怨説と同じくそのまま鵜呑(うの)みにすることはできません。 

 

 佐野が乱心ではなく、明確な意志を持って意知を狙ったということはほぼ間違いないと思われるのですが、その理由については残念ながら未だ明確でないのです 

 

 

■居合わせた幕臣は罷免、佐野を捕えたのは… 

 

 衆人環視の中で起こった刃傷事件だったこともあり、意知の側にいた人にはおとがめや処罰が与えられました。若年寄の太田資愛と酒井忠休には将軍の勘気が伝達され、将軍へのお目通りを禁じられます。意知と共に歩いていたので、事件発生時にしっかりとした対応を取らなかったのではと叱責を受けたということです。 

 

 目付の松平恒隆と跡部良久は事件現場に最も近い場所にいたということで罷免されてしまいます。2人よりも遠い場所にいた大目付の松平忠郷が駆け付けて佐野を取り押さえたことが2人にとって災いしました。2人が忠郷よりももっと早く駆けつけて佐野を組み伏せておれば、意知は致命傷を負わず助かったのではと思われたのです。 

 

■意知が死ぬと、高騰していた米価が下がった 

 

 松平忠郷は70歳という老齢でしたが、佐野を取り押さえたということで高評価となり、200石の加増となっています。 

 

 さて徳本寺(東京都台東区)に埋葬された佐野の墓には多くの人々が詣でたと言われています。当時、大飢饉の影響もあり米の値段が高騰、人々は生活に苦しんでいました。ところが(一説によると)刃傷事件の翌日から米の値段が下がり始めたということで、佐野は「神様だ」との認識が生まれ、彼は「世直し大明神」として崇められたのです。一方、田沼意知の葬列には人々は石を投げ付けたとされます。米価の高騰にしっかりとした手を打たない「田沼政治」への不満が爆発したと言えるでしょうか。 

 

 参考文献一覧 

・藤田覚『田沼意次(ミネルヴァ書房、2007年)  

・鈴木由紀子『開国前夜 田沼時代の輝き』(新潮社、2010年) 

 

 

 

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濱田 浩一郎(はまだ・こういちろう) 

歴史研究者 

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。姫路日ノ本短期大学・姫路獨協大学講師・大阪観光大学観光学研究所客員研究員を経て、現在は武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。歴史研究機構代表取締役。著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『超口語訳 方丈記』(彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)など。近著は『北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実』(星海社新書)。 

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歴史研究者 濱田 浩一郎 

 

 

( 307435 )  2025/07/14 07:04:53  
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このディスカッションは、江戸時代の政治家田沼意知とその暗殺に関するもので、特に彼を斬った佐野政言の背景と動機に焦点が当てられています。

参加者たちは、歴史的な視点からこの事件を評価し、田沼の治世や政治政策についての見解を共有しています。

 

 

議論の中で、田沼意知の政治が賄賂政治であるとの批判と、逆に彼の施策が文化や商業の発展をもたらしたとする再評価の意見が対立しています。

さらに、佐野政言の行動については、私怨なのか公憤かといったさまざまな解釈が展開されています。

 

 

また、歴史の中で描かれる人物の評価が時代によって変わること、そしてドラマなどの作品における演出が如何にそれに影響を与えるか、という点についても言及されています。

特に、今の政治と照らし合わせて歴史の教訓を見出そうとする意見があり、視聴者が現代の問題に対する感情を当時の事件に重ね合わせています。

 

 

さらに、討論の段階で「無敵の人」という言葉の使い方や、歴史的な事実を元にしたドラマがネタバレとして受け取られることに対する異議が提示されており、視聴者それぞれの考え方の違いも浮き彫りになっています。

 

 

(まとめ)このスレッドでは、江戸時代の政治家田沼意知と彼を暗殺した佐野政言の事件を中心に、歴史的事実と視聴者の見解を交えた活発な議論が行われており、政治や歴史の評価が時代や視点によって変わること、現代社会に投影される側面についての意見が多様に表現されています。

( 307437 )  2025/07/14 07:04:53  
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=+=+=+=+= 

 

佐野が所持していた粟田口忠綱が大刀だったのか脇差だったのかは記事からは判然としませんが、原則として江戸城内では大刀の携帯は禁止されていて登城の際にしかるべき役職の者に預けるしきたりでした。ただ佐野は城内の警備を担当する武官(番士)であり、殿中の各所にあった番士詰所に共同の刀架に大刀を架けていたとのことで、もしかしたらそれを使った可能性があります。1823年(文政6年)に西丸御書院番松平忠寛が大刀を使って同僚数名を斬った事件はこの詰所の大刀を使ったものでした。 

 

意知が脇差を抜いて反撃しなかったのはいきなりの襲撃でそのいとまがなかったのかもしれませんし、たとえ正当防衛であっても江戸城内で抜刀すれば喧嘩両成敗として切腹を申しつけられる懸念があったからかもしれません。 

 

▲1599 ▼98 

 

=+=+=+=+= 

 

ネタバレも何も史実だからさ。まあ斬りつけられて次が27日放送なのは実に辛いが。 

この後家治も亡くなって田沼時代は終わる。なんだかんだで幕府の財政を支えていたんだが。だから家斉時代に子沢山で散財されて松平定信がキレる。 

田沼は現代なら再評価されていい政治家だろう。 

先週の蔦重話と今週とでメリハリのついた脚本。今年の大河は面白い。 

 

▲1489 ▼66 

 

=+=+=+=+= 

 

10年前の大江戸捜査網の正月特番が意知殺害から始まる話だった。 

確かその時は刀に手をかけようとしてやめる演出があり、それを見たときこの作品は田沼親子を悪く書かないかもしれないと思った記憶が・・・ 

当時は知名度も無かったはずの治済が中ボスだったり島津重豪がわざわざ伊吹五郎まで使ってちょこっと出したりもしやと思ったらラスボスが案の定だったりと、今年の大河の後で見直すとまた面白いかもしれない。 

 

▲514 ▼41 

 

=+=+=+=+= 

 

田沼意知は七光りは間違いないですが、親の威を借りて我が儘に行動した事実はない。まだ部屋住の身であり、若々しく遊郭に抜け出す性欲はあったが、政治的には良くも悪くもほぼなにもしていない。あくまで私怨によるものとみられており、佐野はなにも語っておらず、その真相は闇のなかです。 

 

▲693 ▼33 

 

=+=+=+=+= 

 

昔読んだ稲垣史生作の小学生向け歴史小説では、賄賂漬けの田沼時代に同輩の武士たちが質実剛健の生き様を失っていく中で、佐野政言が時代を正すために元凶の息子田沼意知を切り捨てた「公憤説」を採用していました。 

 

その後読んだみなもと太郎の「風雲児たち」では、家来筋の筈の田沼が出世していく中で主筋の佐野は一向に(田沼の実力主義も相まって)引き立ててもらえず、田沼から要請がないのに系図も献上したものの梨のつぶて、と逆恨みを募らせていたところを黒幕に焚きつけられて・・・という私憤を第三者に利用された形になっていました。 

 

稲垣史生は事件直後に「世直し大明神」と呼ばれた佐野の評価を素直に反映していますが、「風雲児たち」は時代の先駆者としての田沼親子を評価しており佐野の描写は辛くなっていて、歴史上の人物の評価は一筋縄ではいかないと考えさせられました。 

 

▲280 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

田沼政治については今日では再評価が通説だろうが、意知の出世についてはやはりやり過ぎだったのではないか。部屋住みで若年寄、父の老中を補佐する立場というのはあまりに取り立てすぎている印象。もちろん佐野の動機は分からないが、当時でも世間の批判、佐野への評価はあったようだ。今日からすれば改革者であっても当時の価値観で見た時には分からない。この事件がなくとも田沼時代は限界に来ていたのではないか。 

 

▲127 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

佐野政言を「無敵の人」って… 

佐野家は500石の堂々たる旗本で政言も20代で五番方の大番入りしている等、旗本の中では順調に出世している方です 

作中の時期になると旗本の数は激増し、役(職)に就ける者は半数にも満たずましてや花形の五番方は佐野家のような中堅旗本にとって憧れの役方。大部分の旗本は役に就けず小普請方に配属されます。小普請方は江戸初期ですと実際に江戸周辺の普請に駆り出されて居ましたが、普請を専門業者に委託する様になってからは小普請料を幕府に上納しなければなりません。役料を貰えない上にお金を幕府に上納する。佐野家がこの時点でいかに順調だったのか 

もう一つ言うと幕府の規定では佐野家クラスだと最低11人は雇わなければならず、半数を口入(派遣)だとしても現代で言うと中小企業の社長みたいなものです 

決して「無敵の人」などでは有りません。適当な文書くんじゃないよ 

 

▲108 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

いや、歴史を知っていたらネタバレじゃないし。 

 

それを言ったら、織田信長の登場する大河ドラマで信長が本能寺で明智光秀に討たれる話をしたら、ネタバレというのと同じくらい、馬鹿らしさ。 

 

そりゃあ、本能寺ほど有名な歴史的な話ではないけど、調べればすぐにわかること。 

 

これをネタバレと言ったら、図書館の歴史書は全てネタばらしの本だらけになる。 

 

完全創作のドラマや小説、漫画、アニメとは違う、歴史に基づいたドラマなんだから、史実を語ってもネタバレにならない。 

 

▲553 ▼44 

 

=+=+=+=+= 

 

田沼の政策は商業を振興させたり文化を発展させて経済を刺激するという、それまでの武家政治の伝統である農業政策や質素倹約方針の真逆のものであり、政治の中心を奪われた形になった勢力による一種のクーデターだったのではないかと考えます。 

今の財務省主導の緊縮財政派が、減税による経済発展を進めたい勢力を邪魔していルことに重なって見えています。 

 

▲402 ▼47 

 

=+=+=+=+= 

 

今日の放送回がこの刃傷事件にまつわる回ですね。一足早く、昼にBSプレミアム4Kで見ましたが、史実とこの記事にも書かれている俗説も上手く織り交ぜてドラマにしていましたと思いました。 

 

▲332 ▼14 

 

 

=+=+=+=+= 

 

これを機に山本周五郎の栄花物語を読む人が増えてほしい。田沼意次を見る目が変わる。濁る田沼の水ぞ恋しきと言う歌もあるとおり、同時代人からは評価されていたのだと思う。 

 

▲259 ▼21 

 

=+=+=+=+= 

 

咄嗟に刀の鞘で応戦した意知は凄いとしか言いようがありませんね。 

もし刀を抜いてしまっては喧嘩両成敗となりますからね。 

べらぼうでは田沼は主人公側ですから好意的に描かれていますし実際にどのような経緯があったのかは分かりませんが、刀の鞘で応戦したと言う事実だけでも意知の冷静さに感嘆します。 

田沼意次は賄賂政治で有名ですが、実際にはどうだったのですかね。 

私は池波正太郎の小説が好きなのですが、池波さんは田沼を好意的に描いていますね。 

当時は田沼だけでは無くて貢ぎ物が当たり前で田沼は小姓上がりの成り上がりだったので嫉妬が激しかったそうですしね。 

私の子供の頃には忠臣蔵と言えば吉良が悪者、浅野は正義感のある殿様、大石は忠君の人、でした。 

が、今では吉良は領地では民に慕われた良いお殿様、浅野は癇癪持ちの偏屈者、大石はズボラだったのが周りから煽られてズルズルと仇討ちに走っただけ。 

と見られていますしね。 

 

▲22 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

史実を知らなくても、花魁誰袖と蔦重とのやり取りをみるだけでフラグがビンビン立ってる感じが出てたよね。このまま幸せな身請け後の人生は待ってないんだろうなあと。 

そういう切なさがこのべらぼうにはたくさんあって、様々な困難に立ち向かおうとする人々と一瞬の悲喜交々に惹きつけられる。 

 

▲199 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

断片的な知識の一般庶民としては刃物で人を斬る時代 物凄く痛いだろうなと思うし もう戦国が終わってそういうことの実戦経験のない侍が殆どであったろうから驚愕の出来事だったでしょうかね 

 

▲131 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

暗殺者の佐野が「無敵の人」? 

いやいや、身分もしっかりしてるし、江戸城内で警護にあたるちゃんとした職にも就いてる人ですよ。 

この意知暗殺については、黒幕説、陰謀論もあって分からないことも多く、佐野の取り調べ時に作られた調書も後に書き換えられていたという説があって信ぴょう性が怪しいモノらしい。 

田沼時代については、後の権力者が彼の評価を貶めるために影の部分をことさら過大にことさら悪く伝えられたのでは? と最近は言われるようになってきており、最近の歴史研究では田沼親子の治世を見直す動きが出て来ている。 

政治家というものは、観方や評価の切り口を変えれば全く別、まったく逆の評価になることは多いからね。 

そういった意味でも、このドラマでの田沼親子の描き方は実に興味深い。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

現代と違って、江戸時代だし、闇の権力争いに巻き込まれる…なんて、日常茶飯事でしょう。 

真実なんて、歴史の一側面でしかないんだし。 

小説やドラマなら、脚本家の想像力が試される所ですな。 

 

▲27 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

>>ところが(一説によると)刃傷事件の翌日から米の値段が下がり始めたということで、佐野は「神様だ」との認識が生まれ、彼は「世直し大明神」として崇められたのです。一方、田沼意知の葬列には人々は石を投げ付けたとされます。米価の高騰にしっかりとした手を打たない「田沼政治」への不満が爆発したと言えるでしょうか 

 

最近の令和の米騒動 

米の値段がいきなり2倍〜3倍になってるのに人々はおとなしいですよね 

9条を守れ〜!とか日本人ファーストを許すな!とデモをしたり、声を上げるのはいても米の値段が高過ぎる!というデモはないし、報道もされません 

不満が爆発することはなく、政府には2万円あげておけばまだまだ我慢出来るだろうと見られてるんですかね?? 

 

▲134 ▼51 

 

=+=+=+=+= 

 

この件や忠臣蔵含めて7回ほど江戸城で大名旗本の殺傷事件起きているんですね。 

熊本藩主が殺害された事件では細川(九曜紋)と板倉(九曜巴紋)が似てるので人違いで起こったのとか有りましたね。 

 

▲98 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

殿中は抜刀がご法度だから佐野に斬りつけられても田沼意知は脇差を抜かなかったのだろう。佐野氏は切腹し家名断絶です。本人は恨みを晴らして満足かも知れないが、屋敷を没収され収入が途絶え妻と老いた両親は嘆いたでしょうね。家族のために我慢する事ができなかったのかな。 

 

▲9 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

大河面白いです。メリハリあって、、最初は蔦重と言われても、、と思いましたが、吉原の話しから歌麿、源内、日本橋、田沼の政争を絡めて盛り沢山。 

 

▲143 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

ドラマでは、蔦重の提案を受けた意知の献策の実行により、米価が下がることになるのだが、事情を知らない庶民からは佐野の手柄にされてしまう。 

 

理不尽だが、 

現実でも、評価されるべき人が貶され、足を引っ張ったやつの手柄にされることが多い。 

 

▲93 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

今日、べらぼうで斬りかかるシーンやってました。 

太刀か脇差かは分かりませんでした…。 

矢本悠馬さんと宮沢氷魚さんの演技は素晴らしい…次回予告では「切腹」のカットが出てました。 

 

▲69 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

佐野家は鉢植えの木、いざ鎌倉へで有名な鎌倉以来の名家。紀州の足軽から身を興した新進気鋭の田沼家とはお互い相容れないモノがあったに違いない。 

 

▲59 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

田沼意次と松平定信、経済政策という意味では圧倒的に田沼が上だと思う。 

現代でも、ボロカスだったが菅さんはちゃんとしていたし、岸田も少なくとも石破よりマシ。 

 

石破がなぜダメかと言うと人望もないが、官僚を動かす経験が足りない。 

過去に遡れば例の民主党政権。 

仮に今回政権交代すると、立憲やら国民民主がメインをはろうものなら、まあとんでもないことになる。彼らは自律的に動けないから… 

振りつけてくれる秘書官もいないだろうし。 

 

幼稚な質問して、喝采浴びているつもりぐらいが彼らにはちょうど良い… 

 

▲69 ▼98 

 

=+=+=+=+= 

 

柳生久通は村田柳生だから血縁ではないが 

江戸中期以降、弱体化していた江戸柳生新陰流が実際に修羅場で力を発揮した数少ないケースだった^_^ 

もっとも弱体化してたのは尾張柳生も同様で、柳生厳審なんてヤクザ上がりの草莽隊士とケンカしてボコられ脇差し奪われるという醜態さらしてるけどね…(笑) 

 

▲31 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

ドラマでは美化されてるけど田沼は米の高騰に一役かってたんだろうな 

斬りつけた方の佐野を大明神と称えられるくらいだからね 

悪い話が1つや2つじゃない、米騒動の最中に花魁遊びとかそら佐野じゃなくても怒るね 

現代で言うところの何もしない石破や買い占めてあこぎな商売してるJAや卸問屋みたいなもんやろ 

卸問屋の連中を獄中に入れたのは田沼の功績でこの点は石破より仕事してるw 

 

▲30 ▼83 

 

=+=+=+=+= 

 

ドラマと大きく違うのは、意知は当時既に結婚していて、子供も何人かいたわけで、ドラマの意知の様にウブな感じはなかったと思う 

 

▲42 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

『べらぼう』の作者は昨年来の米価高騰と政府の対応に、この天明の米価高騰を対比して描いていると思いませんか? とてもタイムリーですね。 

 

▲41 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

戦国の世では佐野家は大名で、田沼家はその家臣でした。 

ともかく米価の高騰は政権の命取りになるのです。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

浅野長矩(内匠頭)といい佐野政言といい 

斬りかかった当人は後の世で美化されたが  

使えてる家臣は家が取り潰しだからたまったもんじゃないな 

 

▲14 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

ネタバレというのはちょっと違うかな。 

史実だから。 

フィクションじゃないから。 

あえて言うなら佐野の動機は推測だから 

フィクションだろうね。 

 

▲23 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

田沼意次ほど大政治家はいないと思うだけにあまりにも否定的に扱われてきているのは納得がいかない 

 

▲78 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

田沼も佐野も、なぜか栃木県の都市名に収まっているのが、何らか因縁あるのかな? 

知ってる人いたら教えてほしい。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

今の国会にこういう機会が無いのは残念だ。 

議員の去就は国民が決めるべきです! 

 

▲13 ▼15 

 

=+=+=+=+= 

 

べらぼうの江戸城編では全ての黒幕が生田斗真さん演ずる一橋治済ですね。 

 

▲61 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

令和の米価高騰に打つ手の無かった自公政権にも参議院選挙の結果という形で…。 

 

▲28 ▼10 

 

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こういうのは歴史好きしか読まないだろうが歴史好きなら誰だって知ってる話だった 

 

▲1 ▼0 

 

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プレジデントオンラインさんをはじめとする 

Yahoo!ニュースコタツ軍団も無敵の人ですよね。 

 

▲36 ▼7 

 

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あさイチに宮沢氷魚が呼ばれた時点で歴史を何も知らない人でも察する事が出来たはず 

 

▲15 ▼2 

 

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「風雲児たち」を思い出した。 

みなもと太郎さん、ありがとう。 

 

▲10 ▼2 

 

 

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こういう時は1番得した人を真犯人にしときましょう! 

 

▲20 ▼2 

 

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親子でめちゃくちゃイケメンだな! 

ちなみにオレはお父さんファン! 

 

▲11 ▼9 

 

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オレは、「無敵の人」という言葉に強い不快感がある。 

 

▲30 ▼4 

 

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そう言えば大河にいちゃもんばかり言ってたライターの人最近出てきませんね…知らんけど。 

 

▲3 ▼2 

 

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大河ドラマでは、福原遥が、可哀想なことになって、行くのね。 

 

▲2 ▼0 

 

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宮沢氷魚だんだん親父に似て来たな。 

記事と関係ないけど。 

 

▲21 ▼1 

 

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風雲児たちファンで田沼のこと嫌いな人はいないよなぁ 

 

▲26 ▼4 

 

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殿中でござる 

は忠臣蔵だけじゃないんだね 

 

▲20 ▼0 

 

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この脚本は今のコメ不足を予知して書いたのかと思えるくらいに、現在の日本とダブる。 

 

▲8 ▼0 

 

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江戸 のお米はどこの藩のもの?関西とは違うしね? 

 

▲5 ▼1 

 

 

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粟田口って合槌稲荷? 

 

▲1 ▼4 

 

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この人が亡くなったのかと思った。ややこしい記事やな。 

 

▲6 ▼16 

 

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その辺の知識が無いままでも楽しく観られていたので、ネタバレはしてほしくなかったな。 

 

▲6 ▼63 

 

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タイトルに書くのはやめてよ… 

 

▲24 ▼69 

 

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まじ今日楽しみにしてたのにネタバレ載せられてがっかりです。こういうのは放送後にしてくれよ。最悪だ。 

 

▲25 ▼129 

 

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令和でも米の値段を釣り上げているやつにイシ投げても良いですよね 

 

▲29 ▼2 

 

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切腹させるなら、佐野からしっかり動機を聞き出してほしかったな。 

 

▲20 ▼0 

 

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現代の山上徹也と同じルサンチマン型の殺人だったんじゃないの? 

 

▲32 ▼9 

 

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なんか歴史を学べば学ぶほど、人間ってクソだと思い知らされるわ。 

殺した殺されただの。 

 

▲2 ▼4 

 

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題名に「べらぼう」とか「大河ドラマ」とか入れろや。40歳無職に写真の人が斬られたかと思った。 

 

▲3 ▼21 

 

 

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やっぱ父ちゃんに似てるよな 

 

あなたとー、風にー、なりーたいー 

 

▲8 ▼9 

 

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芸能界に黒い猫・黒砂糖がいるから。 

 

▲4 ▼30 

 

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ネタバレ記事載せるな。 

Yahoo! JAPANっていうのは、そういう無神経な 

連中がやってるサービスだってことだね。 

 

▲22 ▼130 

 

 

 
 

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