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「寂しくなる」…商店街に漏れるため息 日産・追浜工場の生産終了方針受け

カナロコ by 神奈川新聞 7/15(火) 21:51 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/ae0fc0fcc2e99c302a64ccb52caf8ec8dc013ed3

 

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日産自動車の追浜工場は2011年時点で約2400人の従業員が働き、60年以上地域経済を支えてきたが、その消失を嘆く声が住民から聞かれた。

1961年の操業開始以来、同工場は「ダットサンブルーバード」やEV「リーフ」、小型車「ノート」などを生産し、1780万台以上を製造してきた。

また、地元の京急線追浜駅周辺は日産の支えで繁栄し、社員が地域行事にも参加したことが地域との関わりを示している。

しかし、工場の閉鎖は地域に大きな影響をもたらし、住民たちは寂しさを感じている。

地元の商店やタクシー運転手も日産製品への愛着を持っており、その存在の重要性を再認識している。

(要約)

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2011年の日産自動車・追浜工場の様子 

 

 従業員約2400人が働く追浜工場(横須賀市夏島町)は60年以上にわたり、地元経済を支えてきただけに住民らからは「追浜ブランドがなくなるのはさみしい」とため息が漏れた。        

 

 同工場は1961年に操業開始以後、「ダットサンブルーバード」を皮切りに、電気自動車(EV)「リーフ」や国内向け小型車「ノート」など累計1780万台以上を生産。日産の国内有数の輸出車専用埠頭(ふとう)や試験コースなども有する国内有数の主力拠点だった。          

 

 「お膝元」の京急線追浜駅周辺は日産に支えられてきた。駅前の青果店「フードショップフジタ」の藤田雄二さん(62)は「日産は追浜にいろいろ貢献してくれた。(地元の祭りで)社員が赤いはんてんを着てみこしを担ぎ、協賛金も出してくれた」と振り返った。 

 

 50年以上前の工場全盛期には早朝から通勤客でごった返し、忘年会シーズンには工場関係者らで飲食店や宴会場などが埋まった。社会人野球の都市対抗大会に日産野球部の出場が決まると、商店主たちもチャーターしたバスに乗り込んで応援に駆けつけたという。藤田さんは「工場のラインが止まるのは人がいなくなるのと同じ。日産のお客さんが『熊本に引っ越すかも』と言っていた。寂しくなるのかな」と声を落とした。 

 

 地元の個人タクシーの運転手の男性は15年以上、日産車を愛用。「当時の工場長を乗せた時に『いい車だから』と勧められた。地元の車で愛着もある」と複雑な表情を浮かべた。 

 

神奈川新聞社 

 

 

( 308025 )  2025/07/16 07:46:42  
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このスレッドでは、日産自動車の追浜工場の閉鎖に関する様々な意見が寄せられています。

主なトピックとして以下が挙げられます。

 

 

1. **企業の支出と経営陣の責任**: 多くのユーザーが、日産の経営が不振に陥った原因として、役員の人数や報酬といった経費の無駄遣いを指摘しています。

特に、工場閉鎖の決定に至る前に、経費削減や経営効率化の努力が不足していたのではないかという意見が多いです。

 

 

2. **商品力の低下**: 利用者からは、魅力的な車が少なくなったことで販促が難しくなっているとの指摘があります。

「やっちゃえ日産」のスローガンに対する疑問も見受けられます。

 

 

3. **地域への影響**: 工場閉鎖は、地域経済や住民生活に大きな影響を及ぼすと共に、商店街の衰退や雇用の喪失につながるとの意見も多いです。

地元の誇りであった工場が無くなることへの嘆きも感じられます。

 

 

4. **日本全体の経済状況**: 日産の苦境は、他の日本企業にも共通する問題であり、日本全体の製造業の競争力の低下を懸念する声が多く見られます。

 

 

5. **未来への展望**: 一部の意見では、今後の経営改革や製品開発への期待感も示されており、特に技術力の復興に期待を寄せる声がある一方で、再生には厳しい道のりがあるとの懸念も示されています。

 

 

(まとめ)全体的に、日産の追浜工場閉鎖に対する反応は多岐にわたり、経営陣への批判、地域社会への影響、企業全体の競争力の低下などが主な焦点となっています。

また、未来への道筋に対しては悲観と期待が交錯する姿が見受けられました。

( 308027 )  2025/07/16 07:46:42  
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無駄に多い役員、取締役。立派な本社。金がかかる野球部やマリノス。 

どれも工場閉鎖に比べれば微々たるもんですし、スポーツの廃止は賛否両論でしょうけど、工場閉鎖の前にそういった企業努力や支出削減などは考えなかったのかな。偏見ですけど、こういう企業に限って役員などが経費の浪費とかしてる会社が多い。一度破綻した日本航空もそうだったし、米国の自動車会社3社もプライベートジェットで乗り付けて国に支援を求めてたしね。 

 

それと日産は販社へのインセンティブが高すぎる。その理由は魅力的な車が無いから価格でしか勝負できない。何が「やっちゃえ日産」なのでしょうかね。 

 

▲6289 ▼469 

 

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日産自動車株式会社は1933年に設立された日本の大手自動車メーカーで、本社は神奈川県横浜市にあります。世界的に展開しており、電気自動車「リーフ」や高級車ブランド「インフィニティ」などを手がけています。フランスのルノー、三菱自動車とアライアンスを組み、技術や資源を共有。近年はe-POWERや自動運転技術「プロパイロット」など先進技術に注力し、環境対応車の開発にも積極的です。国内外で幅広い車種を展開しています。生産終了とは、企業が特定の製品やサービスの製造・提供を停止することを指します。理由はさまざまで、需要の減少、技術の陳腐化、コストの上昇、新製品への移行などがあります。生産終了によって、修理部品の供給やアフターサービスも段階的に終了する場合があるため、既存のユーザーへの影響は少なくありません。企業は一般的に公式な告知を行います。 

スマホアプリの開発者です。ひとつの時代が終わったわ 

 

▲65 ▼167 

 

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今から40年も前ですが横浜市や近辺の小学校は日産追浜工場へ見学遠足へ出かけました。初めて目にするハイテクロボットが部品を組み立てる姿は今も鮮明に覚えています。あの頃は良い時代でした。いち時代が終わることは地元の人にとってどれほど寂しく心細いことでしょうか。 

 

▲3946 ▼260 

 

=+=+=+=+= 

 

日産車にはこれまで3台乗ってきましたが、どれも思いがけない故障が続き、結果的に手放すことになりました。サポート体制も少し物足りない印象があり、それ以降は他メーカーを選ぶようになりました。もちろん、これは私個人の経験に過ぎませんが、同じような思いをした方が少なからずいたとすれば、それが長年積み重なった結果として、日産の苦しい経営状況に表れているのかもしれません。 

 

追浜工場が地域と長く歩んできた歴史は本当に重みがありますし、地元の方々の寂しさや不安は察するに余りあります。ただ同時に、日産がこれからも支持される企業であるためには、製品の質やアフターサポートといった基本的な部分への信頼を、丁寧に築き直していく必要があるのではないかと感じます。 

 

▲461 ▼108 

 

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賃上げがマストとなった現代、人件費がかさむ国内工場での製造は車体価格に反映され、競合メーカーとの争いに勝てなくなるというのは、経営側からすれば真っ先に工場閉鎖の候補に挙げられるのは必定だったでしょう。これは他のメーカーも他の地域の工場も遅かれ早かれ同じ運命を辿るのではないでしょうか。賃金を上げれば消費が拡大するという意見もありますが、やはりいつの時代も、安い労働量あっての製造業だと思います。 

 

▲83 ▼137 

 

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友人の息子さんたちも所帯を持ち最近マイホームも手に入れ、さあ頑張ろうと言うタイミングで工場閉鎖がされるらしく本当に困っているようです。 

 現実には少し前から閉鎖の情報話は知っていたらしいのですが根拠のない噂話程度だったので大して心配はしていなかったようなので本当にショックだと言う事でした。 

 ごく当然ではありますが従業員本人やその家族たちなどにも多大な影響が及ぶでしょうね。 

 

▲18 ▼1 

 

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日産工場のある追浜は、横須賀市の北に位置し、京浜急行線では横浜や品川へのアクセスが良く、市内では比較的人口の減りが少ない地域のようです。 

駅前大規模開発も行われるようなので、いっそのこと、都心に近いこの地域を横須賀の商業中心地にした方が、市全体が発展するのでは、と思います。立地が良いのに、使い方が少し勿体無いですね。 

 

▲552 ▼252 

 

=+=+=+=+= 

 

この責任は、長らく国内販売担当であった星野元副社長にあると思います。 

もちろん内田元社長の責任でもありますが。 

日産は、国内では、セレナとノートしか売れていません。 

この2車種で、追浜、栃木、九州の3工場を維持するのは難しいでしょう。 

これほどにまで車種を絞り込んだ段階で、工場縮小は不可避だったといえるでしょう。 

マーチを打ち切り、キックスをタイから輸入し、人気のあるシエンタに対抗する車種は作らず、SUVはエクストレイルに絞り、エルグランドは15年間モデルチェンジをせず、ということをしていれば、3工場を維持するのは不可能であることは、素人でもわかります。 

まずは、この責任を明確化しないと、誰も納得しないと思います。 

 

▲797 ▼19 

 

=+=+=+=+= 

 

自分が自動車免許取ったとき、昭和56年頃だったかな?車はトヨタと日産が双璧でした。 

ブルーバードもスカイラインも若者の憧れでした。とにかくカッコ良かった! 

こう言っちゃなんですが、今はそんなに乗りたい車ってないですもんね。 

やはりゴーン氏が就任してからガラッと変わった気がする。 

「技術の日産」を標榜してた時代が懐かしいです。なんとか復活してもらいたい。 

 

▲932 ▼94 

 

=+=+=+=+= 

 

今回は確かに経営面でも良くない点はありましたが、本当の問題は日産自動車だけにとどまりません。明らかに国際社会での日本企業の優位性と存在感が下がってきているのです。日本にしか作れないものが段々と減り、高価な日本製を買うよりは安価で高性能な海外製品を買うのが主流になっています。テクノロジーの進歩により世界中の技術力が加速する中で、日本はその立ち位置を維持するために生き残りをかけた戦いを強いられる事になります。国力が下がれば防衛や今の便利な日本を維持出来なくなります。我々には自分の利益はともかく国を守る必要に迫られているのかもしれません。 

 

▲1812 ▼452 

 

 

=+=+=+=+= 

 

横須賀はかつては久里浜工場もあり日産城下町でした。車を見ればどこの会社で勤めてるかわかるくらいに。その後久里浜工場もなくなりついには追浜工場も生産終了となると横須賀市の産業はより衰退してしまうとなると非常に残念です。 

 

▲927 ▼61 

 

=+=+=+=+= 

 

周囲で賃貸に住んでいる人達も4〜5年以内には出ていく。 

周囲のお店からすれば、明確にお客さんが減る。 

少子化、物価高も加えれば値上げ等もあるでしょうし、それが更に客足を遠退かせ、採算が見込めなくなり、撤退する企業もあるでしょう。 

当然、不便な地域となり、不動産価値も下がる。 

ホンダの買収報道から今日までに不動産を売り抜いた人が正解だったのではないでしょうか。 

一つの企業や工場に依存している地方にとっては教訓となる事案だと思います。 

 

▲550 ▼42 

 

=+=+=+=+= 

 

今まで日産に支えられてきた追浜。 

これからはどのように地域経済を維持していくか。 

跡地に何ができるかにもよってかなり変わってくるでしょうね。 

外資が絡んでくると微妙な気はしますけどね。 

 

そういえば、どうでもいい話しですが、昔は京急バスの車種も追浜営業所は日産ディーゼル製のバスが集中的に配置されていました。今も数台だけ残り最後の活躍をしています。 

 

▲253 ▼40 

 

=+=+=+=+= 

 

日本の企業であったのにいくら日本市場に魅力が無くなったとは言えあまりに日本軽視をした結果だと思う。 

海外で発売から3年経った車を日本で新型として発売とか、エルグランドは全くモデルチェンジもしなかった。 

挙げ句にはe-POWER一辺倒でアメリカや欧州では受け入れられない。 

CMも自動運転ぽく見せ視聴者を騙すような内容。 

買いたいと思える要素が皆無。 

 

まともに稼働していない日産よりも跡地の利用方法に期待したほうが地元追浜も良いと思いう。 

 

▲151 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

武蔵村山工場の閉鎖も、かなり痛かったです。まずは飲食店が大打撃を受けてから一般の小売店が無くなり関連した部品工場も相次ぎ廃業、更にバスなどのルートが消滅したり減便されました。つまり街自体が無くなった感じです。それでも跡地にはイオンモールが出来て現在では建売などが建てられるようになり徐々に回復をしてきています。影響は村山工場閉鎖ほどでは無いにしろ有ると予想します。 

 

▲48 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

平塚工場もなくなるのですよね?、人生に絶望して死のうかと思っていたときに、飼ってた猫のご飯がなくなるのは可愛そうだな、と思って、こいつのために働こうと思って期間工員として組み立工員として働いたのを思い出します。30年位昔の話し、猫を通じてかみさんと出会って子供たちに恵まれて今は幸せですよ! 

日産は思い出深いですね。 

 

▲355 ▼33 

 

=+=+=+=+= 

 

会社経営も特定の企業に依存するのは危険です。依存先の企業の経営状態に自社の経営が大きく左右されるからです。この商店街や工場付近で商売をされている方、とくに対面商売の方は「日産だから潰れる事はないだろう」という奇妙な安心感を抱いてここまで来てしまったのでしょう。これから先の未来まずはアパート経営者が行き詰まるでしょう。何故なら派遣会社の期間契約アルバイトが解雇され地元のアパートから引き払うからです。そして同時に飲食店が傾くでしょう。これまでは期間契約アルバイトが2交代勤務が終わった後に食事に来てくれましたがこれからはそれも期待できません。これから来る未来に備えて今から準備する必要があるようです。埼玉県さいたま市にも過去、富士重工業の巨大自動車工場がありましたがそれも土地を売却して社屋だけをそこに残し工場は遠く離れた鴻巣市に移動しました。その後工場周辺の個人店は次々と倒産の憂き目に遭いました。 

 

▲208 ▼39 

 

=+=+=+=+= 

 

日産のメイン工場は北九州・苅田の日産九州になっていくのでしょうが、同じ福岡にはトヨタのレクサス製造も受け持つ最新の九州工場、大分にはダイハツの中津工場もあり、九州は自動車の一大生産地となっている。自動車製造は下請けの支えが大きいので、これからも自動車製造の九州シフトは進んでいくのかも知れませんね。 

 

▲53 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

日産というと横浜のイメージが 

強かったので、採算よりも心情として 

悲しいですね。これからの日産は 

単体よりも海外企業やライバル企業と提携して生き残りをかけないと 

厳しいのが現実ですね。 

その責任は一般従業員ではなく、 

経営サイドの資質の問題てす。 

多額の退職金を支給する必要はない。 

本人も貰ってしまう事が経営リスクが無さすぎる。 

 

▲216 ▼18 

 

=+=+=+=+= 

 

日産は経営資源の使い方に問題ないのかな? 

先ずは役員の人数と報酬額。 

一般の中小企業なら報酬減額あるいは引責辞任だってあり得る状況なのに。 

技術面ではプロパイロットやバイワイヤーなどは本当に必要でしょうか。 

もっと市場のニーズを徹底的に調査した方がいいのでは。 

 

▲219 ▼35 

 

 

=+=+=+=+= 

 

20年日産乗ってましたが、この件と別で今年日産を引退しました。車自体は良かったです。EV全振りが衰退とか言われてますが海外でハードルあるだけで燃費は良いし良かったですよ。ですが、やはり車種の魅力がないのが理由でした。今は中古ですがVWに変えてます。 

昔はマーチ乗ってました。たまにマーチ、キューブ見かけますがあれ最後の生産年いつなんでしょ、見かけてやっぱ良いなと言うイメージですよね。ロングラン商品はバージョンアップだけでいつまでも残して行けばカタログのマンネリは防げたのではと思う。多くの日産ユーザー同じ意見あるのでは。マーチのeパワーかハイブリッドあったら乗り継ぎたかったかな。 

 

▲58 ▼26 

 

=+=+=+=+= 

 

このニュースは悲しいです。 

大学時代に付き合っていた方が追浜に住んでいて、東京から第三京浜で追浜まで送って行ってました。大人になってからは子供のサッカーでもマリノス追浜に行ったり、とても馴染みのある場所なだけに、日産が撤退してしまうのは寂しいです。 

しかしながら、横須賀スタジアムがあったり海の公園があったり、他にも素晴らしい場所はたくさんあり大変住みやすそうな立地ですので、これからも頑張って欲しいです。 

 

▲428 ▼164 

 

=+=+=+=+= 

 

マーチやキューブを打ち切ったのは生産ラインの切り替えで古い設計の車が作れなくなるからで、マーチやキックスを輸入したのはタイにしか古いラインがなかったからです。 

そこから新設計の車がすぐに出せればよかったのですが、コロナの時の部品不足でラインの立ち上げがうまくいかず、ノートは受注をうまく捌けませんでした。 

新型車をePower前提にしたのも単価を上げる意味ではよかったのですが、ガソリン車が出せないと商用向けの安い車が提供できず、ルーミーにシェアを奪われました。 

追浜はゴーンが作り上げた夢の低コスト製造工場だったのですが、それをぶち壊したのが今の経営陣です。 

 

▲25 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

日産自動車はじめトヨタ、ホンダ、マツダ、スバル、三菱、ダイハツ、スズキこの8大メーカーは昭和時代に自動車の普及に大きく貢献したメーカーばかりです。その中でも日産はそのトップで牽引していました。トヨタと並んで中心的なメーカーで多くの有名な車種を製造して世界の日産とまで言われた時も有りました。 

その日産自動車がゴーンの時代からだんだんおかしくなり名車と言われていた車もドンドン製造中止になり、それと同じくして経営状態も右肩下がりに悪化して、ゴーンの不正事件以降は立ち直ることなく今の事態になりました。一時期電気自動車EVの世界をリードするのかと思われた時期もありましたが、不発に終わっていますね。今、日産の売れている代表車種と聞かれて、ノートとデイズシリーズしか浮かばないのは寂しい限りです。 

令和になって売れているメーカは、トヨタ、ホンダ、スズキだけになりましたね。後はメーカーに活気が有りません。 

 

▲12 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

私は45年程前 高卒で入社して追浜工場へ配属になりました。追浜の商店街は仕事終りによく利用させてもらってました。衣料品を買ったり 仕事帰りに先輩と 立ち飲み屋で飲んだり ちょっと贅沢お寿司屋さんでお寿司を食べたりと 今でも どんなお店が並んでいたか当時の事を覚えてます。人通りも多くて賑やかでしたね。数年前に訪れた時は寂しい感じでしたけど 閉鎖になれば更にそれが進むのでしょうね。本当に残念です。 

 

▲53 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

座間工場城下町で飲食店主してた経験あります。追浜が駅までの動線がどうなっているのか知りませんが、日産関係者が通う飲食店とかスナックとか、商店とか、店にもよりますが神様仏様日産様 みたいな依存度の高い店もかなりあるはずですので、自分の経験上の印象としては、それらの店は100が0とか1とかになるくらいのイメージですね。あくまでイメージですが、そのくらい淋しくなります。 滋賀県から琵琶湖とっちゃうみたいな感じですよ地域で言うと。おそらく日産追浜での地域と絡んだ催事とか、そんなものもたくさんあったでしょう。地元経済界、商工会だ商店会だ自治会だと様々に絡んでいて、日産の工場があると言うのが街のシンボルでありステータスであるので、座間工場撤退時も淋しい感じでしたね。ヘリテージカー展示場とか研究所試験所?みたいな施設はありますが、微妙です。日産関連の話をいまではほとんど聞かなくなりましたね。 

 

▲16 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

工場などの固定資産を手放し、合理化を図るのはあくまでも一時的効果に過ぎない。日産は売るものが無いから持続的な利益も出すことができない。ゴーン氏の時代に盛んとやった合理化による利益追求の手段はもう無くなっているので、これから製品製造による利益の追求という、製造業の根本に立ち帰り、復活して欲しい。 

 

▲60 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜には叔父が住んでいて親父に連れられて行きました。自然も豊かだけど駅前の下町的雰囲気も良かったです。叔父は自動車とは別業種で働いていて九州に転勤となり、再び東京の本社勤務の際は横浜住まいとなりました。「日産」に対する意識はあまりなかったのですが、スカイラインには乗ってましたね。 

座間や武蔵村山の工場閉鎖以上のダメージを想像してならず、横須賀市が首都圏では異例の「過疎」扱いにされるのも目に見えますね。 

商店の閉店から流通、教育、医療など、もしかしたら京急にもダメージが来かねない事態にも? 

 

▲82 ▼18 

 

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近隣の深浦にある主力工場をトヨタ系子会社は2000年に閉鎖、本社機能も静岡県裾野市に移転したんだよね…閉鎖までに横須賀市との交渉や従業員対策を充分行って。横須賀在住の従業員には基本的に裾野市移住か単身赴任を推奨、不可能なら会社が仕立てた東名高速通勤バスか新幹線通勤も認めてくれてたよ。さらにトヨタグループ内企業統合で本社が宮城県に移った時も戸建て斡旋や借り上げ社宅等手厚い従業員施策をしてくれた。地方移転はトヨタが国内生産を死守する苦渋の決断と従業員も認識してたから大きな混乱はなかったかな 

 

▲1 ▼0 

 

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近年、日本はますます厳しい状況に直面している。長引く経済の停滞、いわゆる「失われた30年」は、実質的な構造改革が進まないまま、社会全体の活力を徐々に奪った。また少子高齢化による人口減少は、国家の持続性そのものを脅かす深刻な課題ではないか? 

こうした問題に対し、政治が果たすべき役割は極めて大きいかったはず。にもかかわらず、的確な対策が講じられてきたとは言い難い。私たち国民はその影響を日々の暮らしの中で実感しています(賃金上昇はまやかし…) 

ある政党が街頭演説などで、こうした問題点を的確に指摘していることに耳を傾けると、「日本人を第一に考える姿勢」が今こそ必要だと強く感じます。外に目を向けるばかりでなく、まずは足元を見つめ、日本という国の未来を真剣に考える政治こそ、私たちが求めているものなのではないか思いつつ大企業がほころび初めたのは序章にすぎない… 

 

▲14 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

工場が無くなると付随して地元にも大きな影響が受けてしまう。大袈裟な言い方かもしれませんが今の日本の残念な象徴のように感じてしまうのは自分だけでしょうか。もの作り大国の日本がどんどん脆弱になってきている。なんでこんなことになっているのか。日産の目玉的車がないのはもちろんだが、それとは違う次元で今の日本は本当に落ちてしまったと心底思うが。 

 

▲136 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

三重の亀山工場の閉鎖でシャープの地域ブランドが失われたことに対しての地域住民の怒りは凄まじかったです。世界的なブランドから一夜にして何もなくなってしまうということの虚無感とか、地域住民の生活を支えてきた経済活動の消失とか、それらは地域社会を一変させる怖さがあります。だからこそ、製造業はきちんと長期的に生産を維持していく義務があると思っています。  

それを、苦渋の選択だったの一言で終わらせる。リストラ当たり前、閉鎖あたり前の外国の経営者を呼んできて、それを淡々と進めさせる。その中にその雇用に対しての執着心とかプライドとかそういうものを私は一切感じないですね。 まずは経営陣の給料カットとか、 jリーグからの撤退とか、微々たるものでも 地道な活動を していく必要があったと思っています。 

 

▲3 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

大手企業の工場が無くなるとその企業メインで仕事貰っていた町工場なんかも大半がダメになって行くし、そして何百何千何万といた従業員プラスその家族がいなくなった街は必然的に全てが衰弱化して行きますよね。 

全てが共倒れになる。汗 

 

まぁでもそれは大手企業の責任ではないし、特に今はいつ何が起きどうなるか分からない時代でもあるから、何かに頼り切ることなく生きる術は考えておかなければいけない時代でもあるのでしょう。 

大手イコール安泰ではないからね。 

 

若い頃、大手企業と関わりある仕事をしていて、その内1件だけ似たような事例に出会ったことがあります。 

10年くらい関わった企業だったし、仕事上その街の企業の人達とも関わり合ったから辛かったし寂しかったですね。 

 

▲79 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

あれだけの規模の工場を維持するコストは膨大です。役員の報酬を削ったりしても焼け石に水レベルだし、過去の批判をしても取り返せないのて、維持できないのは仕方がないでしょう。転属か再就職の支援など手厚くしてほしいですね 

 

▲32 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

トヨタは動力の多様性、ホンダは車のみならずロボット、ジェット機、sonyのような他業種との協業。日産は新たな投資で何をしてきたのか、制御系の磨きをかけた程度ではないか、つまりカルロスゴーンが何もしてこなかった証明なんですよ。日本経済にも言える事ですが常に投資を行いイノベを起こしていかないと直ぐに他国に食われてしまう。今国は税金が有り余って国民にばら撒きますって約束してますけどそれで持続が可能ですか。未来への投資に使った方が後々国民を豊かに出来るとあもいますけど。 

 

▲230 ▼71 

 

=+=+=+=+= 

 

だいぶ前の追浜高校生です。 

遠い昔の夏休み日産で、塗装ライン最終の濡れたボデーをエアーで吹き飛ばす単純作業のバイトをしました。 

食堂で食べ物が動いていってしまうような錯覚を覚えたのを懐かしく思い出します。 

夜勤の時、その仕事を続けて定年を迎えた方のささやかなお祝いを、ラインの仲間とやったこと。 

沢山お金をもらって高校のバイト仲間と八丈島に遊びに行ったこと。 

帰りに追浜東町の肉屋で食べたメンチカツ。 

消えて無くなるのがたまらなくさみしいデス。 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

日産車だけしか買ったことがありません。510,S30,S130,SRL311,ハコスカ,ジャパン。 

良かったし楽しかった。 

日産ありがとう! 

ニッサン!最高! 

2つ上の姉は追浜工場に社会科見学に行き、トミカをもらっていたのを思い出します。2年後楽しみにしていましたが、自分たちはいすゞでした。悔しいし、何ももらえなかったで何も覚えていません。 

今、金沢区に住んでるから、ラストチャンスがあったら、ぜひ見学させてください。 

現在はデイズルークスに乗ってます。 

 

▲15 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

少しは減ったが、未だにトヨタの4倍もいる執行役員。 

何をやってもスピードの無い動きを見てると、妙に納得する。 

 

売れる車がなくガッツリ赤字なのに、CMやスポンサー等で無駄な広告費の垂れ流してる。 

全く身の丈にあった経営が出来てない。 

 

工場閉鎖は残念だが、これも時代の流れ。 

従業員の方は前を向いて頑張って欲しい。 

 

▲15 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

商店が売り上げが減少して、商店街が寂れて行く事は、大型スーパーの進出と同じ。ただ違うのは、工場を移転先が潤う事と、もし日中有事が起きれば、横須賀には米軍基地があったのかと思うが、攻撃は回避されると考える。それにより戦争の必需品が生産出来るのではと思う、九州に移転すれば、どうなるのだろう。 

 

▲2 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜工場は小学生の時に社会科見学で訪れたことがあります。 

目の前で溶接や塗装、組み立て等ロボットを駆使しながら車をシステマチックに作り上げていくのは子供心に感心したものでした。 

無くなっちゃうんですねぇ… 

ゴーン逃亡辺りから先行き不透明感が強かったですがそろそろ日産は消える可能性もあるかもね… 

 

▲6 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

これも時代の流れでしょうね、私が高校を出て就職した37年前は景気は右肩上がりを続け真面目に働けばバラ色の人生が送れると言われていましたがそれも束の間、消費税の導入と共にバブルが崩壊して景気は右肩下がりそれでも何とか生活は出来ていましたがコロナが世界中に拡がってからは目も当てられない状況です、それでも一時でも好景気を経験しただけマシかもしれません、40代から下の世代の人達はその経験もなく今の時代を生きている、過去にすがらずこれからをどうして生きていくか考える時なのかもしれません… 

 

▲16 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

遅きに失しすぎなんだよね。追浜生産終了に意味はあるとは思うけど、やるんだったらホンダとの交渉前に生産終了なり工場閉鎖決めてしまって、それを手土産に交渉を進めるべきだった。そのタイミングでの生産終了なら今このタイミングほどの悲壮感はなかったと思う。(従業員の方々や地域経済へのダメージは大きいとは思うけど。。。) もしかしたら稼働しなくなった工場について何等かの差し伸べる手をホンダがもっていたかもしれないし。 

 

▲36 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

こうなる前に国がもっと配慮すべきだったと思います。だから日本の企業がどんどん外資に奪われ衰退せざるを得ない状況に追い込まれる悪循環で倒産が増え続けてしまった。やはり今の与党政権は速やかに撤退し、新政権で日本をしっかり立て直してもらいたいと心から思う。 

 

▲5 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

何十年も続いた工場の生産が終了するのは寂しい事。  

これは周りの商店街や飲食店とかにも影響するだろう。  

でも、この先AIやロボットが普及して働き手の代わりをする様になればどこにでも有り得る事だとも言えるだろうな。 

 

▲12 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

自動車業界は昔から存続の激しい業種だし、海外の国より、小さい国だが日本はメーカーがかなり多い。 

その中で生き残る事は並大抵のことではない。 

日産は、今後事業を見直しして、無駄な所は切って事業縮小していかなければ経営は厳しいと思う。 

下手すれば倒産と言うことになる。 

EV車の補助金も減らされていく方向になり、販売台数もそこまで期待できない。 

残念な結果とならない様に 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

神奈川県内には日産関連の供給網に含まれる企業だけで、2000社を超え、その従業員も15万人以上になるとか。日産の神奈川からの撤退による、実際の経済的ダメージは、もはや計り知れない規模になることは確実です。 

 

▲68 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜工場の閉鎖は、単なる一企業の拠点再編じゃない。60年以上にわたり地元とともに歩んできた歴史、文化、そして人々の暮らしが静かに消えていくということ。経済合理性だけじゃ測れない“地域との絆”を断ち切る決断には、やるせなさしか残らない。日産が「やっちゃえ日産」で世界を驚かせた時代もあったけど、今は「やられっぱなし日産」に見える。未来志向は大切だけど、ルーツと信頼を置き去りにして進む道に希望はあるのか。もう一度、足元を見つめ直してほしい。 

 

▲525 ▼194 

 

=+=+=+=+= 

 

日産じたいどこかと合併して この工場も合併先の車を作るために再稼働しないのかな?とかちょっと思った。 

日本のものつくり、車の品質は世界一だというような気持ちは当然だろうけど、ずーっとそれなのかな?とふと思う。 

分野は違うけど ITなんかでグーグルやメタ、などなどどんどん世界規模の新たなのが出てきている海外に比べて 日本はずーっと老舗大手なのも気になるところ。 

 

▲2 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

26年前の1999年、ルノーと日産の資本提携が行われ、カルロスゴーンが日産の最高執行責任者(COO)となった。その翌年、車を買い換えるために各社ディーラーを周り、日産セレナ、トヨタハイエース、ホンダステップワゴンをそれぞれ乗り比べてみた。結果、走行性、操縦性、乗り心地ともに当時は日産セレナがダントツで素晴らしく、セレナを購入し、二台目も含めて25年間、日産セレナに乗り続けている。セレナは追浜工場で生産していないが、自分は四半世紀「技術の日産」のファンであり続けている。今後も「技術」で生き残って欲しいし、「技術」で世の中の人たちを魅了し続けて欲しい。 

 

▲12 ▼21 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜工場の閉鎖は寂しいニュースです。リストラもそうですが人員削減は寂しいです。人件費や設備管理費は削減できますが、自動車などを販売しない限りは利益がでません。黒字が出ない限りは社員の給料は払えません。追浜工場の閉鎖の、経済損失はいかほどであろうか。 

 

▲2 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

横須賀市では既に過疎化が始まっている。東京都に隣接する神奈川県でさえ、実は人口減少に転じている。こうした大企業の工場撤退は、今後、神奈川県・横須賀市の税収の大幅な減少となり、より一層少子高齢化が進み、例えば地域サービスなどで東京都との格差が際立つようになるだろう 

 

▲43 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

もともと追浜の商店街は半分くらいシャッター商店街だったし駐車場も整備されていなかった。クルマ通勤の日産社員で追浜で買い物やサービスを受ける人がそれほど多かったとは考えられない。 

座間工場、日産車体の平塚工場は、閉鎖後の方が周囲の賑わいができたくらいだし、追浜がさびれていくかどうかは、わからないよ。 

 

▲7 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

小学校の頃、社会科見学で行った追浜工場。たくさんの機械が動き、車ができていくのを見てワクワクしたなぁ。お土産にもらった定規が嬉しかった。小さい頃から家族が日産が好きで、ローレル、セドリック、ラシーン、キューブなどに乗ってました。寂しいなぁ。 

 

▲26 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

今の日産に必要なのは 

トヨタのシエンタやホンダのフリードの様な 

ワンボックスでは大きいがコンパクトカーでは人数が足りない 

そういう車がないですよね 

キューブの3列シートとかね 

あと今だからこそBe-1とかフィガロとか復活してくれれば買うのに 

フィガロなんて今なら流行ると思うけどね 

マーチカブリオレとかも 

もうここまで来たんだから 

やっちゃえ日産じゃなくて 

遊んじゃえ日産!でいいと思う 

 

▲874 ▼297 

 

=+=+=+=+= 

 

日産の工場閉鎖といえば、バブルの最盛期に日本を訪れたイギリスのダイアナ妃が座間工場に行ったことを思い出す。 

小田急線の線路沿いにあった大工場だったが、バブル崩壊で経営不振になり閉鎖された。 

日産自動車は、昔は多くの車種を販売する安定した経営をやってしていたのが、カルロス・ゴーンに経営危機を乗り越えてもらったにもかかわらず、またもや経営危機になるとは、皮肉なものだとしか言えない。 

 

▲34 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

日本から産業が 製造拠点が消えてゆく。従業員は超優良企業でもは1/2 1/3 1/5 にカット。 でもこれは高度技術革新・革命がもたらした時代の自然な流れだけではなく この国の政府役人が自由競争を認めず 許認可とか役人主導で 周辺諸国とともに失われた30年を演出し 企業の利益率は30年間下がり続けた結果です。 政治や役所の在り方を変えないとこれからも失われていく日本は続きます。 あきらめるのではなく 投票に行きましょう。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ゴーンとたいして変わらないと思います、工場閉鎖、土地を売却、一時的に黒字そして再び下降していくだけだと思う、シロートでもわかる事、その絡みで従業員と関連の下請け会社とその従業員が気の毒です。商店街もヤバイですね、それでなくてもドーナツ化現象で閑古鳥が鳴き始めている所に追い討ちだからね、でも仕方ないのかな?ゴーン以来役員、役員、幹部連中は会社の再建より自分の報酬だけしか考えていなかった感じにとらえる結果だからね、新しい体制でも、多分役員、幹部の方々の報酬はたいして下がらないと思うけど?車好き、車作りが好きな方々がトップにたたないとダメかもね、 

 

▲4 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

日産としても断腸の思いでの決断であり非常に残念で寂しいモノですが、今回の日産の思い切った取り組みにより事業回復を実現させたなら、いつの日か必ずやまた再び追浜に舞い戻って来るとそう強く願っています。 

 

▲7 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

企業努力をしないで短絡的に工場を閉鎖してしまえは経営陣の能力に疑問を感じてしまう。昔は日産も若者が欲しがる車が沢山あり、トヨタvs日産だったのに今は街を走る車に日産車を探しても少なく感じる。我々の世代ではスカイライン・フェアレディZなんて憧れだったけどGTRは別として格好は一流でも重い・走らない・燃費悪い・高いの評判が致命的だった。その点他社は企業努力して改善されてた気がする。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

元追浜住民ですが、日産工場が閉鎖になれば追浜が衰退するという報道もありますが、昔はともかく今の追浜はそこまで日産に依存している街ではありません。今は横浜・東京へのアクセス性の良さ・不動産価格や家賃の安さからベットタウンの側面が大きい街です。影響はあるにしてもゴーストタウンとまではならないはず。 

 

延期にはなりましたが大規模な駅前再開発も控えています。工場閉鎖で今後不明ではありますが特急も停まり、海山も近くて住むのには良い街です。 

 

▲95 ▼82 

 

 

=+=+=+=+= 

 

子供の頃、欲しいと思っていた車は、ずっと日産だった。 

 

フェアレディZという車に憧れ、ケンメリのスカイラインに憧れ、スカイラインRS-Turboに憧れ・・・ 

 

免許を取って、買った中古車は、Zエンジンが欲しかったので、角目4灯のガゼール。シングルカムのターボで楽しい車だった。 

 

そんな面影は今の日産には無い。 

魅力的な車が出ない。 

 

あんな値段になったスカイラインの名を冠しないGT-Rになんの魅力があるのか。 

カルロス・ゴーンなんてやつに舵を取らせたのも間違い。 

日産の良さ、全て無くさせた。 

 

あぶない刑事の一番最近の映画は、あの二人も老けちゃったね、だったが、レパードが出て来た時、「ああ、良い車だった」と感慨深かったよ。 

 

さようなら、日産。 

 

▲39 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜工場と平塚工場の生産終了により、九州工場の稼働率を100%にするそうだが、横浜市民として寂しさを感じる。 

追浜工場は、旧日本海軍航空隊発祥の地で終戦までは飛行場があったそうです。その横須賀航空隊も連合軍の攻撃に備えて硫黄島に進出しましたが、当時の零戦ではあっという間に全滅したそうです。 

生き残りをかけて、日産がどう変わっていくか注目しています。今年の4月、旅行で鹿児島市内に宿泊したところ、山の上のホテルに鹿児島日産ディーラー社員が集合していました。総決起集会なのか分かりませんでしたが、見たことのない光景に違和感を感じました。 

 

▲2 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

地元民ですが、これを機に脱日産で追浜を革新していきましょう。 

担々麺の人気な店や、トンカツ、うなぎの人気店もあり、モス、なか卯、マック、小さな駅ながら充実しています 

ベイスターズの二軍の試合の最寄り駅だし 

そうゆうのも生かして再生の道を探りましょう 

追浜、仮に日産がなくなっても 

魅力ありますよ! 

 

▲28 ▼32 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜は何度か体育館で試合を行った事があります。 

寂しい限りですが、保護主義の自動車業界では、真の自由競争下では実力不足です。デフレでも価格を上げてきたツケが来ただけです。原点回帰して安くて良い車を日本人向けに作り市場投入からと感じます。 

 

▲18 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

70年代まではトヨタと日産は互角のライバルだった。次点にマツダ、いすゞ、三菱、スバル、スズキ…ホンダは新参企業だった。 

それが80年代、ホンダがシティを出したあたりから快進撃が始まり、レジェンドまで出して一気に3番手まで上り詰めた。 

 

▲21 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

広島がマツダ、愛知がトヨタ、神奈川が日産、っていう御当地の誇りがあると思う。 

 

京浜急行沿線に社宅団地があったり、追浜駅前には飲食店の賑があったりと、様々な広がりがあったのだけれど、このニュースは一時代の終息のようで悲しすぎる。 

 

▲54 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

今は北海道住まいですが30年間隣の金沢区で過ごした。小学校の社会科見学で追浜工場に行かせていただきました。母は商店街の金物屋さんに勤めていました。大変活気のある街の印象でした。大変寂しくて若い頃の楽しかった思い出がよみがえりました。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

自動車産業は裾野が広いのでこの工場に部品を納めていたどのくらいの中小企業が仕事を失うことになるのだろうか 

直接工場で働いていた正社員では無い方々も契約を切られてしまう人がかなりいるのでは? 

失業保険とか公的な補償が増える中で減税とか本当に出来るものなのか・・ 

あのトヨタでさえ大幅な減益・・ 

参院選前に税収への影響を、誰か推定して欲しいですねー 

 

▲31 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜は日産工場があっての街だから営業甚大だ。 

従業員も地元からの人が多い。 

商店も、下請け孫請け他の仕事探すか、あるいは、業態を変えるなんて選択もあり得る。 

人使って仕事こなしていたら人員整理も考えないといけなくなる。横須賀市の税収にも響く。 

日産工場の跡地も頭痛いだろうし 

交通アクセスは良いところだから… 

しかし核になる起業はそうそうない。 

これ横須賀市だけでなんとかできることじゃない。県や国も動いてもらわないと… 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

平家物語ではないが、奢れるものひさしからず・・・。時代は巡っていくのでしょうが、本当に力あるものは決して淘汰されないと思います。 

 

ピンチこそ、最大のチャンス。イタリアのDUCATI社が不死鳥のごとく蘇ったのは何故でしょうか? 

 

世界中のエンスージアストが、日産をコールしてくれるように頑張って欲しい。 

 

▲16 ▼10 

 

 

=+=+=+=+= 

 

栄枯盛衰。 

人口減少と若者の車離れにより、国内生産拠点の合理化は避けられない。時代が完全に転換している。世界的な流れなので、どうにも止められない。 

これからの15年で、住宅や不動産、鉄道や交通関係も一気に斜陽産業となる。 

構造的にこれからは情報産業と高齢者ビジネスが主流になることは間違いない。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

社会人なりたての頃に工場見学させていただきました。日産といえばバブル期のシルビア、180、フェアレディなどに憧れたものです。復活をお祈りします。良い車出たら買いますよ。 

 

▲32 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

関係者ではないですが、小学生のころ追浜に住んでました。 

 小学校の社会科工場見学は日産追浜工場でした。 

記念に定規セットをもらったのを覚えています。 

 でも、もっと以前に座間や多摩(だったかな?)は閉鎖になっていることを考えると、仕方ない部分もあるのかな、とは思います。 

 しかし、経営陣には、そこには仕事をしている従業員がいることを忘れないでほしい。彼らの苦しみをしっかりと背負ってもらいたい。ただでさえ、トヨタよりも多くの役員がいるんだから(笑) 

 

▲4 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

うちの地元でも日産ほど大きくない企業が撤退した影響で電車が減便されたりした。 

日産ほどの大きな企業が撤退すると相当苦しくなると思う。 

新しい企業を誘致するのか、何か産業を起こすのかしないと地域が維持できないかもしれない。 

 

▲20 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

日産の売りのEV、e-POWERが長距離運転では効果が発揮できず、アメリカで売れない。これが不振の理由!?。 と言うことは、e-POWERは日本国内や 

欧州の市街地の街乗りに能力を発揮するということですね。マーケティング戦略を、25%の関税がかかる米国より日本や欧州や他の街乗り用のコンパクトカーで勝負する戦略に切り替えたらどうか! また、タクシーは短距離が中心なのでJPN TAXIの競合車も出せるし、宅配用の2トントラックなんかにも利用できる。 一概には競合環境もあり言えないが「得意」を生かすアイデアが一つも出ず、ダウンサイジングしかないと行先はないでしょう!もっと考えろ! 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜といえば日産で、小学校の頃、神奈川県民は社会科見学といえば日産の追浜工場だった。近隣にベイスターズの寮や練習場、二軍の球場などもあるけど、これから追浜の街がどうなってしまうのか、経済的にも県民として心配しかありません。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜という場所は確かかつてペリーが主導して船舶のドックを日本で最初に作った場所で我が国の近代史になくてはならない場所ではなかったかな。同時にその後創業した日産が同地に自動車工場を造り長らく日本の自動車産業の屋台骨たる場所でもあったと記憶している。その追浜が歴史から葬られてしまうのだろうか。 

 

▲13 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

日産はどの工場を閉鎖するとかの問題以前に 

消費者の需要に合った商品を提案、供給出来なくなった事が最大の問題点です。日産の車を運転してみたいと思う人が世界で減ったということです。違う職種になりますが、DAISOを見習えば良いのではと思います。経営者は舵取りを間違えましたね。 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

いよいよ倒産に向かいだしたようです。工場の閉鎖より「売れる車・求められている車」を作ることを日産は忘れてしまったのでしょうか。世間じゃなくて社内の技術者だけにリサーチした結果がこれですね。利益が大きい高額車ばかりに目が行った。売っても儲けのないEVに走った結果です。 

 

▲45 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

この場所を使わないのなら、 

ベイスターズは買い取って「ベイスターズパーク」にされては?横須賀スタジアムは隣にあるし、ファームの練習場もある。海を望む立地で飲食店を含むショッピングモールを兼ねた複合施設のようにされては??ハマスタに入れないファンや、ビジター戦などを楽しめるバーチャルスタジアムもまたよし。 

 

▲29 ▼41 

 

 

=+=+=+=+= 

 

ゴーンを悪者みたいにしていたが、実は役員連中も中々のものだったのかと思わしますよね、最近では部品代も高いし買っても良いことは無いかもと、必然的にTOYOTAに行くんでしょう。昔はサニーとカローラで切磋琢磨して、R380とトヨタ7でレースで戦い共に黄金時代を築いたが、会社としての考え方は全然違ったのでしょう。 

 

▲6 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

上の方が美味しい思いをするため裾野に当たる人々が懸命に支えていたのに恩を忘れてバッサリ切り捨てですね 

跡地がどうなるか分からないですが流行りのタワーマンションでも出来たらビル風や道路渋滞、駅の混雑で大変な事になりそう 

 

▲11 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

中途半端な気がする。 

 

一部は開発拠点として残すようだが、NTCに移して完全閉鎖すべきだ。何とか追浜にしがみつきたい社内勢力が居るのだろう。 

 

横浜本社もNTCに移せば「断固たる決意」が本当だと社内に浸透する。 

 

▲3 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

良くも悪くも日産はGTRしかなかった。一部の人間にしか買えないような車に開発費を注ぎ込み他の車は蔑ろなイメージだった。買いたいと思う車が何もなかった。経営失敗の責任を取るどころが役員報酬はしっかりもらい社員は解雇。経営陣を一掃しない限り復活は無理でしょう 

 

▲159 ▼31 

 

=+=+=+=+= 

 

日産の神奈川県座間市にある座間工場が閉鎖してどれくらいになるでしょう。 

 

今はその跡地に巨大なAEONが建ち、座間の経済を支えているようです。 

 

40歳になる〜当時幼稚園時だった子ども達の友だちが九州へ引っ越しして行きました。 

かれこれ20年も前の話でしょうか? 

 

その後ゴーンさんが日産立て直しにうごきまきたが、現状の不甲斐なさ。 

 

そもそも『日本産業』と名付けられ数々の名車を世に送り出したのですから、後々の幹部の人材に、大きな問題があった企業体質が功を奏さないのでしょう。 

 

ホンダが健全経営してるのと対象的ですよね。 

 

このままの経営体制でいけば、いずれは廃業しかないのでは?スカイラインが大好きだった身からすると経営陣一新して、ホンダの傘下に入りプライド捨てて欲しいですが、今の体制では無理ですね。 

 

追浜も縁の地であり、残念でなりません! 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

技術力に関しては申し分ないのにデザインやe-powerにこだわり続けた結果、他社に負けてますね。新型エルグランドで巻き返して欲しい。他社と同様にちゃんとハイブリッド出してデザインも頑張ってください 

 

▲30 ▼40 

 

=+=+=+=+= 

 

国産メーカーの存在価値がなくなってきている。 

ハイセンスという中国メーカーがあるが、ベイスターズやサンフレッチェのスポンサーをしていて球場やユニフォームに名前が載っている。 

外国メーカーでも日本製とさほど変わらない品質の製品を作るから、安価な外国製が売れるのは仕方ない。活路を見出さないと日産だけにとどまらないと思う。 

 

▲38 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜と、湘南を残して、他地域の工場を閉鎖した時に、もし、首都圏直下型や南海トラフ地震が来たら、その時は日産は完全に終わってしまうのでは?今回の判断は、バードビューで見たら、国内で残す工場の最適解をしたのではないかと思いました。 

 

▲10 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

結局、ルノー傘下に入る直前と体質が全く変わっていなかったどころか悪くなっていった証拠なんだよな。あの時と今の共通点は「過剰な生産能力」と「販売軽視」という事。販売能力を無視した過剰な生産能力が結果的に会社を苦しめた。確かにゴーン体制になって生産能力を大幅に削減したけど、今度は国内で販売する車種を減らしたりモデルチェンジをしなかったりと、明らかに国内販売を無視した感があった。更に、自動車評論家がその点を指摘しても、日産は頑なに認めなかった。その結果がこれだわ。 

日産を見ていると、「大企業病」と言われる症状の最たる原因は、他者の意見を全く聞かずに胡座をかく事かもしれない。日産がここまでの大企業でなかったら、もっと他社の意見は聞き入れていた可能性はある。 

 

▲33 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

スカイラインGTRを復活させることができないのか?色々な規制があるにしろ、それに限りなく近い車を生産できないか?やはり日産では、長い歴史の中で1番売れた車なんですから。少し。角張った感の車が、良いですね。何となく今の車は、マルっぽい。車という感が、なくなってる。お客さんに、欲しいと言われるような車をいち早く出すべきです。EVは、まだまだ普及して無いし、電気給油も、時間がかかりすぎなので、乗りたく無いし。 

今の日産の車で、欲しい車は、ありませんね。追浜工場閉鎖する前に、まだやることがあったでしょうね。 

 

▲1 ▼1 

 

 

 
 

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