( 309119 ) 2025/07/20 07:22:35 1 00 日本が太平洋戦争に突入するまでの経緯は、歴史的な背景を理解することが重要です。
しかし、1931年の満州事変や1937年の日中戦争を経て、日本は孤立を深めました。
戦後は占領され、軍国主義が除去されるとともに、平和主義が根付く憲法が制定されました。
(要約) |
( 309121 ) 2025/07/20 07:22:35 0 00 日本が太平洋戦争に突入した経緯について、子どもでもわかるように解説します(写真:shu/PIXTA)
2022年に始まったロシアによるウクライナ侵攻をはじめ、世界各地で勃発している戦争のニュースに胸を痛めない日はありませんが、そんな時代だからこそ私たち大人は、日本が戦争の当事者だった過去があることを、子どもたちにきちんと伝えていく必要があるのではないでしょうか。 そこで本稿では、東京大学先端科学技術研究センター准教授・小泉悠氏が監修した『僕らは戦争を知らない 世界中の不条理をなくすためにキミができること ハンディ版』から一部を抜粋・編集する形で、日本が太平洋戦争に突入した経緯と戦後の歩みについて、子どもでもわかるように解説します。
■日本の「アジア侵略」と第2次世界大戦
今から約170年前、鎖国をしていた日本に黒船が来航し、日本は開国しました。江戸幕府に代わって新しい政府が誕生し、近代化を進めていきます。
当時、イギリスやフランス、アメリカなどの欧米の国々は、世界に勢力を拡大し、アジアやアフリカ、太平洋地域を次々と植民地にしていました。日本も欧米諸国に対抗するため、徴兵令によって国民に兵役の義務を課し、軍隊をつくりました。
そして、中国にあった清という国との戦争(日清戦争)や、ロシアとの戦争(日露戦争)で勝利を収めると、中国の一部や台湾に勢力を広げ、さらには韓国を植民地化しました。こうして日本は、欧米諸国に肩を並べる大国としての地位を築いたのです。
その後、第1次世界大戦にも参戦した日本は、ますます勢力を広げていきます。
1931年、中国東北部の満州で、日本軍(関東軍)は鉄道の線路を爆破し、これを中国側のしわざだとして軍事行動を始めました(満州事変)。翌年、日本軍は満州国の建国を宣言し、これをきっかけに日本は満州を実質的に支配しましたが、この行為は国際社会から批判されました。
孤立を深めた日本が手を結んだのが、ヒトラーによる独裁政権下で東方への侵略を進めていたドイツでした。そうした中で、1937年、日本と中国の全面戦争(日中戦争)が始まりました。
一方ヨーロッパでは、1939年にドイツがポーランドに攻め込んだことをきっかけに、イギリスやフランスがドイツに宣戦布告し、第2次世界大戦が始まりました。1940年に入ると、ドイツは北ヨーロッパや西ヨーロッパの国々を攻撃し、フランスを降伏させました。イギリスも、ドイツ軍の激しい空襲を受けました。
ドイツの優勢を見たイタリアはドイツ側に立って参戦し、ドイツとイタリアは、日本と日独伊三国同盟を結んで結束を強化しました。これにより、日本はイギリスやフランスなどの国々とも対立することになったのです。
日中戦争が長期化していた日本は、必要な資源を求めて東南アジアにも進出しました。これに警戒心を強めたのがアメリカです。
日本とアメリカは交渉するも決裂し、1941年、日本軍はアメリカ軍の基地があるハワイの真珠湾を奇襲攻撃するとともに、イギリス領のマレー半島に上陸しました。これが太平洋戦争の始まりです。
日本は最初のころは太平洋の島々を次々と制圧して、戦いを有利に進めましたが、圧倒的な軍事力をもつアメリカに徐々に追いつめられていきます。
それまで兵役を免れていた学生を戦場に送り出し、女性を軍需工場などで働かせるなど、すべての国力を投入して戦いましたが、長引く戦争で多くの人々が犠牲になり、国民の暮らしも苦しくなっていきました。
どのように終戦に至ったのかを、ここから見ていきましょう。
■相次ぐ空襲と沖縄での戦闘、そして原爆投下へ
日本同様、当初は戦争を有利に進めていたイタリアとドイツも次第に劣勢となり、1943年9月にイタリアが、1945年5月にドイツが降伏しました。残る日本に対し、アメリカは激しい攻撃を展開しました。
1944年、アメリカ軍は日本の勢力圏であったサイパン島を占領すると、サイパン島を基地として、日本本土への空襲を開始しました。特に1945年3月の東京大空襲の被害は大きく、約10万人が亡くなったといわれています。
1945年3月末にはアメリカ軍が沖縄に上陸し、6月末まで激しい戦闘が繰り広げられ、当時の沖縄県の人口の約4分の1にあたる12万人以上の県民が犠牲になりました。
7月には、アメリカ、イギリス、中国が共同で宣言を発表し、日本に無条件降伏を求めましたが(ポツダム宣言)、日本はそれを受け入れませんでした。莫大な国費を投入し、何よりも国民の命を犠牲にして戦争を進めてきた政府や軍にとって、敗戦はこれまでの国策を否定することを意味したからです。
日本は日ソ中立条約(互いに攻め込まないことなどを決めた条約)を結んでいたソ連による仲介を期待していました。
ところが、ソ連はアメリカ・イギリスと秘密の協定を結び、日本との戦争に参加することを決めており、日本からの打診に対して返事を引き延ばしていました。そのあいだにも戦況は悪化し、8月、アメリカが広島・長崎に原子爆弾(原爆)を投下しました。
被害は甚大で、投下から5年以内に、広島で20万人以上、長崎で14万人以上の命が奪われました。
そして、ソ連軍が条約を一方的に破棄して日本に宣戦布告し、日本の支配下にあった満州や朝鮮、南樺太や千島列島に侵攻すると、日本はようやくポツダム宣言を受け入れ、降伏することを決定しました。8月15日、昭和天皇がラジオ放送で国民に終戦を知らせました(玉音放送)。
こうして、第2次世界大戦が終わったのです。
■敗戦後の日本はどうなったの?
敗戦後の日本は、アメリカ軍を中心とする連合国軍に占領され、日清戦争以後に獲得した植民地をすべて失いました。
領土は本州・北海道・九州・四国とその周辺の島々に限られ、沖縄や奄美群島、小笠原諸島はアメリカ軍の直接統治下に置かれました(のちに日本政府に返還されました)。
また、南樺太や千島列島などは大戦末期にソ連軍によって不法に占拠され、北方四島は現在もロシアによって不法に占拠され続けています。
戦後の日本では、マッカーサーを最高司令官とする連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令に従って日本政府が政治を行う、間接統治の手法がとられました。
GHQは、日本の軍国主義を取り除き、民主主義を推し進めるため、軍隊を解散させ、戦争の責任者を極東国際軍事裁判で処罰しました。
そして、1946年11月3日に公布され、翌年5月3日から施行された日本国憲法では、原則の1つに平和主義が掲げられました。日本は、2度と戦争をしないことをここに誓ったのです。
一方、戦後の人々の暮らしは、とても苦しいものでした。空襲で多くの住宅や工場が破壊され、焼け跡の街には、失業者に加えて、軍隊の召集を解かれた兵士や海外からの引きあげ者、戦災で親を亡くした孤児があふれていました。
また、戦争への動員で生産力が低下し、食料難が深刻化しました。都市の人々は、わずかな配給や高価な闇市の食料などで飢えをしのいだほか、食料を求めて農村へ買い出しに行きました。こうした中で、国民は懸命に働き、経済の復興に努めました。
■日本は悪いことをしたの?
開戦後、1942年6月のミッドウェー海戦で大敗するまで、日本の支配地域は拡大を続けていました。日本軍の最大進出範囲は、太平洋に浮かぶ島々からビルマ(現在のミャンマー)に及ぶ広大な領域でした。
日本は、アジアから欧米の勢力を追い出し、アジアの民族だけで繁栄していこうとする「大東亜共栄圏」の建設を提唱し、この行動を正当化しました。当初、アジアの人々は、日本軍によって欧米の支配から解放されることを期待しました。
しかし、日本軍は、現地の住民に厳しい労働をさせ、食料や物資を独占しました。女性に性的暴行を働いたともいわれています。このように、戦火のないところでも、大勢の人が日本軍の侵略行為の犠牲になったのです。
この大戦での死者は、日本で約310万人(朝鮮や台湾の人々を含む)、アジアで2000万人以上に達したといわれています。
1951年、日本はアメリカなどの48カ国とサンフランシスコ平和条約を結びました。これにより、連合国軍による占領は終わり、日本は独立国として主権を回復しました。
条約では、日本が賠償金を支払うことが求められましたが、当時の日本には賠償金を支払う能力がなく、大半が免除されました。
その後、日本は経済発展を遂げ、アジアや太平洋の国々に資金や技術の協力を行っています。しかし、今も中国や韓国などの国とは、歴史認識をめぐる問題を抱えています。
日本がアジアで行ったことは、明確な侵略行為です。日本が戦争を始めなければ犠牲にならなかった命が多くあったことを、日本はしっかり受け止めるべきではないでしょうか。
■同じ敗戦国のドイツは?
第2次世界大戦後、ドイツは連合国軍に分割占領されました。東西分裂と統一の歴史を経てもなお、ドイツは戦争責任に向き合い続けています。
2015年、ドイツのメルケル前首相は、ロシアによるクリミア併合に抗議し、モスクワで行われた対ドイツ戦勝70周年記念式典を欠席しました。
しかし、翌日モスクワを訪れると、ドイツとの戦争で犠牲になった旧ソ連軍の「無名戦士の墓」に花を捧げたのです。
ドイツは他のEU諸国と同様、ウクライナ情勢をめぐってロシアと対立する立場にありながら、かつて戦争を起こした国としての誠意を示しました。
Gakken小中教材編集部
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