( 310554 )  2025/07/25 06:19:17  
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日本の移民政策の課題の一つが不法滞在・不法就労者の問題で、特に改正「出入国管理・難民認定法」によって、難民認定申請を繰り返して長期間滞在していた外国人の送還が進んでいる。

2025年にトルコ人のM氏が強制送還され、送還の過程では彼が抵抗を試みる場面もあった。

 

 

改正入管法によって、難民申請を3回以上行った者や重大犯罪者に対し、送還停止効の例外が適用されるようになり、送還が容易になった。

これにより、送還忌避者の問題解決に向けて大きな法的障壁が取り除かれた。

M氏の送還は、徹底的な準備のもとで実行され、彼がSNSを通じて仲間に妨害を呼びかけるなどの動きもあったが、結局は送還が成功した。

 

 

M氏は、20年以上にわたり不法滞在し、長期間にわたった仮放免状態でも自らのビジネスを持ち続けた。

入管庁はクルド人が一般的にトルコ政府から迫害を受けないとの立場を取っており、具体的な迫害の証拠がない限り、難民認定は難しいと見ている。

 

 

(要約)

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長年の課題解決に向け、法的障害が取り除かれた(写真:Ken Galbraith / PIXTA) 

 

 参院選では外国人問題が1つの争点となった。今後、日本がどのような移民政策をとるにしてもまず解決を迫られるのが不法滞在・不法就労者の問題だ。 

 

 2024年6月の改正「出入国管理・難民認定法」(入管法)の施行以来、難民認定申請を繰り返すことで長期間不法滞在したり、重大犯罪を行ったりした外国人の送還が進んでいる。 

 

 今年(2025年)7月8日には、埼玉県川口市のクルド系トルコ人(以下クルド人)問題の象徴的な存在だったクルド人M氏(34歳)が、トルコに強制送還された。 

 

■飛行機の最後尾席に取り囲まれながら乗り込む 

 

 7月8日、成田空港に駐機していた午前10時35分発トルコ航空イスタンブール便に、一般乗客の搭乗前、M氏は出入国在留管理庁(入管庁)の護送官数人に取り囲まれながら乗り込んだ。 

 

 強制送還の際の通例だが、最後尾の席が航空会社との調整のうえ確保されたとみられる。これも送還の際にしばしばみられるが、M氏も大声を上げ暴れるなど物理的な抵抗を試みた。機長に降機命令を出させて送還を免れることを狙ったのだろう。 

 

 しかし、護送官が制圧するとともに、座席の近くの列を空席にするなど、一般乗客に大声などで迷惑が掛からないようにする措置がすでにとられていた。飛行機の扉が閉まって離陸する頃になるとあきらめて抵抗はやめたものの、到着まで「いずれ日本に戻ってくる」「このままでは済まされない」などとさんざん悪態をついていたという。イスタンブール空港に着くと、地元当局に引き渡された。 

 

 SNSや地元関係者の間では、M氏送還の話はやや驚きをもって受け止められたが、送還は降ってわいた話ではない。改正入管法の施行後、入管庁が重点的に進めてきた、特に問題が多い不法滞在者を対象とした送還促進計画の一つが実行されたのである。 

 

 行政上は日本在留ができないことが確定し「退去強制令書」が発付されながらも帰国しない、いわゆる「送還忌避者」は、2024年末時点で3122人いる。 

 

 入管庁にとっては長年、これらの人々の送還が課題だったが、大きな法的な壁があった。退去強制令書が発付されていても、難民申請中は送還できない、いわゆる「送還停止効」という規定である。2021年の数字だが、送還忌避者のうち難民申請をしている人が1629人と、全体の送還忌避者3224人の約半数を占めていた。 

 

 

 送還停止効の仕組みが送還忌避者の増大に大きくかかわっていることは、明らかだった。この点を改善するために、3回以上の難民申請者や重大犯罪者に対しては、送還停止効の例外措置が取られることとした。例外とはいっても、3回以上申請者には難民であるとの立証資料が提出されない限りは、送還停止効を適用しない、つまり、原則的に送還できるようにする。 

 

 この点を骨子とした入管法の改正は、2021年にいったん廃案となるなどの紆余曲折を経て、2023年6月に成立し、2024年6月から施行された。 

 

 送還忌避者が難民不認定取り消し訴訟を起こしたり、それに伴う執行停止の申し立てを行ったりするなど送還を一時的に免れる法的手段は残るものの、送還忌避者の問題解決に向け、大きな壁が取り除かれた。 

 

■飛行機で暴れられれば「搭乗拒否」も 

 

 昨年6月の改正入管法施行後、入管庁は、送還すべき人から送還する、という方針で、問題の多い送還忌避者の送還を積極的に進めた。 

 

 昨年12月末までの約半年間で、難民申請3回以上の難民申請者で、送還停止効の例外を適用して送還した人は17人、無期もしくは3年以上の実刑判決を受けた人で送還したのは2人となった(2024年通年の全体の送還者数は7698人、うち自費出国が6808人)。 

 

 今年1月には難民申請を繰り返しながら日本に長期間にわたり滞在し、その間に強制わいせつ致傷、強姦致傷でそれぞれ実刑判決を受け、メディアにもよく登場していたスリランカ人男性が強制送還された。 

 

 強制送還と一言で言っても、実際の現場では多くの場合、抵抗する被送還者を制圧しながら、飛行機に搭乗させて本国まで運ぶという、直接的な強制力を伴う権力行使であり、生易しいものではない。 

 

 実際、飛行機に搭乗した後、大声を出して暴れたりして、機長から搭乗を拒否され、送還が失敗することもある(2016〜2022年で11件)。また、2010年には飛行機に乗せるにあたり、抵抗に対して制圧する状況で、ガーナ人男性が心臓疾患により死亡したケースもあった。 

 

 

 今回のM氏の送還も、飛行機が空港を飛び立ち目的地に到着するまでは、気が抜けないプロセスだった。 

 

 M氏送還は、少なくても数カ月前から、入念に準備されていたようだ。送還便の座席の手配など準備万端整えてから、数カ月ごとの仮放免の延長手続きのために7月1日(火)、東京都品川区にある東京入管局に出頭してきたところを、仮放免を不許可にする旨伝えた。M氏は大声をあげて抗議したが、まず同局の収容施設に収容した。 

 

 代理人の弁護士は、過去の退去強制処分が違法だったとして、再度の行政訴訟を提起するとともに、送還の執行停止の申し立てを東京地裁に行ったが、同地裁は7月4日(金)、申し立てを棄却した。すぐに起こされた即時抗告に対して東京高裁は、週明けの7日(月)に棄却した。最高裁に対する特別抗告は、提起されなかったか、あるいは審理されなかったと見られる。 

 

 法的な壁がなくなったところで、7日正午に東京入管から成田空港に移送した。ただ、搭乗段階で暴れ、機長判断で降ろされてしまえば、それまでの手続きはすべて徒労に帰すことになる。上記のような用意周到な準備を重ねることによって、8日(火)の便で送還が実行されたのである。 

 

■妨害行為を呼びかけるも警戒は杞憂に終わった 

 

 この間、M氏は、収容施設内から次々と仲間に連絡を取って、「車で入管局まで来てクラクションを鳴らしてほしい。入管に押し入ってほしい。必要があれば爆弾を投げてもいい。空港を閉鎖してほしい」などとしきりに扇動した。 

 

 また、「入管から出られたら、持っている情報を全部公開する。私は8日に送還されると言われたが、韓国やロシア経由でまた日本に来ることができる。AbemaTVにもまた出演する」などと強がりも言っていた。 

 

 実際、呼びかけに応じてクルド人の仲間が東京入管局に大挙して押しかける、羽田空港のトルコ航空カウンターで妨害行為をするなどの情報も流れていた(クルド人の間では成田空港ではなく羽田空港に移送されたという情報が流れていた)。 

 

 爆破を扇動する発言もあったことから、東京入管局は来訪者に身分証明書の提示を求め、庁舎内の警備を強化するなど、相当神経をとがらせていたが、結果的に杞憂に終わった。筆者も7日、東京入管や羽田空港に様子を見に行ったのだが、大きな動きは見られなかった。 

 

 

 6日夜、日本クルド文化協会のワッカス・チョーラク事務局長に電話をし、送還に反対する行動を起こさないのか聞いたが、「これは個人の問題。抗議行動はない。もし押しかけるとすれば親族くらいだろう」と返答し、冷めた姿勢だった。 

 

 M氏は就業できない仮放免の状態で長期間、実質的に会社を経営し、多額の収益を上げるという、ある意味では「やり手」だが、その分クルド人の仲間内では必ずしも良く思わない人も多かったのかもしれない。 

 

 本人は「今回収容されたのは(最近)AbemaTVに出過ぎたからかもしれない」とも話していたというが、数年前から高級外車で東京都内と思われる場所を走り、東京湾らしき海で小型船舶を乗り回す動画をSNSに掲載し、仮放免者に課せられる「住居および行動範囲の制限」(居住地の都道府県から原則的に出ることはできない)を公然と無視するなど目に余る行動が目立った。 

 

 なぜ仮放免者が会社経営に携わって利益を得ているのか、といった地域の声も無視できず、入管庁は早くから送還の重点対象としてマークしていた。 

 

 M氏には2023年3月、彼の実質経営する川口市内の解体業会社の事務所で、3時間近くインタビューした。2002年、家族とともに最初に来日し、いったん帰国したのちに、2004年、再来日し、以降、難民申請を繰り返したり、難民不認定・退去強制の取り消しを求める訴訟を繰り返したりして、20年以上不法滞在を続けていた。 

 

 難民申請は5回繰り返したが認められず、難民不認定取り消し訴訟も最高裁判所で敗訴した。ただ、子供のときに来日したので、入管施設に収容されることもなくずっと仮放免状態だった。定住者の在留資格を持つ日系南米人の女性と結婚し、子供は3人いる。 

 

■政治家に接近、慈善活動をアピール 

 

 入管庁はクルド人が、その民族的属性だけを理由にトルコ政府から迫害されることはほぼないとみている。相当具体的な迫害の事実を示さないと難民認定はされないが、クルド人であることを理由に、これまで難民として認められたのは、難民不認定処分の是非が争われ札幌高裁で国側が敗訴した1人だけである。 

 

 インタビューではM氏自身が、「僕が難民認定されないことはわかっている。不可能なことをずっとお願いしてもだめ」と話し、配偶者が日系人であることから在留特別許可で「定住者」の在留資格を取ることを目指していた。 

 

 

 
 

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