( 311203 ) 2025/07/28 04:09:39 2 00 戦後3日で通達された占領軍向け慰安所の設置。国策だった売春は女性を守ったのか #戦争の記憶Yahoo!ニュース オリジナル 特集 7/27(日) 15:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/8bfe0d9020b5f3470a0a5d3fc68e6e1d7d477cb2 |
( 311204 ) 2025/07/28 04:09:39 1 00 1945年の日本の占領期において、国主導で占領軍向けの売春が行われたことはあまり知られていない事実である。 | ( 311206 ) 2025/07/28 04:09:39 0 00 1945年9月RAAで「乾杯の歌」を歌う占領軍兵士たち(Keystone / 特派員 / ゲッティイメージズ)
今年、日本は終戦から80年を迎える。敗戦後、占領下におかれた日本で、国主導で占領軍への売春が行われた事実はあまり知られていない。「日本女性を守るために」との名目で戦後2日目の初の閣議で占領軍向けの慰安所設置を決め、約10日後には最初の慰安所が開業した。慰安所は全国へと広がり、やがて「パンパン」と呼ばれる街娼を生んだ。国策だった売春は“性の防波堤”になったのだろうか。占領下の女性の実態を調査してきた近現代女性史の研究者、平井和子さんに聞いた。(文・写真:ジャーナリスト・田中瑠衣子/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
1945年8月15日、天皇はポツダム宣言の受諾と、太平洋戦争の終結を玉音放送で国民に告げた。その2日後、東久邇宮稔彦内閣が成立。同内閣が初閣議で真っ先に取り上げたのは「外国駐屯軍」のための「慰安所」をつくることだった。 8月18日、内務省は各都道府県警へ「一定の区域に限定し、外国駐屯軍向けの慰安所設置を求める」という秘密通牒を出した。通牒は無線電信で行われた。
<外国駐屯軍慰安施設等整備要領 三、警察署長は左の営業に付ては積極的に指導を行い設備の急速充実を図るものとする。 性的慰安施設 飲食施設 娯楽場>
東京で慰安所の設置・運営を任されたのが「特殊慰安施設協会」(Recreation & Amusement Association、RAA)だ。芸妓や飲食店などを扱うサービス業7団体により、8月23日に設立された。
女性を募集するRAAの新聞広告
終戦からわずか3日後。今後の戦後処理もあるなか、政府は国策として外国人向けの売春を進めた。なぜこれほど慰安所開設を急いだのか。占領期の性売買について研究してきた平井和子さんは、過去の日本軍の行いに懸念があったためと指摘する。
「南京事件の旧日本兵による性暴力が頭にあったのだと思います。人数には論争がありますが、日中戦争中の1937年、中国の首都・南京で旧日本軍が一般の人たちを殺害、また略奪や性暴力などをした事件です。自分たちが南京でしたことがブーメランのように戻ってくる恐れがあった。だから急いだのでしょう」
当時警視総監だった坂信弥は、国務大臣・近衛文麿に官邸に呼び出され、「手下に任せないで、君自身でやってくれ」と言われたと、後に雑誌で述べている。
「坂は日中戦争のころ鹿児島県警察部長として、(のちに神風特別攻撃隊の出撃基地となる)鹿屋航空隊基地の近くに慰安所をつくった人です。政府の要請からたった10日ほどで慰安所を開設できたのは戦地で旧日本軍の慰安所をつくってきたベースがあったからでしょう」
近現代女性史の研究者・平井和子さん
通牒によると、特殊慰安施設に従事する女性としては「芸妓、公私娼妓(しょうぎ。性売買に携わる女性)、女給、酌婦、常習密売淫犯者等を優先的に」充てると政府は考えていた。その発想には男性から見た女性の“二分化”があると平井さんは言う。
「“良家の子女”(一般女性)を守りたいから、性の防波堤にするのは性売買女性という考えです。でも娼妓たちは最初、外国人を相手にすることを嫌がりました。女性集めを担当した警視庁の係長は遊郭を回って頼み込んだ、と後に雑誌で振り返っています」
だが、慰安所拡大にあたり娼妓だけでは足りなかった。結果的に戦争で疲弊した“素人”の女性たちも初期段階から募集することになった。
「銀座のRAA本部に看板を立て、新聞広告も出しました。調査では広告は北海道から鹿児島まで全国の地方紙で確認できます。衣食住や高給を約束し、前借(ぜんしゃく)にも応じました。最初の募集で集めた女性たちは1360人という記録が残っています」
8月28日、最初の占領軍の慰安所「小町園」が、東京・大森海岸に開業した。記録では上陸一番乗りの占領軍兵士が押し寄せたという。「楽々」「花月」「乙女」……大森海岸には次々と慰安所が開設され、占領軍が駐留する福生や三鷹、立川、調布などにも広がった。東京だけでRAAの慰安所は23カ所に上った。
1945年頃新規開業した「銀座のオアシス」で踊る占領軍兵士と日本人女性(Keystone / 特派員 / ゲッティイメージズ)
全国各地にも都道府県警が設置した慰安所ができた。平井さんが都道府県警の資料などを基に作成した地図では、北海道から鹿児島まで全国にあったことがわかる。開設方法はさまざまだった。
「例えば神奈川は国より先に慰安所をつくることを決めています。『玉音放送』は8月15日正午ですが、警察は午後3時の会議で慰安所設置を確認しました。警察署が自ら女性を集め、運営するノウハウは『神奈川方式』と呼ばれ、全国から視察がきたほどです。占領軍の命令でつくったケースもあり、米側は日本側へ性病管理を厳しく求め、『日米合作』ともいえます」
集められた女性たちにとって性売買は苦行だった。
一日何十人もの兵士の相手をさせられ、自殺した女性もいる。女性たちの声は日本ではほぼ残されていないが、平井さんはGHQ(連合国軍総司令部)民間諜報局の検閲記録から女性たちの手紙を発見した。
<ついにわたしは(売春を)承諾した。最初の二、三日は幸せだった。しかし、その後は悲嘆に暮れている。わたしは1000円の前借契約に束縛され、この拷問から楽になることをはかない望みにしている>(1947年『占領軍治安・諜報月報』第三巻。平井和子訳)
<若い少女の秘密の告白:ここでの実際の状況はわたしが思っていたことと全く反対だ。わたしはこの家が料理屋だと聞いてここへやって来た。しかし、売春宿だった。ルニとわたしはとても残念で毎晩泣いている。この手紙をトイレで書いている。なぜなら、主人がこのことを知ったらわたしをひどく叱るからだ>(1946年『占領軍治安・諜報月報』第一巻。平井和子訳)
横須賀の「慰安所」と占領軍兵士たち
慰安所に行って初めて自分の仕事がわかった女性もいることがうかがえる。戦火で家を失い、夫が帰還せず衣服や食べ物に困った女性たちが、家族を養うために応募してきた例が多いと平井さんは言う。
「広島県警史には『白米は毎日四合、油、牛肉、砂糖等物資の面は充分斡旋する』との記述が残っています。原爆により今日の食べ物にも困る中で、このような条件を魅力に感じた女性もいるでしょう」
警察史と新聞で確認できる全国の占領軍「慰安所」(平井和子さん作成)
1946年初頭には全国各地に慰安所が広がった。だが、間もなくそのあり方は変わっていくことになった。
最初の開業から半年後の1946年3月、RAAの慰安所は立ち入り禁止になった。性病が流行したためだ。RAAや各地の慰安所で働いていた女性たちは、街に出て占領兵を相手にする「パンパン」と呼ばれる街娼になっていく。旧遊郭や基地周辺は警察が黙認する性売買地区、いわゆる「赤線」地域になった。
わずか半年で慰安所が閉鎖された背景には、性病以外の理由もあったと平井さんは言う。
「一つはアメリカの新聞記者たちが、日本女性と遊ぶ米兵の記事を本国に送り、ひんしゅくを買ったこと。もう一つは米兵と公然と交際する『パンパン』は『よき占領』を世界にアピールするのに、マイナスだったからです。GHQは、米兵が日本人からどう見られているかの調査を毎月行っていました。それほどアメリカ本国、旧ソ連をはじめとする世界から、そして日本人からの評価を気にしていました」
性病が蔓延しオフリミッツ(立ち入り禁止)になった「慰安所」(フランス軍事博物館蔵、平井和子さん提供)
1953年の厚生省の調査によると、全国の基地周辺には約4万5000人の散娼(組織に属さない娼婦)がいた。ただしこの数は登録し、定期性病検査を受けた女性たちだけで、実際は2倍、3倍の数だったと考えられる。
占領直後と比べ、米兵との関係性にも変化があった。
「占領初期とその後の米兵が違っていたことも関係があると考えています。初期に駐留した米兵たちは、生きるか死ぬかの戦場で生き残り、上陸一番乗りを狙ってきました。勝者である彼らは、敵の女性を戦利品のように扱い、兵士の相手をした女性たちはものすごい性暴力にさらされたと思います。でも1945年12月ぐらいには、初期に来た実戦部隊は帰国し、入れ替わります。軍政学校で占領国民への対応を学んできた兵士たちは、日本女性の目には民主的でレディーファーストに映り、そこに惹かれた女性もいました」
占領兵と日本人女性の間に生まれたのが「GIベビー」だ。正確な数は分かっていないが、望まれない誕生もあり、施設に預けられた子もいる。国は1948年に「不良な子孫の出生を防止する」と不妊手術を強いる旧優生保護法をつくった。「産婦人科医が中絶手術をしても堕胎罪にはならない」と“免罪符”がついた法律だ。平井さんは「その背景には民族の純血を守る観点から、占領兵との間の子を出産させないようにするという意図もあります」と話す。
「でも法律ができる前から中絶手術は秘密裏に行われていました。旧満洲からの引き揚げ時に旧ソ連兵の性暴力で妊娠した女性たちに対して、厚生省の指示で『水際作戦』として福岡県の二日市保養所などで行われていたことが知られています。これまで医師らによる女性救済の物語として語られてきましたが、近年は女性たちの痛みに即した報道がなされるようになってきました」
1946年、民主化を進めるGHQの指令で、政府は戦前から続いてきた公娼制度を廃止した。だが、私娼や赤線地帯での売春は続き、女性議員たちが中心になり売春防止法制定の機運が高まる。事業者の強い反対で廃案や否決を繰り返し、ようやく1956年に売春防止法が成立。売買春と売春あっせん業は違法になった。赤線は廃業し、女性たちは仕事を失った。
平井さんは、若い世代にも占領期の性暴力問題を伝えている
平井さんは「売春防止法には大きな問題があります」と指摘する。
「明治以降の国家による女性の性的管理・搾取を廃止したことには意義があります。でも、売買春の禁止をうたいながらも、罰せられるのは事実上『性を売る側』だけ。2022年の法改正まで、条文には女性を『更生』させるといった差別的表現も含まれていました。仕事を失った女性が自立する制度や支援も脆弱でした」
占領下に置かれた日本で、占領兵による日本女性の性被害をなくし、純血を守るという考えから始まった国主導の売春。結局、この国策が戦後の日本にもたらしたものは何だったのか。
「RAA関係者は1960年代の新聞座談会で『占領兵の慰安施設を作らなければレイプがすごく増えただろう』と自己肯定的に振り返っています。しかしそれは逆で、彼らが集めた女性たちは『慰安所』の閉鎖で街頭や基地周辺へ流れ出し、売買春を押し広げました。また、国策として女性を差し出したことは、日本人女性を簡単に、安く、いつでも買える存在だと米兵たちに学ばせてしまった。この態度は女性だけではなく、戦後の日本国家に対する米国の態度と二重写しになります。RAAの起点にある『性的慰安を与えなければ、男性は暴走する』という現代にまで続く『男性神話』が信じられている限り、形を変えてRAAのようなものはつくられていくと思います」
【参考文献】 『占領下の女性たち 日本と満洲の性暴力・性売買・「親密な交際」』平井和子著 『敗戦と赤線 国策売春の時代』加藤政洋著
田中瑠衣子 ジャーナリスト。北海道新聞、繊維専門紙記者を経てフリーに。
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」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。戦後80年が迫る中、戦争当時の記録や戦争体験者の生の声に直接触れる機会は少なくなっています。しかし昨年から続くウクライナ侵攻など、現代社会においても戦争は過去のものとは言えません。こうした悲劇を繰り返さないために、戦争について知るきっかけを提供すべくコンテンツを発信していきます。
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( 311205 ) 2025/07/28 04:09:39 1 00 この議論は、戦後日本の慰安所設置に関するもので、多くのコメントが交わされています。
1. **歴史的背景と倫理**: 参加者たちは、占領軍による性暴力が蔓延する中で、日本政府が慰安所を設置した理由を歴史的背景から掘り下げています。
2. **性別による被害の現状**: 戦争による性暴力や女性の犠牲に言及され、兵士たちの行動とそれに対する女性の運命が語られています。
3. **普遍的な課題**: コメントの中には、戦争に伴う性暴力は日本に限らず普遍的な問題であり、他国でも同様の事例があることが指摘されています。
4. **未来への教訓**: 参加者は、戦争の悲惨さを繰り返さないために、我々が学ぶべきことが多いとの意見を出しています。
5. **現代と歴史の断絶感**: 現代に生きる人々が、当時の状況を理解することの難しさにも言及されています。
(まとめ)全体として、戦後日本の慰安所問題は歴史的、倫理的な複雑性を含んでおり、今後の戦争防止に向けた教訓や意識の重要性が強調されています。 | ( 311207 ) 2025/07/28 04:09:39 0 00 =+=+=+=+=
半藤一利さんの著作では、この占領軍の慰安所の設置は、天皇の聖断=8/14夜よりも前だと推定される、と有った。この記事に有る様に8/16にはもう政府討議されると言う事は、それより前に官僚が叩き台を作る必要が有る。8/14までは(一部は8/15午後にも)特攻隊は飛んで行っていた。その陰で、もう既に慰安所の検討。誰がと言う訳ではないが、戦争とはなんと酷いもなのか、と思う。
▲4801 ▼275
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戦争での兵士への慰安は今も昔も変わりません。 ウクライナでもガザでも行われているのを見れば、人間も倫理観というのは変わっていないし戦争という状況において抑えられるものでも無いということがよく分かります。
この先も、何度戦争が起きるかは分かりませんが、兵士のための慰安が無くなることは無いと思いますね。
▲2696 ▼233
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サザエさんの作者長谷川町子がエッセイに書かれているエピソード。 終戦直後は進駐軍兵士が毎晩のように民家に押しかけて女漁りをしていた。とうとう長谷川の家にも押しかけてきて、町子が決死の覚悟で姉をかくまって表に出たところ、町子は子どもだと思われて諦めてお菓子を渡してくれて去っていったとのこと。 ほんの80年前にこんな恐ろしい出来事が夜な夜な起こっていたのである。
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男性の暴走を防ぐため女性をあてがうという発想は多かれ少なかれ今でもいろんな国であると思います。 東南アジアの某国では、性犯罪率が上昇するとそれを業とする女性の入国の枠を拡げ、性犯罪率が落ち着くと入国枠を縮小するようです。 こういう方法がいいのかどうかは私は判断できません。
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何が言いたいのか。 慰安所で働かざるを得ない女性やそもそも慰安所の存在は確かに悲劇で倫理的にも否定されるべきだろうが、当時は公娼制度があり、進駐軍の性暴力が横行している中で、占領されていた弱い立場の日本に他にどんな手が打てたというのだろうか。 歴史を語る上で現在の倫理観に照らし合わす程、意味の無い事は無い。
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戦争が一般兵士(男性)の犠牲だけでなく、女性にも子どもたちにも計り知れない犠牲を強いてきたことがよく分かりました。 戦火だけでなく、戦後の混乱を生き抜いてきた女性たちがもう二度と戦争をしてはならないと言う意味がまた一つ理解できました。 戦争で笑う人がいるのでしょうか。 また起きるかもしれない戦争、今まさに起きている戦争に今の人間は何をすればいいのでしょうか。
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敗戦後の日本は悲惨だった。 満州から逃れていた人々は、中国人から日本人を守ってもらうためにソ連軍に女を差し出したこともあったようだ。 なかにし礼によると、中国から引き上げる日本人に政府が日本に帰っても食べられないから帰ってくるなと伝えたことがあるという。 太平洋戦争後の日本はそんな中からスタートした。 そんな中からどうやって日本は高度成長を成し遂げたのか、今の日本人は学ぶべきと思う。
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南野陽子さん主演ドラマ「女たちの戦争」でも描かれいますが、連合軍が横浜に上陸した日、強姦事件が相次ぎ翌日には女性の自殺者が続出した。 だが当時連合国軍によりプレスコード(報道規制)で一切報道されず。 更に数日後には信じられないことに真昼にジープで乗り付けカービン銃で武装したアメリカ兵が日本の銀行強盗に入り逃げる有様、ほぼ進駐した各国の兵士達が狼藉を働き始める。 そんな状態だから米軍の将軍達も日本の自主的な慰安所の設置に喜んだとか 私は多少でも女性達を守ったと思います。
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第二次大戦後のドイツでも、父親のしれない子を出産するドイツ人女性が多かった、と聞いております。たぶん本当でしょうが、確認はしておりません。いずれにせよドイツを占領した兵隊は聖人君子ばかりであった、女性に興味が無い者揃いとは考えにくいので、この問題は世界全体に共通するものではないでしょうか?日本だけが悪い、というものではないはずです。現に、レイプの事件は、今も、日本でも米国でもインドでも発生しています。
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欧州ではベルリン陥落後のソ連兵によるドイツ人女性への不法行為の数は 日本の比では無かったようだね。敗戦国の慰安所の設置は是か非かって 簡単には言えない事かもしれない。
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ある歴史研究者によれば、占領期の新聞には「背の高い男」や「外国人風の男」による婦女暴行や強盗の記事が散見されるといいます。これは当時の記者や警察が、米兵の関与を暗黙に知りつつ、GHQへの配慮から犯人像を婉曲に表現したためとされます。
占領下では日本の官憲による検閲は禁止されていましたが、実際にはGHQが報道統制を行っていました。戦前の検閲は伏字などで掲載を許すことが多かったそうです。ところがGHQは、記事全体を発禁処分にしたため、新聞社は損失を避けるべく自己検閲を強化せざるをえなくなりました。
その結果、「背の高い男」や「外国人風の男」といった定型表現で責任の所在をぼかす手法が常態化しました。
もちろん米兵が治外法権に近い立場だったため、警察の捜査も多くが途中で打ち切られたとされます。
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敗戦直後の混乱の中、日本政府が占領軍向けに慰安所を設置した事実は、記事と違い広く知られています。これは、占領軍兵士による性犯罪の抑止と、日本女性を守るという名目のもと、戦後わずか2日後の閣議で決定され、10日余りで最初の慰安所が開設されました。この施策は道徳的な是非を超えた「現実的対応」として、全国に広がることとなります。慰安所は、いわば“性の防波堤”としての役割を果たし、混乱期に女性や市民を守る一助となった側面があります。また、戦災で生活基盤を失った女性たちにとって、これは貴重な雇用の場ともなり、多くの家庭の生計を支えることになりました。当時の極限的状況において、国家主導で行われたこの対応には、単なる売春では括れない複雑な背景と意義があったのです。
▲2350 ▼812
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これは今現在にあたる日本の戦争に関する勉強から抜け落ちている部分である。私は沖縄出身だからか戦争の話題に関して調べることもあるが、自分の祖父祖母世代たちがどういう苦労をしていたかを調べるうちにこういう「戦争中の性」の問題にぶちあたる。これは米軍だけでなく日本軍にも同様の問題があったのは想像に難くないし、わずかながら資料にも残っているのでぜひ興味ある方は調べてみてほしい。自分の手で調べてみてほしい。そして何が起こったと”言われているのか”知っておくことはとても大切だと私は思うからです。
▲549 ▼84
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この記事の是非は、賛否両論あって当然だろうと思う。 ただ一つ言えるのは、時代背景というものが全く違うので、現代の価値観に照らし合わせればありえないことばかりに見えて当然。 でも、その時代を肌で感じていない人の解釈は、行ったこともない異文化の国を語るのと同じくらい想像の域を出ないとはいえ、思いを馳せることは大切だとは思う。 時代もスケールも全く違うけど、新幹線や飛行機でタバコが吸えたことも、現代の価値観ではありえない。 30年そこそこでもこれだけ時代が違う。 当時不快だと感じていた人もいただろうが、喫煙率7割とも言われた時代はそれが反映された結果でもあり、30年後も80年後も今の普通が当たり前ではなくなることを意味する。 数千年単位で戦争を繰り返す歴史や欲望も抑えきれない様は人間の普遍的欠陥とも言えるのだろうが、何より、このような国策を打ち出す必要のない未来が一番大切で重要なことだと思う
▲403 ▼37
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アメリカの戦争ドキュメンタリー番組を観ましたが、日本より先に負けたドイツでは、下は10歳の少女から上は70歳の老女まで、200万人がアメリカ兵とソ連兵によってレイプされたそうです。また、アメリカ兵はフランスでも狼藉を働き、相当数の女性を妊娠させたり性病感染させたそうです。 GHQも日本政府に慰安所開設を要求したらしいし、ある程度の抑止力にはなったと思います。
▲237 ▼17
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大戦の日本、ソ連、その他の国も占領下や戦勝国による相手国女性に対する性暴力は事実として文献や証言から残っています、古くは中世以前の時代からです、そのような過去の事例から慰安所は必要と考えたのかもしれませんがこれは戦争による二次被害としか言いようがありません、戦争の悲惨さを象徴する一例です。
▲204 ▼20
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現在生きている人たちは、戦時中を知らない人ばかり。 有名な歌詞に「戦争を知らない子供達」とのフレーズがあるが、戦争を知らない子供達は戦争を知っている人達の子供なので、直接体験者から話を聞く機会も多かった。 現在30〜40歳くらいの人までは、祖父母が戦争を経験しており話を聞くこともまだかろうじてできた世代。 10代20代は「戦争を知らない子供達」の「子供や孫達」なので、体験談を聞く機会はどんどん少なくなっている。
当時を知らない我々が、当時の慰安所設置をどうこう言うのは間違いだと個人的には思います。判断するための材料がなさすぎるので。 ひとつ確実に言えるのは、戦後多くの人の努力のおかげで今の我々の暮らしがあるということ。 これに関する感謝や尊敬は、絶対に忘れてはならないと思います。
▲123 ▼15
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一般女性が犠牲になるとのウワサはかなり信じられていたようで、幼かった母達を守るため重い病気をおして祖父と祖母が疎開先に迎えに来たと言っていました。人に任せられなかった。無理がたたって早く死に別れ…。戦争は人生を狂わします。 同胞を生かし自身も生きていくために女性であることが利用された内外の方々の悲しさ苦しさ、繰り返されないよう祈ります。
▲60 ▼1
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特攻隊のことは世界でも有名だけど、これらで犠牲になった女性らは女性の特攻隊と言っても良い。 自分から応募したと言えど、そうせざるを得ない状況だったのだから、暗黙の強制である特攻隊の志願と同様。 行けばどんな扱いをされるか分からなくても、行くしかなかった女性たち。 戦争で凶暴化した兵士の相手など、本当に怖かったでしょうね…。それも貞操観念の強い時代に。 彼女らは、その内容故に大々的に伝えられることも感謝されることもない。 むしろ貶されて生きてきた。 彼女らこそ、体も心も苦痛に蝕まれた最も悲惨な戦争の犠牲者です。
▲60 ▼7
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平和な環境下で、もしも、と考えを巡らすことは重要。
慰安所の設置をする、しないの二択において、記事では否定的な文脈となっている。
では設置しなければよかったのか?国策でなければよかったのか? 『どう』すべきなのかが大事なんだけど、こういう記事には大抵現実的・具体的なより良い策の提案がない。
>『性的慰安を与えなければ、男性は暴走する』という現代にまで続く『男性神話』が信じられている限り
男性側が”欲を制御できれば”不要な策だったのでしょうが、残念ながらそんな前提は成り立たない。
”人は自分を律し犯罪を犯さない”から警察力も裁判所も不要でしょ、と主張してるのとそう変わらないように感じる。
▲58 ▼16
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戦後教育は長く続いた。 最初に終戦間際の写真で大人がB29を屋根からはしごに登って竹槍で狙う姿を教師が教えると生徒は笑った。 その後、自分達が近所の老婆から「お父様たちは必死に私達を守ろうとした」と教わった後、笑った自分がひどく恥ずかしく、惨めだった事を覚えてる。 戦前の方々の悲惨さで、絶望の中に希望を持つ事ができたのは「怖くない、絶対に守ってやる」と言ってくれる大人が大勢いた事も戦後復興の要の一つだと思う。 そんな大人たちが、幼い子どもを守るために女性を犠牲にしたことは事実と認めても経緯を知れば「国土を守る」と信念があったから耐えれた。 その結果、ヤクザは広い庭を得た。 1970年頃まで闇市は存在していたし、意味がないと言ってはいけない話も多いと思う。 ワンピースのルフィもシロップ村を守るウソップの姿を笑った黒猫を殴ってる。
▲2 ▼9
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本当に戦争は悲惨だ。こんなことあってはならない。でも、何もしないと起きてしまう。起きてしまうと、このようなことがたくさん起こる。昔話ではなく今でも起きている。
何をすればいいのか。考えるだけではダメで、恐れるだけでもダメだ。世界最強の軍隊を作ればいいのか?それも違う。私たちは戦争をしませんと世界に誓えばいいのか?それもまた違う。そんなんじゃ逆に狙われるだけだ。
友達をたくさん作ればいい。 仲間をたくさん作ればいい。 敵を作らないようにする。みんなと仲間になればいい。 と愚昧な私などは思うのだけど、この考えもまた誰かの敵意を受けてしまうだろう。
戦争をしないということはとてもとても難しいこと。一つだけ正しいのは、何もしないのではダメだということだ。
▲41 ▼3
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父はもうすぐ90歳近くになりますが、若い頃に慰安所を管理していた方(丸玉だか赤玉観光だかの社長さん)から当時の話を聞いたことがあったそうです。慰安所で働く女性を募ったところ、面接には女性の行列ができたそうです。困窮した時代に慰安所で働くことは安定した生活を約束されることと同意で語弊を恐れずに言えば人気の職業だったそうです。「性的搾取」「戦争被害」と当時働いていた女性は感じていたのでしょうか。現在の人権や倫理観・道徳観は尊重していますが、それを当時に当てはめて評価することは無意味ではないかと個人的には考えます。
▲136 ▼49
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ずいぶん前に南野陽子さん主演で戦後の慰安所をモデルとしたドラマがありましたね。 以前から知っていたので、これを放送するとはすごいなぁ、認知されると良いなあと思ってましたが、なかなか知られていないのが現状ですね。
戦後のこういった事はもっと広く知られるべきだと思います。 なお、女性だけで無く、連合国の女性士官向けの慰安男性も居たそうです。
日本だけが責められることではないなと色々なニュースを聞くと思いますが、戦争はモラルがなくなるのが当たり前の行為です。だから戦争は起こってはいけない。あってはならないのだと思っています。
▲33 ▼2
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戦時中は、男たちが兵士として体を張り、戦後は、女たちが体を張って、国を守った。そういう事ですが、個人的には、こういったピンポイントの議論や記事は好みません。また、広島生まれですですが、原発反対運動にも興味がありません。 そういったものは、全て、戦争という異常時の出来事で、その中から自分たちの興味や、大衆受けする部分を切り取り、デフォルメして騒ぐことに大きな意味も感じられません。 全ては、戦争が原因です。戦争を回避することで、多くの悲劇を避けることが出来ます。そういった、大きな観点で議論をすることが大切だと思います。 周辺環境が著しく悪化する中で、日本の政治家や日本人は、日本を守る覚悟があるのでしょうか?
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戦争や紛争は世界中どこであっても、このような事が起こっている
戦争を起こらないようにするのは、自国だけでは無理なのだ
相手国が領土拡張という野心を持っていれば、 防御のための軍事力が必須なのは当たり前で 自国の防御の軍事力が低下すれば蹂躙され、悲劇は繰り返される
しっかりと自国を護れる軍事力こそが平和を維持するには基本です
▲17 ▼8
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大切なことは「戦争」にはこの種の悲劇が必ずついてくるという歴史を学ぶことです。だから戦争はしない、そのためにやるべきことから目を背けないことが大切だと思います。お花畑の理想論である「非戦論」「非軍備」が結局戦争を防げなかったことを学び、かつて二度も対戦した隣国中国、日本に占領された朝鮮諸国に対し、防衛力の抜本的強化をした上での毅然たる外交、平和的隣国政策を実行しましょう。そうしないとこの記事のような弱い女性子供の悲劇は明日にでも再現してしまうのではないかと憂慮しています。
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沖縄の離島の民宿に泊まった時に、宿の店主とお酒を飲み、その時に慰安婦問題を聞きました。店主から「オバアは戦争の話をしない。墓場まで持っていくんだろう。」と言っていましたが、口にもしたくない悲しい歴史があったことを思うと、なんとも言えない気持ち悪いになりました。多くを語らず日本を陰で支えたのだと思います。
戦争はしてはいけません。何も良いことは無いのです。二度と歴史を繰り返さず、幸福度の高い日本になって欲しいです。
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見方は色々あろうが性犯罪を防ぐと言う事も事実であった。この人の様に一方的に何方かが正義で他方(この人は当時の政府を)を悪と評価できようか。 では如何なる方策が終戦時の混乱を無くすことが出来たのか、全て仮説にすぎない。当時の政府が短時間で必至成って考え出した政策不備欠陥が有るのは当然の事、非難するのは簡単だが混乱を収め女性の被害も無くする政策って何が有ったのか、先ずは其処を述べて欲しい。 戦争に負けると言う事はこうした事が起こる、だからこそ戦争は起こさずが最善の策だ、万々が一戦争になったら絶対に勝たないと塗炭の苦しみは国民に来る事を為政者は心して戦争防止・抑止に全精力を傾けろ。
▲48 ▼3
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私は1973年10月に高校の修学旅行で沖縄を訪れた、沖縄が本土復帰をした翌年です… 私の高校は沖縄が本土復帰をする以前から修学旅行は沖縄にパスポートをわざわざ高校生に取得させてまで、沖縄修学旅行に行っておりました、当時としてはキリスト教の私学と云う事もあり発展的な学風の男子校でした(あまり、出来は良く無い高校で手に追えない生徒の集まる高校)… 私は本土復帰の翌年でしたのでパスポートは必要なかったですが、初めて米ドルで買い物をした記憶があります… で、話しは男子高校生が夜の自由時間に行ったのは赤線地帯の売春宿、勿論日本もアメリカも売春行為その物が法律違反であったにも関わらず堂々と営業しておりました… で、そこは米兵達でごった返し英語が飛び交っていて、まるで別世界のようだった記憶があります… その日は米兵に混じり我が高校の生徒たちは小さくなりながら順番を待っていました…
▲134 ▼54
=+=+=+=+=
戦争でこういった被害はどこでも起きてる兵隊としたら自分の命が明日はあるかどうかも分からない極限状態のなかで生きているからですね、そして戦争は勝利したほうが圧倒的に有利、でもアメリカの悪行はあまり公表されていなかった、とにかく戦争になったら一番被害を受けるのは弱い立場の人だからいいことはありません。
▲315 ▼15
=+=+=+=+=
日本が敗戦して、国民が貧困により、その日暮らしを余儀なくされて居た時代に、当時の政府が真っ先に取り組んだのが、占領国の軍人の性処理場を公的に設置する枠組みを作るのが、これ程、重要だったとは意外に思います。占領国に対するおもてなしとも受け取れますが、3大欲求を満たすのが、ストレスや犯罪抑止の為にも、いかに大事かと思います。戦争があって過酷な状況の時と言うのは、軍人の精神的にも、国家としても、こう言った公的な施設と言うのはあってもおかしく無いだろうと思います。
▲12 ▼7
=+=+=+=+=
そりゃ今でも駐留米軍兵士のレイプ事件は起きてる訳だから、完全に女性が守られることはない。ただ、その確率を少しでも減らすためには、やむを得ない策なんじゃないかなとは思う。そういう意味でも戦争は終結しても悲惨であり、引き起こさないように努力し続けなければならないと思う。
▲119 ▼46
=+=+=+=+=
何とも恣意的な記事だと思う。 例えば、旧ソ連軍がドイツや日本で行った強姦事件は無数にある。また戦後日本に上陸した米兵による強姦事件は、わずか数日で千件を超えたという。 記事は「自分たちが南京でしたことが」などと書いているが、南京で起きた強姦事件は「日本軍にとっても取り締まるべき事案」だったが、占領軍による強姦事件は「勝者の特権」として扱われた。
占領軍に差し出された女性たちは悲惨としか言いようがない。それでも、敗戦下にあった日本人が、与えられた条件下で何とかしようとした思考や行動を、その時代に生まれなかった幸運に恵まれた私たちが、印象操作のために善悪のラベルを貼ってはいけない。
▲23 ▼8
=+=+=+=+=
占領軍の好きなようにやられるのは当たり前の世の中だったから。何か今さら感がすごいけど。これがロシアや中国の占領だったらもっとすごいことになってたから。ちなみに米英が鬼畜と言われてたのも、亡くなった日本兵の頭を切り取って骸骨にして土産に持ち帰ったのが当時流行ったからだし。当時のアメリカの新聞広告にはうら若き女性が日本兵のされこうべをうっとり眺めながら彼氏の帰還を待っているみたいな絵があったし。今さらそういう事を騒いでもね。
▲107 ▼38
=+=+=+=+=
敗戦するとはこんなにも残酷なのか。 こうならないために、たくさんの命が散っていった。 では、全ての犠牲の責任はどこか。 戦争を始めた首脳?軍部?天皇? と、考えたくなるが、戦争になったのはそんなに単純なことではない。 だからこそ、私たちはそれぞれの立場で様々な視点から学ばないといけない。 この記事はとても大切な記事であると思う。
▲6 ▼0
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こういうことは事実としてあったわけだけど、じゃあこの募集に応募しなかった女性が今のように普通に暮らせていた時代だったのかということを考えたらどちらの選択がマシだったのかは分からないと思う 大抵の場合これに参加することで不幸になったという事例しか表に出てこないし、辛かったけど参加したおかげでお給金たくさん貰えて家族みんな誰も飢え死にしないで済みました!声かけたけど拒んだお隣さんも一緒に行ってたら家族を亡くさなかったかも…みたいな話は絶対に出てこないだろうしねぇ 身売りされるのと口減らしの対象になるのはどちらがマシかというレベルだけど…
▲2 ▼6
=+=+=+=+=
この記事のベースになっているのは、「慰安所の設置」であり、またそれにより女性がどのように扱われたか、といったことだ。申し訳ないが、無意味に思える。なぜなら、戦争が無ければこのようなことは起こらなかったからだ。戦争がなくても国家売春は行われたかもしれないが、少なくとも「占領軍の男性兵士がそこらじゅうでレイプするのを防ぐために専門の施設が設置されたのだ」という理屈は通らなくなる。もちろん、「戦争こそが無くなるわけないので、戦争が諸悪の根源などという論調こそが無意味だ」という解釈もあろう。それはそれで一理ある。 しかし大切なのは、戦争の目的が、人を傷つけたり殺めたりすることではないことである。戦争において、人を傷つけたり殺めたりするのは手段でしかなく、それで終わりにならないことである。そこに戦争の怖さがある。
▲5 ▼7
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当時から居た立ちんぼですが、自活のためになる人も居れば仕事として慰安所に行く人などその思いは複雑と言える。 それこそ韓国の慰安婦問題も国策勧めるか、仕事としてなるかで根底が変わって来る。 何処でも慰安婦は居た、日本の戦地でも国策として慰安所があったと聞いた。 当時アメリカが来たら女性は全て○○と言う事も聞いたし、生きて帰れないと言う話も聞いた。 いつの世も、女性を守ると言う事は絵面事の様にも感じる。
▲46 ▼6
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日本兵も米兵もソ連兵も、占領地では強姦事件を大量に起こしており(徴兵急拡大⇒規律が緩み略奪・強姦が多発)、フランスでも米軍に慰安所の設置を急ぐよう要請した記録がある。 上記の通り当時、占領軍の強姦を防ぐには慰安所の設置が必要という認識は普遍的だった。 ただし、軍の慰安所となれば自国女性を雇用することになるが、米国からやってくるのを待っては数か月、性に飢えた米兵が野放しになる。そのため、日本側が自国制度の延長線上に占領軍向け慰安所を急ぎ設置したが、これは遊郭等からの地続きであったので、東北地方等の当時の貧困地域からの身売りが色々な形で起こり禍根を残した。 公のために一部を犠牲にして「市民」の婦女子を守ったのは事実かもしれないが、貧困のせいで訳も分からず連れてこられて「市民」の枠から外された女性のことを忘れてはいけない
▲13 ▼1
=+=+=+=+=
まあ女性の視点としてはこうなるけれど、一方で戦地へ送られる男性兵士は忍従を強いられている立場でもあり、理性で我慢をしろというだけでは解決できない面もある。 現代でも単身赴任が当たり前に行われているけれど、戦地派兵と変わらない無責任な派遣命令と言え、女性を守るためにはまず男性をパートナーから離す指示をなくすことが根本なのかなと思う。
▲4 ▼5
=+=+=+=+=
過去の歴史を現代の価値観で裁くことはできない。 現代の価値観が正義ならば、イスラエルがカザでやっている人間狩りに対して、絶対阻止すべきだけどもそれすらできていない。当時の時代から考えるにそれが最悪を防ぐ手段であったので仕方ないのかもしれない。要は、戦争に負けて国民が不幸にならないようにしないといけないという教訓です。
▲7 ▼3
=+=+=+=+=
沖縄戦では、空襲で壊滅した那覇の本隊を移した、南風原(はえばる)の基地でも、兵隊用の慰安所が設置され、さらに、将校用には別棟の慰安所が建てられていたと、激戦地南風原の資料館で記載されていて、衝撃を受けました。
▲16 ▼4
=+=+=+=+=
なんだかんだ言うけどこれは結果的には設置してまだよかったんだと思う
米兵自体行く先々でやらかしててドイツでももちろん 同盟国のはずのイギリスとフランスでも強姦以外にも 強盗とか暴行傷害が多発してて総数は万単位と言われてるけど 件数があまりにも多すぎて特定が出来てない
ちなみに米軍向けの慰安所作れって現地で言われても米軍は拒否してるので 住民を守る為には自分たちで作るしかなかったと思う
▲4 ▼1
=+=+=+=+=
その場の論理(ミクロ)をマクロ的視点で論じても仕方ないと言えましょう。現代社会の出来事も未来の人達から見れば、、、、全ては前提条件が異なるので、それを覆しどれだけ論評してもその論が効力発揮するのは後世。その一助になることを願うだけで無く、次の一歩を考えなければ。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
前から少し知っていた話。 自分としては、心から大正時代後半にに生まれなくてよかった、空襲も食糧難にも売春にも巻き込まれなくてよかったと思っている。 戦後80年で日本人が歴史から学ぶことを忘れてしまったと感じているのは、 毎週日曜日8時の国営放送ドラマで吉原遊女を扱い、視聴者が「遊女役の色気や体当たりの演技に感動した」などと称え、面白がっていること。 また成人式の着物や浴衣まで、花魁風着付けだのヘアメイクだのが紹介され、若い女性が実際に取り入れてしまっていること。 これらを目の当たりにしてたまにあ然とさせられる。
▲31 ▼2
=+=+=+=+=
日本人的に難しい問題ですよね。 性について戦前の田舎は、奔放だったとの意見も有ります。
一方で戦後は、ガラリと思想が変化しました。 日本古来からの、男尊女卑が間違えだったと。
時代はくだり現代では、当時の慰安慰問活動について断罪されても、当時の思想では許されていましたが、現代ではアウトなります。
折り合いを付け全面謝罪で決着を目指すのか。 今後とも当時の生き方として、分けて考えるのか。
はっきりとどちらかに、けじめを付けるべきです。
いつまでも揉めているのは、曖昧に濁しているからだと思います。
▲8 ▼17
=+=+=+=+=
戦争って生きるのが精いっぱいで、生きていくためには選択肢が限られる 体を売るのが嫌ならやらなければいいという考え方は、他に選択肢がある場合であって選択肢がなければやるしかなくなる 就職氷河期で就職できずに派遣で食いつないで先が見えない生活は本人の責任ではないけど、自己責任論者は努力が足りないと言いたがる 戦争の前後で女性が体を売ることを合意したから、本人の自己責任にしたがるけど、自己責任とは社会システムの欠陥を放置した側が都合よく詭弁
慰安所が性の防波堤になったというけど、それは慰安所で性の相手をした女性の犠牲に上で成り立つもの 治安を保つためにそういう場を設けることの危うさというか、大勢を守るために少数を犠牲にして、犠牲となった人が社会から白い眼を向けられる 人権意識が低いと少数の切り捨てって簡単にやってしまう
▲36 ▼11
=+=+=+=+=
戦前の帝国海軍の上陸地には、将や兵士の相手をするべく女性が準備されていたので、遠来の将兵には相手をする女性を手配しておくというのは常識になっていて、その進駐軍用のを準備したということだったのでしょう。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
戦争は大反対である。しかし、戦争したら勝たねばならぬ。国内の占領軍向け慰安所設置も、戦争に負けたから性の防波堤を考えた。売春が合法だった当時の考えとしては、一般婦女と区別されるべき暗黙の了解があったと思う。その考え方は、幕末期の下田にいたハリスの看護人・お吉の頃から、ソ連に占領された満州国にいた女性達の悲劇にも当てはまると思う。21世紀になって今も、戦争で女性も犠牲となり、現在も過去もそれが大きく変わらないのが残念。
▲1 ▼2
=+=+=+=+=
人間の様々な本質を考えさせられる素晴らしく、有意義な記事かと思います。 学校で教育すべきであり、テレビや映画などでも、もっと題材にすべき。
およそ80年前に地獄を味わった日本人の先達たちの生き様から、現代の愚かな我々日本人は学ぶべき事しかない。
▲4 ▼2
=+=+=+=+=
性的慰安を与えなければ、男性は暴走する・・・神話ではなく、過去を振り返ればそれが現実だと思う。ではそれを防ぐにはどうすればよいか?ということだけど、占領軍相手では日本の法律は役に立たない。実効性があるかわからないけれど、強力な国際法で管理するくらいしか方法はなさそう。
▲20 ▼4
=+=+=+=+=
今の人には理解することは難しいかもしれない。 旧日本軍は戦線拡大に連動して慰安所が設置されてきたから、敗戦により米軍が進駐して来ると決まると真っ先に慰安所の設置を考えるのは自然である。
現代の概念ではあり得ないことだが、これが当時の常識だったのだ。 もちろん売春も公然と存在し売春禁止法が成立するのは昭和38年だ。
いわゆる妾や二号なども「男の甲斐性」と受け止められ、できた子供を認知するかどうかも全く自由だった。
過去の史実を何でも現代の社会常識であてはめて判断するのは正しくない。
時代とともに人間の理解も進化し社会常識として定着してきたという歴史経過を正確に理解することが重要である。
▲21 ▼1
=+=+=+=+=
知らない事が多すぎて、現代にまで引き継がれていない戦争の記憶がたくさんあるのだと思います。現在、抱えてる世の中の多くの課題も、その当時の人たちの苦しみや悲しみに比べたら、なんと平和なことだろうと思わされます。
▲8 ▼0
=+=+=+=+=
今でも慰安婦問題は色々言われているが当日そんな話は日本だけでなくイギリスでもアメリカでも当たり前な話。何故日本だけが今だに言われるかといえばただただ敗戦国だからってだけの話。 本来なら戦争していたどの国も言われるべき話で日本だけ何十年もたっても言われ続けている。本当におかしな話。 敗者だから全て悪い、勝者だから許されるは間違いだし、どの国も反省すべき話だし時代背景を考えたら生きるか死ぬかの世界で今の平和な時代の基準で考えるのはまた違うと思う。 そういう中でがむしゃらに生きてきて、今があることをもっと考えなければならないし、平和になってなければ日本も今だ北朝鮮のような国になっていたかもしれないと思うとどちらが正解だったかわかるとは思う。
▲27 ▼0
=+=+=+=+=
時代に関係なく戦争が始まれば起きうることなのを、とくに女性はよく知って、その前に国がどんな政策を行い国に逆らえないように準備してから戦争に突入して行くか見て、そうならないように政治に参加する必要があるでしょう。戦争は止めなければなりません。
▲11 ▼0
=+=+=+=+=
政府は自国民に対しての戦争責任を全く対応していないので、せめて事実を歴史、日本史に残し教育させるようにして欲しい。現実に不都合な内容となるのでやらないのは罪です。いつから自民党が与党なのか知りませんが、当時の政府の与党政策がこれであった事、今の与党との繋がり、今の与党のやっている政策との乖離説明など、徹底的な説明責任と国民への賠償責任を果たしていくべきだと思う。この国の政府は偉そうに税金を国民から取り立てている立場ではない。政府内部に入る人は政府側の人間なので、国民へ常に賠償責任がある事を肝に銘じて政治をやって欲しい。戦後敗戦国となり、米国に経済的に属国となっている事実やそれが国民にどれだけ不利益な物となっているか、どうすれば打開できるのかを真剣にオープンにして政治を行っていく時であると思います。もうどうせこのままいっても日本経済は終わる予感しかないですので
▲17 ▼10
=+=+=+=+=
敗戦国の資料・史料は、色々な主観(悲しみ・苦しみ・怨み・慟哭・勝者からの恣意・勝者への忖度が、入り混じり捻じられ成立している)。敗戦国の資料・史料は100年150年後の同胞史家・学者が客観視出来る、無感情の出来事の羅列と当時の他国史料(例アメリカ公開公文書等)で検証出来る、そのような史料保存収集に終始すべき事と、正確に史料・資料を読み込む検証の出来る歴史家・学生を育て続け国民に向かって公表する事が、日本のためには必要と思います。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
当時を知る人ならもちろん、多少歴史に興味のある人、あるいは人間の性(さが)がわかっている人なら今更何をって話。 まるで政府がいらん事をしたみたいな書き方だが、占領軍が当地の女性を戦利品扱いするのは古今東西の常識なんだから、こうした対応をするのは当たり前なの。 それを神話とか作り話みたいに言うのはなんだろうね? 責められるべきは、戦争を起こした事自体であって、慰安所云々は戦死者が出るのと同じように戦禍が大きくなれば必ず起きてしまう犠牲なんだよ。 戦争というのは人間を狂わすという歴史の必然が抜けているよ。 はっきり言って非常に浅い考察の記事だ。
▲13 ▼5
=+=+=+=+=
背景をどうにかして日本軍が悪かったと結論づけて書いてますね。
なぜ必要だったか二日市療養所や中国や戦後すぐのドイツやフランスなどを見ればよくわかります。
軍隊とは別の方法ですが、お姉さんたち日本を守って下さりありがとうございました。 さらに、戦後何十年もして急に従軍xx婦とかでクレクレに走らなかったことに敬意を表します。
▲47 ▼19
=+=+=+=+=
ぶっちゃけ公営・国営にした方が女性の性病の検査とかも義務付けたり出来るし給料とかを反社のシノギとかのされて不当な給与になったりすることも防げる 厳しくしたら禁酒法と同じように余計悪化する、というのはAV新法で既に起きてしまっている。
女性の権利を守る意味ではオランダ同様に合法化・緩和して、公営・国営にした方が良いのでは、という考え方はあります。
▲155 ▼64
=+=+=+=+=
記事では「南京事件の旧日本兵による性暴力が頭にあったのだと思います。」とそれが慰安所開設の理由のように書かれていますが、当時は各国の軍とも性暴力の問題があり、慰安所の設置は他の国の軍でも行われていました。 なぜ、この記事では、南京事件での性暴力を当時の政府が特別強く意識したかのように、それが慰安所を開設した大きな理由のあるかのように書かれているのか、奇妙に感じます。 それと慰安所の開設を正当化する理由にはなりませんが、しかしながら当時の政府や自治体は一般女性の米軍兵士による性暴力の被害者が少なくなるようにと、慰安所を開設したという事を忘れるべきではないと思います。 そもそも当時の一般市民には、戦争に負ければ家族が外国人からのそうした暴力にさらされるという恐怖があり(外国人が未知の存在であったこともあり)、召集で兵士となった男性の多くもそうした暴力から家族を守りたいと考えて戦っていたのです。
▲9 ▼1
=+=+=+=+=
ハッキリ言って、オールドメディアは、この手のレポが大好き。 こういうレポが、現代の我々に何をもたらそうとしようとしているか理解できない。 歴史は、その時代に解明されたことを、淡々と記録するに留めるべき。 むしろ、こういう事実よりは、現代社会の方が深刻で闇が深いが、オールドメディアはその事実の報道に消極的に感じます。
▲10 ▼21
=+=+=+=+=
当時の時代背景や常識と、現在を比較する必要はある。 昔の行いは、それまでの経緯や、複雑な因果関係で成り立っている訳で、現在の感覚で断じてしまえる程、単純ではない。 日本は江戸時代には吉原に幕府公認の売春施設があった国。 お伊勢参りにはセットで売春があった国。それ以前から遊女の文化があった国。 天照大神は女神で、卑弥呼など地方でも女帝が存在し、性に対して大らかだった国です。 性に対して大らかなのは、女性も男性もあまりこだわりが無いという事の裏返しであり、日本は古代よりそのような精神風土で育って来ているわけです。 今、現在LGBTがトレンドですが、日本はむかしから歌舞伎で女型が存在し、戦国武将は男子を脇におき夜伽をしていました。 慰安婦という職業を知らずに募集された方は、お気の毒ですが、それは果たして全体の内のどれくらいのだったのでしょう。
▲16 ▼5
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米兵らに毎日蹂躙されたという証言がいくつもある。
そういう輩は一部の地域の一部の人達ではあるだろうけど、あまりにも「酷すぎる話」で、それが「辛い話」ぐらいに抑えられたのであれば、大きな意味がある。
問題なのは、戦時中や戦後にアメリカがやってきた犯罪が、ほとんどお咎め無しという状態になっている事で、日本の名誉回復だけでなく、アメリカにも大いに反省してもらわない限り、戦後レジームは終わらない。
▲8 ▼2
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日本が戦争に勝利していたら全く違う歴史になっていた。だから次に起こる可能性のある戦争では必ず勝利して戦勝国にならなければならない。 2027年には、台湾有事が勃発して日本が戦争に巻き込まれる可能性が高いと言われている。 中国、ロシア、北朝鮮に勝利しなければならない。
▲3 ▼3
=+=+=+=+=
現在でも大規模な軍隊が駐留する場合、そういう事件が起きない様に近隣の街の元締めにお願いしてそういう娯楽場、施設を用意してもらうのが暗黙の了解になっている これは現在の話で中東に派遣されていた元自衛隊員が詳しく話していた 感染する病気には気を付ける様にと注意されたとか
▲8 ▼1
=+=+=+=+=
この記事で扱われている内容は悲しいことでもう二度とあってはならないことですが、「男性により女性は搾取された」との主張。それは本当だろうか?性別で分けて論じるなら直接戦地に送られる方が悲惨ではないか
そもそもフェミニズム的な文脈で「男 対 女」の単純化した二項対立で議論すべきことではないと思います。「国民を駒として使った為政者 対 駒として使われた国民」で語るならまだ分かりますが
また記事中で『占領兵の慰安施設を作らなければレイプがすごく増えただろう』を否定していますが、何を根拠にそう断じているのか分かりません
このコメ欄にも沢山書かれているような、各国戦地でのレイプ被害の酷さを鑑みれば、慰安所が無かったらもっと酷いことになったのでは
「自分と同じ性別の女性が男性に搾取された。それを訴えなければ」という感情が先にあり、その感情に合うように論理を展開しているようにしか思えません
▲4 ▼1
=+=+=+=+=
戦後80年ということでの記事なのだろうが、素直に読む気になれなかった。 過去の某新聞社のように「南京事件が要因では」と軍部の悪とむすびつけたり、女性の悲劇をことさらクローズアップしたりと、作為的なものを感じてしまう。 現代からすればとんでもないことが多々あったのも事実だが、それらを変に脚色したりすれば、歪曲された「事実」として認識されてしまう恐れもある。
▲55 ▼24
=+=+=+=+=
60歳です。叔父二人が出征しました。幸い生きて帰りましたが戦地の話は昭和の頃はマズしませんでした。平成に入ると少しづつ話すようになりましたが「英雄伝」ばかりでした。慰安所(ピー屋)のはなしもしていました。父も叔父二人も他界しましたが、これは事実として語り使えるべきだと思います。 従軍慰安婦についても軍の関与は事実なのだから公式に謝罪すべきでしょう。
▲7 ▼5
=+=+=+=+=
ま、本当の意味で平和な社会でのグローバリズムは一理あるでしょう。しかし、戦争ともなれば「平等」という言葉の強さはいとも簡単に封じられるでしょう。現在戦争をしている国々が物語っています。
仮にいま日本がどこかの国と戦争ともなれば、男は前線、女は銃後という構図は、戦前とまったく変わりません。戦争に勝っても負けても、子を宿す女性が居なくては国家は滅んでしまいますので、そこでは、男女、個人よりも「国家」が優先されます。理由は、そうでないと国がもたないからです。
私たちが出来ることは、過去の問題や事実を共有しながら語り継ぐことだけではなく、その主権を手放さないためにも「戦争をしない」「侵略されない」「負けない」「平和とは?」を真剣に考えることです。
戦後80年、自虐と反省を前提に語られてきた「戦後教育」から脱却し、本当の意味での「平和」や「自由」をいよいよ自らが考えるべきです。
▲3 ▼5
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題材のコミック読んだ事あります。 夫や父親、兄弟など働き手を失くし、生きるために仕事を求めた女性たち。 仕事内容も十分に明らかにされず、知らないまま働かされた人達もいた。 仕事は過酷で狭い部屋で、連続で客を取らされ暴力的に行為を行われ、心身ともに傷つく女性達が多かった。 かつての吉原のようなルールも手順もなく、本当に性労働の機械のように扱われた。
国も社会も性犯罪を抑えるため、慰安所を作り彼女達を働かせたのに、一方で待っていたのは差別と侮蔑だった。 彼女達を罵る言葉、敵に体を売っていると露骨に差別され汚い物を見るように扱われたそうです。 でも戦後、誰も助けてくれる人はいない、自分の身ひとつで懸命に生きて家族を支えた方達。 誰が彼女達を蔑む事が出来るのだろう。 教科書や学校では教えられず、社会で彼女達の事はタブーとされ歴史の中に消えていく。 でも確かに彼女達は戦後日本の1ページ。
▲19 ▼1
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今の価値観で善悪を判断できない問題でしょう 進駐軍による性犯罪抑止の効果もあっただろうし、それで生計をたてることができた人もいるという事実を無視して綺麗事だけ言ってはいけないと思う 「日本が」ではない 当時の世界では当たり前の施策だった
それを踏まえて今を生きる人たちがどうすべきことなのかを考えていかないといけない
▲3 ▼0
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日本は江戸時代から遊郭がある国ですから何の不思議もありません。 というか、遊郭と同じような宿は世界各国にありますよ。アメリカの西部劇映画を観れば分かる通り、バーの二階はたいがい春を売るシステムになっていてどの町にもある。そこに入れない、あるいは主人にお金を取られたくない女性は「立ちんぼ」で個別交渉。日本だけが特殊なわけではありません。 戦争云々も関係ないね。
▲11 ▼4
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当時のアメリカ大統領や司令官は慰安所を是とはできなかっただろう。 責任のある立場の者は慰安所に賛同できない。 だが、自分の妻子供が米兵に襲われると想像すると (米兵は事実上罪に問われない) あくまで希望制で給料が支払われる慰安所は必要悪と当時なら判断できる のでは? 前線で老若男女殺しまくってしまった兵士からすれば 「レイ〇?殺さないからいいだろ」って感覚になってしまっている。 ノルマンディー上陸作戦や敗戦直後のドイツ、ソ連の赤軍の通過した後は 酷い話がのこっている。 なぜここで南京事件が持ち出される? 中国首都陥落に際して海外からの新聞記者が多数押し寄せている。 日本は世界世論では劣勢であり、性被害がもし世界的に問題化されれば首都陥落に泥を塗られるために当時の司令官は軍規の尊守を徹底した。 その作戦規模からすれば少ない犠牲であったはずなのにここで南京のみ取り上げるのは明らかにアンフェア。
▲1 ▼1
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大日本帝国憲法下において、例えば、女性に選挙権は認められていなかった。 それをもって、女性を守っていないと批判することは許されない。
なぜなら、当時の憲法で合憲であり、 それを批判するのは日本国憲法上の権利をさかのぼって適用するもので、 戦国時代の織田信長を強盗殺人犯と評価するのと同じだから。
以前、駐車違反ではなかった場所に自動車を止めた人は、今駐車禁止になっていたら処罰されるのでしょうか?
左派が、過去に遡って批判する理由は、左派はただしい答えありきで、それを押し付けることが核心部分だからだと思います。
韓国でも、左派は、過去にさかのぼって、前大統領を逮捕することが常態化しています。
▲25 ▼44
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ここまで書きながら、戦争の敗戦がこの悲劇を生む。これは世界共通です。だからこそ戦争にならない世界戦略が日本に必要としないのでしょうかね?アカセンで働かねばならない経済的状況、隣国の慰安婦も日本の人も、そうしなければ生きていけなかった人達が居たことを忘れてはいけない。その人達を今の平和な世界で生きる私が見下すことなど出きるはずも無いことを認識しておきたい。
▲39 ▼2
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こういう女性の犠牲を二度と発生させないためにも、敗戦国になるような国力ではダメなんですよ。
他国が容易に攻め込んでこれない軍事的抑止力は保有するべきだと強く思います。日本人女性がこういう辱めに遭うのはホントに腹立たしい。
核武装など議論して日本に中国やロシアが攻め込まむ隙を与えないようなレベルに日米安保を基軸に強い日本を作っていくべき。(これ言うと絶対に戦争反対っていう安直な人が出てくるけど、戦争に巻き込まれない戦力っていうのはロシアとウクライナ見てても重要なことは火を見るよりも明らか!)
▲8 ▼7
=+=+=+=+=
軍隊に強姦はつきものだが、特に有名なのがベルリンのソ連軍と中国の日本軍。 シベリア出兵に始まり、上海事変から南京攻略における強姦頻発に手を焼いた上層部が慰安所設置を決めたものの一向に減らず、中国民衆の間で日本兵は「獣兵」と呼ばれた。帰休時の酒席では強姦の数が自慢話だったという。 米兵も日本で同じ事をやるだろうと考えた近衛がRAA設置を指示した訳だが、遥かに軍紀が厳正なのに驚いたらしい。
▲0 ▼2
=+=+=+=+=
この記事からは様々なことが見えてくる。「国体」=天皇を元首とする体制、の護持に拘って、あるいは自らの責任逃れの為に戦争を引き延ばし続けた事が、多くの女性に悲惨な運命を担わせたと言う事だろう。少なくとも沖縄戦に突入する前に敗戦を認めていれば、これほどの悲惨な事にはならなかったはずだ。
▲5 ▼1
=+=+=+=+=
この記事の女性達から産まれた子供達も、孫やひ孫を持つような年齢になっている。 当時は望まない出来事だったかもしれないけど、現在まで命が継がれて、子孫はそれぞれの人生を過ごしてる。戦争は80年も前の出来事だけど他人事じゃないなって考えさせられる。
▲12 ▼1
=+=+=+=+=
地方都市に住んでますが、その街にも 米兵向けの施設があり、勤務先に入社 した時に誰々の娘さんが行っていたとか 聞かされました、その方の親族も工場に いて肩身が狭そうでした。 70年前の話しですが私は忘れないと 思う。 父親も満州に出兵し、母親は軍需工場 に勤労奉仕していて2人とも故人、 私が他界して戦後が終わる。
▲42 ▼6
=+=+=+=+=
何が悲惨と言って、そうして差し出した女性たちが一般の男女にも外国人相手に媚を売って囲われている、と非難されるままにして、不幸にも外国人に辱められた人までもふしだらと断じていたことでしょうね。現代でも自分の女性差別を正当化するのに、やたらと女性の貞操に言及したがる人がいますけれど、よそのお嬢様の貞操の話に嘴を突っ込む時点で、家父長制の世界が継続していたとしても相手にされないだろうなと思います。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
慰安所政策のおかげで衣食住が保障され、「生きる」ことができた女性も一定数いたわけで、一概に「慰安所=悪」とは言えません。 ただ、過去に言葉も通じない異国の軍人の慰安をした女性達のおかげで、今の平和な日本があり、そして当時とは比べ物にならないほど快適に人生を過ごせていることは今一度感謝すべきでしょう。
▲1 ▼3
=+=+=+=+=
赤線か。兵士は破壊と殺人の権化です。だってそうなるよう教えて鍛えてるんですよ。我々もそうするよう求めてるじゃないですか。共産すら存在を認めてるんですよ。軍独自の司法があるのは暴力の抑止と兵の保護が目的です。慰安もそうです。近代軍には絶対必要であり、露宇戦における実態解明はまだ先でしすがブチャ虐殺の復讐で婦人部隊が出来ましたね。軍にしたら進出先で検挙されては作戦に障る。現地勢力に抑えられたら動きづらいのは当り前でしょう。負けた方が暴虐に仰天しともかく憲兵を寄越してくれというのもこれです。戦争に綺麗事の余地など一切なくあるとしたら後悔だけです。私達も遠からず身をもって味わうでしょう。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
戦争中という明日は生きるか死ぬか分からない極限の状況下では雄は本能的に子孫を残そうとするし、死ぬ前に一度くらいは女性に触れたいと言う切ない願いもあるそうです。早く戦争のない世界になって欲しいです。
▲21 ▼2
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この記事の中にある横須賀の安浦ハウスと書かれた慰安所跡地は、現在神奈川県の横須賀合同庁舎となっています。 また、その近くには安浦という青線地帯があり、そのエリアの国道沿いのお屋敷が現農林大臣の実家です。 それがどういうことを意味するか、カンの鋭い人なら気づくと思います。 さらにいえば、その国道沿いのお屋敷の向かい側エリアには、日本の大きな裏組織の一つの横須賀支部の事務所もあります。 ということは……って話です。
戦中も戦後も、裏と政府なんてずっと繋がっているんですよ。 戦争時や戦後みたいな非常時には、いっそう弱者ほど食い物にされるだけなんですよ。 それこそが紛れもない歴史的事実なのに、軍艦だとか大砲だとか零戦だとか、そんなものばかり遺産として遺していこうとするのはおかしいです。 戦争は負の遺産こそ遺していかなければいけないと思います。 平和の尊さ、戦争の本当の悲惨さを伝えていくためにも。
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男性は徴兵され戦闘で死を強いられ女性は尊厳を踏みにじられる。 んな苦しかった時代、生きるための糧を得るため従事せざるを得なかった人にとっては、そういった場があって生き延びることができた、という側面もあるだろう。一概に性別でくくって論じられることではないと思う。
最大の誤りは負ける戦争を始めたことなんだから。
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今の平和で身分が保障されてる日本から見れば異常に映るかもしれないが、当時の情勢を鑑みればそれはそれである意味正しい方策だったんだろう。 近現代の話だと今の法律と照らして言う人も多いけど、近世の話だとそうでもない。
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50年代後半だが、慰安所が設置されたことがあった街で小学校の数年間を過ごした。 クラスには数名の、いわゆるGIベビーがいて、概ねの子は、パパはアメリカにいて、おうちが買えたら呼んでくれると言っていた。 でも、なかにはハーフタレントやモデルで稼ぎ始めた子もいて、そうなると母親もあてのないアメリカより、ステージママの道を選んでいたようだった。下校時の校門前には、雑誌社やテレビ局の迎えの車がよく来てた。複数の子どもが売れ始めて、生活の羽振りも良くなった家族は、テレビ局に近い場所に引っ越して行った。
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