( 312519 )  2025/08/02 03:05:11  
00

「絞首刑が残虐でないと言うなら」 死刑囚3人が国に出させたい文書

朝日新聞 8/1(金) 5:00 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/fd4969ee4d97299e3d4eb138f724aa69b190fad5

 

( 312520 )  2025/08/02 03:05:11  
00

31日、死刑囚が大阪地裁に対し、絞首刑が執行される際の詳細な設備や用具に関する資料の開示を求める申し立てを行った。

彼らは、この情報を元に絞首刑が憲法に反する「残虐な刑罰」に当たるかどうかを考えたいと訴えている。

対象となる情報は、刑場の図面や使用される縄の材質・サイズ、目隠しや手錠に関する文書など。

日本ではこれまで絞首刑の現実はほとんど知られておらず、国は死刑囚への配慮を理由に詳細を公開していない。

原告側は国に立証責任があると主張し、資料の開示を求めた。

(要約)

( 312522 )  2025/08/02 03:05:11  
00

太政官布告による刑場=原告弁護団提供 

 

 絞首刑を行わないよう求めて裁判を起こしている死刑囚が31日、どのような設備で刑が執行されるかわかる資料を国に出させるよう大阪地裁に申し立てた。日本ではイメージでしかわからない絞首刑のリアルをできるだけ明らかにして、憲法が禁じる「残虐な刑罰」に当たらないか広く考えてほしいと訴えている。 

 

 対象は、東京・大阪の拘置所の刑場や職員が執行ボタンを押す部屋などの図面のほか、死刑で使われる縄の材質や太さ、長さ、目隠しや手錠についての文書。 

 

 日本では2010年に初めて東京拘置所の刑場が報道機関に公開されたが、「死刑囚の心情の安定」のためとして、縄などの用具は取り外されていた。大阪拘置所の刑場は報道公開されたことがなく、23年に近畿弁護士会連合会が視察を求めたが、国は死刑囚への配慮を理由に応じていない。 

 

 今回の裁判は、日本の絞首刑が残虐な刑罰を禁じた憲法36条に違反するとして、大阪拘置所にいる死刑囚3人が22年11月に起こした。 

 

 被告の国は判例を踏まえて「残虐でない」と反論したものの、詳細を明らかにしないまま「訴えは不適法」と却下するよう求めた。このため、原告側は「残虐でないというなら、国がそれを立証すべきだ」と主張。「どのような場所で、どのような用具で執行しているのか明かすことが議論の出発点だ」として、資料を出させるよう地裁に申し立てた。 

 

朝日新聞社 

 

 

( 312521 )  2025/08/02 03:05:11  
00

この議論は、日本の死刑制度とその実施方法についての多様な意見を反映しています。

死刑囚が自らの死刑方法に関する残虐性を主張することに対して、多くのコメントが怒りや不満を示しています。

ここでの主な傾向は以下の通りです。

 

 

1. **死刑囚の犯罪と被害者の視点**: 

- 多くのコメントでは、死刑囚は重大な犯罪を犯した者であり、その犯罪によって命を失った被害者の苦痛を考慮するべきだとされています。

被害者や遺族の感情に寄り添う意見が多数見受けられます。

 

 

2. **死刑方法の選択肢とその適切性について**: 

- 絞首刑の残虐性に関する意見があり、一部の意見では絞首刑が苦痛が少ないとされています。

更に、他の厳しい方法でも良いという意見もあり、被害者の苦痛に見合う相応の刑罰を求める声が強いです。

 

 

3. **精神的負担**: 

- 死刑の執行に際しての刑務官の精神的ストレスや負担を考慮し、執行方法の見直しが必要だという意見も見られます。

 

 

4. **司法の透明性と誤判防止**: 

- 冤罪の問題が強調されており、透明性のある検証と法改正が必要とされる声もあります。

死刑判決に対する慎重な態度は多くの人に支持されています。

 

 

5. **一般市民からの法的感情**: 

- 多くの人が、死刑囚に対して同情よりも厳罰を求めており、犯した罪の重大さから、残虐性が許容されるべきだという強い感情があることが読み取れます。

 

 

(まとめ)  

この議論では、死刑制度の存続と冤罪の防止、被害者への配慮、そして死刑執行方法の社会的合意についての意見が交錯しています。

多くの人が被害者の痛みに共感し、死刑囚が自己の権利を主張することに対し厳しい姿勢を持っている一方で、執行する側の精神的負担や冤罪の可能性については注意深い検討が求められています。

( 312523 )  2025/08/02 03:05:11  
00

=+=+=+=+= 

 

要は死刑を廃止せよというのが死刑囚の主張と思われます。申し立てた死刑囚がどのような犯罪をしでかしたのかわかりませんが、少なくとも死刑判決を受けるような凶悪事件を起こした囚人であることは間違いないと思われます。今でも日本では死刑制度が支持されています。死刑廃止を訴える人もいますが、被害者遺族の気持ちや抑止力も含めて現在の日本には死刑という制度は必要だと思います。 

 

▲69939 ▼1388 

 

=+=+=+=+= 

 

知らない世界です。 

これに携わる職員さんにとってはどうなのかが気になる。やりがいや楽しさ達成感がない仕事なんて想像ができない。むしろ心を壊すような仕事を、そっと誰かがやっているということを社会に伝えることは必要だと思う。受刑者の心情云々は敢えて置いておいて(それぐらいの事をしたのだから自業自得なので)、職員さんの心ケアを重点にして改善等ぜひ進めて欲しい。 

 

▲1534 ▼89 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑になるほど残虐な犯罪を実行したのは明らか。何人殺害したのか?どのように殺害したのか? 

それを考えたら死刑になる犯罪者は被害者やご遺族様の無念を考えてもらいたい。 

但し、袴田さんのように長年死刑冤罪に苦しむ人もいる。だから再審の扉を容易に開けられる法改正が必要だ。冤罪事件においては検察が持っている証拠の開示を速やかにできるようにすることも必要です。 

 

▲923 ▼32 

 

=+=+=+=+= 

 

絞首というが、実際は縊首であって執行の瞬間に意識を失うとされ、苦痛はないに等しい。かつて宮崎勤元死刑囚が薬物での執行を希望したとか記憶があるが、罪を犯しておいて執行方法が云々とはおかしい話かと。単なる執行の引き延ばし策にしか思えない。 

 

▲44557 ▼570 

 

=+=+=+=+= 

 

被害者の遺族の痛みを理解して欲しい。残虐な犯罪を犯し、自分は残虐な刑を前に恐れ、現実から逃れようとしている。犯した罪が重大であるのなら、相応の刑で罪を償って欲しいのだが、絞首刑であると相応とはなっていないのが実情と感じる。被害者の痛み、またその残された家族が今後の長い人生続けて抱かなければならない痛みを考えると、本当のところでは絞首刑では足らないかもしれない。独房ではあるが、税金が費やされ食事は与えられている。残された遺族は、辛い気持ちを抱きながらも、自分達の力で生活を続けなければならないにもかかわらず。身勝手な罪を犯し、被害者だけではなく、その家族の人生を狂わせ、その罪に向き合うのであるのなら、刑を粛々と司法判断のもと可能な限り速やかに受け入れて欲しい。弁護士の腕の見せ所ではない。何の罪もない人の命が奪われ、その家族の人生が狂う。これ以上遺族を苦しめず、自分が行った罪に向き合って欲しい。 

 

▲486 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

罪なく殺されたり、長年苦しんでる 

人達の方の方が理不尽でしょう 

 

被害者と同じ目に合わせる 

遺族、被害者への肉体的に精神的ダメージを 

再現する刑罰をAIがしてくれれば 

いいのに、、刑務官の負担も減りますし 

 

誰に唆されてるかは知りませんが 

被害者、遺族の気持ちを少しは考えて欲しい 

 

▲30200 ▼310 

 

=+=+=+=+= 

 

何故死刑囚に配慮しなければならないのか?普通に生きていれば罪を犯すことはないし、ましてや死刑になる重大な犯罪を犯すことはない。冤罪防止のため死刑判決に至るまでの経緯は慎重になる必要はあると思うが、被害者を出した死刑囚が死刑は残虐だというのは違うと思う。 

 

▲20104 ▼203 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑になるようなことをしておいて残虐などと言うのが違和感しかない。死刑に反対する人達も身内が残虐な殺されたことがないから反対と言えるのだろう。海外に比べたら日本は犯罪者にとても優しく犯罪をしない人や被害者には見てみぬふりでとても厳しいようにしか見えない。 

 

▲19117 ▼171 

 

=+=+=+=+= 

 

日本国憲法が残虐な刑罰を禁じているのが、そもそもどの刑罰までが対象かを区切るべきのような気がします。死刑囚によって殺された方は残虐に殺されていて願いを出すことも出来ないのに、人を殺めた死刑囚が人として権利を主張するのには違和感を感じます。 

確かに残虐な刑罰は禁止されるべきとは思いますが、それは非人道的な犯罪を犯した人ではない犯罪者に限られるべきと思います。殺人犯には、その人が大切な命を奪ったのと基本的に同じ状況を再現して死刑執行時の方法とすれば昂平・公正のように思います。それでも有無を言わさず命を絶たれた方の無念は晴らせないと思いますが、せめて自分が味わった苦しみと同じ苦しみを味合わせてやって欲しいと思うのでは? 

 

▲684 ▼23 

 

=+=+=+=+= 

 

学生時代のバイト先で、旦那さんが刑務官というパートさんに話を聞いたことがある。 

 

死刑執行のスイッチを刑務官3人で同時に押し、誰のスイッチで執行されたか分からないようにしているが「あ、俺のだな」となんとなく分かると言ってました。 

 

絞首刑が残虐かどうか死刑囚の裁判よりも、刑務官の執行する精神的負担を減らす方法の議論はされても良いと思います。 

 

▲13084 ▼580 

 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑囚がどれだけ人間扱いされているかを語る記事ですね。 

犯行により失われた命や遺族の苦しみを感じることなくまったりとした時間を過ごしているのでしょう。 

絞首刑ではなく、焼却等もっと残忍でもいいと思うし、執行の期日、ボタンを遺族が希望すれば決定、操作できるようにしてもらいたい。 

組織的な犯罪なら、遺族の決定は新たな犯罪の火種になるので決められないが、残された者への配慮こそ考えるべきだと思います。 

 

▲11174 ▼296 

 

=+=+=+=+= 

 

日本国で死刑判決を受ける者は悪質な殺人犯に限られている、という事を抑えて置く必要があります。彼らは凶悪犯でもあるのです。彼らが理不尽に殺めた被害者の苦痛や恐怖、絶望を勘案すれば事前に執行を告知され、自分が何故、どんな方法で処刑されるのかを知る事が出来る事は被害者依も遥かに恵まれた環境である、と言えます。 

 

▲8714 ▼98 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑囚となるということはおそらく殺人などの凶悪犯罪を犯したのかと。 

そんな死刑囚に殺されたりした側の方がよほど残虐な最期となったのでは。それも今回訴えている死刑囚に。 

そもそも絞首刑の執行方法はかなり考慮されており、逆に日本は情け深いと感じるほど。残虐なことを犯したあなた達が言えることなのか。被害者と被害者家族をはじめとする関係の方々の心情は計り知れない辛さがあることを真っ先に考えるべきだ。 

 

▲7007 ▼66 

 

=+=+=+=+= 

 

13階段を読ませるか、映画を観させたら良いかと思います。死刑執行の経験がある元看守長と、傷害致死を起こしたが模範囚として仮釈放された青年が、無罪を主張する死刑囚の冤罪を晴らすべく、事件の調査を行う小説です。 

元看守長が過去の死刑執行を語るシーンがありますが、死刑場(?)がリアルに猫写されているだけでなく、執行人や死刑囚の感情の揺らぎも克明に描かれています。 

 

▲792 ▼160 

 

=+=+=+=+= 

 

絞首刑となる死刑囚は少なくとも2人以上を殺害したとされている輩で、殺害された方の多くは何の罪もなく不条理に惨殺されているのです。 

そういった連中が自身の刑執行に対し残虐性を問うというのは、被害者やその遺族からしたら何とも腹立たしく感じるのではないかと思いますね。 

ただ絞首刑はそれに立ち会う刑務官にも多くのストレスがあると言いますので、それを回避できるような形に変えることは必要と思います。 

 

▲6845 ▼107 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑は法に基づき、重大かつ凶悪な犯罪に対する極刑です。刑事訴訟法475条は死刑判決確定後、6カ月以内の執行を規定しており、本件のように確定囚が絞首刑の「残虐性」を理由に執行を引き延ばすのは、制度の趣旨を踏みにじる行為に他なりません。死刑囚は法に照らして裁かれた結果であり、被害者の命を奪ったことの重大性を忘れてはなりません。手続きは既に尽くされており、今さら形式を問題視しても命乞いにすぎません。法の定め通り、粛々と執行されるべきです。 

 

▲6442 ▼89 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑囚が絞首刑は残虐であると良く主張できるものである。人を何人も殺しておいて何をいまさら言っているのでしょうか?もっとひどい、死刑にしても良いと思っている被害者家族はいることを忘れないでほしい。自分のしてきた事を反省する気持ちがあるならばこういう主張は起きないはずであり、3人の死刑囚はまったく罪の意識がないとしか考えられない。 

 

▲6212 ▼55 

 

=+=+=+=+= 

 

一応刑法には国家転覆罪なども存在しますが、現在日本において死刑判決が出るのは複数を殺害した人間、或いは一人殺害でも極めて悪質な場合のみに限られます。従って私を含め多くの日本国民は死刑囚には憲法上はどうあれ多少残虐な刑罰でも執行されてかまわない、若しくはやむを得ない、いや逆に残虐な刑罰をこそ執行されるべき、と考えていると思いますよ。 

 

▲3442 ▼62 

 

=+=+=+=+= 

 

日本の死刑の方法が絞首刑しかないということを考えると、死刑=残虐と言う世論を醸成させたい意図があるのでしょう。おそらく本人達の発案ではないと思われます。 

また、死刑判決を受けたと言うことは殺人の罪を犯していると考えられます。他者の命を理不尽に奪っておきながら、自らは死に方を選択したいと言うのは不条理言えます。 

 

▲3527 ▼48 

 

=+=+=+=+= 

 

「残虐な刑罰」であるかどうかは所詮相対的なものです。 

「残虐な」というのはどれだけの苦痛をどのくらいの時間与えるかだとすれば、絞首刑は江戸時代の「火刑」や「鋸引き」に比べれば「残虐な刑罰」ではない。一方、薬物投与や銃殺と較べると何とも言えない。 

逆に「絞首刑が残虐であると言うなら」死刑囚ら自ら代替案を提示するべきでしょう。 

でもそのような情報もないので、死刑囚らは死刑という刑自体が不適切だと遠回しに主張しているだけかもしれません。 

自分が犯した犯罪の被害者の顔を思い出して欲しいものです。 

 

▲2818 ▼51 

 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑囚というからには相当なこと、しかも複数人を殺めたりしてるはず。 

 

被害者は何のいわれもなく、ある時襲われたり、下手したら生き埋めにされたり滅多刺しにされたり、恐怖と苦痛の中で絶命したかもしれない。 

 

にも関わらず、今の死刑制度が残虐とは寝言にしか聞こえない。いつ訪れるか分からない恐怖を与えるのが残虐だという意見も、それも含めて、やらかした代償の一環でしょと思うんだけど。 

 

ハムラビみたいに、自分がやったことと同じ方法で執行したっていいくらいと思ってるんだけど、執行官のメンタルがもたないか。 

 

こんな訴えがポコポコ出てくるのも、刑が確定した後に延々と執行されないことによる弊害なのかも。 

 

▲2305 ▼21 

 

=+=+=+=+= 

 

個人的な意見としては、死刑が確定するような凶悪犯には最大限の苦痛を与え、それを公開すべきだと考えます。それは死刑囚に対してではなく、死刑という刑法の抑止力を最大化する必要があると思うからです。一方で憲法に「残虐な方法ではなく」と規定されているのであれば、残念ながら残虐な方法ではない死刑の方法で実施しなければならないのでしょう。例えば安楽死のような方法と絞首刑と、どちらが残虐か?と言われてしまうと反論しがたいと思います。憲法を改正して苦痛を最大化するか?憲法を遵守し安らかな死刑の仕組みを制定するか?どうですかね。 

 

▲1462 ▼89 

 

=+=+=+=+= 

 

絞首刑が残虐というのなら、自分が被害者にしたのと同じ方法で執行したら良いと思う。被害者の苦しみが一番感じられるし、自分の犯した罪の重さを身を持って知る事が出来るのでは。 

 

▲1236 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

資料の開示は必要だと思います。 

執行されるまでの恐怖、執行直前の恐怖体験を死刑囚に事前に開示し知らせ、自身が犯した罪の重さを認識して怯えながら過ごす事を望んでいるのでしょうから! 何気なく執行日を待つのではなく、残虐な絞首刑を想像しながら待つのも罪滅ぼしの一つですね。3人の死刑囚の期待に応えてあげましょう! 

 

▲1076 ▼70 

 

=+=+=+=+= 

 

まずはこの3名の死刑囚がどの様な犯罪を犯したかを明らかにしてもらいたい。3名は死刑が確定していると言うことだがまだ刑は執行されておらず、いないからこそこういった文書を出せるわけだ。絞首刑の残忍さとこの3名が犯した罪の残忍さを比較することでそれを残虐と言えるかどうかの判断もつく。 

自らは他者とそれを取り巻く人たちの人生を狂わせて、自らに為される処罰に於いて残虐さを言うのは違うと思う。 

 

▲857 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑になるくらいの犯罪を犯しておきながら 

逃れたいのかわからないが 

裁判まで起こしてまで逃れたいなら 

犯罪に身を潜めなければいいだけ 

それだけの事(死刑)をしたのだから 

それ相応の罰や罪は償わなければいけない。 

そこまでの罪なのかと裁判を起こしているのだろうがルールを守らないが為に捕まって罰を言い渡されたのだから反省して罪を償うべきと思う。 

 

▲726 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

子供の頃に悪いことをしたら牢屋に入れられると親から教わり、人を殺めたり取り返しのつかないことをすると絞首刑による死刑がありえると知りました。 

それが抑止に働き理性が効き罪を犯すことに対して躊躇するのではないでしょうか? 

死刑に値する罪状は死をもってしか償えないものだと思います。 

自分のした事に向き合い被害者や遺族の気持ちを考えれば、自身に向けられることなど考える余地はないと感じます。 

残虐性を感じるのなら罪になることをしないことです。 

犯罪抑止力としての公開はいいですが受刑者救済のためならいらないです。 

 

▲693 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

𓏸𓏸死刑囚の刑が執行されました 

とニュースで伝えられても、実際は事件から何十年も経っていて、よほど強烈な事件でない限り死刑囚の名前だけでは何の事件だったか思い出さないことが多いです 

死刑囚本人にとっても遠い昔の話になってしまっているのかも? 

冤罪をうまないため慎重になるのも分からなくはないけど、その罪が明らかな場合は本人に罪の意識があるうちに執行するべきだと思います 

 

▲525 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

高野和明さん著作の「13階段」という小説、面白いですよ。 

 

刑務官や法務省、判決から控訴の流れだったり、死刑の執行のタイミングの傾向とか、すっと頭に入ってくる。 

 

主人公の行動をベースに話が進んでいくので読みやすく、心理描写も丁寧で展開が気になってどんどん読めました。 

 

▲848 ▼86 

 

=+=+=+=+= 

 

残虐ではないが、刑死の恐怖は排除しない方法論でないと「楽に死ねるなら」と重犯罪を犯す短絡が起きる可能性があるので、現状では絞首か頭部への銃撃くらいしかないんだと思います。 

その意味で、刑場を非公開にするのはその恐怖に慣れさせないための抑止であり、一定の合理性があると考えられます。 

 

あくまで刑罰なので、ある程度の法的合理性と統治都合で運用されるべき部分であって、人道と言えばなんでもかなうわけではないことは、究極の非人道である戦争状態に至った局面での人道の無力を見ればわかることです。 

 

争うのはそこではなく、誤審の可能性を排除できていない司法の属人性の部分だと思いますよ。 

犯罪を犯さなければ刑死する可能性はないという安心感こそ、憲法が保障するべき部分だと思いますので。 

 

▲416 ▼18 

 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑になったということは少なくとも1人以上は他人の命を奪っていて殺された人だけでなく遺族の人生も奪ってきたことを忘れないでほしい 日本の死刑囚は死刑の直前まで知らされないらしいし、最後の晩餐みたいなこともあるみたいだし配慮されてると思う 

それより死刑囚執行のボタンを執行人が同時に押してどのボタンで執行したか執行人の精神的負担に配慮して分からないようにしているらしいがそれでも精神的負担は相当なものだと思う いくら仕事だとはいえ精神的負担は計り知れないし大変な仕事だと思う 

 

▲244 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

もっと残虐な方が犯罪抑止に役立つという考え方もある。 

私が被害者遺族なら、被害者以上に酷い苦痛と恐怖を味わって当然だと思うだろう。 

それより判決が確定したのに、速やかに処刑が行われない方が問題だ。 

何年も処刑の恐怖におびえさせるのも残虐なのではないか? 

恐怖で精神を病む者もいると聞く。 

粛々と法律に定められた期限内に執行すべきだろう。 

 

▲306 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

意味不明「残虐」というなら死刑という判決と手段はすべて残虐になると思います。 

しかし、更生不可能、情状酌量の余地が無い「残虐な犯行」による罰が同等でないと大半の人間は納得できないように思います。 

 

であるなら切り刻むような方法で無い限り、必ずしも残虐とは言い難い。 

そもそも死刑囚となったのは「残虐の行為による」ものであり、被害者は理不尽にもそれで命を失い、遺族は憎しみを持って生きていくしかない。 

少しでも被害者及び被害者家族が納得する為には最低限の必要なものだと個人的には思っています。 

 

▲262 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑囚ということは、人を殺めた囚人だ。人の命を蔑ろにし、情状という背景もなかったことを考えた場合、当人には人権というものはすでにないものと考えるのが一般的では。囚人の身内が主張するならまだしも、加害者本人が主張するのは無理があるし、社会通念上認められるべきではない。 

 

▲306 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

冤罪でない事を前提として、もちろん現実的な話でもありませんが遺族側の気持ちを考えるに。死刑の方法が残虐であるかどうかを死刑囚が云々言うのであれば犯した罪と同じ方法で施行するのが遺族にとっては納得の行く方法かと思います。死刑囚もそれであれば文句もないでしょう。すんなり死を迎えるこも出来ないでしょうが、今の仕組みがいかに楽な行き方かを思う事にもなるでしょう。 

 

▲172 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

残虐な犯罪をした人が死刑になっているという前提であるなら死刑の方法が残虐でも適正かと思います。しかし執行を行う仕事のかたにとって精神的負荷が重すぎるということなら見えないほどの細い針で眠るように旅立っていただくというのでも市民感情としてはとにかく再犯による犠牲者を出さない結果になるというところに納得感を得られると思います。もちろん被害者遺族の感情はどんな結果を持ってしても一生収まりのつくものとはいかないと思いますが。それに代わる補償として加害者遺族から被害者遺族の一生分のカウンセリング費用を徴収するなどの制度もあってほしいです。 

 

▲166 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

個人的な意見ですが、死刑になるような罪は残虐ではないのでしょうか。 

死刑になるような犯罪は、どちらかといえば怨恨ではなく私利私欲のためで、それを鑑みても残虐ではないと思います。 

弁護人にもさまざまな意見思想を持った方がいらっしゃるので主張はしても良いとは思いますが、死刑囚に言わせるのはおかしいと思います。 

 

▲266 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

薬殺の場合、執行官は間違いなく自分がやったというトラウマになりかねんのがなあ。 

絞首刑なら誰が実際のボタンを押したかを不明確にできるから、その点のメリットがある。 

そら見た目はまあ残酷ではある。死の瞬間、排泄物が飛び散ったりもするし、綺麗な状態にはなりづらい。ただ苦しみという点では、一瞬で気を失うので苦しくはないらしいので、その意味では残酷ではないだろうな。 

 

▲425 ▼32 

 

=+=+=+=+= 

 

電気椅子やガス室から見れば、まだ絞首刑は優しい方だと思います。 

 

前者は長い激痛や苦痛を伴うのに対し、絞首刑は一瞬で意識を失い死刑囚は死に至る。 

 

その方が全然負担は少ないと思いますがね。 

 

そもそも残虐な刑罰と言っても、それだけの事を犯したからそういう状況下に陥っているのであって、それは自らが招いた責任でしょう。 

 

随分主張が自己中心的だと思います。 

 

潔く犯した罪に対して、絞首刑だろうと受け入れる。 

それが当たり前だと思う。 

 

でなくても執行まで独房で何もせず楽でいられるのに…… 

言ってる事が勝手すぎます。 

 

▲90 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

むしろ死刑を与えられた立場の囚人であるならば、犯した罪を悔いさせるためにも、残虐な死刑執行の方がいいのでは、と思ってしまいます。死刑囚にも人としての尊厳が与えられているからこそ、残虐でない執行が用意されているわけです。人の一生を一方的に奪った心無い人が、執行の内容に関して不服を申し立てるのは犯罪者らしい自己中心的考えで、嫌悪感を覚えます。 

 

本来であれば死刑執行までの時間はそれほど長くはないです。判決から6か月以内に執行と、法で定められています。ですが現代では様々な理由でその期間内に死刑執行されることは、稀です。 

 

長い期間執行されないでいる死刑囚がいるから、こういった文句が出てくるのですよ。本来であれば半年ほどでこの世からおさらばするので、文句を言っている暇なぞ無いと思うのですがね…。 

 

▲89 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

懲罰の意味は込めたい。しかし、人道的問題はある。また、刑務官の精神的負担がある。 

もし、薬物で眠るようにしたら、懲罰の意味は和らぎ、囚人によってはむしろ救済の意味すらある。そして刑務官の精神的負担はほぼ変わらない。しかも、人道的問題としては、あり続ける。 

終身刑にしても、それを喜んで受け入れる囚人がいるかもしれない。 

こう考えてくると、懲罰の意味を込めた今の制度は、最適ではないだろうか。ただし、懲罰の意味が酷くならないようにすることを含め、今の制度について考え続けることが大切ではないだろうか。 

 

▲46 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑囚になった以上は、被害者遺族の気持ちも多少償うべき。これは逃げでしか無いと思うが…執行迄の期間、当日、被害者が受けた恐怖がどれだけの物かを感じながら受けて頂きたいが被害者が戻ってくる訳でも無い。遺族は苦しみ続け悲しさや加害者への怒りは消える事も無い。「反省している」、言葉では簡単過ぎる。残酷な犯罪者を拘置所に何十年も執行せず居たら被害者遺族は苦しみに耐えきれないであろう。加害者親族へも犯罪の噂を聞き生きづらさを感じているに違いないが。看守の方の負担も考えても辛い仕事だとは思う。しかし死刑を行わなければ殺人等増々増えるだろう、絞首刑は残虚?絞首刑がどのように行われるか?それは知らなくても良い。逃げるが勝ちと言うけれどその通りだ。しかし人の命を奪う事件だったら仕方ないだろう。これこそ反省していないのでは? 

 

▲72 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑囚って死刑になるような犯罪をした人であるわけで、人を殺すことが残虐だ、と主張する前に放火や殺人、強盗致死とかをやった人間であるわけであって。 

どの口でそんなこと言ってんだ?としか思わない。 

家族や近しい人を殺された被害者たちが口を揃えて死刑廃止を訴えるなら、その時にようやく検討の余地が生まれると思う。 

 

▲74 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

極刑肯定派です、皆様同様にそれだけの罪を犯しての死刑判決を受けてるのですから、死をもって償って下さい、昨今凶悪な犯罪が増えてる事を考えると、抑止力の為には必要だと思います。 

絞首刑の実態を明らかにするのは、ある意味良いと思います、凶悪な犯罪を減らす方向に繋げて欲しいです。 

 

▲75 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

現在の方法は刑務官の精神的負担が大きいとされるので、死刑囚の意見など関係なく変更すべきと思います。また、廃止論では、死刑囚にとって執行を待っている間の精神的負担を問題にするものがいるが、これは教育刑ではなく応報刑なので、1.2度嘘の執行日を伝えて、更に精神的ダメージを追加して与えるのも、贖罪と言う意味でありかと思います。 

 

▲92 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

こういうことが無いように刑は粛々と実行されるべきだ。何年も何十年も生か しておくのは己の罪の重さを思い知らせる意図があるのはわかる。 

それでもこんな死刑囚が出てくるようであればやはり反省の色は見られず、被害者と被害者家族のことを考えているとは到底思えない。犯罪者に優しいとされる日本において死刑判決が出るのであればそれは相当な罪という事を思い知るべき。絞首刑がどうとか関係なく、死刑囚に説明する必要もない。法務省は最高で何年と決めて刑の執行を粛々とするべき。 

 

▲45 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑判決が下されるということは、ざっくり言えばその人が別の誰か複数人を殺しているということ(もちろん死刑が法定刑に含まれる罪状はほかにもありますが)。 

 

で、被害を受けた犠牲者は被疑者によって突然無慈悲に人生の終わりを迎えたのに、その被疑者(死刑囚)は慈悲深い刑罰を希望したいと。 

 

正直、6か月の留置ののち死刑執行は遅すぎると思うくらいです。本人が認めているんだったら、それこそどこぞの国みたいに判決言い渡しからの執行くらいでいいと思います。 

 

▲48 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

前提として、死刑という刑罰がある国でそれに見合う犯罪を犯せば死刑になるのは当然の結果です。 

人の命を人が終わらせる事自体がある意味で「残虐」であるに違いないので、その程度は執行時の身体的苦痛をいかに軽減するか、執行までの間に刑罰以上の精神的な苦痛をいかに除くか、といったことに限られるのだと思います。 

執行する側も相当な精神的、霊的な苦痛があり、それでも現在の日本では議論の上「必要」と判断されて行われている制度です。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

個人的には残虐な刑罰こそ大きな抑止力になると思う。僅かでも理性があれば、恐ろしい刑罰が待っている事が頭をよぎった時、これから行う犯罪との天秤が働くのでは無いか?当然厳密な法制化や段階、情状酌量は大いに検討されるべきだが、コメントでも散見される被害者感情に全く寄り添ってない現状を変える必要が有ると思う。 

 

▲6 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

処刑方法が絞首刑のみである事には反対だ。 

このまま絞首刑を続けるなら、執行官三人の内に被害者遺族を加える事を原則として、遺族がその権利を放棄する場合のみ現行の執行とする。 

また、犯行方法に比例した処刑方法を検討する事も必要。 

絞殺犯なら絞首刑でもいいが、それぞれ相応のやり方があると思う。 

更に、執行官の心理的ストレスの問題云々聞いた事があるが、世間にはまだまだ勧善懲悪の志を持つ人は多く居ると思う。 

そういう人に加わってもらうことも検討すべき。 

 

▲13 ▼4 

 

 

=+=+=+=+= 

 

現行、日本の法律は、加害者の人格に配慮し過ぎていると感じています。 

被害者と家族の人格、その後の人生にもっと寄り添うべきだと願います。 

 

被害者が図らずもあった残虐性以上の死刑執行の残虐性は存在しないのではないでしょうか? 

被害者は、自らの被害内容に希望などは、一切言えないのです。 

 

手法に関しては、薬物による安楽手法であっても構わないと思いますが、刑決定後即時の執行を行うべきだと思います。 

 

▲23 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

日本の法律は比較的寛容だと言われることが多い中で、それでも死刑判決が下されるというのは、相当重大で残虐な犯罪であることが多いと思います。 

一時的な感情や、偶発的な出来事だけで死刑が言い渡されるとは考えにくく、それほど深刻な被害や苦しみをもたらした事件であると想像します。 

 

被害に遭われた方がどれほどの恐怖や苦しみを味わったのか、加害者だけでなく、社会全体でももっと想像し、重く受け止めるべきではないでしょうか。 

犯罪を犯した側の権利や更生の可能性ばかりが議論される一方で、被害者の声は届かないまま、命や尊厳を奪われた現実が置き去りにされているようにも感じます。 

 

加害者に対して、もう少し厳しい対応が取られてもよいのではないかと思います。 

なぜなら、被害者は自分の言葉で訴えることすらできなくなってしまっているのですから。 

 

▲14 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑判決を受けて今だ刑が執行されていない受刑者が100人以上いるはず。 

収監されている事は刑罰ではないから、死刑を執行しないとなんの罰も与えていないことになる。 

死刑制度の是非については広く議論してもよいが、現状死刑制度があり裁判でそのような判決を受けたのなら、粛々とそれを実行しないと何のための裁判なのか分からなくなる。 

被害者家族の感情、犯人逮捕に多大な労力をつぎ込んだであろう警察、長期に渡る裁判。それらを一切無視して死刑執行のサインをしない法務大臣、そして法律の在り方にも大きな問題がある。 

 

▲22 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

刑の執行の諸々に関してはある程度情報を秘匿しておかないと、例えば巻き添えを伴った自死などの抑止として機能しない側面はあると思う。 

 

まぁ、それでも京アニのような事件が現実には起こっているわけだが。 

 

執行の場が密室であるという事と、執行直近にならなければ死刑囚に知らされないという状況が、死刑囚自身が嫌でも自分のした事と向き合う時間を作る事になるので。 

 

▲33 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑囚の人が死刑になるような罪を犯した後にこの死刑制度が出来た訳じゃなく、重大な罪を犯せばこのような制度で死刑になることを承知の上で罪を犯したのだから、死刑囚になっておいて死刑制度はどうのこうのと言う資格は無い。 

死刑になるような罪の被害者の中には有無を言わさず、本人が望まない形で亡くなった人も多数居ると思う。 

 

▲87 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

執行されるのは相応の罪を犯したから。 

その為に苦しんだ被害者や親族の気持ちは「さっさと刑の執行を」だと思う。 

執行までも税金が投入されてる訳だし、あれこれ言える立場ではないと思うが。 

色々ご意見もあろうが、抑止力の意味もあるので無くす必要なしと考える。 

いろんな意味でもっと執行していけばいいと思いますよ。 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑制度がどうとか、取り返しのつかない刑とかの論点を外して、世の中に公開していいと思います。死刑になるような罪を犯さないための自制にも繋がるとも思います。 

残虐かそうでないかは、正直客観的には判断できず、どこまでも主観的な考えになるだろう。ここの判断は今は裁判によって決めるしか方法はないと思います。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑囚は、2名以上を残虐に殺害しているに対して、死刑内容の残虐性を世間に訴えるのは理解しがたいです。 

罪と罰の天秤から考えると、本来なら犯した罪と同等の残虐な形で刑が執行されるのが、望ましいとすら考えます。 

これは最近事件などで、死刑されるために犯罪を犯す人を考えると、更に強く考えさせられます。 

 

他方で刑務官負担軽減については、刑の執行の自動化などを進めるべきと私は考えます。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

国は死刑を必要な刑罰だとしているのですから、もっと堂々と死刑執行の方法について明らかにしても良いし、より問題の少ない方法があるかどうかを検討し、きちんと法制化したらよいと思います。日本国民の圧倒的多数は、本当にひどい犯罪については死刑にすることを支持しています。これは日本人の死生観にもかかわる問題でしょうが、どれだけ左派が騒ごうが、この点に大きな変化はありません。本来もっと早い段階でやっておけばよかった気もしますが、日本の左派の力が非常に弱まったいまこそ、しっかりと筋を通しておくべきです。 

 

▲15 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

個人的に死刑推進派ではありませんが、残念ながら必要だと思います。 

死刑と言う極刑が与えられると言うことは、その刑と同等又はそれ以上の残虐行為を行ったからであって、刑の残虐性を問う前に犯行の残虐性と被害にあった人、家族、関係者の無念、怒りを誰かが代弁しないと、やったもん勝ちの国になってしまう。 

更に犯罪を行なう者は、その行為と同等の代償を覚悟しなければならないと思います。 

当然、行為に至った理由や経緯は考慮されるべきですが、死刑の必要性を否定することとは別の話だと思います。 

もし、受刑者が開示されることで、刑を受け入れるのなら、開示すれば良いと思います。 

 

▲8 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

拘置監を敷設する大きい刑務所の内、いくつかでは、絞首ではなく縊首(イシュ)の方法によるものと講義で聴いた覚えがあります。これは刑法の教科書にも記載がありました。 

 

そういう場合は、刑場で床が開く高架式ではなく、二か所の穴に絞縄が通された8㎏程度の金属製の錘が数メートル上から落下して頸椎を骨折させる様式になっているとのことでした。その場合受刑者の姿勢は座位になります。 

 

この場合、一瞬にして気絶するので絞首による場合のように数分から十数分程度の間の暫くは痛みや苦しみが続くのとは違いますから比較的に安楽な方法となるそうです。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

絞首刑が残忍で認められないなら、死刑囚が被害者にやったことと同じ手段で死刑になればよい。やったことと同等の刑罰がないことが問題である。 

ただその執行官には普通の人なら誰もなりたくないだろう。結果的には現状維持になりそうな気がする。 

まあ死刑になるような罪を犯さないことが最善の解決策なのは間違いない。 

 

▲12 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑になる程の罪を犯したという事は 

犠牲になった方達がいるという事。 

その方達はもう声をあげることも出来ない。 

命乞いをしたであろう人を残虐な目にあわせながら自分は少しでも楽になりたいと思うその神経を疑う。 

ただ刑務官の精神的重圧をなくすために執行までの手順を改善する必要はあると思う。 

 

▲25 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

絞首刑は落下した瞬間に意識を失い、最も苦痛の少ない刑の一つです。 

絶命までには20分程度の時間がかかりますが、本人は意識を失っていて苦痛が無く最も楽な方法だと下記の書籍で述べられています。 

昭和56年発行「法医学ノート」より、古畑種基(著作) 

※因みに私は刑場が公にされる以前から知見を得ていて、刑が執行される 

全国にある拘置所と刑務所を全部把握していました。 

 

原告側は、絞首刑以上の残虐な方法で人を殺めた可能性が極めて高いはず。 

己が犯した所業を顧みず、権利だけを主張すること自体に怒りを覚えます。 

処刑方法は色々あれど、楽な絞首刑で罪を償える有り難さに感謝すべきです。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

考えるべきことではあるけれど………… 

死刑判決に相当する犯罪者がどの口で言っているのか。こう言われるのも承知の上だと思いますが…? 

被害者や御遺族の方々の生きる苦しみを何だと思っているのか。犯人が死んだからと言って苦しみから完全に解放されるわけではないが、、、この訴えは何とも腹立たしいです。 

訴えている3人は自分達がどれだけ罪深いことを犯したのか、きちんと自覚しているんですよね? 

自分の罪をきちんと理解し、命をかけて償う気持ちを持つというのが刑罰だと思います。 

 

執行に関わる方々の精神的負担を思うと、、死刑反対!と言えなくなる自分がいます。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

先日母を自宅で看取りました 

息を引き取る瞬間に立ち会う事が出来たのですが、人は死ぬ時、呼吸する力が弱くなりやがて心肺停止になります 

分かりやすく言うと窒息死です。呼吸が止まっても暫くは心臓が動いていますし意識もあります。 

なので窒息目的の絞首刑ならば人為的に起こすかどうかの差でしかなく苦しみは自然死となんら変わりないと思います。 

首の骨を脱臼させる目的だとどうなんですかね。わかりませんが、死刑を受けるほどの罪を犯しているので、苦痛があったとしてもそれくらいは受け入れてほしいですね。 

 

▲6 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

「残虐な刑罰の禁止」という憲法の規定をよりどころにした主張。古代~近世に至る日本の刑罰史から考えたら、「絞首刑」はもっとも苦痛を感じる時間が短いので比較的には残虐とは言えないだろうと思う。死刑の目的が「復讐」にあるのか、犯罪抑止を目的として「その存在を消す」ことにあるのかによって、選択されうる方法は変わる。日本の刑罰の発想の基本は「教育刑」なので、その教育が不可能と判断された場合に「死刑」がされる。どう判断するかは司法の認識次第だろう。苦痛を与えることを目的としないのなら、全身麻酔した上で薬物投与による安楽死でもいいだろう。でも、遺族感情から考えたら、殺された家族の苦しみを考えたら、絶対にそんな選択はして欲しくないだろうし、世論も許さないと思う。やはり「絞首刑」がぎりぎりの選択だと思う。 

 

▲7 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

この主張は、他の人が言っているのであればある程度受け入れることが出来るが、当事者が言っているのであれば刑を逃れたいだけだろうと多くの人に思われても仕方がないだろう。 

 

死刑になるには、それ相応の犯罪を起こしている。 

 

ただし、やり方がとても長年変わってない旧来のやり方をしていることも事実で、執行する側の現場の人の心の負担も多いのも事実、いろいろな面から考えるになんらかの改善の余地はあるかもしれない。 

 

刑の厳罰化が進んでいる。国民の感情、被害者側の感情に寄り添う流れは大事。ただし、死刑は国家として殺人をしている。諸外国では、死刑は無くなるか制度はあるが実施されない傾向がある。 

 

国家として殺人をする以上、すくなくとも国民に対しても諸外国に対しても理解を得られる改善する姿勢や説明する姿勢は必要だろう。 

 

▲11 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑廃止を考えても良いと思う.加害者に対する被害者側からの厳罰要望が強いけれど.一方で,冤罪が次々と明らかになって,警察や,検察も信用できない.死刑廃止し,減刑のない終身刑を作ったらどうか.そして,その終身刑を受けている人間が,その後,塀の中で,どう過ごし,どのような人格の変容があるのかないのかを,何年かに1度,専門家,或いは,被害者親族との面談を通して公開すれば良い.人間は変われるか変われないか興味がある.その中で,死刑が必要な刑罰なのか,不必要なものであるのかを検討すれば良い. 

 

▲0 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

これは作戦です。国や絞首刑に対して疑問を投げかけた場合、当然ながらその件が決着がつくまで刑が執行されることはまずないでしょう。なぜなら「口封じのために刑が執行された。日本は酷い国だ。」と諸海外から批判されてしまいます。海外の顔色ばかり伺う日本には効果は絶大でしょう。 

 

議論を過熱させてはなりません。このような作戦に乗ってはなりません。最近死刑判決がでても執行されず天命が尽きる者が増えています。遺族がどのような心境なのかをもっと考えるべきであり、刑を決めたなら速やかに執行されなければ、法の存在意義が揺らぎます。 

 

▲11 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

他の方も書かれているけど、執行官の精神的な負荷の軽減は必要じゃないかな 

 

死刑囚については、死の恐怖とか執行の瞬間まで感じることも含めての死刑だと思う。それだけのことを被害者に対して行い、被害者の人権を踏みにじったんだから。死刑が残酷とかいう論点もいらない、現行犯で射殺するよりも裁判という人道的な手続きを踏んでのことだしね 

 

個人的には被害者家族に執行ボタンを押す権利が与えられてもいいと思っています 

 

▲12 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

流石にリベラルの旗手「朝日新聞」事実だけを記事にしているようで巧妙に廃止論文に仕上げる。本来半年以内に執行されなければいけない方々が増えるとこのような事は当然起きてくるのでしょうが、法務大臣は誠実に職務を全うしていただきたい。 

 

▲564 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑の廃止・もしくは延期を求めてのアクションでしょうか・・。 

最近日本の治安が悪化しているようにも思え、死刑制度は抑止力の観点でも必要と考えます。 

死刑囚はそれに見合う罪を犯したということになりますので、潔く刑に服して頂きたいです。 

 

死刑制度の欠点の一つは冤罪リスクですが、日本ではそのリスクを最大限減らす取り組みを行っており、平均執行期間は約5年と十分配慮されていると考えます 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

資料は公開すればいいと思う。国際的には死刑制度廃止の動きがあるのだろうけど、日本の場合、死刑制度の存置派も多いでしょう(死刑に値する罪はあるので被害者の感情を考えれば必要だと思うし)から、資料公開によって廃止論が高まるとも思わない。 

残虐な方法だからダメという論理なら、別の執行方法を考えるのであって、死刑廃止とはならないと思う。 

 

▲49 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑囚の人として一個人の感情論として気持ちは受け止めるけど、その前に自分やった事で自身が絞首刑になる以上の苦痛を与えている可能性が高いから、もしくは苦痛を与えているから死刑囚なのだと考えると、個人的には発言権はないに等しいと考える。発言するなら、生きたまま被害者に与えた苦痛と同じ苦痛を感じてから、その言葉が出るかみたいですね。自分の事しか考えない人だと思うので、いろいろ言うでしょうね。3人で話し合いしたんでしょうね。 

 

▲29 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑になるほどの残忍な犯罪をおかしているのだから、当然その報いを受けて絞首刑執行までの恐怖をしっかり味わうべきであって、安らかに旅立てるように配慮するのはやはり違うと思う。何と言われても。 

非業の死を遂げた被害者たちの無念や遺族の悲しみを考えてほしい。 

 

▲123 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

このニュースですが、死刑囚3人についてる弁護士や支援団体の背景を伝えて欲しい。 

また、残虐でない死刑執行基準はどう考えているのか。死刑という刑罰に至った事件も。 

例えばだが、サリン事件のテロ犯、京アニの 

放火殺人など死をもってもつぐないきれない 

ような犯罪者に残虐だから死刑執行を免れたり、延期したりするのは、遺族にとってこれほど残虐非道なことはないと思う 

 

▲50 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

現状の絞首刑だと、刑務官の負担が結構大きい。 

ボタン押す係もそうだし、おとなしくなるまで受刑者を押さえつける係とか絶対やりたくない。 

低コストで刑務官の負担が少ない方法への改定なら検討しても良いと思う。 

 

▲41 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

絞首刑が残酷と訴えるのであれば死刑囚たちに聞いてみればいい。どんな死刑がいいのか。聞くまでもないが最後は「死刑廃止」を訴えるのが目に見えている。数人以上の人を殺めた死刑囚をいつまでも実行しないから被害者家族の事をまったく顧みない事が言えるんでしょう。刑が確定後速やかに刑を実施すべきだと思います。 

 

▲9 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

絞首刑は首を絞めて窒息をさせるものではなく、頚椎の断裂をもって死に至らしめる刑罰と聞いております。その為窒息死より苦しみは少ないと聞いていますが、死刑判決を受けた人たちは相手をどんな理由があろうと死に至らしめた事実があり、被害者たちは息絶えるまで苦しんで亡くなったことでしょう。そんな非情な事を自分はしているのにもかかわらず縊首による死刑が残酷だとは自分勝手も甚だしい。裏を返せばそんな自分勝手な理屈だから人を簡単に殺めることが出来るんでしょう。ですからその考えには一分の賛同する部分がありません。 

 

▲1 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

人が人を裁くのですから、冤罪の可能性はあります。最近の例に見るように、警察、検察のメンツのためとしか思えない冤罪があります。このような事例は司法の名誉を汚すのみで、国民の心に深い不信の念を植え付けます。それでも、犯罪は裁かれなければなりません。 

 殺人を犯した者が残虐でない方法で死にたいと希望した時、殺された被害者は何を思うでしょうか。いっそのこと、殺害した時と同じ方法で死刑執行とすれば、死刑囚も納得すると思います。 

 我が国はもっともっと被害者に寄り添った刑法の改正と国の支援が必要です。 

 そして、判決が確定して後、直ちに検察は集めた証拠を100%裁判所と弁護側に開示しなければならないとする法律を作るべきです。100%の開示ではないことが判明した時は、効果的な罰則も設けるべきです。 

 

▲0 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

ならそもそも死刑囚になどならなければ良い。 

それ以上の事を被害者にしたからこそ今そこにいるのでは? 

本当なら被害者と同じ方法がベストだと思うが、この加害者たちはそれと絞首刑とどちらか選べたら自分のした方法を選ぶだろうか? 

私が被害者の家族なら「誰がらくして死なせてやるものか」と思うと思う。 

最後に自分が手にかけた相手の恐怖や苦しみのほんの一部でも体感すればいい。 

ただし、刑にかかわる職員の方々へは幾重もの配慮した方法とケアを切実に願います。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

要するに確定判決後、とっとと執行しないからこういった問題が出てくるのであって、日本には重犯罪を犯せば死刑になりうる可能性はある。ということは誰でも知っていることで、その上で犯罪を犯したのであれば、ある意味で自業自得ということ。冤罪があってはならないが、物的及び状況証拠からも絶対にこの人物が犯した罪で間違いが無いとわかっている死刑囚に関しては、迅速に刑を執行するべき。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

今回訴訟を起こした死刑囚が犯罪をした時点で既に死刑は法に定められており、また、その方法は絞首刑であると国民に周知されていたわけで、わかっていて自らの意思で罪を犯したわけですから、何をお騒ぎになっていらっしゃるのかしら?とそれだけです。待機日数が延びることで余計に不安を煽られ、こうしておかしなことを言い出すのであれば、規定通りの日数以内に刑を執行してさしあげるべきです。 

 

▲11 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑囚3人がどのような犯罪でどのような裁判を受けたかわかりませんが、日本の刑罰で死刑制度がある以上、冤罪がない死刑囚については速やかに刑を執行して欲しい。 

ここから憶測ですが、死刑囚の人が殺人で無差別かつ残虐な事を犯してしていて、今回の残虐でない絞首刑っていうのはおかしいと思う。冤罪で再審をっていうのとは訳が違います。 

罪を犯して罪を償わないと法治国家としてはありえません。 

あと、刑を執行する刑務官?の人の心労が気になります。仕事上とはいえ人一人の命を断つのは私が思った以上にきついと思うし、言葉には出来ない感じなのでしょう。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

憲法が禁じる「残虐な刑罰」に当たらないか広く考えてほしいと訴えている。とあるが、死刑を言い渡されていると言うことは、被害者に対し残虐なことをしたのではないのか?自分がしたことを棚に上げて、何を言っているのだろうか。 

憲法のその一文なくしても良いと思う。被害者が味わった同じ苦しみ、同じ痛みを味わせる刑罰を死刑囚に与えて欲しい。 

 

▲97 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

むしろもっと死刑の種類を増やしたほうがいいのでは。殺人の種類も多岐にわたるし、それに合わせた死刑を当てればいいと思う。性犯罪と凶悪詐欺なども罪の重さは両方重いが内容が全く違う。それぞれの行為に沿って刑を執行し、罪の重さを認識させられれば国民全体も今より納得できるようになるのではないか。 

 

▲6 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

同じ憲法にも31条に「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」とあるので、生命を奪う事に関しては憲法の想定内であり、死刑の有無に対して議論の余地は無い。 

 

個人の意見としては、必要性があるため絞首刑は残虐の内容に入らないと思う。例えて言うならば、治療のための注射だって必要だからやるわけで、社会秩序を守るためにはそういう刑罰は必要だと思う。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

終身刑や禁錮、懲役の囚役者は税金を使ってずっと衣食住付きの生活をします。もちろん朝の点呼や日課はありますが、それは警察海保などの学校と同じような生活ですよね。死刑囚は歴史的犯罪や圧倒的な重罪を犯したもののみです。なぜ、彼らのために生涯の面倒をみる必要があるのでしょうか。 

遺族側の意見も然りです。自分の愛する人を殺したりした人が生きてるだけで、自分が死にたくなる人もいるんです。遺族に、生きて償ってほしいと素晴らしいことを言える人もいますが、可能な限り同じ苦しみを。というのが本意だと思います。 

 

▲11 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑の執行がどのように行われているかを国民に対して具体的に知らせないというのは問題ではないか。 

日本は民主主義国家であるのであれば、死刑の賛否や執行方法についても国民がどうすべきか判断する必要があるし、その判断を国民が行うためにも死刑の執行がどのように行われているのか具体的に明らかにすべき。 

 

その上で死刑制度について判断すべきだし、絞首刑では緩いというのならばより苦痛を伴う執行方法に変えることも必要かもしれないし。 

 

民主主義を実現するためには正しい情報公開は絶対条件だし、内政問題であるのならばそれを国民に秘密にする必要はないはずだ。 

死刑制度は政府の一部だけで判断して執り行う秘密主義でやるというのは民主主義国家においては相容れない。 

 

死刑制度に賛成も反対も関係なく、民主主義において国民が判断するためにも死刑制度の透明化は絶対に必要なことです。 

 

▲0 ▼1 

 

 

 
 

IMAGE