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かつてのゲームセンターは本当に怖い場所だった!「カツアゲにびくびく」「ストII対戦でアドレナリン出まくり」…50代編集者が振り返る“ゲーセンが殺伐としていた時代”

マネーポストWEB 8/2(土) 16:15 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/5cd69f701e1f502927cb79186a4d810bd76be928

 

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ゲーセンの変遷について語る中川淳一郎氏は、1980年代の恐怖感や不良たちとの対立を振り返りながら、特に『ストリートファイターII』の対戦プレイで感じた興奮を強調しています。

以前のゲーセンは危険な雰囲気で満ちており、遊ぶこと自体が一種のステータスでした。

現在のゲーセンは健全な楽しみを提供しているが、当時の緊張感や独特の空気感が懐かしく、寂しさも感じているとのことです。

(要約)

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ゲーセンで初対面の相手との対戦プレイにアドレナリン出まくりだった『ストリートファイターII』(プレスリリースより) 

 

 昨今のゲームセンター(ゲーセン)は、クレーンゲームやプリクラに代表される写真シール機が大きな存在感を放っており、少年少女やカップルたちが健全に楽しめる場所になっている印象だ。しかし、かつてのゲーセンはまったく違った。とにかく不良の巣窟的で殺伐としていた時代があった──。1970年代後半から1990年代前半までゲーセンに通い続けたネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、時代とともに変わるゲーセンのあり方に思いを馳せる。 

 

 * * * 

 1982年、小学2年生の時に初めて川崎市宮前区の鷺沼という駅の近くのゲーセンに行きましたが、それはそれは恐ろしかった。薄暗い中、電子音が店内で炸裂し、不良中高校生が「ここはガキが来る場所じゃねーんだよ」的オラオラ光線を出しながらこちらを睨んでくる。 

 

 幸運にもカツアゲをされることはなかったものの、いつこちらにやってきて「お前の持ち金全部よこせ」などと言われるか、恐ろしくて仕方がなかった。しかし、1983年に任天堂からファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売されるまで、ゲームをする場所といえばゲーセンだけ(ゲーム&ウオッチはありましたが)。『サスケvsコマンダ』や『ラリーX』『ルパン三世』『平安京エイリアン』などを必死にプレイしたものです。 

 

 当時、ゲーセンに集うことを不良中高校生はステイタスだと感じていた節があります。タバコを吸っていましたし、そこらへんにツバを吐いたりもしている。我々小学2年生軍団はビビりながら入店したものです。 

 

 しかも、ゲームセンターに入ったところを目撃され、学校に通報が行き、担任教師が自宅に電話して母親にそのことを伝える。翌日のホームルームの時間は前に立たされ「この3人は昨日ゲームセンターに行っていた。あそこは不良のたまり場だ。もう行かないと宣言しなさい」なんてことを言われたりもする。 

 

 というわけで、私は鷺沼のゲーセンに行けなくなったのですが、ゲーセンの持つ怪しい魅力は忘れがたい。1984年、東京都立川市に引っ越した後は再びゲーセンに通うようになりました。といっても、ダイエー系の小売店の中にある暗くない「ゲーム置き場」みたいなところです。それでも、また通報されたらかなわないので、わざわざ別の学区まで自転車で12分ぐらいかけて通っていました(だから何なのか、という話ですが、結果的に通報されませんでした)。 

 

 ここでプロレスのゲームやら、『SONSON』『戦場の狼』などをやったのでした。鷺沼では100円だったのですが、ここは50円でプレイできた! 鷺沼のゲームセンターと違って暗くない場所だったため、なんとなく健全なイメージがありましたね。 

 

 その後、私は親の仕事の都合でアメリカに引っ越すのですが、19歳だった頃の1992年、大学に入るタイミングで日本に帰ってきて再びゲーセンに通うようになります。薄暗い電子音バキバキのゲーセンです。そして、そこで大きな存在感を放っていたのが、1991年に登場して一斉を風靡した『ストリートファイターII』(通称・ストII)です。 

 

 ストIIは、対戦型ゲームで、一人でプレイをしていても、向かい側の筐体に別の客が入って来ると「Here comes a new challenger!」の文字が出て、生身の人間との対戦プレイが開始します。 

 

 コンピューター相手よりも圧倒的に興奮し、アドレナリンが出るわけですが、えげつないハメ技(一切反撃できない連続攻撃)を食らわせたり、バカにしたかのようにノーガードで攻撃させる、といった挑発行為もありました。 

 

 そうなると、3本勝負で負けた方はキレる。新聞沙汰にもなりましたが、ストIIをめぐり殴り合いのケンカに発展したケースもあったそうです。ご存じのとおり、ストIIはその後大人気シリーズとなり、今では家庭用ゲーム機でも遊べるようになりましたが、やはり当時の薄暗いゲーセンでの初対面の相手との対戦プレイの興奮は忘れられません。 

 

 そうしたゲーセンライフを過ごしてきただけに、今の健全なゲーセンの姿は新鮮に移ります。とはいってもあの怪しい空気感をもはや体験できないことに、若干の寂しさを覚えたりもするのです。 

 

【プロフィール】 

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう):1973年生まれ。ネットニュース編集者、ライター。一橋大学卒業後、大手広告会社に入社。企業のPR業務などに携わり2001年に退社。その後は多くのニュースサイトにネットニュース編集者として関わり、2020年8月をもってセミリタイア。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)、『縁の切り方』(小学館新書)など。最新刊は倉田真由美氏との共著『非国民と呼ばれても コロナ騒動の正体』(大洋図書)。 

 

 

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この掲示板のやり取りでは、1990年代から2000年代初頭にかけてのゲームセンターの雰囲気や体験が語られています。

多くのユーザーが、当時のゲームセンターは不良たちの溜まり場であり、入るのが怖い場所だったと感じていた一方で、それが特別な思い出や青春を形成していたことも強調されています。

 

 

参加者たちは、ゲームの魅力や新しい技術、社会の変化とともにゲームセンターがどのように進化していったかについても触れています。

初期のゲームセンターは薄暗く、タバコの匂いが漂い、対戦の際には殺伐とした雰囲気があったことが回想され、多くの人々がそこでの経験や非日常的な時間を楽しむことができたと振り返っています。

 

 

また、最近のゲームセンターはファミリー向けに変化してしまったことに対して若干の懐かしさや惜しみも感じており、それが過去の青春と現在の違いを際立たせています。

特に、単なる娯楽の場所としてだけでなく、社会の変化や人間関係が交わる場であったことが、今となっても大きな影響を持っているようです。

 

 

(まとめ)ゲームセンターは過去において不良の溜まり場でありながらも、子供たちの社交の場としての重要な役割を果たしていた。

そこには独自の文化や人間関係が育まれ、多くの人々が特別な思い出を持っている。

その一方で、近年のゲームセンターは家族向けや健全化が進み、当時の雰囲気は失われつつあることに対する懐かしさが感じられる。

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=+=+=+=+= 

 

その昔。駄菓子屋の前にあった立って遊ぶタイプのゲームが置いてあった店舗は、放課後の学校帰りの時間になると、腕に覚えのある子供らの社交の場だった。自分もその頃、その子らからゲームの攻略法を聞き、ある時はプレイを見て貰い指導を受け、熱心に遊んでいたなあ。 

その頃は一プレイ五十円が相場だったように思う。お店によっては十円二十円で遊べるところもあり、少ないお小遣いでも駄菓子を買ってゲームを遊んで、暗くなって家に帰るまで存分に楽しめたなあ。 

街中のゲームセンターは怖いお兄さんも多い魔窟でしたが、町角の駄菓子屋は子供らの楽園でした。 

 

▲104 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

自分は予備校生だった頃、バーチャストライカー2にハマり、受験勉強そっちのけでゲーセンに通い詰めたな。 

 

当時は1998年フランスW杯に日本が初出場する事が決まり、サッカー熱が非常に高まっていた。その時代に、立体ポリゴンの選手が動き回るサッカーゲームはリアルで面白かった。 

特にプレイ中に突然「CHALLENGER COMES!!」と画面に表示されて始まる対戦はとても興奮した記憶がある。 

 

このシリーズにも羽目技があって、キックオフ後にサイドへドリブルし、そこからシュートゲージMAXで角度をつけたロングシュートを打つと、キーパーの頭上を越えて必ずゴールが決まる 

ある時、最初からこれを使い続けてくる奴に出くわした事があったので、こちらも即羽目技でやり返してロングシュート合戦に突入。結果、相手のミスで勝ったのだが、ソイツに羽目技やられ続けてた知らない人からヒーロー扱いされたのが良い思い出?だった笑 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

小さい頃、ストリートファイター2のあたりに1プレイ50円の場末のゲームセンターに行ったことがありますけど、高校生以上のリアルファイト…灰皿やイスが投げられたりしたところをみたことがあります 

ヤンキーやチンピラっぽい人も多くて殺伐としてて怖かったですね 

 

反撃できないように投げで固めたり、攻めない待ちガイルみたいな行動にみんな厳しかったと思います 

台を蹴って威嚇したりというのが日常茶飯事でした 

 

自分が高校に上がったあたりはゲームセンターも一般化してそういう行為は減った感じですがマナー向上や洗練とともにギラギラした人含め人口が減って格闘技ゲーム熱も下火になっていったような気がします 

 

▲46 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

記者のゲームセンター体験談を読んでみた限り、本当に1990年代までは恐ろしい場所だったのですね…。大変な思いをされたと思います。 

 

1990年代は僕はまだ小さかったので、父親に連れてもらって競馬のゲームを一緒にプレイしていたことは微かに覚えていますね。 

 

そこでは、他にもグラディウス3・XEXEX・ぷよぷよなどのアーケードゲームが稼働していた記憶があります。 

 

30代になった今でも、Beatmaniaやポップンミュージックなどの音ゲーをプレイしにゲームセンターへ行くことはたまにありますが、この記事とは打って変わって周りのお客さんは静かにプレイされていましたね。やっぱり、昔よりも治安が良くなったのでしょうか? 店舗によるかも知れませんが…。 

 

▲36 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

ゲームセンターっていろいろ変わっていますね。私が印象に残っているのは、20年ほど前の『機動戦士ガンダム戦場の絆』。小学生の、妹の子供二人を連れて行きました。このゲーム、4人対4人のチームで戦うため、一緒に並んでいる男性に『子供二人がいて、迷惑をかけますがよろしく』と挨拶したら、いい感じで返事してくれました。実際ゲーム内でもその方は子供のフォローをしてくれて、とても楽しかったです。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

とっても親近感。 

同じような時代に同じようにゲーセンに通ってた同志が居るのは嬉しいですね。 

自分も補導されて親を呼ばれて放課後指導されたりでしたが反省文に如何にゲーセンのゲームが優れているかを大量の原稿用紙に書いたものです。 

確かに不良の巣窟でしたがそこで出会った不良と呼ばれる人達は意外と社交的で実際に仲良くなった連中は陰湿な自称真面目な人間よりもよっぽど優しさと正義感に溢れてました。 

社会的には昔のゲーセンは良くない環境だったのかもしれませんが自分達ゲーム大好き人間にとってはお小遣いが許す限り徹底的に遊べる最高の場所でした。 

同時に社会のささやかな裏も見える社会勉強の場でもありましたね。 

 

▲40 ▼1 

 

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90年代前半の当時小学生の高学年だった時に友達と近くの商店街やジャスコに入ってるゲーセンに行ったけど、確かにそこにたむろしてた中高生はツッパリというかヤンキーっぽくて怖かったイメージある。 

コインゲームでうまく落とせばジャラジャラコインが貰えるやつで、中高生数人が体使って振動で落としてたのを見てて自分もやってみたら「おい、真似してんじゃねえ!」と凄まれて怖かったのを覚えてる。 

何もされなくて良かったけど一歩間違えたら危なかったなぁ。 

 

▲14 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

子供の頃はゲーセンでゲームが上手い事がステータスに感じて散々駄菓子屋で修行していました。それでも金がかかるのでいつかは大人になったらゲーム筐体買ってやると思い、10数年前にそれを思い出してゲーセンに声をかけてゲーム筐体を購入し、家でプレイすると、まぁつまらないし虚しい事!時代って振り返るとそんなもんです。ただ買う時にゲーム筐体はゲーセンブームが去って捨てられて続けて今は安いけど、どんどん値段が上がっていくと言われましたが、微々たるものですし場所はとりますが本当に値段が上がっていってます。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

小学6年くらいの頃、クラスの友人から学区内にゲーム喫茶がある事を教えられ一緒に入ったことがある。 

店内は暗くて小学生が二人が入店したにもかかわらず店員も無言でちょっと不気味だったけど、遊びたかったゲームのテーブル筐体が置いてあり暫く夢中になって遊びましたね。 

その後は行くことも無かったけどまあいい体験でした。 

中学、高校生になると毎週日曜日の開店直後からデパートのゲームコーナーに入り浸るようになり、小型のカセットレコーダーを持ち込んでゲームの音声を録音し毎晩聞いてました。 

不良もいたけど溜まり場のような場所には近づかなかったし、比較的治安がよかったのか絡まれる事もなく順調にゲームライフを楽しめました。 

後に商売をしていた祖母と母が経営していた店の一部にパチモンゲームを置くことになろうとは、閉店時に楽しませてもらったのもいい思い出。 

 

▲10 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

ストⅡが人気になる頃にはコインゲームやクレーンゲームもあって、ゲーセンもだいぶ健全になってたと思うけどな。それ以前の薄暗いゲーセンでテーブル型の筐体に積み上げられた100円玉と灰皿、くわえタバコのリーゼント頭のお兄さんがインベーダーをやってたイメージだ。 

対戦で負けて揉めてるのも見たけど、段々とテクニカルで複雑な操作が要求されるようになり、今度はリーゼント頭のお兄さんとは違う勢力が幅を効かせるようになって初心者は雰囲気も含めて行きづらくなったので行かなくなったね。 

 

▲0 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

1979年の春、近所にインベーダーハウスがオープンしました。高校生になったばかりの私はインベーダーがやりたくて店に近づいてみると、自分の通う高校の生活指導担当が入口に立っていて入店する客を一人ずつ見ているのに気付きました。 

なかなか入れず1時間くらい周囲で時間を潰しているといなくなったので、思う存分楽しみました。 

暗い店内は辺り一面インベーダーのテーブルばかり100台以上並んでいて、しかも台の取り合いでした。 

 

▲6 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

1980年代、当時小学生だった自分は、ゲームセンターと言うより、駄菓子屋の横や裏、デパートの屋上の一角、おもちゃ屋の室内の一角などに設置してある1回30円の、立ってやるアーケードが憩いの場だった。 

 

ゲームセンターは、なぜか謎の勇気が必要でなかなか行けなかった。 

 

▲48 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

寧ろその当時の方がゲームセンターだったなぁ…薄暗くタバコの匂いに包まれて興味を湧くビデオゲームが沢山ある……昔は「ここ」に来ないと出来ない体験があって子供にとっては夢の様な空間だったと思う…今では技術が追い付いてしまいゲームセンターじゃないと出来なかったゲームが家でいっぱい出てしまった、嬉しいことでもあるかも悲しいことでもあるね 

 

▲45 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

過去に一度だけ、ファイティングバイパーズでバン使い、壁投げ〜鉄山靠締めやってたら終わった相手が近くの椅子をこちらに蹴ってぶつけてきたことがある。 

お?なんだ?直接やんねーのかよ?って顔して睨んでやったら目が合った瞬間にダッシュで居なくなったな。 

当時はそういう奴に出会ったら、次からは必ず乱入して同じことをやってる。そうするとそのうち来なくなり、コミュニティが保たれる…という感じだった。 

やられた時だけ文句言う奴は強くなれない。そういう時代でしたね。令和くんには荷が重い時代だったと思うよ(笑) 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

自分もこの筆者と同じ世代で、70年代末からゲームセンターに通ってた不良児童だったけど、怖いという印象はあんまり無かったな 

確かに薄暗い店内に、横浜銀蠅みたいな格好の兄さんがたむろしている空間ではあったんだけど、当時小学2年生とかのガキんちょだった自分に絡んでくる兄さんなんていなかったし、怖い人とも思わなかった 

 

むしろヤバいのはゲーセン以外の場所で遭遇する、自分と年齢がそんなに違わない連中だったな 

昼間のデパートの人けの無い階段とかで、50円持ってない? みたいな感じで軽く訊いてくるんだよな 

 

持ってないと言ったら、あっそうみたいな感じであっさり引き下がるんだけど、持ってると言ったらどういう展開になったんだろうというのは今でもちょっと気になる 

 

▲14 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

テーブル筐体は明るいと画面が見えにくいため店を暗くする必要があり、謎の怪しさがありましたね。アップライト筐体が普及し出してから店内が明るくなり、入りやすくなった感じがあります。 

 

▲35 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

80年代のゲーセンは真っ暗な中ゲームの灯りだけが浮かび上がりそれは異様な光景でした。  

 

90年代に入りストIIが出た頃には店内も明るく、クレーンゲームなども設置され家族やカップルも増えてきましたが対戦格闘ゲームなんかは本当に殺伐としてましたね。  

 

負けて捨て台詞や台を蹴り飛ばしての威嚇等まぁ良くありました。 俗に言う灰皿ソニックなんかも(笑) もうあの様な空気のゲーセンは消えてしまったし、これから復活も無いでしょうね。  

 

あっ、スーパーの入り口に30円でプレイ出来たりするのもありましたね。 

 

▲49 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

ゲームセンター当時の地元ではジャスコやサティがあってそのコーナーではパンチングマシンなど高校生くらいの怖いお兄さん達がいましたね。 

 

そこでたむろしてて小学生の高学年や中学生ぐらいの友人同士で遊びに来てるターゲットを見つけると寄ってきたり、気づいたら店内にいなくてホッとしていたら自転車置き場で待ち伏せされてたりして全く面識ないのにお前らどこの学生やみたいな感じで話しかけてきて行き着く結末が所持金がいくらか…ってなるいわゆるカツアゲが普通にありました。 

 

ビデオゲームやメダルゲームだけのゲームセンターやバッティングセンターとかにもよくいましたね。 

 

暴走族とも繋がりがあって先輩に目をつけられると中学校にまで暴走族が校庭にバイクで入ってくるとか今で言うドラマみたいな光景もありました。 

 

なんか普通に学校行っててアイツ調子にのってるなシメるかなんてのもあったりして今思うと平和になりました。 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

懐かしいね。 

危ない場所ではあるけど当時最新の娯楽が楽しめる場所。 

カツアゲされるのも友達とつるんで客と揉めるのもナンパするのも18時過ぎて補導員に声掛けられるのも全てひっくるめて楽しい思い出だよ。 

 

▲30 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

戦場の狼の時代ならスーパーの二階とかにゲームコーナーあったしバッティングセンターとかにもゲームあったからゲーセンにしかゲームが無いなんて事は無かったよ。 

 

インベーダーやパックマンの時代でも喫茶店や駅前のダイエーの飲食店のフロアとかゲームコーナーはあり不良が居ない訳じゃないけど普通にゲームは出来てたはずです。 

 

▲1 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

喫茶店のインベーダー時代後半の喫茶店のがヤバかった、ゲーセンは子供にとってある意味救いの場、それでも金が集まる場としてヤンキーの下っ端に目を付けられゲーセン周囲でカツアゲが流行り、店内ではゲーム上級者が初心者にマウントを取ると言う悪循環が生まれ小さなゲーセンは街から閉店に追い込まれた。 

普通の子供は行かないし、普通の子供はスーパーのゲームコーナーに居たけどね。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

高校生の頃、よく授業サボってゲーセンに行ってたな。平日の昼間行くと空いてるんですよね。そこでスト2練習しまくってた。ゲーセンのおばちゃんが、お昼におにぎり食べさせてくれたり親切にしてくれた。6時間目だけ授業出ておけば先生も特に何も言わなかった。で、6時間目終わったら、今度はみんなでゲーセン。今思えば、もう少しマシな高校生活送るべきだった。なんだか勿体無いことしたな 

 

▲26 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

インベーダーゲームの登場がゲームセンターのあり方を根本から変えてしまったね。 

それまでのゲーセンはピンボールやエアホッケーなど実際にプレーするものが主流だったけど、インベーダーやブロック崩しなどテレビゲームの登場で置いてる機種が様変わりした。 

いつからゲーセンが「不良の溜まり場」になったかわからんけど、テレビゲームがブームになり、ゲームやりたさに不良が小学生らから小遣いをカツアゲするのはままあった。 

なので小中学校では「ゲームセンターに行ってはいけません」と言われたし、一番影響を受けたのはマンガの「ゲームセンターあらし」だった。 

連載当初こそあらしはゲーセンに入り浸ってライバルと出会ったり勝負をしてたけど、ゲーセンを立入禁止にする学校が増えたためマンガにも反映せざるを得ず、途中からは「ゲーム大会に出場する」という形になった。 

昨今はこれを「eゲーム大会の原点」としてるようだが、違う違う。 

 

▲19 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

スト2でゲーセンに活気がでたのは間違いない。 

自分が行ってたのは裏路地の地下ゲーセンだったが、カツアゲは見たことなく、むしろ100円玉を山積みにしたまま帰るややヤンキーがよくいた。それはそれで困ったけど。 

このちょい後になるとメダルゲームも増えてきて、メダル交換がパンティだったりコンドームだったり、今思えば異様だった時代に突入。 

当時中学生だった自分はゲットしても使い道を見出せなかった。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

比較的安全なのはデパートのゲームコーナー。子供と一緒に大人もいるし店員に優しいおばちゃんやおじさんもいたから当時の呼び方でヤンキー出没率は低い。初心者向けダンジョン。ただし脱衣麻雀は皆無。商店街や中古ソフト屋に隣接したゲーセンは夕方になると底辺校のク〇ヤンキーが集まってくるから1人や喧嘩低レベルはターゲットにされやすいから注意が必要だった。そこそこマニアックなゲームも多くダライアスやニンジャウォーリアーなど脱衣麻雀も設置されてる。中級者向けダンジョン。小学生は1人じゃ危ないな。 

ボーリング場やパチンコ屋に隣接してるゲーセンはヤバかった。昼間から学校サボってたむろってるビーバップに出てきそうなヤバいヤンキーが常駐している。ヤニ吸ってくにお君や脱衣麻雀やってるの当たり前だしね。店員も筐体壊れても直す気もないしカツアゲされても助けてくれねー。ボッタクリバーに行くようなもんよ。 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

マリオブラザーズのPVPが流行っていました。私は幼い小学生でしたが、腕に覚えがありました。 

ある時知らない中学生集団が、おごってやっから戦おうぜ、と言ってきて全員返り討ちにしました。 

それからは指南役になりました。 

薄暗いゲームセンターでしたが、怖い思いをすることはありませんでした。楽しい思い出だけです。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

私も50代半ばですので、懐かしさに思いを馳せながら本件記事を読ませてもらいました。 

たしかに 私が住んでいた地域でも、昔のゲームセンターは不良と呼ばれるような中高生の溜まり場になっていましたね。 

その当時は、中高生のタバコなら まだマシなほうで、本当の不良はタバコどころかアンパン吸ってました。(シンナー類を吸う行為をアンパンと言っていました) 

 安全な場所のほうが良いに決まっているはずなのに、なぜか「昔の危険を感じる場所」に魅力を感じてしまうその気持ちにも同感を覚えます。不思議な心理ですよね。 

 

▲6 ▼0 

 

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うちの地元は潰れたキャバレーを改造したゲーセン。洞窟みたいな作りで、怪しさ満点。夜中の3時まで営業してたから、いろんな輩が出入りしてた。スト2全盛期はすぐに筐体のコインボックスがすぐに満タンになるほどの熱狂ぶりで、怖いけど楽しい場所だったな。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

確かに1980年代から1990年位までは不良が行くイメージで治安も今よりも悪かったけど、なんか活気があったよな。 

 

ヤニ臭かったけど。 

 

スト2辺りの格ゲーブームで小学生だったけど出入りしてたな。 

 

今はゲーセンと言うよりもアミューズメントパークみたいな感じで昔よりファミリー層すら来るからな。 

 

最近ら昔ながらのゲーセンスタイルって見なくなったな。時代の流れを感じる良い記事でした。 

 

▲10 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

2000年ごろまでは繁華街に出なくてもそこらへんに「街のゲーセン」があふれてましたよね 

1980年代は不良の巣窟でしたが、1990年代にUFOキャッチャーが出来始めたころから一般に受け入れられるようになった印象です 

自分はゲーセン小僧だったのもあり、各街のシューティングのハイスコア塗り替えるのに必死になったり、スト2の対戦するのに「俺より強い奴にあいに行く」をリアルでやったりしてましたね 

スト2の対戦も今みたいに2筐体使ってやるのではなく1筐体で横並びに座って、知らない人相手にも「対戦いいですか?」って聞いて入ったりしてました 

なので世代を飛び越えた友達がたくさんできまたね 

その中の数人は今でも飲み友達です 

これが自分の青春でしたね 

暗い青春でしたが、一番楽しかった時期でもあります 

 

▲9 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

私も隣の中学のエリアにあるゲーセン前を友達と4人でチャリこぎながら通り掛かりました。そしたら隣の中学のヤンキーが大勢たむろしててとても入れる雰囲気ではありませんでした。 

で、ヤンキー達に仲間の一人の靴をひやかされ、仲間は弱いクセに口答えしちゃってヤンキー達に追いかけられるハメに。直ぐに言い返した仲間は捕まり脅されるも直ぐにベソかいて謝ったので見逃してもらえました。 

昔の田舎の小さなゲーセンはマジで怖いところでしたね。 

 

▲23 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

いまの時代からすると考えられないかもしれませんが、それもう大層な危険地帯でしたね。 

当時のヤンキー(もう古い言葉かもしれません)は、制服は着て行動はするんですよね。 

そして溜まり場がゲーセン。いまであれば、普通に警察に通報ものですが、「カツアゲ」が一般的過ぎて世の中的にも犯罪であることの意識が薄かったと思います。と、ろくでなしブルース世代は感じてます。 

 

▲10 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

当時殺伐とした雰囲気は地方も都会も似たようなものだったけど、あとはボウリング場のゲームコーナー、バッティングセンターのゲームコーナー、カラオケ店のゲームコーナー、ビリヤード店のゲームコーナー、それはそれで楽しかった。 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ストⅡはXが特に盛り上がっていたな。 

自分は当時、どちらかというと強い方で 

対戦相手が入ると長く遊べて良かったけど 

人によっては負けると台をド突く事もあり 

気が小さい方なのでたまにビクッとしながら 

プレイしていた思い出。 

 

▲12 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

昔って暗くて光がビカビカしてたら、そこはもう不良の溜まり場になるんよね。ゲームに別に興味なくてもゲーセンに不良がたまるし、クラブだって音楽に別に興味ないのにヤンキーの溜まり場になってた。夜のコンビニ前にヤンキーが溜まるっていう慣習も今相当減ったとおもう。暗くて光があるとこに集まるってある種の不良の習性やったんやとおもう。今その習性が薄れたんよね。 

 

▲1 ▼0 

 

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丁度90~ バイトしていました(女) 

さすがにその頃は 殆どの店舗で「学制服入店お断り」で 警察が定期的に巡回しておりました 

1時間ごとに客の年代(見た感じでOK)性別・人数記入しなくてはなりませんでした 

とは言え 私服なら学生さんもお目こぼしで 何をお召し上がられても見なかった事とし 警察が巡回に来るスケジュールは事前に知らせて頂けたので 30分前に「警察来ますから」とお客様に説明しておりました 

 

プリント倶楽部(1995)が設置され 制服入店できないので(当初)店の前に置きました それもあってか すっかりヤンキーなお兄さん方が来なくなり また キャッチャーの商品も女の子向けの物を置くようになるとますます健全になりました 

女子中高生が最強ですね 今も昔も 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ファミコンで出るまでインベーダー、ゼビウス、スト2あたりはゲーセン行かないと遊べなかったからね。 

まさに時代の最先端遊戯だった。 

小中学生にはハイリスクハイリターンな場所。 

でも喫茶店でインベーダー置いてある店はあったか。 

でも飲み物頼むから結局高くつくんだよね。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

中学生当時、学校帰りに池袋や大山あたりのゲーセンや雀荘に通ってたけど、不良はそんなにいなかったな。 

スト2ももちろん毎日のようにやってたけど、ベガでハメ技を覚えて喜んでやってたら、対面の不良っぽい高校生にブチ切れられて、50円返却したら許してくれた。 

それ以上は取られなかったので、意外と優しいなと思った。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

当時は大体いつも見知った顔が来ていて、対戦に明け暮れていた。無論知り合いじゃない為、名前も分からず、仲間内では対戦相手の容姿や服装から勝手に『黒タンク(トップ)』とか『ブサイク(彼女)連れ』、『◯◯(制服から分かる学校名)ガイル』なんて名前付けてたっけなぁ。中には仲良くなったりした人もいたりして楽しかった思い出がありますね。彼等は今何してるかなぁ。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

大阪市内に住んでいた小学生の時は、校区内で最大の駄菓子屋兼ゲーセンによく通ってました。お金を無駄にしないように人のプレイを覗いて攻略法を学んだりしてましたね。子供ばかりで平和でした。 

 

北摂在住時代(中3)で麻雀覚えてからは、ちょっとガラの良くないゲーセンによく脱◯麻雀やりに行ってました。ストⅡで順番待ちしてる連中に、麻雀でアガり確定したらツモ(またはロン)する前に周りに声かけて、みんなでVTR見て盛り上がってました。 

タムロしてる連中も悪ぶってるけど結局年頃の男子なので、共通点(この場合はエロ)で意気投合したら別にビビる必要も無かったですね。 

 

堺に住んでいた大学時代は音ゲー全盛期で、あの辺りからゲーセンの雰囲気が特に変わってきたように思います。 

朝方までDDRとかドラムマニアやって汗だくになって帰宅してました。 

難易度高い曲をクリア出来るやつが偉い、みたいな感じでした。 

 

▲1 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

ストII持ってる家に集まってよくやってたな。 

ダルシムは手足が伸びるから使用禁止とか今思うと謎のルールだけど楽しかったな。 

今のストⅥも買ったけど、オンラインじゃなくてひたすらアーケードでやるからあの頃みたいには盛り上がれないな。 

そもそもプレステ5のコントローラ高すぎなんだよな。 

 

▲5 ▼0 

 

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カツアゲに遭った事は幸いなく、記載記事とは年代がやや異なるだろうけど、アーケードで新日本プロレス 闘魂烈伝が稼働していて、向かい合ってプレイするタイプでいわゆる乱入台というシステムで、100円で3時間程プレイしていて、プレイしてる合間に覚えてる限りで10数人対戦して、一度もゲームオーバーにならなかったから、楽しい一時を100円一枚で過ごせたな。 

 

▲6 ▼5 

 

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記事にある時代には全盛を誇っていたのに今はすっかり廃れてしまったのが、脱衣麻雀。序盤は順調に勝ち進むけど、イイところでゲームオーバー、コンティニュを要求してくるんだ。全クリ目前ともなると背後にギャラリーが集まり、見知らぬオッサンがコインを出してくれたこともある。 

 

▲1 ▼0 

 

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インベーダーを始め昔はテーブル型でした 

テーブル型は天井の照明が反射して画面が見えなくなります 

そこで照明が暗くなります 

暗くすることで不良の溜まり場になりました 

当時はカツアゲだけじゃなくホームレスや野良犬や暴力団も多かったですね 

 

▲0 ▼0 

 

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カツアゲは居なくなったけど、クレーンゲームばかりでそもそも数千円かけないと景品がゲット出来ない、法律上の建前は「クレーンを操作するゲーム」だから、操作が簡単で頭が劣化して新しい事を覚えられないおじさんでも、ファミリーでも楽しめる健全なゲームって、言うんだろうけど、ギャンブルだし、子供だけでも出来ちゃうのが問題だよ。 

 

▲1 ▼0 

 

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高校生の頃、何となくその日は学校に行きたくなくてサボって(西武新宿線沿線の学校だったので下車しなければ自然と終点は新宿)歌舞伎町のゲーセンに遊びに行きました。一通り遊んでゲーセンを出たとたんに首根っこを掴まれ、びっくりして振り返るとなんと父が居て(父の会社は新宿にありました)。父は「何やってんだ?」とニヤリ。あたふたとする私を尻目に、「これで映画でも見ていけ、遅くなるなよ!」とポンと1万円を渡されました(その日のことは母には言ってなかったみたいです)。 

今は亡き父との良い想い出です。 

 

▲12 ▼1 

 

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薄暗くて治安の悪い場所であると同時に、割と誰がいてもいい場所でもあった。 

ゲームの事しか頭に詰まってない子供から、飲酒喫煙くらい当たり前の不良中高生、彼女連れのあからさまなリア充(当時はリア充なんて言葉は無かったけど)から、仕事の合間なのかサボってるのか背広着たおっさんまで。 

流石に女子は少なかったけど、それでもUFOキャッチャーとかプリクラが広がりだしてからは入り口付近でキャーキャー言ってるのを見かけたりもした。 

記録として残している人、残されている場所も少ないだろうから、当時を知る人がいなくなれば存在ごと忘れ去られそうなのが気にかかる。 

 

▲2 ▼0 

 

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インベーダーゲームが世に出たのが、1978年(昭和53年) 

大卒初任給が11万円に届かない物価水準。 

まぁ貨幣価値が今の半分と考えたら、 

 

インベーダーゲーム一回=100円 

 

ってのは、かなり高い遊戯代。 

ラーメン一杯が500円しなかった時代だから、インベーダーゲーム3、4回でラーメン代が吹っ飛ぶ。 

 

ちなみに、当時のゲームセンターそれぞれには地域を縄張りとするいわゆる893が、【みかじめり料】を納めてました。 

 

実話です。かく云うワシ(アラフィフ)は当時、馴染みのゲームセンターの店長にコッソリ教えて貰いました。 

 

スト2が出たのはもう少し後だから、徐々にゲームセンターから反射は排除され始める時代かな??? 

 

▲4 ▼1 

 

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今で考えると不思議だよね。ゲームセンターと言えば不良が行く所だったんだもの…スト2辺りから変わり始めては居たが、駄菓子屋のゲーム置いてる場所とかも不良のたまり場だった。駄菓子屋にたまる不良ってやっぱりおかしいね笑 今は基本子供しかいないから今の子は信じられないだろうね。 

 

▲6 ▼1 

 

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鷺沼が100円 

立川が50円 

随分高い場所でゲームしてたんですね。 

 近くの東京北多摩の話ですが、 

当時個人経営のゲーセンだと客寄せで30円、10円てのもあったけどね。 

 当時子供なりの高度な情報戦で『あそこが安い』『ここにこんなのが入った』と言う情報のやり取りはしてたけどね。 

 

▲1 ▼2 

 

 

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カツアゲが原因で、恐喝罪で警察に逮捕される人も結構いたからね。プレイステーションやセガサターンの登場により、ゲームセンターのゲームが家庭でもそのまま移植できるということになって、ゲームセンターの衰退がはじまったのだ。 

 

▲4 ▼0 

 

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小学校の友達に1プレイ50円の駄菓子屋を教えてもらって自転車を必死に漕いでゲームをしてたのが懐かしい。その駄菓子屋に行くと龍虎乱舞とかいう謎の技を使える中学生がいて後ろから羨望の眼差しで見てた。 

 

▲0 ▼0 

 

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ウチの地区は小学生は夕方6時まで。って公式ルールがあって、みんな嫌々でなく普通に守ってたし、店のおばちゃんとおっちゃんも絶妙のタイミングでそろそろ時間だよ。って教えてくれた。 

トラブった仲間は聞いたことなかったなー。懐かしのゲーセン。駐車場になった後民家になっていた。 

 

▲2 ▼0 

 

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いやもうほんとにね。 

一人でゲームしてきたら両脇に座られて逃げられない状態でなすすべなく財布の中身を根こそぎ(当時の高校生の身なので大して入っちゃいなかったが)持ってかれたりしたもんだ。 

それでも「ゲーセンでしかやれないゲーム」が豊富にあった時代、そこでしかできない体験を求めて遊びに行ったもんだなあ 

 

▲10 ▼0 

 

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インベーダーハウスの話はここですか? :p 

 

ストII人気は凄かったですね。 

 

対戦ゲームの挑発と言えば、VF2で勝った後に勝者側がP+K+Gを押していたら、KOシーンのスローリプレイがキャンセル不可になる、ってのもありましたね。 

酔拳爺さんの逆立ちキックでKOした後にこれやったら、対戦台の向こう側から台を思いッきりぶっ叩く音が響いてきたことがありました。 

 

▲1 ▼1 

 

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スト2やKOFなどで対戦、FFやD&Dで協力プレイ、脱衣麻雀や野球拳などのアダルト・・・。 

80~90年代は良い思い出がたくさんある。 

00年代からはコンテンツの充実で良い思い出というのが無くなった。 

 

▲7 ▼0 

 

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1984からなんで1990年代に飛ぶのか。 

その間が一番面白いのに。 

体感ゲームやグラII、カプコンのベルトスクロールアクションとか 

スト2以降は全メーカー対戦格闘になるからあんまり好きじゃない。 

 

▲2 ▼0 

 

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地元にジャンボって地下一階にあるゲーセンがありまして、あんまり良い噂は聞かない場所でしたが、中坊になってからはパロディウスをやりまくるのに通いましたね。 

カツアゲは…あったのか遭遇した事が無かったんで解りません。 

 

▲8 ▼1 

 

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ストIIが登場した頃からゲーセンは変わったよ。 

活気が出て色んな人が来るようになった。 

自分は高校生でほぼ毎日通ってたけどまあ荒れた現場もあったけど特に何されるでもなく楽しめた。 

最近ハイスコアガールというアニメを観て懐かしさを堪能した。 

ストIIやら当時のゲームが出まくるしストーリーもクソ面白いのでオススメ 

 

▲2 ▼0 

 

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インベーダーの頃は100円積んで皆やってたし、偽造硬貨の事件も起きた。 

スコアに応じてサービスがあったりと、ギャンブル的な喫茶店もあった。まあ環境は良くなかったね 

 

▲0 ▼0 

 

 

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当時のゲーセンは、ゲーム自体はそれ程プレイする事無く、ただ仲間達とその空間に身を置き、校則と法を犯す罪悪感と背徳感に酔った輩の溜まり場と言う、ゲーセンにとっても迷惑な存在で溢れていましたね。 

 

▲3 ▼0 

 

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2002年頃に京都駅前のゲーセンで鉄拳対戦したら、勝った直後に相手が回り込んできて飛び蹴り食らったことあるよ、、 

 

色々揉めたけどそれ以上の騒動や怪我はなく済んだけど。 

 

その頃からゲーセン行かんなったな 

 

▲0 ▼0 

 

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近所に1ゲーム20円だったかな?ゲーセンあったけど、たまにトイレから血だらけの人間出てきてたわ。リアルストツー時代でした。いつもキャップかぶってたやたら上手い兄ちゃん元気かな~ あの中ではオレと兄ちゃんがトップだったろ。 

 

▲3 ▼1 

 

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高校生時に、定期テストの期間になると、部活が中止になったので、テスト終わりにゲーセン直行。インベーダー、ギャラガ、ラリーX、アウトラン …。対戦ゲームはしなかったな。 

ゲーセンで、カツアゲには合わなかったが、大宮駅のホームでカツアゲされそうになったが、後輩が相手を……。 

 

▲1 ▼0 

 

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今おっさんの俺だが、当時の不良は小学2年生にカツアゲなんかしねえよ。そんなの仲間にバレたら総スカンになるし何よりそんな恥ずかしいこと誰もしないと思うけどね。カッコつけてナンボみたいな所があったし。今の不良は知らんけど。 

 

ストⅡは確かによくケンカになってるの目撃した。煽ることが出来たからね。途中からゲーセンではハメや煽り禁止になった。知らない奴がたまに煽ってきたけどそういう奴は大抵ヘタクソだから余裕で勝てたな。 

今のゲーセンはクレーンゲームとプリクラとガチャとメダルゲームがメインみたいになったな。 

 

▲2 ▼1 

 

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自分のストⅡ時代のゲーセンはコワモテの兄さんはいてたけど台の順番が来たら譲ってくれた優しい兄さんだったので環境は恵まれてるほうだった 

 

▲5 ▼0 

 

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自分はいわゆるスコアラーが集まるゲーセンに通ってたんで 

台パンや暴言は日常茶飯事だけど直接の暴力沙汰は滅多に見なかったな 

それでも1回だけ対戦で勝ってケンカ売られた事あるけど 

 

▲2 ▼0 

 

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なんだか、親近感のあるお話しと思ったら、生まれ年が一緒でした。 

高校の時にもまだカツアゲされるゲーセンがあったのですが、 

なぜか進学校に通ってる人にはヤンキーの方達カツアゲしてこなかったなあ 

 

▲7 ▼0 

 

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50過ぎなので 

ゲーセンは昔は確かに怖かった 

デパートのゲーセンはそこまでヤンキーは居なかったけど街のゲーセンはねぇ 

現代と違って暗いし外から見えないし煙草臭いし定員無愛想だし 

デパートのゲーセンもお子様用のコーナーまでは入口近くて明るいが… 

 

▲1 ▼0 

 

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スト2が全盛期の時は既に社会人だったんだが、通ってたゲーセンにフェイロン使いの無茶苦茶強い高校生が居た。 

常連客の誰もが太刀打ち出来なかった。 

終わった時、フェイロンのセリフがムカついた。 

「お前が弱いんじゃない。俺が強すぎるのさ」 

あの子、プロゲーマーになってんのかな。 

 

▲7 ▼0 

 

 

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ゲームセンター=不良のたまり場から、=ゲーマー(当時はオタク)が集う場所に変化したのは、ストⅡ位からでしょうか。それまでのゲームは、動体視力と反射神経が物を言うケースが多かったのですが、ストⅡ以降はコマンド入力の正確性が問われる様になったような気がします。 

 

自分は、テトリスで時間つぶしができましたが、ストⅡは全くダメ。コマンド入力が出来ないので技が出ない・コンボにならない。乱入されたらひとたまりもなかったです。ザンギエフのスクリューパイルドライバー三連発を食らうという公開処刑を受けてから、ゲーセンには行かなくなりました(笑) 

 

家庭用ゲーム機に続き、スマホが普及して、ゲーセンも見かけなくなったな。今やeスポーツとか言われるオンラインゲームが主戦場、時代がかわったな。 

 

▲1 ▼0 

 

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逆に対戦した相手と友達になったりもしましたね。 

年齢も結構離れてたし本名もよくわからない、あだ名だけ知ってるゲーセン仲間、結構いました。 

みんな元気にしているだろうか。 

 

▲11 ▼0 

 

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やはり昭和のゲームセンターというと薄暗い照明と煙草の煙で薄くけむる店内、そこらじゅうでピコピコ響く電子音、異様に汚れた落書きだらけの便所、見るだけでドキドキした野球拳や脱衣麻雀の筐体、妙に美味しく見えたハンバーガーや瓶のコーラの自販機… 

 

▲6 ▼0 

 

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70年代後半〜80年代前半は正に北斗の拳の実写版の悪党みたいなのが沢山たむろしていて制服でタバコスパスパ吸ってゲーセンが煙だらけだった 

 

今の世代の子には理解出来ないと思う、、 

 

▲1 ▼0 

 

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脱衣麻雀でコンピューターが平気で天和ガンガン出すってのもカツアゲじゃないけど金を取られたようなもんだな(笑) 

あとストⅡはコンピューターがイカサマするイメージが。ガイルが溜め無しでソニックブーム連発したりとかね。 

 

▲11 ▼1 

 

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ゲーセンは殺伐としてたけどスト2は流行りすぎて駄菓子屋とか玩具屋にも普通にあったからなー 

駄菓子屋でも殺伐とはしてたんだけどゲーセンとは違った 

 

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つい最近、そのカツアゲでテレビニュースになっていたのを見て、昔ならよくあったことだったなって思っていたところでこの記事 

そういう意味ではストⅡより前のパックマンやエレベーターアクションくらいの時期のゲーセンのほうが怖かったかも。 

ツッパリハイスクール時代 

 

▲0 ▼0 

 

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殺伐としてましたね。 

スト2以降客が多様化して、明るい雰囲気になる店と常連が格闘ゲーム占拠して一見さんお断りになる店に分かれたと思います。 

 

▲1 ▼0 

 

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懐かしいお話ですね。自分は、おもちゃ屋さんが設置しているアーケードゲームで遊んでいました。子供たちの健全な遊び場でしたね 

 

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同世代か。自分は立川で思いっきりカツアゲされたよw。中1でスクランブルとかやってたな。中2になったら怖くなくなった気がする。あの頃の一学年って大きい違いだったと思う。 

 

▲5 ▼1 

 

 

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50円玉並べて順番待ちしてた。無くなったこともたまにありました。しばらくするとバーチャファイターでて、それは100円とか200円入れないと出来ない贅沢でしたね。 

 

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当時スト2のクラハシが対戦相手が殺しに来たら相手を殺す覚悟があったみたいなこと言ってた。でもその後アメリカで対戦相手が銃で射殺されたニュースを知って考えを改めたらしい。 

 

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後年、アーケード機の中に普通にプレイステーション本体とその中にソフトががありそれをプレイしていた事を知ったときにはショックでした。 

 

▲0 ▼1 

 

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坊や〜 良い子だ カネ貸しな〜 

 

ガチのゲームセンター、スーパーのゲームコーナー、駄菓子屋のゲームコーナー、遊園地や温泉街のゲームコーナーに分かれますねw 

 

ガチのところはコピー品ではなく本物のパックマン、ギャラガ、スクランブル、サスケvsコマンダ、クレイジー・クライマー、ドンキーコングなどが置いてあった。駄菓子屋はクレイジーコング、ペンゴ、Mr.Do!がありがち。そしてニューラリーXのBGMが帰宅しても頭から離れないw 

 

▲1 ▼0 

 

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テーブルゲーム創成期の懐かしいゲーム名が並んでいますね。 

いくら100円玉入れたことか! 

プレステ5を何台も買えるくらい使ったんじゃないかな? 

懐かしの80年代。 

 

▲8 ▼0 

 

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あーうん。カツアゲは普通だったな 

 

ゲーセンの目と鼻の先に交番があったのに、関係なかったし 

 

よそ者が地元のゲーセンでイキがってたら、そいつら終了だったし 

 

今思うと、マジで嫌な時代だったな 

 

▲6 ▼1 

 

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ゲームセンターは今でも昔でも子供が入るべき空間じゃないので雰囲気が悪い方がむしろ健全ではないかと思う。 

 

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2000年以降にゲーセンに通っていたときは不良はいなくて、プリクラに群がるギャル、音ゲーに群がる秋葉系しかいなかった 

 

▲5 ▼0 

 

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むかし駅中2階のゲーセンに行きたいけど階段で 

ヤンキー2人が通行料とってたんで引き返したことある。 

無理やり金取られないからマシではあった。 

 

▲1 ▼0 

 

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パチンコ屋行きたいけど大人が怖くて行けないクソガキ共が年下に対してイキりに行く場所だったイメージ。最近のゲームセンターは本当に雰囲気良くなったね。売上は微妙みたいだけど。 

 

▲0 ▼1 

 

 

 
 

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