( 313001 )  2025/08/03 07:08:23  
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ゲーセンの変遷について語る中川淳一郎氏は、1980年代の恐怖感や不良たちとの対立を振り返りながら、特に『ストリートファイターII』の対戦プレイで感じた興奮を強調しています。

以前のゲーセンは危険な雰囲気で満ちており、遊ぶこと自体が一種のステータスでした。

現在のゲーセンは健全な楽しみを提供しているが、当時の緊張感や独特の空気感が懐かしく、寂しさも感じているとのことです。

(要約)

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ゲーセンで初対面の相手との対戦プレイにアドレナリン出まくりだった『ストリートファイターII』(プレスリリースより) 

 

 昨今のゲームセンター(ゲーセン)は、クレーンゲームやプリクラに代表される写真シール機が大きな存在感を放っており、少年少女やカップルたちが健全に楽しめる場所になっている印象だ。しかし、かつてのゲーセンはまったく違った。とにかく不良の巣窟的で殺伐としていた時代があった──。1970年代後半から1990年代前半までゲーセンに通い続けたネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、時代とともに変わるゲーセンのあり方に思いを馳せる。 

 

 * * * 

 1982年、小学2年生の時に初めて川崎市宮前区の鷺沼という駅の近くのゲーセンに行きましたが、それはそれは恐ろしかった。薄暗い中、電子音が店内で炸裂し、不良中高校生が「ここはガキが来る場所じゃねーんだよ」的オラオラ光線を出しながらこちらを睨んでくる。 

 

 幸運にもカツアゲをされることはなかったものの、いつこちらにやってきて「お前の持ち金全部よこせ」などと言われるか、恐ろしくて仕方がなかった。しかし、1983年に任天堂からファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売されるまで、ゲームをする場所といえばゲーセンだけ(ゲーム&ウオッチはありましたが)。『サスケvsコマンダ』や『ラリーX』『ルパン三世』『平安京エイリアン』などを必死にプレイしたものです。 

 

 当時、ゲーセンに集うことを不良中高校生はステイタスだと感じていた節があります。タバコを吸っていましたし、そこらへんにツバを吐いたりもしている。我々小学2年生軍団はビビりながら入店したものです。 

 

 しかも、ゲームセンターに入ったところを目撃され、学校に通報が行き、担任教師が自宅に電話して母親にそのことを伝える。翌日のホームルームの時間は前に立たされ「この3人は昨日ゲームセンターに行っていた。あそこは不良のたまり場だ。もう行かないと宣言しなさい」なんてことを言われたりもする。 

 

 というわけで、私は鷺沼のゲーセンに行けなくなったのですが、ゲーセンの持つ怪しい魅力は忘れがたい。1984年、東京都立川市に引っ越した後は再びゲーセンに通うようになりました。といっても、ダイエー系の小売店の中にある暗くない「ゲーム置き場」みたいなところです。それでも、また通報されたらかなわないので、わざわざ別の学区まで自転車で12分ぐらいかけて通っていました(だから何なのか、という話ですが、結果的に通報されませんでした)。 

 

 ここでプロレスのゲームやら、『SONSON』『戦場の狼』などをやったのでした。鷺沼では100円だったのですが、ここは50円でプレイできた! 鷺沼のゲームセンターと違って暗くない場所だったため、なんとなく健全なイメージがありましたね。 

 

 その後、私は親の仕事の都合でアメリカに引っ越すのですが、19歳だった頃の1992年、大学に入るタイミングで日本に帰ってきて再びゲーセンに通うようになります。薄暗い電子音バキバキのゲーセンです。そして、そこで大きな存在感を放っていたのが、1991年に登場して一斉を風靡した『ストリートファイターII』(通称・ストII)です。 

 

 ストIIは、対戦型ゲームで、一人でプレイをしていても、向かい側の筐体に別の客が入って来ると「Here comes a new challenger!」の文字が出て、生身の人間との対戦プレイが開始します。 

 

 コンピューター相手よりも圧倒的に興奮し、アドレナリンが出るわけですが、えげつないハメ技(一切反撃できない連続攻撃)を食らわせたり、バカにしたかのようにノーガードで攻撃させる、といった挑発行為もありました。 

 

 そうなると、3本勝負で負けた方はキレる。新聞沙汰にもなりましたが、ストIIをめぐり殴り合いのケンカに発展したケースもあったそうです。ご存じのとおり、ストIIはその後大人気シリーズとなり、今では家庭用ゲーム機でも遊べるようになりましたが、やはり当時の薄暗いゲーセンでの初対面の相手との対戦プレイの興奮は忘れられません。 

 

 そうしたゲーセンライフを過ごしてきただけに、今の健全なゲーセンの姿は新鮮に移ります。とはいってもあの怪しい空気感をもはや体験できないことに、若干の寂しさを覚えたりもするのです。 

 

【プロフィール】 

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう):1973年生まれ。ネットニュース編集者、ライター。一橋大学卒業後、大手広告会社に入社。企業のPR業務などに携わり2001年に退社。その後は多くのニュースサイトにネットニュース編集者として関わり、2020年8月をもってセミリタイア。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)、『縁の切り方』(小学館新書)など。最新刊は倉田真由美氏との共著『非国民と呼ばれても コロナ騒動の正体』(大洋図書)。 

 

 

 
 

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