( 314275 ) 2025/08/08 03:52:55 2 00 米山隆一氏、広島の平和記念式典「過ちは繰り返しません」への百田尚樹氏の異論は「過ったもの」日刊スポーツ 8/7(木) 15:05 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/44f69bfdc2a64d8628bdc4fc5c902d9f6af29f63 |
( 314278 ) 2025/08/08 03:52:55 0 00 米山隆一氏(2021年11月撮影)
立憲民主党の米山隆一衆院議員が7日、X(旧ツイッター)を更新。米軍による原爆投下から80年となった6日に広島で行われた平和記念式典をめぐり、日本保守党から比例代表で立候補し初当選した代表の百田尚樹参院議員が6日にX(旧ツイッター)に投稿した、出席者のあいさつの「過ちを繰り返しません」の言葉が「気になった」とし「過ちは米国が犯したものである」としたポストについて、「過ったもの」と批判した。
百田氏は6日の投稿で「「厳かな式典に身が引き締まったが、気になったのは、挨拶を述べた何人かが『過ちを繰り返しません』という言葉を発したこと。広島市民も日本国民も原爆に関して何も過ちを犯していないし、その責任もない。過ちは米国が犯したものである」としていた。
米山氏は、百田氏のポストを引用した上で「ごく普通に解釈して、戦争を開始した日本にも過ちがあり、原爆を投下した米国にも過ちがあるという極めて真っ当な言葉でしょう。戦争を開始した日本に過ちがないかのように言い募る事こそ、却って米国の過ちの認識をも失わせてしまう、過ったものです」と、百田氏の姿勢を批判した。
広島に投下された原爆をめぐって語られる「過ちを繰り返しません」の言葉の周辺では、これまでも多くの議論が展開されてきた。この言葉は、原爆投下から7年後の1952年8月6日、平和記念公園に建立された原爆死没者慰霊碑に刻まれた碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」からくる。
碑文を揮毫(きごう)したのは、広島大学の雑賀忠義教授だった。建立当初から「主語」をめぐって論争が起きたが、広島大の資料などによると、雑賀教授は「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない」と反論している。
広島市も碑文について、雑賀教授の思いと同じく「すべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉であり、過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和の実現を祈念する『ヒロシマの心』が刻まれている」としている。
|
( 314277 ) 2025/08/08 03:52:55 1 00 このディスカッションは、日本の戦争経験に対する様々な意見が交わされており、特に原爆投下に関する責任やその歴史的文脈についての理解が中心テーマとなっています。
1. **原爆の使用とその必要性**: 一部の意見では、原爆の使用が戦争の早期終結をもたらしたとの見解が示される一方、それに対する反対意見もあり、原爆投下は国際法に違反した行為であり、非戦闘員を大量に殺傷するものであったと強調されています。
2. **国の責任と過ち**: 日本とアメリカの戦争責任についての意見が対立しています。
3. **平和の重要性**: 多くのコメントは、過去の悲劇を忘れず、未来の平和を築くことが重要だと訴えています。
4. **記念碑のメッセージの解釈**: 「過ちは繰返しません」という碑文の主語についての議論が活発であり、個人の解釈に基づく意見が多様です。
5. **戦争の歴史とその教訓**: 日本が戦争に至った経緯や、戦争をする際の倫理的な責任についての議論が続いています。
(まとめ)このディスカッションでは、原爆投下に関連する歴史的責任、平和の重要性、そして記念碑のメッセージに対する解釈が主要なテーマとして取り上げられており、多様な見解が示される中で、未来の平和を築くための教育や対話の重要性が強調されています。 | ( 314279 ) 2025/08/08 03:52:55 0 00 =+=+=+=+=
全然違う、日本の戦争目的の是非と核を使用する事では異次元に違う。 後の放射線による影響等はどこまで把握していたかはわからないが、マンハッタン計画ではその破壊力、熱放射力については理解されており、それを町に投下する事の重大性を認識していたはずだ。 それを使わなければ戦争は終わらなかった等と言う者もいるが、それを言うと現在戦争をしている者が戦争を終わらせる為に核を使用する事を肯定することになる。
▲1914 ▼440
=+=+=+=+=
マッカーサーは戦争をしたかったのです。だから経済制裁とかハルノートて日本がアメリカと戦うように仕向けた。 真珠湾攻撃だって、日本の暗号は全て解読済み、だから空母は1隻も居なかった。 わかっていて国内の世論をひきつけるため「リメンバーパールハーパー」を利用したのです。アメリカと戦う意思がなかっから「大東亜戦争」で止まっていました。山本五十六は「1年間は暴れて見せましょう」と期間限定で戦った。彼はアメリカの国力を知っていた、武官で滞在していたから。 大東亜戦争を太平洋戦争にしたのはアメリカね思惑です、日本人はもう一度戦争の総括をすべきだと思う。
▲99 ▼42
=+=+=+=+=
こういうのってそれぞれの主観で見解も思いも違うから軽々しく言葉に出来ることじゃないけど 結果として大勢の人が苦しんで死んでいった事実は事実 そしてそれを防ぐことが出来なかった全世界の人間が悔やみ後悔し決して悲劇を繰り返してはならないという思いを毎年式典を行うことで忘れないっていう意義があると思ってる 言葉尻を捕まえて言い合いをするより お盆の時期は黄泉の国へ旅立った先人たち(もちろん自分の祖先にも)へ思いを馳せ未来への平和を誓う気持ちでありたい 過ちとはなんぞや いや日本は悪くない いや中国韓国の気持ちを考えれば とか答えの絶対に出ない言い合いをしてもしょうがないよ・・・ こういうのは政治利用したり自分の主張をぶつけたりしてほしくないなぁ
▲1475 ▼362
=+=+=+=+=
米山さんは、日米開戦の経緯をご存知ないようだ。しかし、政治家であるので、勉強不足では済まない。 ルーズベルトは大統領選に際して、海外派兵は行わないと宣言して当選し、三選を果たした。が、英国のチャーチル首相から欧州戦線への派兵を懇願され快諾した。彼が行ったのは、日本を開戦に追い込み、日本の攻撃を理由に海外派兵を実現することだった。日本に突きつけた有名なハル・ノートも、実は米国議会は知らされていなかった。 原爆投下には、海軍次官が公文書で日本はもう降伏間近で投下は不要と報告していたことが、公文書公開制度で明らかにされている。
▲204 ▼62
=+=+=+=+=
太平洋戦争は、そもそも日本が真珠湾に宣戦布告前に攻撃したことで始まったものだし、爆撃による人民の被害は日本軍の重慶爆撃から始まったものだし、捕虜の虐殺をしたこともあったし、日本人を含む多数の市民を殺害したこともあった。日本側にも反省すべき点がいろいろあるのは間違いない。当然アメリカ側も反省すべき点は多々あると思うけど、再度の被害を防ぐためには、当事者全員が反省するしかない。少なくとも被害者の多くを除き。 過ちは繰り返しませんというのは、人類全体の宣言なのではないかと思いますが。
▲98 ▼216
=+=+=+=+=
日本の各市街地への無差別爆撃もそうだが、特に米国の原子爆弾で広島、長崎で20万人以上の非戦闘員が絶命している。これはどこの誰が見ても明白な国際法違反で、当時の米国による対外的な見せしめ行為と核兵器の実践使用実験。当時の核攻撃で被害に遭われた方々には当たり前だが何の非も過ちもない。「やられたことは絶対に忘れません」笑顔で握手しながら心でそう思うしかないだろう。
▲244 ▼24
=+=+=+=+=
「世界市民」のために一個人が書いた文だと判明した。 それならば、一個人にこの碑文を任せたのは間違いだろう。
「過ちは繰り返しません」の主語は英語では「We」であり一個人ではない。世界から選ばれた複数の人物が碑文を検討したのではないのなら「We」を使うのは矛盾する。
これは単なる広島大学の雑賀忠義教授による個人的見解である。個人的見解を10万人以上なくなった方々の前に碑文として設置するのはいかがなものか?
▲206 ▼179
=+=+=+=+=
慰霊の内容に関しては、人々によって捉え方が異なると思います。 ただ、原爆の責任や謝罪を求めれば再び「その過ち」に近づいて行ってしまうと感じるのです。 広島は恨み憎しみではなく、そこで起こった真実を客観的に伝え続けて欲しい。 そして、そこを訪れた人々に自分の愛する人々が同じ過ちを受けないよう、原爆の恐ろしさと平和の大事さを感じ取って欲しいと思います。
▲90 ▼13
=+=+=+=+=
以前は百田氏の言う意味で捉えていて、おかしな言葉を刻んだものだと思っていた。 何度か訪れるうちに、未だに戦争、暴力で解決を図る国がある以上、これは人類に対する自戒の言葉だと思うようになった。
平和資料館で外国人観光客が展示室の外のソファに座って泣いていてそれを抱きしめる父親の姿を見て、戦争の悲劇や悲惨さを知ることは誰にでもできるし、そうしたことから変わっていく、変えていくことができるのだろうと思った。
被害者、加害者と分断せずに、私の中にもあるけど、人々の心の中にある欲や憎悪といった悪の感情を自覚することによって少しでも良い方向に向けることができればと思う。 そういう場所でしょ。 そういうことを全ての戦争犠牲者は望んでいるのではないでしょうか。 加害者に謝れとか、仕返しをしてほしいとかじゃなく。
▲567 ▼139
=+=+=+=+=
語った人が主語になると捉えるのが普通だと思います。アメリカ人の多くが原爆投下を当然のように思っていることをどう感じているのか?今まであまり違和感なく聞き流していましたが、再考する人がいても不思議ではないでしょう。両親は幸い戦争の犠牲には合わなかったですが、県内最大の焼夷弾の空襲を受けて焼け野原になったことや、市内の山に逃げて戦闘機の機関砲で銃撃され隣の女学生が亡くなったことなどは聞かされています(どれだけの民間人をアメリカ軍は殺害したのか)。日本が悪いとかそんな次元の問題ではないと思います。被爆者や関係者が核廃絶を訴えるのは当然だと思いますが、どうしたら日本や日本人(海外にいる日本人も含めて)を守れるのか、その先に世界平和?実現可能ならそれを唱えるのも必要かもしれません。
▲461 ▼127
=+=+=+=+=
東京・大阪・名古屋・福岡・金沢、、、 爆撃機による絨毯爆撃は、非戦闘員を狙う行為として当時でも戦争犯罪である。 ましてや、広島・長崎への原爆投下は言わずもがな。 それを踏まえて、全人類の過ちと揮毫者の意図があるとはいえ、アメリカはいまだに各地への無差別爆撃と広島・長崎の原爆投下は正当であったというのが見解である。 日本が戦火に突入せざるを得ない状況を作られて突入した大東亜戦争、ちゃんと歴史を教えるべきであるし、それが日本から世界に平和を発信する土台である。
▲814 ▼198
=+=+=+=+=
この碑文が建立された当初から、主語を巡る論争は存在しましたが、 「私たち全人類が」二度と戦争や核兵器使用という過ちを繰り返さない、 という誓い、広島市は公式にこの立場を取っています。
「全人類」という主語は、実行責任の免罪ではなく、 未来に対する倫理的責任の共有として機能ということ。
ただしその過程で、「過去の加害責任の不明瞭化」や 「被害当事者の声の希薄化」への懸念も正当ではある。 よって、碑文の理念と歴史的事実の両立を図るには、 説明・教育・対話の場を絶えず更新し続ける必要がある。
▲20 ▼5
=+=+=+=+=
記念碑には
安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから
と刻まれている。
幼いころからこのメッセージは頭に刻まれているが、少なくとも「過ちは 繰返しませぬから」の主語が誰かなど考えたこともない。子供ながらもこの メッセージは、自分も含めた全人類が犠牲になった方々に送るものであり、 恒久平和を誓うものだと当然のごとく思っていたから。
現地の記念碑を前にこの全文を見てなお「誰が悪い」「自分は悪くない」 という言葉が出るようなら、恒久平和は危うい。
▲160 ▼33
=+=+=+=+=
当時の日本とアメリカどっちが悪いかという議論にもいろいろ思う所はあるのですが一旦そこは据え置いた主張をいたします。 ただ米山氏の言い分では戦争開始と核兵器の使用は因果関係にあり、戦争を始めた国は核兵器を使用されても仕方ないとも解釈できてしまわないでしょうか? 戦争を仕掛けられた事が核兵器使用の正統理由にならないが現在の国際平和秩序の常識かつ良識だと思います。
▲291 ▼103
=+=+=+=+=
主語もそうだが、過ちが何を指しているのかということも問題だと思う。原爆投下ということに対してはアメリカ軍でもあるし、それを開発した人類であるかもしれない。戦争という意味であるなら、その過ちは今でも繰り返されている。平和を望むのは人類共通の願いだがそれを実現するための方策はどこにも書いていない。
▲7 ▼5
=+=+=+=+=
以前から議論があることは知っていました。碑文について賛成派も否定派もそれぞれの意見は理解はできます。 個人的には、外国の人がこれを見た時にどう感じるのか、をつい想像してしまいます。日本人が作り、「過ちがあった」と言っている。つまり、原爆の惨禍は日本人に非がある、と認めているのだ。 こういう風に理解する人もいるのではないか、と思います。 私は民間人を巻き込んだ殺戮は戦争犯罪であると考えますので、被害者を生んだ場所に「自分達も間違っていたのだ」との碑文は、若干違和感はあります。 話はそれますが、何より大事なことは核を使用した時にどうなったのか、を世界の人に知ってもらうことだと思います。犠牲者に合掌。
▲30 ▼16
=+=+=+=+=
この文言については昔から批判があったので、今に始まったことではないですね。 指摘の多くは、この文言に主語がないため、”誰が”の解釈で意味が変わってしまうということです。 日本語らしく、そこは察してよって感じだったんでしょうが、時代が変わればそういうわけにもいかなくなると思うんですよね。 全然話は別ですが、8時10分前が7時50分を指すと理解されない時代ですからね。
▲178 ▼44
=+=+=+=+=
基本的に考えれば全人類が過ったのだと思います。 無論、ドストエフスキー流に言えば子供に罪はないかもしれないけど、この碑文を読んだ人のイメージとしては全人類が過った結果、あのような惨禍が広島と長崎に生じた、という認識だと思います。 だから生き残った者として、亡くなられた犠牲者に「過ちは繰り返しません」と誓う意味だと思ってきました。 米国に責任があることは明らかですが(全人類には当然米国人も含みますから)、「米国の過ち」であって「日本の過ちではない」とか考えるのは非常にスケールの小さい考え方だと思います。
▲54 ▼37
=+=+=+=+=
「原爆に関しては」という前提であれば過ったのはアメリカであることは疑いの余地が無いが、戦争という全体を見れば米山氏の言うこともそうだと思う。 アメリカが日本を戦争に追い込んだという見方もあるが、この碑文は誰が悪いということではなく心から平和を願う気持ちを表しているのだと思う。
▲190 ▼89
=+=+=+=+=
過ちは繰り返しませんは、言わなくて良いと思います。 平和を守りますというニュアンスの文言に変えるべきです。過ちは繰り返しませんという文言が完全に間違っているとは思いませんがより適切な言葉に改めるべきだと思います。何故ならば様々な解釈が出来てしまう言葉は、メリットもあるが、デメリットもかなりあります。 戦争は良くないのは当然です。しかし戦争は自分で仕掛けるだけでなく、仕掛けられる場合もあります。現状日本の可能性は後者でしょう。その時戦争アレルギー要素により、防衛する事にすら否定的な思考の人も少なくなく、政党まで存在している始末です。外交交渉で100%戦争を回避できると信じ込んでいる人もいます。 やはり戦争から学ぶべき1番は、平和に価値をおき其れを守る事が最も適切な言葉です。戦争をやる・やらならい言葉はもう要らないと思います。
▲4 ▼2
=+=+=+=+=
日本が覇権主義や軍国主義に転換したきっかけは、司馬遼太郎が発表している様に、1905年の日比谷焼き討ち事件である。これをきっかけにして、軍部が政府や明治天皇の不拡大路線に反対して、領土拡大路線を展開し、満州事件などを意図的に起こした。マスコミは正確に過去の日本が辿って経緯を総括すべきである。
▲5 ▼4
=+=+=+=+=
捉え方は人それぞれだと思いますが、わざわざ突っ込みどころを探しているように感じます。 他人の揚げ足とる事に意識するのではなく、日本を良くする事に頑張って欲しい。最近、こんなんばっかりで小学生のようなやり取りをネット上で国民に晒しているかのような本来の仕事からズレた事をする政治家が増えた気がする。そりゃいつまで経っても日本が前に進まないはずだわ、と思う。
▲165 ▼40
=+=+=+=+=
米山は日本もアメリカも過ちは繰り返しませんと言う意味だというが、当のアメリカはそのように捉えているのか?捉えているとしたら証拠でもあるのか? 確かに広島市の見解では「人類の過ち」という意味だと公式見解を示してるが、世界中の国が、この碑文を人類の過ちと捉えてくれてるという保証がどこにあるというのか?「日本軍の侵略戦争の過ち」と捉えてる国もあるかもしれないでしょ?主語が曖昧だからどの国もそれぞれに都合のいいようにとらえることができてしまう。韓国や北朝鮮やロシアや中国あたりなんか「日本軍の侵略戦争の過ち」と捉えても不思議ではない。アメリカが「日本軍の侵略の過ち」と捉えてるとしたらアメリカに原爆投下の正当性を与えかねない。危険な解釈ができるようになってしまう。
▲50 ▼15
=+=+=+=+=
日本や米国だけではなく多くの国が来賓していて平和記念式典だからな。第一優先は現在未来の世界平和の為。 世界に向けて平和を一番語れるのは今の日本だとも思うしな。今の日本を見てお前が平和を語るなとは言われないでしょ。日本の周りは物騒とは言え、それぐらい日本は平和だし平和の為に貢献している。 こういう場で誰々が悪いとか言う必要は全くない。平和記念式典であり、いがみ合う場ではない。 平和記念式典は原爆死没者の霊を慰め、世界恒久平和の実現を祈念することが目的とある。どういうものなのかを理解しないと、目的が合わないし全く意味がない。
▲9 ▼12
=+=+=+=+=
原爆投下の責任だけなら百田氏が正しいだろうが、太平洋戦争の開戦等の責任とまで広めれば米山氏に分があるだろう 結局、その一点に絞って責任というのか、そこに至る過程まで見て責任というのかという見方の違いというだけだと思う ただ、核兵器に関して今のように認識もほぼない時代ではあるが、その威力は計算上も出ていたし、トリニティ実験で実証済みであったのだから、軍の組織・施設しかないようなところならまだしも、一般市民がいるようなところでやってはならないだろう
▲1 ▼6
=+=+=+=+=
百田さんの解釈を初めて見たとき「なるほど、そういう解釈もあるのか」と思いました。間違ってるともヒドイとも思わず、単純になるほどそういう風にも読み取れるなと思いました。
私は今まで通りシンプルに、『人類が犯した』この過ちを繰り返しませんと解釈して祈りを捧げます。
▲52 ▼20
=+=+=+=+=
戦争の発端などはそれぞれ国よって、立場によって違うのは言うまでもない。 それぞれ立場が違う故に世界各国で戦争や紛争が未だ止むことはない。 平和式典が何故行なわれるのか? 何故戦争は悪なのか? その答えは立場や国の考えを超えるものであって欲しい、言わずもがな宗教や思想を超えて平和とは何ぞやと言う普遍的な想いに世界が考えを致すキッカケにして欲しい。
▲68 ▼14
=+=+=+=+=
何が過ちなのか、何を間違えたら戦争が起こり、惨禍が再び降り注ぐのか。人によって見えるものが異なるのだから、違った解釈になるのは当たり前だ。 祈念日はそれを再び間違えないように努力し続けることを心に誓えばそれでいい。他人の解釈を否定しなくていい。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
碑文を揮毫された方の人類に対する深い思いに敬意と思いを馳せたいと思います。
しかし、アメリカという国家は、「マニフェスト・デスティニー(明白なる天命)」の思想に象徴されるように、自らの行為を正義と信じる傾向が強く、歴史的過ちを認めて反省するには時間がかかる国でもあります。
そうした中で、百田氏のように、国政政党の党首という立場から、米国政府に対して意思を表明し、働きかけることもまた重要な役割であると思います。
オバマ元大統領が2016年に広島を訪問した時でさえ、「アメリカは謝らない」、行くだけだという前提で安倍総理は粘り強く交渉されたと記憶しています。
もちろん、米山氏の論にも一理あるのは確かです。
しかし、時には正しさそのものが力の前にかき消され、「過ちが繰り返される」のもまた事実。
今、揺れ動く国際情勢の中では、少し百田氏の発言には価値があると思います。
▲149 ▼69
=+=+=+=+=
どちらにも一理あると思うが、その批判の仕方にはちょっと引っかかるものが有る。百田氏は「過ちは繰り返しません」と言う言葉を原爆被害者や多くの遺族の心情を踏まえて語られてはいるものの、原爆そのものの加害者でもない人間が宣言すると言う、その意味が曖昧なので具体性がイメージできず、現実味の無い奇妙なものに思えるとのことなんだろう。自分もこれには一理あるなと思ったひとり。同じような印象を受けている人も多いと思う。一方の米山氏は個人の考え方を超えて、異なる捉え方を「過ったもの」と否定しているが、これには傲慢さを感じる。米山氏の意見も一理あるとは思うが、異なる意見を間違ったものと否定する姿勢は、やはり傲慢に感じる。
▲32 ▼10
=+=+=+=+=
一億玉砕火の玉だと煽っていたあの時代。戦況が不利になって降伏するつもりがあったという話を聞いたことがない。アメリカ軍が上陸してきたら、きっと多くの日本人が特攻や玉砕、自害で亡くなっただろう。 原爆投下を正当化する考えはない。戦況が不利で敗戦が濃厚な状況判断を冷静にできない政府は、今風にいうなら国民にハラスメントを行った。この過ちは繰り返すべきではない。
▲8 ▼10
=+=+=+=+=
やっぱりどちらかと言えば近年は右傾化しているのかな。 でも被害者にもまるで責任があるかのように聞こえるのは、全く平和が実現しない世界だからこそです。 世界市民なんか自由な社会であるが故に逆に実現しないのは当然。 右要素も左要素も理解し合えてこそ平和なんだと思う。 米山が百田を、百田が米山を、双方理解しないようにしている現実がダメなんです!
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
過ちは日本が負けたこと 勝てば正義の戦争だったでしょ
戦後80年もアメリカ憲法に縛られて好き放題やられっぱなし
これからは敗戦を反省して世界最強の兵器と軍を再構築すべきです
最強国が地球の平和を決めることができる存在だと思う
戦争放棄は日本の意思ではなくアメリカ憲法が日本の手足を縛った結果でしょ
軍事力を最高レベルに上げて平和を守り経済力も世界トップを目指す国になってほしいです
▲27 ▼21
=+=+=+=+=
まったくその通り。 米国の過ち取り上げて米山氏の考えを否定する意見が散見するが、米国の責任は別の問題である。大切なのは、このような悲劇を二度と起こさない、起こさせないという姿勢。米国の責任は追及すべきだが、平和のための式典にはなじまない。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
戦争せざるをえない状況に追い込んだのは欧米だよ。もちろん、先に仕掛けた日本が国際社会的には負けなんだけど。 大事なことは、自分たちがいくら望まなくても、相手から仕掛けられたら否応なしに戦争に巻き込まれると言う事。 百田氏はそれが言いたかったのだろうと思う。 そういう意味で言えば、「過ち」とは、戦争を始めた事ではなく、戦争を回避する外交を最後まであきらめずにできなかった事だろうか。あとから言うのは簡単なんだろうけどね。
▲8 ▼9
=+=+=+=+=
アメリカによる民間人大量殺人。でも先人はアメリカを恨めと教えず、戦争をするなと教えてくれました。地獄を見てきたのに。腹の中では憎かったろうと思うけど。2度とどこかに原爆が落ちるような事態にならないために…平和を大事にしろと教えることを選んでくれた。どっちが悪いだの正義だのを民間人が言い出したら、きっとまた戦争が起こる。そう思った人が多いのでは。私の祖父母は沖縄出身。本州の人達も、アメリカも、好きではないと一度言ってきた。でもそれは戦争のせいで、きっと戦争中でなければみんな仲良くできたと解釈してた。だから戦争だけはダメだ、そうならないように勉強して選挙行け、違う考えの人間でも人としての礼儀は間違うなって教えてくれました。広島のあの場所も、祈りを捧げて「世界中」の平和を願う場所だと思っています。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
残念ながら、核抑止力というものはある。 核兵器のない世界が実現したら、今以上戦争が増えるだろう。 碑を建立した人や広島市からは世界市民という言葉が出ているが、核兵器廃絶には国民国家の上に立つ世界政府が必要となる。 国民国家の上に立つ世界政府樹立こそ、グローバリズムリベラルが求めるものだが、それこそ世界共産主義の完成を意味する。 そこに至るまでに血みどろの戦いが繰り広げられるだろう。
過ちは繰り返しませぬから、の主語はアメリカであると思うが、日本も原爆開発を推し進めていた事もあり日本が原爆の加害者であった可能性もあるので、我々でもいいのかも知れない。
原爆開発の過程でレアアースが発見され、毒ガスから抗がん剤が開発され、軍事技術からインターネット、GPSが民間でも活用されて、現在の我々の生活を多いに潤している。 何事も表裏一体、理想と現実、諸刃の剣。
▲6 ▼17
=+=+=+=+=
別に、当時の国際社会では列強は他国を植民地支配していたし、その経済的問題の最終解決手段として武力紛争に発展しただけ。しかも各国は自国の利権を確保するために参戦するだけで、そこに善悪なんて存在しない。 当時の世界戦争で日本が悪なのは、負けたからだよ。 今の情報化社会では、建前、イデオロギー、世論も勝敗の一因になるから、開戦する場合でも正当性が重要視されるけど、当時を同じ感覚で語っても無意味。 それに、広島で反省を日本側が言うのは、やっぱり違うと思う。
▲12 ▼6
=+=+=+=+=
原爆投下し非道な民間人大量虐殺を行った直接の行為者は米国であることは疑いようのない事実であり、さらに国力を無視してその米国に無謀な戦いを挑み、その結果として国民に塗炭の苦しみを味合わせたのが戦前日本であったことも間違いない。そう言う意味では米山氏の言っていることは間違いはないのだが、その程度の認識を百田氏が全く持っていないと決めつけるのも大人げない。「永遠の0」を読んでみれば戦前の軍部の愚行の数々を百田氏が描きつつ、最後に単身米艦に特攻で散る主人公の姿を語る等の行間を読めばわかると思う。
ただ、対米戦争に軍部の幹部だけが国民を無理やり戦争に駆り立てたのではなく、それまで散々新聞が国民を煽った結果起きたことであることもまた史実。野蛮な本性と莫大な軍事経済力を持つのが米国だとの認識を戦前日本の軍部、新聞、国民が正確に持っていれば……と残念でならない。
▲7 ▼1
=+=+=+=+=
2度と戦争をしてはならないということです。戦争は激すれば、武力も益々威力を増し、究極が核爆弾です。これを更に人間という恐ろしい動物が間違った使用をすれば人類は滅亡するでしょう。憎しみ合いが最大化すれば何が起きるかわかりません。日本は2度と戦争をしないという決意を示したものです。
▲7 ▼0
=+=+=+=+=
この場合の過ちとは色々な多くの広い意味だと考えるべき。軍人独裁を許した、戦争を始めた、早期に負けをわかったのに続けた、米国の原爆使用をとめられなかった、条件付降伏を出来たのに保身に走り日本の損害を増大させた、米国に直接でなくスターリンに仲介を頼み北方領土を盗られた、等々いくらでもある。それらの責任を追求しなかったから今も過ちが続いてる。
▲109 ▼48
=+=+=+=+=
過ちを犯したのは米国っていうのも違うと思うけど… 日本が応戦してたことも過ちだと思うし、なんにせよ必要悪の代表だったんじゃないかなと思う、被害者は可哀想だしなんの罪もないことは間違いない。結果見せかけの平和が続いてるから今を生きる上では良かったと思うべきかも?
▲2 ▼20
=+=+=+=+=
「戦争を開始した日本」か… 当時のルーズベルト大統領は戦勝国になり、世界の覇権を握りたかった。その標的になったのは日本。日本に過剰な経済政策を加え、とどめは石油禁輸。石油が止まると軍も国民生活も行き詰まる日本は必死で交渉するが、米国は一歩も譲歩しなかった。このままだと中国ロシアにも侵略される可能性さえある日本は一撃講和を望み真珠湾を攻撃したとのいうが開戦の流れ。つまり米国の罠にハマってしまった。いまさらですが、国会議員が「日本が開戦した」と一言で片付けるのは、あまりにも軽い
▲139 ▼47
=+=+=+=+=
第二次大戦をしたことが過ちであったとした場合、大戦で犠牲になった多くの国民に対しての言葉であるはず。 ことさら原爆被害者慰霊碑の前で述べることばではない。 主語の無い日本語で語るなら、あやまちは繰り返しませんではなく「やすらかにお眠り下さい、あやまちは繰り返させませんから。」であろう。例えが、ぴったり当てはまるかわからないがウクライナ戦争を開始した大元の原因はウクライナにもあったとしよう、ウクライナで多くの犠牲者の前で「安らかにお眠り下さいあやまちは繰り返しません」とウクライナが述べたらウクライナ人は納得するだろうか?
▲12 ▼11
=+=+=+=+=
米山さん、百田さん、お二人とも互いに非難するのではなく平和への思いをご自身の心に刻んで下さい。
>>>広島市も碑文について、雑賀教授の思いと同じく「すべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉であり、過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和の実現を祈念する『ヒロシマの心』が刻まれている」としている。
ここにあるように「過ち」は戦争そのものであって、繰り返してはいけないという事ですよね。誰がとかどの国がとかではなく、全人類がその事を考えるべきです。
「悲しみに耐え」 「憎しみを乗り越えて」 「世界平和の実現を祈念する」
「過ちを繰り返さない」ためには、互いを非難していたのでは駄目なような気がします。非難しあえばそこには嫌悪や憎しみがうまれます。私たちはそうした感情を乗り越えなければなりません。
▲37 ▼43
=+=+=+=+=
米山氏については個人的には好きになれないがこれは賛同する。 ただ、資料館を見て、碑文の前に立つと非業の死を遂げた多くの人々に思いがいたってしまい感情的になってしまうのもわかる。 想いは人それぞれだが、政治的に、分断に意図的に利用さることがあってはならない文だと思う。
▲8 ▼11
=+=+=+=+=
「過ちを繰り返しません」ってのは戦争そのものが過ちって意味だろう。まともに解釈できるのはそれしかない。 自衛隊やアメリカ軍とその核兵器のおかげで80年間平和だったのは事実なのだから、そこは一定の評価をしつつ、これからも平和が続くよう努力するべきだろう。
▲31 ▼19
=+=+=+=+=
当時、欧米諸国が世界の半分以上を侵略し支配していた。そのときに、日本は軍拡に制限を受け石油を止められてしまった。いじょうの結果、侵略を受けるのは時間の問題であった。それは日本が参戦するように仕向けられていたのだ。にもかかわらず日本が一方的に悪いというのはいかなるものか。GHQによる洗脳から、いまだに抜け切れていないのでは。
▲16 ▼5
=+=+=+=+=
自分なりに思うのは、世界中で戦争が勃発している中、自前の資源がない我が国は自衛のため戦争へ向かって行った・・・でしょう。一方、アジア諸国の中で日本のおかげで助けられた、独立できた、という声も実際にあるわけで、我が国が当時取った戦争という手段は一概に過ちと括っていいものかという思いはある。苦々しい思いでこの言葉を聞いてる方は少数であってもいると思う。
▲15 ▼8
=+=+=+=+=
太平洋戦争は結果的に一般市民にも多くの犠牲者が出たから日本も反省といわれるけど、やっぱり原爆に関しては米国に一義的責任があるのではないか。 戦争開始の責任はそこでは問われることはないのではないか。
事実、日清、日露も日本から仕掛けているけど「反省すべき」という声はきかない。 結果によって日本が責任を負ったり負わなかったりするのは違和感がある。
▲46 ▼50
=+=+=+=+=
百田氏と米山氏、どちらにも取材やインタビューで真意を聞くこともしていないいわゆるコタツ記事。両面併記して体裁を取っているだけ。まあ、ネットに溢れる無数のコメントやポストリポスト中から選んで提供されているので、セレクトショップみたいなものか。暇つぶしには便利だが、それだけ。内容は二人とも言い古されてる事の繰り言だけど、今まで政治や戦争原爆に関心が無かった方々には少しはニュースバリューあるのかな。
▲17 ▼12
=+=+=+=+=
戦争をなくそうという主旨なら、自国が開戦した過ちとしてそういう言葉が出てきてもおかしくないが、原爆犠牲者追悼という中では、世界に向けて過ちを犯してはならない、核爆弾廃絶を訴えるのが正しいと思う。米山さんの言い分も正しいとは思うが、真っ向から相手を否定せずに、濃く言う解釈もあるのでは?と問いかける姿勢を見せたほうが良いかと。真に平和を願うのであれば、言葉の攻撃も控えてほしい。
▲278 ▼235
=+=+=+=+=
『安らかにお眠りいただけるよう、人類は過ちを繰返してはならない』 これが本来の主旨ではないだろうか? 昭和27年7月22日に『安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから』に決定した。GHQの占領が終了したのは同年年4月28日である。3か月後のことであり、占領下の検閲が激しかった記憶が色濃く残っていた背景が大いに影響していたと推察する。百田氏も米山氏も間違ってはいないと思うがね。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
広島出身の歌手、吉川晃司さんと奥田民生さんがユニットをつくって最近作曲された「リトルボーイズ」という曲があります。これを聞くと、碑文に書かれた意味がわかると思います。
▲3 ▼3
=+=+=+=+=
本当は沖縄上陸の1945年3月で降伏しておけばよかったんだけど、この時点では降伏交渉も条件も何も無いので、国家解体まであって決断できなかったのは分かる。 ただ7月にポツダム宣言が出たら条件は分かってるので、ここで降伏機会はあった。その点で日本政府の落ち度はありますよね。
▲30 ▼49
=+=+=+=+=
世界は戦時米軍の「一般市民への無差別虐殺」を問題にするべきである。
『東京大空襲、広島、長崎の原爆投下』だけでも、一瞬にして35万人以上が虐殺され、その後生き残った被爆者は70年80年に渡り塗炭の苦しみを味わった。
東京裁判においても「勝てば官軍」で米国の戦争犯罪には不問であった。
米国は戦争の早い終決の為に原爆投下は正しかったと言っている。
莫大な予算を使い核兵器を造ったので、国内的に使用する必要が有り、その効果を試したかったのである。
広島はウラン型、長崎はプルトニウム型の2種類の原爆を試し、今後の為にと、様々なデーターを執拗に集めた。100
▲30 ▼2
=+=+=+=+=
読み手によって解釈が異なるような文言なのであれば裏とか近くに解説入れたものを建てとけば良かったのに 米山氏は一歩間違えば新潟に落とされたかもしれないことをよもや知らないわけではないでしょう? 湯之谷には距離があって影響は少なかったかもしれないけど、仮に…と考えてご発言できないのでしょうか。 多数の非戦闘員である市井の人々が、訳もわからず一瞬の閃光の下に犠牲になり、街もメチャクチャにされた広島、長崎の方々の無念、悲しみ、悔しさを考えたらこのタイミングで言うようなことなんだろうか。 古来戦争とは勝った方が正しいとされるのは歴史の定め。百田さんの言葉はそれに一石を投じる意味合いのものだとは思うし、前から言ってたじゃない。 こういうのをパフォーマンスに使わんでほしいよ
▲1 ▼1
=+=+=+=+=
個人的には百田さんの考えに賛同しております。 しかし、戦後の自虐史観教育を受け入れてしまった人がある程度存在するのは残念ながらやむを得ない事だと思う。若い時は日本が悪かったという説が良い表現では無いが格好良いと感じていたこともありましたが広島、長崎の原爆がある意味でアメリカの人体実験の側面もあったことを知り原爆の犠牲者に謝らなければならないはアメリカだと思っています。
▲176 ▼98
=+=+=+=+=
過ちは繰り返しませぬから、その言葉、理念は尊い。ただ、その崇高な理念を、とてつもない重荷を、なぜ被害者である広島市民、日本国民が背負わねばならないのか。原爆の被害は想像を絶する。何万人死んだ、家屋何棟吹き飛んだ、そんな数字で被害の実像は誰もわかるわけ無い。全人類にとって、これ以上の無茶苦茶な惨禍はないはずだ。核兵器の威力を知り、街への破壊力を計算し、市民を皆殺しにすることを前提に、時と場所を選んで、効果的に投下した計画的蛮行でしかあり得ず、先制攻撃がどうのこうのというレベルの話ではない。究極の悪に対して理由を問う神経がわからない。リベラルと言えばカッコよさそうで聞こえはいいけども、私から言わせれば日本人ではない。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
「過ちは繰り返しません」との碑文を平和公園で見た時、なぜ広島市民がこれだけ犠牲になってまで日本人は反省しなければいけないのか疑問でした。 日本人ならだれでも同じ事を思うでしょう、戦争を起こをしたのは日本人だ、しかし何の罪もない多くの市民の命を人体実験のように奪ったアメリカは戦争終結手段と反省すらしない事が一番おかしいと思う。 平和記念資料館を見学された外国人の方の考え方が変わる事を期待します。
▲8 ▼6
=+=+=+=+=
「過ちは…」に始まるこの碑文を見た「極東軍事裁判」の判事の一人であるインドのパール博士は、案内した日本人に「この碑はアメリカが建てたのですね?」と問うたという。「A級戦犯」は事後法では裁けないとし「全員無罪」を貫き通した人だ。戦勝国の一員でありながら数百年間イギリスの植民地下で白人の横暴を目の当たりにして来た国の代表として思うことがあったに違いない。百田氏の発言は、パール博士と同じく、米山氏に限らず戦後80年もの間、GHQ史観を鵜呑みにしてきた「疑うことを忘れた日本人」に対する警鐘なのだと考える。
▲15 ▼10
=+=+=+=+=
ハッピーメールで買春は過った事ですが、こちらは表現の違いですね。自分達が過ちを犯さない事はもちろん、他国が過ちを犯さないよう備えると言う事だと思います。
▲170 ▼29
=+=+=+=+=
主語を曖昧にするのは日本語の知恵と思う。 様々な利害関係や対立の中で、理想と現実の妥協点として、最悪でも核兵器の使用は避けなければならないという意味の言葉と理解している。
実際、広島と長崎のあとは、戦争の兵器として核兵器を使用するという過ちは、今のところ繰り返されていない(キューバ危機などかなりヤバいことはあったが)。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
単純に主語の捉え方による想像力の違いでは? 日本人や日本国、米人や米国ではなく人類としての誓いと捉えれば違和感はないと思いますが… まぁいろんな考え方や人が居ますから強くは言いませんが、それぞれの立場や思考で原爆や戦争について考えたらいいと思います。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
私も「過ちは繰り返しません」の碑文見て主語がわからずモヤモヤしていた時期がありました。戦争に突き進んだ日本?原爆を落としたアメリカ?結局は加害者被害者関係なく「人類」が主語なのかなって思うことにしました。だからこそ、世界中の人々に人種、国籍、宗教を超えて平和記念公園には訪れてほしいです。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
碑文に刻まれた過ちとは、国際紛争の解決手段として戦争を選んでしまった事だと私達は平和教育で学んできた もちろん、そこまで日本を追い込んだ連合にも言える事だが戦争が戦争のまま終わっていたならこんな言葉は生まれなかったことだろう 戦争においては軍人同士の戦闘が前提で軍事施設でもない民家、民間人への攻撃は許されない しかし戦争が激化、泥沼化すれば戦争ではない虐殺が始まってしまう その最たるものが原爆であり大空襲だった だからどんなに追い込まれた状況で有ろうと二度と日本からは紛争解決の手段として戦争は選ばないという誓いの言葉で誰かを責める言葉ではない
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
米山隆一氏の、解釈は間違えています。 核爆弾を落としたのは米国です。原子爆弾の威力と破壊力また、その後の放射能被害は実験段階で、把握していました。その原爆を、ニ発も落としたのです そして、ソ連や他国に米国の力を見せつけたのです。 『過ちは繰り返しません』と、偽善者の発言など、なんの拘束力も無い事は 誰もが解ってるはずです。世界では核開発を進めている国が多く有ります。 絶対的な抑止力、それが核爆弾を持つことです。抑止力を持たない国が、紛争に巻き込まれたり、侵略されたりした国々は、ただただ悲惨そのものです。 日本は二度と核の犠牲とならない為に、核武装をする事しかないと、思います。
▲35 ▼15
=+=+=+=+=
米山氏に言いたいのは戦争になったから原爆を落とされたのではないと言うことです。過ちは繰り返しませんという主語は日本及び日本人にあると普通に文章を見れば分かります。それをアメリカも含めてというのは相当無理があります。アメリカ大統領がその碑にむかって、主語はアメリカも含むと言ってくれたらいいですけどね。米山さんの言うのはそうであってほしいと言うことでしょう。
▲4 ▼1
=+=+=+=+=
過去に何かあればことごとく葬ってきた日本のオールドメディアの世界で何故この人はそれ事実が無かった事になっていて正義の味方の如く取り上げるのだろう。 いつも安定しで発言される事は、世界的に標準、世界的に当たり前、資本主義国家の体制をとっている国ならば当たり前の常識、ごく普通の事、そうであって然るべき事、これらを何故か日本国のだけは、日本人だけはやってはいけないらしい。 他方、これらと正反対の事(これを具体的に書くと何故かコンプラ違反扱いされたり、集団で叩いてくるからもう書けないんだよね。完全な言葉狩りだよね)は常に全て正しいそうだ。 同じ立ち位置の思想、同一の思考を共有している事が正しさの基準であって相反するものは許容しないと言う事なのだろう。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
そもそも米英軍は45年12月鹿児島神奈川千葉に上陸予定で作戦決定。核分裂に成功し急遽、原爆投下に変更。 これはトルーマンの強力な要請で米軍が渋々折れたと言われます(そもそも米軍はトリニティ実験に全く期待せず上陸戦を希望)。 こうしてトルーマンの専断に近い形で急遽ハワイに原爆を輸送。 トルーマンがここまで急いだのはスターリンの東西分割支配の野望を察知し、何としても終戦前に原爆を実戦投入したかったと言われます。 しかし実際に投入すると人道を完全に超えた惨禍にトルーマンも衝撃を受け3発目は躊躇してるうちに終戦となった。
こういう事情から見るとどう見ても米国の過ちであり、日本には原因関係がないですね 米山さんはもう少し歴史を勉強すべきかと。
▲72 ▼28
=+=+=+=+=
いや、百田氏の主張が正論だろう。 戦争を開始した者にも責任があるから、核を落とされた日本にも過ちがあると言うならば、核の使用を部分肯定していることになる。 戦争自体を過ちとしたいのか、核を過ちとしたいのか?だ。 重なると言うならば、繰り返すが、戦争が起これば核も仕方ないと部分肯定することになる。
▲3 ▼5
=+=+=+=+=
抑々原爆は大東亜戦争の経過の中でアメリカが広島・長崎へ投下した虐殺行為なのです、軍隊同士の戦いではありません、従って「過ちは繰り返しません」の意味は原爆のことです、日本人に取ってあの碑文には違和感を感じると思います、私は何回か広島へ行く機会が有りましたが、あの碑文を生で見たら眩暈を起こすと思い、ドームに向かって手を合わせましたが碑文を見ることは有りませんでした、日本の都市へ大量の焼夷弾を投下したのも虐殺行為の何物でもないとの思いは79歳の今も変わることは有りません、但し戦争を美化するつもりは毛頭ありません。
▲22 ▼6
=+=+=+=+=
「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」
私も碑文の過ちはの言葉はずっと気にはなっていた。 色々な意見があって然るべき出し、広島県民でも無いので、また今言うべき事でも無いが、
「安らかに眠って下さい」 だけでいいんじゃないかと思う。
「ごく普通に解釈して、戦争を開始した日本にも過ちがあり」
これも過ちだと思う。 普通に解釈してとは? 百田氏の解釈もあれば、米山氏の解釈もある。
過ちを繰り返さない。 碑文を見た海外の方にも色々な解釈があるだろう。 ただ一つだけ言えるのは、米山氏が百田氏に言える資格は無いかと思う。
▲24 ▼20
=+=+=+=+=
「過ちは繰り返しません」 どの過ちに対してなのかがフワッとしているが
核を撃たれて核の犠牲者が出たことが過ちなら 抑止力としての核が必要と言っているようにもとれるし 戦争をしてしまったことが過ちなら 他国の攻撃(核も含めて)に対して 反撃能力(核も含めて)が必要と言っているようにもとれる
▲40 ▼27
=+=+=+=+=
当時からこの言葉には異論があったのですね。広島、長崎、東京、富山、米山さんの選挙区長岡。沢山の罪のない人々が犠牲になりました。非戦闘員への殺戮は戦争犯罪です。それだけは真実。「過ちは繰り返さない」より「戦争による無辜の民への殺戮は許さない。2度と起こさないよう誓います」と言う意味合いなら、日本、アメリカその他の戦争に突入した国々全てが犯した過ちと取れないか。戦争にこの国だけ正義、悪と言う二元論は無理だ。百田、米山両氏に問いたい。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
歴史学者の大部分は、日本の敗戦が確実なのに、自らの終戦に導くべく責任を放棄し、一億総玉砕とした日本軍部にも大きな責任があると考えています。 すでに敗戦が決まっていたのに、原爆を実験的に使ったのはけしからんというのが百田氏の考えでしょうが、その隙を与えたのは軍部です。 しかも国民を守ることよりも、軍部と皇室を守ろうとしたことは、(大本営を松代に移し徹底抗戦、皇居も移す計画など)様々な事実から明らかです。
ポツダム宣言は、7月26日。 イギリス、 アメリカ合衆国、中華民国の3国の会議なので、この時点ではまだソ連は加わっていません。 ポツダムでは、戦争継続の方法を論じたのではなく、すでに戦後処理について討議されているのです。
こうした百田氏のような人が、国家とか、愛国を口にするなら、もう少し冷静に、社会科学的に歴史を見つめる必要があると思います。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
あの石碑の文字は当時の原爆市長 浜井 信三氏が、スイスのコーで行われたMRAの参加後にフランクブックマン氏の意思を踏まえ書いたもの。
ブックマン氏は長年犬猿の仲であったフランスとドイツを仲直りさせ現在のEUの基となる欧州石炭鉄鋼共同体の下地を築いた。
広島は「弥勒の里」と呼ばれる浄土真宗安芸門徒の多い場所、原爆市長自ら被害者意識を抑えて怒りや苦しみを乗り越え、日本の平和の為に刻んだ言葉である。
どちらが悪いなど言っていては永遠に平和は訪れない事は世界の紛争を見れば明らかである。もう少し崇高な理念を学ばれては如何だろうか。
▲3 ▼2
=+=+=+=+=
これは、百田さんの言われるとおりです。絶対的に米国が過ちを犯したのです。人類に対する非人道的道な行為。何故か、今の米国が再び、核を使ったら、これを非難できないからです。それともあれですか、アメリカと戦争した相手が非難されるのですか。かつての日本のように。なればこそ、「過ちは繰り返しません」は、世界に向けられるのです。核を使うなとか、核をなくせとか。
▲4 ▼4
=+=+=+=+=
百田氏は作家らしいが、そのリテラシーは極めて低い。その事は数々の暴言実績を見れば明らかだ。 その低さの原因ははっきりしていて、要は読み間違いやら、勘違いやら、思い込みやらといったものだ。彼の性格にも起因するものもある。 こういう人物が国政政党の代表とは、情けない。 そういえば、参議院議員選挙で当選した北村氏も、弁護士出身でありながら、首相の人格を棒とするような発信を繰り返しており。、かつ、反省もない。 二人とも、まるで暴言を発信することが話題作りになると踏んでいるのか、人格に根ざしたものか知らないが、本性が共通のコンビとしてこれからもメディアを賑わせるだろう。
▲4 ▼6
=+=+=+=+=
米山こそ歴史を知らないと言っていいだろう。日露戦争から第一次世界大戦、日中戦争に至るまで、欧米列強が亜細亜大陸に必要以上に触手を伸ばしたため、日本は地政学的な利益線を守るため満州に進出したために起こった摩擦である。日本は宣戦布告前にフライングで真珠湾を攻撃したが、真珠湾の軍事施設を攻撃したのであり、ハワイの町を空爆したのではない。アメリカは日本の都市に国民の頭に爆弾を落とし続けた。どちらが過ちか?一応日本の国会議員ならば最低限国民の立場にたった発言をせよ。
▲53 ▼23
=+=+=+=+=
どっちもどっちだよ。 誰のせいだとか戦争を始めたのはとか、この言葉の重さをどちらも全然理解してないじゃないか。 戦争が起こったのもそう原爆が投下されたのもそう、それがいかに愚かな事であったか、そして二度とこの様な事があってはならない、との思いであり、日本がとかアメリカがとかじゃなくて戦争や核兵器と言うのは人類の過ちなんだ。
▲0 ▼1
=+=+=+=+=
「過ちを繰り返さない」という言葉は、この言葉を心に浮かべた全員が主体的に感じればよいと思います。
確かだろう事だとしても、自分の解釈を他者に押しつけないスタンスが、この碑に刻まれた意味なのではないでしょうか。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
百田氏の論調だとまるで日本が戦争に巻き込まれたかの様です
戦争を望んでいたのは日本人も同じで、政府が戦争を避けようとすると弱腰外交だとマスコミに煽られた世論が開戦を後押しした聞きます もちろん米の行った事はまごう事無き大虐殺で許してはならない行為ですが、日本も原爆開発は行っていましたので軍が威力を知らないはずが無く、投下も予測されていた様ですので、対応を誤った軍の責任は大きい つまり米軍、帝国軍、そして日本国民、関わった全ての人間の責任と考えます
悪役をこしらえて責任をなすりつけるのではなく、全人類の課題と受け止めるべきでしょう
▲1 ▼1
=+=+=+=+=
世界平和を日本だけが唱えて、原爆を落とされた地の方々に過ちをしないと誓いを立てさせる時代はもう終わったのではないか?今からは日本を守るために何が出来るかを話し合う時代。世界平和はその次の段階。日本が犠牲になって世界平和を達成するなんてありえないと思う。
▲5 ▼4
=+=+=+=+=
「我々人類は」が本来の主語であり、それだけ崇高な文言だということです。
憲法前文にもあるように、二度と戦争の惨禍を繰り返すことの無いようにすることを決意したものであり、日本がアメリカがナチスがという限定的な主語で語られるようなものではない。 逆に言えば、もちろん、アメリカも日本も含まれる。
百田氏は作家であり、そのくらいのことはわかっていながら、敢えてわからない人に向けて「日本は悪くない」といった解釈を加えようとしているのだろう。 作家がこのような行為を行うことは言語に対する不敬の態度であり 記念碑に書かれた崇高な理念を、このように自己都合的に解釈する行為は罰当たりだと思う。
言いたいことがあるなら自分の言葉で言えばいいのです。 みみっちい。
▲43 ▼65
=+=+=+=+=
「この惨禍は世界の過ちである。世界中の市民がこれを繰り返さぬことを誓う。」揮毫者の言う通り、幾万の霊前に捧げる崇高な理念であり目標である。それの何処がいけないのか。主語を問うこと自体がイデオロギーの産物であり、無用な対立を生み、再び惨禍を繰り返す根源である。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
私も以前から何かおかしいと思っておりました。 日本人は何を過ったのか? 敗戦の白旗を揚げる時期を過ったと言うことなのだろうか。 それとも人類が核兵器を使用した事に対し過ちであったと言うことなのだろうか。 又はナチスドイツがユダヤ人の大量虐殺に勝るとも劣らない原爆での大量殺戮に対し日本はアメリカに対し何も苦情や補償請求を行わなかった事なのだろうか。
▲28 ▼13
=+=+=+=+=
原爆投下やその前の東京無差別大空襲など 米国は必要以上に一般市民を巻き込んだ虐殺を 新兵器の実験場として実施してきた。 もちろん戦後の世界の主導権を見据えてだ。 米国のこれらの行為を日本のせいにしている。 過ちを繰り返さない、確かに戦争によって悲劇が 起こってはいるが、核保有国が広島長崎を核を 使用しない理由としてるなら皮肉に感じる。
▲8 ▼0
=+=+=+=+=
私的な意見。この文は、碑に書いて有るから意味がある。言葉として発する文ではないと私は思う。原爆で亡くなった人々に対して、全人類が二度と原爆を使用しない世の中にします。だから、皆さんもあの世で安らかに眠って下さい。この文を日本人が言葉として発すると、日本人が過ちを犯したから、原爆を投下された。だから、二度と原爆を投下されるような事はしません。っていうおかしな意味にこの御方のように受け取る人が出てしまう。違う。日本人が過ちを犯したんじゃない。人間が原爆を使用した事が過ちなんです。
▲4 ▼1
=+=+=+=+=
戦争をしている中で、核のボタンを推したことが過ちなんだよ。わざわざなんの罪もない民間人を実験のように虐殺して、威力を確かめたかったとしか思えない。しかも2度も。他に戦争を終わらせる手段なんていくらでもあった。今更責め立てる訳ではないが、アメリカが原爆を落としたことは過ちだったことは認めるべきと言う趣旨で百田氏は言っていると思う。
▲4 ▼2
|
![]() |