( 314371 ) 2025/08/08 05:41:27 1 00 東京は国際都市としてさらなる競争力を持つことを目指しており、現在進行中の都市再開発プロジェクトがその重要な要素になっている。
(要約) |
( 314373 ) 2025/08/08 05:41:27 0 00 写真はイメージです Photo:PIXTA
東京は今、国際都市としての競争力をさらに高める大きな転換期にある。高層ビル群が林立するだけでは真の都市再生は実現しない。元総務大臣の竹中平蔵氏は、都市の魅力と機能を高め、持続的発展を実現するための戦略を示す。東京が目指すべき新たな都市像について解説する。※本稿は、竹中平蔵『日本経済に追い風が吹く』(幻冬舎新書)の一部を抜粋・編集したものです。
● 世界のどこにもないほど クレーンが建ち並ぶ東京
日本経済の追い風は、東京に吹いている。東京という経済拠点を、さらに強化するチャンスがあるということである。どういうことなのか説明しよう。
日本の人口は毎年約60万人のペースで減少している。一方で東京圏の人口は約10万人増えている。したがって他の地域は毎年50万人減っていることになる。「東京(圏)一極集中」といわれる現象である。
今、高層ビルの上から東京の街を眺めると、たくさんのクレーンが立ち並んでいることがわかる。これだけ多くのクレーンが立っている都市は、世界中どこを探してもない。東京では現在、約25の大型都市再開発プロジェクトが進んでいる。
例えば、日本橋や八重洲、浜松町で大規模開発が行われている。六本木、虎ノ門、赤坂、北青山と枚挙にいとまがない。渋谷では、駅周辺の道玄坂と宮益坂を歩道でつなぐ工事が進められようとしている。新宿西口では、小田急百貨店のビルの建て替えが進んでいる。
周知のように、東京都には、「都心」と「副都心」がある。
千代田区、港区、中央区を「都心3区」と呼ぶ。千代田区には東京駅や国会議事堂・官公庁がある。港区には多くの外国大使館や東京タワー、レインボーブリッジがある。中央区には、銀座や日本橋、築地がある。
● 色合いの違う都心と副都心 東京都庁は副都心に移転
一方、都心に集中する首都機能を分散させるため、1958(昭和33)年に渋谷、新宿、池袋が「副都心」に指定された。1982(昭和57)年には、上野・浅草、錦糸町・亀戸、大崎が副都心に指定されている。1991(平成3)年には、東京都庁が新宿に移転した。
1985(昭和60)年、当時の鈴木俊一・東京都知事が「東京テレポート構想」を発表する。もう一つの副都心である臨海地区の開発計画である。1988(昭和63)年には都知事の諮問機関「東京世界都市博覧会基本構想懇談会」が設置され、1989(平成元)年に、臨海副都心での「世界都市博覧会」の開催案が示された。
当時、世界中の大都市はさまざまな問題を抱えていた。東京は、過密化を臨海部の都市開発という外延的手法で解決しようとしていた。そこで、「世界都市博覧会」において、進行中の臨海部開発という形で「21世紀の大都市があるべき姿を提示」しようとしたのである。バブルの最中のことだった。
しかし1991(平成3)年には、バブル景気は終焉。臨海副都心のビルに入居を予定していた企業は相次いで撤退を決定した。資材高騰や建設労働者不足により、「世界都市博」の予算は膨れ上がる一方だった。1993(平成5)年には、東京臨海副都心での「世界都市博覧会」の開催が正式に決定された。期間は1996(平成8)年3月24日〜10月13日の204日間。目標来場者数は2000万人だった。
1995(平成7)年4月の東京都知事選挙で青島幸男知事が誕生した。青島知事は、世界都市博の中止、臨海副都心開発の見直しなどを公約に掲げていた。一方、東京都議会は、5月16日に「世界都市博開催決議」を可決した。
青島知事は博覧会場を訪れて、準備の進捗状況に驚いたという。中止の場合には約1000億円の損失が出る。青島知事は事務局側からそう伝えられていた。開催するかどうかの決断のリミットは1995(平成7)年5月31日だった。青島知事は「世界都市博」の中止を決断した。
実は、今まで大きな都市再開発が進んだ地区は、一部の例外を除いて、明快な理由がある。「日本国有鉄道清算事業団」(国鉄清算事業団)が所有していた土地だということである。
● 高層ビルを建てただけでは 魅力的な都市にはならない
1987(昭和62)年に日本国有鉄道(国鉄)はJR各社に分割され、民営化された。当時、国鉄は膨大な債務を抱えていた。民営化の際には、日本国有鉄道清算事業団が国鉄の承継会社となった。そして、長期債務と固定資産などを継承した。
国鉄清算事業団は、債務返済のために、再開発を行った。例えば、新宿駅周辺、飯田橋駅周辺、汐留周辺である。広いまとまった土地の再開発が行われた。しかし、概して魅力的な街にはなっていない。
なぜか。理由は明白である。高層ビル群を建てただけだったからである。人が集まって、賑わいのある街をつくるというコンセプトが欠けていた。汐留が典型的で、ビルが林立しているだけの場所になった。
民間事業者が行った都市開発には、明確なコンセプトがある。
例えば、三井不動産が開発して2007(平成19)年に開業した六本木の「東京ミッドタウン」は、もとは自衛隊基地だった。街のコンセプトは「JAPANVALUE」。
東京が国際都市としての競争力を飛躍的に高めていくために、働・住・遊・憩が高度に融合し、世界中からさまざまな人や企業が集まり、新たな価値創造の舞台となる「経年優化の街づくり」を目指した。東京ミッドタウンのホームページにはそう記されている。
森ビルは、200を超える地権者を説得してまとまった土地をつくり、長い期間をかけて2003(平成15)年に「六本木ヒルズ」を完成させた。「文化都心」というコンセプトのもと、六本木ヒルズは、オフィスや住宅、商業施設、文化施設、ホテル、放送センターなど、さまざまな機能が複合した街になっている。
2023(令和5)年11月には、森ビルの「麻布台ヒルズ」が開業した。地権者は300を超え、30年の歳月をかけて開発を進めてきた。
麻布台ヒルズのコンセプトは、「緑に包まれ、人と人をつなぐ『広場』のような街“Modern Urban Village”」。広大な中央広場を中心に、オフィス、住宅、ホテル、インターナショナルスクール、商業施設、文化施設などの多様な都市機能が融合している。
● 都市再生の法律成立で 容積率日本一のビルが誕生
実は、東京の都市再開発についての議論が政府内で本格化したのは小渕内閣のときだった。「経済戦略会議」のメンバーの1人だった森稔氏(当時森ビル社長)が、都市開発の必要性を力説した。その当時、メンバーの多くはあまりよく理解できなかった。会議で森氏が、切実に訴えた姿を今でも鮮明に覚えている。森氏の熱意を反映して、戦略会議の最終報告には都市開発の重要性が明記された。
それを受ける形で小泉内閣の2002(平成14)年、「都市再生特別措置法」が成立する。都市再生のために、容積率の緩和や補助金という新しい措置を講じることになった。2007(平成19)年には容積率日本一のビルが完成する。名古屋のミッドランドスクエアである。毎日新聞社、トヨタ自動車、トヨタ不動産が共同所有するミッドランドスクエアにトヨタ自動車の本社がある。
その後、2013(平成25)年の安倍内閣の「国家戦略特区」につながっていく。日本では、大規模な都市再開発に際しては都市計画審議会での審議が必要とされている。通常、審議には5〜7年かかった。「国家戦略特区」で、それが2年でできるようになった。その結果、潜在的な再開発計画が一気に噴き出したのである。
1995(平成7)年の「世界都市博」中止を契機に、デベロッパーは臨海部から都心に回帰して、ゾーンで競い合うようになった。三菱地所は主として大手町・丸の内、三井不動産は日本橋・銀座、森ビルは六本木・虎ノ門・赤坂である。ゾーンでの競い合いが、「都市再生特別措置法」と絡まって、東京の再開発に大きく貢献したのである。
● ロンドン、ニューヨークと 並び立つ東京の本当の魅力
日本は「失われた30年」といわれる。一方で、東京は明らかに良くなった。東京の再開発が進み、都市の魅力は高まった。
一般財団法人森記念財団の都市戦略研究所は、2008(平成20)年以降、毎年、世界の48都市を対象にした「世界の都市総合力ランキング」(GPCI)を発表している。2024(令和6)年、東京は第3位だった。第1位ロンドン、第2位ニューヨーク。パリは第4位、シンガポールは第5位と続く。
訪日外国人の多くが、東京は面白いと言う。六本木、銀座、日本橋、新宿、渋谷、池袋、浅草というように、いろいろな街を楽しむことができるというのが1つの理由である。東京の魅力はますます高まる。それは地方からの「東京回帰」の一因にもなっている。
東京の一極集中が地方の疲弊を招いているという議論がある。だが、それは間違っている。東京は世界の都市と伍していくために強くならなければいけない。地方の疲弊の責任を東京に擦りつける議論は生産的ではない。地方は、地方として強くならなくてはならない。「東京か、地方か」というようなゼロサムの発想になることは、避けなければならない。
東京に対しては「集積しすぎる」という批判がある。都市に集積するのは当然のことだが、東京ほど集積している都市は世界にも稀だからである。
実は、都市には重要な機能がある。それは「イノベーションの場所」である。著名な経済学者のJ・A・シュンペーターは「イノベーション」を当初「新結合」という言葉で表現した。
都市とは、新しいさまざまな結びつきができる場所である。東京にはさまざまな人がいる。多数の企業があり、多種の情報が飛び交っている。それが東京の魅力を生み出し、イノベーションを可能にしている。
都市はまた、新しいライフスタイルを発信する場所でもある。新しいファッション、新しいビジネスなどの新しいライフスタイルを提供する場である。そういう意味での東京の魅力は大きい。
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