( 314540 ) 2025/08/09 03:38:02 2 00 百田尚樹氏、米山隆一氏の「日本にも過ち」に反論「自虐史観と偽善に基づいた捻じ曲がった解釈」日刊スポーツ 8/8(金) 17:13 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/12fb1cffc0583f571df219de50ed4c5bd9edb73e |
( 314543 ) 2025/08/09 03:38:02 0 00 日本保守党の百田尚樹代表(2025年撮影)
日本保守党から比例代表で立候補し初当選した代表の百田尚樹参院議員(69)が8日、X(旧ツイッター)を更新。米軍による原爆投下から80年となった6日に広島で行われた平和記念式典をめぐっての投稿に言及してきた立憲民主党の米山隆一衆院議員に対し、反論した。
百田氏は6日の投稿で「厳かな式典に身が引き締まったが、気になったのは、挨拶を述べた何人かが『過ちを繰り返しません』という言葉を発したこと。広島市民も日本国民も原爆に関して何も過ちを犯していないし、その責任もない。過ちは米国が犯したものである」としていた。
米山氏は、百田氏のポストを引用した上で「ごく普通に解釈して、戦争を開始した日本にも過ちがあり、原爆を投下した米国にも過ちがあるという極めて真っ当な言葉でしょう。戦争を開始した日本に過ちがないかのように言い募る事こそ、却って米国の過ちの認識をも失わせてしまう、過ったものです」と指摘していた。
百田氏は8日午後、米山氏の当該投稿を引用した上で「あなたの解釈はごく普通の解釈ではなく、自虐史観と偽善に基づいた、捻じ曲がった解釈である」と指摘。続けて「しかし、あなたはおそらく死ぬまでそのことを理解できないだろう。まさに米山氏の解釈こそ、戦後日本の自虐思想による洗脳の深い病理の典型的な実例である」とつづった。
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( 314542 ) 2025/08/09 03:38:02 1 00 この議論では、原爆投下や日本の戦争責任について多様な意見が交わされています。
1. **日本の開戦責任**:日本が戦争を始めた理由や背景について触れ、戦争責任は国として存在すると述べる意見が多くあります。
2. **アメリカの原爆投下の非人道性**:原爆投下を戦争行為として正当化する意見に対し、その行為が民間人の大量虐殺であり、国際法に違反していると主張する意見が強く見られます。
3. **歴史観と教育の重要性**:教育における「自虐史観」とされる日本の歴史認識を批判し、過去を正確に理解することが必要だとする意見が浮上しています。
4. **戦争全体の過ちと教訓**:戦争の結果生じる多くの過ちに対する反省の必要性が強調され、戦争を起こさないための議論や政策を考えるべきだという意見も広がっています。
(まとめ)全般的に日本とアメリカの責任を問う互いの視点からの意見が対立しており、戦争の背景や結果に対する再評価、歴史教育の見直し、さらに世界平和に向けた具体的な対策を議論することが重要であるという共通理解が示されています。 | ( 314544 ) 2025/08/09 03:38:02 0 00 =+=+=+=+=
因果関係で見ると、日本が日米開戦したから原爆落とされたと言いたいんだろうけど、それを言い出したら何故日本は無謀な戦争を起こさざるを得なかったか、それこそペリーが浦賀にやってきて以来、対外的な摩擦に翻弄された日本の近代の100年だったろう。そんな馬鹿げた話ではなく、戦闘員ではない日本の住民の頭の上に爆弾を落とし続けたアメリカの過ちをもっと論じて欲しいものである。
▲4309 ▼829
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結局これらの問題は平行線のままでは?とも思います。 戦争を始めるということを決めた日本側。そこには当時の時代背景もあるし そうせざる得なかったものなどもあったのかもしれませんが始めるということについては国民などの生命などを危険にさらしてしまう可能性は高く そこについては果たして戦争自体を開始することが正しかったかどうかは 結果論では間違っていたとは思うけれども、その当時の指揮機能として どうだったのかは中々判断も難しいのではないかと思います。
▲27 ▼38
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1944年9月18日ルーズベルトとチャーチルとの「ハイドパーク覚書」において、本来は対ドイツにおいて原爆を投下するところを、その同盟国である日本の軍事施設ではなく一般民間人へ投下することを決めた。それを引き継いだのがトルーマンだ。これは明らかに民間人の殺傷と原爆の効果を人体実験することが目的であり、戦争を終結させることは目的ではなかった。しかし、8月15日に戦争が終結した。本来は最低10発の原爆を投下するつもりだった。それが3回目以上の投下が中止になった理由。これは米国による明らかな国際法違反でありホロコーストである。だから米国自身が「この過ちを繰り返しません」と宣言しない限り、核廃絶の道などはない。
▲2353 ▼158
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戦後教育では確かに自虐史観的教育を受け「全ては日本が悪いから二度と戦争は起こしません!」だった、しかしインターネットの普及で判断出来る材料が出て来ると受けた教育に?がつくようになった、例えば「朝鮮国併合」は武力ではなく書面でまた慰安婦は「強制連行」ではなく捏造と言うふうに真実が見えるようになった!自虐史観をやめ当時の世界情勢を知り真実に目を向けて子供達には真実を受け止めシッカリと生きて欲しい。
▲191 ▼69
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米中心の連合軍により、石油輸送のためのシーレーンを封鎖され、米は日本の石油残量まで把握し、日本が堪り兼ねて行動を起こすであろう日数も計算していた。とは戦後教育で一切触れられなかった。当時でも石油が無くなれば原始生活に逆戻りするしかない。これを侵略戦争の一言で片付けていいものか疑問が残る。
▲2139 ▼444
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百田北村コンビが暴れ回ってくれれば、私からとくに何も言う事は無い。 百田さんはギフテッド、北村さんは真の国士。 それを支える有本香さんは国難今の日本において。初の女性総理に相応しい怪傑。 更にそれを支える島田洋一衆議院議員も現代保守を正に国会とSNSで体現する人物。 リベラル勢によってねじ曲がってしまった日本を真っ直ぐにするのは参政党ではなく、日本保守党であってほしい。 保守党は当たり前の事を発信し続けているが、揚げ足取りの連中が口をくわえて待っていて、それを跳ね返すのを見ているのが痛快です。
▲420 ▼234
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私もそうだが多くの日本人は日本が戦争を始めて悪いと教えられてきた。それは戦勝国の論理を受け入れた自虐史観だ。しかし本当にそうだろうか?当時の世界情勢の中で、日本に対して石油の輸入を停止され、大陸にもっていた利権の放棄を迫られ、日本が生き残るには戦争しかない状況に追い詰められた結果とも言える。その当時の情勢を勉強すればするほど日本が難しい立場であった事がよくわかる。日本はアメリカにまんまと戦場に引きずり出された。戦争責任は日本にもアメリカにもある。勝った方に責任がなく。負けた方に責任があるというのは間違いだ。原爆に関しては投下しなくても既に勝敗はついてた。降伏の時期を延ばす為にわざわざ原爆投下前に「天皇の責任をとう降伏勧告」を送りつけている。当時の日本に天皇の責任をとえば降伏など絶対にしない。そして原爆投下。当時の米大統領は新型爆弾を使ってみたかったのだろう。だから原爆は米の責任でしかない。
▲1228 ▼304
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百田氏のまったくもって真っ当な意見が、メディアでも報道されるようになった。
いままでであれば、取り上げられることもなかったろうし、取り上げられても全否定的な論調だったであろう。
冷静な論理的思考ができる日本人が読めば、すっきり理解できる。
こんな時代がやっと来始めた。 まずは、このようなまっとうな議論ができて、戦後の一方的な思考停止による偽善主義からの脱却が始まるのだろうと思う。
米山氏には申し訳ないが、古い偽善がまかり通った時代の人としてしばらく脚光を浴びてほしいとさえ思う。
▲2076 ▼858
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例え戦争だとしても 民間人虐殺は当時の国際法でさえ違法だったと思います。 原爆や空襲などは民間人の大量虐殺です。 8月になるとテレビでは悲惨な戦争の番組が多く放送されます。 それを全部否定はしませんが、「何故日本は戦争へ向かったのか」「どうすれば戦争を回避できたか」「早く戦争を終わらす為にはどうすれば良かったのか」「戦争に勝つ事はできたのか。どうすれば勝てたのか」 などもきちんと検証する事かな、と思います。
▲186 ▼17
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「戦後80年」をよく目にします。言論界で著名な方々に教えて頂きたいです。これだけの時間が経って、いろんな当時の資料などが見つかっているのではないかと想像するのですが、原爆投下という悲劇が起こらない中で、1945年、日本は終戦(敗戦)宣言に向けた動きを、天皇を含めて政治を預る人々の間に自然発生しつつあったのでしょうか?あったとして、「日本のいちばん長い日」にあったような戦争継続派を抑えることは可能だったのでしょうか。米国による原爆投下を是としているつもりは全くありません。難しいことでしょうが、そのことをまずは知りたいと思います。
▲30 ▼9
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日本が満州事変以来一方的に侵略戦争をはじめ、その過ちの中でさらに無謀な対米開戦に突っ走った。
そして、日本が降伏する流れにあるのを知りながら、その威力を測るために広島、長崎に原爆を落とした。この米国の非人道的な過ちも同時に批判すべきことだ。 そして戦争を終わらせるために原爆を落としたという正当化論も明らかな間違いだ。
いずれにせよ戦争というものがいくつもの過ち誤りの積み重ねで、結果、多くの人々が苦しみ、大きな惨禍をもたらすものだという痛切な反省は、日本も米国もともに心に刻むべきだ。
▲351 ▼117
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長年、この碑の言葉の主語は誰なんだろうと考えている。わたしの意見は、概ね百田氏と同じ。そう考えると得心がいく。日本人が、サンフランシスコ講和条約に調印して占領から解放され国家主権を取り戻したのが昭和27年4月、慰霊碑は同年8月に完成した。それ以前は許されないかった。せっかく完成したが、刻まれたのは微妙な表現。残虐な兵器で無辜の民を大量虐殺したのは米国。でも謝罪はしないし、求める事なんて無理な情勢。だから人類を主語に置き換えるしかなかった。本当は国家的忠臣蔵でトル一マンを敵討ちしたら一番スッキリしたのかも。ナンセンスだがそう思う。しかし、どこか腑に落ちない。戦争がわるいんだ。これぞ真理。だけど口先だけでそう言って、大国は核兵器を懐中にしないと負けるから手放せない。いずれにせよ、慰霊碑の言葉は、広義には真理でありながら、内実は敗戦国が戦勝国におもねった意味合いが含まれている事は否定できない。
▲64 ▼22
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正直、百田氏も米山氏も安易にどちらが正しいとは論じたくないし、論じられない
ここで多くの意見が上がっているように、日本はアメリカに石油の権益を止められたから戦争に踏み切ったという意見もあるが、その前にフォーカスを当てれば満州の権益でアメリカとぶつかって、ここで強行な姿勢をとったことに起因しているとも言える
歴史は点で見てしまうと、如何様にも見方が変わってしまう 歴史を学ぶということは点を線で結んで連続的に物事を捉えて、過ちを繰り返さないことだと思うので、心地よい意見に安易に流されないようにしたいですね
▲65 ▼39
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歴史認識や戦争責任は、一次資料ですら解釈が分かれ、さらに感情や価値観にも左右されますので、私は絶対的な「正解」など存在しないと考えており、どちらが悪かったかを巡る議論は、正直あまり意味をなさないと思っています。
百田氏も米山氏も、それぞれ言いたいことは理解できますが、感情が先走り対立構造に陥ったところで、そこに明確な解はなく、ただ分断が生まれるだけだと感じます。 また、2、3コメント欄を拝見しましたが、「どちらが過ちを犯したか」という単純な図式による価値観は、開戦前夜の危うい空気感にも通じるもののように思えました。
お二人に共通する絶対的な認識は「二度と戦争を起こさないこと」のはずです。 語るべきはどちらが悪いかではなく、今後の国防についての具体的な議論だと思います。
▲13 ▼9
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サイパン守備隊壊滅時の参謀本部作戦日誌 「今後帝国は作戦的に大勢挽回の目途なく、戦争終結を企画すとの結論に意見一致せり」という絶望的予想が書かれている
サイパン陥落時点でもう勝敗は決したとして連合国との終結に向けた交渉をと軍部も認識してたが東條英機らのみっともない自身の保身のために戦争継続運動を繰り広げていた点などは大いに批判されるべきだろう
▲69 ▼9
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何が過ちだったか、限定していないところが、ずるいような気もするし、結果責任において戦争被害者に戦争自体を過ちとして弁明したという風にも理解できるが、「過ち」という表現を用いていることについて、その思想性自体に小さいことから疑問を持っている。
確か、この文言に出会ったのは、60年前くらい前の、母に連れられて訪問した広島だったと思うが、「過ち」として処理するのが、「過ち」なのではないかというのが、小さい頃からの思いである。戦争は厳然たる事実であり、戦争被害者は広島にもいるが、日本だけでなく、中国や南方のフィリピンにも多数、存在した。もしも、大東亜戦争に勝利していれば、それらの地域でおこなわれた戦争は、日本としては「過ち」だったとして解釈はされることは無かった程度のものであろう。そういう意味で、この「過ち」という表現はあまりにも軽く、随分と勝手な意見だなと、今でも思う。
▲141 ▼75
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アメリカの原爆使用の罪悪については米国という全体を言ってはダメだ。犯罪は国がやるのではない。必ず人間がやるのだ。一人でも複数でも必ず特定の人間がやる。国民全体と言って個人を特定するのを邪魔し誤魔化す利権屋がいる。日本でも戦争全体の責任を国民全体と言って特定の人間の罪悪を誤魔化した。抽象化して責任逃れをした。歴史を正確に検証し判別出来る部分だけでも特定の人間の責任の内容、程度、結果を明らかにしていくべきだ。
▲159 ▼32
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戦争は多くの命を簡単に犠牲にする互いの正義は通用しないやられる前にやるのか残酷な行為戦争は悪魔が喜ぶだけ2度と同じあやまち愚かな行為を繰り返す事が無い用に互いが深く反省し戦争をする事を前提に頭を使わず平和の為に知恵を使う事を願いますこの世界から全ての武器を無くし平和な心で地球人として美しい地球を守り感謝して生きたいです♡
▲94 ▼87
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確かにな。 もし、自分のごく身近で大切な人が原爆で犠牲になったとして、自分自身は果たして「過ちは繰り返しませんから」という心境になるだろうかと想像したときに、とてもそういう心境にはならないだろうなと思う。何であのフレーズなんだろうと、言われてみれば確かにそうだ。 昔、自分が子供だった頃、あの戦争はアメリカにより石油の供給を絶たれたが故に、止むに止まれず開戦せざるを得なかった、と聞かされていた。今の時代、そういう事情は全く封殺されているように思う。その一方で慰安婦、徴用工、南京大虐殺、既成事実化が図られようとしている。正しい歴史観は今の学校教育では教えない。歴史は風化することはあっても、捏造はあってはならない。
▲358 ▼75
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戦争である以上どちらの側にも過ちや責任はある。国際法上は。 でも実態としては勝った側が負けた側に全ての責任を被せることになる。 それは歴史が証明している。 日本が責任を感じるとしたら、それは「戦争に負けた以上責任を取らざるを得ない。」と言うことだけだ。 14万人の一般市民を殺害する爆弾を落としても責任など感じる気もない国が当たり前のようにある世界だから。 戦争をするなら絶対に負けてはならない。 これが戦争に対する教訓だよ。
▲16 ▼2
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過ちは繰り返しません・・・確か日本にも過ちはありました。 それは、戦争を始めたことではなく、国体や一般市民を守れなかった事です。 過ちは繰り返してはいけません。戦争はこちらから始めなくとも 昨今の軍事情勢を見れば明らかなように、強盗のような国家が独裁者の欲求のままに始めてしまうモノなのです。これに対して適切な抑止力を持つことは、 国民の生命・財産を守る義務のある日本国政府の責務です。
▲1 ▼1
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恐らく私も義務教育を受けただけでは米山氏と同じ考えになっていたと思います、正しい正確な歴史を勉強でき、平和を守り、未来に希望や日本に誇りを持てる教育を行える改革を行って欲しいです。
▲46 ▼17
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原爆投下を戦争行為のひとつと見るか、戦争行為ではなく実験行為、虐殺行為と見るかで意見が分かれるはず しかし、米山氏は戦争で核戦力を認めない立場 反対に、百田氏は戦争で核戦力を認める立場
たから、この意見は本当は逆になるのだが 自分の信条からくる結論はわかっているのだろうか 米山氏の立場なら、戦争と核使用は分けて考えることになるので、戦争責任と核による犠牲は別だから、日本が核使用に責任を持たない
百田氏の立場なら、戦争の戦術としての核使用が認められ、それまでに降伏しなかったのだから日本にも責任があるになるのだが
つまり、どちらの人間も、平和について真剣に考えていないと言うことか
▲1 ▼4
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それぞれ意見はあると思う、戦争をはじめた日本にも責任はあり、特に政府が判断ミス、つまり外交ミスをした事が一番大きな責任がある、人命を軽視し、占領した地域の人々に苦難を強いた事、又、植民地の人々を兵士として現地に 派遣しながら戦後は責任を取らなかった事等、歴史を見れば分かる、これは個人の意見、相手国に知れば早く戦争を終結したい意味で原爆投下をしたかも、人それぞれで、学者でも判断が同一ではない、相手の意見に反論ではなく、自分はこう思うで良いのでは。
▲14 ▼9
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百田は原爆投下に関することだけについて話をしているのに、米山はそれを拡大解釈してあの戦争について意見を言うから話が嚙み合わない。たとえ無条件降伏を受け入れなかったら原爆を落とすぞと言われて、それでも尚日本が降伏しなかったとしても米国による原爆投下は許されるものではない。長崎以来、原爆投下を実行した国はないということが原爆投下自体が真の悪だという証明になっているのだと思う。今のところ人類はそれを本能で感じている。
▲130 ▼21
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原爆にのみ焦点を当てれば、アメリカこそ過ちを犯したというのは分かる。しかし、原爆が落とされるまでに至った経緯には日本の判断ミス、過ちがあったのは明らか。なぜ日本包囲網ができたのか。そもそもなぜ日本は大陸を侵略したのか。アメリカが正義などとは欠片も思わないが、だからと言って日本に正義があるとはとても思えない。日本が戦争に負けてアメリカに占領され、今の体制に至ったことは、今の日本人にはとても幸運だったと思う。
▲8 ▼16
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自分は中間の立場。当時の国際社会の常識では、二国間の問題の解決の手段として戦争は認められていたから、開戦自体は間違いと言い切れない。結果を知っているからこその批判になってしまう。ただ、沖縄地上戦や東京大空襲があったにも関わらず降伏を決断しなかったのは、軍事的・政治的な過ちだったと思う。粘り過ぎたから、ソ連の参戦を招いて、北方領土は取られるし、シベリア抑留も起こった。
▲23 ▼8
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百田氏に同意します
戦争には、それぞれの立場と背景がある アメリカにはアメリカの、日本には日本の歴史的経緯と視点がある。
しかし、日本の立場や歴史的事実を理解しようとせず、戦後に刷り込まれた自虐的な解釈を繰り返す姿勢には辟易する 原爆投下の責任は米国にあるに決まってる。 日本国民や広島市民が「過ちを犯した」とするのは事実の歪曲だと思う 解釈の違いなのかもしれないが、勘違いされやすいから正すべき
歴史を直視するとは、自国を不当に貶めることではなく、立場と事実を冷静に語ることだ
▲17 ▼21
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自虐史観があるというのは、小林よしのりさんの漫画などで知っていていて、読んだその時は、そうなのかなと思った事があるが、いろいろ情報を集めてみるとやはりこれは違うと考えるようになりました。
挨拶を述べた何人かが、過ちを繰り返しません、と言ったのは、日本が戦争を開始し、絶対負けるような状況になっても、日本全体の本土決戦になっても、どれだけ日本人が死ぬ事が想定されても、軍上層部が戦争を続けようとしたこと(これは軍人の強烈なエゴなのではと考えるのだが、つまり、自分やごく一部の人間がどうしても我慢できないので国民全体を巻き込んでしまうという…その国民はそれぞれ個人をもっていて、けして軍人らではないのだが…)が、結果として原爆を落とすという事の一つの原因になったと思うのだが、その事に関しての過ちと言うことではないかと思います。
▲16 ▼7
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自虐ではなく戦争の総括から逃げたのが戦後の日本。戦争を語ることはタブー視され、むしろ安易な戦前日本の否定を続けることで国民は歴史を過去のものにした。先祖を貶めたとしても、現実日本が豊かになり世界第2位の経済大国になることに大きすぎるメリットを感じていたのが戦後の日本人だと思う。それは安全保障にしても同じで、アメリカに従属することにより日本は経済発展に邁進できた。
さて、「戦前日本」を自ら否定してきた日本だが、今それを自虐と言って否定するのも無責任だと感じる。日本が経済的にも社会的にも行き詰まった段階で、戦後の自虐日本が間違っていたというのは、これはこれで安易な歴史観ではないか?
百田氏も米山氏も個人の歴史観で語ることは多いに結構だが、そこに現代日本人である我々が何の戦争総括もなしに乗っかるのは危険。むしろ今こそ戦争総括をし、その中でこう言った議論をすればいいと思う。
▲9 ▼2
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この碑文を書いた浜井広島市長はスイスで独仏和解の様子やアーリントン墓地の碑を見て、この碑文を作ったと言う。独仏和解では双方が「ごめんなさい。私が悪かった。」としか言わないそうだ。彼の本にこうある。
>この碑の前にぬかずくすべての人びとが、その人類の一員とし >て、過失の責任の一端をにない、犠牲者に詫びることの中に、 >私は、反省と謙虚と寛容と固い決意とを見いだすのであって、 >その考え方こそが、世界平和の確立のためにぜひ必要だと考え >た。
「人びと」は世界中の人を指す。この考えは独仏和解やアーリントンと違う。独仏人が互いに謝罪するのは殺し合いなどをしたから。だが一般の広島市民やトンガの人にどんな「過失」があるのかは不明。欧米には何を指すのかも分からずに「過失」という発想はないそうだ。彼は日本の戦争や侵略を「過失」と言っているのでもないようだ。日本人にも意味の理解されない変な碑文。
▲25 ▼9
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アメリカを中心に包囲網を敷き日本から攻撃させるようにした 日本側は1940年時点でアメリカに勝てないというデータが出ていたのに中国戦線を終わらさずに開戦に踏み切った アメリカが原子爆弾による人体実験、あまりに非人道的な行為をしたのは間違いないけど東京大空襲、大都市は連日焼け野原にされたドイツが降伏したのに継続して1億総動員なんて考えていた大本営にも過ちはあったと思うけどな
▲2 ▼0
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ルーズベルトとその取り巻きが 開戦前の日本に対してどのような外交姿勢を とっていたかを 検証しなければならない 。アメリカ ファースト というのはこの頃 リンドバーグが 大陸の戦争に加担しないという意味で使っていたスローガンだ 。アメリカの指導部は イギリスを支援して参戦 したかったが 世論が許さない状況だった 。そこで 日本に最初に撃たせて 世論を誘導する必要があった 。ルーズベルトの取り巻きに その意図があったことが明らかになっている 。原油禁輸で日本が参戦しなかったとしても もっと条件を厳しくして 日本の開戦を誘導されたろう。 最初に一発目を撃たせて それを口実にして 畳みかけてやるというのが 彼らの常套手段だ。 今度のガザの殺戮についても モサドがハマスの動向を見落としたわけがない。 分かっていて あえてやらせて殺戮の 口実にしたと思う。 ルーズベルトの取り巻きはその種の人である。
▲49 ▼8
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戦後生まれの世代は戦前の日本を知らない。今のように言論の自由があり、他人に迷惑をかけない限り、国民が自由を謳歌できたわけでない。当時の憲法は大日本帝国憲法であった。ここには兵役の義務も定められており、男子は二十歳になると素っ裸にされ兵隊検査を受けたのである。合格者は甲乙丙に分類され有事には戦地に送られたのだ。学校では教育勅語を暗記させられ、国家への忠誠を誓わされた。異議を唱える者は非国民とされ、村八分にされた。このような状況で政府が戦争を始めればそれに従う他なかったのである。このような政治を歓迎していた国民がどれほどいただろう。戦後、このような政治体制から解放された国民は皆喜んだ。戦前が良かったなど言う者は軍人と一部の政治家ぐらいだった。自虐史観などという言葉すらなかった。戦後を忘れた頃、一部の当時の政治家の子孫の残党が戦前を懐かしみ自虐史観などと言い出したのである。
▲53 ▼57
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マッカーサーも認めた日本の戦争は自衛戦争だった。アジアへの欧米からの解放と資源を求めて欧米と戦った。これが大東亜戦争でしょ。元々アメリカはオレンジ計画で日米戦争の計画まで立てていた。ペリー来航以来日本は欧米諸国に戦争出来る国へと変えて行かれ、戦争で儲ける国際金融資本などに操られ、先の大戦へと舵を切らざる得なかった。
▲44 ▼13
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アメリカの核兵器の使用は人体実験でしたよ。 アメリカは戦争を終わらせるために仕方なかったと言うけど、東京大空襲では死者10万人を出した。制空権は完全にアメリカで、日本はアメリカには全く攻撃できなかった。日本が干上がるのを待てばよかった。 現在は安保をアメリカに依存してるから何も言えない。それが日米の歪な関係を固定化している。 自主防衛とは、結局核武装に行き着く。特に日本は周りを核武装した国に囲まれてるのだから。
▲28 ▼1
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何が過ちで、何が繰り返されているのか?日本陸軍は本土決戦で一億総玉砕を本気で実行していた。何故か?一般兵士を使い捨てにしていた間違ったエリート意識と、盲目的な同調圧力である。今の日本では未だにFランと馬鹿にする風潮や、流行りの言動にひたすら追随して流れに乗る空気感が確実に存在している。
▲3 ▼1
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戦時国際法上、アメリカが大量破壊兵器を使った時点で日本には同等の攻撃ができる報復権が発生して今も残ってます、これを何とか否定したかったのが極東軍事裁判であり、国連の敵国条項の存在、数年前の核物質没収です。
戦争にいい悪いなんてありません、ルールがあるだけです。(戦争は条約の延長線です、クラウゼビッツ)戦争を禁止する法律も条約も国際機関もありません。 要するに勝ちと負けがあるんです。 日本の過ちは「負けた」ことです。
▲117 ▼10
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戦争は外交の極端な形の“解決策”だ。前後には脈絡、歴史のコンテクストがあり、この大枠の中に個々の戦闘があり、さらにそれは最終的には個人に行き着く“より小さな集団によるより小さな意思と行為”に細分される。一口に(闇雲・杜撰に)戦争についての責任、個々の行為の是非を問うても意味はないことくらい誰でもわかりそうだ。 一連の“昭和の戦争”には日米ほかそれぞれに責任があり判断と行為にも是非がある。とはいえ一般的に非戦闘員への無差別な攻撃は、如何に戦争・戦闘の“論理”に適った合理性・合目的性があったとしても許容されるべきではない。その中で“原爆”だけが例外的な“悪”ではもちろんないが、“非人間性”は突出していてこの非人間性に到達した罪は広く二十世紀の人類に共通すると言える。 日本にも非があった、いや自虐史観だ、などと思考停止で言い合う程度の人間が議員になって賢しらに意見をしたりするのは滑稽だ。
▲1 ▼0
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我が国は開戦を出来るだけ避けようと努力したが、米国は我が国の避戦の努力を無視し石油禁輸やハルノートのような我が国を追い込む政策を次々に行い、我が国が戦わなければ生き残れぬ状況に追い込んだ。ハルノートはルクセンブルクのような小国でさえ戦わざるを得ないとよく言われている。どう考えても開戦責任が米国にあると我々日本人が思うのは当たり前だ。
▲9 ▼11
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百田さんも右に偏り過ぎだなあ。左の人とあまり変わらなくなっちゃいそう。 自虐の歴史教えているからこの言葉が出ると思って不満なんだろうけど、何が過ちかは、言っている人それぞれ考えが違うと思うけどなあ。 みんながみんな戦争したこととは言っていないはず。 私は、戦争したことが悪いかどうかは判断に悩むけど、少なくとも負け戦の判断が遅かったことでアメリカに原爆落とす口実与えて多くの人が犠牲になったことは日本の過ちだとは思ってます。
▲19 ▼25
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日露戦争の講和に米国が貢献したが、米国が狙っていた満州鉄道の利権を日本(小村寿太郎)が独り占めしていなかったら、満州の運営に米国も参加していたので戦争にはならなかった可能性が高いでしょう。 ハーバード大学首席の小村寿太郎は智略に溺れて米国の国民感情を読めなかったのかもしれません。 つまり、過ちの発端は小村寿太郎大先生だと思います。
▲0 ▼0
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戦争で命を落とすのは、民間人と若い軍人だ。焚き付けた連中は戦地にもいかずのうのうと生き延びている。若い人たちは戦争の真実を改めて心に刻んで欲しい。戦争を美化する人間を信じてはいけない。
▲11 ▼0
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過ちはいつから始まったかを議論しだすと、収拾がつかなくなるようだ。
日本が戦争を始めなければ、原爆は投下されなかった。戦争の直接の原因となったアメリカの対日原油禁輸がなければ、日本は戦争を始めることはなかった。だが、日本が対中戦争を始めなければ、アメリカも禁輸はしなかっただろう、と。
因果は、尾車のように回っている。国と国との関係は、相互的な対話だ。
翻って、「自虐史観」とは何か。日本が戦争を始め負けたのは悪いからだ、と歴史を解釈することだろうか。
だが、勝てもしない戦争を始めたのは、愚かなことであったと評価できるだろう。戦争を始めるにあたって、どのように戦争をやめるか、そのプランを持たなかったのも愚かなことだ。
第一回帝国議会で山県有朋は、利益線確保演説を行った。利益線とは、対外侵略のことだ。攘夷の残滓は、こんな処にも残っていた。
前の戦争を認めれば、侵略を認めることになる。
▲14 ▼9
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当時の統帥部や中央官庁の若手エリートが、日本の国力でどれだけの期間戦えるか、アメリカの生産力も考慮に入れ、損耗率を加えて綿密に調査して弾き出した数字が約一年半だと答えが出ていた。 それを、陸軍、海軍の上層部が弾きだした数字に手心を加え、極めて楽観的な数字に書き直して開戦に踏み切った。 甘い見通しと数字の誤魔化しが、実戦で役立つ筈もなく、当初の予想通り、長期戦に突入してからは負け続けた。 やってはならない戦争に突っ走ったのは日本。 満州事変をきっかけに泥沼の日中戦争。 日独伊三国同盟で引き返せない状態に自ら飛び込んだ。 結果はあの通り。 事実は事実だ。
▲85 ▼70
=+=+=+=+=
戦争を始めた方が悪いなら、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク・アフガニスタン・ソマリア・イエメン等での戦いはアメリカが悪い。 ウクライナでの戦いも当然ロシアが悪い。 原爆開発をしたオッペンハイマーはユダヤ人だったが、日本で欠けているのは日ユ同祖論に関する議論だ。 これは単なる都市伝説との見方もあるが、元イスラエル大使コーヘン氏が古代イスラエルの失われた十支族の一部が日本に来たと言っているように、その可能性は否定できない。 つまり、トルーマンはユダヤ人のヤコブセンと親友だったのに日本に原爆を落とすとは、神に背くことであり大きな過ちと見ることもできる。
▲5 ▼14
=+=+=+=+=
戦争を始めた責任は、日本にだけあると決めるのは、議論の余地があるとしても、負けが分かっていても「戦争をやめられなかった責任」はまずは日本側にあるのは確か。石破首相は(安倍元首相歯区切りをつけたとされるアジアに対する責任論を蒸し返したいわけでは無く)、この点を談話で言いたいらしいが、右翼の人間は、まさに「戦争をやめられなかった責任論」を言わせたくないのかもしれない。
▲5 ▼1
=+=+=+=+=
日本が戦争に踏み切ったのはそうしなければ経済的に破滅(引いては国家の破滅)の道しかない状況に追い詰められたから。戦争回避の努力は折に触れアメリカと交渉し可能な限りの譲歩をしたがアメリカはそれを拒絶し最終的にハルノートを提示した。アメリカは戦争参加の口実が欲しくて経済的に日本を追い込み先に手を出させるように仕向けた、と言うのが事実。それでも日本の過ちと言うなら何も言えませんが。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
今、東アジアで覇権的な国家は中国だけれど、80年以上前は日本だった。敗戦後それを反省し平和国家として再生した日本の日本の平和思想を「お花畑」とか「自虐至難」という人は、日本が中国大陸で行った戦争を、自衛のための正義の戦争だったと言うのだろうか。「過ちは繰返しませぬから」というのは二度と侵略戦争を起こさないという誓いだと思う。それを否定する百田さんの言説は日本は再び侵略戦争を起こそうとしているという反日宣伝に使われる恐れがある。
▲9 ▼14
=+=+=+=+=
こういうことが言える社会になったのはいいことだと思う。これまでは左派政党、左派マスメディア、左派知識人、日教組などによって自虐精神が日本人の心の底まで埋め込まれ論議さえ憚れた。私は保守党を支持しないが、「私たちは過ちを繰り返しません」は誰がどう考えても日本をさしており人類でないことは明らかだ。人類であれば人類とはっきり書けばいい。それにしても一個人が人類を代表するかのような発言など不適当でしかない。人類としたのは左派が国民全員から賛同を得られるようにするために後付けしたものだ。敗戦後、日本人は左派によって自虐精神を叩き込まれ、世界が日本をどう見ているか、世界から認められるにはどうしたらいいかばかり考え、世界から褒められたり表彰されると飛び上がって喜ぶ情けない国になってしまった。
▲18 ▼13
=+=+=+=+=
親父からはABCD包囲網ー物資、特に石油の不売連合によって日本は南方に進出を余儀なくされた、と教えられた。 嘘はないだろうが、では満州へは何故進出することが正義とされたのか。日華事変は盧溝橋事件という日本軍による作戦が発端と教えられた。 軍の幹部が利己主義の野望から進出したという説に信憑性がある。 こういう軍の独走を抑えられない政治体制に問題があったし、同じことが今起きても全く不思議ではない。 全体を一色の「自虐史観」とか決めつける言葉も問題だ。経済構造としてはもう無理が効かないところまで来ていたことも事実だろう。しかし政治に欠陥があったことも事実だ。 風邪を引き熱が出ただけでは人間死なない。栄養と休養の不足、悪環境の連携があって初めて肺炎から死へとつながって行く。 無理筋を原理主義的に強弁して戦争へとつながっていく。 危機に慌てず衆知を集めて最善の道を探ること、これしか対策はないだろう。
▲60 ▼46
=+=+=+=+=
日本に過ちがあるとすれば、アメリカとの戦争を全力で回避しなかったかことでしょう。 英蘭だけを相手にしていればアメリカは第二次大戦に参戦できなかった。 日本が真珠湾を攻撃したため、アメリカは裏口からの参戦が可能になった。 アメリカとの戦争が回避できなったとしても、宣戦布告は攻撃前に余裕をもって事前に通達すべきだった。本国からテレックスが遅れ、さらにタイプが遅れたというのは後付けの理由。なぜなら日本にいたアメリカ大使に口頭で伝えればよかっただけなのだから。
▲81 ▼54
=+=+=+=+=
私も小学生の時は侵略戦争を起こした日本が悪いと教わったし、高校生ぐらいまではそう思ってた。 だがより深くあの時代を掘り下げて調べると、世界中で侵略戦争が繰り返され、日本も強くならなければ、いつ侵略されてもおかしくない時代だったとわかった。 米山が言うように、日本があの時代、平和を訴え自国に籠ったままだったとしたら、とっくにロシアに侵略されてたことだろう。 したがって日本も日本国民も過ちを犯したわけでは全くない。日本のために政治家になったのだったら、今の日本にとってマイナスになるような事をいうな!
▲2 ▼6
=+=+=+=+=
日本側が降伏する準備が整っていると知っていたのにも関わらず、二つも原爆を落とした。これはアメリカによる日本人大量虐殺である。その前にも日本中の街という街を空襲で攻撃し、それだけでも50万人ほどが殺戮されている。アメリカは民間の日本人を大量虐殺したといい加減日本人も知るべき。
▲17 ▼2
=+=+=+=+=
自虐史観じゃなくて、戒めだと思います 過去の行いを悔い、反省してそれを自戒として未来の人たちへ平和をつないでいく為に、戦争で失われた全ての命に対して宣誓しているのではないでしょうか
アメリカが悪いとか、日本が悪くないという次元ではないと思います
そして政治家がそれを思想として語るのも間違っている
戦争に正義も悪もないので、起こしてしまったことに反省を
▲10 ▼5
=+=+=+=+=
日本が正義の軍隊としてアジアの解放を目指して戦ったという主張は、歴史的事実から見て明らかに誤りである。
それは戦後になってから作られた後付けの正当化に過ぎない。実際には、資源を求めた日本の財閥や軍需産業が、利益のために、軍部と手を組んで南方や中国大陸に侵略を進めていったのが実態である。それを煽ったのがマスコミ。
ただし、日本だけがそうした行動を取っていたわけではなく、当時の欧米列強も同様に他国を支配し、植民地化していた。アメリカもフィリピンを植民地として支配しており、帝国主義的な動きはどの列強にも共通していた。
アメリカが日本の中国進出に反発したのは、正義からではなく、自国の利益を脅かされたからに他ならない。
▲12 ▼0
=+=+=+=+=
戦争をしたことが過ちというのなら、欧米諸国のほとんどが過ちだらけですよ。現代と当時では時代が違う。国際情勢も違う。価値観も違う。 もし戦争していなければどうなってたか?日本は欧米の植民地でしょう。皇室解体され、日本人はアイデンティティも失ったかも知れない。それこそ日本という国がなくなってたかも知れない。
▲3 ▼2
=+=+=+=+=
原爆が広島や長崎に多くの犠牲者を出した事は間違いのない事。 戦争の責任が日本に無いとは思いませんがません。 戦争に反対するのはもちろんですが、無差別な犠牲者を出す原子爆弾に対して、今後こんな犠牲が出る事はない世界にしたいと言う事が願いでしょう。 実際に日本も沖縄戦やアジアの国に対して侵略して、酷いことをしているのは明らかだし、沖縄で日本人にも犠牲を強いる行動があったと言う事。 被爆した方に、その当時の国民はみんな気が狂っていたと聞きました。 戦時中の状況がどうであったかは分かりません。 普段の発言まで規制されたと言う事、計り知れない恐怖があったのではないでしょうか。
▲4 ▼1
=+=+=+=+=
戦後に何を言ってもそれは後出しジャンケンであり、そこに説得力はない。しかしながら、あの時代は世界中が戦争に参加し、国益のためにしのぎを削っていた。日本とて例外ではなかった…それを過ちと言うのは適切ではない。
▲130 ▼44
=+=+=+=+=
自虐史観と言うが、間違った事をして、しかもそれが大変な不幸を招いたのだから、反省が長く続くのは極めて自然なこと。日本というグループには入りたくて入ったわけでは無いが、それは運命。負の遺産は嫌でも受け継がなくてはならない責任がある。それが嫌ならどこか海外にでも移り住むべき。ドイツはそれに矛盾する事なく真摯に教育し、未来に活かそうとしている。何が間違いだったのか?どうすればそれを再び起こさなくなるかを学ぶのは、一般企業でも考える生き残りの方法。あんたは生涯何も反省する事は無かったのか?
▲31 ▼29
=+=+=+=+=
単に帝国主義国間の勢力拡大競争に遅れて参加した日本が敗れただけなんじゃないか。
もちろん欧米列強に対し謝る必要はないと思う。
ただその負けに至るまでの過程があまりにも無様であったことに尽きると思う。日本必敗の警告あるも無謀な全面戦争へ突き進んだこと、当時の指導者に責任がないなんてことはない。
戦わずば植民地、皇室解体必至とかの発言も敗戦後の日本を鑑みれば、説得力に欠ける。
その当時の為政者の責任追及を日本人自らの手で行わず、戦勝国の手にゆだねた結果が今の状況なんじゃないかな。
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
戦争は国の意思で始めるもので、国民に責任はない。自虐史観っていう言葉は国民に向けたものじゃなく、百田氏のような立場の人間に限ってあるものじゃないかね。そしてその考えを持たない愚かな政治家が国を戦争へと導くわけだろ。 当時の日本は負け知らずで、当然そんな考えを持ってなかった。だからパールハーバーに至った。それが過ち。こういう稚拙な思考の人物が政党党首をしてる事が何よりも危険。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
そんな鉄腕アトムのような白黒の議論では無いでしょう。が、日本が全く悪くない、という論説は受け入れられない。お国のためには命を投げ出すのは当然、そうしないのは非国民、生きて虜囚の辱めを受けず、といって多くの国民を死地に追いやった権力者は、終戦後すぐに進駐軍に取り入って金儲けに走った。インパールやガダルカナル、沖縄や広島、東京大空襲など被害者はほんと可哀そうだ。ただし当時世界中で植民地化が行われ、日本だけが悪かった訳でもない。世界の大きなうねりの中で、各国が集団ヒステリー状態になり、その中で特にドイツや日本の熱狂度が高かったんでしょう。民族主義が過激になると、結局今のウクライナのような悲惨な結果になる。百田さんはこれ分かっているのかな?
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
百田尚樹氏のXの投稿
石碑の中にある「過ちは繰り返しません」という文章の主語は「人類」だという主張があるが、もしイスラエルでアウシュビッツの石碑があったとして、そこに人類が主語の「過ちは繰り返しません」という文章があったと仮定してみたらどうだろう。あるいはNYの貿易センタービル跡地に同じ文章があったとしたらどうだろう。 おそらくユダヤ人もアメリカ人も、「なんでナチスやテロリストたちの罪を人類が背負わなくてはならないのだ!」と怒るのではないか。
に同意します。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
当時の日本の行為のみを見ただけの近視眼では本質をみあやまります。
それは例えば、AがBを殺した。だからAが悪いといってる様なものです。AはBを殺してはならなかったと。
海外歴史家の結論には、二十世紀の大戦は、大国の内戦あるいはイデオロギー対立による戦争だというものがあります。
日本の行動を見ているだけでは、この結論には辿り着きません。
ロシア、欧米列強がインドやアジアでどんな目的で何をしていたか。当時の中国や朝鮮がどんな状況であったのか。
これらの文脈を知らずして日本の行為を評価することはできません。
毎年の様に、反戦番組がくりかえされますが、日本から、せいぜい米国までがベースとなって反戦を呼びかけるなんともうすっぺらいものです。
当然、大戦の根っこにはかすりもしません。
▲2 ▼2
=+=+=+=+=
今も昔も、一般市民を無差別に殺害させてしまう攻撃は認められていません。それは単なるテロ行為になります。 だから原爆に対しては、米国のみが過ちを犯さないようにしなければならず、日本は関係ありません。 もし、戦争に踏み切ったことを過ちに入れるなら、戦争に踏み切った原因も過ちになります。先の戦争とは関係ありませんが、今回の米山氏の発言がキッカケで、大きな暴力事件に発展した場合には、米山氏に「過ちを犯すな」と自戒させるという話になってしまいます。
▲1 ▼3
=+=+=+=+=
当時の大日本帝国の大局の判断はまあかなり過ちの部類だと思いますよ 戦争回避するチャンスはかなりあった
大衆も中国利権を手放すなという世論になり、当時の政権が民意に押され、陸軍の暴走を許した面も否定はできない
結果、国連脱退、日独伊三国同盟、真珠湾、独ソ不可侵条約からの日米開戦
日米開戦なんて、やったら負けるってわかってて短期で講和に持ち込めるという希望的観測からの開戦 講和に持ち込むなら他の国の助けがないと絶対に無理な状況なのに国際社会ではどんどん孤立していって、結果論ですが、常に最悪の選択をせざるを得ない状況に追い込んだ、あまりにも稚拙で杜撰な国家運営だったことは否定できません
勿論、だからといって原爆投下、東京大空襲等を肯定することはできませんし、東京裁判の不当性などは保守派の主張の通りだと思います しかしながら、大日本帝国の戦略ミスはこれらとは分けて考えるべきだと思います
▲7 ▼0
=+=+=+=+=
民間人への無差別爆撃を日本にも責任があると言うのなら、今現在続いてる世界の戦争で民間人に犠牲が出たとしても、それは戦争を始めた国にも責任があると言っているのと同じである。つまりは爆撃されても仕方がないと言うこと。それなら米山さんはロシアの事を言うのはおかしいんじゃないの?
▲0 ▼3
=+=+=+=+=
米山隆一と言う人は、経歴は立憲だが、話す内容は全く論評に値しない。 自虐史観と言うよりも、戦後のある時期に、家族を失って「戦争が悪い。戦争が悪い。」と泣いている人に対して、そうだよなぁ戦争が悪いよなぁと日本人全体が一緒に泣いてあげる時間が必要だったのだわ。今の時代でも、自動車事故で家族を亡くした人に、「いやあ、自動車そのものは、社会に必要なんですよ。」って誰も言わないのと同じ。日本人の優しさだ。 80年経って、今の世代は、客観的に80年前を分析する事が出来る。欧米によるアジアの奴隷化に異議を唱えた日本人は、立派だった。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
大日本帝国であった時代は日本の長い歴史の中でも一時期だろう。その時代の国のあり方を批判的に乗り越えていくことがなぜ自虐なのかね?百田氏のような人の思考が本当よくわからんな。こういう人にとっては、軍国主義日本がそんなにも大事なんだろうな。理解も共感もできんがね。
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
敗戦国というのは徹底的に牙を抜かれ思想も変えられる。 その結果自我も薄まって同調圧力に勝てなくなります。 それが米山氏でしょうね。 百田さんの作品を見ればどれだけ勉強し多角的な視点を持ってるかわかるはずなんだけど、難癖でしかポジションを取れない立憲らしさ全開な人。 歴史は捻じ曲がるのはご近所国を見れば一目瞭然で、アメリカだって同様の手法は取ってますよ。 ただ別にアメリカに対し非難はしないし喧嘩両成敗ではないけど、どっちにも問題はあった、ご近所国みたいに蒸し返してごちゃごちゃ言わないが、ただの戦争ではなく世界で唯一の被爆国として正確な情報が大事という考えがない時点で米山氏は政治家をする資格すらない。
▲58 ▼31
=+=+=+=+=
ウクライナに侵攻したのはロシア どんな理由があるにせよ、武力で問題解決を図ろうとした。 ロシアにも言い分はあっても国際社会ではロシアが悪者だ。 これは誰がみても明らかだよね
日本がやったのも同じことだ。 過ちをみとめられない人や組織は成長しない。
▲5 ▼2
=+=+=+=+=
まあなんとも言い難いけど、当時の日本政府や軍部に過ちがあったことは確かだけど、その過ちと原爆投下を強く結びつけるのは無理がある。原爆に関しては米国の大きな過ち。戦争終結には、原爆投下が絶対必要だったとは思えない。別に百田氏の肩を持つわけではないが。 それにしても、原爆のキノコ雲を誇りにするアメリカの町があったり、いまだに半分以上のアメリカ人が原爆を正当化していることは大変嘆かわしい。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
この場合の「過ち」は戦争をしたことの過ちだと思います。 自虐史観と言いますが私は戦争を煽ったマスコミが最大の犯罪人でそれに乗った軍部や大衆も同じだと思っています。その流れが出来てから反抗することは非常にこの日本では難しい。それであの戦争に突入したと思っています。 たしかにその流れを作った一端は英米にもありますし、民間人を標的に原爆を使用したことについては歴史上類のない犯罪だと思いますが日本人に戦争責任がないとは言えない。
日本人はもう過ちを起こしたくない。 しかしマスク警察・自粛警察が現れたコロナ禍においても日本人は変わらないことが証明されました。 常に監視すべきは調子のいいことを言って大衆を扇動する連中であることは肝に銘じておきましょう。
▲20 ▼5
=+=+=+=+=
自虐史観て、事実は事実。 そもそも日本が満州事変を皮切りに中国に侵略戦争を始め、そのままインドシナ半島へ。 そこに痺れを切らしたアメリカが経済制裁。 それに逆ギレしてアメリカに戦争仕掛けた日本。 原爆投下は決して許されない行為でありアメリカの過ちであるが、日本が侵略戦争を始め最終的にアメリカとの戦争に進んだことも当然とんでもない過ちである。 よく15年戦争と言われるが、その内アメリカとの戦争はわずか3年8ヶ月。 アメリカに経済制裁されるまででも10年以上アジア侵略してきたわけで、日本も当然大変な過ちを犯してきた。
▲7 ▼0
=+=+=+=+=
当時の日本は満州事変で国際連盟からも脱退し世界中から嫌われ唯一友好国なのはナチスぐらいだったという現実は直視したほうがいい。あれは誰がどう見ても国家的に過ちを犯しているからな。アメリが全部悪いようなこと言ってるけど、そのような事態になったのはそもそも日本の過ちが全て。
▲28 ▼15
=+=+=+=+=
どっちが悪いとかじゃないんだけど。どちらも悪い。犠牲になった人たちは、なぜ犠牲にならなきゃいけなかったのか。戦争なんかするからだよ。慰霊碑の言葉の主語になるのは、そこで祈りを捧げる「あなた」自身だと思ったらいい。自虐どうこうとか、もうどうでもいい。この方々は、つべこべ言わず、慰霊碑の前で祈ってこいと思う。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
核兵器の使用は「絶対悪」と言うのは当然ですが 日本が侵略されたわけでもないのに、戦争を起こしたことで、結果、原爆は投下された。ゆえに「日本には過ちが無い」とは言えないと思う。 日本兵に殺された、なんの罪も無いアジアの一般市民にとっては、「日本には過ちが無い」なんて絶対に思えないだろう。
▲40 ▼50
=+=+=+=+=
明確に政治的な過ちですよ。 まず戦争をしなくて済むような外交戦略の失敗。戦争の目的、目標を定めずに開戦した失敗。開戦後、戦況に優位なうちに終戦工作をして終わらせなかった失敗。世論と軍をコントロールできず開戦せざるをえなくなった世論工作の失敗。
「自虐史観」だなんだのトンチンカンな精神論をいってるとまた同じようなことを繰り返しますよ。なぜ日本は戦争をしたのか、せざるをえなくなったのか、を分析、国民の多くが認識することが肝要です。
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
戦争してしまえばどちらが悪いとかはどうでもよく、勝てば官軍負ければ賊軍。 だから日本は悪くないとか、悪いところがあったとかいうのは自虐史観だとか、そんなのは詮ない話。 戦争したのは過ちなのか、と言われれば過ちだ。しかし帝国主義の米英露に追い込まれた結果の戦争だったとは思う。 戦争してしまえばあらゆる異常が日常になる。それが過ちだとする理由だろう。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
日本は米国に原爆を投下された被爆国としての、米国に対しての被害国の面はあるかも知れないが、結局のところ、戦争という手段では戦勝国が正義になる。 自虐史観への否定を強調するのは結構だが、東南アジアに於いて行ってきたことは、少なくとも正義ではない。すなわち過ちがあった事を認めるべきだ。 満州も古来よりの日本領土ではなかった事は明白。 自虐史観、何々史観を振りかざす前に、一応国会議員であるならば、エビデンスのハッキリした正しい歴史をまずは語っていただきたい。 1960年代、東南アジア全体に半日の嵐が吹き荒れていたのを忘れてしまったのか?
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
日本が戦争を避けられなかった責任はあるでしょう。 しかし原爆=戦争ではありません。 戦争責任と原爆投下の責任は別ですよ。
原爆投下を行ったのは誰でしょうか。 無差別に大量虐殺を行ったのは誰でしょうか。 国際法を違反したのは誰でしょうか。 その責任は誰にあるのですか?
百田氏の主張は正当だと思います。
▲151 ▼41
=+=+=+=+=
「ごく普通に解釈して、戦争を開始した日本にも過ちがあり、原爆を投下した米国にも過ちがあるという極めて真っ当な言葉でしょう。戦争を開始した日本に過ちがないかのように言い募る事こそ、却って米国の過ちの認識をも失わせてしまう、過ったものです」と指摘していた。
極めてまともなことを言ってるだけ もっと言えば 負けるのがわかりきってるのに 意地を張って降参しなかったから 原爆を落とされたり沖縄を攻撃されたりしたんだよ それなのに当時の日本の責任者たちは、誰1人国民に謝りもしなければ 賠償の責任もしなかった
家を焼かれ、畑を焼かれ 家族を空襲で殺された人たちは数知れず 国民をそんな目に合わせても 東京裁判でA級戦犯たちは ふんぞりかえって、悪びれた態度もなく、国民への謝罪すらなかった
本当に日本国民が責めなければいけないのは、当時の日本の指導者たちなんだよ
▲4 ▼2
=+=+=+=+=
広島市の見解は「戦争という過ち」について言及しているが、「原爆投下という過ち」について言及していない。
被爆者の中には、あの戦争に勝てるよう銃後で頑張っていた方も多いだろう。広島市の解釈では、原爆犠牲者も過ちを犯していたことになる。「あなたが犯した過ちは繰り返しませぬ」ということにもなる。「日本は開戦という過ちを犯したから原爆を投下された」という主張にもつながる。やはり、自虐的な文になっている。
広島としては本来「原爆投下という過ち」に対して声を上げるべきだったのに、何者かによって「戦争という過ち」にテーマがすり替えられ、自虐的主張が叫ばれることになってしまった。
「戦争という過ち」と「原爆投下という過ち」はしっかり区別して、広島市としては、後者に対して声を上げたほうがわかりやすい。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
実際に、沖縄戦がさけがたい状況(硫黄島維持困難)を見て降伏していれば少なくとも、沖縄戦、広島長崎の原爆被害者、東京大空襲などでの50万人以上のにほんじんぎせいしゃをだしたんだからそのこと(降伏決意)だけで”にほんにもあやまち”というのはごく当たり前。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
保守だからって戦争を肯定するわけではないので、この人はかなりズレてると思うんです。 日本の歴史全てを肯定的に捉えればいいということは無いんです。保守でも。
過ちという面では、うまく降伏できなかったのが過ちです。大和魂があれば何とかなるという精神論を派手に唱える輩を抑えられなかったのが過ちですね。
一方で原爆についてはアメリカの実験でした。どれぐらい被害が出るかに興味津々だったと言えます。それも戦争を是とする時代の行き着くところでしょう。 戦国時代の人に殺しはいけませんよと言ってもね、後から見ればなんですよ。 それでも戦争は良くありませんと認識し続ける事です、肯定するような事はなく。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
歴史認識は時代とともに変化する。掘り起こされる歴史もある。 過去を振り返りながら、日本人の心をどう育み、将来へとつなげるかは重要だろう。戦後の自虐史観をいつまでも引き摺ってはいけない。将来の子供たちをどう育てていくかは、日本人の国際主張とも重なり、世界に胸を張って生きられる子供を育む必要があるだろう。 歴史はそれを引き継ぐ人々によって変化するものではないか?
▲444 ▼263
=+=+=+=+=
当初原爆は、 ①無人島に投下②軍事基地に投下③都市に投下の3つの案が合った。①でも良かったのに対ソ戦に向けて優位に立つ為、また実際どれくらいの人が亡くなるのか試す為、③で広島・長崎が選ばれた。 民間人を攻撃するのは立派な戦争犯罪。そしてその責任はアメリカ大統領トルーマンにある
▲128 ▼5
=+=+=+=+=
日本の中国本土侵略(日中戦争)→米英などの経済制裁→ナチスドイツと同盟して仏印進駐(南方資源地帯への威嚇)→経済制裁の強化(石油など禁輸)→真珠湾攻撃・マレー半島上陸…という歴史の流れを追えば、日本の強引な大陸進出が米英との戦争を引き寄せたのは反論の余地がない事実。その延長上に本土空襲や原爆がある。ゆえに、非道な核兵器の使用は許されない一方、戦争を始めたのが日本であることは揺るぎない事実。しかも、占領地域で相当非道なことをしている。原爆は正当化できないが、帝国日本の行動にも問題がある。これは自虐史観ではなく、客観的な事実。ゆえに「過ちは…」の碑文は双方にとって意味があると考える。「日本は悪くなかった」と声高に言い切る輩は、まずは客観的な史実を学ぶべき。
▲22 ▼16
=+=+=+=+=
資源のなかった日本による自衛のための戦争だった旨の証言をマッカーサーはしていますね。結局、原爆を落とされるまで戦わなかったら、日本の国体は今と全く異なるものになっているか、日本国自体がないかもしれない。本当に過ちだったんでしょうか?個人的には、この「過ち」のくだりには違和感があります。
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