( 314790 ) 2025/08/10 02:55:27 2 00 注意欠如多動症(ADHD)の児童数4年間で1万4000人増――「発達障害が増えている」と言われる“本当の理由”《専門医を取材》東洋経済オンライン 8/9(土) 8:30 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/3558edd973caaa370c40cd46be5396bfe0845ee3 |
( 314791 ) 2025/08/10 02:55:27 1 00 近年、発達障害の診断を受ける人が増加している背景には、診断の概念が広がり、社会的な認識が高まったことがある。
発達障害に対する適切な対応としては、特性に応じた環境調整が重要であり、育て方にも工夫が必要とされる。 | ( 314793 ) 2025/08/10 02:55:28 0 00 発達障害が増えている背景に迫ります(写真:polkadot/PIXTA)
近年、発達障害の診断を受ける人が増えているというが、その背景には何があるのか――。
発達障害が専門の児童精神科医で、『発達障害・「グレーゾーン」の子の不登校大全』などの著書がある本田秀夫さん(信州大学医学部子どものこころの発達医学教室教授)にお話をうかがった。
■発達障害とはどういうものか
「発達障害とは、“生まれつき脳神経系に普通の人とは違う何らかの特徴があるために、人生のとこかで生活に支障が出ること”をいいます」
これまで30年以上、発達障害の専門医として診療を続けてきた本田さんはこう話す。発達障害とひとくちに言っても自閉症スペクトラム症、注意欠如多動症などさまざまな診断名があり、それぞれに違う特性がある。
代表的なものは以下の通りだ(※外部配信先では図表を閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください)。
本田さんによると、「どれか1つの障害の特性が見られることもあれば、複数の特性が重複して見られることもあり、その程度も人ぞれぞれ。知的障害を伴うこともあれば、伴わないこともある」とのこと。
また単にこうした特性があるだけではなく、本人や周囲がその特性によって日常生活に支障が出たときに診断がつくという。
そんな発達障害だが、近年になって急激に増えたといわれている。
実際、文部科学省の特別支援教育資料(2023年度)によると、公立小学校で通級指導(通常の学級に在籍しながら特別教室も利用すること)を受ける注意欠如多動症の児童数は、2019年度には2万626人だったが、2023年度には3万4654人に増加している。
自閉症スペクトラム症や学習障害の児童数も同様に増えていると考えられている。
今の子どもに発達障害が多い原因については、「昔ながらの遊びをしないから」「食品添加物や農薬が悪影響を与えている」「親の育て方が悪い」などさまざまな説があるようだが、どれも根拠はない。「発達障害の人が本当に増えたというよりもむしろ、発達障害と診断される人が増えたと考えられる」と本田さんは話す。
■発達障害が「増えた」理由
では、発達障害だと診断される人が増えたのは、どうしてだろうか。「1つには昔に比べて診断概念が広くなったため」と本田さん。
「例えば自閉症スペクトラム症でいうと、1980年代くらいまでは、知的障害を伴う場合、あるいは対人関係がほとんど成立しない場合など、限定的でした。でも今は、ある程度は話が伝わるけれど会話のキャッチボールが成立しない、興味のあることなら話せるけど雑談は苦手、といった場合なども含めるようになりました」
これには、国際的に用いられている診断基準が改定されて、診断の枠組みが広がったことも大きいという。
そしてもう1つは、発達障害という言葉が社会に広がり、多くの人から認識されたこと。これにより発見されやすくなり、支援や療育などにつなげられるようになった。
「現在は、乳幼児健診時に医師や保健師によって発見されたり、幼稚園や保育園の先生方が気づいたりすることで診断につながることが多いです。受診のハードルが下がっているので、親御さんが医療機関に相談しやすくなったということもあります」(本田さん)
さらには、発達障害を診療できる医師も増えたため、診断数が増えたことも挙げられる。
発達障害と診断される成人が増えていることも理由の1つだ。
「発達障害は、少し前まで子ども時代に診断されるものだと考えられていました。ところが、忘れ物やミスが多い、片付けられない、時間を守れないなどの不注意症状が子どものときはなんとかなっても、大人になってから仕事や生活に支障をきたすようになり、“もしかして自分は発達障害ではないか”と受診するケースがあります。ここ15年ほどでずいぶん増えました」(本田さん)
■特性に合わせた環境調整を
こうした発達障害には、どのような対応が望ましいのだろうか。本田さんは「特性をなくそうとするのではなく、それぞれの特性に合わせて環境を調整することが大事」だとし、こう続ける。
「発達障害は特性なので、治ることはありません。僕は〈グレーとは 白ではなくて 薄い黒〉という川柳を作ったのですが、発達障害の程度はさまざまで、濃い黒の場合もあれば、薄い黒……つまりグレーの場合もあります。しかし、どんなに薄くても白にはならない。白を目指してしまうと、本人も周囲も苦しくなります」
子どもの場合は、学校選びが重要なポイントとなる。
学校の教育方針や校則が子どもに合うか、生徒指導のあり方などが子どもの成長のペースや特性を踏まえたものであるか、主治医や学校の関係者と相談しつつ、検討していく必要がある。どう頑張ってもなじむことの難しい環境に無理やり放り込んでしまうと適応できず、不登校やうつなど2次障害が起きるおそれがある。
「平均的な育て方に合わせようとすることは、あまりよくありません。もちろん、勉強でも運動でもなんでも人並みにできたほうがいい……と思う親心はわかります。でも、特性に合わないことを無理にさせても、興味が持てなかったり不可能だったりして、プラスにはなりません。その子の特性に合わせて育てることが大切なのです」と本田さん。
先に述べた通り、子どもの発達障害は乳幼児健診で見つかることがほとんどだが、心配な場合は地域の児童発達支援センターや子育て支援センター、または小児科や児童精神科で相談するという方法がある。
本田さんは「療育などが必要な場合は紹介してもらえますし、就学時にも通常学級がいいのか、通級がいいのか、それとも特別支援学級がいいのかなどを助言してもらえます」と言う。
■その人らしさが活かせる職場で働く
職場選びに関しても同様で、自身の特性に合う内容の仕事を選ぶことが重要だという。
「発達障害の人には確かに不得意な作業や行動があります。でも、一方で苦手さが目立たない分野もあるはずです。その人らしさが活かせる職場で働くのが一番です」(本田さん)
障害がある人の働き方に関していうと、2024年に事業者が障害者に「合理的配慮」をするよう法律で義務づけられた。
合理的配慮とは、「障害のある人が、障害のない人と同じように教育や仕事など社会参加の機会を得られるようにするために、必要な環境調整を行うこと」をいう。
本田さんは、「職場に限らず教育の場面でも合理的配慮が求められる」と言う。わかりやすい例は、学習障害のある子どもへの合理的配慮だ。
学習障害で文字を読めるけれど書けない場合、黒板に書かれた文字をノートに書き写すのは難しい。そういうときに黒板を写真に撮ったり、タブレットに入力したりできれば、その子も他の子と同じように学ぶことができる。それは決して「特別扱いを受けてずるい」ということではない。
「発達障害を視力に置き換えると、理解しやすいと思います。視力が悪い人が、勉強や仕事をするためにメガネやコンタクトレンズをつけることを『ずるい』と言う人はいませんよね。それと同じことです」(本田さん)
■キャラクターの1つと捉える時代へ
発達障害という診断名が、ときに人の特性を揶揄する言葉として使われることがある。
しかし、誰でも多かれ少なかれ発達に凹凸はある。そうした部分とどう向き合うか。他人事ではなく自分事として捉えることがこれからは大切になっていく。
「誰にも苦手なことがあるけれど、日本人は努力でそうした苦手なこと、弱点を克服しなくてはならないものだと思っていますよね。だから、苦しくなってしまうのだと思います」と本田さん。
苦手な部分も含めて、自分の一部。そう思うことが発達障害の人への理解につながるのではないか。
最近、英語圏では自閉スペクトラム症の人を「Autistic Person(オーティスティック パーソン)」と呼ぶべきだという意見が当事者から出されているという。少し前までは、「障害がある人」という意味で「Person with Autism」という表現が使われていた。
「特性を病気と見るのではなく、明るい、泣き虫といったキャラクター、またはパーソナリティだと考えるようになってきていて、病気や障害を『持っている』というニュアンスがある『with』は使われなくなっています。『Autistic Person』というのは、まさに『明るい人』みたいな感じで使います。そのような捉えかたが広がっていくと、障害とまでは見なくてもいい人がもっと増えるのではないでしょうか」(本田さん)
大西 まお :編集者・ライター
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( 314792 ) 2025/08/10 02:55:28 1 00 このディスカッションでは、発達障害を持つ子どもたちの増加について様々な意見が交わされています。
1. **診断の広まり**: 発達障害という言葉が浸透したことにより、以前は「ちょっと変わった子」と見なされた児童が、今は正式な診断を受けるケースが増えているという意見が多く見受けられます。
2. **環境の変化**: 現代の教育システムや社会の要求が複雑化しているため、昔よりも多くの子どもが適応に苦しむ余地が増えたと感じる意見があります。
3. **個人の特性に対する理解**: 個々の特性を理解し、適した環境を整えることの重要性が強調されています。
4. **家庭環境の影響**: 親が子どもに対し、診断を通じて理解するとともに、必要なサポートを得るために動く姿勢が見受けられます。
5. **社会的な偏見や誤解**: 発達障害に対する偏見が根強いことが多く、通り一遍の理解 does not reflect the complexity of individual situations. 理解を深め、支援を行うことが今後の課題とされています。
(まとめ)例えば、発達障害に対する認識や支援の仕組みが整いつつある一方で、診断の基準や支援の必要性についての理解が求められ、また個々の特性に応じた配慮がなければならないという現実が浮かび上がっています。 | ( 314794 ) 2025/08/10 02:55:28 0 00 =+=+=+=+=
幼稚園で働いていますが、20年前に比べて本当に増えたと思います。それと同時に「昔いた、あの子も今だったら支援を勧めたなぁ」と思うことがあります。つまり、昔は「難しい子だなぁ」だけだったのに、今では名前がつく。悪い意味ではなくて、その子のことを理解してその子にあった対応を考えていける。配慮していける。どっちが良い、とかではないですが、そういう時代になったんだ、と思います。
▲21702 ▼720
=+=+=+=+=
長年、特別支援教育に携わってきました。いろいろなタイプの発達障害の子どもを見てきて思うのは、昔クラスにいたちょっと変わった子、例えば、じっとしていられない子、忘れ物がすごく多い子、会話が成立しない子、友達のいない子、感情のコントロールが難しい子などは、発達障害の可能性があったということです。支援などという考えのない時代、叱られて我慢して生活するしかなかったのは気の毒なことでした。 今はこうした子たちが発達障害と判定を受け、多くは通常の学級に在籍しています。彼らが必要な支援を受けるためには、1学級の人数を減らした上で、教員なり支援員なり発達障害の子に個別の対応をする人員が必要だと思います。
▲6 ▼0
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うちの子も今で言えば発達障害だなぁと思います。適切な育児とか環境づくりしてあげればよかったなとつくづく思い、大変な思いをたくさんさせたなと思います。救いなのが本人も自覚していて、自分なりに社会に適応するよう、工夫して生きていること。自分に適した環境で仕事をして、変なスイッチが入らないようにしています。頭で分かっていてもスイッチが入るとこを止められない。だからスイッチが入らない環境で生きるように頑張ってます。社会の王道で生きていなくても最高の人生で最高の息子で世界一大好きと、大人になっても言い続けて、とにかく前向きに明るく生きてくれるよう願っています。
▲2457 ▼135
=+=+=+=+=
私はASD強めのADHDです。SDも持っています。書いてある文字を理解するのに人より時間がかかります。それが分かったのは56歳になってからです。心療内科に通って色々と教わって初めて理解しました。ストレスがかかると症状が強目に出ることもわかりました。振り返ると幼い時から待ってました。そのために何度も親に怒られたことがあります。今は症状を理解し、対応することでなんとか出来ています。多くの方が正しく理解して頂き、苦しい思いをしてる人が一人でも少なくなればと思ってます。
▲310 ▼36
=+=+=+=+=
20年ほど保育士してます。確かに発達障害という言葉が広がって早くから診断されるとか親が気づきやすいとかあるかもしれないけれど…昔はあんなにクラスの大半が話を聞かないなんて事あったかなー(>_<。)って気持ちです。 それと…大きな声では言えないけど、本来は生きられないような子も生きてしまう事もひとつあるのかな、なんて思います。そんなうちの子も発達障害…生まれてすぐに手術をしてなかったら多分1歳までは生きられなかったって言われました。それでも生きて欲しかったし、けど子どもにとって本当に良かったのかなとも今でも思っちゃいます。難しい世の中ですね
▲11845 ▼534
=+=+=+=+=
元々、生物の、特に人間の脳の働きというものは想像以上に複雑で様々な要素の影響を受け易いようだ 化学物質だけでなく人間関係によってもダメージを受ける例がどこにでもある そういう微妙なバランスの上に成り立っているものなのだろう
私は色覚特性を持っていてかつては「色覚異常」と呼ばれていた 生物学的には原因は解明されているが、それとは別に社会的に 「みんなと同じ見え方・反応が正常 違う点があると異常」というイメージが強い 「え? これが判らないの?」と何度も言われる時代を過ごした
脳の働きはそんな簡単に正常異常と分類できるものではないという前提で考えないと、脳の特性も優劣と捉える人が後を断たないのではないだろうか
▲28 ▼3
=+=+=+=+=
少し前に職場に来たとても優秀な子がいましたが、集中力が凄くて、スイッチが入っている時は全く周りの声が聞こえなくなる。そして、集中に入るスピードが速い。 学業成績は抜群で当たり前のように東大を出ていたが、向こうからコミュニケーションを始めないと上手く話ができない。
適正にあった業務ならば、ものすごいパフォーマンスが出そうだけれども、上手くフィットしないと問題社員になる、そんなタイプ。
見極めて、活かす。 数が多くなっているのならば、ますますそう言った姿勢が必要なんだろうな。
▲5711 ▼189
=+=+=+=+=
今と比べて昭和は社会が単純で、マルチタスクが無理な人でも職場に居場所がありました。 今は同時にいくつものことに気が回らないと難しいです。 学校においても 黙って邪魔にならないよう座っているだけではダメ。 主体的、能動的に動くことが求められます。
特性が昔より目立つんだと思います。
▲4492 ▼274
=+=+=+=+=
上司の世代を見ていても、多分発達障害かな?って人割といますもんね。診断概念が広くなったとか・多くの人から認識された・発達障害を診療できる医師も増えたことで、昔だったらスルーされたこういう人が発達障害として拾い上げるられるようになったんでしょうね。 ただ、個人的には発達障害があっても上の世代はそこまで困らなかったのかなとも思います。 社会のあらゆる仕様・制度・サービス・仕事等が複雑化したことで、発達障害が原因で困るような事態に直面する人が増えたのかなとも思います。それで必要があって病院を受診する人が増えたのかもと。
▲3074 ▼202
=+=+=+=+=
発達障害の子が増えたというより、認知件数が増えたが正しいと思います。
私が小学生の頃、明らかに勉強が苦手でもじもじしてて、体の動かし方も話し方もぎこちない同級生がいました。特に分けられることもなく、できないことも多いので教員も叱咤してよく泣かされていました。
彼とは別のタイプもクラスに1人くらいはいたので100人いたら5人くらいは診断無しで見過ごされていたんじゃないかな。
▲2368 ▼180
=+=+=+=+=
技術の進歩によって色々なことが分かったことで、潜在的にいた発達障害の人が顕在化したというだけで、昔はそれが分からなかっただけだったんだと思います。
でも私の持論ですがやはりトレーニングだと思います。私は名前をつけられていませんが何かしら障害を持っていると思っています。
それでも普通に生活はできています。それはこれまで生きてきて周りの環境に恵まれて鍛えられた結果だと思っています。
障害だという肩書きつけるのではなくて、それが当たり前でそれを乗り越えられる環境づくりを目指すべきだと思います。
▲275 ▼32
=+=+=+=+=
ADHDの大人の特徴って調べてみたら社会人でもよくある特徴が書いてありました。 頻繁ではないが、自分も記載されていたミスを何度もやらかしてきました。 子供の頃から診断される事で、救われる子供もいるが、逆に失敗する体験を逃してしまう子供も出てくるのでは?と思います。 失敗する事は決して悪いことではありません。 社会に出れば、良い事も嫌な事もあります。 肝心なのはそこを乗り越える力を養えるようにしてあげることかと。 でも自分の特性をしっかり知ることって大切なことですね。
▲1212 ▼153
=+=+=+=+=
いつも先生に怒られていた子とか、トラブルメーカーだった子とか、多分そうだったんだろうなぁと思う。 兄も大人になってから診断がついた。なんとなくその場その場では要領よくかわすことができても、好きなこと以外はとことんやる気が出ず、コツコツ進めたりスケジュール管理をすることが極端に苦手で職を転々とし、双極性障害となり、ADHDの診断をもらった。 今は奥さんの実家の農業を継いでる。無理やりサラリーマンしてた頃と違っていきいきしてる。ほとんどの人が農民だった時代なら、ちょっと賑やかでかわったところのある人ぐらいだったのかもしれない。
▲916 ▼23
=+=+=+=+=
特性に合わせた職場環境を
子どもは今やっているアルバイトをそのまま 卒業後も社保完備バイトに切り替えてもらい 続けるそうです
一般企業の正社員は無理だと自ら判断して 私達親に宣言してきました。学校の先生は もちろん親もバイト先の年上の人にも、新卒で 正社員就職を勧められてもガンとして聞きません
ごくごく平均な一通りのルートで社会人になって ほしいと思い、療育も通わせ大学にも行かせ ましたが…本人が良いならいいのか、と
療育ですが、うちの子どもが通い始めた17年前は 割と早く、教室も専門病院予約も決まりましたが 今はどちらもキャンセル待ちで(特に大都市圏) そんなに増えてるのかな、という印象です
▲931 ▼74
=+=+=+=+=
昔(昭和)の人から「馬・鹿・と天才、紙一重」という表現を聞いたことがあるが、今でいう発達障害だったのではと思う。「日常生活ではイマイチだけど計算をさせたらスゴイ人だった」とか、世の著名人たちにもそういう逸話は聞く。
一昔前までは「普通であること」が重要視され「我が子の生きづらさ」に目を瞑り診断を受けずに「普通だ」と無理していた人たちが、我が子のために診断を受け必要な支援を受け、生きづらさを取り除く方向を良しとするようになったということだと思う。
▲593 ▼69
=+=+=+=+=
うちの子は自閉症グレーで診断は受けていません。病院には行きました。 集中すると周りの音が聞こえなくなる・聞こえているけど聞き取れなかったり。逆に色々な音を拾ってしまうこともあり、疲れてしまいます。特に大きな集団が苦手。小集団や個人で動いている分には優秀だと思う。 療育に通って、自分の気持ちの伝え方・落ち着き方・対人関係など学んでいます。本当に療育ってすごい。自分の気持ちを伝えるようになるだけで、心が落ち着ちつき、怪我も減るし、今やっている活動には参加出来なくても次は出来るようになったりする。 保育園や幼稚園の先生もよっぽどじゃないと指摘してくれないです。指摘されてから療育を受けるまで1年掛かります。親の心労はあるけど、何もなければそれでいいしね。とりあえず、個人面談の時に何か気になることがないか・あったら早めに教えて欲しいと伝えておくと良いと思います。
▲664 ▼74
=+=+=+=+=
障害者支援に従事しています。環境整備というのは本当にその通りだと思います。なかには天才的な発想や作品を作る人もいれば、いわゆる「普通」や「常識」を求められる一般企業に行って孤立してしまっているケースも少なくありません。そういう人の中には勉強が出来る人も多く、有名大学出身者も珍しくありません。環境という中にはなるべく他者とのコミュニケーションの機会が少なく、また特化した能力があるならばその強みを生かした働き方をしていく、という教育を若いうちから伝えることが重要と思っています
▲463 ▼38
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発達障害や身体障害、精神障害など障害というのが何なのか理解できていない人が多く、これが誤解や偏見を生んだり、合理的配慮という概念が受け入れられなかったりする原因だろう。外国人への理解が広がって、今では街中で見かける外国人に奇異の目が向けられることがなくなったように、障害者などもきちんと理解され、その持っている潜在能力を生かせる社会にしていくのが理想ですね。
▲985 ▼192
=+=+=+=+=
子供が発達障害です。小学校にあがってから手がつけられなくなり、自分の育て方が間違ってたのかと思っていましたが、学校から勧められて診断を受けました。発達障害と診断され、なんだか心が楽になりました。自分が悪いのではないと。これからは子供にあった支援を受けながら進学先を決めていきます。悩んでる方は是非勇気を出して診断を受けてください。
▲600 ▼72
=+=+=+=+=
障害に対する支援があることによって診断が増えているという側面もあるのかな、と思います。別にそれが悪いこととは言わないが、療育や放デイなどの支援を受けたい場合診断書が必要ですが、グレーの場合でも支援が受けられるように医師は「ADHD」など書いてくれることが多い。支援サービスを受けないなら診断書は必要ないので、支援サービスが増えれば数字上の障害者は増える。これは、生活保護や傷病手当を貰う為にうつ病の診断書を書いてもらう場合などにもあてはまる。昔は支援サービスが無かったので見えなかったものが、見えてきた、ということで絶対数が増えているのかどうかはわからない。
▲316 ▼22
=+=+=+=+=
最近、ADHDとか発達障害って言われる子どもが増えてるけど、理由はいろいろあると思う。 まず、診断の基準がすごく曖昧で、数値で判断できるものじゃないから、結局は主観で決められてる部分が大きい。 それに、親も先生も昔と環境が変わってきてる。共働きが当たり前になって、親が子どもと向き合う時間が減ってるし、先生も忙しすぎて、効率重視の教育になってる。 最近はネットにある簡単な診断を見て「自分はADHDだ」って決めつけて、努力や我慢をしようとしない人も増えてる気がする。 そういうのって、本当に支援が必要な人たちに対して失礼だし、社会の支えを悪用してるように見える。
▲378 ▼57
=+=+=+=+=
たしかに診断体制が整ったり科学的な根拠が伴ってきたことが増加の要因だろうと思う。私は仕事上田舎の村を回ることが多いが変なお年寄りは多い。老化によるものか精神疾患なのかははっきりしないが昔はちょっと変わり者程度で正式な診断と病名はつかなかった。それでもそこそこ仕事があったり仲のいいご近所さんがいればやっていけた時代です。今は正式に病名がついたほうがやりやすい場合があります。無理矢理つけてもらっている人もいるようで、その辺今後の課題と言えそうです。
▲165 ▼13
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医師の言うことはよく分かりますが、個性として捉えて対応しなければならないという風潮が根付いてくると結局そういう個性を持ち合わせない人達(いわゆる「普通」の人)が何らかの我慢や努力を強いられることが当たり前になってます。 人の感情が理解できないタイプの人、こだわりが強すぎる人などと関わらざるを得ない状況はいわゆる「普通」の人にはとてつもない苦痛である場合も必ず存在します。 なかなか線引きが難しい領域ですが、いわゆる「普通」の人に精神的にも肉体的にも苦痛を与える振る舞いをする人にはただ我慢したり相手に合わせるのではなく何らかの法的な対策が必要だと思います。ある基準を満たせば強制的に受診して診断治療につなげられる制度などあるといいのかもしれません。
▲310 ▼38
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増えたと言うよりは発達検査のハードルが下がり、療育への支援が繋がりやすくなったのかなと思います。 うちの下の子も3歳まで発語がなく、お願いしたらすぐ発達検査・療育へと繋げてくれました。
幼い頃から行動療法やばあいによって薬物療法が受けられるのはいいと思います。 うちの主人も去年の頭にADHDと診断されましたが、ほどなくして無断で500万の借金をしていることがわかりました。
その時の欲求のみで後先考えず借り入れやリボ払いを繰り返した結果でした。 心療内科での診断書にも「金銭管理ができない」と記載されてるので発達障害が原因とみて間違いないです。
もうすぐ離婚調停があるため、子供たちと別居中ですが子供の頃に適切な対応がなされていたら違ったのかなとも思っています。 自分語りすみませんでした。
▲358 ▼51
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小学校の教員を40年近くやりましたけど、検査でそう診断される子どもということでは済まないくらい動き回る子どもが明らかに増えていると断言します。周りの先生たちも同様の認識です。今や1年生のひとクラスの1/4が話を聞けない、立ち歩く、状態。昔はこんなにキレやすい子や落ち着きのない子どもはこんなに多くなかった。そもそも怒りやすいという特性自体がそんなに多くはなかった。特に男子に多いし。性差もものすごく感じます。 単にこの記事のように括るのは簡単ですが、診断がつく子どもが増えただけでは絶対にないと思っています。多分60歳前後の先生たちは痛感してると思います。
▲167 ▼7
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昔は今と比べて診断する人が少なかったのもあるでしょうが、診断していなくても行動などから「アイツは何か持っているのでは」と周りが察することもあったでしょうし、障害を持つ側が(本人やその親など)まるで何かの免罪符のように障害の名前を出して「だからしょうがない!」と周りへの迷惑を開き直ることや「配慮がない!」と騒ぐことも少なかったと思います。 なので他の皆さんがおっしゃるように、人数が増えたというよりは元々それなりにいた障害者がさまざまな目的やきっかけでこぞって診断して病名をつけてもらっているだけでは、と感じました。
▲365 ▼56
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医学の進歩により、本来生まれてこなかった命が助かったり、不妊治療、高齢出産など、これらも一つの原因はあるのかなと思います。 保育士をしていますが、やはり気になる子の保護者をみると高齢の方が多いです。 高齢出産が悪いとは言うわけではないのですが、そういうリスクは高くなります。 そして親が亡くなった後の面倒を誰が見るのかという心配もあります。 発達障害でなくてもいろんな人はいます。 みんなが笑って楽しいと思えるような、それぞれ思いやりをもてるような、世の中になるといいなと思います。
▲654 ▼171
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40代ですが自分は小さいころから周りに馴染みにくく一人でいることが多いです。 話すのも緊張するし自分がどう思われているのかを常に考えていて疲れます。 かといってみんなが集まる場所、十年以上ぶりの同窓会に出席したりして楽しかったりすることもあります。 たぶん打ち解けにくい人間なんだろうな。 打ち解けたらたぶん、面白い人間に違いないのですがこの年齢になっても変わりません。 これが発達かどうかはわかりませんが息苦しさは幼少期からあります。
▲186 ▼19
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仕事上、発達障害児と保護者の方と接する事が多いのですが、現状では、医療上の診断が先行し、今の法や制度では、行き場のない子ども達が増えて収集がつかない状況になることはわかっていること、早急な教育制度の改革、具体的には公共の施設と専門職員、などの支援体制を作ってもらいと問題解決にはならないと思います。民間の施設に頼り切りの現状に疑問を持ってしまう。未来を背負う子ども達をもっと大切にしていく事が今の日本の課題でもあるとおもいます。
▲186 ▼30
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発達障害の多くは遺伝的要素の強さを否定できないと聞いたことがあります。 ASD要素が強ければ他人との距離感が一般の人と少し違うことが要因だったり、ADHDなら衝動性の強さから、後先考えず子供を多く持ってしまって、半ばネグレクトのような形になることあります。 いずれにせよ要素を持った子供達が増えれば、グレーゾーンも含めて診断が増える傾向にあるのは仕方ないことだと思います。 早い段階で療育などを受け、特性に対して対策ができるのが理想ですが、なにぶん親自身が、『自分が子供の頃となんら変わらない子供を見て、何がおかしいと言われる部分なのかわからない…』ということもあるようです。 また、母親は療育を望んでも、父親やその両親らが障害者扱いを拒み、積極的に受けられないというパターンも聞きます。それでも学校からの指摘や迷惑をかけた際の謝罪は母親が関わることが多く、疲弊していくというのはよくあることです。
▲103 ▼7
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我が子も知的障害を伴う自閉症と3歳のとき診断されています。今は特別支援学級に在籍していますが中学校からは特別支援学校に進学を考えています。ですが、1番近くの特別支援学校はとても希望者が多く、中学校からだと療育手帳が中度重度でないとなかなか入れないと言われました。うちの子は中度→軽度→中度(現在)となってますが、それでも厳しいらしく…やはり発達障害っ子が増えてるのかなという印象あります。 早期の療育ができるような世の中になったのはありがたいですが、やはり増えてるとなると対応する学校や職員の方がたの不足が今後心配されるかと思います。
▲111 ▼8
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保育士をしています。各クラスに、本当に支援が必要なこどもが増えています。その子の特性に合った保育をしてあげたくても、とにかくクラス全員が、怪我をせず、無事に1日を終えるだけで、精一杯です。保育士配置人数、本当に見直していただきたい。そして、保育士になりたい!保育士に復職したい!人が増えること、切に願います。
▲111 ▼2
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うちの子もそういう指摘を受けたのでいわゆる「療育」サービスを受けることにした家庭の一つ。結果から言うと療育を受けていたことによりかなり軌道修正が出来、周りの子供たちと遜色ない身振りが出来るようになった。本質的なものは消えないと思っているが、子育て初心者の親が軌道修正の為の「普通」のカリキュラムを考えて教えてあげるのは困難なので、ADHDの可能性を感じたら積極的に療育のサービスは使うべきだと思っている。
▲98 ▼9
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児童発達支援で働いています。病院で診断されて来られる方には、明らかに支援が必要な子から、「え?この子に支援が必要?むしろめちゃくちゃ良い感じの発達だと思うんだけど」って言う子までいる。診断される人数が増えてるのは、厳しい診断基準を用いているから限りなく白に近いグレーゾーンの子まで拾ってしまっているところがあると思う。
▲182 ▼11
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発達障害の診断は血液検査で分かるものでは無いので 診断の精度も100%ではありません。私も過去に精神科で知能検査(WAIS)を受けた際に能力に凹凸が有りすぎて発達障害と診断されたことがあります。しかし時を経て再検査してみると他の心理検査も平行して行う流れになり、相変わらず能力の凹凸はあれど発達障害の診断はされませんでした。今ではあらゆる角度から複合的に診察されるようです。医師に訪ねると精神科でも心理士さんがいない小さな病院は検査項目が足りず、知能検査だけで発達障害と診断されることは今でも珍しく無く、特にうつ病に罹患して診察を受けていると抑うつからの注意欠陥と場当たり的に行動してしまう部分があるためADHDと同一視されてしまうこともあるそうです。
▲213 ▼34
=+=+=+=+=
増えたというのもあるかもしれないけど、認識が深まってきたのがあるのではないですか。 40代後半ですが、今でいう発達障害と診断される児童は我々世代ではちょっと変わった子とか問題児で片付けられてましたので。 当時はだからといって腫れ物に触るように病院行って…なんて考えたりせず、そのまま大人になりました。今は善し悪しではなく過干渉というか。 現場で教育に携わる方々は増えていると考えるかもしれないですけど、児童の周りの社会や教育の在り方が変わったのも影響しているのではと個人的には思います。
▲118 ▼23
=+=+=+=+=
30年前小学生だったけど、今より子供は多かった。今思えばあの子は読み書きの学習障害があったのでは?とか、あの子キレやすかったなとか思い当たる子が頭をよぎるけど、授業中座っていられない、奇声をあげる、気に入らないとすぐ暴れる子などいなかった。当時は何かしら診断を受けた子は支援学校を選択していたんだろうね。今は一般の小学校の支援級を選択できるし、逆に支援学校は定員一杯で重度の子優先だから入れないとも聞く。そういう背景があるから今は1クラス2、3人は発達障害のある子、発達グレーの子が当たり前にいて、昔より症状の強い子が目につくようになったんだろうね。
▲294 ▼32
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背景には、親側の「病名という名の結論」を求める傾向がある。育てにくさや学校でのトラブルがあると、原因を外部に求めたくなるのが人間の心理。診断がつけば「うちの子は特性があるから仕方ない」と納得でき、周囲にも説明しやすくなる。だがその一方で、本来なら個性や成長過程の揺らぎとして受け止めるべきものまで、安易に“障害”とラベリングされる危険もある。医療機関もニーズに応える形で診断を下すケースが増え、結果として数字だけが膨らむ。本当に支援が必要な人が埋もれてしまう懸念もある。診断は手段であって目的ではないはずだが、今や“答え”を求める親の安心材料になってしまっている。
▲50 ▼4
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私はもっと前から発達障害の増加への啓発をしているので、今更感半端ないけど、本当にそうだと思う。発達障害の子どもが増えたのでなく、社会的に情報過多で、周りと比べて過度に反応し過ぎていることも1つの要因かと思う。本当に医療的ケアが必要な児童や重度心身障害のお子さんのケアと一色単に考えている療育施設も多いので、国はもっと慎重に発達障害の診断基準を検討していただきたい、と切に願う。
▲106 ▼25
=+=+=+=+=
幼保小の教育現場で働いていますが、何らかのサポートが必要な子供が明らかに増えている。 何なら若い先生にもグレーな方がちらほらいてりで、ベテランチームは頭を抱えるばかりです。 診断がつくから目立つようになった、ではなく、現場の人間に聞けば分かります。 障害あり、と言う括りではなく、サポートを必要とする子供が増えたのです。 保育士さん、先生方は皆口を揃えて言うのです。 障害を見つけるのではなく、出来ることならサポートを必要とする子供の側で支えてあげたい。 診断も原因究明も大切ですが、1番辛いのは本人であり、家庭から教育を丸投げされ、身体を徹して支えているのが現場の先生方です。
▲90 ▼15
=+=+=+=+=
一方で状態や精神が回復することで できるようになることもあるんですよね、 それを特性や気質とされてしまうことにも 懸念を抱いてる専門家や支援者もいます。 本来の能力が生かされない。 例えば、回復さえすれば普通に学校生活送れる子に通信制高校を勧めるのも。 そして周りの大人達がそのような扱いをすることで本人も気質として定着してしまう。ピグマリオン効果の逆ですね。 脆弱な子が増える仕組みです。 今はこういう流れができてしまっていて止められないそうです。 子供のことを1番わかっているのは親なので 親がしっかりして勉強するしかないんですよね。 なにより適切な見立てができる専門家や医師が必要です。
▲95 ▼15
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福祉系の仕事をしています。 たしかに昔は発達障害という概念が浸透していなかったので「ちょっと変わった子」で済まされていたような子が発達障害と認定されて療育を受けることが多いですね。 障害に対する理解や認知度も上がってきたし、変に障害を隠して無理に普通学級に行かせて本人が辛い思いをするよりも、本人にあった療育や教育を受けさせるほうがいいと、親御さんの意識も変わってきています。
子供の頃から「自分には発達障害があって、こういうことが苦手なんだ」と自覚して、障害受容ができていて対処法を身につけられるようになっている子が増えてきたのは良いことだと思います。
昭和の頃は療育なんてほとんどなかったので、自身が発達障害だと気づかないまんま、障害受容も全くできてない大人が多いことのほうが問題です。
この人、受容して対処法を身につければ生きやすくなるのにと思うひとがいっぱいいますね。
▲79 ▼13
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もともと、人間は一人一人違うもの。十人十色が最近、「標準」を作って、当てはめようとするので、発達障害にされてしまう子が多いのではないでしょうか。それは、家族が小さくなったこと、コミュニティでの付き合いが少なくなったり、薄くなったりしていることが、多様なヒトを認識する機会を医師も教師も保護者も祖父母も失ってしまったからではないでしょうか。そして、発達障害児を、「その子の力を伸ばす」と言って、分離してしまうことで、ますます、目にする子どもの特性の幅が小さくなっていくという悪循環が生まれていると思います。小1の子が教室を歩き回ることなど、60年前は当たり前で、少し大きくなれば、落ち着いていきました。この落ち着くまでの期間も人によって様々ですが、もう少し、子育てに「待ち」の姿勢も必要だと思います。
▲24 ▼3
=+=+=+=+=
私は大人になってから発達障害がわかり、もうすぐ幼稚園の子供にもまだ診断はおりないけど何かしら特性があるだろうということで、療育に通わせています。子供は1ヶ月半検診で言語や発達の遅れがあり様子見、2歳になっても遅れがありその他問題点もあったため、自治体がやっているそういった子の発達を促す教室をすすめてもらい参加し、そこから療育へと繋いでもらいました。 知ることで早めに対策をとれたり、連携とってそういった機関に繋いで貰えることは、私の子供の頃と違ってスムーズで有難いなと思います。 決して悲観的にはならず、苦手なところは対策をして、いい所は伸ばして将来に繋げてあげたいです。 そして私も子供の頃に診断出たりしてそういうのに出会えてたら、今より行きやすかったかもしれないですけど、もう結果論だし、自分が今まで分からずじまいだったその特性で悩み試行錯誤してきた経験を、子に活かせたらいいなと思ってます。
▲48 ▼14
=+=+=+=+=
早く診断してあげた方がいい人もいるでしょうが、昔はなら診断されないからこそ知らないまま生きて偉人になった人とかも居ると思います。 グレーゾーンの人の中には優秀な成績で社会に出ても周りから見たらギリギリ優秀として一生過ごしてしまう人もいくらで居るとおもいますが、子供の頃に診断されていたら絶対にそれは無理だと思います。 なかなか診断した方がいいかしない方がいいかは難しいものです。
▲18 ▼2
=+=+=+=+=
グレーゾーンが広がって支援に繋がりやすくなったのは良いことだと思います。 ただ、適切に扱わないと過度なタグ付けによりチャレンジをしなくなる理由付けに使われることもあると感じます。
自分に合ったやり方を考え、人生に活かすのは障害の有無は関係ないと思いますし、 診断が過度に本人や周りを追い詰めるものにならないこと、子どもだけでなく大人にも受け入れるための土台や教育がもっと一般的に必要になっているのでは皆さんの意見を見ていて思いました。
▲0 ▼4
=+=+=+=+=
明るい捉え方でいいですね。しかし、現実にはそういう人が職場にいると周りがかなりサポートしなくてはなりません。また、その人のご性格も、突然噴火するような怒り方したり、不用意な一言を言うわけなので、周りも人間なんで、その人を好きかと言われたら、どうなんでしょうね。その辺りは個性で済まさず、本人の努力も必要かと思います。
▲86 ▼5
=+=+=+=+=
発達支援事業所で勤務しています。
色々な要因は考えられそうです。 確かに昔から、「変わった子」として認識されてきた人が今はある程度特性があれば診断がつく時代なので「障害児」として定義付けされ始めて増加した。 また、養育環境にしても近所の人やその場の大人が不適切行為を怒ったり諭したりしてきた世の中から、孤育てが中心になり、屋外で遊ぶ子どもが減少したり動画が子育てしたりする世の中になってしまっている。 いずれにせよ、適切な場所で適切な早期療育を受ければ高確率で状況は改善すると思っています。 子どもへの支援も勿論ですが、保護者支援はもっと大切だと私は感じます。
▲67 ▼11
=+=+=+=+=
我が子は小学一年生の時にADHDとSLDと診断されました。実物のりんご1つと数字の1が中々一致せず、手作りの学習材料で気長に足し算の学習、かけ算になれば、実際の数のビーズを使い気長に9️9まで1つづつ学習させたのを思いだしました。
テストでは答えが一行づつ、ずれていたり‥この子は何が苦手なのか日々考えながらサポートしました。 勉強が分からなけば授業中が辛くなるのでは?との思いで日々、親子で頑張ってました。
先ずは、我が子が何が苦手で、どこで躓いているのか?理解が必要だと思います。
▲42 ▼9
=+=+=+=+=
この診断の界隈で仕事をしていますが、正直な所、前のめりですぐ診断診断と言い始める、自称健常と思っている大人も増えたと感じます。 すぐ付き合うのに違和感を感じて、そうした認識をもつ同志が集まると、「相手に発達障害があるから」という結論に持っていきたがる思考も蔓延している気がします。 一昔前には、確かに発達障害の概念がなかったこともありますが、そうした偏りを持つ人がいたとて、それを周囲がフォローする度量があったように思います。今も勿論地域によってはそうした社会を守り抜いている所があることも知っていますが、総じて人口の多い地域、最先端の技術などを謳歌している地域であればあるほど、この度量を失っている人が多いように感じます。
▲45 ▼2
=+=+=+=+=
診断が増えたからだ、医者が患者を作りだしている、みたいな批判をする人もいますが、昔は「みんなと同じようにできないのは本人の努力不足だ、わがままだ」「親の教育が悪いからだ」みたいな言い方がされていたのです。ひどいね。でも私もそう思っていました。
グレーゾーンも含めて、医者の診断がなくても、本人や家族の努力で解決できないこともあるのだ、と考えることで(といってもこう考えるのにたいへんな労力を必要としました)、接し方を変えることができたと思います。
▲39 ▼20
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昔なら「変わった子」で済まされていたと思う。 現代のように診断概念が広がり障害と言われるようになり、その数の多さに支援や理解を、と周囲に求める記事が増えましたが、むしろ周囲に理解を求めるのではなく、障害のある自分がその中でどのように考え行動すればうまく人生を過ごしていけるのかという事を教育指導されることが大人になって生きづらいと感じるようになる本人たちにとって最もいい解決策になると思う。
▲12 ▼3
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軽度知的障害の子の親です。物事の理解力、手先の器用さ、運動神経等、どの能力も平均よりかなり下で、凹凸のある能力の中から長所を探すのが難しいです。学生時代は周囲とギリギリ共生していけそうですが、一般社会では何をやっても結果が出せず、自信を無くし、困り疲れ果てた姿が容易に想像できます。一方で、発達障害の方は長所をしっかり伸ばすことで一芸に秀でて社会的な名声を得る人がいると聞きますし、周囲に認められる存在になり得るのかなと。グレーゾーンの発達障害と軽度知的障害で、それぞれの困難さは違えど、私見ですが、軽度知的障害の方が社会適性に厳しさを感じます。
▲26 ▼5
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増えている、というよりは、認知される機会が増えたのだろう、と思う。 昔に比べたら子供の何かしらの障害に対して判断が降りやすいように感じる。それは、障害と判断された後の早期からの療育の大切さが医療機関だけでなく、親となる人達の側に浸透してきたからかもしれない。障害が判明した時から「なんとかしてやりたい」という親の気持ちは、今も昔も少しも変わらないのだろうけれど、実際に何をという面で昔は、居住地から遠く離れた心身障害児の為の病院に、多くて付きに一度の訓練に出掛けるくらいしか無かったそう。今は療育の場が地域に増えて、少しずつではあるけれど《わが子に何がしてやれるか》の選択肢は増えてきている、と障害のある息子さんを持つ知人が話してくれたことがある。
▲8 ▼4
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記事には生活習慣の変化を原因として否定する箇所があるが、それは誤りであると思う。昔は個人の生活習慣や地域の社会性が今とは大きく異なっていた。良くも悪くも関わりが多かった。そのことは各個人の持っている因子を抑えるもしくは分散させる効果があったはずである。成長期の早期からそのような環境下にある場合ADHDの特性は表出しにくいはずである。なぜなら診断を受けた子どもに対してコミュニケーションを用いた対処療法が効果的であるからである。過去を変えることはできない以上現在診断を受けた子どもに対しては記事内のような対応が求められるが、子どもの成長過程における親やそれ以外の大人、同世代との関係性等について社会全体として変えて行く必要があると考えるべきである。
▲38 ▼10
=+=+=+=+=
少子化なのにADHD児童が増えているというのも違和感がある。診断がつきやすくなったというのが一番の理由なのは理解しますが、恐らくADHDなどの診断がつくような子どもでも親が診断を受けさせていないケースも見られます。育児放棄に近い状況だったり、子に診断がつくのが嫌だから受診させなかったりと様々な理由を聞きますが、そういう親に限って親自身はスマホばかり見て子どもをほったらかしだったりします。親がどうなんだろうと思いますし、親がもっと子の躾をしてくれたらいいんじゃないかなとも考えます。
▲136 ▼34
=+=+=+=+=
一番注目されてるADHDを含めて、人間の遺伝子の中に組み込まれている性向なので、最近、始まっただけでなく昔からあったと思う。例えば、ADHDだけならまだしもLD(学習障害)など併発する子も多く、そういう子は知能指数においては優秀な数値を示しても頭の良さを生かせずに問題児となる。ADHD、LDと来れば鬱病リスクも非常に高くなり、社会的に普通に生活していくのが難しくなる、極めて困難な人生を歩むこととなる。深刻な問題ではあるが、解決するのは難しく、ADHDの人の遺伝子は実子にも受け継がれ、親も子もADHDでは家族崩壊、機能不全家族ができあがる。悪循環ではあるが、どうしようもない。一時から「荒れる教室」と言われ、授業中に歩き回る子が現れ始め、学級崩壊も始まる。昔は学校の権威が強くて発達障害児童を抑えていたが、人権を言われタガが緩くなって発達障害の子が目立つ行動を取り始め、学級さえも壊して行った。
▲44 ▼11
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多くなったというよりも、昔からこういう症状は認められたが診断がつかなかったというのがより真実に近いと思う。 当時の私を現在の心療内科レベルで診断したら何らかの病名をつけられたと思う。 しかし、親の躾で大いに助けられた。 それは、人に迷惑をかけるな、突っかかってくる人間には深入りするな、人間としての基本は身に着けておけ、だった。 この教えは現在の生活するうえで大いに助けられている。 今は亡き両親に感謝である。
▲20 ▼2
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増えたというより発達障害という疾患の認知度が上がったことにより前向きに発達障害疑いをかけるようになり診断されるようになっただけだろ。 同じ会社の人でも何人かADHD疑いの人がいるが、そういう人達は子供の頃に発達障害と診断するための枠組みが無かっただけだろと思う。 発達障害は程度はあるがちゃんと特性を理解したうえで適切な仕事をアサインしてあげれば結構いい仕事をしてくれる。発達障害という名前だと何か障害を抱えてるという印象になるが、どちらかと言うと人間のタイプを分けただけだからお互い上手く付き合うには、そういう人もいると認識する事が大事だと思う。
▲14 ▼1
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今は診断やあれ?と思い病院にも気軽に相談できる時代になったのだと思う。増えたのではなく昔からいたとおもう。所謂変わった変な子と言うのは一定数居ました。その時は診断に至らなかっただけで、周りにも育てにくい!と子供を相談窓口にいって病院を紹介されて発達が見つかった方もいます。個性で済めばいいですが、やはり周りや本人が付き合い辛いと早期の診断は大事だなと思います。
▲20 ▼6
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少子化に加えて発達障害が増えてるって、これからの日本どうなってしまうのと思いました。 確かに学校や会社に馴染めず、生きずらくて悩んでいる人は診断され、見合った環境に行けた方が生きやすくなると思います。でも乳幼児から診断され、本人の意思に反して発達障害だからと通常と違う育てられ方をするのもどうかなと思います。 今なら発達障害と診断されるだろう大人は結構います。でも診断されずに普通の人として生きてます。早くても診断は小学校以降にしたり、本人に生きずらさがある場合のみ診断した方がいいと思います。診断されない幸せもあります。
▲10 ▼1
=+=+=+=+=
診断できるお医者様が増えたこともあると思います。 私も大人になってから診断されました。 ただ現代の社会ではマルチタスクができる人を非常に求めており、特性を活かせる仕事に就くのは非常に難しいです。 人を育てることに時間を裂かず、即戦力 ばかり求めています。 本人の適正にあった仕事を与えるより、会社が決められた仕事をきちんとやる人ばかり求めています。 発達障害に理解のある企業は少しずつ増えてきていますが、まだまだ少ないと思います。 個人の個性を生かすより、協調性いや同調性を求める企業が非常に多いです。 もう少し寛容な社会になってほしいです。
▲51 ▼22
=+=+=+=+=
元々私が福祉系の仕事だったので、発達障害の診断項目は知っていて、我が子がそうかもと思って保健センターに相談し、医療機関に繋がりました。結果、ASD、ADHDの診断がつきました。そのとき、安心したのとこれからのこの子の人生について心配になったのと2つの感情で揺らぎました。手がつけられないほどの感情不安定な子でしたが、早期にOT、PTを受けて切り替え上手になりました。発達ゆっくりめですが普通級でみんなに可愛がられて学校に行っています。診断されその子のために何か選択肢が増えると思うなら親の責務として受診させたほうがいいと思います。生きづらさを知ることで楽になることもあります。
▲5 ▼0
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40代です。昔なら変わった子の認識だったかも知れません。 発達障害に限らず精神疾患で通院している患者さんも20年前から3-4倍にもなってるそうです。 今ではネットで調べ「チェック項目に当てはまったから自分はうつ病」や「大人の発達障害」と言って受診に来る方もいるし、精神の障害年金の申請もいずれしたいと言う人もいます。 昔に比べ受診の敷居が低くなったこともあるし、受診行けば何かしらの診断が付く方が多いのでは? 昔に比べ子供の育つ家庭環境や友人との遊ぶ環境など様変わりしたことも何かしら影響しているのでは?と思ってしまいます。
▲47 ▼5
=+=+=+=+=
かつては個性として社会が受容できていたから、診断名をつけて分類する必要が無かったと感じています。
特性を活かす力量が大人や社会に減ってきたので、診断名をつけて支援に区分しないといけなくなっているだけだとは思います。 支援を受けるためにも親に知識が必要とは聞いています。
理系職には昔から多かったです。 変人だけど仕事ができれば良かった時代です。 職人さんにも多かったですよね。
手に職ではなく、対人スキルだけで仕事をさせようと思うと、苦手の連続に陥って苦しむことが多いだけだと思います。
社会の寛容さが戻れば、個性でしかないと受け止めて共存できる世の中に戻ると思います。
親が世の中の普通に合わせなきゃ!と脅迫観念に追われながら子育てしてほしくないなと思います。
▲19 ▼2
=+=+=+=+=
うちの子供も発達障害です。 発達障害という診断が広まり、少しずつ周りの理解も得られるようになってきたのかなと思う反面、学校や行政は追いついていないのかなと感じています。 今、中学3年生で受験を迎えていますが、うちの場合、発達障害ではあるものの、IQが高いため療育手帳がもらえず、特別支援学校へ進学することができません。 しかし、不登校や通常級での学習が難しく、小学校から支援級で過ごしてきたため、普通の高校への受験も難しい。 そうなると受験できる学校が限りなく少ないんです。 発達障害でも、療育手帳がなくても受け入れてもらえる高校、もしくは療育手帳がもらえる条件を変えるなど、発達障害の子供にも選択肢が増えたら…と思います。
あと、親側の支援もあると助かります。 親が働いている職場で理解してもらえない事もあるし、子供の悩みも周りのお母さん方とは少し違って共有できず、1人で抱えることも多いです。
▲11 ▼3
=+=+=+=+=
昔は、変わった子、だったのに、今は名前がついたと云う事ですよね。 夫は還暦過ぎていますが、頭脳は飛び抜けて良いのに、とても変わっています。 若い頃は、その変わっている事が理解できず、揉めたものですがいくら言っても変わらない。 多分アスペかな…と思う様になってから、何となく許容出来る様になりました。 今は幼少期から気付く事によって、周囲の対処も支援も出来て、良い時代になりましたね。
▲38 ▼5
=+=+=+=+=
多くの場合、今までは診断できる場所が少なかったが、ここ数年で検査機関が増えたためでしょう。私自身も一年前(64歳)にグレーゾーンと診断されましたから。確かに生き辛さや理由が不明の症状に悩ませていましたが、今のように逃げ道など無く、我慢してでも生き続ける、働き続けるしかできませんでした。完治はしませんが、年齢と共にかわし方は身に付いたようです。 診断できるようになり増えたように見えますが、多くはグレーゾーンだと考えています。多少の支援があれば、問題にはなるはずは無いと思うのですが、私の考えでは、「無理しなくていいんだよ!」としか言わない社会になったことが大きな要因です。人間は人生のどこかで壁に当たりますが、乗り越えるのは当人でしかできません。多少の支えがあってでも、当人自身の気持ちで煮る越えなければ先へは進めません。 できるのに無理をさせないという間違った支援が、大きな問題になったと思います
▲72 ▼24
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集団で長時間過ごす生活になると、いろいろわかることが多いんだろうね。
経済発展して第三次産業に従事する被雇用者が増えると、コミュニケーション能力や対人スキルが問われて、そもそも適応しにくくて向いていないわけだから、とても生きにくくなる。 昔は第一次産業第二次産業の従事者が多かったし、家業でお商売をしていたりも多かったし、職人さんもたくさんいたから、家族やお店の中で内包されて人生を全うできたりなど、発達特性があっても食べていける時代だった。
今顕在化している8050問題のような中高年の引きこもりは、就業機会が限られてしまい支援を受けずに社会に出て、二次障害を起こしたパターンで、昔からそれなりにいたのでは。 これからは個人で生きていかねばならないのだから、特性のある人たちが生きられる仕組みを整えていかなければならないと思う。
▲35 ▼4
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確かに、昔は小学校、中学校で、今の時代なら確実にそのように診断されるなぁと思うクラスメートが何人かいたのを思い起こす記事でした。 ウチの子♂もASDグレーゾーンという診断で、本人も家族も注意深く過ごして普通学級を経て大卒後、希望の職種の大手企業に就職しました。しかし見事に特性が開花して退職…技能を生かしての個人でできる仕事をやっていくんだと奮闘しています。
▲32 ▼11
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早いうちに自分の特性を知って、それに合った支援を受けられるのは大きい。学校の先生との連携もスムーズになるし、何より本人が「自分はここが苦手なんや」って理解できるのは大事なことやと思う。最終的に目指すのは、本人が自分の特性をちゃんと把握して、自立して生きていくこと。そのためにも、若いうちから専門家のサポートを得て、自分に合う環境を整えていけるのが理想やと思う。この記事の言う「白を目指さず、その人らしさを活かす」っていう考え方には、共感しかない。
▲13 ▼1
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社会が変わって、かなりの仕事が機械化される中で個人に求めるスキルがマルチタスク、ハイコミュニケーション能力など、一昔前だったら職人気質で一つのことを集中的にしていても社会に居場所があったのが今は無くなってきているのも発達障害といわれる人が増えた要因なような気もします。 とりわけ日本は、周りに合わせる、人に迷惑をかけてはいけない、和を乱してはいけないという文化なので、ADHDの特性は際立ってしまうようにも思います。 子どもが減って集団の規模が小さくなってきて、余計に集団で目立つのかもしれません。 概念が浸透してきたのもあるかもしれませんが、社会のコミュニティが狭くなっているのも関係あるのかなと思います。
▲5 ▼1
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保育士で、毎年クラスで数名は気になる特性をお持ちのお子さんいます。人数うんぬんよりも、この子たちが将来自分で生きやすい環境を作れるように、今のうちに色々方法を教えてあげたいなと思いながら最近は保育してます。早期に特性と向き合って力を伸ばしてあげられるなら、診断が増えたことは良い傾向なのかなと思います。
▲5 ▼1
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35歳を超えた男性から作り出される精子は卵子を活性化させづらくてエラーも多いそうです。発達障害児や自閉症スペクトラムが産まれる率が上がるということが研究でわかってきたそうです。昔から高齢女性から産まれる子供に知的障がい児の率が上がるということはわかっており、これは出生前診断でわかるのですが、高齢男性の精子による疾患児の場合は出生前にはわかないそうです。精子の老化についての研究はこれまであまりされてこず、女性についての研究しかなかったそうですが、近年色々とわかってきたのはとても良いことだと感じます
▲50 ▼19
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「障がい」という種類は社会がより機械化すると増えていく気がします。 産業革命前は、肉体的な障がいが多く言われ、商業が発達すると、計算や文字を使えないとまずいから知的障がいが取り沙汰される。 今は電卓やパソコンで印刷などが発達したから、細かい計算や文字は大体のひどできるようになった。 だからコミュニケーションがクローズアップされる傾向が強くなったのではないだろうか。
仕事で障がいのある方と何名かご一緒しましたが、軽度の知的障がい者は発達障がいと言われる方よりコミュニケーションがうまかったですね。感情の波はあるけれどそれをコントロールできれば仕事もできる。 アスペルガーの子と組むとかなりしんどかったですね。感情の波が複雑すぎてつかめなかった。 今は軽作業を人間が行うことが多いから、感情障がいがしんどい立場なのではないだろうか。
▲18 ▼7
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自分は注意がいろんなところに飛ぶグレーゾーンで、恐らく学習障害もあるけど、何とか生きる道を見つけて何とか生きている。 今は我慢するだけでは駄目な厳しさもある分、選ぶことができる自由な時代。さまざまな情報にアクセスすることも容易。 一人でも多くの人に、自分を大事にして人生を謳歌してほしい。
▲13 ▼5
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一番先に気づくのは保育園や幼稚園ではないだろうか?!と言っても個人差があり ますが多動でじっとしていられない子の保育は その子に振り回されるから複数担任でないと子どもたち全員命の安全面を守れないからです 一見普通ですから可愛い子達です、 親は他の子と比べたりして悲観しがちだから 子供と親のケアが同時に必要だと思います
▲3 ▼1
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昔は子どの数も多く、落ちこぼれや荒れた子を放置したり体罰でコントロールしても大勢に影響がなかった。 今は少ない子供たちを、特性を活かして社会活動できるように育てることに着眼されている。早いうちに自身の特性を知ることで、人間関係や仕事の対処法を身につけることが期待される。
▲24 ▼12
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数十年昔の発達障害は、小中時代は変り者扱いされ、いじめられたりしながら成長し、ネットもゲームもないから、仕方なく学校に行った者も多かったでしょうが、そのおかげか重症でなければ何とか社会適応出来るレベルまで到達出来た者が沢山いたでしょうし、コミュ力やマルチタスクが不要な仕事も今に比べたら沢山あった気がします。重症レベルも会社や組織に属したら、暫くして田舎や小さな部署に配属されていたような気がします。端から見れば左遷ですが、話を聞く限りそういう処でないと厳しいと周囲も納得していたなと。今ならば、理由なき左遷だと訴えられたら負けですからね。 また、仕事レベルでは問題は表面化しないが、家事や子育ては無理ゲーだろう発達障害は医者や弁護士、官僚などインテリを主に沢山いますからね。昔は専業主婦のワンオペで良かったのでしょうが、今は離婚問題に発展しますからね。 昔の方が正解だと思いますけどね。
▲7 ▼0
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昔から普通にいたけどな。ようやく名前が付いたってだけだし、自分自身も調べたらもしかしたら何か出てくるかもしれないし。気にならないレベルなら何も調べない方がいいよ。逆に考え込む原因になるから。
▲559 ▼37
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放課後デイサービス事業に従事しています。多いという印象です。他の事業所さんに入れず待機中とかよく聞くお話しです。ADHDへの理解が増えたことが大きいと思います。通所される利用者さんを見ていると席にじっとできない利用者さんもいますがしっかりしている利用者さんもいます。その事業所に合うか合わないかもありますが。症状を理解することが重要で啓発は不足していると思います。
▲2 ▼0
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みんながそれぞれに個性があってそれを尊重できる社会は素晴らしいと思います。ただし、法令やマナーを守れる事が前提です。 多少飲み込みが遅いとか計算が苦手とかあるかもしれないけど、安易に発達障害だのと評価しと欲しくないです。 大人の無理解に苦しんだ覚えが少なからずあるので、先ずはよく話を聞いてあげて欲しいです。
▲0 ▼0
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様々な原因があるだろうが、全ては程度により変わってくるのではと思う。 重軽範囲を医療で定められていても、周りや本人は定めるのは難しく、軽いやグレーなんて言われても仕事や学業に支障がでれば絶望を感じ重いと感じる。 過集中が仕事学業にプラスに働けば診断なんて受けないだろうし。 診断受けやすくなったのは間違いないと思う。果たしてそれが本当に良かったのかは分かりません。なぜなら人間だれしもミスはするし忘れるし、たまたま続いたそれを病気と言われたら、自分ならずっと引きずってしまいそう。 いい世の中になったんだとは思うが、せめてお金の為の診断や、診断ミスがないようにお願いしたい。
▲5 ▼1
=+=+=+=+=
以前世話した子が、ASD,ADHD,LDの子で手帳を持っていたが、記憶が持続しないことなど自分の特性をよく理解していて、健気にメモをとる努力家だった。 スマホゲームが好きだったので、ゲームの話題に合わせながら、スマホのメモやカレンダー、タイマーなどを教えたところ見事に使いこなし、忘れても大丈夫なので落ち着いていられるという。 就職活動が始まり、そのことをありのまま生成AIと三者面談し、志望動機や自己PRを作ってもらったところ、とても上手くまとめてくれ、採用側もこれらの努力が業務上も有益とのことで採用していただくことができた。 いろいろ隠す方向で苦戦した就職活動が、良い方向で理解を得られるカタチで決まった。 個性だから尊重すべきだとの主張もわかるが、それは裕福で恵まれた環境下でしか通じない。 障害には個人差があり千差万別だが、具体的に何をすれば理解が得られるのか努力も必要だと思う。
▲7 ▼1
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そうですね。 昔は『変わった人』で終わっていた人、実は何らか障害があったかもしれないですね。 自分は違うとスルーもしていた人が多数だったから少ない分類にあったのかも。 昭和あたりは障害がある→ ひとくくりに特別な人みたいな一線があったように思います。
手帳あると『実はウチの子…』ってきっかけがなければ言いづらいんだけど、昔から比べたらハードルが下がってカミングアウトもしやすい。 社会も受け入れやすくなりましたよね。 本当に「視力が弱いからメガネをかける。」 同じように「発達障害があるから補助が必要。」 そう考えるとサポートしやすいし周りの意識も変わって来そう。 昔の人は生きづらい世の中だったと思います
▲11 ▼3
=+=+=+=+=
保育士ですが、発達障害は本当に多いですね。 大学の発送の先生に平常保育の様子を見てもらったりすることがありますが、保育士でも気づかない子どもの名前が上がったりすることもあります。 しかし、親御さんにやんわりと伝えても、うちの子はそんなことはないと診断にも行かなかったりする。 結局、グレーゾーンを見逃し、もう少し早く発達支援に行ければ良かった可能性のある子を何度か見ています。 昔は鼓笛隊も移動しながら演奏出来ていたけれど今はその場で演奏する。 結局、親の理解が大事だと思います。
▲21 ▼8
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家の娘もグレーゾーンのアスペルガー症候群だけど、高校~専門学校まで卒業した。ただし就職はせず、コンビニのバイトをやっている。1~2人での対話は可能だが、4人以上でのミーティングなどのグループ活動が出来ないのだ。いわゆる知的障害の無いアスペルガーである。そもそも娘が診断された25年程前に、アスペルガーについて知る者も少なく、小児科医でさえ診断できなかった。診断が広まったのもここ10年ほどだろうか。なので認知、診断される該当者が増えてるのだろうと思う。
▲12 ▼1
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幼稚園を経営している人が数人知り合いで、その中の一つでは何十年も幼稚園の評議委員などもしています。 園長やベテランの保育士さんなどの話などもよく聞きますが、昔の問題児はクラス2〜3人だったが、今はその問題児と同等レベルの子が半分近くだというのが現場の認識のようです。まあ話半分としても増えていないというのは、幼稚園の現場の認識とは違うかなと思います。
▲14 ▼0
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発達障害者が増加したのではなくて、教育現場や会社組織に馴染む人材しか欲してないから少しでもズレた行動に発達障害という理由をつけて「障害なら仕方ない」という体裁にしたいからでしょ?現役の精神科医も少しでもズレたことしたら周囲が本人の意思無視で診断させようとするので困ると聞きました。確かに知的障害か精神疾患を幼い頃から伴うのであれば診断しないと生き辛さを抱え込みますが日本の文化風土に馴染まなかったら、即発達の疾患をつけて児童デイサービスに繋げてビジネスモデルにしているだけ。個性を尊重している時代と言いながら個性を出されたら困るんですよね。日本は
▲15 ▼2
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発達障害が増えようが減ろうがどうだっていいが、発達障害だからという理由で特別扱いされる、するのもどうかと思います。これだけ診断が一般化されたのであれば、学校教育も障がい者でも一般人でも受けれる程度のもので進めていくこと、これが第一優先です。当然差別もダメですが、 別枠扱いするのもそれはそれで違う気がします。 世の中的に発達障害に対してマイナスのイメージを持っていると思いますが、実は周りには多くいるということを認識出来れば共生していく社外が形成されるのではないかと思います
▲31 ▼6
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