( 314926 )  2025/08/10 05:36:20  
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石破首相が続投を表明した中、次の総選挙に向けた「わかりやすいキャッチコピー」として、「物価を下げる」が提案されました。

これは、国民全体が求めている明確な政策であり、特に生活必需品の価格を引き下げることが望ましいとされています。

また、21世紀の選挙では、政策の内容よりもキャッチコピーが重要視される傾向があり、エンターテインメント性が求められているため、具体的かつ響く表現が必要です。

石破政権やその他の政党が支持を得られない理由は、その政策やキャッチコピーが古く、わかりにくいからと指摘されています。

 

 

(要約)

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両院議員総会で続投を表明する石破首相。次に総選挙となった場合、「まともな政党」が使うべき「わかりやすいキャッチコピー」は何だろうか(写真:ブルームバーグ) 

 

前回の「日本株を売る『絶好のタイミング』がやってきた」(7月26日配信)をひとことで要約すると、「参政党躍進の理由は、『革命ごっこ』というエンターテインメントを提供したこと」であった。 

 

 さらに、二言(ふたこと)で要約するなら、それは2001年の小泉政権に始まった一連の流れであり、小泉政権が自民党をぶっ壊して流動化させたミーハー的な元自民党票が、その後の民主主義バブルを作り、21世紀の政治と選挙は20世紀のそれとは別物となったのである。 

 

 この浮動票は群衆票となり、選挙エンターテインメントを求め、20世紀の日本の選挙における「判官びいき票」(選挙前の終盤情勢で不利なほうに投票してバランスをとる)から、21世紀の勝ち馬に乗る「モーメンタム票」(自分が選挙と政治を動かしたという快楽に乗る)となった。 

 

■選挙に勝つには「優れたキャッチコピー」がすべてに 

 

 この群衆票を引き付けるには、政策でも誠実さでも、もちろんクリーンな政治でもなく、キャッチコピーが優れていることがすべてとなり、過去「自民党をぶっ壊す」「郵政解散」「政権交代(民主党)」「デフレ脱却」ときて、「103万円の壁」「手取りを増やす」「日本人ファースト」という選挙キャッチコピーの歴史を作った。 

 

 さて、今回は、それならば「次のキャッチコピーを作ってやろう」ということである。そして、それは、「物価を下げる」である。あるいは、「物価を下げて、賃金を上げる」である。ちょっとまともすぎる、直接的すぎるが、コピーライターの才能が足りないのだから仕方がない。それは誰かに、うまく変換してもらおう。 

 

 しかし、これこそ、日本国民全員が求めていることである。これ以上まっとうな政策はない。なぜ、石破政権の人気がないのか。なぜ、与党過半数割れなのに、立憲民主党は伸びないのか。「それは古いから」というのは、結論的には正しいが、政治的手法が古いのではなく、キャッチコピーが古いだけなのである。 

 

 

 自民党の公約、政策、立憲民主党の公約とも、まともすぎてわかりにくいのである。選挙はエンタメだから、まともである必要はないのである。細部がちゃんとしている必要はないのである。 

 

 「給付付き税額控除」といわれても、なんのことだかわからない。そういう説明をしだせば、いい政策でも、細かいところに問題点や難しいところはあるし、損をしたり困ったりする人も出てくる。そういう議論をしたくもないし聞きたくもないのである。そんな理屈をこねるより、「減税!」なのである。 

 

 そして「減税!」と叫ばれたときに、「財源がなくて難しい」「現実的でない」という反論は、かえって「減税!」と叫んだ側の支持を加速する。なぜなら、人々が求めているのは、ストレス発散であり、現実的な政策ではないのである。 

 

■「群衆票」が政治に求めているもの 

 

 政治にはまともなこと、実質的なこと、実際の政策による世の中の改善など、何も期待していないのである。つまり、政治の価値はゼロ、いやマイナスであり、政治なんかないほうがましなのである。だから、「自民党政治をぶっ壊す」というスローガンは盛り上がったし、減税で政府が破綻するのは、何もしないで鬱屈とした社会が続くよりましだ、というノリなのである。 

 

 既存の政権、政党が支持を得られないのは、「何もしない」からである。四の五の言って何もしない、これが最悪である。石破茂首相はそれで支持が得られないのである。しかし「石破をやめさせろ!」と古い政治が吠え、動き出せば、古い派閥政治、権力闘争と戦う一人ぼっちの石破首相は、「抵抗する」という素晴らしい行動をしており、支持されるのである。 

 

 つまり、群衆票が求めているのは、「なんでもいいから、なんかやれ!」ということなのだ。アメリカのドナルド・トランプ大統領がやっていることは滅茶苦茶で、しかも支持者にはマイナスのことばかりなのだが、それでいいのだ。「今まで誰も俺たちのために何もやってくれなかった。理屈やきれいごとばかり言いやがって、トランプは、とにかく動きまくってくれる、戦いまくってくれる」、だから「トランプ万歳!」なのである。 

 

 

 参政党なら、神谷宗幣代表が群衆の前で「日本人ファースト!」「1、2、参政党!」と叫べばそれでいいのである。参議院予算委員会で、質問に立ち、石破首相と議論したが、理屈をこねる神谷代表は凡庸だし、支持者にとっては、まったく見たくない姿なのである。 

 

 したがって、参政党の次にブームをつかもうとするならば、それはどんなにまともな政党や政権であったとしても、まともに反論や議論しても仕方がない。実現性のあるよく練られた政策を提示すると「小難しい」「言い訳ばかり」と、かえって相手にされなくなるだけである。 

 

■2つの制約条件を克服してキャッチコピーを作る必要性 

 

 だから、キャッチコピーにはキャッチコピーで対抗するしかない。ただし、対抗する「こちら側」(後述)には、不利な条件が2つある。1つ目は、日本経済、日本社会にとって本当にいい政策である必要性だ。かつ実現可能性も必要だ。実際に政策を実行するのだから、言い放しというわけにはいかない。向こうはウケ狙いだから、良い政策、実現性というこの2つの制約条件がないから、はるかに自由にキャッチコピーを作れる。 

 

 実は、これは、日本から政策ブレーンが消えつつあることと関係している。かつては、官僚が政策ブレーンだった。彼らは、実現性においては完璧だ。しかし、夢も面白味もないから、現在の21世紀には、「官僚的な13.9兆円規模の補正予算」、というのはまったく有権者を引き付けないのである。 

 

 石破政権が行ってから1年も経っていないが、誰もそんな補正予算のことなど覚えていない。その次に、学者やいわゆる有識者で、ブレーンといわれる人々が跋扈した。アメリカの経済学者ポール・クルーグマンの『経済政策を売り歩く人々』という1990年代の著書は有名だが、21世紀の日本では、政策のフリをしたキャッチコピーを2010年代には、首相などに売りつけ、首相を安心させるだけの政策が主流になった。ブレーンの側にも常識も良心もなくなり、ウケる政策ならなんでもよかった。 

 

 

 しかし、2020年代になって、さらに状況は悪化した。つまり、まともな政策を提言する側にとって不利な条件の2つ目の登場である。それは、国民全体に支持される必要がない、好かれる必要がない、という最初から過半数をとることを念頭に置かず、「一部にだけウケればいい」という政党が主流になってきたことである。 

 

 これは有利だ。ウケ狙いの政策は、単純でわかりやすく、その結果極端になることが多い。極論をすれば、刺激も強くなり、政策、選挙としてのエンタメ性も上がる。その結果、ウケる確率が上がる。ただ、全員にはウケない。誰かには嫌われるし、非難もされる。だから「みんなに受け入れられよう」「過半数を取ろう」と思うと、極論はできなくなり、ウケることは言えなくなる。つまらない当たり前のことになってしまう。よって、多数派を狙う政党は勢いを失う。 

 

 この結果、2020年代には多党化が進み、古い政党、政策の整合性、細部あるいは実現性にこだわる、人気があろうがなかろうが、一応まともな政策を打ち出そうとする政党は、まともであるがゆえに没落していったのである。 

 

 この結果、まともな官僚も、まともな政策有識者も、ブレーンの座を追われ、というかブレーンというものが必要でなくなり、さらにまともな政治家ですら必要なくなってしまったのである。 

 

■まともな政党が打ち出すべきコピーは「物価を下げる」 

 

 しかし、今回は最後の力を振り絞って、日本社会にとって望ましい政策を、多数派をとって、実際に政権を運営しようとするまともな政党に提言することが目的だ(この陣営が「こちら側」だ。こちら側=社会を作る側、修繕する側)。「あちら側」(=社会を壊す側)に対抗するには、キャッチコピーという形に政策を落とし込まなくてはいけないのだ。 

 

 それが、「物価を下げる」である。 

 

 まず、これは国民全員が望んでいる。また、物価が下がり、生活が楽になれば、それはもちろん社会にとっていいことだ。しかも、ここで下げる「物価」の中心は、生活必需品である。食料、電気などの公共料金、ガソリンである。格差の点でも、低所得者ほど、恩恵が大きいから、非常に望ましい。 

 

 

 
 

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