( 315390 )  2025/08/12 03:35:20  
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<戦時下ですから>終戦の8~9月、南樺太で朝鮮人の虐殺が多発 旧ソ連の新資料で判明

毎日新聞 8/11(月) 11:00 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/33002f440ba01f0e3cbcf4b955310fcefa1ef93b

 

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南樺太(現サハリン南部)で1945年に日本人が朝鮮人を虐殺した事件に関する新たな資料がロシア政府により指定解除され、事件が複数発生していたことが明らかになった。

資料には、日本の軍人がソ連軍の空襲中に朝鮮人男性を銃殺した事例や、疑わしい行動をした朝鮮人が銃殺される様子が記録されている。

また、事件は日ソの戦闘が終わった後にも続いており、混乱の中で市民同士が殺し合う状況が生じた。

専門家は、当時のテロやゴタゴタが日本と朝鮮の間の関係を悪化させ、戦時の混乱が市民を巻き込む結果を生んだと分析している。

(要約)

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樺太にあった名好町の街並み 

 

 日本領だった南樺太(現サハリン南部)で1945年に日本人が朝鮮人を虐殺した事件に関する新資料がロシア政府に指定解除され、8月15日から9月初旬にかけて各地で事件が起きていたことが明らかになった。資料を入手した在サハリン研究者2人への取材で、これまで知られていなかった事件の存在も判明した。 

 

 ソ連は45年8月9日に日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦した。11日に南樺太に侵攻し、約2週間の地上戦が勃発。混乱や不安の中でデマが飛び交い、日本人が朝鮮人にソ連のスパイ容疑をかけるなどして事件が次々と起きた実態が資料からうかがえる。 

 

 ソ連当局の捜査資料などから、17日に警察署で18人が殺された上敷香(かみしすか)事件、20~25日ごろに村人ら27人が殺された瑞穂事件がこれまで知られていた。新たに判明した事件は発生時期がその前後にわたり、25日に日ソ両軍の戦闘が終わった後、9月初旬にも起きていた。 

 

 サハリン州郷土博物館のユリア・ディン氏によると、2019年にロシア政府に開示請求し、21年に複数の事件に関する供述調書などの捜査資料を入手した。 

 

 サハリン州博物館「ポベーダ」のエレーナ・サベリエワ氏は資料をもとに24年に論文を発表した。それによると、南樺太北西部の鵜城(うしろ)(現オルロウォ)で45年8月15日にソ連軍の空襲中に信号を送ったとするスパイ容疑をかけられた朝鮮人男性が日本の軍人8人に銃殺された。遺体は戦闘訓練の名目で日本人27人に銃剣で突き刺され無数の傷痕があったという。 

 

 北東部の散頃(ちりころ)(現ネルピチェ)では、8月15日に日本人と共に義勇隊に所属する朝鮮人男性が日本人と同様の武装を求めたところ不審だと疑われて銃殺された。9月初旬には武器の隠し場所をソ連軍にばらすのではないかと疑われた朝鮮人男性も銃殺されたとしている。 

 

 これらの事件については上敷香や瑞穂の事件と同じようにソ連当局が調べ、関与した日本人への聴取や遺体の捜索をしたという。 

 

 ディン氏は「戦後80年近くたって明らかになった事件もある。朝鮮人は日本人と共生する仲間だったはずなのに戦時下の状況によって市民が市民を殺す事件につながった」と分析する。 

 

 瑞穂事件に詳しい北海道大の井上紘一名誉教授(文化人類学)は「捜査資料は当時のソ連政府の視点で作成されたもので日本や朝鮮側の視点が欠けている可能性がある。ソ連の侵攻がなければ事件は起きていなかったはずだ」と指摘。その上で「ソ連軍が南下を進めて各地に地上戦が差し迫る中、日本の軍国主義が暴発し、農民らも巻き込んで植民地として支配してきた朝鮮の人々に混乱の矛先が向かったのだろう」と話した。【後藤佳怜、宮城裕也】 

 

 

( 315392 )  2025/08/12 03:35:20  
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この議論は、第二次世界大戦の終結後における南樺太での朝鮮人に対する虐殺の事件に関連する新しいソ連の資料に対する反応から始まっています。

コメントの中では、資料の信憑性や意図、当時の戦争状態における人々の心理、倫理に関わる議論が展開されています。

 

 

多くのコメントでは、ソ連の資料が一方的な視点で作成されていること、また、ロシアがあえてこの情報を公開してきた背景に政治的意図があるのではないかといった懸念が示されています。

戦争時の混乱や極限状況が人々の行動や価値観に与える影響にも言及され、冷静に歴史を振り返る必要があるとの意見もあります。

また、日本側にも加害行為があったことを認識しつつ、歴史の真実を探求する姿勢が求められています。

 

 

一方で、ソ連やロシアの歴史改竄の可能性や、当時の日本の統治下での人々の関係性の複雑さについても触れられています。

戦争による恐怖や疑心暗鬼が、民族間の対立を助長する背景にあったことを指摘する意見もあります。

 

 

その結果、情報の受け取り方や歴史の評価が分かれ、ソ連の資料をどう解釈すべきか、加害者としての視点と被害者としての視点をどのように調和させるべきかという課題が浮き彫りになっています。

 

 

(まとめ)戦争の混乱における歴史的事件への評価は分かれており、資料の信憑性や公開の意図、当時の人々の行動と心情が重要な議題とされています。

歴史的事実をどのように受け入れ、再評価していくのかが今後の課題です。

( 315394 )  2025/08/12 03:35:20  
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=+=+=+=+= 

 

最後の教授さんのコメントが全てでしょうね。敗戦、撤退という極限状態の中で人がどこまで冷静でいられるか。プーチンも我々ヤフコメ民も体験してみないとわかりません。 

 

そしてこれはソ連側の史料。彼の国が客観的な公表をするわけもなくて。ソ連軍による虐殺を日本人に転嫁させてる事例もあろう。 

 

▲11564 ▼935 

 

=+=+=+=+= 

 

当時は戦争の真っただ中であり、極度の緊張と混乱の中では平時では考えられない判断や行動が取られてしまうこともありました。もちろん虐殺は許されない行為ですが、戦時下の価値観や情報の歪み、恐怖や猜疑心が人々の理性を奪ったのも事実でしょう。戦争という極限状態が、人間社会の規範や倫理をいかに容易く崩してしまうのかを改めて示す事例であり、現代に生きる私たちは、平和時の価値観と戦時の価値観が根本から異なることを理解し、二度と同じ過ちを繰り返さないための教訓とすべきだと思います。 

 

▲1447 ▼297 

 

=+=+=+=+= 

 

南樺太の主な都市で、豊原は南樺太最大の都市であり、樺太庁が置かれ、日本の政治・経済・文化の中心地でした。 大泊は樺太の玄関口となる港湾都市でした。 真岡は樺太西海岸の主要な都市の一つです。 敷香は樺太東海岸の都市です。 落合は樺太中部にある都市です。 恵須取、知取、気屯は樺太西海岸の都市ですとのことだが、旧ソ連がサンフランシスコ平和条約への署名を拒否し、その帰属が宙に浮いたままになっている。 旧ソ連が崩壊し、ますます今後混沌としてくる可能性がある。 ヤルタ会談に日本は参加しておらず、今のウクライナの状態にある。 現代的な問題としては平均寿命日本84歳(世界1位)、ロシア70歳(116位)で、ロシアの少数民族がウクライナ戦線に送られ戦死している。 無論日本領であれば戦死する必要はない。 

 

▲93 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

80年前は不可侵条約を一方的に破棄して参戦し日本の領土を 

不法に占拠 

 

今度は、身勝手な理由をつけて戦線布告すらせずに 

ウクライナに侵攻して領土を奪う 

 

80年たってもやっている事が変わっていないのはどちらの国かは 

誰が見ても明らかです。 

 

まして、ウクライナ侵攻で西側の圧力を受け情勢が 

不利になると、何の客観的な証拠でもない文書を公表し 

西側の国の分断を図ろうとする。 

 

ロシアが経済制裁を受けて苦しんでいる証拠です。 

 

今回のアメリカを交えた停戦交渉も自分たちの都合で 

いつでも勝手に破棄すればいいと思っているのでしょう。 

 

▲411 ▼22 

 

=+=+=+=+= 

 

>ソ連の侵攻がなければ事件は起きていなかったはずだ 

 

ソ連が一方的に不可侵条約を破って、日本が連合国に降伏したのにそのタイミングで攻めて来た様に、ソ連(現ロシア)は本来的に卑怯な国だと思う。 

今のウクライナと同様な状況だったんだろうと思う。 

ロシアは信用に値しない国だ。 

その資料自体を100%信用できないと思う。 

1を100くらいに持っている可能性も有るんじゃないのか。 

 

▲41 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

なんでもありの、混乱した恐ろしい時期。戦争終結後も旧日本領ではロシア、中国、朝鮮、インドネシア諸国などではまだ戦闘が続いていた。日米の形式的な終戦は1945年8月15日でも、太平洋戦争は、まだまだ終焉の途に着いていなかった。北からの裏切り者ロシアの侵攻も当時の日本では相当脅威だったと思う。今、こうして日本が日本人の社会になっていることに感謝したいと思う。 

 

▲4704 ▼460 

 

=+=+=+=+= 

 

戦後80年たってロシアから出た資料が正確だとは考えられないでしょう。自分たちが犯した大虐殺というのなら信じられまますが。大体不可侵条約を無視して敗戦国に情け容赦なく攻撃をかけ虐殺泥棒の限りを尽くした挙句、領土を奪い取った国です。この資料が百歩譲って事実だとしても、その何百倍も悪さの限りを尽くし、現在も同じ戦争犯罪を犯しています。何も信じることが出来ない国だと思われます。 

 

▲4209 ▼321 

 

=+=+=+=+= 

 

極限時なのでそういうことは各所あっただろう。しかしソ連の史料ということで、相当割り引いて判断せざるを得ない。侵攻を正当化するバイアスが掛かっている。ましてや戦闘終了後のこととあれば、なおさら。占領を円滑にするため自身の戦争犯罪行為責任転嫁も平然となされたことは、今のロシアを見れば容易に想像はつく。 

 

▲4072 ▼382 

 

=+=+=+=+= 

 

ほぼ同時期に起きた中国共産党による日本人大虐殺(通化事件)も風化させてはいけないと思います。 

 

なぜ、通州事件や通化事件などの事件が日本の歴史教科書には載っていないのか不思議です。 

 

▲3686 ▼266 

 

=+=+=+=+= 

 

今冷静に見るとなんて事だと思うけど、条約破棄して攻め入ったロシア軍が最大の原因なのは間違いない。 

つい最近観たドイツ映画「橋」でも大戦末期指揮系統が混乱して、徴兵されたばかりの少年兵達が敵も味方も分からなくなり、最後味方に撃たれて死んでしまう内容。 

 

今回の調査にロシア政府の思惑が無い事を願う。 

 

▲1690 ▼148 

 

 

=+=+=+=+= 

 

ソ連の資料という事で全く信用できません。むしろ何故今頃こんな資料が出てきたのか、それも不可解です。まあ、戦争犯罪社の毎日新聞の記事なので、何時もの日本を貶めるフェイクの可能性もありますね。 

 

ところで、毎日新聞は戦前に国民を煽って戦争に駆り立てた、とても重い罪があるのですが、ちゃんと謝罪と賠償は済んだのでしょうか? 

 

▲2106 ▼229 

 

=+=+=+=+= 

 

ウクライナで、ロシア兵が殺戮に及んでいる。 

そこには義勇兵として北朝鮮の若者がいる。 

80年前と何が違うのか… 

混沌としている戦時下、何が起きてもおかしくない。 

この記事は、事実を伝えるとともに、あたかも朝鮮人大殺戮を日本人が率先して行ったとしている。 

読み手の技量が試されますね。 

 

▲1333 ▼129 

 

=+=+=+=+= 

 

1945年という年に起きたことは、日本が降伏し、ソ連が南樺太に進攻した時期と重なります。 

戦争の終結とその後の混乱の中で、民族間の暴力や復讐が多発していたことは、他の地域でも見られた現象ですね。 

この事件が起きた背景や具体的な経緯が明らかになることで、戦争後の歴史的な認識がどのように変わるか、注目です。 

 

▲429 ▼60 

 

=+=+=+=+= 

 

事の真偽は別として、ロシアがわざわざこのタイミングでこうした資料を公開してきたのは、近々、ロシアが開催を予定している対日戦勝80周年の式典を前に、日本のポツダム宣言受諾後も樺太でソ連が軍事侵攻を継続した行為を正当化し、ソ連が日本軍国主義からの「解放者」であることを殊更に強調するための政治的意図によるもの。 

第二次世界大戦中にポーランドのスモレンスク近郊で起きた「カティンの森事件」は、当時、ポーランド東部を占領していたソ連軍が行ったポーランド人捕虜に対する残虐行為だが、ソ連政府は戦後長らく当時のドイツ軍による仕業と頑なに主張し続けていたことを忘れてはならない。 

 

▲349 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

戦時下の戦地では戦況が入り混じり色々な事がある。 

自分の母方の親戚にあたる人が旧ソ連の捕虜になったが収容所で図面が引けるので作図の手伝いをよくしていたら、ソ連の兵士が明日の仕事は仮病で休めと伝えてきた。 

翌日に腹痛で出られない旨を伝えていたら、仕事に出て行った仲間は帰って来なかったらしい。どうもそのまま銃殺になったらしい。 

その頃はソ連では捕虜に穴を掘らせてそのままみんな銃殺にするような事はよくあった事のようだ。 

 

▲338 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

ロシアが日本を裏切ったことで混乱が起きたと誰もが考えます。 

 満州での話を聞いたことがありますが、ある地域では日本人地主はとても親切に家族のように現地の方と接していたので、病気になったときも治療を尽くしてもらい、ソ連が責めてきたのに乗じて日本人狩りが起きたときにも家族ごとかくまってもらい、誰も欠けることなく無事日本帰ったそうです。 

 日本と周辺地域の仲を険悪にする話ばかりではなかったことも知っておいて欲しい。 

 歴史の激動の中に於いても大事なのは人間と人間の関係ですよ。 

 

▲366 ▼35 

 

=+=+=+=+= 

 

日本人は真面目で繊細な性格傾向があるから、こういう事を伝えられると自信を失って、いい様に利用されてしまう事もある。 

わたしたち日本国民はもうほとんどが戦争を知らない子供たちだった大人です。 

わたしたちに罪は無いでしょう。 

それより、権力者が戦争を起こさない様に社会全体で協力して生きて行くにはどうしたら良いのかを考えて行動する事が大事です。 

 

▲421 ▼100 

 

=+=+=+=+= 

 

ソ連軍による日本人への残虐行為・虐殺行為が行われたのは公然の事実である。もしソ連軍の行為が資料にないのならば、信頼するに値しない。むしろソ連軍による行為を日本のせいにしたと考えるほうが自然だろう。 

 

また終戦直後には朝鮮人による数々の日本人への残虐行為が知られているが、これが樺太でも起きなかったとは言えない。その場合には日本との間で防衛行為が起きた可能性もある。 

 

いずれにしろこの記事をそのまま信用するのではなく、まず真実を明らかにすることが必要である。 

 

▲378 ▼50 

 

=+=+=+=+= 

 

ロシアがこのタイミングでこのような第二次世界大戦末期の日本軍の行為を公表するのには必ず意図がらある。先日、岩屋外相が日ソ不可侵条約とソ連軍の参戦に言及していたことも関係あるのではないか。いろんな日本軍の悪行をあばき、その調査と称して北海道に乗り込むきっかけを探しているのかもしれない。既にロシアの高官の中には北海道の施政権はロシアにあり、日本政府は不法に北海道を占拠していると主張するものさえいる。考え方としてはウクライナへの侵攻理由とほぼ同じだ。ロシアは北朝鮮と合同戦線で北海道、東北に侵攻する可能性を日本政府は考えなからばならない。 

 

▲343 ▼15 

 

=+=+=+=+= 

 

これがロシア側の資料であること、更にこれを読んでいる自分が日本人であることさえも一旦置き、冷静に公平に事実を事実として確認、受け入れる必要がある。極限状態に置かれた人間が表す、生の人間性というものがどんなものなのか、そこから目をそらさずにどうすればその本性を現さずに善良な人間であることを保ち続けられるのか、よく考える必要がある。簡単に言えば戦争、争いのない社会を実現することだが、それがどれほどに難しいことで、でも諦めてしまえば我々はこの資料に出てくる日本人そのもの、何も変わっていないし変われない。ずっと考え続け、光の差す方向へ歩き続けねばならない。 

 

▲38 ▼9 

 

 

=+=+=+=+= 

 

すごいですね。ソ連の「侵攻」より日本軍の混乱を問題視するんですね。軍国主義の暴発って戦時下ですけど?だったら原爆も軍国主義の暴発でしょうに。それに、いまのイスラエルとパレスチナのことも、一方的にイスラエルを責められないしパレスチナを擁護することもできないと思うんですが。日本軍の加害性を否定しませんけど、いつの戦争でもどの国もやってることで、殊更日本だけが戦後80年も経ってから掘り起こされて責められるものでもないと思いますよ。 

 

▲169 ▼17 

 

=+=+=+=+= 

 

通州事件は?ロシアによる日本人虐殺事件は? 

日本人だけが悪では無い!戦争が悪なのです! 

ヨーロッパやソ連の領土拡張主義でアジアは植民地にされ中国はアヘン戦争で英国などに翻弄されソ連は南下政策で朝鮮半島を狙っていた状況でしたそして戦時下であったことを考えて欲しい。 

 

▲825 ▼107 

 

=+=+=+=+= 

 

この記事のタイトルは、8/11 11:00の配信時には、以下のようになっています↓ 

 

<戦時下ですから>終戦の8~9月、南樺太で朝鮮人の虐殺が多発 旧ソ連の新資料で判明 

 

おそらく、毎日新聞なりに「右派の反論」に備えたつもりなのでしょうが、あまりに不謹慎で、偶発的事件を政治的に利用しようという意図しか感じられません。 

おそらくそのうちに黙って訂正されるものと思われますので、ここに証拠を残しておきます。 

 

▲817 ▼100 

 

=+=+=+=+= 

 

戦争を経験していない人間だけで日本が今後構成されていく。それに伴い、歴史の解釈が変わっていく可能性がある。 

今まだ戦争を体験した方々が生存されている。 

そういった方々の生の声を絶対に聞くべきだ。 

人の感情も、振り子みたいに変わってゆく。 

冷静に判断するべき。 

他の国がどうとかこうとか関係ない。 

日本が行った悪いこともたくさんあるはずだ。真摯な姿勢で考える必要がある。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ソ連の資料です。虐殺行為があったかも知れないが、今のロシアがウクライナで行っているプロパガンダの数々を考えれば、同様なプロパガンダを含んでいても不思議ではなく、占領の正当化の部分はあるだろうし、信憑性は割り引いて考える必要があるでしょう。 

 

▲276 ▼24 

 

=+=+=+=+= 

 

この記事によると「新資料」によって明らかになった被害者は3人だ。それにもかかわらず、毎日新聞はこの事件を「虐殺」や「多数」と表現している。しかし、その人数と件数で「虐殺」と呼ぶのは、やや違和感があるのではないか。 

もちろん、「人数や件数の問題ではない」という考え方もあるだろう。しかし、殺人事件と虐殺事件には、やはり質的な違いがあると考える。 

 

私の理解では、「虐殺」とは、尼港事件、オラドゥール村襲撃、マルツァボット襲撃事件のように、集団的かつ大規模な死者が出た事例に用いるべき言葉ではないだろうか。 

 

▲18 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

満州では同様に日本人が災厄にあったので、この資料の信憑性が、当時のソ連の捜査に基づくとしてもあり得ることだろう。でも、日本軍が沖縄戦で結果的に非戦闘を巻き込む戦闘に陥り、其れが後世において非難され続けるならば、日本軍の組織立った軍事抵抗も散発的な中で、非戦闘員を巻き込む戦闘を開始したソ連こそ非難されるべきだろう。それが、あの戦争に対する公平な見方だし、自省だけでは戦争は絶対に無くならないと思う。 

 

▲10 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

いつの時代も勝てば官軍。歴史もそのときの勝者が都合の良い内容で記録すれば、それが歴史の事実となる。逆に言えば歴史の真実は当事者以外誰にもわからないものです。世界の頭の良い権力者はそれをわかっているはず。我々は扇動されずに自分の考えをしっかりと持つことが大事。 

 

▲4 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

コメントした教授は、「捜査資料は当時のソ連政府の視点で作成されたもので日本や朝鮮側の視点が欠けている可能性がある。」と発言しました。 

 

もちろん、事実がどうであったかの確認は必要です。ただし、日本人が朝鮮人を殺害した事件に関しての資料は、加害者の日本側でもなく、被害者の朝鮮人側でもなく、当事者ではないソ連による調査資料です。 

 

被害者である朝鮮人側の視点であれば、事実はソ連の資料より酷い実態であった可能性は十分あります。加害者である日本側であれば、自分の行為を守るため、事実を曖昧にするでしょう。だから、当事者でないソ連の資料に加えて、被害者である朝鮮人側の調査が必要なのです。 

 

同様のことは、沖縄戦でも起きており、スパイ扱いされて殺されたり、集団自決を余儀なくされたりした沖縄の人の発言は、沈黙したり、自己防衛に終始する日本軍側の証言と比べて、事実に基づいた発言であることが納得できます。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

関東大震災時と同じく流言飛語による虐殺だったのだろう。混乱した日本軍は開拓民を放置して真っ先に逃げ出した訳だが、民間人をスパイ視して殺害したのは沖縄戦と同様だ。 

ロシア側の資料としては有名なハバロフスク裁判があり、米国が人体実験データと引き換えに免罪・秘匿しようとした731部隊の細菌戦が明るみになっている。 

ポツダム宣言受諾後の最初の閣議で全資料の焼却を決定し、戦犯訴追からの逃亡を図った日本軍だが、こうやって少しずつ悪事が掘り起こされる。 

 

▲5 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

当時の極東地域には日本人側にも朝鮮人側にもソ連の諜報機関や協力者が存在していたといわれます。お互い共同体の一員として生活しながらも、こういった「スパイ」の存在に対するくすぶり続ける疑心暗鬼や不信感を、ソ連により不信感や敵対心を煽ることに利用され、虐殺の引き金にされた可能性がありますね。 

 

ソ連は戦後の占領政策や勢力圏確保のために、地域の混乱や対立が自らの支配強化につながると判断していた面もあり、状況をコントロールするよりはむしろ混乱が長引くことを黙認、もしくは促進した節があります。 

 

ある程度の虐殺があったことは間違いのない事実ですが、背後にはソ連の情報工作や戦略的意図も絡み合い、複合的な要因によって悲劇が生じたと評価されるべきでしょう。 

 

▲10 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ウ露戦争終結が見えてきた段階での公開、次への布石ですね。その目的の為に選んだ情報を繋ぎ合わせれば、そりゃそう見えるストーリーは作れるよ。過去も大事だけど、未来を想像してどう評価し、どう判断し、どう行動するかが重要だと思うけどね。 

 

▲17 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

旧ソ連の史料として、日本側の記録と比較した日本の研究者による検証を期待したい。 

 

沖縄戦の記録や記憶をみても、旧日本軍が敵国との戦闘下において非支配者(沖縄県民、樺太の朝鮮人)に通敵スパイの疑いの目を向けていたことは大いにありうるだろう。 

 

私たちは歴史に対して謙虚になるべきではないか。昨日の加害者は今日の被害者に、今日の被害者は明日の加害者になるのが人間の常であることを忘れてはならない。 

 

▲9 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

北海道大の井上紘一名誉教授(文化人類学)の「捜査資料は当時のソ連政府の視点で作成されたもので日本や朝鮮側の視点が欠けている可能性がある。ソ連の侵攻がなければ事件は起きていなかったはずだ」「ソ連軍が南下を進めて各地に地上戦が差し迫る中、日本の軍国主義が暴発し、農民らも巻き込んで植民地として支配してきた朝鮮の人々に混乱の矛先が向かったのだろう」という記録に掲載されていない考察が必要となってくる。 

 

▲10 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

父方は樺太の大泊出身者です。戦争で親戚を2人亡くしました。 

 

Wikipediaの「瑞穂事件」を読めば、多くの凄惨な朝鮮人虐殺があったことがわかります。 

 

「ソ連の資料だからデマだ」と言う人がいますが、ソ連は超がつく官僚主義国家で、記録を正確にモスクワに上げることは有名なので、この資料も真実でしょう。 

 

対米戦争が敗戦濃厚になり、政府首脳が最後まで講和の仲介を依頼したのはソ連。そのソ連に裏切られたことが樺太の悲劇を生みました。 

 

2008年に放送されたドラマ「霧の火-樺太・真岡郵便局に散った9人の乙女たち-」(日本テレビ)を見た人も多いのでは。 

 

アイヌ、ニブフ、ウイルタの北海道・樺太の少数民族は、日ソ双方のスパイとして使われたそうです。朝鮮人も使われたどうかはわかりませんが、スパイが発覚すれば捕虜にして情報を聞き出すのが当たり前。銃殺するなど正気の沙汰ではありません。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

気を付けねばならないのは、この情報がソ連&ロシアの支配を正当化する歴史を語る文脈のなかで語られていることだろう。追い出した軍隊が「こんなに酷かった」という情報があれば、侵略者は自らの支配にたいして支持を得やすくなる。 

しかし、ソ連はそもそも旧満州で日本出身の居住者を虐殺しているし、樺太千島でも非戦闘員を虐殺していることは既知の事実で、かつ朝鮮半島出身かどうかによって何かを区別したとはこれまで言われてないし実際そうではなかったであろうことを考えると、ソ連の支配には何ら正当性はないわけではあるが。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

終戦時母は満州にいて、日本に帰る列車が朝鮮半島を下ることになった。村の人々はこぞって列車に乗ったが母たちは乗れずに見送ったそうです。その列車は朝鮮人に襲われて全員殺されたとのことでした。母は無事に船で帰って来ました。戦争という異常な状況に起きたことは平和な今とても判断が難しいです。 

 

▲12 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

令和の今の時代でもGHQのWGIPをずっと続けているのが新聞社。まるで日本だけが悪事を働いていたと言わんばかりの資料だけ出てくる。そんな訳ないのは冷静になれば分かる。寧ろ、戦後の混乱期で既に終戦しているにもかかわらず、樺太はソ連に侵攻されて、虐殺強姦されている。真岡郵便電信局事件は有名です。マスコミのWGIPに足を引っ張られるのはもうたくさん。日本は充分に謝罪してきた。納得できなものは納得できないとちゃんと抗議した方が良い。 

 

▲179 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

軍国家、軍事教育といった偏った思想の指導者のいた国の顛末です。怨嗟は子に受け継がれる。牙を削がれたはといえ、やり返さず技術でここまで社会的に成長した日本、この一面だけでも近隣諸国は学んでほしいと思う。マスコミはこの類のニュースが出る同時にどれだけ補助金、和解金を出しているかもぜひ資料を出してほしい。 

 

▲17 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

学生時代に世界史を勉強して「アメリカに逃げたユダヤ人は助かった。危なくなったらアメリカに逃げればいい」と考えていたが、就職して自分で稼いで生活するようになって、そう安易なものではなかったなと思うようになった。 

知らない土地で生計を立てるあてもないのに安易に移住など出来ない。 

まして家族を養わなければならない立場ならなおのこと。 

 

地平線の彼方から突然現れた夷狄の軍勢が人々を片っ端から殺していく。 

家財を奪い村々に火を付け焼き払う。 

平和に暮らす自分たちの身にそのような災厄が降りかかることなどと想像もしなかっただろう。 

予感があったとしてもどうやって逃れられただろうか。 

 

去年の大統領選挙前にアメリカの内戦を描いた映画を見たが、日本人がアメリカに逃れたとしてもきっかけがあれば殺されてしまいそうだと感じた。 

銃を持った赤眼鏡の男が「おまえはどんな種類のアメリカ人だ?」と問いかける。 

 

▲6 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

この件は事実かも知れませんし、否定する気もありませんが、旧ソ連が南樺太や満州などで行った蛮行は研究していないのでしょうか。ロシアが歴史に学んでいれば、今のウクライナ戦争はなかったでしょう。ロシアは勝てば全て肯定、負けた事は相手が悪いとしか考えないので、ロシアは混迷が脱することができないと思います。 

 

▲48 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

冷静に記事を解釈したい。 

戦争という極限状態において古今東西さまざまな悲劇的な資料があるが一部は勝者側が都合よく解釈し記録している。敗者はそれを受け入れざるを得ないのが事実。 

 

樺太、北方領土はロシアに不法占拠された。 

1945年終戦直後、ソビエトの北海道侵略を自らの命と引き換えに阻止した日本人に深く感謝します。 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

各国の政治に携わる人たちが戦争に関する歴史を、現在に至ってもハッキリと国民に示さず政治に利用して、戦争は無くならないものと国民を操る手段になので、このような情報が・・・いつまでも出回りと言う事です。 

そして、戦争は政治都合だけで国民の為では無く、国の政治を担う人たちと関係者だけの安易な発想と知るべきです。 

人間だけに与えられた「最高峰の叡智」である言葉を使わず、殺人凶器や核兵器など持ち恐怖と不安を煽り、あとは人殺しと環境破壊にしか為らない戦争は何の意味も無しと気づかねば為りません。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

この時期に出してくるのは、ロシアの分断工作ではないかとも考えられる。相当な恣意性が含まれている可能性もある。アメリカもそうだが、基本的には原爆投下など自分たちの行為を正当化させるために、日本人の残虐性を誇張して歴史を作り出した。その後遺症に日本人は苦しんできた。 

歴史認識がこの国の自己肯定感を失わせた最大の原因だろう。過去の先人たちの行為を否定することの厳しさは、弱体化する日本において逆説的にこれからもっと効果的に現れてくるだろう。 

牙も骨も抜かれた日本人がかつての日本の美徳を取り戻すことは難しくなっている。 

 

▲17 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

恐怖に支配され、やられる前にやれとなるのが戦争心理、万国共通です。日本だけ立派とか非道とかではありません。ソ連を非難するコメントが多いけど、泥棒が「アイツも泥棒だ」と訴えても自身が泥棒である事実の反証にはなりません。人道的な戦争なんて無理、だからこそいかに回避するかに知恵を使う必要があるのです。 

 

▲4 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

なぜ、ロシアがこの時期になってこういう情報を出してきたのか、不思議です。資料を入手した在サハリン研究者への取材で判明したとあるが、慰安婦問題を含め、情報の裏付けが取れてから報道しないと、吉田清治のウソの証言を真に受けて大々的に報道した新聞社のせいで、慰安婦問題が日韓関係に取り返しのつかない禍根を残すことになったように、情報の真偽については慎重に裏付けが取れてから公表するのがよいと思います。 

 もちろん、他の国が情報をうのみにして自国で報道することは有り得ると思いますが、日本の資料との検証をしっかりとやっていれば、認めるべきところ、認められないところが分かり、日韓関係に影響を与えようとするロシアの策略にも、載せられることも亡くなると思います。 

 

▲20 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

「判明」という見出しであるが、サハリンで朝鮮人虐殺があったこと自体は相当以前から知られている。1990年代には林えいだい氏の著作『証言・樺太朝鮮人虐殺事件』が出版され、日本人引揚者や韓国人生存者の証言によって、瑞穂村や上敷香警察署での虐殺事件は公にされてきた 。今回の新資料は、これまで知られていなかった事件の存在を明らかにし、悲劇がより広範であったことを示した点で重要だ。ソ連側の資料も、尋問調書や検死記録など具体的な捜査記録であり 、日本側の証言とも核心部分で符合する。根底には、ソ連侵攻という混乱の中で「朝鮮人はスパイ」というデマが広まり、関東大震災時と同様の、植民地支配に根差す民族差別意識が暴発したという構造がある 。「戦時下の異常な事件」とか「一方的な資料」で終わらせず、戦争と民族差別の実相を示す悲惨な事件として記憶にとどめたい。 

 

▲6 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

8月15日以降、朝鮮半島各地には植民地支配からの解放を喜ぶ万歳の声があふれ、金日成率いる抗日パルチザンがソ連軍とともに戦っている話も伝わってきていただろう。ソ連の侵攻を目にし恐怖にさらされた日本人が、朝鮮人はすでに敵国側についているとみなすだけの理由は十分にあったと思う。戦争の悲劇のひとつとして冷静にとらえる必要がある。 

 

▲6 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

私の母、祖父、祖母、伯父、叔父、叔母、は樺太生まれです。 

幸い最後の引揚船で無事に本土に戻れました。 

でも樺太では普通に暮らしていたといいます。近所にロシア人家族も暮らしていて、特にトラブルも無かったと聞きます。 

祖父に至っては仲が良くなったロシア人と一緒にソ連軍の倉庫にウォッカを盗みに行き、酒盛りしてたとか。さすがにソ連軍にバレたのか、家に軍人が乗り込んできたらしいが、祖父とロシア人はいびきを掻いて寝てたとか。祖母が対応して事無きを得たといいます。 

祖父は営林署の山役人だったので、仕事柄ロシア人との付き合いもあったのかもしれない。 

確か最後は豊原市にいたそうです。その前は真岡市だったかな。 

今となっては当時幼少だった叔母以外はみんな亡くなってるので、確かめようもない。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

取り敢えず、日本側から資料が出るまでは情報としては保留。 

ありそうな感じはしなくもありませんが、片側からだけでは何とも。 

 

南京事件とか例に挙がりそうですが、 

あちらは日本側の資料だけで虐殺があったと言えるところが違います。 

なので今の所この件でこちら側が大きく反応する必要はありません。 

 

 

 

もし日本側の資料でこの件の存在が明らかになってしまった時には、 

事実は事実として受け止めておきましょう。 

 

▲27 ▼51 

 

 

=+=+=+=+= 

 

ソ連兵による事件を日本側にしたと言うことはないのか?過去ソ連はそのような報道はたびたびある。第三者機関の調査は必要だろう。そもそも、ソ連の占領下で虐殺できたのか疑問だろう。撤退戦の際ならまだわかるが。ロシアの何らかの思惑を感じる 

 

▲13 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

「ソ連軍の南下や地上戦の差し迫る緊迫した状況の中で、日本の軍国主義が暴走し、朝鮮の人々を巻き込んだ混乱が起きた」という指摘は重要です。 

しかし、これを他人事として片付けるのではなく、現在の外国人をスケープゴートにする風潮と非常によく似ていることに強い危機感を持つべきだと思います。 

 

過去の歴史のように、社会の不安や緊張が高まるとき、特定の集団に責任を押し付けることで問題を矮小化し、自らの問題から目をそらそうとする傾向があります。 

今の時代も同じ過ちを繰り返さないために、多様性を尊重し、冷静に問題の本質を見つめる姿勢が求められていると思います。 

 

▲18 ▼50 

 

=+=+=+=+= 

 

地獄のような状況で自分や家族を守るには!と思い前後不覚になっても仕方な時代であったのは事実 

ただ、自分の親は引揚者で、何度も聞かされた話で、一番怖かったのはソ連兵だったと 

襲われた時に、両腕に何十もの腕時計や指輪を付け、女性は襲い、男性は・・・そんな光景を見ていたとのことでした。 

なので、女性も逃げるために、坊主にして顔や身体中に泥を塗って逃げ回っていたと言ってました。 

あまりの残虐さに、中国の人に匿って貰ったとも言ってました。 

そんな国の資料が果たしてどこまで信用に足るものなのか?とは思いますが、まあ何とも言えない 

 

▲7 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

旧ソ連の資料ですから現在の民主国家に対する当て付け資料とも思えます、なぜ今になって公開されるのかも明らかにされないし信憑性に欠ける 

日本には反日団体が存在し反日教育で日本で不正利益活動もしている 

電磁波武器により日本人虐待し財産恐喝は鬼畜思わす犯罪です 

戦後の平和時代での犯行は卑劣非道です 

検挙難解な事件だけに法制化が必要です。 

 

▲32 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

ソ連は、日本がポツダム宣言受諾し敗戦を認めて戦争終結が決定していたにもかかわらず、樺太・千島列島に攻め込んできて日本軍側がいわば丸腰を攻撃されたような状況だったと生存者の証言から知りましたがそういう以上状況でのことですから、ソ連側が日本人と誤認してなしたことやもしれず、混乱時のことは何が真実情報なのかのかは今となっては不明ではないでしょうか。ソ連のずるさだけだ際立ったものでしかないのではないでしょうか。 

 

▲16 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

歴史の事実は忘れてはなりません。 

 

敗戦後、ソ連にどれだけ多くの日本人が虐殺、強姦、強奪されたか。 

戦後の本を読むといたるところに出てくる。 

 

葛根廟事件、麻山事件、若い女性ばかり監禁強姦され続けた 敦化事件 等等 

 

歴史の事実を忘れてはいけないと思います。 

 

▲93 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

「歴史とは自国に都合よく編まれるもの」という現実も浮き彫りにします。 

 

事件の時期や背景が、ソ連軍の侵攻と地上戦の最中から終結直後に集中しており、情報操作に利用しやすい状況だったのも事実です。 

 

新たに判明したとされる事件も、裏を返せばソ連が長年保管し、都合のよいタイミングで開示したとも解釈できるでしょう。歴史は勝者によって書き換えられる。今回の開示は、その典型例の一つかもしれません。 

 

▲47 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

「ソ連の資料」は大分気を付けないといけない。 

カチンの森の事もある。 

ソ連はソ連崩壊まで「あれはナチスがやりました」と白を切り、酷いことに東ドイツにそれを認めさせていたから。 

右翼的感情論で「日本人はそんな卑劣な事はしない」とは言わないが「ソ連の資料」を無条件に信じるのは疑問。 

 

▲29 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

まずこれがソ連側の資料であって正確性に欠ける可能性があることは大前提として、ここのコメントが「戦時下だしスパイをあぶり出すためには仕方ない。条約を破って攻めてきたソ連が悪い」一辺倒なのはどうなのかなとは思います。 

日本軍がやったことは「仕方ない」けど、敵軍がやったことは「許されざる蛮行」であるというスタンスは、仮に客観的な資料があっても(そして通常そんなものはありません)、日本人以外の人には受け入れられるはずがありません。 

お互いが被害者マインド全開の議論は不毛でしか無いのですが、日本に限らず、相手に分かってもらうつもりも無い人のほうが多い時代になってきているのかもしれません。 

 

▲0 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

終戦の日が近づくと、数々の日本軍の悪行が晒されますが、変だと思いませんか? 

私が子供の頃は日教組に洗脳された教師により「自虐史観」を強要されましたが大人になるにつれ真実の歴史を知りたい思いで国内外の資料を読み漁った経験上得られた「日本下げ」は左翼思想家による「プロパガンダ」に過ぎない、ということです。 

勿論、戦争という極限状態の中、各国軍人は平時で犯してはならない「一般人への殺人の類」を行っていたことは事実です。が、日本軍をことさら下げる意見には同調できません。 

ロシア(旧ソ連)による「シベリア抑留」(日本軍人(朝鮮人含む)、軍関係者への強制労働)は国際法違反にも関わらず公式な謝罪を行っていません。そんなロシアの政治体制は社会主義のため資料の正当性は甚だ疑問であり信憑性に疑問符がつきます。 

加えて、日本の左翼メディア。ロシアも信用できませんが日本のメディアも信用できません。 

 

▲17 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

教授のコメントも少し疑問があります。 

ソ連の侵攻が引き金の一つであったとしても、それが唯一の原因と断定することはできません。事件の発生には、長年にわたる日本の植民地支配がもたらした複雑な差別や社会的・心理的要因が作用していたと見るのが妥当です 

 

▲7 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

記事の最後に、時事検証に係る当然かつ非常に重要な視点であるが、これは一方からの味方に過ぎないとの指摘がある。もちろん記録が概ね正しい可能性もあるが、もっと残虐な可能性もあれば、当事者が混同された可能性もある。さらには捏造された可能性もある。 

無闇に葬るでもなく鵜呑みにするでもなく、冷静かつ客観的・多角的な検証がされることを願うばかりです。 

 

▲629 ▼42 

 

=+=+=+=+= 

 

歴史は真実を明らかにしてくれない、ある程度あきらめるしか。 

 

ソ連は現代のロシアを含めて、全く信用できない。 

戦後に日本の北方を責めたのは信じがたい。彼らは、いかなる手段を使ってでも日本=悪で自分達の行動を正当化するだろう。 

 

かといって、日本人の行動は正しかったのか? 

現代の日本でいじめは誹謗中傷が多発、はっきり言って、平気で不正義を行う。だから、日本人の気質は信用に足るとは言えず、昔の行動もたぶん、怪しかったと思う。 

 

過去は過去として、未来は反省の上でやり直す、なんてことは現代日本からは絶望的だ。 

 

正義は行われない。これが人類の真実だと思う。 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

露によるウクライナ侵攻中という状況で、このような発表を素直に受け止められるほどナイーブなのはいつものJリベくらいでは? 

特に韓国は西欧への武器輸出を加速して間接的にウクライナを支援しているみたいなもんだし、露への戦争協力を惜しまない北朝鮮との関係から考えても日韓分断に繋がる発信は露にとってメリットしかないだろう。 

 

そもそも中立条約を無視して自国の立場のためだけに侵略したソ連の資料をどう信用しろというか。 

 

▲49 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

日本では8月15日が終戦の日となっているが、その後に旧ソ連軍は武器を降ろした日本に攻撃をしてきている。 

結果として北方四島を旧ソ連に持って行かれた訳だが、その旧ソ連軍の書かれたことを全て鵜呑みにしろというのは、日本にも調べられる様情報を提供してもらわないと出来ないだろう。 

現に、その後のソ連、そしてロシアとなった今も信頼に足る国ではないからだ。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

当時のソ連からみれば 日本側内部の殺し合いのようなもので朝鮮人側が社会主義に目覚めて革命を起こそうとするのを日本軍が抑えたとかではなく 恐怖の中で民族間の暴走が始まったといったところ 自分達はヨーロッパ人でありアジア人どうしの殺し合いには無関心 ソ連軍のボロさえ隠せればそれでいい 

ってなところだろうから 客観性はかなりあるかも 

ただ 現時点でこれを公表するのは 日韓分断や日本国内の世論に向けた意図がある また米露首脳会談を意識して対日戦勝利の9月2日も含めアメリカだけでなくロシアも貢献したことをアピールしたいのかもしれない 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

北海道大学教授のコメントの中にある「植民地として支配してきた朝鮮の人々」という文言から、どのようなイデオロギーをお持ちなのか察せられる。 

 

ソ連の資料を何の疑いもなく正しいもの、事実として受け止めることはできないので、有識者の検証を待ちたいと思います。 

 

▲9 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

日本人としては知りたくない、見たくない事件かもしれないし、細部について疑念を指摘したくなるのはわかる。しかしこの事件に限らず進出した中国や東南アジア諸国において、軍人、民間人に関係なく多くの蛮行を行ったことは史実であり、人数や規模などは資料の中でのことでしかない。創作した事件でなければ事実として受け入れることが必要。戦時下では国籍や敵味方だけでなく善男善女、紳士淑女も関係なしに鬼畜に堕ちる。追い詰められた状況では理性は役に立たない。 

戦後すぐに発刊された随筆「堕落論」には、戦争が終わり人間に戻ったという言葉も書かれている。その他の文学や評論にも多くみられる。理不尽な行為が普遍的に行われるのが戦争であり、そうならないために戦争回避が何より重要。平和を愛し人への友愛を叫ぶことが出来るのは平和なときだけ。 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

カチンの森事件もあるし、現在の状況で工作の為に出した可能性もある。韓国の大統領がなかなか反日行動を起こさないので薪を追加したのかも。また、事実であればソ連侵攻の犠牲者としてカウントされているので記録を修正して賠償等すべきである。非人道的な行為は反省すべきである。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

勝敗が決した後に、それも日ソ不可侵条約を破って侵攻して来たソ連。方や日本の守備隊は手薄、極限の状況下で日本軍がパニックに陥ったのは容易に想像出来る。 

なお、当時、ソ連は北海道を占領する計画だった。樋口李一郎中将をはじめとする守備隊の必死の抵抗が無かったら、今頃、北海道の北半分はロシア領になっていたと言われる。 

 

▲37 ▼3 

 

 

=+=+=+=+= 

 

ウクライナでロシア兵が殺戮に及んでいるこの状況。 

そこには義勇兵として北朝鮮の若者がいます。 

80年前と何が違うのか…? 

混沌としている戦時下、今や世界中で何が起きてもおかしくない。 

この記事は事実を伝えるとともに、あたかも朝鮮人大殺戮を日本人が率先して行ったとしています。 

読み手の技量が試されている。 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

このとき、確か前線で戦闘に参加していたのは、今のロシア軍の様に囚人を使用していたと思ったが。そして、今以上に国際法が緩い時のソ連軍だ。攻めこみ、虐殺や略奪し、日本軍のせいとして報告していた可能性も十分にあるだろう。それに朝鮮人よりも疑いをかけられやすい、残留ロシア人やソ連から亡命したロシア人もいただろう。ソ連の調査で、なぜ朝鮮人の記録しかないのか。ここは疑うべきだろう。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ロシアとウクライナの戦争を見て、日本人は反ロシアが圧倒的でしょう。それでロシアは日本も戦時中はこんな虐殺をしていた、と言いたいのでしょう。中国が語る南京大虐殺と同じように過去の事案を掘り返す事は、日本への牽制と言えます。第三次世界大戦の序章にならない事を祈ります。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

南樺太には40万人近くの日本人が住んでいたらしいが敗戦後に大半は帰国して鉄道や電話などのインフラに関わる技師はソ連が返してくれなかったらしいけど、大半の帰国がいつ完了したのか、時系列で人や軍の動きを知りたい。 

 

▲21 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

まず前提として、日ソ不可侵条約を破って侵略を開始し、多くの日本人・朝鮮人を殺害してきたソビエト側かの情報に中立性があるのか。 さらに現在にいたるまで、北海道などで北方からの移民であるアイヌ民族と日本人の反目を煽るような言説を振りまいているロシア政府からの情報に、どれほどの信ぴょう性があるのか。 大いに疑問ですね。 殺害が事実であったとしても、その解釈を彼らの言説に左右されるべきでないことは間違いのないところです。 そしてそれを、反日報道の毎日新聞が嬉々として報道している点も、大いに問題とするところです。 

 

▲7 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

日本人として認めたくはないが、ことの詳細はさておき似た様な状況にはあったのでしょう。 

ポツダム宣言受諾後も満州では不可侵条約を破棄したソ連軍が民間人に対する虐殺行為を働いていました。ソ連も同じことをしていたと言いたいわけではなく、戦争とはそういうものだということです。 

 

▲2 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

日本も極限状態であったため、こういう事件も全くなかったとは言えません。ただ、日本は過去の過ちから、今まで戦争をしないことを選びました。一方で発表したロシアは、同じことを繰り返し、たくさんの人が今日も傷つき、誰かが亡くなっています。それは何よりも大きな違いです。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

8月15日に日本が無条件降伏した後も攻めてきたのはソ連です。 

終戦後ソ連は北海道を占領し自国のものにしようと攻めてきました。 

樺太から北海道に向かった一般人の乗った引き揚げ船を魚雷で攻撃したのもソ連です、条約を破り武力で領土を拡大するような国の資料は信じられません。 

 

▲12 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

軍国主義時代は色々あったでしょう。フランス人によるアフリカ搾取、オランダ人によるアジア領の殺戮、スペインポルトガルによる南米の侵略と虐殺。 

アメリカでの原住民の大殺戮。 

第二次世界大戦前の話を今振り返しても、もはや時代や価値観が違いすぎて、ふーんという程度。 

第二次世界大戦より後に戦争を起こしている中国やアメリカや中東こそ責めるべき。大戦前の日本は悪いことをしていても、まぁそうかもね、で終わりだと思う。 

史実かどうかも定かじゃないので、まぁ今の日本はきちんとガバナンスを効かせた軍隊を持ち、自衛していこうとしか言いようがない 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

情報の出所が「ソ連資料」「毎日新聞」という点に要注意。 

 カチンの森のポーランド軍将校虐殺事件はソ連発の情報では長らくドイツ軍の仕業とされてきたが結局事実はソ連の仕業だったとされている。 

 ソ連の捜査当局が昭和20年の8月17,18日(まだ日本領)の樺太の事件を捜査できるわけがないし。 

 なんでも、メディアの発表だから自己検証なしに信じれる時代ではない。 

 

▲48 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

ソ連側の資料は信じるに足りるのだろうか?ポーランド将校を虐殺したカチンの森事件は、冷戦下長らくナチスの犯行とされてきたが、ソ連崩壊後にソ連の仕業と判明している。 

同様にソ連の仕業を日本に押し付けていないと断言出来るだろうか? 

戦争を煽った大手新聞社の毎日新聞は一次資料の確固たる裏付けをする義務がある。 

 

▲11 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ソ連側から出た資料なので 何処まで本当の事かは判りませんね 

当時の戦勝国側は とにかく敗戦国の日本が出来る限り悪い事にないと 

自分達の国際法違反を隠せなかっただろうし 正当性を示せないだろうから 

当時の情勢から考えると 今の様な正確な事を元に議論する価値観が薄い 

時代だったし 中国側の捏造までして日本が悪い事に写真撮影などは日本では 

すでに論破され捏造が証明されて居るので 東側の国達はそんな事の多い国ですから 今頃になって新資料もが出る事も不可解だし 記録用紙の炭素年代測定とインクの年代特定などを詳しく調べて見ないと 当時の資料なのかも怪しい所ですよね。 

 

▲2 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

シンプルにどんな背景があったにせよ、ウクライナへ侵攻した事実は覆せない。 

そのロシアがこのタイミングでの公表。何故今まで公表せずに今のタイミングなのか? 

情報の正誤はともかく8月15日目前であるし、北朝鮮や韓国は大騒ぎするし、世の中の視線を東アジアに移せる絶好のネタだし。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ウクライナ東部でロシアが占領しているところに似ている。アゾフ大隊がロシア系住民と見るや手当り次第捕まえて拷問して殺した。その数数百にのぼり、ロシア系住民の保護を名目に軍事侵攻した。 

南樺太は日本の領土であり施政権下にあった。そこでの事件になぜロシアの警察の調査報告があるのか?自虐史観に捕らわれず冷静に考えて下さい。 

調べるならポツダム宣言を「耐え難きを耐え忍び難きを」忍んで受け入れて、武装解除した後に日ソ不可侵条約を一方的に破棄して攻めてきたこと。占守島で武装したままの日本兵に返り討ちにあって、北海道へ進行できなかったこと。北方領土を不法占拠したこと。シベリア抑留などを調べやがれ! 

嘘ばっか流すな!ちゃんと信頼できる証拠が出てから検討すべきことであって、自虐史観に流されて「やってただろうな…」とか安易に自分たちの先達を否定しないでください。 

これ、お得意の超限戦ですよ 

 

▲14 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

母が樺太の開拓移民家族出身でした。終戦当時母は6歳でしたが、終戦を前後して今まで同じ町に暮らしニコニコと愛想の良かった朝鮮の人たちが一転して自分達に掌返しに罵倒してきたとよく語っています。戦争で日本人に虐げられてきたと思えば理解できますが、記事にあるように戦後しばらく日本人は幅を効かせていた訳ではなく、ソ連兵が突然町に現れて制圧し、日本人移民の中から若い女性だけを連れ出し、自分達の営巣に住まわせていたと聞いています。その女性達の泣き声が夜な夜な対岸から聞こえてきて、子供心に「綺麗な着物を着せられているのにどうして泣くのだろう?」と不思議だったと、今でもよく当時の思い出を語ってくれます。 

 

▲7 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

鬼籍入りした父は学徒動員によって 

1944年の夏から何故か北海道北部の僻地へと送られました。 

他の仲間たちが大勢東南アジア方面へ動員されたにも関わらず、自分が北海道に送られた事にその理由が分からず一緒に赴任した戦友たちと毎晩話していたそうです。 

 

終戦を迎え、結局お国のためには特に何も役に立つ事が出来ず、モヤモヤしていたのですが 

後になって、それがソ連の侵攻に備えるための最前線だったと聞き身体が震えたそうです。 

 

ソ連は8月9日、中立条約を一方的に破り樺太に攻め込んできました。もし日本が15日に降伏しなければおそらく父は北海道の最前線で命を落としていたのかもしれません。 

 

過去を学べば学ぶほど、ロシア(ソ連)と云う国が如何に約束を守らないかと云う事がよく理解出来ます。 

 

この話では日本兵の残虐な行為をことさら強調しているのですが、 

戦争になれば、人は人で無くなると云う事なのかもしれません。 

 

▲9 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

戦時中、極限の疑心暗鬼のなかで鬼畜の所業は多かれ少なかれあっただろう。 

しかし、戦後80年が経ち真実を検証できないこの期に及んで毎日新聞は、何の罪もない若者たちを罪人として貶め、更に自己肯定感を貶めてはいまいか。 

人を貶めるのではなく、人とより善く付き合える前向きなコミュニケーションを醸成する報道をした方が、よほど世界平和に繋がるはずだ。 

 

▲13 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

日本軍が冒してきた数々の犯罪的行為を正当化するような、愚かな国粋主義者とは一線を画したいが、そもそも戦争って、そういうものでしょ。 

 

「戦争犯罪」って言う言葉自体にかなり違和感がある。 

武器兵器の目的が人命を如何に効率よく、大量に奪うかであり、武器兵器を使う戦争自体が、そもそも犯罪そのものだ。 

 

歴史的に見ても、日本の敗戦間近に突然、宣戦布告して、樺太やサハリンを不法に占拠し続けて来たソ連・ロシアが言える立場では無い。 

 

さらに、カチンの森で2万人以上のポーランド人捕虜を殺害してきたソ連には、尚更言う資格など無いだろう。 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

旧ソ連に当時の日本を非難する権利は無い。 

1945年8月に満州へ侵攻したソ連兵は、関東軍が撤退し置き去りにされた民間日本人に対して、性暴力や掠奪や虐殺等の非業の限りを尽くした。そして捕虜を終戦後最長10年にも亘って拘束してシベリアに抑留し重労働に就かせた。 

このような悪行は決して許されない。ソ連がロシアに変わっても彼の国の本質は変わらない。 

これは許されざる犯罪である。今からでも遅くないから国際世論に訴えるべき。謝罪の代償として北方領土返還を勝ち取るのだ。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ロシアの資料では、どこまでが本当なのだけですよ。 

その当時のそれなりの年齢の男性なら、ロシアの樺太南下によって戦っていない人はまずいない。 

その戦乱気に、もうスパイなどという暇すらも無かったでしょうし、何より戦うための武器弾薬もかなり少ない状況、ほぼ一方的に侵攻されただけですから、そこにわざわざ朝鮮人を殺してしまうメリットがどこまであったのか、中には戦乱気ですから、何でもかんでも敵と見てしまう傾向はあるでしょうが、ロシア人が朝鮮語でも日本語でも解ったとは思えませんし、顔だけで判断も出来ないのですから、関係なくロシア兵が殺しただけですよこんなのは。 

最後は婦女子まで乱暴したロシア兵のいったい何を信じるのと言いたくなる。 

 

▲7 ▼1 

 

 

 
 

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