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南樺太(現サハリン南部)で1945年に日本人が朝鮮人を虐殺した事件に関する新たな資料がロシア政府により指定解除され、事件が複数発生していたことが明らかになった。

資料には、日本の軍人がソ連軍の空襲中に朝鮮人男性を銃殺した事例や、疑わしい行動をした朝鮮人が銃殺される様子が記録されている。

また、事件は日ソの戦闘が終わった後にも続いており、混乱の中で市民同士が殺し合う状況が生じた。

専門家は、当時のテロやゴタゴタが日本と朝鮮の間の関係を悪化させ、戦時の混乱が市民を巻き込む結果を生んだと分析している。

(要約)

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樺太にあった名好町の街並み 

 

 日本領だった南樺太(現サハリン南部)で1945年に日本人が朝鮮人を虐殺した事件に関する新資料がロシア政府に指定解除され、8月15日から9月初旬にかけて各地で事件が起きていたことが明らかになった。資料を入手した在サハリン研究者2人への取材で、これまで知られていなかった事件の存在も判明した。 

 

 ソ連は45年8月9日に日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦した。11日に南樺太に侵攻し、約2週間の地上戦が勃発。混乱や不安の中でデマが飛び交い、日本人が朝鮮人にソ連のスパイ容疑をかけるなどして事件が次々と起きた実態が資料からうかがえる。 

 

 ソ連当局の捜査資料などから、17日に警察署で18人が殺された上敷香(かみしすか)事件、20~25日ごろに村人ら27人が殺された瑞穂事件がこれまで知られていた。新たに判明した事件は発生時期がその前後にわたり、25日に日ソ両軍の戦闘が終わった後、9月初旬にも起きていた。 

 

 サハリン州郷土博物館のユリア・ディン氏によると、2019年にロシア政府に開示請求し、21年に複数の事件に関する供述調書などの捜査資料を入手した。 

 

 サハリン州博物館「ポベーダ」のエレーナ・サベリエワ氏は資料をもとに24年に論文を発表した。それによると、南樺太北西部の鵜城(うしろ)(現オルロウォ)で45年8月15日にソ連軍の空襲中に信号を送ったとするスパイ容疑をかけられた朝鮮人男性が日本の軍人8人に銃殺された。遺体は戦闘訓練の名目で日本人27人に銃剣で突き刺され無数の傷痕があったという。 

 

 北東部の散頃(ちりころ)(現ネルピチェ)では、8月15日に日本人と共に義勇隊に所属する朝鮮人男性が日本人と同様の武装を求めたところ不審だと疑われて銃殺された。9月初旬には武器の隠し場所をソ連軍にばらすのではないかと疑われた朝鮮人男性も銃殺されたとしている。 

 

 これらの事件については上敷香や瑞穂の事件と同じようにソ連当局が調べ、関与した日本人への聴取や遺体の捜索をしたという。 

 

 ディン氏は「戦後80年近くたって明らかになった事件もある。朝鮮人は日本人と共生する仲間だったはずなのに戦時下の状況によって市民が市民を殺す事件につながった」と分析する。 

 

 瑞穂事件に詳しい北海道大の井上紘一名誉教授(文化人類学)は「捜査資料は当時のソ連政府の視点で作成されたもので日本や朝鮮側の視点が欠けている可能性がある。ソ連の侵攻がなければ事件は起きていなかったはずだ」と指摘。その上で「ソ連軍が南下を進めて各地に地上戦が差し迫る中、日本の軍国主義が暴発し、農民らも巻き込んで植民地として支配してきた朝鮮の人々に混乱の矛先が向かったのだろう」と話した。【後藤佳怜、宮城裕也】 

 

 

 
 

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