( 316336 ) 2025/08/15 06:35:34 1 00 緊縮財政は単なる経済管理の手段ではなく、特定の階級の利益を守るための政治的武器であると、クララ・E・マッテイの著作『緊縮資本主義』で論じられています。 |
( 316338 ) 2025/08/15 06:35:34 0 00 緊縮財政は特定の階級の利益を守るための政治的武器なのでしょうか(写真:bee/PIXTA)
現代社会において、「緊縮」と聞くと、多くの人は「財政再建のための仕方ない政策」と考えるだろう。しかし、本当にそうなのだろうか。クララ・E・マッテイ『緊縮資本主義:経済学者はいかにして緊縮財政を発明し、ファシズムへの道を開いたのか』では、緊縮が単なる経済管理上の切り札ではなく、特定の階級の利益を守るための政治的武器であると論じている。第一次世界大戦後の危機的状況で生まれたこの「武器」が、いかにして資本主義体制を守り、私たちの社会に深く浸透していったのか、その歴史をひもとく。同書「はじめに」からの抜粋第2回(第1回はこちら)
■緊縮は「経済管理上の切り札」ではない
前世紀からあまりに世は緊縮にどっぷり漬かってしまったために、ほとんど見破られることもなくなった。予算削減と国民の忍従を伴う限りにおいて、今日で言うところの経済学とそれはほぼ同義だ。
このことが、特に階級の用語として見たとき、緊縮策の歴史に対する批判を識別困難なものとしている。
しかし、緊縮策を経済管理上の切り札として見るのではなく、階級の眼鏡から歴史を考察する限り、それが資本主義社会の根幹をなす何かを秘め続けているのは間違いない。
資本主義が経済成長を実現するため、すなわち人が賃金獲得の目的で労働力を売るためには、資本の社会関係が全体から見て統一性を備えていなければならない。
言い換えれば、経済成長とは、特定の社会政治秩序、もしくは「資本秩序」を前提としていると見なければならないのだ。
緊縮策は、財政、金融、産業からの経済の防護柵と見てよく、社会関係の不可侵性を保証するものとなる。
歳出と賃金に構造制限を課すことで、社会を生きる大多数にとって、「汗水たらして働き、貯蓄する」ことは、その強靭性以上の何かを課す。すなわち、それが生き残る唯一の道だからだ。
■資本主義の崩壊に慄いたブルジョアたち
この物語は、最も深刻な資本主義の危機を引き起こした第一次世界大戦をもって始まる。
戦中、戦後、ヨーロッパ諸国に住む大半の人々にとって、好むと好まざるとにかかわらず、資本主義の終焉は、戦争による荒廃と国家経済計画の抜き差しならぬ結果として目の前にあった。
イギリスの労働組合指導者ウィリー・ギャラチャーは「戦前は永遠と思われた産業秩序が、今や世界のあらゆる国で根こそぎ揺らぎつつあった」と語った。
イタリアの名うての自由主義経済学者ルイジ・エイナウディも同様の脅威を抱いており、「資本主義体制と呼ばれるものを地に叩きつけるには、ほんのちょっと腕を動かすだけで十分に思われた。(中略)平等支配は間近に思われた」と発言した。
こうしたブルジョア学者の発言は、労働運動「Ordine Nuovo(オルディーネ・ヌオーヴォ:新秩序)」の大御所パルミーロ・トリアッティの熱とも半ば重なって見える。
トリアッティは、「人は旧秩序に反発し、自らを新たなやり方で位置づけ、共同体を新たな形で編成し、まったく新たな社会の建造物建設を可能にする新たな生活関係を築く必要を感じている」と語った。
この反資本主義への集団的な覚醒は、戦時中に私企業所有者による資本蓄積が途絶した異常な政策によって促進された。
政府は、戦時生産の膨大な規模に対処するため、軍需、鉱山、海運、鉄道といった主要産業を集団化し、労働者を直接雇用してコストと供給を規制した。
この国家介入主義は、連合国の勝利を可能にしただけでなく、賃金関係や生産の民営化が「自然」な状態とはほど遠く、階級意識による政治選択に他ならなかったという事実を白日のもとに晒した。
■階級対立を飼いならす「緊縮の三位一体」
戦後、ヨーロッパの労働者は、積極的な動員による新たな経済上の前例に力を得て、より強力かつ過激な声を上げ、投票以外の方法で自己を表現するようになった。
労働組合、政党、ギルド、そして生産管理のための階級制度を通じて集団的な権力を強化した。国民の大部分が政治化したことは、経済問題において世論を無視できなくなった現実を意味していた。
ヨーロッパ全土で類を見ない民主主義の大変動が起こったその瞬間、金融インフレが高まり、ロシア、バイエルン、ハンガリーから革命の嵐が吹き荒れる中、経済学者は自らが考える世界を堅持するために「伝家の宝刀」を抜かなければならなくなった。その冴えわたる武器こそが、緊縮策だった。
この緊縮による巻き返しは、多数派をなきものとした。
政府と専門家は、抑圧的な賃金・雇用政策を通じた直接的な方法に加えて、経済を引き締めて失業率を上昇させる制限的な金融・財政政策を通じた間接的な手法を用い、多数派を資本に服従させる政策に着手した。
すなわち、その対策は、多数派が賃金と引き換えに労働力を売る社会関係を再構築することにあった。
緊縮策は、大多数の労働者から少数の貯蓄者・投資家へと財源をシフトさせ、そうすることで生産のしわ寄せを国民に受け入れさせた。
このことは、資本主義を唯一にして至高のものと奉ずる経済学者らによって、さらに確固たるものとなった。
緊縮策がこれほど効果を上げたのは、率直かつ晦渋な経済学の語彙で包装されていたためである。
アダム・スミス、デヴィッド・リカード、ロバート・マルサスの時代から、経済学者によって重宝された「勤勉」や「倹約」といった漠然とした用語は、個人の美徳や行き届いた政策の素材として育て上げられてきた。
しかし、20世紀の緊縮策は、初めて投票権を獲得した市民の政治参加と経済民主主義への要求が突き上げられる中、国家主導のテクノクラート計画として実用に供されている点で、それ以前の道徳運動とはまったく異なるものだった。
緊縮策は、ボトムアップの社会変革の脅威に立ち向かう反民主主義的な反動としてその本質が理解されなければならない。
クララ・E・マッテイ :タルサ大学経済学部教授、同大学異端派経済学研究センター長
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