( 319415 ) 2025/08/27 04:55:14 2 00 「6人を焼死」させても死刑回避 判決後には「うまくやった」と笑みを浮かべ…「新宿バス放火事件」 服役囚がその後に選んだ“最悪の結末”デイリー新潮 8/26(火) 6:12 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/d2f3a2efa983d10d1066ac993f671527bb8b9995 |
( 319416 ) 2025/08/27 04:55:14 1 00 1980年8月19日に起こった新宿バス放火事件では、発車待ちのバスが放火され、6名が死亡、14名が重軽傷を負った。 | ( 319418 ) 2025/08/27 04:55:14 0 00 新宿駅バス放火事件 現場で献花をする人々
今から45年前、1980年の8月19日夜に起きた「新宿バス放火事件」。新宿駅西口で、発車待ちのバスが放火され、死者6名、重軽傷者14名を出した、日本の無差別殺人としては最悪の惨劇のひとつである。殺人罪などで起訴されたのは丸山博文(38=当時)。死者の数から鑑みて、死刑判決を求める世論が高まった。しかし、4年後に出た一審判決では無期懲役、そしてその2年後、高裁で同判決が確定した。刑法39条には「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」とある。彼は事件の7年前、若い女性の部屋に侵入して警察に逮捕されたが、その際、統合失調症(当時の病名は、精神分裂病)と診断され、起訴を免れていた過去があったのである。
月刊誌「新潮45」では2007年、ノンフィクション作家・福田ますみ氏の筆により、この事件の全容を当時の資料などに基づいて詳らかにしている。事件の凄惨な被害、そして丸山の生い立ちから犯行に至るまでを描いた【前編】に続き、【後編】では、丸山が死刑を回避できた理由、そして、その後の丸山の人生を詳述する。
【前後編の後編】 【福田ますみ/ノンフィクション作家】 (以下は、「新潮45」2007年2月号記事の再録です)
***
起訴後の公判廷での審理は、丸山の精神状態に集中した。
裁判所は、上智大学教授(当時)の福島章氏と東大教授(当時)の逸見武光氏に鑑定を依頼、その結果は、両教授とも「精神病ではない」と一致したが、「平均より若干劣る知能に被害妄想、酒による酔いが重なっての犯行」(福島教授)、「生い立ちなどから、被害妄想や幻覚などに支配され、酒を飲んだ結果、妄想の抑制がきかなくなって引き起こした複雑酩酊による行為」(逸見教授)と鑑定した。
この鑑定を受けて、昭和59年4月、東京地裁は、丸山に無期懲役の判決を下す。被告は犯行当時、是非善悪を弁識し、それに従って行動する能力が甚だしく低下した心神耗弱の状態にあったと判断されたのである。検察は控訴したが、東京高裁も昭和61年8月、1審を支持して無期懲役が確定した。
判決の瞬間、丸山は、何を誤解したのか、「罪にならないんですね」と呟き、傍聴席に向かって「ごめんなさい」と言いながら土下座したという。だが、その後に面会した弁護人によると、うまくやったと言わんばかりに笑っていたそうである。
現在なら、犯行の悪質さ、被害者の人数、被害者感情から考えて死刑判決が下ることはほぼ間違いない。
実際、全身ヤケドを負いながらかろうじて脱出した21歳の女性は、
「肉体的にも精神的にも、一切がひっくり返ってしまう苦悩を丸山に味わわせてやりたい」
と怒りを露わにする。
無理もない。彼女は、繰り返し植皮手術を受けたにもかかわらず、その顔や腕には板状のケロイドが刻まれ、事件前の、若く健康な肌を取り戻すことはついにできなかったのだ。
街を歩くときには必ずマスクで顔を隠す。しかし夏場には、「気持ち悪い」などと、心ない言葉を囁かれて辛い思いをすることが少なくない。絶望のあまり、「あのとき、いっそ死んだ方が幸せだったのではないか」とさえ考えると言う。
しかし、こうした彼女の被害者感情が裁判に反映されることはなかった。
当時は、心神耗弱を認めた減軽判決が乱発されており、丸山もその流れに乗って運良く生き延びたわけである。
だが一口に被害者感情と言っても、こちらも全身の80%に及ぶヤケドを負いながら、命をとりとめた後、丸山と、面会や手紙で交流を重ねた被害者がいたのである。
杉原美津子さん。事件当時36歳だった彼女は辛い不倫の渦中にあった。だから、ふいに火炎が迫ってきた時、「これで死ねる」と思い咄嗟に逃げるのを躊躇したため、大ヤケドを負ってしまったのだ。
そうした複雑な事情も手伝ってか、丸山に宛ててこんな手紙を書く。
「私は一度だって、あなたのことをうらんだりにくんだりしてきませんでした。あなたをさばく気持ちも全くありません。どうか、もう一度、生きてみてください。あなたにとって、いちばんたいせつなものを見つけて、勇気を出して生きてみてください」
獄中の丸山はおそらく面食らっただろうが、次のような返事を書いた。
「おてがみありがとうございました 五五年八月十九日はほんとにすまないことおしました。じぶんは、こうかいしています。バスにおきゃくさんが のっているとはおもわなかったし めが はっきりみえなくてほんとに すまないことおしました 大ぜいなくなり おわびのしよが ございません ほんとにすまない 丸山」
被害者の寛大な心に触れて、真摯な反省の気持ちを綴ったのかもしれないが、「バスにおきゃくさんが のっているとはおもわなかったし」という行は、【前編】で述べたように、やはり自己弁護としか思えない。
なお、これは全くの偶然だが、プロカメラマンをしていた杉原さんの兄が現場を通りかかり、バス炎上の瞬間をカメラに収めていた。兄は、急を聞いて病院に駆けつけるまで、まさか妹が事件に巻き込まれていたとは思いもしなかった。
読売新聞は、兄が撮影した写真とともに、奇しくも、この乗客の中に実の妹がいたその巡り合わせを大々的に報じた。
兄はその後、プロカメラマンの職を辞した。
杉原さんは後に、『生きてみたい、もう一度』(文藝春秋)と題した手記を出版し、反響を呼んだ。
言語に絶するつらい治療、10度の手術。2度の死線を彷徨い、ようやく命を取りとめた後もケロイドが全身に残り、もはや健康体には戻れないが、それでも丸山を憎む気持ちにはなれないこと。
さらに、11ヶ月を超える入院の後、不倫相手の男性といっしょになったが、後遺症による体調の悪化、男性が抱えていた借金の返済などさまざまな心労が重なり、自殺を決行しようとしたこと。しかしなんとか思い止まって、「それでもやはり生きたい」という心境に到達するまでの魂の遍歴が綴られている。
この手記を元にした同名の映画が、昭和60年、恩地日出夫監督、桃井かおり主演で公開された。
なお、無期懲役の刑に服していた丸山は、平成9年10月、千葉刑務所で首吊り自殺を遂げた。良心の呵責に耐えかねたのか、それとも、長期拘留に耐えられなかったからなのか、理由は定かではない。
***
以上が事件と、その後の顛末である。
獄中での11年間、丸山はどのような生活を送っていたのか。自らも服役経験のある作家の故・見沢知廉氏は千葉刑務所在監時代、丸山と生活を共にしたことがあり、著書『囚人狂時代』の中でこう記している。
〈丸山は皆から可愛がられていた。無口なのでホラも吹かないし、人の悪口も言わない。(中略)その丸山が、時々あらん限りの声で叫ぶことがあった。皆が寝静まった深夜、突然、悲鳴をあげて布団の上に立ち上がるのだ。どんな夢に怯えていたのか。それを丸山が言葉にしたことは一度もない〉
丸山が死亡したことが公表されたのは、自殺の半年以上も後のことだった。報道によれば、その日、丸山は昼食後、「メガネを忘れた」と言って、食堂から作業場に向かい、5分経っても戻らなかった。職員が探しにいったところ、作業場の空気配管にビニールひもをかけ、首を吊っていたという。遺書はなかった。
これを受けて、前述の杉原さんは「FOCUS」(1998年7月22日号)の取材にこう答えている。
〈生きて償う義務があったのに。強い憤りを覚えました〉
身勝手極まりない理由で6人を焼死させ、自らの命すらもあっさりと絶つ。丸山にとって果たして「命」とは何だったのか。死刑から無期懲役刑への減軽に、一体、どんな意味があったのか。事件から45年経った今でも、その問いは残されたままだ。
【前編】では、事件の凄惨な被害、そして丸山の生い立ちから犯行に至るまでを詳述している。
福田ますみ(ふくだ・ますみ) 1956(昭和31)年横浜市生まれ。立教大学社会学部卒。専門誌、編集プロダクション勤務を経て、フリーに。犯罪、ロシアなどをテーマに取材、執筆活動を行っている。『でっちあげ』で第六回新潮ドキュメント賞を受賞。他の著書に『スターリン 家族の肖像』『暗殺国家ロシア』『モンスターマザー』などがある。
デイリー新潮編集部
新潮社
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( 319417 ) 2025/08/27 04:55:14 1 00 この文章は、日本の司法制度や犯罪者に対する処罰についての議論を行っているコメントのまとめです。
1. **被害者ファーストの視点**: 多くのコメントは、加害者の精神状態を考慮することなく、被害者の立場を優先すべきであるという意見が強いです。
2. **刑罰の重さの要望**: 「刑罰は現行の10倍にすべき」という提案もあり、極刑の迅速な執行を求める声が多く上がっています。
3. **精神鑑定の信頼性疑問**: 精神鑑定の結果に疑問を呈する意見が多く、犯罪者の精神状態を理由に減刑されることに対する不満が見受けられます。
4. **過去の事件への言及**: 具体的な過去の事件を引き合いに出し、これらの事件に対する司法の対応が被害者に対してどれほどの不公正であったかを訴える意見が見られます。
5. **草の根的な感情**: 被害者やその家族の感情を無視した司法の姿勢に対する怒りや失望が強調されています。
これらのコメントからは、日本の刑法や司法制度に対する不満、被害者の権利の軽視、及び精神疾患を犯罪の軽減理由として用いることへの問題意識が伺えます。 | ( 319419 ) 2025/08/27 04:55:14 0 00 =+=+=+=+=
犯罪者に対しては犯罪者の精神状態などは一切考慮することなく、単純に犯した罪の重さのみで判断するべき。 そして犯人の更正は絶対にないことが前提条件で考えるべき。 刑事罰の重さは現行の10倍にするべき。 極刑の施行は判決後半年以内に100%行うべき。 ただし、イジメや介護疲れなどによって追い込まれた犯行や、襲われるなどの正当防衛などのような一般的に同情の余地があるものや命を守るための結果のような場合は現行の考え方は絶対に必要である。
▲5334 ▼501
=+=+=+=+=
たとえ事実をそのまま書くというライターさんの意識が強くあるのだろうけど、この事件は本当に悲しいものでしかなかった。たしか野球観戦帰りの父子が亡くなっている。この父子の葬儀に巨人の王選手からサインボールが贈られて飾ってあったのがあまりにも悲しい記憶として残っています。加害者に対して無理矢理に同情的な記事も散見しているので、事実をそのまま書くのであれば、被害にあわれた方々のことも忘れてはならない。
▲1015 ▼20
=+=+=+=+=
つくづく日本は加害者ファーストの国なんだなと感じました。抑止力にならないから犯罪が無くならない。判例があるからといつまでも前に進まない。 今からでも時代にあった、被害者ファーストの法律になってほしいものです。
▲3452 ▼122
=+=+=+=+=
この記事を読んで事件のことを思い出しました 犠牲になったのはたまたまそのバスに乗り合わせただけの何の罪もない方々です 犯人が死刑にならなかったなどあり得ない
数日前の神戸の通り魔殺人事件でも何の罪もない方が犠牲になっています 犯人は3年前に凶悪事件を起こしておきながら執行猶予
日本の裁判は犯罪者に甘過ぎませんか? どう考えてもおかしい
▲2371 ▼30
=+=+=+=+=
飲酒が原因の一つなら、今後は飲酒を認めないという刑は作れないのでしょうか?もう酒を飲んだだけで逮捕。交通事故以外にも飲酒の影響という事件は多数ある。
▲36 ▼5
=+=+=+=+=
精神鑑定自体に脳の異常など、目に見える科学的根拠はあるのですか?精神科医が判断するだけですよね?だから実際に検察側と弁護側で違う結果になることもあります。こんないい加減な鑑定結果で殺人犯を無罪とすることに関係者の誰も何も思わないのが不思議です。今の法律や鑑定方法が正しいとは限りません。
▲2089 ▼74
=+=+=+=+=
精神に問題があろうが、被害者には関係のないこと。 どちらを考慮すべきかと言えば被害者であるべきなのに、何故か被害者よりも加害者のことを考慮すると言うおかしな状態。 いやむしろ精神に問題があるのなら、反省も更生も無理だし再犯の可能性が高いのだから、より重い罪にすべきだと考える。
▲1590 ▼36
=+=+=+=+=
衝撃的な事件でした。その2年前まで通学で通るエリアだから、遭遇した可能性があったと感じて、身震いした。 化繊を身につけていた犠牲者の火傷が特に酷くて、しばらく女性はストッキングを履けなかった。 犠牲者の中で当時不倫中の女性がいて、その女性のお兄さんがカメラマンで偶然現場にいて、この燃え盛るバスを連写した写真が後日公開された。週刊誌で数枚見ました。 犯人が獄中自殺したのは知らなかった。刑期中は高評価されていたからか、待遇がやさしすぎです。忘れ物を取りに行くのに監視しないのか。 極刑でも飽き足らない悲惨な無差別放火殺人を起こしたにもかかわらず、無期懲役から減刑された理由の一つ、悲惨な生い立ちからくる未熟な精神疾病で前科を減刑されていたことらしい。 京アニの無差別放火殺人の犯人もそうだけど、江戸時代なら火刑になる犯罪者に対し、どこまでも甘い犯罪者ファーストな日本の刑罰です。
▲180 ▼5
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当時、中野区に住んでいて、新宿ハルクに食料品の買い物に行く母と、西口からバスに乗って帰宅する事が日常で、この事件はとても衝撃を受けた。 父から、バスの後方には座るな。何かあったら逃げれないから後方ドアより前に乗るよう指示された記憶がある。 中学生になり、友人とバスで出かけると言うと、母がダメだと言うので、友達の親からは、過保護と言われていたが、母は、この事件を引きずっていたと思う。 それだけ衝撃的な事件だった。
▲55 ▼2
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当時の裁判は、このようないい加減さがまかり通った時代だったんですね。 今の裁判官は、まさかこの判例を前例として扱いませんよね。 それでなくても冤罪が多いこの時代、裁判官も一翼を担っている事を忘れずに反省と謝罪の気持ちを以って励んでいただきたい。
▲18 ▼12
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「心神耗弱、心身衰弱」などを考慮すれば減刑が相当である・・・という判決は、理不尽にも殺害された人から見れば、減刑される理由にはまったくなっていないのは明らかです。加害者の弁護士が騒いでいるだけです。刑罰を決める判断基準を「心身耗弱など」ではなく「結果責任の追及」にしてもらいたい。その方が、世間は納得し、犯罪抑止に効果的だと思います。庶民に分かりやすい判決をお願いします。
▲746 ▼14
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第一に九条もそうだけど、この法律は絶対に改正されなければいけない。人の命を奪っておいて、それが理由で無罪はありえない。この法律を支持する人は被害者遺族の前で主張出来ますか?自分が被害者遺族になったときに同じことが言えますか?人の命を奪ったと言う事実では必ず責任を取らなければいけない。
▲1241 ▼107
=+=+=+=+=
心神耗弱状態で犯罪犯す歯止めをかける事が出来ないなら、むしろ再犯する可能性が高いんじゃないの?
自身の犯した罪の責任を取る事が出来ないなら、一般社会に戻すべきではないと思う。
あるかどうかも分からない加害者の更生の余地ばかり重視されて、被害者側の受けたダメージは軽視されがち。
裁判員裁判が導入されても、裁判員の出したのが通る事がほぼ無いっていう、形骸化というか作っただけで意味成さない状態といい、特に外国人犯罪に多い理由を明らかにしない不起訴処分とか、法曹界こそ一度ぶっ壊すレベルでメスを入れた方が良くないか?
▲770 ▼14
=+=+=+=+=
初めて聞く事件だと思ったら、自分が生まれた頃にそんな事件かあったのか。 今までの凶悪犯罪って精神不安な人や知能が低い犯人が多かったと思う。寧ろ、普通の精神状態の時には犯罪など犯さず、精神状態がおかしい時にしかやらないのでは? そうなると、みんなが精神的に〜で減刑になってしまう。 今の子どもは発達障害が多いから、将来それで軽くなる容疑者ばかりになる。 差などつけてはいけない。凶悪な事を思い付く知能があるなら、それは立派な犯罪者だと思う。
▲154 ▼10
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宅間も精神状態がおかしいと言われていたのに、死刑判決を受けてから早い時期に執行されました。宮崎も精神鑑定がとの疑問も執行されました、明らかにおかしいと思われても国民感情を優先させたのは間違いない、再審請求を出しているのにも関わらず執行して闇に葬った人もいました、それと闇を感じるのは永く拘置所にいる死刑囚もいるわけで、執行しない基準は何だとギモンばかりですよ。袴田さんのような冤罪の人がいるから躊躇しているに違いないと思っています。
▲472 ▼43
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つい先日の殺人事件でも似たような感じでしたね。 不起訴や執行猶予にしたせいで被害者が命を落としています。 不起訴や執行猶予、精神鑑定する人ももっと責任を持ってほしい。責任を持って不起訴や執行猶予にしてほしいと言う意味ではなく、結果的に再犯したらペナルティを課すと言う意味で。 代わりに、傷害の時点で無期懲役にした後に、更生させたい人が刑務所内なら好きなようにサポートはすれば良いと思う。
▲1 ▼0
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私がまだ中学生の頃の事件でした。 その後のニュースは見ていなかったのですが、判決は無期懲役だったけれども結末はそうだったんですね。 これを読んでいて京アニ放火事件を思い出しました。 京アニの犯人は死刑確定したようですが、彼はこのままベッドの上で執行されるまでの間に罪に苦しむことはあるのだろうか。 死刑という刑罰はいつ執行されるかわからないという恐怖を与え続けられ、自分の罪と向き合い苦しめられるものだと思います。 私はやはり死刑は必要な極刑だと考えます。
▲128 ▼1
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近年でも多くの死者が出ているのに無期懲役に減刑されたケースがある。 ペルー人による熊谷6人殺害事件(2015年)や、過去に事件を起こし精神科に通院歴のある淡路島5人殺害事件(2015年)の刑事裁判では、いずれも裁判員裁判の一審で死刑判決が出ているにも関わらず高裁で心神耗弱が認められ最高裁の上告棄却により無期懲役が確定している。 被害者参加制度による遺族の意向や裁判員裁判の決定を無視するかのような判決には怒りを感じたし、それが司法というなら立法により今の刑法は改められなければならない。
▲97 ▼3
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司法は世論や時流にブレない強固なものであるべきと思う反面、被害者や 遺族感情を思うとその時代に即した柔軟な改変も必要なのかなとも思う。 少年法とかも。そしてこれは国防に関わる憲法にも言えると感じる。 ただ重大な法改正や改憲に際しては国会議員だけでなく国民投票も導入し てはどうかとも個人的には思う。 また法改正に際してはセーフィティネットの議論とセットにしないと感情 的な方向に流されかねないとも感じる。犯罪を出さない仕組み作りも大切。
▲2 ▼0
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精神病だから死刑から逃れたのは理不尽ね。逆の発想にすべきだろう。出所したらさらなる被害者が出ることを考えなければならない。先日の神戸女子殺害事件もそうだけど、犯人は精神病かどうかともかく、一度殺人未遂の罪で逮捕されたのに、猶予付の判決を下した。もし服役したら、今回の事件を避けられたかもしれない。量刑は慎重ながら厳しくしてもらいたい。
▲60 ▼1
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日本の司法判断を迷わすのは簡単な感じがする。整合性を考えた虚偽の供述内容や涙を流しながらの態度など深く反省してるなどを演じることにより裁判官は簡単に騙されてるのか分からないけど刑罰も近隣諸国に比べて寛容な気がする。犯罪抑止はもとより犯罪実行のしやすい日本のようでならない。 万引きなども注意みたいな微罪処分では益々増えるでしょうね、罰金刑を導入すれば減るはずだと思います。
▲15 ▼1
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精神に問題があって犯罪をしたなら、減刑や釈放・ゆるい病院への通院処置では不十分だし再犯も怖いです。 「精神系刑務所」を新設し、統失など犯罪をおこすきっかけとなった病気専門の投薬や治療を確実に行いつつ、世間から隔離するようになれば一般人は安心できるのですが… 監視のない野放しな執行猶予とか、やらかした人がまたもとの場所に戻ってきて近所の人が戦々恐々とするようなことが無くなってほしいです。無辜の被害者を守ってほしい。
▲0 ▼0
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当時の事とはいえ、国家による死刑執行を出来なかった事は残念でならない。
死んでしまえば同じ、という訳ではない。死刑執行までの恐怖を味わう事で少しでも自分がやった犯罪に向き合あう時間を与えることだ。
どの犯罪もそうだが、犯罪を反省して罪を償おうとする犯罪者は少ないと思う。その証拠に刑期を終えてからの再犯率は高い。
そうであればたとえ1人の殺人であっても身勝手な理由による犯罪は死刑で償わせる事が妥当だろう。
また、刑罰の執行は法に則り、順次行われるべきだ。
▲3 ▼0
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犯罪被害者ではない自分には到底わからない心理だけど、自分が、さしたる事情もない身勝手な犯罪で命を落としたり、その家族だったりしたら、絶対に犯人を許さないと思う。
周囲の人間や、同じ事件の被害者にでさえ、犯人に、生きてほしい、とは、口が裂けても言ってほしくないんじゃないかと思う。
犯人には、被害者の受けた苦しみの何倍も苦しんでほしいし、罪を償った先の自由なんてもってのほか。
犯人が、生きて償う機会なんて、幸せに生きて人生を全うしたかった被害者への冒涜だとすら思う。
そう考えるのはおかしいだろうか。 怪我ですんだとしても、許すなんて感情はありえない気がする。
▲0 ▼0
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精神異常だから無罪などおかしな日本だ。精神異常のふりをしていてもわからないのでは。今の科学で脳の中身をすべて見通せるはずがない。犯罪の内容により分け隔てなく裁判を行うべきだ。そうしないと精神異常だからと犯罪者を野放しにして、このような大事件を起こして犠牲者を増やしてしまう。法を作る時、見直すとき識者の意見を聞くようだが、その必要はないのでは。法務省を決めて、国民に開示し、意見を聞けばよい。
▲31 ▼1
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被害者や被害者家族の心情では、凶悪な犯罪を犯した犯人の死刑判決は当然でしょうが、人が人を殺したから死刑でしょう、だから国が変わりに殺すのはどうでしょう、国際的に見ても死刑の判決を容認している先進国は少数の国では 法律で殺すのは殺したことにはならないようですね、人を殺すのは法であろうとなかろうと殺すのには違いがないと思いますが、我が身内が犯罪に巻き込まれば冷静にはなれないでしょうが、それでも死刑制度は矛盾を感じられますね
▲0 ▼15
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この事件、当時の報道をハッキリ覚えてます。燃え盛るバス、鎮火後のバス車内の惨状。 今でも西口の現場近くを通ると、フラッシュバックのように当時の記事やニュースを思い出して辛くなる。 被害者の方々に比べれば、到底比較にはならないが、薄く広い被害者の一人ではなかろうか。 あとは、精神状態の如何に関わらず、殺人は断罪すべき。何故なら、殺人は真っ当な精神状態で犯す犯罪ではないから。
▲56 ▼5
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正常な判断が出来ようが出来なかろうが人をあやめた事実は何も変わらない。 犯人には医療による支援が必要なので罰は与えないと言われるのは被害者の家族にとれば大切な家族、幸せな家庭が何の為に失われたのか、余りに理不尽だ。 ましてや裁判で被害者や家族の心情に寄り添わず「勝ち取る」弁護士が高い評価を得るという話には嫌悪の感情さえ湧いてしまう。 罰はその犯した事実に対して、その動機に同情の得られる一部の場合を除き平等に適用されるべきです。
▲10 ▼1
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神戸のマンションで起きたエレベーター内刺殺事件の様に、被害者側に一切何の落ち度が無く、恨まれる理由も皆無なケースでは、犯人の精神状態や知能指数など考慮する事はすべきでは無く減刑は廃止すべきだ。 女子高生コンクリート事件も、被害者には一切何の落ち度が無いのに、日本の犯罪史上類を見ない程の凄惨な暴行を受け殺害された。20歳に満たないと云う理由だけで刑期は非常に短く、その後出所した主犯格4人の内の3人迄もが再犯に手を染めているし、残る1人は病気により引き篭もって居た為に犯罪に手を染めなかったと見られている。
何の恨みも無い相手に対し、凶悪な殺人行為をする様な者の更生など不可能であり、ましてや社会に復帰させ、前記の神戸の事件の様に新たな犠牲者生むなど本末転倒であり、言語道断だ。
▲86 ▼3
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「生きてみたいもう一度 新宿バス放火事件」という、この事件を題材にした桃井かおり主演の映画を観たことがあります。 やけどを負った桃井かおりの姿が痛々しく、さらに実際のバス車内の写真なんかも出ていて、炭のように黒焦げになった乗客にショックを受けました。 U-NEXTで配信してるので、ぜひ観てみてください。
▲18 ▼2
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この事件は報道の在り方にも一石を投じていました。 バスの最後尾でプロ野球観戦帰りの父子が逃げる間も無く犠牲になっている現場を真正面から捉えたカットが新聞掲載されました。当然に編集では随分揉めた結果、犯人の残虐さを世に示す方が優先するとして輪転機を廻したと伝えられています。当然に社会は極刑をとの声が盛り上がっていきました。 しかるに判決は極刑回避。 今も昔も司法にとっては他人事なのは変わっていない。
▲16 ▼0
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死刑反対派弁護団の策が成功してしまった最悪の例だと記憶している。また、当時の社会情勢からして「酒を飲んでの行為」は悪い事・犯罪行為だとしても大目に見てあげるというというのが当然だった(今も世の中にはその名残がある)。精神の問題にそこを組み合わせて死刑回避をさせた弁護団の策だったといえる。さすがにこの事件は「死刑以外はない」という世論だったにも関わらず死刑回避。弁護団は喜んだが、世論は「精神の問題での罪逃れは有り得ない」という傾向が強くなった。ネット世論というのが今は出来て、既存世論よりもさらに死刑を望む声が強い。それはこういう過去のおかしな判決をネット記事やウィペディアなどで読んだ人もたくさんいるからだろう。世論と乖離した司法やマスコミや弁護士は重く考えるべきだ。
▲43 ▼5
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今回神戸での女性殺人事件で思い起こすのは、かつて広島であった女子高生殺人事件。家に入り込んできて二階で風邪気味で寝ていた女子高生を刺殺し、祖母にも重傷を負わせた。犯人は何年後かに傷害事件かを起こして逮捕されたのをきっかけに犯罪が判明したが、この場合、罪の悪質さから当然死刑にすべきであった。殺されたのが一人だったので永山基準とかで無期懲役になった。被害者の母親が判決の後、墓に「負けましたよ」と報告したと言うのを読んで本当にやるせない気持ちになった。女性に対する性的な理由による無差別殺人事件は被害者が一人であっても死刑にすべきだ。今回の神戸の事件でも犯人は似たような事件を3年前に未遂で起こしており、執行猶予中だったらしいので、当時の裁判官には本当に怒りを覚える。犯人はおそらくせいぜいで無期懲役だろうと予想されるが、悪質な犯罪者には甘い今の日本の裁判には腹が立つ。
▲17 ▼0
=+=+=+=+=
刑法第39条は窃盗をはじめ弁済で償える犯罪に限り適用すべきであり、傷害、殺人など人体の危険に及ぶ犯罪には適用除外すべきだと思います。 同時に、通り魔のような無差別事件には量刑の厳しい別の罪を設けるべきだと思います。
▲8 ▼0
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凶悪事件が起こると毎回毎回精神鑑定の必要性が〜という流れになるけど、こんな事件を起こそうと画策する段階でまともな精神状態ではないはず。 だったらいらないでしょ、鑑定。最初からまともじゃないのに何を鑑定するの?
心身衰弱だろうと、この犯人の人生がどんなものだろうと、そのバスに乗っていた人達には何も関係ないのに。
起こした事の重大さで刑を決めるべきでは? 人の命を理不尽に奪ったら自らの命をもって償う、基本はそうじゃなきゃいけないと思う。 被害者が1人だろうと、複数人いようと同じです。尊い命が奪われたことに変わりはないのだから。 そうじゃないから日本は法治国家のくせに加害者に甘く、被害者が報われない国だと言われるのよ。
▲55 ▼4
=+=+=+=+=
こういう事件があるというのに死刑廃止論を叫びたがる運動に一ミクロンも共感できない。冤罪防止とは別問題だ。冤罪は手続の問題。そこはちゃんとしなければならない。しかし、刑罰はちゃんと選択肢を準備しておくべきだ。死刑は、法の存在を社会に知らしめるうえで最重要の選択肢の一つだ。もちろん乱発すべきではないが、実際に死刑判決が出るまでには相当慎重に審理されている。乱発されるということはない。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
京アニの公判弁護団も、この判例を用いて精神的不安定を理由に形の軽減に動いているのです。
日本の司法は未だに江戸時代と同じで、犯人を更生させる方向が強すぎ、被害者に寄り添う姿勢がなさすぎると思っています。 加害者は刑が決まれば税金で衣食住は保障されますが、被害者は加害者からの弁済もほとんどない上に今までの生活もできなくなった人がほとんどだと思います。 司法はもっと被害者に寄り添うことが必要だと思いますね。
▲11 ▼0
=+=+=+=+=
刑は犯した罪の大きさにより判断しなくてはならないと思う。生立ちがどうの精神状態がどうのなんて被害者が受けた災難には何も関係がない。日本は加害者の人権ばかりを守ろうとする。まるで被害者に人権がないような取り扱いだ。これでは被害者は司法から差別を受けているとも考えられる。特に最近、死刑囚から絞首刑は残虐だとかの訴えが出たりしているが、死刑囚が犯した罪は絞首刑より何十倍も残虐行為を行って死刑判決が出ている。こういう主張は天秤が全く釣り合わない。罪を犯した者にも人権があると言った妄言は許すべきでない。重篤犯罪を犯した者の人権は法律を改正して 人権自体を停止すべきだ。そうしないと被害者と加害者の天秤は絶対に釣り合わない。
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精神的な状況で罪を軽くするのは間違えだと思う。 犯した罪に対する罪状は確定して、その病状によってその罪状に当たる期間は隔離病院に入れるべきだと思う。 もし、その病状が良くなったら通常の刑務所に送り、刑期を務めるべきだと思う。
▲84 ▼4
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昭和の人気ドラマに怪奇大作戦という作品がありました。その中の狂気人間という放送回は現在では放送禁止となっています。これは人間を狂気に陥らせ、罪を犯しても無罪を勝ち取れるという内容でした。ラストの岸田森演じる科学捜査研究所所長・牧史郎の「日本の様に精・神異常者が野放しにされてる国はない」というセリフが胸をえぐります。
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この事件個人的に遺恨があります。 まず、当夜祖父が心不全となり、救急要請をしたものの、来たのはだいぶ経ってからでした。子供だったので時間は分かりません。 亡くなった方に、親子がいたはずです。父と男の子。男の子は年齢は一つ下でしたが、同じ剣道クラブに通っていた子です。夏の暑い盛り、稽古の後に正座をして黙想をした後、お母様が挨拶をしていた情景は今でも憶えています。 新宿西口のバスターミナルは現在工事中で、だいぶ様変わりしましたが、今でも京王バスはよく乗るので、思い出します。 犯人は、結局苦痛から逃げた。そういう事なんだなと。事件に関わった周りの気持ちはいかほどだろう。
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確か犯人が不幸な生い立ちだったのが、死刑が回避された理由だった。 しかし服役したら、看守や囚人に強烈ないじめに会い、首吊りをすることになったという。
精神的に追い詰められたからと言って、他人を巻き込んだら、結局は破滅するということだ。
この事件で燃え盛るバスを撮影したカメラマンが、自分の肉親もまき込まれたことを知って報道カメラマンをやめたそうであるが、やはり他人のことは客観的に見えても、身内だとそうはいかないということだと思う。確かに、そういった写真は躊躇してしまう。
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心神喪失状態と言われる状態で、人を殺めても大きな罪に問われないとは、被害者は何のためにそれまで生きていたのでしょうか? 人を殺めてしまう時って、どんな人も多かれ少なかれ精神状態は通常とは違うのではないでしょうか? だったら、その事件の内容やそれに至るまでを調査して判決を出すべきではないでしょうか?
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昔の地裁は〇地外判決と言われるほどの庶民感情と隔絶した加害者有利の判決ばかり出していたが、その後それらの裁判官が高裁に出世し、現在の高裁は裁判員の出す判決に反発、自身の臆病さや保身のため絶対に死刑は避けるという暗黙の了解ができているという。
▲214 ▼16
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日本に限らずなんだけど、死刑を無くしていく世界的な流れの中には、被害者および残された人々に対する視点が欠けているとしか思えないんだよね。仮に海外のように懲役100年の刑が科されたにせよ、加害者が生き永らえること自体には「未来」があるわけだし、塀の中であっても楽しみを持ち喜びを感じることもできる。でも殺人の被害者はその場で一瞬にして人生を終わらされたわけだし、残された人たちは否応なくその人と歩む人生を引き裂かれた。それに対する代償はどのように支払ってもらうんだろう。 もちろん死刑よりも残りの人生を塀の中で暮らすことの方が苦痛という者もいるだろう。でもそれは加害者側の問題。宗教的な問題?宗教はあくまで人が🅂作ったもので、ある意味「法」と似通っている。人を救えない宗教なんて価値はない。 被害者はひたすら我慢しろというのはあまりにも理不尽。
▲18 ▼0
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犯罪者は、どの程度かは別にして精神的な疾患は持っているだろう。 そうでなければ、人を殺める事は普通の人間には出来ない。 それを裁判では、情状酌量の余地と言うが、被害者を鑑みると、その余地って不要ではといつも思います。 弁護士さんは、犯罪者の罪を軽減化に注力するが、何のため!? 私個人的にですが、ハムラビ法典的判決でも良いと思う犯罪を多く見受けます。 自分がされて嫌な事を、他人に強いるのだから、その罪はキチンと裁かれて欲しい。 昨今の弁護士の言動見ていると、何のために存在してるのって思ってしまいます。 当然冤罪事件での必要性は別にしてですが、、、
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事の程度による。軽微な罪と重い罪との線引きは言うほど簡単なものではないが、例えばパン一個の万引きと、この記事のような犯罪とでは議論の余地はない。明確だ。
所謂「重大犯罪」の被告がたとえ精神障碍者であっても、そうでない者の事案と全く同等の扱い、処罰を受けねばならないのは明白だと考える。人権思想を持ち出すのは、信賞必罰の原則からいって勘違いも甚だしい。
人権とは法を遵守する者のみに与えられて然るべきだ。
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不合理ですね。 一度逮捕されたにも関わらず統合失調症の診断で無罪。 その7年後バスを放火して無差別大量殺人を犯しても心身衰弱者として減刑される。 最初に捕まえた時に世間に解き放つからバス放火があった訳だから、精神異常者が犯罪をしささて捕まったら減刑じゃなく5割くらいは割増にすべきだね。
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この事件があった新宿駅西口も小田急百貨店が取り壊され、以下ロータリーも現在は閉鎖され随分と様変わりしている。事件が起こった1980年8月ごろはYMOが爆発的人気で、松田聖子が「青い珊瑚礁」を発表した時だった。まだ戦後35年しかたっておらず、20歳で原爆に遭った人が55歳だった。時代は流れ、今の日本は熱量が下がったように感じる。
▲38 ▼10
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責任能力が無いと判断された犯罪加害者は、人権保護の観点から減刑されるという。 しかしながら、被害者には尊重されるべき法的手段はない。 また、被害者にとって、責任能力の有無には無関係な甚大な被害を受けたという現実は法の上では無視されている。 責任能力の有無は、被害者には関係ないのだ。 法律は、加害者の為にあるのだろうか??? 机上の論理で運用する法律には、矛盾と理不尽と不公平さしか感じない。
▲15 ▼2
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恨みや憎しみでない場合、否、憎悪怨念においても、人を殺めたり傷つけるのは大なり小なり、精神に異常をきたしている。だから、精神病による減刑や生い立ちによる情状酌量は不必要で、成した罪によってのみ罰は有るべきと思うが、いかがだろうか。
▲45 ▼6
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飲酒を伴う事件の加害者は「飲酒による判断力の低下云々」で刑が減じられることがあるが、これは被害者の権利を棄損するものであり、あってはならない。飲酒運転による死亡事故は、一律殺人罪で起訴すればよい。
▲5 ▼0
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どれだけ厳罰化しても犯罪が無くなるわけではないし、抑止力と言っても限界があるのは分かっている ただ世間や周囲はともかく、被害者が過度でもなく絶対に許せないと思うほどの犯罪で、被告が「この程度でOK」と思うぐらいの処罰で、その償いさえも全う出来ないことに納得できるわけがない
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昭和の時代から今に至るまで法律を変えてこなかった原因ですね。 今なんて日本人や外国人が犯罪を犯しても あまり大きな罪には問われませんし、こういう悲しい事件を起こさない為にも法全ての見直しが必要。
▲169 ▼18
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酒に酔ってって、酒を誰かに飲まされたんですか。自らの意思で飲んでいるのに酔っていて正しい判断ができないから罪が軽くなるって理屈が通らないですよね。加害者に対して減刑になる要素を探し過ぎです。結果を重視してほしいです。
▲8 ▼0
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裁判官は人の命を奪う死刑判決を出すのを躊躇する。単なる殺人じゃなく、誰もがやむなしというほどの殺人じゃないと死刑判決にしていない。死刑廃止の世界の流れがあるので尚更です。 しかし、これでは殺人鬼が世間に放置される可能性が高まる。またやったという事件は多い。 何としても早く日本にも終身刑を導入しなければ、国民の安全は守れないのではないか?
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新宿バス放火事件は酷い事件だった。特に親子が後部座席で座ったまま焼死してしまい、後楽園球場のナイター観戦の帰りだったので、当時選手だった王貞治さんがサインボールを送ったエピソードが忘れられない。
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加害者の精神状態や故意か過失かのその意図を斟酌し、責任能力の有無で刑罰の必要性やその内容を判断するのが責任能力主義。 近代以前は、加害者の精神状態や意図はともかく、加害者の行為が引き起こした結果を重視し、被害内容に基づいて判断した結果責任主義が主流だった。 刑罰も犯罪内容に見合った刑罰を科すという応報刑主義から、再犯を犯させないために社会復帰や改善更生を期待した予防刑主義へと転換され、責任能力主義と組み合わされ、被害者視点からの刑罰の応報的性質が薄らいでしまった。 責任能力主義を今後も続けるとしても、責任能力判定結果に疑問が残る結果が今後も生まれるだろうし、応報的性質を高めるべきだとの議論は尽きないだろう。
▲3 ▼4
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精神鑑定をする人やそれを信用して温情ある被害者の事等どうでも良いと考える裁判所が結託してこの様な殺人を犯した殺人犯も国費で養おうとする我が国の司法制度。そもそも間接的に人を殺そうとするする犯罪者の精神・神経はすこぶる真面だと思いますよ。可笑しな考えの持ち主なら直接行動あるのみではと考えます。落語の風吹けば桶屋が儲ける理論を思い起こせばすんない行くでしょ。此れゆえ3人殺しても死刑にならないと豪語?して結局無期懲役になった男が居ましたね。もう裁判所は犯罪者の言う通りの罰則しか科せられないのでしょうかね?つい先日の顔も知らない男に刺殺された女性此の殺人犯は3年前に殺人未遂逮捕されたとか。そんな輩が何で娑婆で生活してるの?むざむざと一人の命が失われました。こんな判決を出した裁判官は良心の呵責も無いのでしょうか?裁判は被害者に完全に寄り添ったモノにする事が一番に求められるのではないですか。
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生きて償う、と言うけれど、 生きて何をすれば誰に償った事になるんですかね? 一つ確実に言える事は、生きて何をしようが命を奪った事には変わりなく、何をしようがその命は戻ってこない。 償うって何ですか?生き返らせるならともかく、死者の魂が安らぐ確証もない。何かしら影響を受けるのは遺族でしかない。その遺族の生活も故人が生きていた時のようには決して絶対戻らない。 犯人自身に後悔させる事をもって償うとする、って事だとしたら、それって被害者置き去りですよね。殺られ損じゃないですか。 犯人が涙を流して土下座して謝れば気が済む事でも無いですよね?その程度で済む話じゃないんだから。 少なくとも命と等価なのは命でしょ。 何のために日本の最高刑として極刑が残されているのか。 犯罪者は別として、命が尊重されることを知っているからではないですかね?
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良い加減に、現代に見合うよう 裁判判決方法を変えるべきです。 心身衰弱なんて罪を逃れる理由にならない。 そんな人間を放置している国の責任を問われるべき。 何故被害者が意味のない不運を背負う必要があるのか。 いい加減、守る意味の履き違えを改善するべき。 精神を問われるのは、地域で生活するように世に 出した時点で無くすべきでした。 意に沿わない判決方法、何かの一つ覚えのように 決まりセリフで物事を終わらせる事事態が罪です。
今後は裁判官、裁判所を裁く場所が必要。 そういう時代です。
▲4 ▼3
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1980年8月、高校生の夏だった。
友と「富士山に登ろう」と計画し、道中の静岡駅前では前日のガス爆発事故でまだガス臭が漂っていた。
弾丸登山が当たり前だった富士山では数日前に吉田ルートで大規模な崩落が発生し死傷者が出たため登山者は極めて少なかった。
そして中央本線経由で帰るのに夜行「アルプス」に乗るべく寄った新宿駅では、同じ日にこの放火事件が発生した。
私の忘れえぬ事件事故の連鎖........
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そもそも人を殺める人は精神的に病んでいるんだから精神鑑定なんてする必要は無いかと思う。問題は殺人に及んだ理由であり育った環境などで罪が軽減される事も被害者からすれば全く関係の無い話で軽減するならその分を育てた親がかぶるなど安易な罪の割引セールは行うべきではない。
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心神耗弱だからと無罪はないよ。 犯罪を犯していないことと同じになっちゃう。 犯人は、初犯時の無罪で、“心神耗弱”なら何をやっても許されると自分勝手に考えて再犯を犯したんじゃないかな? 刑の重さは“犯行内容”によって決める、ただし刑の執行は心神耗弱であることを配慮すればいい。 それなら、もし再犯犯したら所判事の刑と合わせて執行することもできるからね。
▲7 ▼4
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罰を与えて犯罪を抑止すると言う考え方なら、それを理解出来ない人にはその抑止力が効かないと言う考え方なのだろうか?それならそういった人達は別の直接的な抑止力を掛けないといけなくなると思う
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最近特に思うことだが重罪犯に対する極甘な判決が多すぎやしないか。 心神耗弱、心身衰弱とか取って付けた精神の異常を理由に罪の軽減に偏重している。 犯罪者が精神の異常を装うなどは実に簡単なことで、鑑定時に演技で偽装化してくぐり抜けることなどお茶の子さいさいだろう。 大根役者程度の演技が出来れば免れることなどいとも簡単なことだと私は思う。
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心神耗弱者が加害した場合は罪に問われないというのならば、被害者になった場合にも相手を問えないとしてほしい。不公平すぎる。そして、犯罪を犯した心神耗弱者が社会に出ているのは、周りの人間が危険なので、この人の周りに周知しておくべき。
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最近の神戸の女性事件もそうですが、以前同じような事件おこしても、猶予付き、たぶん、猶予かま無ければ、今回の事件も無かった、とにかく、日本の裁判は加害者保護で被害者の事等、判例中心で事件の核心には注視してるのか疑問な所がある。
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「人を殺す」という行為に正常な精神状態なんて考えられません。精神状態(刑法39条)や年齢(少年法)によって刑罰が軽減される事がさらなる犯罪を生み出しているように感じてなりません。 この事件や先日の神戸殺人事件も再犯者。日本でも三振法の導入を検討すべきでは?さらに執行猶予中の犯罪に関しては司法関係者の懲罰も考えていいのではないでしょうか。検察の不起訴理由未公表なんてのも社会をなめています。
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心身喪失が何?動機や殺意の有無が何? そんなもの被害者が殺害されてる以上関係ないじゃん。 先日の神戸の女性殺害事件もそうだがあまりにも犯罪者に対して甘すぎる。 それに殺害された被害者の名前や顔を何故メディアは公開するのや。 被害者への誹謗中傷の基になるやろ。 容疑者の名前や顔を大々的に公開して世間に知らしめることが犯罪抑止にもなるだろ。
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やった時の心理が病んでいるなんて関係ない。 しでかした結果が問題である。 その結果で罰を決めた方が正解であり、公平性があり、犯罪の抑止にもなる。 「目には目を歯には歯を」が絶対に必要である。
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1993年に山梨で起きた信用金庫職員営利誘拐殺人事件も無期懲役だった。 身代金脅迫電話をかけた時点ですでに被害者は殺害され、遺体を川に捨てていた。身代金受け取り方法も高速道路のキロポストを指定しその下に投下するという極めて計画性が高い犯罪だった。 被害者はひとりだったから無期懲役。そんな時代だったと思う。 今なら死刑だっただろう。
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こうした記事を見ると今の日本の司法制度は被害者や被害者遺族を無視した物だというのが分かるね。 人は罰則がないと秩序なんて保てない。多くの被害者や遺族からしたら、犯罪者の精神状態とかどうでも良く、やったことに対して裁くべきやと思ってるよ。 選挙の時に裁判官の国民審査があるけど、死刑や重い刑罰をガンガン判決する裁判官がいないから、全て×にしてる。
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神戸の女性殺害事件を鑑みても、司法は何ら昔と変わっていない。加害者の事件ばかり重視して被害者の事件を疎かにしていると思うのは私だけでは無いだろう!のは この鬼畜は直近に殺人未遂事件を起こしても、1年も経たずに野に放ったと言うではないか!今回の事件に手をかしたのは、この鬼畜を野に放つ判断をした司法の責任ではないのか? こんな事件は二度と起こさせてはならない! それでなくても粗暴な海外移住者が政治家の懐を肥やす為に招き入れられ治安が悪化しているのだから。
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外国で銃の乱射で多くの人を殺した後に、自ら死んだり、警察に撃たれたりして死んだりしているが、死んだら終わりという思想が、このような行動になるのかも知れない。 そう考えると宗教の役割は大きく、またその教義内容も大事であると思います。 強い信念や、強い信仰に生きる人は人を殺めたり自ら死ぬ事を安易に行わないと思ったりします。 今の世の中は信仰心が弱かったり、信念が無かったりする人が多いのに加え、偏った教義の宗教や思想に傾倒する人達もいるので、何とかしないといけないですね。
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杉原さんの手記が公判に影響したことはないと思いますが、大きな反響があったのは間違いないですね。この事件は政治的背景もなく、明確な殺意の立証もできなかったので、精神耗弱が無くても結果の重大性だけで死刑は無理でした。そこは記事だけだと誤解を招くと思います。
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医師の診断は個別に差が出るし、それより犯した罪に対する刑罰なのだから病気は別物で考えないと理不尽過ぎる 本人の意思や弁護士の助言により意図的に心の病を演じて無駄に時間を費やさせようとするのは目に見えてる
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>> 現在なら、犯行の悪質さ、被害者の人数、被害者感情から考えて死刑判決が下ることはほぼ間違いない。
記事からの引用ですが、現在の基準でも心神耗弱が認められたら死刑にはならないんじゃないか? 生い立ちから妄想幻覚に支配されていた、刑務所ないでも叫んでいたなどの状況から、普通に精神疾患の可能性はあるでしょうし、その他の文面からも知能もかなり低いと思われる部分もある。現在の基準で死刑にならない可能性も十分あると思う
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>良心の呵責に耐えかねたのか
当時は存在していても、今の時代は「良心の呵責」という考えが通用しなくなっているんじゃないか、と危惧している。 逮捕され有罪判決を受けても、それまで富裕であれば「ネット民のご意見番」として言いたい放題にしている輩がいくつかいる。 相模原の植松被告はまるで罪意識がない。むしろ友人にSNSで今からそうするワクワク感が隠さずに披露している。そして彼を支持する層はそれなりにいて、例えば安楽死で「他者に死を迫る」方向へ外堀を埋めようと画策する。 これ以外も挙げたらきりがないが、「悪いことをする」ということがメリットになるということに気づき、そしてネットに同調者が多数いることを知れば、「それでいいんだ」という考えに染まっていく。しかもネット社会は「金銭、マウント材料、知名度」といったものが人間の基準になってきている。良心の呵責などの倫理的基準が大幅に後退している。
▲3 ▼2
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無期懲役は仮出所の審査が出来るまでには最低でも30年は服役しなければならないから、実質終身刑。一説には死刑よりも過酷だと言われている。 が、被害者の感情を考えたら最高刑にならないのはどう考えてもおかしい。
▲3 ▼4
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>死者の数から鑑みて、死刑判決を求める世論が高まった。
これは本来なら誤用。 「死者の数から、他の事例に鑑みて…」等が正しい表現だったはず。 近年やたらと「鑑みる」という言葉が使われるが「考慮する」などの代わりとして使われることが多くなった。言葉は変わっていくものだが、より便利に使いやすく変化するのが自然と思う。なのにわざわざ画数の多い「鑑」という字を使う必要があるのだろうか。
素人ならまだしも、物を書いて読んでもらう仕事なら尚更センシティブな問題。この記事の場合は普通に「踏まえて…」や「考慮して…」を使えば良いのにと思う。
▲12 ▼12
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こういう事件があるたびに感じるが、巻き込まれて亡くなった人たちが、ただただ気の毒。 生き残った犯罪者に対して、犯罪心理学者やら大学教授やらジャーナリストやらが群がって、自分らの飯の種にしてるだけ…彼らは、新しい飯の種が現れたとことにどう思っているのかな?
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この時まだ子供だったけど、近場で放火事件や殺人事件があったりで平和な感じではなかったな。よく昔は平和で良かったなんて聞くけど。
あと重度の火傷ど聞くとパパママバイバイのお母さんの話を思い出すね。硝酸銀の薬浴とか何度も皮膚移植した話。
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この事件はよく覚えてるよ。椅子に座ったまま丸焦げになった被害者の写真が堂々と新聞に載った事。全身火傷を負った被害者が加害者と結婚した事。多数を殺害した凶悪事件を起こしても精神鑑定で死刑回避になったのは当時でも珍しい事じゃなかったから。
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「精神の異常は量刑に関係ない、だって被害者の・・・」という意見が並ぶ。しかし、異常者を罰しないというのは「先進国の理性」として当然のこと。それは、被害者や遺族の処罰感情だけで打ち消されてよいような問題ではない。そもそも感情論に走っている人にこのような理屈が通じないことを知っているが、日本が日本であるためには絶対に越えてはいけない大事な一線。もしもこれを本当に変更する日が来るなら、自分は日本人でなくなっても構わない。そのくらいに大事な基本法思想。
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残忍な事件であるほどやはり精神鑑定は必要だとは思いますが 6人もの命を奪い十数人に重軽傷をおわせたのにも関わらず死刑を回避して無期刑なんて驚きます。加害者の生い立ちや心情より亡くなった命は軽いのでしょうか? 心神耗弱状態なら100人○しても死刑にはならないのですか?山口県光市の事件の時もドラえもんが生き返らせてくれるだのネズミ男がいただの平気で言ってましたが 罪を軽くしてもらえるなら こずるい奴ならそれくらいの演技はするんじゃないでしょうか?加害者ばかりが配慮されて被害者の無念はおきざり トラウマがあろうが生い立ちだろうが人の命を奪えば最高刑になぜならないの? 理解に苦しみます。日本の司法は矛盾が多い気がします。そこには無念な被害者や遺族の恨みや悲しみに情状酌量という言葉はなぜ使わないのでしょうか? しかも自殺だなんでありえないです。 全ての事から逃げて終わりじゃ 成仏なんて出来ないはず。
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杉原女史は自分の中の正義を基に、被告と交流したり死刑反対を訴えたんだろう。 たたし体験記の出版や映画化を含めて、他の被害者や遺族からは恐らく白い目で見られていただろな。 「死刑にするのを妨害した上に儲けやがった」と思われていても不思議ではない。
あと、被告が自殺したのは刑務所でイジメられていたという説もある。 事件は刑務所でも有名だったろうし、定期的に女性(杉原女史)が面会に来るのは悪目立ちしていたんだろう。
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心神喪失だからって刑が軽くなるのはおかしいだろう。 精神に問題があるからこそ、こういう事件を起こす。 まともな人は凶悪事件は起こさない。 前例っていうけど、犯罪はそれぞれ、前例が当てはまるなんてない。 そのくせ冤罪に対しては頑固なまでに認めず何十年も裁判をさせる。 日本の裁判で一審で有罪になったら、無罪になる確率はほとんどないそうで そんな理不尽な裁判だったら、裁判する意味ない。
▲4 ▼1
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まずは刑法39条を廃止しないと。
自認の無いまま人の命を奪う輩を普通に世に放つ方がもっとおかしい。精神の問題で罪がチャラになるなら、それ以降は世間からずっと隔離してくれないと。
精神が崩壊してようがやったことに対して処罰が下されるのは必然。
▲7 ▼3
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>事件当時36歳だった彼女は辛い不倫の渦中にあった。だから、ふいに火炎が迫ってきた時、「これで死ねる」と思い咄嗟に逃げるのを躊躇した
この文章からは、死なせてくれたから犯人を助けようと思った、ということになるが。 「辛い不倫」・・・そんなものがあるのか。自由恋愛の現代からは想像できない、極めて日本的な情緒。言い換えれば無責任。
精神が耗弱しているというのも、on-offのものではないだろう。程度問題ということもあるだろうし、その時々で違うということもあるだろう。 どういう判断で大勢が死傷する結果を招くと簡単に想像できる、火をつけるという行為につながるのか?
この人たちの自分に都合の良い行動を、無責任が支配していて、それを理解しようという司法。 この構造は無謀な先の大戦に突入した戦犯や、裏金議員と同種のものを感じる。
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