( 319811 ) 2025/08/28 07:03:54 1 00 日本が1945年に太平洋戦争で降伏して以来、80年の節目に、戦争を振り返る番組が多く制作された。
NHKのドラマ『シミュレーション 昭和16年夏の敗戦』では、当時の「空気」がいかに軍の意思決定に影響を与え、戦争へと導いたかが描かれた。
また、広陵高校が甲子園の1回戦に出場した後、批判を受けて2回戦を辞退した背景には、この「空気」に逆らえない日本人的な文化がある。
結局、「空気」に抗うことは難しく、戦時中も現代においても、そうした文化が形作られている。
(要約) |
( 319813 ) 2025/08/28 07:03:54 0 00 写真はイメージです Photo:PIXTA
日本が降伏して太平洋戦争が終わったのが、1945年の夏。今年は戦後80年の節目の年に当たり、太平洋戦争を振り返るテレビ番組が多数制作された。そして今年の夏、もう一つ大きな話題となったのが、夏の甲子園に出場した強豪校、広島・広陵高校の暴力問題である。80年前の太平洋戦争と広陵高校の事件に共通する、日本人の弱点とは?(ライター、編集者 稲田豊史)
● 「空気」の支配
NHKで8月16日、17日に前後編で放送されたドラマ『シミュレーション 昭和16年夏の敗戦』が話題になった。舞台は昭和16(1941)年。当時の官民若手エリートで組織された総力戦研究所が、あらゆるデータを分析して「アメリカと戦争をすれば確実に負ける」と結論付ける。
総力戦研究所の報告は政府首脳の全員が聞いていた。軍の内部にすらアメリカに勝つのは無理だと考える者がいた。しかし真珠湾攻撃は決行され、太平洋戦争が始まってしまう。その理由として劇中で描かれていたのが、当時の「空気」だ。
1941年と言えば、1937年から続いていた日中戦争の真っただ中。中国を後方で支えるアメリカを快く思っていない日本国民が多数を占めていた。その後、日本が仏印(フランス領インドシナ)に進軍すると、アメリカは日本への石油輸出を禁じる。こうして軍部や世論の間でアメリカ許すまじという「空気」が優勢になっていく。
「空気」はさまざまな人のセリフに登場する。「空気に逆らってもいいことはない」「アメリカと戦争しないほうがいいとは言いにくい空気」「一度動き出した空気に抗うのは至難の業」など。
この文脈における「空気」と言えば、評論家の山本七平が1977年に発表し、日本人論のスタンダードとして定着した名著『「空気」の研究』が真っ先に思い浮かぶ。日本の社会を支配しているのは厳格なルールや論理性・合理性ではなくその場の空気であり、組織の意思決定においてすら空気が優先される。世論に左右されやすい政治、熱しやすく冷めやすい国民性、ムラ社会の因習、学級会による特定生徒のつるし上げ、「言わずもがな」や「空気を読む」ことが善しとされる日本人的気質。すべて「空気」の産物だ。
『シミュレーション〜』を見ていて、ふと気づいたことがある。当時の空気支配の解像度をもう少し上げていくと、部員による暴力行為によって甲子園を2回戦で辞退した広陵高校の周辺で起こっていることを、どこか連想させるのだ。
● 過剰な現場尊重主義
日本では長らく、高校球児の厳しい上下関係や過酷な練習に関してマスコミが批判的な報道をすると、元甲子園球児から「経験したことがないくせに、わかったようなことを言うな」といったクレームが一定数寄せられる。今回の広陵高校の報道に対しても「強豪校の現実とはそういうもの。それを耐え抜いた者が一流のプロになれるのだ」と諭すようなポストがXでも散見された。
この現場尊重主義と呼ぶべきものは、太平洋戦争中にも発生している。大本営発表だ。
大本営は日本軍の最高統帥機関で、そこが行った戦況の公式発表を大本営発表と呼ぶ。太平洋戦争末期には戦況が劣勢であるにもかかわらず、さも優勢かのような情報を流し、各新聞はそのまま報じた。
なぜ大本営は真実を発表しなかったのか。その理由のひとつが、大本営が現地部隊からの報告をそのまま発表していたことだ。
辻田真佐憲・著『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』によれば、「どんなに熟練のパイロットでも、艦種を誤認したり、希望的な観測で戦果を判断してしまう傾向があった」という。それに加えて、部隊から報告されてきた戦果を大本営報道部がさらに査定するようなことは許されない「空気」もあった。前線で命を賭けて戦っている者たちの言うことを疑うなど何事か、というわけだ。
空調の効いた部屋にいる偉いさんではなく現場で汗をかいているやつの言うことを信じる、という判官びいき的な考え方が、昔も今も日本人は大好きだ。『踊る大捜査線』の「事件は会議室ではなく、現場で起きている」そのものである。
無論、事情を知らない者が軽率に発言すべきではない、という主張には一定の正当性がある。しかしそれが行き過ぎれば、重大な社会問題について当事者以外が語ることがタブー化し、議論が非常に限定的になる。客観と冷静の視点が欠ける。部落差別、LGBTQ、出産・育児問題などは、そうなりがちだ。
また、当事者以外が語れない状況が極まれば極まるほど、関係者だけで構成されたコミュニティ内には、ときに歪(いびつ)な、一般的な社会常識とはかけ離れた「空気」が形成される。「部外者が、知らないくせに語るな」。ジャニー喜多川の性加害事件報道に際しても、一部のファンからそんな声が上がっていた。
● 「自分が」台無しにしたくない
広陵高校の暴力事件は甲子園開幕前にSNSで拡散され、炎上状態になっていた。にもかかわらず、同校は1回戦に出場。しかし批判の大きさに事実上屈する形で2回戦出場は辞退した。
1回戦出場から2回戦までの間に決定的な新事実が出てきたわけではない。むしろ1回戦に出場したことで出場選手の顔と名前が全国放送で大写しになったため、「暴力事件の加担者側」と決めつけてTV画面のスクショをXで晒すポストも出現した。1回戦出場は明らかに悪手だった。
高校側は「生徒、教職員、地域の方々の人命を守ることを最優先する」ために2回戦の出場辞退を決めたと説明したが、もし本当にそれが目的なら、1回戦から出場を辞退したほうが風当たりは明らかに弱かった。出場選手たちも、メディアでここまで晒し者にはならなかっただろう。
にもかかわらず、なぜ1回戦から出場を辞退しなかったのか?
高校側(校長、あるいは監督)が、積み上げてきたものを「自らの責任で」台無しにするのをギリギリまで渋ったからだ。
甲子園開幕後に出場校が出場を辞退するのは、高校野球始まって以来の大事件。そんな前代未聞の重大決定を「自分が」下したくはない。だからこそ、外敵の攻撃から身内を守るために苦渋の決断としてそうせざるをえなかった、という被害者じみた「空気」を醸し、責任の所在をぼかしたのだ。「生徒、教職員、地域の方々の人命を守ることを最優先する」という言葉によって。
同じことが1941年の日本にも言える。当時日中戦争は5年目に突入しており、日本は多大な人的犠牲を被り、かつ莫大な戦費を使っていた。もしここでアメリカと敵対せず和平交渉をするなら、中国から手を引かなければならない。今まで払った莫大なコストが「台無し」になる。そんなことを自らの責任で提案し、実行し、国民に発表するなど、誰もやりたくはない。
『シミュレーション』において、総理大臣の東條英機(演:佐藤浩市)は当初、平和を希望する昭和天皇(演:松田龍平)の意思に沿おうとしていた。しかし陸軍の若手から「腰抜け」「裏切り者」「無責任」と陰で言われていることを気に病み、結局は軍部や世間の「空気」に屈する形で、引くに引けない状況の中で開戦を決断した(というニュアンスでドラマは描かれる)。
責任者不在のまま、空気によってなされる意思決定。あくまでドラマ上での描き方ではあるが、太平洋戦争は壮大な「責任者不在」の中ではじまり、そして悲劇的な結末を迎えたとも解釈できる。
● 「空気」に逆らうと赤紙が来る
「空気」に抵抗するのは、いつの時代も難しい。
広陵高校が2回戦の出場辞退を発表した後の保護者説明会では、保護者から何ひとつ質問が出なかったという。当然だ。会では質問の際に息子のポジションと名前を言う必要があった。
学校に目をつけられれば、監督から不当な扱いを受けるかもしれない。プロ野球や社会人野球を目指す選手ともなれば、それだけで将来の見通しは暗くなる。高校野球の名門・広陵高校に野球をやるために進学するような選手は、今までの人生の大半を野球に費やしてきたはずだ。その労力がすべて無駄になるようなことを、保護者がするわけがない。「空気」を読んで質問しなかったのだ。
『シミュレーション〜』では、もっとも強く開戦反対を叫んでいた総力戦研究所のメンバーに赤紙が届く、というシーンがあった。広陵高校の保護者たちも恐れていたのかもしれない。赤紙という名の何かを。
この国では、「空気」を乱すと恐ろしい罰が下るのだ。戦時中はもちろん、今もどこかで。
稲田豊史
|
![]() |