( 320863 ) 2025/09/01 06:52:04 0 00 (※写真はイメージです/PIXTA)
老後資金の確保や健康維持などを目的に、定年後も働くシニアが増えています。なかには、金銭的に余裕があり、老後の生活に問題がなさそうな人物が働いていることも。しかし、現役時代の輝かしい経歴とプライドが、新しい職場では思わぬ「足かせ」となってしまうことも。本記事では、Aさんの事例とともに、定年後の再就職先でのトラブルと注意点について、社会保険労務士法人エニシアFP代表の三藤桂子氏が解説します。※プライバシー保護の観点から、相談者の個人情報および相談内容を一部変更しています。
国税庁「2022(令和4)年分民間給与実態統計調査」によると、民間企業に勤める給与所得者のうち、年収1,500万円超〜2,000万円以下の人は0.8%、年収2,000万円超〜2,500万円以下の人は全体の0.3%で、年収2,000万円前後の人は全体の1.1%とごくわずかです。しかし、こうしたいわば「超エリート」であっても、定年退職したあとの再就職先に“意外な場所”を選ぶ人もいるようです――。
居酒屋の店長を務めているAさん(40歳)。年収は500万円と決して高収入とはいえませんが、生活に不自由はありません。
Aさんは、学生時代からアルバイトとして働いてきた居酒屋に若くして店長に抜擢され、そのまま就職しました。アルバイトを始めたころは、売上が伸びず慢性的な赤字経営でいつまで持つかと噂されていた店でした。しかしバイトという身分ながら、大人の隠れ居酒屋をコンセプトにした雰囲気づくりと新メニューの発案等、Aさんの店内改革でその店は評判を呼び、数年で集客を3倍に。その街で評判の人気店となりました。
そのAさんの手腕が親会社にも伝わり、店長のオファーをもらったAさん。大学で経営コンサルを学んでいたAさんは当初一般企業への就職を考えていましたが、飲食店経営の現場にやりがいを感じ、中途半端に終わらせられないと、そのまま就職したのです。
その後も、需要に合わせたリニューアルを定期的に行うなど、安定感のある店舗運営で常連客を増やし、長年黒字経営を続けていたAさんでしたが、そんなAさんの目が飛び出すほど、驚きの事態が起こるのでした……。
ある日、親会社の部長から「1人、採用してほしい人がいるんだよね。60代なんだけど……」と連絡を受けたAさん。シルバー人材は居酒屋のハードワークに不慣れで、すぐに辞めてしまうことから慎重になっていたAさんでしたが、「1度会ってやってくれないか」と懇願されます。
そこで渋々履歴書の顔写真をみてみると、なんとそこには、Aさんと顔見知りのBさんが写っていました。
Bさんは、誰もがその名を知る大企業の部長を務めていた人物です。親会社の部長によれば、「いまは定年退職しているが、ピーク時の年収は2,000万円あった」といいます。
会社の接待で何度かAさんの店を利用しており、その際も肩書きで威張ることなく、気さくな話し好きで親しみを覚えていました。
「いくら大企業の部長さんだったとはいえ、面接してから採用するかどうか判断することになりますが……。それでも大丈夫ですか?」
恐る恐るそう尋ねたAさんですが、「それでもいい」と親会社の部長はいいます。「早速面接してほしい」と、翌日Bさんと面接することになりました。
実際に会ってみると、Bさんはお客さんとして店に来たときの印象のまま、元部長だからと驕ることもなく、誠意を感じる態度です。そこでAさんは、Bさんを社員として即採用することにしました。
「さ、採用です……!」
社員教育に力を入れていたAさんは、Bさんに対しほかの社員と同じように基本ルールを指導し、自分自身も忖度なしに教育するよう努めました。当初はBさんもその教育を受け入れ、特に問題なく接客しているようにみえていました。
「どうなることか不安だったけど、採用してよかったな」
そういって、ホッと胸をなでおろすAさん。ところが……。
ある日、社員Cから、「最近の元部長の接客態度は目に余るものがある」とタレコミが入りました。たしかにこのところ常連客から、「できれば元部長(なぜかあだ名として浸透)のいない日に予約を入れたい」と数件問い合わせが入っています。
普段は会計業務で忙しくしているAさんですが、このまま放置するわけにはいかないと判断。Aさんは翌日、ホールでBさんの接客を観察してみることにしました。
すると、Bさんは笑顔で入店案内をし、料理を運ぶなど第一印象は悪くないものの、顔なじみの常連客をみつけると、そのまましばらく話し込んでしまいます。
最初は「エリートの元部長が接客している」と興味津々のお客さんも、いつまでもテーブルを離れないBさんに対して嫌気がさしている様子。ひどいときには、お客さんの隣に座って話し込んでいる様子もみられます。
「こりゃひどい!」
憤りを覚えたAさんは、Bさんを呼び出し、面談することにしました。
そして、その日の閉店後、AさんとBさんは向かい合い、面談がスタートしました。「慣れない接客業はどうか」と切り出すと、呼び出された理由を知らないBさんは、次のようにいいました。
「いやあ、居心地のいい店で助かってますよ。自分は正直、金には困っていないんですが、社会貢献として仕事を楽しみたいと思っていて。飲食業をやったことはありませんでしたが、人と話をするのは得意ですし、ここのお客さんは顔なじみが多くて、楽しく仕事ができています。お客さんだって、ここのうまい酒を飲みながら私の現役時代の営業ノウハウを聞くことができて満足しているはず。一石二鳥ですよ。コンサル料でも支払ってほしいくらいです。ハハハ!」
Bさんの思わぬ言葉にAさんは半分呆れながら返します。
「なるほど……。でもね、今日Bさんの接客する姿をみさせてもらったんですが、あくまでBさんはこの店の店員として働いていて、相手はお客様であることを意識してもらえますか? Bさんの仕事内容は、お客様を迎え入れ、スムーズにお酒や料理を運ぶこと。少しくらいのコミュニケーションはいいですが、店員として適切な距離感で接客することが重要です。いつまでもテーブルに居座っていたんでは、ほかのお客様の迷惑になるし、店の評判にも影響が出かねません」
言葉を選んで真摯に指導したつもりでしたが、Bさんは反省するどころか、どこか見下したような態度で次のように言い放ちました。
「……(笑)。店長はまだ若いからわからないかもしれんが、俺みたいに成功してきた人の話をタダで聞けるなんて、めったにないことだよ。本来は研修講師として何十万も払って聞く話をこんな街角の居酒屋で聞けるなんてって、みんな喜んでいるに決まってるじゃない。なんなら、社員教育も自分がしてあげるけど。本当はちょっと思ってることがあってさ……。よかったら親会社の人に話をつけてあげるよ。彼、もともと知り合いなんだよね」
「自分がすべて正しい」という身勝手な言い分で、店長の指導には聞く耳をもちません。
Bさんを採用してわずか1ヵ月、辞めたいといいだす社員に、接待をキャンセルする常連客……。AさんはBさんを採用したことを、深く後悔するのでした。
日本の65歳以上の人口は増え続け、高齢化率は2023年10月現在で29.1%となっています。国民の3人に1人が高齢者となるなか、「定年後も働き続けたい」と考えている人も増加しており、男女とも半数以上います。
定年後のシニアが働く理由としてもっとも多いのが「収入のため」ですが、なかには社会とのつながりや健康管理のために働く人も。しかし、今回の事例のBさんのように、過去の地位を笠に着ていては、協調性に欠けてしまいます。
「郷に入っては郷に従え」ということわざもありますが、新しい環境やコミュニティを選んだからには、その環境のルールを守り、周囲に歩み寄ることも大切です。過去の経験を仕事に生かすこと自体は悪いことではありませんが、ルールを乱し職場環境を悪化させる行動はただちに見直すべきだといえます。
〈参照・出典〉 ・国税庁「令和4年分 民間給与実態統計調査」 https://www.nta.go.jp/publication/statistics/kokuzeicho/minkan2022/pdf/000.pdf
・内閣府「令和6年版 高齢社会白書(第1章高齢化の状況)」 https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2024/zenbun/pdf/1s1s_01.pdf
三藤 桂子 社会保険労務士法人エニシアFP 代表
|
![]() |