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湯布院の旅館「玉の湯」で働くネパール人仲居のガレ・マンカラさん(通称カラ)は、1997年にネパールで生まれ、20歳で日本に来た。

彼女は日本の厳しい礼儀やマナーに興味を持ち、福岡の日本語学校を経て湯布院にやってきた。

カラは旅館でのサービスや新人教育に取り組む一方で、観光業が活性化する中、インバウンド客への接客にも力を入れている。

社長の桑野さんは、カラの質問する姿勢を評価しており、彼女は日本の温泉文化や料理にも愛着を持っている。

カラは温泉には恥ずかしさから入れないが、日本の食文化を満喫している。

(要約)

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湯布院の旅館「玉の湯」で働くネパール人仲居のガレ・マンカラさん。職場では「カラ」を名乗っている - 撮影=鍋田広一 

 

インバウンド客によるマナーの悪さがたびたび取り沙汰されている。日本有数の温泉地・大分県の湯布院ではどのように対応しているのか。ノンフィクション作家・野地秩嘉さんの連載「一流の接待」。第7回は「湯布院の旅館『玉の湯』で働くネパール人仲居のおもてなし」――。 

 

■由布岳は故郷に似ている 

 

 カラさんの本名はガレ・マンカラ。1997年にネパールの北部ゴルカで生まれ、20歳で日本にやってきた。今は湯布院の高級旅館「玉の湯」で仲居をやりながら、新人社員の教育係もやっている。 

 

 彼女は福岡の日本語学校を卒業して、就職面接で湯布院にやってきた。その時、山に囲まれた湯布院の様子、故郷の山によく似た由布岳を見て、「ふるさとに似ていて心が嬉しかった」。そして、絶対にこの土地で働きたいと思ったのである。 

 

 ゴルカは首都カトマンズからバスで8時間の距離にある。山に囲まれた町で、カラさんの実家からは世界で8番目に高い「精霊の山」マナスルを眺めることができた。マナスルの標高は8163メートル。初登頂は1956年で、日本隊が登った。壮挙は当時の記念切手になり、マニアにとって「マナスル」切手は非常に価値のあるものとされる。 

 

 カラさんはマナスルに似た標高1583メートルの由布岳を自分にとっては精霊の山だと思っている。マナスルが守ってくれたように、由布岳が自分を守ってくれているはず。だから、彼女は湯布院に暮らし、旅館のサービス、新人教育に打ち込んでいる。 

 

■湯布院は「インバウンド客だらけ」ではない 

 

 彼女が勤めている玉の湯の社長、桑野和泉さんは「湯布院にはインバウンドのお客さまが増えている」と言っている。玉の湯は先代社長で、桑野の父、溝口薫平がドイツのバーデンヴァイラーを手本に日本型の温泉保養地を目指して湯布院を大型旅館の集積地ではない形にした。1959年、湯布院は国民保健温泉地第一号に指定された。そんな湯布院のなかでも、玉の湯は亀の井別荘、山荘無量塔と並ぶ一流の温泉旅館として知られる。さて、社長の桑野さんの話だ。 

 

 「今、人口1万人の湯布院に宿泊、日帰りを合わせた観光客が430万人いらっしゃいます。うち外国から来た方が145万人。ただ、旅館によって、インバウンドのお客さまの比率は違っています。玉の湯は全体の5%くらいですが、他の旅館では、7〜8割といったところもあって、非常に差があるんです。 

 

 湯布院にいらっしゃるのは韓国、台湾の方が多い。ソウルから東京までの飛行機の時間が2時間半としたら、ソウルと福岡は1時間半です。福岡から湯布院が1時間ちょっとだから、とても近い。インバウンドの方が多いこともあり、湯布院で働く海外の人も増えました。うちもカラさんで3人目です。最初はベトナム人の男性で、APU(立命館アジア太平洋大学)の学生でした。大分にはAPUがあるから海外の学生が大勢います。そのうちのひとりがうちで働いてくれたんです。そうそうカラさんのいいところと言えば……」 

 

 桑野さんは「それは、相手がお客さまでも誰でもわからないことを質問することなんです」と言った。 

 

 

■かつて質問する仲居さんは、サービスの達人だった 

 

 確かに、質問する仲居さんはあまり聞いたことがない。何度も旅館に泊まったが、仲居さんから質問された経験はない。そもそも旅館に泊まって、仲居さんと親身に会話するだろうか。 

 

 じっくり考えて、「そういえばひとりいた」と思い出した。それは昭和から平成に変わった頃のことだ。熱海にあった高級旅館「蓬莱」の仲居、千津(ちづ)さんはよくしゃべる人だし、話しかけてくる人だった。わたしが会った時、すでに70歳を超えていた。夏目漱石の「坊っちゃん」に出てくる女中の清(きよ)みたいな感じの優しい人だった。そして、ずっと話しかけてきた。 

 

 千津さんは「いらっしゃいませ」と言った後、初対面にもかかわらず、「近頃、お仕事のほうはどうですか?」と聞いてきた。初めて会った仲居さんに「お仕事はどうですか?」と質問されたのは初めてだったので、「まあまあです」と答えた。たぶん、千津さんはわたしが何の仕事をしているかは知らずに、いつもと同じように、何の気もなく話しかけただけだった。その後も小さな子どもにやるように浴衣を着せてくれ、部屋食の夕食では、ビールを注いでくれたり、ご飯をよそってくれた。 

 

 食事の後、「熱海の町のおかまバーに行く」と告げたら、じゃあ、タクシー呼びますねと言った後、わたしが手に持っていた携帯(スマホではない)を見た。そして、「ちょっと待ってください」と言った後、浴衣を脱がせ、半裸でいるわたしに目もくれず、浴衣の内側に携帯を入れるポケットを縫い付けた。あっという間の出来事だった。蓬莱の千津さんは質問する仲居でかつサービスの達人だった。 

 

 では、果たしてネパール人のカラさんは千津さんと比すべき達人なのだろうか。 

 

■来日した理由は「厳しい礼儀」を知るため 

 

 ゴルカで生まれたカラさんの父親はかつてインドで警察官をしていたが、身体を壊してネパールに戻ってきた。母親が働き、カラさんと3人の兄弟姉妹を養ったのである。中学の時、地理の教科書を読んだら、そこに「世界の中でいちばん礼儀、マナーについて厳しい国は日本です」と書いてあった。カラさんは、がぜん、日本に興味を抱いた。 

 

 「礼儀、マナーが厳しい」とはどういうことなのだろう……。彼女は気になって仕方がなかった。彼女の姉は日本で働いたことがあった。その友人もいた。そこで、尋ねてみた。 

 

 「礼儀、マナーが厳しいって、どういうことですか?」 

 

 姉もその友達も質問には答えず、「日本に行って自分で考えなさい」と言った。 

 

 それで、彼女は日本に留学すると決めた。日本に行くまで、彼女はネパールの公立マンモハン・メモリアル・カレッジに通った。勉強の傍(かたわ)ら、姉が運営していた保育園で保育士のアルバイトをしていたのである。 

 

 カラさんは「ちっちゃな子を抱いているのが好きです」と言った。 

 

 「私のお姉さんは保育園を持っています。私は資格を持たないので、ちっちゃな子を世話するだけです。教えたりすることはできません。ただ、抱いて、遊ぶだけ」 

 

 

■旅館にいるのに「温泉に入れない」 

 

 20歳になり、成人した彼女は日本行きを決める。日本の大学に入ろうと思ったが、その前にまず日本語を学ぶことが必要と思い、福岡の日本語学校に入学した。 

 

 何も怖れていたことはなかった。周りには日本へ行ったことがある人が大勢いたし、誰ひとりとして「いじめられた」「差別された」と言った人はいなかった。 

 

 そして、来日。「日本人はやさしかったし、差別もいじめもなかった」 

 

 ただ、とても恥ずかしい目に遭った。「温泉は恥ずかしいです。ネパールはシャワーが多いんです。カトマンズのような都会には、お風呂のある家はあるかもしれませんが、田舎はシャワーがほとんどです。肌を見せるのはスイミングプールだけです。でも、日本には温泉があります。裸になってみんなと一緒にお風呂に入るなんて恥ずかしくてダメです。死にそうです。今でも玉の湯の温泉には入りません。そしたら、青森には男と女が一緒に入る混浴もあると聞いて、そんなことがあったらたまらないと思いました」 

 

■とんこつラーメンが大好き 

 

 カラさんが日本に来たのは2018年。20歳だった。福岡の日本語学校を選んだのは東京のような都会よりも、地方のほうが自分に合うと思ったからだ。加えて福岡は海に近い。山に暮らしていた彼女は毎日、海を見ることのできる町に暮らしてみたかった。だが、理由は他にもある。それは、とんこつラーメンだ。ネパールにもラーメンはあるが、インスタントラーメンを食べることが多い。博多とんこつラーメンは同じラーメンとは思えないほど、豊かな味のラーメンだと思った。 

 

 カラさんは「とんこつスープが大好き」と言った。 

 

 「大好きです、あのスープ。ネパールにはパニプリって食べ物があります。卓球の球みたいな丸く膨らんだ生地を少し開けて、具と汁を入れて食べます。汁はちょっと辛くて酸っぱいもので、私はパニプリととんこつラーメンが大好きです」 

 

 わたしはパニプリを食べた。カラさんの自宅を訪ねて、作ってもらったパニプリを食べた。とんこつラーメンと相似しているところはない。ピンポン玉みたいな生地のてっぺんに穴をあけ、じゃがいも、ひよこ豆といった具を入れ、スパイスウォーターを注いで食べる。日本に似たような食べ物はない。たこ焼きをくりぬいて、なかに具とスープを入れたようなものだ。 

 

 「これ、とんこつスープを入れたらどうですか?」 

 

 カラさんに言ったら、顔をしかめた。 

 

 「ダメです。パニプリはパニプリです」 

 

 それはそうだ。 

 

 

■桑野代表が「できる」と確信したカラさんの質問 

 

 日本語学校には1年半、通った。日本で就職を探したが、折あしく、ちょうどコロナ禍の頃だったのである。 

 

 彼女は言う。 

 

 「働こうと思ったのが2022年だったので、苦労しました。黒川温泉の旅館、沖縄のビジネスホテルとか、いろんなところで面接は受けてみたんだけど、内定が全然もらえずに落ち込んでたんです。 

 

 ダメだと思いながら、『どうしようかな』と迷っていたら、日本語学校の先生方が心配してくれて。ちょうど玉の湯が人を探していて、それで面接を受けました。出てきたのが(桑野)和泉さんで、すごくやさしくて。それまで一度も温泉旅館に泊まったことはなかったんです。温泉は怖かったし、どうしようかと思いましたが、採用してくれました。和泉さんが『あなたはできるわ』って。温泉は入らなくてもいいわよって言ってくれました」 

 

 社長の桑野さんはなぜ、カラさんに「できるわよ」って言ったのか。 

 

 桑野さんは「カラさん、最初からよく質問する人でした」と言った。 

 

■ホテルのサービス係よりも仕事の範囲が広い 

 

 「仲居という仕事はホテルのフロントともベルボーイとも違います。ホテルのサービス係は部屋の中に入ってきません。かりに、入ってきたにせよ、ホテルの案内のペーパーを渡すくらいです。 

 

 でも、仲居の役割は違います。部屋のなかを案内して、活けてある花について話します。うちでは庭の花を活けていますから、そういう話もしなくてはいけない。部屋に入った時のお客さまの背丈を見て、浴衣のサイズをご案内しなければいけません。食事の時間もお客さま次第ですから、お客さまのご都合を聞かなくてはなりません。近所に散歩に行きたいとおっしゃればご案内もします。 

 

 ホテルのサービス係よりも仕事の範囲は広いのです。そして、ホテルのサービス係よりも会話をしなくてはいけません。日本旅館の仲居はサービスのすべてをやる仕事です。何事も貪欲に質問する人でなければできない仕事なんです。それと、カラさん、人見知りしないというか、お客さまと距離感を近くしてしゃべることができます。国籍は関係ありません。カラさんは仲居に向いていると思っています」 

 

 

 
 

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