( 328276 ) 2025/09/30 05:06:05 1 00 2018年のミス青山コンテストでグランプリを獲得した田本詩織さんは、アナウンサーや芸能界には進まず、現在はベンチャーキャピタルに勤務しています。 |
( 328278 ) 2025/09/30 05:06:05 0 00 2018年のミス青山コンテストでグランプリを獲得した田本詩織さん。“最強の肩書”を得たにもかかわらず、アナウンサーや芸能の道には進まなかった(筆者撮影)
かつて“大学の顔”として注目を集めていたミスコンが、近年「冬の時代」を迎えている。 長時間のライブ配信やSNS運用など、出場者には高い自己プロデュース力が求められ、スポンサー離れから運営する学生団体も疲弊している。ただ、その一方で、真剣に向き合い、努力してきた出場者がいるのも事実だ。 本連載では、そんなミスコンに出場した女性たちが、数年後の社会人として今どう生きているのかを取材。ミスコンに出た経験は、その後のキャリアや人間関係にどんな影響を与えたのか。その肩書とどう付き合ってきたか──「ミスコン以後」の現実を見つめていく。
大学ミスコンは時代に合わせて形態や趣旨を変えながら、今日まで生き残り続けている。
そんななかでも、大学ミスコンが「ふつうの大学生が有名になるための登竜門」としての役割を果たしていることは、今も昔も変わらない事実だ。
しかしながら、大学ミスコンに出場した人全員が、その知名度を活かした選択をするわけではない。大多数は一般企業に就職して、表舞台からは姿を消す。
では、そんな彼女たちは社会に出てから、どのような人生を歩んでいるのだろうか。もっと言えば、果たしてミスコンの経験は就活や仕事に活きているのだろうか?
今回は、2018年のミス青山コンテストでグランプリを獲得し、現在はVC(ベンチャーキャピタル)に勤務している田本詩織(たもとしおり)さんに話を聞いた。
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■「ミス青山」が芸能の道に進まなかった理由
北海道札幌市の出身で、大学進学で上京してきた田本さん。青山学院大学に入学したのは、都会への憧れからだった。
「高校時代は漠然と都会への憧れがあって、『大学は絶対に東京に行きたい!』って思ってました。そのなかでも、青学のある表参道はトップレベルの都会だと思っていたので、『青学に行きたい!』って思って青学を受験しました」
そして、青学に合格した田本さんは、授業後にアルバイトに行ったり、友達と遊んだりと、「ずっと遊んでた」と本人が語るほど充実した日々を過ごした。
ここまではよくある大学生の話だ。しかし、田本さんは3年次に「ミス青山に出る」という決断を下し、グランプリを獲得した。
ミス青山コンテストは今年で50周年を迎える歴史のある大学ミスコンだ。滝川クリステルさんや田中みな実さん、山本里菜さん、山賀琴子さん、新田さちかさんなど、アナウンサーやタレントを数多く輩出しており、その規模や知名度から「日本一の大学ミスコン」とも言われている。
さらに、田本さんが出場した2018年は、「書類の時点で1000人以上の応募があった」そう。田本さんは、そのなかからファイナリストに選ばれ、さらにはグランプリも獲得したのだから、「日本一の女子大生」と言っても過言ではないだろう。
しかし、そんな“最強の肩書”を得たにもかかわらず、田本さんはアナウンサーや芸能の道には進まなかった。それはなぜか。
「アナウンサーや芸能界に行かなかったのは、ミスコンを経験して自分に合わないと思ったからですね」
■複雑化してきている現代のミスコン
そもそも田本さんは、アナウンサーや芸能界に憧れがあってミスコンに出たわけではないと言う。
「ミスコンに出たきっかけは、ミスコンの運営団体に所属している友達から誘われたからです。芸能の道には少し興味はありましたが、どちらかと言えば『ミスコンに出て就活のガクチカを作れればいいな』ぐらいに思ってはいました」
そして、「少し興味があった」芸能やアナウンサーの選択肢は、ミスコン活動を経験したことでなくなっていった。
「出る前は知らなかったんですけど、ミスコン活動中はミスコンのイベントや撮影がほぼ毎週のように入っていたんです。加えて、SNSやライブ配信もコンテストの審査対象だったので、『こんなにやることたくさんあるの!?』って、単純にびっくりしました(笑)。
しかも、やっぱり“ミスコン”という枠組みである以上、ファイナリスト同士で競わなくちゃいけないんですよね。けど、たった6人で競うだけでも大変だったのに、これでもし芸能界に行ってしまったら何十万という人たちと競わなくちゃいけなくなる。
しかも、競う相手はみんな私よりも華がある人ばかりで、『そんな人たちと競って勝てるのか』って考えたときに、『私には無理だな』って思っちゃいましたね」
田本さんの言う通り、現代のミスコンはSNSやライブ配信でのポイントが審査対象に含まれるなど、審査方式がかなり複雑化してきている。そして、その枠組みのなかで田本さんは懸命に努力し、見事グランプリを勝ち取った。
しかし、それはあくまでも“ミスコン”という枠組みのなかでの話だ。芸能界では、当然ながらそのような枠組みはない。
そのことを冷静に考えれば、田本さんの選択にはなんの違和感もないだろう。
では、一般企業への就職がスムーズに進んだかと言われれば、決してそうではなかった。
一般的な感覚では、「“ミス青山グランプリ”の肩書があれば就活なんて楽勝じゃないの?」と思われるだろう。しかし、ここで田本さんは意外な現実に直面した。
「業界によっては、『ミスコンに出た』って言うだけで『なんでウチに来たの?』ってネガティブなイメージを持たれることもあって……。ミスコンのエピソードが予想以上にガクチカに使いづらいことを知りました」
銀行や証券などのいわゆる“堅い業界”だと、どうしても「ミスコン=チャラチャラしている」というイメージを持たれてしまう。どれだけ「ミスコンでこういうことを頑張った」と話しても、「ミスコン」というレッテルを貼られてしまった以上、そのマイナスイメージを覆せずに落ちることは多かったという。
つまり、残念ながら田本さんの当初の目的であった「ミスコンを就活に活かす」という目的は果たせなかった。
厳しい見方をすれば、結果的に田本さんがミスコンに出た意味はなかったと言わざるを得ないのではないか……そんなふうにも思える。
■ミスコンに出てわかったこと
しかし、田本さん自身は「ミスコンに出た意味はあった」とはっきり語る。
「ミスコンに出たことで、『自分がやりたくないこと』や『自分が嫌いなこと』がよくわかったんです。例えば、私は自分で着る服は自分で決めたい人間なんですけど、ミスコンに出ると自分の意思100%で服を選べないこともあったので、けっこうストレスだったんです」
子どもの頃から自分の芯を持っており、「嫌なことには嫌とハッキリ言う性格だった」という田本さん。
3歳からやっていたバレエでも、自分が気に入らない衣装を着ることが大嫌いで、その衣装で撮影された写真を家に飾られることすら許せなかったほどだ。
「アナウンサーやタレントって自分で衣装を選べないことも多いじゃないですか。それが良い悪いの話ではなくて、“自分の納得のいかない衣装”を着た自分が映像や写真に残ることを考えたときに、こだわりの強い自分には『合わないな』って感じたんですよね」
さらに、SNSに載せる写真を毎日考えたり、写真を撮るためにわざわざ出かけたりするのも性に合わず、一時期アナウンサーの道を考えたときに受けたボイストレーニングでは、「アナウンサーらしい声を出すのは向いていない」ということも悟った。
「ミスコンに出たことで本当にいろいろな経験をさせていただいたので、自然と『自分の苦手なこと』がわかっていったんです。それは就活ではもちろん、今の社会人生活でも活きていると思います」
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■「やってみる」「経験してみる」から自己分析できる
筆者はこれまで数多くのミスコン出場者に取材を行ってきたが、取材を通して知ったのが「ミスコンに出た人全員がアナウンサーや芸能の道を目指しているわけではない」ということだ。
今回の田本さんのように、芸能への淡い憧れを抱いていても、ミスコン活動の中で軌道修正して、一般企業に就職する人も少なくない。
若いときは得てして、自分の適性はわからないものだ。その原因の多くは「人生経験の不足」であり、「やってみる」「経験してみる」ことでしか自己分析はできない。
そして、田本さん自身もミスコンに出てさまざまな経験を積んだことで、最終的に自分に合う企業を見つけられ、社会人としてのキャリアをスタートさせることができたのだろう。
では、田本さんは実際にどのような企業に入ったのか?
続く後編ー「青学のミスコンで優勝→アナウンサーの道を諦める」 元ミス青山の27歳彼女が見たミスコンの“意外な実態”ーでは、大学卒業後の田本さんのキャリアから、現在のVCに入社するまでの背景にスポットを当てる。
田本詩織さんのインスタアカウントはこちら:@shiori_tamoto829
ワダハルキ :ライター・カメラマン
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