( 330286 )  2025/10/08 06:58:49  
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10月4日に行われた自民党総裁選で、高市早苗氏が新総裁に選ばれ、女性初の総裁となった。

彼女は党員票・議員票ともに勝利し、保守層の支持を背景にしている。

高市氏は、安倍晋三元首相の政治的遺産を引き継ぐとされ、特に以下の5つの遺訓が重要とされる。

 

 

1. **靖国神社への参拝を行う**: 英霊に敬意を表し、国家のリーダーとしての責任を果たすこと。

 

2. **立憲民主党との論争を仕掛ける**: 保守とリベラルの対立を鮮明にし、国民に議論を促すこと。

 

3. **消費税を上げない**: 経済成長を優先し、増税を避ける姿勢を持つこと。

 

4. **財務省と距離を取り、麻生氏の影響を排除する**: 政策決定の歪みを防ぎ、リーダーシップを発揮すること。

 

5. **規制緩和を推進する**: 行政の効率化を図り、必要な改革を行うこと。

 

 

高市氏は、これらの遺訓を守ることで、保守の本流を歩むことを目指すべきとされる。

(要約)

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(c) Adobe Stock 

 

 10月4日、石破茂総裁の辞任に伴う自民党総裁選が開票日を迎え、下馬評を覆す形で 

 

 高市早苗氏が新総裁に選ばれた。女性初の総裁であり、来る首班指名でも総理大臣に選ばれることになるだろう。当初は高市氏は党員票では小泉進次郎氏に勝るものの、議員票では劣るとされ、総合的に小泉氏が総裁になる可能性が高いと各マスコミや永田町関係者は分析していた。しかし蓋を開けてみると決選投票では党員票・議員票ともに高市氏が勝った。そんな高市氏は保守票に強いとされ、今回の総裁選もその保守票に押される形で議員票も動いたという見方もある。故・安倍晋三元総理が圧倒的強さを見せたのも、その保守票があってのことだった。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏は高市氏の政権の「羅針盤となるべきは、高市氏が政治信条の源流と公言してはばからない、安倍晋三元首相が遺した政治的遺産であろう」と指摘する。小倉氏が安倍政権の「5つの遺訓」を解説するーー。 

 

 自民党結党以来、初めて女性総裁が誕生した。高市早苗氏が、幾多の挑戦の末にその座を射止めたのである。党員票の力強い支持を背に、決選投票を制したその姿は、政治の新たな景色を予感させるに十分であった。日本初の女性総理大臣となる高市氏は、一体何を背負い、この国をどこへ導こうとしているのか。その羅針盤となるべきは、高市氏が政治信条の源流と公言してはばからない、安倍晋三元首相が遺した政治的遺産であろう。 

 

 安倍政権が築いた約八年間の足跡は、単なる政策の寄せ集めではない。そこには「戦後レジームからの脱却」を掲げ、日本の自立と誇りを回復しようとした一貫した思想が脈打っている。高市政権が、安倍政権の正統な流れを継承するのならば、その表層的な政策をなぞるだけでは不十分だ。その根底に流れる精神、いわば「遺訓」とも呼ぶべきものを深く理解し、守り抜く覚悟が問われる。もしその遺訓を五つに絞るならば、以下のものとなろう。これらは、新首相が保守の本流を歩むための道標であり、激動の時代を乗り切るための叡智でもある。 

 

 第1の遺訓は、「靖国神社へ行け」である。 

 

これは単なる儀礼的な参拝を促すものではない。国家のために命を捧げた英霊に尊崇の念を表すという、一国のリーダーとして当然の責務を果たす覚悟を問うものだ。 

 

 

 安倍元首相は在任中の2013年12月、一度だけ靖国神社を参拝している。この行動は保守層から熱烈な支持を受けた一方で、近隣諸国からの激しい反発を招き、外交的な緊張を生んだ。結果として参拝が一度きりになったのは、連立を組む公明党への配慮という、現実政治の妥協の産物であったのかもしれない。 

 

 しかし、高市新首相の立場は異なる。高市氏を総裁の座に押し上げた原動力は、まさしく安倍氏の理念を最も純粋な形で継承することを期待する、岩盤ともいえる保守層の支持である。その期待に応えることは、政権の生命線を維持することに等しい。公明党の斉藤代表が新総裁との会談で歴史認識への懸念を示したように、その道には軋轢が待ち受けているだろう。だが、これはいわば「連立以前の原則」として守られるべきではないか。メディアの批判や国際的な非難という予想される嵐を恐れていては、何のための保守政権なのかという根源的な問いに突き当たる。 

 

 靖国参拝は、日本の歴史と伝統に対する敬意の表明であり、東京裁判史観に象徴される戦後レジームを乗り越えようとする意志の象徴だ。その静かなる一歩は、あらゆる批判を乗り越え、この国の主権者としての矜持を内外に示す行為となるはずだ。 

 

 第2の遺訓は、「立憲民主党に挑発的な論争を仕掛けよ」である。 

 

 穏やかならぬ言葉に聞こえるかもしれないが、これは政治闘争における極めて重要な戦術的指針である。安倍政権は、当時の民主党系の野党に対し、一貫して鋭い対決姿勢を貫いた。2015年の安全保障法制の審議を思い出せばよい。国会での論戦は激しさを極め、安倍氏は野党の主張を論理的に、時には挑発的に退けた。これにより、「現実的な安全保障を追求する保守」と「理想論に傾くリベラル」という鮮明な対立軸が国民の前に提示されたのである。 

 

 保守の理念とは、時に壮大で形が見えにくい。しかし、その対極にあるものを明確に描き出すことで、自らの輪郭を際立たせることができる。立憲民主党などが掲げる政策には、原発廃止、ジェンダー平等や給付付き税額控除など、耳に心地よい響きを持つだけで実態的にポリコレ、バラマキに属するものばかりだ。給付付き税額控除は残念ながら高市氏も主張してしまっているー。 

 

 

 だが、それらの理想は、果たしてこの国の厳しい現実や財政規律と地続きなのだろうか。こうした素朴な疑問を、高市氏自身の言葉で国民に投げかけるのだ。 

 

 立憲を怒らせ、メディアを騒がせるほどの論争を巻き起こすこと。それは、保守とは何か、リベラルとは何かを国民一人ひとりが考えるきっかけを与える。SNSが世論を動かす現代において、この「戦う保守」の姿勢は、支持層の熱量を維持し、政権のアイデンティティを強固にするための不可欠な戦略となるだろう。対話や協調はもちろん重要だが、それは守るべき一線を守った上での話である。 

 

 第3の遺訓は、「消費税を上げるな」である。 

 

 これは安倍政権最大の成功であるアベノミクスの、最大の失敗から得られた痛切な教訓だ。「三本の矢」によってデフレ脱却への道筋が見えかけた矢先、2014年と2019年の二度にわたる消費税増税は、日本経済に冷や水を浴びせ、個人消費を著しく冷え込ませた。当時の経済指標を見れば、その影響は明らかだ。これは、成長を優先するというアベノミクスの本来の理念が、財務省の主導する財政規律論の前に屈した結果と言える。 

 

 安倍氏自身、増税の延期を決断するなど、その判断には苦悩の跡がうかがえる。だが、一度上げた税率を元に戻すことはしなかった。この過ちを繰り返してはならない。高市首相が守るべきは、少なくとも自身の任期中は「増税はしない」と明確に国民に約束することだ。物価高に苦しむ国民生活を考えれば、むしろ減税こそが選択肢となるべきだろう。 

 

 財政の健全化を唱える声は、霞が関に響く不動の正論のように聞こえる。しかし、経済が成長しなければ税収は増えず、財政再建も遠のく。この単純な真理に立ち返り、赤字国債や増税といったドグマに囚われることなく、歳出削減を断行し、国民の暮らしと経済成長を最優先する姿勢を貫くことだ。そのことが安倍政権の犯した失策から学ぶべき最大の遺訓なのである。 

 

 第4の遺訓は、「財務省と距離を取り、麻生太郎氏の影響を排せよ」である。 

 

 先の遺訓とも密接に関わるが、これはより構造的な問題である。安倍政権は、官邸主導を掲げ、各省庁の上に立つ強いリーダーシップを目指した。 

 

 

 しかし、最強官庁たる財務省の前に、最終的には消費増税という形で主導権を明け渡した側面は否定できない。その背景には、長く財務大臣を務め、財政規律派の重鎮として君臨した麻生太郎氏の存在があったとされる。 

 

 今回の総裁選で高市氏が勝利した背景に、麻生氏の差配があったことは報道の通りだ。恩義を感じるのは自然なことかもしれない。だが、政権運営において、特定の重鎮の影響力が過度に強まることは、政策決定の歪みを生まないだろうか。安倍政権は、対立する勢力を巧みに配置することで、一つの権力が突出することを防ぐバランス感覚に長けていた。高市首相もまた、麻生氏の影響力を直接的に排除するのではなく、経済成長を重視するブレーンや閣僚を配することで、その力を相対化させていく知恵が求められる。 

 

 これは、安倍元首相が成し遂げられなかった「財務省からの真の独立」という宿願を継ぐことでもある。予算編成権を官邸に取り戻し、首相の経済哲学を純粋な形で政策に反映させる。そのためには、時に非情とも思える人事や決断が必要となるだろう。誰かに操られるのではなく、自らの意志で国家を経営する。その覚悟こそが、この遺訓の核心である。 

 

 第5の遺訓は、「規制緩和と縦割り打破を推進せよ」である。 

 

 この精神を最も鮮やかに体現したのは、安倍政権の後継者であった菅義偉元首相(当時、官房長官)であったかもしれない。菅元首相が断行したデジタル庁の創設や携帯電話料金の引き下げといった改革は、国民生活に具体的な恩恵をもたらした。これらは、安倍政権が成長戦略の柱として掲げながらも、官僚組織の岩盤のような抵抗の前に十分な成果を上げられなかった分野であった。菅氏のその実行力は、ささやかに、しかし確かに称賛されるべきだ。 

 

 この「改革」の精神こそ、安倍イズムのもう一つの柱である。高市首相は、この流れを断ち切ってはならない。岸田政権、石破政権下で完全に停滞した感のある改革のエンジンを再び点火し、行政の非効率や既得権益に果敢に切り込んでいく姿勢が求められる。批判を恐れず、国民のために必要だと信じる改革を断行する。菅氏のような「批判を恐れない実務型」の政治家を中枢に置き、その突破力を活用することも一案だろう。 

 

 分配政策で経済が成長することはほとんどない。そしてまた成長の果実なくして分配の原資はない。 

 

 

 
 

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