( 330425 )  2025/10/09 05:03:39  
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学部・修士の5年一貫教育を来年度にも制度化、大学院進学者増やし専門人材増やす狙い…文科省方針

読売新聞オンライン 10/8(水) 5:01 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/63ba08a7a141c7f0aea812574ff8652d9c4577c6

 

( 330426 )  2025/10/09 05:03:39  
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文部科学省は大学の学部と大学院修士課程を統合し、5年一貫教育を制度化する方針を決定しました。

早ければ今年度中に基準を改正し、2026年度からの運用を目指しています。

この取り組みは、在学年数を1年短縮することで大学院進学者を増やし、国際競争力を高めることを目的としています。

学部4年と修士1年で構成され、大学がカリキュラムを申請・審査される仕組みです。

現在も優秀な学生を対象にした一貫教育プログラムが一部の大学で行われています。

日本は修士号や博士号を持つ専門人材が少なく、国際的に遅れを取っているため、この制度化によりその解消を目指しています。

(要約)

( 330428 )  2025/10/09 05:03:39  
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文部科学省 

 

 文部科学省は、大学の学部と大学院修士課程の5年一貫教育を制度化する方針を固めた。早ければ今年度中に大学院設置基準などを改正し、2026年度からの運用開始を目指す。学部と修士で計6年の在学年数を1年短縮することで大学院進学者を増やし、国際的に通用する高い専門性を身につけた人材輩出につなげる狙いがある。 

 

 文科省は8日に開かれる中央教育審議会の部会で、学部・修士5年一貫教育の制度案を示し、具体的な検討に入る。 

 

 通常、学部は4年で卒業し、大学院では修士は2年、博士はさらに3年で修了する。制度案では、一貫教育は学部4年と修士1年の計5年とする。学部段階から修士の単位を先取りで履修することで修士を1年で修了するケースと、先取りせずに修士を1年で修了するケースのいずれかを大学が選ぶ。大学教育の質低下を招かないよう、大学が申請するカリキュラムを文科省が審査し、修士の短縮を認定する方向だ。 

 

 現行でも成績優秀など一定条件を満たした学生に限って、学部を3年で卒業したり、修士を1年で修了したりすることが認められている。 

 

 この仕組みを利用し、一橋大や慶応大など一部の大学では、成績が優秀な学生向けに学部・修士一貫教育プログラムを展開している。東京大も27年秋に開設予定の新学部「カレッジ・オブ・デザイン」で、学部4年と修士1年の5年一貫教育を計画している。 

 

 日本は欧米先進国に比べ修士号や博士号を持つ専門人材が少ない。学部卒業生のうち、大学院進学者は1割程度にとどまり、3割超の英国やフランスに大きく後れをとる。文科省は5年一貫教育の制度化で専門人材を増やし、国際競争力の向上につなげたい考えだ。 

 

 

( 330427 )  2025/10/09 05:03:39  
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このスレッドでは、日本の大学院進学の制度改革についての様々な意見が挙がっています。

主なテーマは、学部と修士課程の統合や期間の短縮が専門人材の育成にどのように寄与するかという点です。

 

 

1. **進学のハードルと教育の質**: 

- 修士課程を1年に短縮することで、学生は就職活動と研究を同時に行わなければならず、専門知識の習得が難しくなるとの懸念が多く見られます。

 

- 国や大学の資金提供制度の見直しや奨学金の拡充が必要だとの声もあります。

 

 

2. **専門的知識の蓄積**: 

- 単に学位を取得するだけでは不十分で、実践的な経験や深い学びが重要だという意見が存在します。

多くの投稿者は、専門的な研究や実習を通じて学ぶことの重要性を強調しています。

 

 

3. **就業状況と教育のバランス**: 

- 教育と就業をうまく両立させる方法や、企業と大学の連携の必要性も挙げられています。

学生が社会経験を積んだ後に大学院に進むことも一つの解決策として提案されています。

 

 

4. **教育制度の改革**: 

- 一貫教育やカリキュラムの見直しについての議論も活発で、学生がより実践的かつ応用的なスキルを身につけられるような制度が求められています。

 

 

5. **留学生とのバランス**: 

- 外国人留学生に対する優遇政策に対して、日本人学生にも同様の支援が求められており、教育資源の配分についての不平等感が指摘されています。

 

 

(まとめ) 

全体として、修士課程を短縮することは、教育の質や専門知識の蓄積に悪影響を及ぼす可能性が高いとの意見が強く、教育制度の改革やサポート体制の充実が必要であるとの認識が広がっています。

また、就業活動とのバランスや国際的な人材育成における公平性も重要なテーマとして浮上しています。

( 330429 )  2025/10/09 05:03:39  
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=+=+=+=+= 

 

国際学会での発表とか査読付き雑誌に論文投稿とか要件にしてるとこもあると思うけど、一年で修論の実験して学会発表してってできるんか? 学部から同じテーマで同じ大学の子ならできるやろうけど、違う大学院に移ったりテーマが変わってる場合は厳しいような 

進学する人が増えないのは単に博士や修士をとってもメリットにならない仕組みが問題だと思う 

 

▲5974 ▼236 

 

=+=+=+=+= 

 

その本質的な目的は大学院への経済的ハードルが少しでも軽減されることによる研究職・専門職へのスムーズな移行で研究職への好循環をもたらすことにあると思います。特に理工系分野では、研究職や高度専門職に就くためには修士レベル以上の知識が前提となるため、5年一貫制はその道を効率的に開く制度と思われます。博士課程修了者が増えることで、大学や高等教育機関における教育者層の厚みが増し、教育の質向上にもつながる可能性があります。またその好循環上に職業としても新たな厚みを持たせられる。私はその方向性が最も重要であると思います。 

 

▲17 ▼42 

 

=+=+=+=+= 

 

学部卒と修士卒では就職時の初任給も違いますし会社側は支払う給与に見合った人材を求める事になるし仕事の内容も当然高度になります。 

他方で医師や薬剤師、看護師などのようにより深い学習内容と実務実習が求められる職種では教育期間の延長も必要な学部があると思います。 

どちらにしても教育年数が長くなれば学費・生活費の問題も生じますので無償奨学金の拡充も検討する必要があります。 

同時に入るのは簡単だが進級や卒業のハードルを高くし就職したくないから進学するという考えができないレベルにする必要があると思いますし、一時休学して学費を稼いで再度修学して足掛け10年掛けて卒業資格を得られるようにするなどの制度も必要になると思います。 

 

▲23 ▼18 

 

=+=+=+=+= 

 

学部・修士の5年一貫教育は、専門人材を早期に育成し、国際的な競争力を高める重要な一歩である。 

だが、単に学費を納めさせ大学の存続を図るような仕組みでは、本来の教育改革にはならない。 

むしろ、国家としての財源配分を見直し、国民全員への一律減税や給付よりも、技術者・研究者を育てる教育基盤に重点的に投資するのが良い。 

こうした人材が将来の産業や科学技術を支える「知的インフラ」となる。 

修士・博士課程の学生に対する奨学金や生活支援、パーマネント職の拡充、研究環境の整備を進めることで、知を生み出す層を厚くすることができる。 

教育は国の未来への最大の投資である。 

 

▲4276 ▼377 

 

=+=+=+=+= 

 

大学院進学者を増やすのも良いが、外国人留学生だけを手厚くするのをやめて日本の子供たちにも同じ様な補助を出して欲しい。 

 

専門人材を増やしたいなら一年間伸ばさなくても大学を充実させることが可能だと思うけど 

 

▲4159 ▼330 

 

=+=+=+=+= 

 

中堅地方国立大の工学部の院卒者です。 

私の場合はカリキュラムより研究室で過ごした3年間(学部4年生の1年間+院の2年間)でいろいろと成長させてもらったと思ってます。 

研究室在籍時には学会発表で別地方に行ったり海外にも行かせてもらいました。これはある程度まとまった時間があったからできたことと思います。 

在籍期間を短縮すれば良いということでもないので、経験を積ませてあげられる環境作りをしてほしいです。 

 

▲1942 ▼47 

 

=+=+=+=+= 

 

修士課程を修了すれば専門的な人材が増えるという発想が間違っていると思います。私は博士まで行き途中退学しましたが、修士でも真剣に研究に取り組む人もいれば学部の延長でなんとなく単位を取っている人も多いです。それが一貫となればさらに緩慢となり、専門的な人材が増えるどころか中途半端に肩書きだけある人が増えると思います。それよりも、優秀な人材がさらに研究に打ち込める支援をしたり、彼らがその後社会でスムーズに活躍出来る仕組みを構築していく方が重要かと思います。留学生への優遇をやめて日本人にもっと投資すべきだと思います。 

 

▲1570 ▼42 

 

=+=+=+=+= 

 

理系人材養成にこの制度は効果的なんだろうか。学部4年は相当に忙しいように見える。修士はもっと忙しそうだ。どの部分を効率化できるのかな。専門性を高めるのに集中するなら,学際的目的で履修させている文系科目や,他の理系分野の科目履修を省略することになろうが,それはこれまでの改革と逆方向だ。またも新制度対応で大学は疲弊する。 

文系の場合,同様に新しい科目(情報とか学際系科目)を大きく増やし,従来のディシプリンを学ぶコースを縮小していった(教養化と言ってよい)。そうしておいて今度は5年一貫教育による専門人材養成って,逆のことだ。教養学部4年と専門人養成5年で,別々にトラックを用意するってことか? 教員も増やさずにそんなことに対応できるわけない。またもなんちゃって改革になる。大学の現場もブラック化が急速に進んでいる。文科省は知っててやっている。思いつきを現場に丸投げするだけ。改革をやるほど悪くなってる 

 

▲1592 ▼41 

 

=+=+=+=+= 

 

そこら辺にいる大学生が大学院に進学したからといって専門的な知識や技術が飛躍的に伸びるとは思えない。 

大学に行くのが当たり前の考えを捨てて、それぞれが可能不可能・得意不得意によって進学か就職かを選べばいいと思う。 

小学生レベルの学力しかないのに税金を無駄に使ってまで高校へ進学する必要もない。 

日本人の親から生まれた日本人の子どもに限り、ずば抜けたレベルの学力や、特定の分野で才能がある子どもたちの能力を伸ばせる環境を整えるほうがいいと思う。 

 

▲1458 ▼94 

 

=+=+=+=+= 

 

修士の取得が、どれだけ専門的知識や技術を取得できるかというと、正直微妙です。 

修士2年間のうち、その半分は就活に消える事も多く、それを1年に減らしたら、実質就活の期間にしかなってないように感じる。 

過去に博士が激増した時期のような悲惨な事にはならないだろうけど、学生増やす事に合わせて、卒業後の受け皿の検討もして欲しい。 

 

▲1245 ▼49 

 

 

=+=+=+=+= 

 

理系の大学院は、博士や修士学生が研究室のノウハウや研究方法の伝承を担っているところも多い。修士が一年で終わる場合、自分の研究に追われて伝承がうまくいかず、高度な事、危険を伴う事を諦める研究室も出てくる可能性がある。助教の過酷で任期のある状況では、彼らにこれ以上の負荷もかけられない。 

昔の様に技官を置いたり、研究サポートをするベテランを雇うなど、制度や予算を手当しなければ、研究の質の低下に繋がる可能性もある。制度設計ではそのあたりも良く考えて欲しい。 

 

▲564 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

期待しているのはそういうことじゃない。博士後期課程を増やしたときと同じで学校側の事情によるところが多いのでは? 

むしろ高卒でも恥ずかしくない世の中になったほうが、若いうちに収入を得ることができ、専門知識を実地で身につけることができるのでは?若いときに収入があれば晩婚化や少子化の改善も見込めるかもしれません。奨学金という多大な借金も背負う人も少なくなるでしょうし。 

 

▲905 ▼93 

 

=+=+=+=+= 

 

こういう制度は、4年制大学の一部分を無理やり5年制にすることで1学年のの学生の数が減っても学生全体の数が少なくならないようにして大学の商売の規模が縮小することを防ぐことを目的としている。 

 文科省は、大学院拡大が大失敗に終わり、博士号取得者が減少しつつあることに危機感を抱いて、今度は、5年制大学、という概念を導入することで自らの商売を維持しようとしている。 

 日本社会に、大学で専門性を深めた人材が欲しい、という期待は少なく、むしろ、早く優秀な人材を確保して従業員教育を受ける時期を早期化できたら嬉しい、という声が大きい。 

 5年制大学よりも、大学を3年で卒業できる制度を拡充したり、大学の授業にインターンを大幅に取り入れることの方が日本社会の需要に適切に対応する政策だと思う。 

 

▲1280 ▼222 

 

=+=+=+=+= 

 

いいアイデアだと思いますが、5年じゃ学部卒に毛のはえた程度で、専門人材を増やすレベルまではいきにくそうです。少子化に伴う教員の雇用確保、経営難対策という印象を受けてしまいます。国が認定した国立大のブランドに相当する、大企業への就職にも直結する職業訓練学校を設ける等、スイス等の成功例を見習いながら、日本の技術力や専門性を高めていくべきです。お金に余裕のない家庭には負担になるなど、課題も多い気がします。 

 

▲530 ▼28 

 

=+=+=+=+= 

 

外国人留学生への即席修士号授与に使うのは絶対反対。外国人の場合、日本語力の問題もあるので、4年で学士を取れる仕組みもおかしい。正規の入学試験を受けて入学した日本人学生に対しては良いと思う。自分の頃でも卒業に必要な単位は3年で取りきって、4年目はあまり大学に来ないのもいたし、卒論書くのに研究室や指導教官と密にやり取りするのは4年目だから、それにプラス1年して修士号まで取ろうと思えば取れそう。アメリカでは、1年プラスサマースクール等で単位を重ねれば修士号取れる大学院もあるよね。 

 

▲27 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

5年卒と6年卒の両方を残してあげてほしい。学部の4年は、特に後半時間的な余裕があるからそこを院とラップさせて5年で修了することに無理はない。ただ、学生によっては、そのやや密度の薄い時間を利用してアルバイトをしたり、短期の留学をしたりという使い方をしている。そのような学生には、従来通りの4+2年を準備しておいてあげてほしい。 

 

▲269 ▼30 

 

=+=+=+=+= 

 

一度、その大学生が学部を卒業後に進みたい分野の企業団体に就職して数年現場を経験してから大学院に行くならいいと思う。 

 

学校で習うことと企業団体の実態はズレがあるから、実態や仕事の進め方、考え方を学習した上で大学院で学べば改善点だって学生時代には思い付かなかった考え方だって思い付いて研究に活かせる。 

 

▲135 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

この話は大学教育が実社会で役立つのが前提だが現実はどうなのか? 

若年人口が急速に減っている中、大学を、特に私立大学の経営を助けるだけの制度にしか見えないが。 

むしろこうした環境の中では、大学の数を大幅に減らしていくことが必要かと。 

 

▲430 ▼29 

 

=+=+=+=+= 

 

学部から進学した理系院卒(修士)です。 

大学院への進学のハードルが下がるのは良いと思いますが、1年で専門性が身につくかと言われたら微妙な気がします…。 

私の場合、1年目は丸々情報収集や研究メインで2年目で本格的に論文を書いたり学会発表をしたりという感じでした。 

私の通っていた大学院では1年で修士号を取得できるコースもありましたが、それは入学前に業務で専門知識を得ていて研究テーマも絞られている社会人学生用で受験時に研究テーマや手法、おおよそのスケジュールまで提出していました。 

それでも1年制の方々は非常に忙しそうでした。 

そこに学生さんだと就職活動もしなければならず本当に研究してる時間はあるのか疑問に思いました。 

 

▲66 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

大学受験・入学時に大学院での研究分野まで大枠を決めるのは得策ではない。 

優秀な人材を育成するためや有益な研究成果を出すには、大学入学後に軌道修正できる制度が大切だと思う。 

大学に入り、教養課程の後に学部や研究室を選択できる制度、修士進学時に学生が熱意を持って研究することができる研究を行っている別の研究室(別の大学を含む)に移ることができる現行制度は、異分野融合での研究発展面と優秀な学生を生み出す人材教育面で非常に重要な制度だと思います。 

 

短期間育成するなら、大学教育を3年に短縮して、修士課程を従来通り2年としたら良い。 

学部教育が3年で足りないなら大学を3年半、修士課程を9月始まりの2年間にするのも良い。 

 

先端技術分野の産業では大学院で研究課題設計から論文投稿能力までを身に付けた人材が必要だと思いますが少数派です。多くの企業では、研究職であっても修士修了か学部卒かは大きな差はない。 

 

▲12 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

国立大学理系学部の教員です。現状では、2年間の修士のうち、ほぼ1年(1年後期から2年前期まで)は就職活動だけ、あるいは研究との並列で教育をしています。したがって、研究のみに費やす時間は最初の半年と最後の半年だけです。修士を1年にするとほぼ就職活動だけで終わるのではないですか。これで専門知識や技術を持った学生を育てるという目標は達成できません。 

すでに、学部3年修了、修士も1年というルールがあり、優秀な学生はこれを使えば済むことです(実際には半年ずつ伸ばして最終的に5年になる場合がほとんどですが)。文科省は現場の実情を見ずに社会との関係で施策を打ちますが、どんどん現場との乖離が進んでいるように思います。 

 

▲14 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

大学で心理学専攻(4年)+大学院(2年)で現在臨床心理士として従事している者です。臨床心理士資格を取るには大学院は必須だったため奨学金制度を使って行きましたが、あの時の2年間の濃い学びは今の仕事にとても活きています。このニュースを見て大変驚いたのが「5年に短縮すれば院卒が増えて専門的知識のある人材が増える」ということで、他の方が仰るように短縮すればいいなんてことは無いと思います。正直2年でも足りないくらいには新米心理士は社会に出てもベテランになっても常に悩みますし研鑽は必須です。短縮して楽をするのではなく、将来院に進もうと思える教育環境と充実した金銭的サポート(給付型奨学金制度など貸与でないもの)の方が必要なのではないでしょうか。 

 

▲23 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

その1年に修士と就活を両方しないとならないのはかなり大変だと思うよ。子供の大学では就活を見据えて1年生で取れる単位は取り切って、2年から3年生でインターンに行く学生がいるそう。それで3年生後半までに行き先を決めてしまうとか。もし修士が1年でいいなら4年生までインターンをしておいて、さらに専門を勉強して就職って感じになれればいいかも。人手不足でも来てくれるなら待ってくれる企業はいるだろうね。入学してすぐ目標を定めて行動できる学生にはいい制度だと思った。ただかなりタイトな大学生活になるからやる気のある学生向けだね。 

 

▲11 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

博士後期課程に在学する者です。 

修士を増やすというターゲットに対して、修士の期間を短縮するという手段は正解でないと私は思う。 

生産年齢人口が減って、働き手が減っているのは理解できるが、生涯寿命が長くなった現在、そんなに早く専門性を身につけさせて世の中で働くことが本人にとって正解ではないと思う。モラトリアムと呼ばれる自分の人生を立ち止まって考える時間も必要だと個人的には思っていて、そういう期間があるからこそ打たれ強い人間になれるのだと思う。 

学部と修士の期間を短縮することで、学生は卒論を書き終わった後1年で修論を書き上げるような事態になりかねず、さらに就職活動まで重なると立ち止まれる期間も短くなってしまう。こんな短期間に圧縮された教育では大学の教員の負担も増え、さらに論文の執筆に充てる時間も減ってしまう。 

 

▲6 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

期間を短くすれば専門知識が付くのかな? 時間の経過のなかで思考が深まることもあるだろうし、何より気になるのは学生の経済力です。親世代の賃金に伸びはなく、その皺寄せは学生のバイト時間にかかっているのでは? カリキュラムが密になればバイトの時間は限られます。学部修士課程の学生の何割が親からの仕送りだけで生活できているのか。むしろ、義務教育を633制から622制にするとか年長保育からを義務教育に取り入れる等の方が親世代の負担軽減にも繋がるとの発想も考慮すべきでは? 

 

▲39 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

これまで多くの理系学生はたくさんの時間を掛けてじっくり成長してきたのに、それを一年短くすれば質の低い修士卒が増えることは必至ですがそれでも人数を増やしたいということなんですね。 

まずは欧米並みに、修士からはお金を十分に稼げる仕組みを日本でも作り、じっくり成長させることが大事だと思います。 

 

▲63 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

とりあえず大学にいくという現状を変えればいいのではないか。 

高卒と大卒では給与面で差があるから大学にいくというのが理由の方もいると思う。大学に行くけど、卒業まで行かない学生や、大卒だからという利点を活かしきれないこともあると思う。社会、実務でしか学ぶことのできないことを早めに経験するというのも貴重だと思う。 

 

▲46 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

制度を変えるというのは素晴らしいと思う。でも、正直修士は2年でも良いと思う。 

どちらかというと、学部1年目をなくして、より社会に出てから役立つ内容の教養を残りの学部3年間にもっと増やしてはどうか。学部3年にすると学費の総量が減るから難しいだろうけど。 

何なら学部のうちにMBAやMOTなどの資格取得を卒業要件にしても良いのでは。分野問わず応用できるものを身につけていれば、新卒でも、ある程度どこに行っても戦力になって重宝されていく。 

日本の学生が他国に比べて学力が劣るとされるのは、純粋に在学中の知識スキルの習得量が少ないからでは?バイトや部活に勤しむ子や、テストやレポートは先輩のを丸写し、なんてのもよく聞く。 

バイトしないと生きて行けないと言うなら、無利子の奨学金の枠を広めるべき。あと、優れているわけでもないのに高い学費の私学はどんどん潰して、もっと国公立に集中させるべき。 

 

▲89 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

修士だと卒業後に就職するハードルがあがるんだよね。途中で留学とか、留年とかしようものならさらに難しくなる。 

 

日本の一括新卒しか採用せんぞ的なの辞めてくれないかな。そのハードルで躓くとズルズルいっちゃうし。歳食いました、社会人経験ないです~だとなおのこと就職難しいんだよね。 

 

職を選ぶな!と思う方もいると思うが、修士でてワーカーになろうとか思わんし、それしたところでキャリアアップにならんのよ。 

 

んで一貫教育はいいんだけど、修士課程2年を1年に短縮するとかありえんだろ。じゃあ今まで手抜きのカリキュラム組んでたってことか?大学に前倒しするのはいいかも知れんが、修士課程の夏から就活させる気か?勉強どころじゃないだろ。 

 

▲211 ▼21 

 

=+=+=+=+= 

 

基本的に大学以上(正確には高校もだけど)は単位を取得するのが条件で、4年行くことが条件ではない。院試(大学院入学試験)が事実上なくなるというのも修士へ行くハードル自体は下がるとは思うけど・・ 

修士卒の需要は理系の職種では需要が高いと思う。大学入学時点からそのカリキュラムで行うのであれば(編入・転入とかしないのであれば)いいのかもしれない。専門性はどちらかというと学部学科の講義よりも、研究室で学んだ時間(通常学部4年~修士2年の計3年)が重要な気もする。ここが短くなると専門性が少し物足りなくなるかも(単位ではなく経験として)。 

30年ぐらい前に「学部3年」から「修士」に進学する制度があったけど、どのぐらい使えて、今はどうなっているのか検証してからでもいいかなとも思う。(この時は学卒扱いにはならなかったので修士を出ないと高卒になったはず) 

 

▲5 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

高卒が当たり前から大学進学率の増加とともに、大学進学が当たり前の時代に突入しようとしている。 

 

この制度は、その次を見越して、大学進学院への導入にしか思えない。 

 

専門職の高い分野だと、企業とゼミが共同研究をしており、今も企業が大学院の費用負担をしてくれ、卒業後はゼミ枠で就職もある。 

 

学費が5年になっても、4年の合計金額と変わらない様にしてくれても、下宿費用は別途かかる。国が返済不要の奨学金を日本人にも配ってくれないと、少子化がもっと進むと思う。 

 

共働きなのも、生活するのにお金が必要で、子供をそだてるのにお金がかかる。 

本当はもう1人産めるけれど、金銭的に断念している家庭もあると思う。 

 

▲81 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

理系大学院卒業者ですが、さすがに一年は…。 

その間学会発表する為に実験してそのデーターを分析する為に色々な装置を使って得られた数値を考察する。他の方も言われてますがその間大学院の単位を取ったり就活をしたり、学部生の卒論の補助をするのは無理で名ばかり大学院が増えそうな気がするな…。 

なら、働きながら会社が社員に投資という形で2年間資金補助しながら自社の課題をテーマに取り組ませると良いと思うのだが…。博士課程の方は企業ドクターとして勉強されてる方が多い。 

 

理系大学院院卒業までかかる費用は学部年間200万修士課程年間100万円合計1000万プラス、地方の方は借家の家賃、交通費、生活費とても親は払えません!!笑 

 

▲27 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

大変だという理系でも、やはり3年から就職活動はするし、(生活苦でなくても)バイトをしながらというのもいる。そして4年の夏か秋になると、大学に軸足を戻して必死に卒論の準備をする。就職活動のない者は院試準備をする。 

5年制だと院試と学部の卒論が省ける。さらにリクルート主導のだらだら就活については新しい5年一貫の忙しさに合わせた規制をすればよい。 

さらに現状、学部と院で同じ内容の重複履修も少なくない。ゼミも統合した方が効率的な部分が多い。 

 

院卒の社会的承認については、人材の需要の問題に配慮し、5年一貫を社会に支持される一定の大学(=ある程度高偏差値)に限ってやればよい。 

学費目当てでみんないっせいに、そして院卒ダブつき、という教育機関を生かすために人材を殺すような真似だけはいけない。 

 

▲124 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

この制度を採り入れるにあたって、卒業要件を修論ではなく、もっと実践的な専門スキルを包括的に評価できるような要件にしても良いのではないかと思う。 

修士を得て思うに、卒業するために修論をまとめた時期は、苦労した思い出になっても企業に入ってからの力を養成できた気はあまりしない。しいて言えば、目に見えない出るかもわからない研究成果を探究し、時間やノルマに追われた経験によって精神的強さが身に付いたと言われたら否定はしないが、それが本質ではないと思う。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

学部生は、決められたカリキュラムの中で124単位を埋めて卒業します。学生はほとんど受け身の勉強です。 

院生は、自分のテーマを持って「研究」し、データを取って主張立証する主体性が求められます。 

これからの時代、会社から言われた仕事をやる人はAIに代替されます。自分が不思議だとか面白いとか必要だと思えることを見つけて価値を生み出せる人材が求められるんじゃないですかね。 

大学院も、研究者養成だけじゃなくて学生のやりたいことを突き詰める力を育ててほしいと思います。 

 

問題は、採用する側の企業がそういう自活的な人を採って伸ばす経営戦略や人材ビジョンを持っているか。 

そして、社内に知識が無かったら、社員に社外での学びを推奨しているか。 

AIやGXの知識をコンサルから買っても一時しのぎにしかなりません。 

五年一貫とともに、社会人のための大学院教育が必要で、大学と産業界が一緒に変わらないといけません。 

 

▲9 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

日本の大手経営者が学部卒かせいぜい修士号止まりで博士号を持つ人がほとんどいない。だから企業のトップも結局のところ修士博士の持つ価値を分からないし、なかなかそういう人材を正しく評価出来ない。だから就職してもそこまで学部卒の学生より有利にならないし、学生も大学院進学にメリットを見出せないのが問題だと思う。 

 

やはり大学院、特に博士進学者を増やすには、雇用者側が博士の価値を理解すること。民間公務員問わず、修士博士の人材をもっと積極的に雇用し、かつ能力に応じたチャンスをきちんと与えて出世出来るようにすべきだろう。 

 

▲24 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

大学の学部と修士を5年一貫にするのは、学生にとって学費の負担が軽くなるなどのメリットがありそうです。ただ、まともに研究させるには奨学金制度の改善も必要だと思います。 

個人的には、学部2〜3年・修士2年の計5年制にして、論文作成は学部ではなく最終段階にまとめて行う形の方が現実的です。 

また、今の大学は学部前半が授業中心で、後半の研究室配属とのギャップが大きすぎます。早期から研究テーマの設定や実験、論文に取り組む仕組みを整えた方がいいです。さらに、海外では当たり前ですが、複数人で共同研究することも有効だと思います。 

学部の段階から研究の練習を取り入れ、テーマ設定や研究の流れを実践的に学べるようにすべきだと思います。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

真面目に単位を取っている学生は4年間の内、半年から1年はほとんど授業を受ける必要がない期間が生まれますので、その期間を有効に使うのであれば5年で修士卒業を選択できるのは良い制度かもしれません。1年くらい海外留学して6年で修了するのも良いですしね。自分も4年生の時研究室の教授から修士を進められましたが、家庭の事情であと2年学生を続けるわけにもいかず断念した経緯がありますので、選択肢が広がるのは良いと思います。 

 

▲5 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

4年+1年って考えてる人が多いようだけど、学部の早期から研究を視野に入れて取り組むのは良いことだと思います。これは単純な年限の短縮ではなく、学生個人の意識の問題であって、目標、目的意識を持った学生の伸びはすごいものがあると、研究室で色んな学生を見てきて実感しています。 

さらに研究を続けたいと思ったときに、博士進学を考えた場合でも1年だけでも短いのはアドバンテージになり得ます。留学もしやすいですね。私は良い取り組みだと思いました。 

 

▲17 ▼26 

 

=+=+=+=+= 

 

日本が異色なのは、多くの大人が卒業後に勉強をとたんにやめてしまうこと。 

我が家では父親がずっと勉強していたので、子供も親の背中を見て自然と勉強するようになりました。 

岸田さんがリスキルと言われていましたが、国民の学び直しの場としても大学はもう少し門徒を開いてあげるのも良いのかなと思います。 

今の少子化プラス外国人優遇の状況ではなく、既存の大人に発破をかけてあげるのも良いのでは。と思います。 

実際のところ補助金が出たり、学びなおせる環境も少しずつ整って来ていますが、経営者側の理解が足りず、学びたくても学び直せない大人も多くいるのが現状だと思います。 

 

▲13 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

ほとんどの学部4年生と修士はやってることに違いがないと思うので、修士課程の単位を学部生のときから先取りできるようにするのはいい試みと思います。1年短縮とはいかずとも半年短縮で9月卒業も選べれば使いやすい制度になりそうです。 

 

ただ短縮しようとするなら修論のクオリティは修士を2年やった人と同等以上を求めるのが筋でしょう。あと他大学から大学院に入る人を1年で修了させるのはさすがに無理がある気がしますね。大学院教育の本質を否定してまで修士を量産することに意味はないと思います。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

博士人材の需要の問題かな。 

人工知能の研究は総合的な科学的地力が重要だけれども、そもそもの開発をどこかの最先端研究を実装して実証して作ると言う開発をやるならば、自国の最先端人材よりも手早く手技と素養が満たされた修士級のキャッチアップ系人材の拡充が重要ってなると思う。 

 

人工知能系の研究で、人の心理や社会の構造、社会への適応などの文学的な要素も重要になって来ている中で、その創造系の人材の重要性をどこまで社会が理解するかだと思う。 

 

自国の創造系にキャッチアップした集団が作れると一気に進むだろうにね。 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

うちの娘はとある地方国立大学工学部にて、今年度学士修士一貫制度の適用申請を行い、6年一貫という形式で承認されました。現在学部3年ですが、すでに卒業研究に入っています。実質的に半年間の前倒しを行い、4年前期には卒業研究の発表の傍ら、大学院の授業も受けることになります。 

そうして、空けた時間に半年間の海外長期留学(交換留学)を行い、見聞を広めることにしています。海外留学の見識とともに修士論文の作成にかかることになりますが、どの程度のものを作ってくれるのか楽しみでもあり心配でもあります。 

 

さて、5年での修了となった場合に計画的に研究発表する時間が取ることができるのでしょうか。少なくとも、現時点のうちの娘の状況を鑑みると、ブラック企業耐性がつくだけのような気がしなくくもありません。先取りするなら、空いた時間をどのように活用するのかを考えるほうがよいのではないかと思います。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

日本社会と大学教育・大学院研究とのギャップにまず目を向けないといけないのでは?? 

国際的にみても研究したことのない人たちばかりになっていて、学部レベルではある程度の大学以上でないと問題意識を持って論文に取り組む人も少ない。 

猫も杓子も大学に行こうとしているこの現状から変えて、大学や大学院の価値を高めないといけないと思う。日本は大学の数が多すぎる。 

 

▲244 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

良い取り組みだと思う。 

もう何十年も前、3年次に卒業単位をほとんど取得していたので、4年次はより興味のある教科を履修したが、就職活動もあってなんとなくしりつぼみになった感がある。せっかく興味を持って学ぶ方向性が定まって来たのに残念な気持ちで卒業した。留年した卒業した連中もしっかり出世しており、自分も後1年勉強出来る機会有れば人生もより有意義だったのではと思い返します。 

 

▲2 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

今の大学は休みが長く、就活に要する時間が長い。少ないとも1年は時間外になっている。 

特に修士課程は2年のうち8ヶ月程度は時間外だ。小、中、高と違い、空調設備があるので、休みを減らして学びの時間を増やしてどうだろう。5年でも同じ学びは可能に思えます。理系においては研究、発表を繰り返し、外部の評価をうける時間が将来の糧となるので3年プラス2年が望ましい。 

 

▲7 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

総合大学の教養課程を見直すべきでは? 

理科系の学生が専攻学科と関係のない人文科学系や体育の履修が必須だったり、語学も第2外国語で何の約にも立たない外国の古典文学を教材にされて教師の趣味に付き合わされる授業を見直してほしい。理解専攻の学生は、人文科学などは趣味、語学は日常会話や論文の読み方とかの専攻学科で必要になるかも能力の習得の為の内容にすることで、現在の第4学年と修士課程2年間の内容を、新制度の第3学年からの3年間でそのままカバーするようにできる。 

 

▲2 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

即席めんはお湯を入れて3分でできるけど、発がん物質がかなりあるので。 

手打ち面は時間がかかって、値段も高いが、体に良い(とされている)。 

このころ、こういう拙速な風潮が強い。 

私が居る電気業界でも同じ。 

主任技術者が高齢化、後継者が居ないから、実務経験をいろんな条件で短縮できるようになる。 

結局、現場で教えなおさなければならない。トータルの手間が変わらないが、事故リスクだけが高まる。 

事故が起きるたびに、法律が厳しくなる。「こうなると最初から分かってるのだから、急がなくても良かったじゃない?」がほとんど。 

最終的には元に戻るのが殆どで、残すのはケガした人間とその家族。 

 

▲11 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

修士以降は自分の専攻が固まるため、学部内ゼミの延長線をそのまま行く学生は自分の好きな分野に恵まれたのだなと思い、少しうらやましい。 

 

私の場合は専攻にあった教授に教えを乞うために院を受験したが、残念ながら受験直前にご逝去されていた。指導教授を探す旅に出て、修士課程に入ったのはさらに1年後であり、良い思い出ではあるが時間かかったなという印象。 

 

修士取れれば何でもよい。という学生もいたが、M→D進学時に専攻分野が合わない事に気づき悩んだ学生も居たような気がする。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

日本の企業文化や組織構造の問題が根底にあるので、単に「5年一貫教育」だけでは人材が活躍しきれないリスクは大きい。欧米企業では、修士や博士取得者は研究開発部門だけでなく、経営戦略、企画、コンサルなどの戦略的ポジションにも積極的に登用され、専門知識を活かして組織の競争力を高める仕組みができています。一方で日本企業は、学歴や専門性よりも年功序列や社内での経験値を重視する傾向が強く、高度な研究や専門知識を持つ人材が適切に評価され、活躍できるポジションがまだまだ限られます。教育制度の改革と並行して、企業文化や人事制度の変革が不可欠だと思います。研究職だけでなく、企画や経営にも進める道を作るとかですね。高度人材や専門家を登用するオープンな組織づくり博士人材の実社会での価値理解を企業内で深める啓発活動するとか。この辺りは昨日発表された新総務会長の有村治子さんが専門ですから色々頑張っていただきたいです。 

 

▲7 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

理系修士卒業者ですが、1年出必要カリキュラムと論文書くのは難しいと思います 

 

私は1タームで1ヶ月以上かかる研究をしていて再現性も含めて考えて実験組んでいたら時間が足りないと思う 

 

私は頭が良いわけでもなく、調べることも今よりも大変だったので時間が掛かっただけなのだろうか 

 

2年が妥当かとも言えませんが、研究内容によっては1年以下で結果出して、論文書くのはかなり難しい 

 

▲37 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

それよりも少子化で多くの人が大学へ行ける時代になり、大学へ行っても勉強もしないで遊んでいるだけの4年間を過ごして有能ではない学生が社会へ放り出されている現状。 

もっと、勉強をしなければならない環境にしないといけないよね。学べる大学が良いと思う。それも研究的な道へ進む人だけでなく、社会に出て役に立つことを学んだりね。インターンシップなどで外に出るのも良いけど、それってせっかく大学でしか学べない時間を就職するための時間に割いている訳でしょう。勿体ないよね。 

もっと、学生が学ぶ環境を提供できる大学を増やさないといけないと思う。勉強だけでなく、発言やスポーツ、身体のこと、市場のこと、社会のこと、学びながら社会と関り、それを楽しいと思える学生生活が良いよね。 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

英国では3割が大学院に進むとありますが、英国は学部は3年、MBAのような文系の修士は1年です。日本の大学は特に学部は甘々で最初の2年の教養学部の時に本当に必死で勉強して専門を積み上げている生徒は少ない様に思え、若者の数が減っているならむしろ英国の様に学部3年、希望すれば4年間で修士を取得させるのが、社会全体の効率性からいって良いと思います。 いつもながら、都合の良いところ中の切り取り政策。他の方も指摘されていますが、先細りの大学の経営維持のための制度改正のようにしかみえず、なんとなく釈然としません。また大学が外国人だらけになるのは、反対、外国人への手厚い保護はおかしすぎます。そもそも、教育はその国の若者を育てるためであり、文科省や大学職員の制度維持のためでは無い事を肝に命ずるべきではないかと思います。外国人学生への 

補助ではなく、研究への補助へ舵を切る時では? 

 

▲17 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

これまでの学士4年+修士2年というのもありだけど、最初から修士までを見越してる方については、セットで5年というのも認めます。 

短くすることで、財政的・時間的・心理的な負担を感じる方のハードルを下げます。 

先進的に進めている大学で感触もよろしいのでしょう。 

 

やっぱり企業・社会とも理系人材が欲しいけど、その多くは修士までの進学が求められることが多いし、そうなると2年の差が出ます。 

景気・物価高などのため、この2年はこれまでよりも大きいです。 

とはいえ、人こそ国の要。なんとかせめてということでしょう。 

 

このコースに臨む方は元より優秀な方・意欲も高い方が多いことでしょう。これから全国展開となるとわかりませんが、注目したいと思います。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

院に行ったら専門性が上がるかと言ったらそんなことないと思います。仮に専門性が上がったとしても、それを活かせる職種に就けることは稀で、大体はOJTで学ぶことの方が多いと思います。 

 

それに現状、大学院に行ったって給与は学部卒や文系事務と数万しか変わりませんし、数年経ったらその差は縮まります。 

 

院はもっと研究したい人が行くべきであり、就職や人材確保に繋げるべきではないと思います。 

 

▲4 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

日本の修士課程での単位取得は大学の専門課程の延長に位置する「特論」を学習します。この専門性が学部の専門科目の学習と大きく違うかといったら全然そんなことはなく、たとえば中学1年と2年の教科書のような違いはないです。 

修士課程で最も重要なのは研究者になるための研究の基本を身につける修士論文という単位です。日本の修士はこの研究に重きを置いています。 

一方アメリカでは修士論文不要な、学習単位取得での修士が多数で、研究者よりも高度職業を意識した課程になってます。 

おそらくこの改革では後者へ舵を切り換えるものと思いますが、専門性が高くなるどころか逆に修士の研究 

未経験で学位はあれど未熟な学習者を輩出し、今の四年制卒の学士と大して変わらない修士が誕生することになります。 

そもそも日本の大学はアメリカの大学ほど就職予備校としての機能がしていなく、大卒を即戦力と見なさぬ状況です。 

アメリカ猿真似で失敗します 

 

▲14 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

選択肢として、は良いですね。 

前期、後期課程どちらにせよ、アカデミックスキル習得のためには大学院卒まで修了する必要があると感じます。特に、物事を批判する能力は育つまで時間がかかります。 

ただ領域によっては専門性がより高い分野があり、大学卒業してストレートに院へ、ではなくリカレント教育の方が方針にマッチしている事があります。現職として実務に従事しながら夜や休日は大学院へ、というパターンの方がリサーチクエスチョンがより精巧緻密になると感じています。 

なので院が一貫になった場合、リカレント教育期間はどうなるのか、は気になりますね。 

それから、特別研究を教授とラリーしながら短期間で終わらせられるのか?も疑問です。私も最後の一年、生活がバグりながら通ってたので、単純に一貫すると学生、教員ともにハードワークになりそう。たった1年で研究計画、倫理審査、実施、分析、報告なんていけるのかな? 

 

▲61 ▼26 

 

=+=+=+=+= 

 

専攻にもよるが、理系や工業関連のマスターならともかく、文系専攻のマスターだと、就活が苦戦する傾向もあるように思う。専攻を活かせる一般職種が少ない。 

理系でも専門職の就職口は限られてるから苦戦はする人もいるし、そうなった場合に専攻から離れた仕事に就こうと就活すると結構苦戦するとも。 

 

中小零細はもちろん大企業でも現場レベルだと、修士持ちではない管理職やチームリーダーのほうが多数派なので、心理的に使いづらさを感じるとは聞く。採用面で不利になるケースがあるのが実態なのでは。 

 

 

進学率の低さは学費がかかるのに加えて、将来設計の難しさもあると思う。制度上の問題でもないかなと。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

むしろ親としては高校卒業でも、しっかりと働いて家族を養えるぐらいの給料がもらえて生活ができるようにしてほしいです。 

地方の偏差値?な私立大学まで5年制になるのでしょうか。入学金に授業料にと高額すぎて、とにかく早く卒業してほしいと思ってしまいます。 

もちろん、国立などでやる気のある優秀な学生には修士課程への積極的な支援をすれば、専門性が高まって良いのではないでしょうか。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

現実の大学生のレベル感をしってるだけに微妙な内容だと思います。短縮するメリットを打ち出すより、大学院で学んだ事によるメリットを強調すべきかな。また、大学院もレベルがばらばらなので、どの程度の知識とスキルを求めるのか?の議論がみえない。 

むりに高いレベルを求めるなら、高校までの学びの見直しが必要など全体の再構築も必要かも? 

 

▲2 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

大学院は親がそこまで面倒見切れないと言う事が最大のネックで大学まで全員教育出来る親もまだまだ一部の親に限られる中で、大学院生をもっと増やしたいなら金銭面の問題から取り組んで行かないと無理と思うが、そう言う事は親がその前に生活出来なくなってしまい、ジエンドとと成るレッドラインを一年短縮する事はほんの少しラインを引き下げる効果は有るかも知れない。 

 

▲3 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

専門性を身につけた人材を増やすために1年削減って本末転倒じゃない? 

既に理系は修士の進学率もそれなりに高い。修士は進めば大企業で設計職への配属に有利になるため進む価値がある。低いのは博士でそれは追加で3年通っても給与で差があまりつかないので割に合わないから。博士に進んでも就職で見返りがある社会制度にする方が大事だと思うが。 

 

▲39 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

理系の修士卒ですが、あんまり意味が無いと思います。 

研究のやり方や思考を学んで身に付けるなら現状の学部4年にプラス2年は必要でしょう 

見直すなら6年間の中身だと思います。 

僕の時は大学院の受験勉強に半年ほど使ったので一貫教育ならそこは減らせると思いますが、、、 

それよりも大学院の一年生から就活が始まり、そちらに時間を取られた覚えが有ります。 

最近は就活の一環でインターンシップに行くのが当たり前の状況ですし、僕の時よりも時間がかかるんじゃないかな? 

5年制を導入しようと思うなら、思いきって卒業前の就活や採用内定を禁止にするとか、入学した時点で提携する企業への就職斡旋をするなど就活期間の短縮が必要になると思います。 

 

▲7 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

それはまさに高専でしょ。 

高専は工学分野に特化してるけど、 

いろんな分野に特化した高専をたくさんつくるべき。普通高校行って大学受験したり、浪人したりが時間の無駄でもったいない。大学からの五年を行うより、高校からの五年の方が頭もやわらかく将来を見据える意味でも良いと思う。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

現役の大学院生(修士)です。 

学士と修士を計5年で修了できることは良いと思いましたが、修士の期間が短くなるのは本当に良いのか疑問です。 

 

私は理系なので修士論文の研究を行っていますが、2年間かけてじっくりと行うべきことだと感じています。 

ただ、私は学部の1,2年で必修以外の単位をほぼ取りきってしまい、3年は暇だった(4年時は卒業研究で忙しかった)経験もあるので、その期間を有効活用して学士と修士の期間を短くできるのであれば、それは良いことだと思いました。 

 

また、記事には『今も計5年で修了できる道はあるが、大学が認めた成績優秀者向けの特例などに限られる』とありますが、この制度の場合、『飛び級』という扱いになるため、学士の学位は取得できませんでした。 

今回の新制度では、修士の期間を短縮するということなので、おそらく学士と修士の両方の学位を取得できるのでしょうが、その辺りについて気になりました。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

まぁ、修士迄なら就職に有利になるという理由で進学する人はいますが、博士は取っちゃっても後が困る日本の現状では博士の人数が大学進学率の割には悪いのは当然の事。これは日本の教育状況が諸外国に比べてなんか間違ってるんじゃないかな?という気もしないでもないです。 

 

当たり前に大学に通ってる人は3年の前期でほぼ単位取得は終わってしまうので、短縮する制度は良いとは思いますし、むしろ4年で修士迄短縮して良いんじゃないかな?とも感じます。そういう意味では4年で修士を取るくらいの人はほんと優秀なんだなぁとも見られますし価値が有るなとも思います。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

大学教員ですが、こういう意味のわからないことはやめてほしい。 

学部の4年に1年加えただけで、どんな専門性を身につけられるというのか。 

修士課程なんて2年間あっても実質1年は就活に費やされているわけだし、逆に短いと感じているくらいなのに。 

それに箔付けのためだけに修士課程に上がってくる意欲の低い学生が増えるのも困る。 

むしろ学生の就活の負担を軽減して、学業や研究にしっかり専念できるような方策を考えてほしい。 

 

▲23 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

修士課程に進まないのはそれほど金銭的余裕がないからという理由もあるかと思います 

ただでさえ20歳から年金加入などという冗談のような制度まである 

 

金銭的余裕がないのに、就職時は結局学部卒と同等の扱いにする企業も多い 

産学連携で企業との共同研究を、会社員であり大学院生である立場でできれば安心して進めるのではないでしょうか 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

大学まで行ったら早く社会に出た方がいいと思う。大学院は数年働いて、それでも勉強したいことがあったら大学院に行くっていう流れの方がいいと思うし、社会人経験があった方が現実に即した研究ができると思う。大学院行くための休職制度など充実させた方がいいと思う 

 

▲6 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

目的は理解するが、目的への対処法として分析はしっかりやっているのかな。大学に入学すれば自動的に修士1年が増えるなどと単純ではないだろうね。日本で高度知識を身につける人が減るのは、費用がかかることや就職が難しいことなどメリットが少ないことが挙げられる。学費補助や研究職の処遇改善、研究環境の整備、予算の拡充など目的を見据えて体系的に対応しないと、掛け声倒れになる。官僚が言われてやる弥縫策ではないことを期待したいが、日本はこの手の長期計画立案が苦手なのが心配だ。 

 

▲13 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

修士課程は学部生における研究課題を更に深める課程であり、1年間では研究内容が深められない。単に大学院進学者を増やすために研究時間を1年も短くすることは、研究が中途半端になり優秀な研究者が育たない。修士課程進学者を増やしたいなら、授業料を安くするとか無償の奨学金制度を作るとか、学生の負担を減らした方が良いと思う。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

数十年前に地方国立大学の理系を卒業しましたが、その当時でも半数以上の学生は修士に進みましたね。 

就職してからも、研究開発部署は修士以上でないとならないって企業も多かったですし、今は当時よりもその傾向は強く成っているのでは無いかな? 

なのである程度以上優秀な学生ならば、一貫教育はメリットが有ると思います、博士課程に進む者も少しは増えるでしょう。 

 

その反面、いわゆるFランクとかそれに近いような大学はどんどん淘汰されるべきに思います。猫も杓子も大学に進学してろくに勉強もしないとか、費用のムダでしかありませんから。それならばより実用的なスキルをなるべく早く身に付けた方がよほど良い。 

 

▲20 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

理系はともかく、文系学部で大学院に進むメリットがないんですよね。むしろ就職ではデメリット(歳だけとって初任給も高いので採用されづらい)になる可能性が高く、わざわざ高い学費払って進学するもの好きは少数でしょう。 

 

海外では大学院で学ぶ金融工学や財務分析などの知識を活かす仕事もあるのでしょうけど、日本企業は社内人脈やコミュ力で出世していく文化がまだまだ強いですし、専門知識の有無よりサークルの幹事やってた(リア充してた)とかのほうが人事にウケがいいです。 

 

▲2 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

個人的には良いと思う。大学時代、同じ体育会系の部活に所属している理系の後輩の中には飛び級していて5年で修士を出る人達、同期には博士まで行く残る人もいたし、同数程度、留年して、学部を5年で出る人達もいた。また、国際的な研究の分野では、博士を持っていないと相手にされにくいと修士卒のあと、企業などに勤めながら博士取った友人達も。 

進級、卒業の基準は厳しくして、大学卒、院卒に見合う学力の人達だけに学位は与えない場合、大学への補助や税控除は対象から除外するぐらいしてほしい。 

周りには優秀だけど、家庭の経済力から、大卒で就職した友人、博士で経済的に苦労した友人もいるので、国際競争力や資源の有効活用の点から、能力と意欲のある人達の支援に集中してほしい。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

大学の通う年数が変わります。これまでは学部4年で修士2年でしたが、新方針は学部4年で修士1年となります。これにより、教育の質の低下を防ぐ狙いがあります。大学は専門の勉強をするところですが、自主性を重視します。また、研究も企業との協力で高い学力が要求されます。大学の年数よりも、もっと、研究の内容を国際競争に通用するものにしてはどうでしょう。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

文科省は早期卒業制度のある大学・学部で定員に対してどれくらいの割合が実際に早期卒業しているか把握しているはずである(1割もいない) 

それにも関わらずこのような制度化を行うというのはここで書かれているような目的が本音ではないということになる(つまり、ホリエモンがいうところのFランの延命措置や〇国人優遇) 

どうしても制度化するのであれば、すでに学部定員の半分以上の人数を修士課程の定員として定めていて、5年以上進学実績があり、早期卒業の実績がある等の明確な設置基準を設けるべきである 

 

▲7 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

大学の教育の質を上げることを併せてやってほしい。 

現状では例えば早稲田大学はいまだにオンライン授業が多く学生のヤル気を削いでいるし、英語教育は国際系以外は質が低く、英検準一級で必修免除。慶應は、テスト問題が使い回しなので、いかに過去問を手に入れられるかで成績が決まる。 

(そのため附属あがりが有利) 

カリキュラムを文書で読むだけでなく、ぜひ実際の授業も精査してほしい。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

これはどうなのだろうか? 

現状では就職がうまくいかず就職浪人を避けるための大学院進学がかなりいる。その中には社会に出たくないから大学院進学という人もいる。 

修士以上は、年数でなく学力が達成しているかを基準にするべきではないか? 

これをしたら日本の修士ご国際社会の中で軽く見られるだけ。日本の修士は、国際的に評価が高いというレベルにすることが世界で活躍する人材を産むものだと思うけど。 

 

▲68 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

大学院へ進む学生が少ないのは、研究者としての日本社会の受け皿の少なさが原因ではないでしょうか。そこも含めて整備しないと、この制度の先で道が切れてて受けた教育や研究が無駄に終わる。そのようなことが無いようにやるなら一貫して整備してほしい。 

 

▲14 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

5年の大学+大学院は勉強したい人にとっては有意義だと思うけど、どの学部にも必要な措置だとは思わないな。 

実践という形でプレ社会人みたいに5年目をするならわかるけど、大学院で研究となると理系は一年じゃ足りないという意見もあるように文系に至っても就職じゃなく、研究の道を選んでいるだけあって、研究の質を高めるなら、一年じゃ足りない。 

教職大学院や外国語学部などの実践こそが大切で、現場と密接につながるようなものに限定したら良いんじゃないかなと思う。 

 

▲1 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

学部はさておき修士の在学期間を短縮する制度は余計に研究の質が下がるとしか思えない。自分は現在アカデミアに在籍しているが、どの分野においてもインパクトある成果、多くの成果を挙げるのに時間がかかることは共通している。また近年では、natureなどの高ifジャーナルは査読+revisionだけでも1年以上かかり、そこで蹴られることもザラであるため、研究だけでなく良い学術誌に投稿するのにも相当な時間がかかることも理解して欲しい。優秀だからという理由で、短期で学位を渡して民間に放出できてしまうようなシステムを作るのは浅はかであり、特に理系分野における研究力の向上に直結するとはとても思えない。非常に残念である。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

何で日本で大学院に進学する率が低いのかを全く判っていない施策ですね。問題は企業が専門性を学生に要求しないから。大半が大学院に進む理系でも修士がほとんどです。これは終身雇用で定年まで従業員を雇わなければならないから。方針転換や景気の変動で人の過不足が出た場合、配置転換や残業でカバーせざるを得ないため、専門性よりもポテンシャルで採用し、あとはOJTでこなしていくのです。ですから文系の修士や理系の博士のように専門性が高い反面応用が効かない(やりたがらない)人はノーサンキュー。何でもやります、頑張りますの学卒が重宝されるのです。ですから、金銭解雇の導入で雇用の流動化を進めなければ大学院進学は増えません。頑張って修士取っても社内異動で専門外のことやらされるのですから。会社だって、人事部が心理学の専門家取りたくても、工場で人余ってるから高卒を本社に回す。っなるので修士取れないです。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

現行の学部4年間、修士2年間だと、卒業後の2年間分の収入の差が500万円以上つくことになる。(学部卒>修士卒) 

更に博士課程3年間を加えると、5年間分の収入の差が1000万円以上の差がつく。(学部卒>学士卒) 

この差は、ほとんど埋められない。 

また、就職したときに学部卒と大学院卒で、よほどの専門職でないかぎり、仕事内容にそれほどちがいがない場合が多いので、現状ではますます大学院に進学する価値がない状況であるようにみえる。 

 

5年生にして、少しでも改善されるとよいのだが・・・ 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

学部修士の五年一貫教育もいいけど、大学の17歳入学も制度化した方がいいと思う。高校二年修了時点で大学受験資格を与え、合格したら入学できるのだ。 

これだけ教育格差が広がった以上、英才早教育をしている生徒たちをないがしろにはできない。すでに高校二年の時点で東大に合格可能な生徒もたくさんいるだろう。 

彼らを一年早く入学させれば、一年早く社会に出せる。彼らの時間を無駄にしないためにも、大学の17歳入学も制度化すべきだ。 

 

▲6 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

日本人の大学院進学率が低い一方で 

大学院で外国人留学生の占める割合が多いようです。 

国際化という意味では良い事なのかもしれないけれど 

国内の人材育成と言う意味ではある程度の人数は 

日本人の大学院進学者も確保できるような制度見直しも 

必要かなと思います。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

結局大学教育は専門教育なのだから、卒後すぐに就職することを前提とするなら、就職後に求められる知見を学べる場所に進学することが大学生活の意義を最大化できる。機械的に5年一貫にしてしまうと、修士が不要な職につくならモラトリアムが伸びるだけだし、大学院生活というのは一般的にストレスフルなので余計な心労を重ねるだけになる。 

 

今、大卒で行っている新卒採用活動を18歳時点に前倒しして、採用側の要望に合わせて進路を決めるというふうにしたほうがいいんじゃないだろうか。 

もちろん、アカデミアに進みたい人は普通に進学すれば良い. 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

今でも理系学部は大学院迄行かないと社会に出ても十分な活躍が出来ないと言われていますから、文科省が余計な事をしなくても良いと思います。 

また、大学院迄行かないと専門知識が無いと言う以前に、入学したら大して勉強しなくても卒業出来てしまう日本の大学教育のレベルアップを図る事が先決では無いですか。 

加えて、博士号や修士号を持っている人をそれに見合った処遇が出来職場も不足していると思います。 

これより先に、医学部の教育をどうするのか、医師免許を取っても美容整形医ばかりに行ってしまい、肝心の命を救う病院に医師不足が起きている実態をどうするのか、厚労省がイギリスなどの真似をして大病院への患者の集中を緩和する為に街のクリニックを掛かり付け医、ホームドクターとして最初の診療を担わせているが、肝心の開業医は病院勤務医の専門を引きずっている。総合診療医を育てる必要が有るのではないかと思います。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

これまでも優秀な学生を早期に卒業さて大学院所属にさせることで、より早期に専門的で高度な研究に移れるようにする個別の制度があったが、それをきちんとした統一のものとするんですかね? 

大卒が世の中で当たり前のようになったからと、無意味に修士を増やすようなことにならなければいいけど。 

 

私の周りには飛び級で大学院進学した人が2人いたけど、確かにどちらも極めて優秀だった。 

このような人の発掘・育成が目的なんだろうけど、さてどうなるやら。 

 

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論文執筆にかかる時間を考えると修士研究を1年で終えることは現実的でないと思います。修士新卒を増やす思惑もあるのでしょうが、1年間の院生活でいつ就活すんねんという課題もあります。 

優秀な学生は従来通り、学部の早期卒業で対応していけば実質5年で修士号を取得できるのにわざわざ新制度とは… 

将棋界が女性プロ棋士を無理やり増やそうとしたとき、藤井七冠が棋力は担保されるのか?と疑問を呈しましたが、同じ流れを感じます。 

元アスリートのスポーツ医学修士みたいなワケわからん修士を増やしたいのでしょうか?少なくとも国立大学が要求している制度ではないと思います。 

 

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博士に行く人が少ないのは掛けた学費に対してリターンが少ないリスクが高いからで修学期間自体が直接的な問題ではないと思う 

修士迄1年間短縮されれば国立大の学費として60万円前後とその期間の生活費は浮くが、何より学位取得後のキャリアビジョンを明確に出来る施策が無い限り、社会で活躍出来る博士を増やす効果は限定的では 

国内の研究期間の博士の受け入れ人数は限度が有る中、産業界や海外の研究機関も視野に入れ、それらに利益なりプレゼンス向上をもたらすか、働きかけを行うと共に、学生にもその意識付けをする必要が有る 

多くの人にとって有っても無くてもどうでも良い研究とか話のネタとしてちょっとは面白い程度だけど我々が金を注ぎ込む程でもないと思わせる様な事だけで飯を食っていこうとは思わせない様にする必要が有る 

今博士を出て飯を食えない人って、やっている事の難易度が高くても世間の印象がそこ止まりの場合が少なくないので 

 

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