( 330583 ) 2025/10/09 07:39:15 0 00 閉幕を前に大盛り上がりを見せる大阪・関西万博。しかし、開幕前の反対ムードを思えば“手の平返し”ともいえるムードに、モヤつく人も少なくないかもしれない。この現象には日本人の国民性が深く関係している。詳しく解説していこう。(サムネイル画像出典:Shawn.ccf / Shutterstock.com)
10月13日の閉幕を前に、大阪・関西万博が大盛り上がりしている。入場者数は連日20万人を超え、オフィシャルショップなどでは公式キャラクター「ミャクミャク」のグッズが飛ぶように売れている。ただ、このような“万博フィーバー”を見てモヤモヤしている人も多いはずだ。
大阪・関西万博といえば、開幕前は「費用がかかり過ぎる」「不人気で参加辞退をする国もでてきた」なんてマイナス情報がメディアで盛んに報じられ、芸能人やインフルエンサーの中でも批判する人が多くいた。これを受け世論もかなりシラけていたし、開幕直前の4月13日にNHKが世論調査をおこなった際に「関心がない」と答えた人はおよそ6割にものぼった。毎日新聞の世論調査にいたっては、「行かない」「たぶん行かない」を合わせてなんと87%にも達していた。
しかし、いざ始まってみたら万博は大盛り上がりで会場は大混雑。最近は閉幕を惜しむ声も上がってきた。この見事な“手の平返し”は一体なんなのだ、と首をかしげる人も多いだろうが、実はこれは「東京2020オリンピック競技大会」(以下「東京2020」)でも見られた現象だ。
世界的なコロナ禍であった当時、メディアや専門家も「中止」や「延期」を求めて、五輪反対のムードが高まった。しかし、いざ開幕したらメディアはメダルラッシュを大々的に報じて、人々も連日テレビにかじりついて「感動をありがとう!」と歓喜し、最終的には「やってよかった」の声があふれたものだ。ちなみに、1964年の東京五輪や1970年の大阪万博でも、程度の違いはあれど、同じような“手の平返し”が起きていたことが分かっている。
最初はブーブーと文句ばかり言うけれど、いざ始まったら“そんなことあったっけ”という調子でお祭り騒ぎするという“手の平返し”を、なぜ日本人は幾度となく繰り返してしまうのか。よく言われるのは、「熱しやすく冷めやすい」という国民性が関係しているのではないかという説だ。
ダッコちゃん、ルービックキューブ、たまごっち……昭和・平成のブームを振り返ってみても、人気に一度が火がつくと社会現象にまでなるが、ブームが過ぎてしまうと、「ああ、そんなのあったね」というくらい全く見向きもしない。あの熱狂はなんだったのか、二重人格なのかと心配になるほど熱量に“継続性”がないのだ。
その最たるものが「アメリカ文化」である。
実は戦前の日本はアメリカ文化が大ブームだった。多くの日本人がハリウッド映画やジャズ、ファッションのとりこになり、アメリカの豊かな暮らしや文化に憧れたのである。
それが1940年、日本の大陸侵攻をやめさせようとアメリカが経済的圧力をかけていくと、“手の平返し”で反米ムード一色となる。日米戦争が開戦すると、あれほど憧れたアメリカの映画や音楽、そして言語まで全て「敵」とみなして禁止。「鬼畜米英」として憎悪の対象となった。しかし、この世論もわずか5年ほどであっさり“手の平返し”される。
1945年8月に敗戦した日本で、アメリカは軍国主義から解放してくれた恩人と称賛され、あっという間に戦前のようなアメリカブームが起きる。その象徴が、360万部という信じられない勢いで売れ、戦後最初のベストセラーとなった『日米会話手帳』(科学教材社)である。
「天皇陛下バンザイ」と叫んで命を投げ出して戦っていた憎い“敵”なのに、わずか数カ月で“手の平返し”し、「民主主義バンザイ」と叫んで、彼らの文化・言語を必死に取り込もうとする。これは世界的にみてもかなり珍しい現象だ。筆者も若い時、反米ゲリラや反米運動が盛り上がっている中東や南米の人々と話をすると、「なんで日本人は何百万人も殺したアメリカと仲良くできるの?」とよく質問された。
この“謎過ぎる日本人”を説明するため、よく引き合いに出されるのが「自然災害が多いゆえの無常感」だ。
ご存じのように、この国は地震、台風、水害などの自然災害が多い。つまり、せっかく田畑を耕してコミュニティーを拡大しても定期的に「リセット」されてしまうということだ。これが戦争や侵略ならばそれをもたらした者を呪えばいいが、自然災害の場合は誰にも怒りをぶつけることができない。
そこで生まれたのが、日本人の「過去は過去として忘れて、とにかく今を受け入れて前に進んでいくしかない」という無常観だ。そして、「生きるためには忘れていくしかない」という生き方を何代も繰り返しているうちに、「熱しやすく冷めやすい国民性」が出来上がったのではないかというのだ。
個人的には賛同できる。それが伺えるデータがあるからだ。
先ほど「東京2020」はなんやかんやと大盛り上がりをしたと述べたが、実はあれほど熱狂したにもかかわらず、その内容については見事に「忘れている」ことが分かっている。
覚えている人も多いだろうが、「東京2020」の開催に賛成・推進していた人々の1つの大きな理由が「スポーツ振興」だ。世界を相手に一流アスリートたちが最高のパフォーマンスを見せたら、子どもたちなどに夢を与えて、それらのスポーツも盛り上がるというのだ。しかし、2022年7月、NHKが「東京2020」に参加した競技団体に競技人口がどうなったのかアンケートを行ったのだが、結果は驚くべきものだった。
競技人口やすそ野の広がりについて尋ねたところ、「増加した」が21%だったのに対し、「変わらない」が56%、「減少した」が18%で、合わせて70%以上が、「東京2020」の成果を感じていないという回答だったのだ。
あれほど、さまざまな競技に熱狂して「こんなに面白いとは知らなかった」なんて大騒ぎをしていたわりに、終わったら「あれ? 何にあんなに騒いでいたんだっけ?」という感じで、スコーンと記憶から消えてしまうのだ。
大阪万博反対も同じだ。テレビやネットでネガティブな情報があふれていた時は、多くの人は心の底から「万博なんて必要ない」「やっても行かない」と思っていた。しかし、そのブームが過ぎ去ったら「あれ? 何に腹を立てていたんだっけ?」となったのだ。そして、そこに「万博スゴイ」という新たなブームがやってきたというだけの話なのだ。
よく言えば、「柔軟」、悪く言えば「無節操」。ただ、これが厳しい自然災害の中でたくましくサバイブしてきた先人から受け継がれたものだと思えば、「しょうがない」と受け入れるしかないのかもしれない。
この記事の執筆者: 窪田 順生 テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者、月刊誌編集者を経てノンフィクションライター。また、報道対策アドバイザーとしても、これまで300件以上の広報コンサルティングやメディアトレーニング(取材対応トレーニング)を行っている。
窪田 順生
|
![]() |