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自民党の高市早苗総裁と公明党の斉藤鉄夫代表が連立政権から離脱することを発表した。

この決定は、企業・団体献金に関する規制強化案が受け入れられなかったことが背景にある。

自公連立は1999年から続いていたが、今回の離脱は歴史的な意味を持つ。

斉藤氏は、高市氏が首相である限り再連立はないと明言。

高市の総裁選勝利もこの決定に影響を与えたと見られており、新たな党役員人事も彼女の影響力を示している。

関連する政治的動きが続く中、臨時国会が召集される予定で、今後の政局に注目が集まっている。

 

 

(要約)

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高市総裁と斉藤代表 公明、連立政権離脱  自公党首会談を終えて取材に応じる公明党の斉藤代表(右)と自民党の高市総裁。斉藤代表は会談で連立政権の枠組みから離脱すると伝えた=10日午後 - 写真=共同通信 

 

■「政治は人間関係や好き嫌いで動く」 

 

 自民党の権力闘争の火種が公明党・創価学会に飛び火し、炎上した。わずか6日後だった。どんでん返しの自民党総裁選が、公明党の連立政権離脱というちゃぶ台返しを呼び込んだというところだろうか。 

 

 公明党の斉藤鉄夫代表は10月10日、自民党の高市早苗総裁と3度目の会談を国会内で行い、企業・団体献金に対する規制強化案が受け入れられなかったことを理由に連立政権からの離脱方針を通告した。1999年から野党時代を含めて26年間続いた自公連立が解消される、という歴史的な節目を迎えた。 

 

 斉藤氏は、10月下旬召集の臨時国会での首相指名選挙で「高市早苗とは書けない」と伝え、高市氏が継続協議を求めたが、会談は打ち切られた。高市氏は会談後に「一方的に連立離脱を伝えられた」と不満を口にしたが、周りに公明党にパイプのある人がおらず、自公首脳会談の目的や段取りについて、事前に打ち合わせができなかったのが実情だ。 

 

 連立離脱は、石破茂首相の後継を選ぶ10月4日の自民党総裁選で保守右派の高市氏が、決選投票で穏健保守の小泉進次郎農相を破って、70年の党史で初めて女性総裁に就いたという「快挙」と無縁ではない。 

 

 高市総裁誕生の産婆役を果たした麻生太郎元首相が自ら副総裁に就き、義弟の鈴木俊一前総務会長を幹事長に横滑りさせるなど、党役員人事を欲しいがままにしている。高市氏は、政治とカネの問題を抱えた旧安倍派の萩生田光一元政調会長を幹事長代行に起用し、高市カラーをうかがわせている。 

 

 こうした露骨な論功行賞人事が、石破政権の主流派などからの反発・不満を招き、党内の分断が進んでいる、という背景がある。 

 

 通底するのは「政治は人間関係や好き嫌いで動く」(自民党筋)という事実でもある。 

 

■「自分でなければ離脱はなかったのか」 

 

 連立離脱のサインは1か月前に出ていた。 斉藤氏が9月7日の石破首相辞任表明を受け、自民党総裁選を控えて「保守中道路線の私たちの理念に合った方でなければ、連立政権を組むわけにいかない」と語っている。 

 

 念頭にあるのはタカ派的な言動が多い高市氏だ。昨年の前回総裁選では首相就任後に靖国神社参拝を続けると明言し、決選投票で石破氏に敗れたが、公明党・創価学会に「高市政権」への警戒感が強かったからだ。 

 

 10日の会談で、高市氏が「自分が総裁でなければ離脱はなかったのか」「総裁が別の人に変われば連立を組むか」と質し、斉藤氏は「誰が選ばれていても同じだ」と答えたが、言葉通りには受け取れない。 

 

 

 仮に総裁選で小泉氏か林芳正官房長官が勝っていたら、公明党は自民党との連立を自動更新していただろう。小泉、林両氏は公明党・創価学会と交流があり、小泉氏の後ろ盾となっている菅義偉元首相も古くから信頼関係を築いているからだ。森山裕前幹事長らが日本維新の会の藤田文武共同代表らと連立拡大交渉を水面下で進めてきており、次期臨時国会で自公維政権を目指す態勢も整っていたと思われる。 

 

 公明党の連立離脱は、創価学会の原田稔会長主導だった。10月6日夜、斉藤代表、西田実仁幹事長と学会本部で会い、連立離脱すべしという強硬方針が決まった。 

 

 離脱の理屈や方法は斉藤氏らに委ねられた。翌7日の公明党常任役員会では、自公連立を組んだ経緯からの異論も出たが、連立離脱ありきの方針が最後まで変わることはなかった。 

 

 原田会長周辺には、付き合いがない高市氏をなぜ支えなければならないのか、公明党を軽んじてきた麻生氏となぜ付き合わねばならないのかという気分が強かったとされる。 

 

 高市氏は4日に自民党総裁に選出され、公明党本部で斉藤氏にあいさつしたが、この時が両氏の初対面だったという。 

 

■「高市」「党員票が最も多かった候補」 

 

 今回の自民党総裁選をざっと振り返る。高市氏の勝利は、麻生氏が投開票直前の10月4日昼、麻生派の主要メンバーに決選投票では「高市」か「党員票が最も多かった候補」を支持するよう伝えたことによるだろう。茂木敏充元幹事長、小林鷹之元経済安全保障相(旧二階派)とそのグループも同調し、高市氏を押し上げた。 

 

 高市氏は、議員票の獲得が課題だったが、「党員票=民意」というマジックワードによって、各陣営の議員票を決戦投票で取り込んだ。議員票こそ有権者の民意を体現しているにもかかわらず、である。 

 

 党内の疑似「政権」交代とも言える。石破政権は、犬猿の仲だった菅元首相、岸田文雄前首相が「反麻生・高市」で手を結び、「菅・岸田連立政権」と呼ばれた。立ち位置は保守リベラル政権だった。 

 

 高市総裁は、政治資金収支報告書の「不記載」で処分され、石破政権下で非主流派に押し込められた旧安倍派の萩生田氏や西村康稔元経済産業相らが陣営の土台を作り、麻生氏が土壇場で勝ち馬に乗ったことで成った「麻生・萩生田連立『政権』」と言えるだろう。 

 

■「中堅・若手のやっかみがひどかった」 

 

 総裁選は、第1回投票で高市氏が183票(議員 64票、党員119票)でトップに立ち、小泉氏が164票(議員 80票、党員 84票)で続いた。3位以下は林氏の134票(議員 72票、党員 62票)、小林氏が59票(議員 44票、党員15票)、茂木氏49票(議員 34票、党員 15票)の順で、党員票の投票率は68.69%だった。 

 

 決選投票は、議員票に加え、各都道府県代表に47票が割り振られ、高市氏が185票(議員149票、地方36票)を得て、小泉氏の156票(議員145票、地方11票)を上回った。 

 

 下馬評では、議員票を多く有する小泉氏が優位と見られていた。菅氏を後ろ盾に、加藤勝信財務相を選対本部長に迎え、出陣式には代理を含めて92人が出席したうえ、その後に森山氏、上川陽子前外相らも陣営に加わったからだ。党員票で高市氏に先行されても、議員票でひっくり返す算段だったが、どこかに緩みがあったのだろう。陣営では「小泉政権」での人事話に花が咲いていた。 

 

 

 第1回投票の議員票が80票に過ぎなかったのが、小泉氏の誤算だった。論戦で安全運転に終始し、頻りとペーパーを読み、首相としての資質に不安を与えたことに加え、陣営が動画配信動サイト画に小泉氏を称賛するコメントを寄せるよう依頼した問題が発覚し、謝罪と弁明に追われたことも影響した。 

 

 小泉氏は、決戦投票前の演説でも感謝の言葉と思い出話を連ねるだけで、党の危機への対応を論じた高市氏に比して気迫や深みに欠けたとも評された。前回総裁選と同様に、政治家4世、44歳という年齢に「中堅・若手のライバル意識からのやっかみがひどかった」(閣僚経験者)という声も少なくない。 

 

■「最も失敗したのは岸田氏ではないか」 

 

 小泉氏は、決戦投票で第1回から65票積み上げたが、ここでも誤算があった。同じ穏健保守の林氏が獲得した72票を当てにしていたのだが、計算上7票(実際は10数票)こぼれたことになるからだ。 

 

 旧岸田派(宏池会)の内紛が原因だった。岸田氏が、林氏支持を明確にしなかっただけでなく、木原誠二選挙対策委員長(当時)ら複数の側近が小泉陣営に入ることを容認したため、林陣営では「岸田氏は小泉氏寄りなのか」との不満が高まっていた。 

 

 実際に林陣営の平井卓也広報本部長(同)はX(旧ツイッター)で、決選投票で高市氏に入れたと明らかにし、小野寺五典政調会長(同)も「党員の状況を見ながら判断した」と記者団に述べ、決選で高市氏に投じたことを示唆した。 

 

 岸田氏は、前回総裁選の決選投票前に、旧岸田派内に「高市対男なら男。男対男なら党員票が多い方で行く」との意向を伝え、石破政権を誕生させた実績がある。 

 

 今回総裁選でも旧岸田派の結束を重視してきたが、決選投票でまとまって動けず、林陣営には岸田氏への不信感が強まっている。総裁選で「最も失敗したのは岸田氏ではないか」(閣僚経験者)との見方もある。 

 

■「1回目は自分の判断でいいが…」 

 

 これに対し、高市氏は、63万票の党員票の4割を得た優勢をキープし、最終盤で党内唯一の派閥(43人)を率いる麻生氏の支持を得たのが決め手となった。決選投票の議員票で85票も積み上げたが、関係筋によると、小林氏の40票弱、茂木氏の丸ごと34票、林氏の10数票が加算されたことになるという。 

 

 麻生氏は、茂木、小林両陣営の麻生派メンバーには電話で「1回目は自分の判断でいいが、2回目は高市で行こう」と呼びかけた。茂木、小林両氏のメンツを保ちつつ、決選で高市票として回収するという老獪な政治手腕である。 

 

 高市新執行部の陣容は、こうした「貸し借り」がそのまま反映している。高市氏が翌5日に党本部で麻生氏と会い、党役員・閣僚人事を打ち合わせた後、麻生副総裁、鈴木幹事長、茂木外相、木原稔官房長官(旧茂木派)などと報道されると、麻生氏がここまで影響力を行使するのか、という違和感が広がった。 

 

 高市氏は、5日に萩生田氏とも衆院議員赤坂宿舎で接触したとも後日、報じられた。萩生田氏の幹部起用は、党内の首相経験者のほか、維新の会や国民党にパイプがあり、政策調整などの実務で欠かせない存在だからだ。高市氏が「不記載」議員の登用について、処分を受け、選挙というみそぎが済んだとして前向きだったのも、萩生田氏が念頭にあったのだろうが、世論がどう受け取るか。 

 

 

 7日の総務会は、麻生副総裁、鈴木幹事長、有村治子総務会長(麻生派)、小林政調会長、古屋圭司選挙対策委員長(無派閥、高市氏側近)の党4役のほか、梶山弘志国会対策委員長(同、茂木氏側近)、萩生田幹事長代行、新藤義孝組織運動本部長(旧茂木派)、鈴木貴子広報本部長(同)ら党役員を決定した。 

 

 鈴木氏はこの後の記者会見で「党内融和が大切で、難局や課題に対応して国民の信頼に応えたい」と語ったが、党内融和とは言い難い。高市氏は、首相になれば、閣僚人事で小泉、林両氏を起用するとしているが、挙党体制の確立には疑問符がついている。 

 

■「公明党が一番動かなかったがんだ」 

 

 自公連立崩壊の引き金になったのは、総裁選とその後の麻生氏ら「勝ち組」と菅氏ら「負け組」との亀裂・対立なのだが、そこに高市氏の不用意な言動が加わった。 

 

 斉藤氏は、10月4日の高市氏との顔合わせの会談で、靖国神社参拝や「政治とカネ」の問題へのけじめ、外国人対策をめぐる懸念への解消を自公連立継続の条件とする考えを伝え、記者団にもその旨を明らかにした。 

 

 斉藤氏はその際、高市氏が首相指名までに連立を拡大したいとした発言を踏まえ、「連立政権は、政策と理念の一致が不可欠で、そんな簡単なことではない」と牽制したのだが、高市氏は意に介さない。 

 

 翌5日夜に国民党の玉木雄一郎代表と都内で会談し、今後の連携を協議したことが6日に報じられた。麻生氏も6日に同党の榛葉賀津也幹事長と会談し、連立交渉の環境を整えたいとの考えを伝えている。 

 

 7日の2回目の自公首脳会談は、靖国神社参拝、外国人対策で意見を共有しながら、連立合意を見送った。公明党に26年に及ぶ連立のパートナーを差し置いて国民党との連立交渉に走る高市氏への不信感が根底にあった。 

 

 公明党内では、麻生氏が22年の岸田政権当時、副総裁として国民党との連立拡大を画策し、公明党の影響力を殺ごうとしたことは記憶に新しい。 

 

 23年9月に福岡県内での講演で、前年12月に決定した安全保障関連3文書への対応で「公明党が反対し、一番動かなかったがんだった」と述べ、当時の山口那津男代表、石井啓一幹事長、北側一雄副代表と「その裏にいる創価学会」を名指しで批判したことも党内で蒸し返された。 

 

■「我々が加わっても過半数に届かない」 

 

 公明党(24議席)の連立離脱を受け、自民党と国民党(27議席)との連立拡大交渉が止まった。玉木氏は10日、国会内で記者団に「公明党が抜け、我々が政権に加わっても過半数(233)に届かないので、あまり意味のない議論になってきている」と述べた。 

 

 首相指名選挙をめぐる各党の駆け引きが始まった。立民、国民、維新3党(210議席)が結集すれば、自民党(196議席)を上回る。立民党の安住淳幹事長は「玉木代表でまとまるなら、有力候補と考える」と共闘を持ち掛けている。玉木氏は「首相を務める覚悟がある」としながら、安全保障や原発政策の一致が必要だとの考えを示した。 

 

 維新の吉村洋文代表は10日、読売テレビ番組で「立民党が国民党を説得してまとまるのであれば、本気で話は聞く」と述べた。 

 

 臨時国会は20日以降に召集されるが、憲政史上初の女性首相は誕生するのか。首相指名選挙の行方が見通せなくなっている。 

 

 

 

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小田 尚(おだ・たかし) 

政治ジャーナリスト、読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員 

1951年新潟県生まれ。東大法学部卒。読売新聞東京本社政治部長、論説委員長、グループ本社取締役論説主幹などを経て現職。2018~2023年国家公安委員会委員。 

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政治ジャーナリスト、読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員 小田 尚 

 

 

 
 

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