( 141230 )  2024/02/20 14:16:50  
00

「利権を放棄するワケがない」みなとみらい線開業でJRが横浜市に激怒したワケ【鉄道史】

ダイヤモンド・オンライン 2/20(火) 9:01 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/0fa186e160727cf5db0267039828b3e55899e129

 

( 141231 )  2024/02/20 14:16:50  
00

2004年に東横線が横浜~桜木町間を廃止し、横浜高速鉄道「みなとみらい線」への乗り入れが始まった。

20年が経った今、若い人々は当時の東横線の存在を知らないかもしれない。

横浜の中心地としてみなとみらいがイメージされるが、歴史的には神奈川宿や関内も中心地として栄えた。

横浜駅周辺の開発が進む中、みなとみらい計画が1985年に浮上し、横浜線との直通運転を想定した「みなとみらい21線」が計画されたが実現せず、東急が新たなパートナーとして選ばれた。

(要約)

( 141233 )  2024/02/20 14:16:50  
00

Photo:PIXTA 

 

 横浜高速鉄道「みなとみらい線」への乗り入れ開始に伴い、東横線が横浜~桜木町間を廃止したのが2004年1月30日。今年はそれから20年となる。今回は桜木町を起点に東横線とみなとみらい線の歴史を見ていこう。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也) 

 

【画像】この記事の地図を見る 

 

● 横浜の中心地はみなとみらい? 歴史的に見た「2つの中心地」 

 

 東横線横浜~桜木町間が2004年1月30日に廃止されて20年となる。東横線は翌々日2月1日から横浜高速鉄道「みなとみらい線」への乗り入れを開始して現在に至るが、20年もたてば、若い人は東急東横線が桜木町発着だったことを知らないかもしれない。 

 

 若い人に「横浜の中心地は?」と問えばかなりの割合で「みなとみらい」と答えるそうだ。横浜ランドマークタワーや横浜赤レンガ倉庫をシンボルに、庁舎、オフィス、商業施設、ホテルなどの高層ビルが林立し、大規模展示場やテーマパーク、ミュージアムまで、みなとみらいには何でもそろっている。国内の臨海地域再開発事例の中でも、施設の多様さと密度においては随一ではないだろうか。 

 

 みなとみらいの再開発事業は1960年代に方針が示され、1980年代から本格化したが、一帯はそれまで埠頭や工場地帯だった。その時代に中心地を聞けば横浜駅西口と関内が挙がっただろう。 

 

 西口は戦後、開発が進んだエリアだが、関内は横浜の成り立ちそのものといえる街である。そして桜木町は関内の玄関口として横浜の鉄道の中心で常にあり続けた。今回は桜木町を起点に東横線とみなとみらい線の歴史を見ていこう。 

 

 現在の横浜駅がある場所は江戸時代まで入り江で、埋め立てが進んだ後も、大正期まで現在も地名に残る「平沼」という沼地が残っており、埋め立てられた後も石油精製工場が置かれていた。 

 

 歴史的に見れば横浜周辺には二つの中心地があった。一つは東神奈川駅付近にあった、東海道第三の宿場町として栄えた神奈川宿。もう一つが幕末に開港した横浜港の外国人居留区を中心とした関内だ。関内とは「開港場」の内側という意味である。 

 

 1872年に新橋~横浜間で開業した日本初の鉄道は、神奈川宿付近に「神奈川駅」を設置。終点の「横浜駅」は横浜港への貨物輸送に適した、関内への玄関口にあたる現在の桜木町駅の場所に置かれた。以降、最初の横浜駅を「初代横浜駅」と記す。 

 

 

● 「初代横浜駅(現桜木町駅)」から 今の「3代目横浜駅」ができるまで 

 

 開業から30年以上が経過した1906年の地図を見ると、神奈川駅付近と初代横浜駅から伊勢佐木町の辺りまで市街地(黒い部分)が広がっているが、現在の横浜駅周辺は依然として大きな沼地が残っている。破線で囲んだ後のみなとみらいは、まだ海の底だ。 

 

 しかし横浜港に最適化した初代横浜駅は、鉄道網の拡大とともに問題に直面していた。当初、政府は東京~大阪間を中山道ルートでつなぐ予定で、新橋~横浜間は支線の扱いだったのだが、1886年に東海道ルートに変更したことで、行き止まりの横浜駅の扱いに困ってしまったのだ。 

 

 やむなく横浜駅で折り返し(スイッチバック)運転を行ったが、列車の方向を変えるには機関車の付け替えが必要で、輸送のボトルネックになる。そこで横浜駅を経由せず西に向かう短絡線を設置し、横浜付近の利用者向けに「平沼駅」が開設された。だが当時の地図を見ればわかるように駅周辺は沼と畑が広がっており、玄関口には不適だった。 

 

 そこで1915年に線路を南に移し、現在の市営地下鉄高島町駅の北側に二代目横浜駅を設置。平沼駅を廃止して、初代横浜駅を桜木町駅に改称した。だが二代目も短命に終わる。1923年の関東大震災で横浜の街は焦土となり、横浜駅も桜木町駅も焼失してしまったのだ。 

 

 震災復興計画の一環で横浜駅は、ちょうど埋め立てが完了したばかりの平沼の中心に移設することになり、1928年に二代目横浜駅は廃止され、三代目横浜駅が開業した。これで東海道本線と桜木町行きの京浜線電車(現在の京浜東北線)の両方が停車できるようになった。 

 

 同時に横浜駅から近い神奈川駅は廃止となった。それまで神奈川駅をターミナルとしていた京浜電気鉄道(現在の京急電鉄)や、終点を神奈川駅にする計画だった東横線は、横浜駅への乗り入れに向けて計画を変更していく。神奈川駅は現在、京急線の駅としてのみ存続している。 

 

 

● 1985年に浮上した みなとみらい地区の鉄道計画 

 

 ようやく安住の地を見つけた横浜駅を中心に、横浜の鉄道網は急速に形成されていく。1928年に東横線、1929年に京浜電気鉄道、1933年に神中鉄道(現在の相模鉄道)が横浜駅に乗り入れた。この他、1931年には湘南電気鉄道との連絡線(横浜~黄金町間)が開通して直通運転を開始し、後に両者は合併して京急電鉄となる。 

 

 1931年の地図を見ると市街地は、北は東神奈川駅周辺から南は黄金町駅周辺まで広がっているが、横浜駅周辺は西口に広大な資材置き場、東口に造船所と貨物駅が広がる空白地帯だ。横浜駅は鉄道各線を集約するため、広大な空き地に建設された、人工的なターミナルだったのだ。 

 

 こうして昭和戦前期に現在の鉄道網の原型はできるが、横浜駅周辺の開発が始まるのは戦後のことだ。西口駅前は戦中、戦後を通じてしばらく資材置き場のままだったが、1952年に相鉄が一帯を買収し、西口の大規模開発に着手したのである。 

 

 1950年代末から1970年代にかけて横浜高島屋やダイヤモンド地下街、横浜ステーションビル、ジョイナスなどを次々と開業させて街の様相は一変。相鉄の経営基盤を確立し、神奈川の一地方鉄道を大手私鉄の一角に押し上げた。 

 

 横浜駅周辺の開発と歩みを同じくして横浜市は人口が急増し、東京のベッドタウン化が進展した。市は横浜駅周辺と関内周辺の機能を一体化した新たな業務集積地の建設が必要と考え、造船所と貨物駅を移転し、跡地にビジネスセンターを建設する「都心部強化事業」を1965年に発表した。これがみなとみらい計画の源流だ。 

 

 みなとみらい地区に鉄道計画が浮上したのが1985年の運輸政策審議会答申第7号だ。1983年に三菱重工横浜造船所の移転が完了して事業着手したことを受け、2000年をめどに整備すべき路線として「みなとみらい21線」を追加したのである。 

 

 

● 横浜線との直通運転を想定した 「みなとみらい21線」 

 

 ただし、この「みなとみらい21線」は現在のものとは異なり、東神奈川駅で国鉄横浜線との直通運転を想定していた。横浜市を縦断し、新横浜を経由する横浜線は市としては都合の良い案だったが、民営化前後ではすぐに着工できる状況になく、みなとみらいの開発を急ぎたい横浜市は待っている余裕がなかった。 

 

 横浜高速鉄道にも出向していた元横浜市都市整備局鉄道事業担当理事の太田浩雄氏は、2022年2月16日に行われたNPO法人田村明記念・まちづくり研究会の公開研究会で、横浜線との直通を断念した後、京急や相鉄、東急などさまざまな方面に当たったと明かしている。 

 

 横浜線とみなとみらい線の直通は国鉄民営化でご破算になり、JRから断ったと受け取られることがあるが、実際は横浜市から断りを入れたそうだ。太田氏は「横浜市が東急に決まってから、私、JRの会社へ行ったけども、はっきり言ってカンカンでしたね。要するに、仁義、切ってないと。横浜市が仁義を切ってなかった」と語る。 

 

 その上で「JRとしては嫌だとは言わないよ。それは国鉄が切り替わって、すぐはできないけども、利権だよ。利権を、だって放棄するわけがないじゃない」と、微妙な駆け引きとすれ違いがあったと振り返っている。 

 

 結局、東急が新たなパートナーに決まるが課題も多かった。東横線の横浜駅は高架で東海道線を乗り越していたが、みなとみらい線につなぐには地下化が必要だ。横浜駅だけ地下化はできないので、東白楽駅から地下化する大規模な造り替えを行った。 

 

 高架下店舗の立ち退き、高架線の撤去費用、廃線に反対する野毛地区との協議、新線建設で生じるさまざまな費用について、横浜市と東急、横浜高速鉄道が協力して対応した。そうして2004年2月1日、横浜高速鉄道みなとみらい線は構想から約20年で開業を迎えたのであった。 

 

 桜木町からみなとみらいへ、2004年の大転換は、横浜150年の歴史を象徴する出来事だったといえるだろう。 

 

枝久保達也 

 

 

( 141232 )  2024/02/20 14:16:50  
00

(まとめ) 

横浜市周辺の鉄道路線や開発計画に関する記事に対するコメントや感想には、以下のような傾向や論調が見られました。

 

 

- 鉄道路線が周辺地域の活性化に繋がる重要性が指摘されており、自治体と鉄道会社の綱引きが鉄道計画に影響を与えていることが言及されている。

 

- 横浜市在住者や鉄道利用者の中には、鉄道駅に関する歴史や地元に関わるエピソードに興味を持つ人がいることが示唆されている。

 

- みなとみらいの開発や鉄道路線の整備を巡って、利便性や経済効果、地域の発展などについての意見や懸念が多く見られる。

 

- 東横線直通での結果を「結果オーライ」とする声や、横浜線直通の場合を憂慮する声がある。

 

- 横浜の中心地や開発計画に関する歴史的背景や都市計画についての考察も見られる。

 

- 地域の住民や利用者にとっての利便性や交通アクセスの向上に対する期待や不満が反映されている。

 

 

様々な視点から述べられたコメントや感想には、地域の歴史や未来、鉄道計画の影響などに対する関心や思いが表れており、様々な意見が混在していることが分かります。

( 141234 )  2024/02/20 14:16:50  
00

・鉄道路線は周辺地域の活性化に繋がるので、利権やそれにまつわる自治体と鉄道会社間の綱引きとは切っても切れないのだと感じた。リニアや新幹線駅の誘致が最も端的だが、この記事の場合はより大掛かりな事業そのものの話なので、駅や路線そのものの存廃や横浜および周辺駅の沿革にも及んでいる。 

 

横浜市在住者としては平沼や神奈川といった地名や駅は馴染み深くはありつつも、ここに書かれたような詳細な鉄道駅に関する歴史までは知らないので興味深かった。 

 

 

・横浜市民ですが、再開発などについては、まだ様々な話がありました。 

元々は米軍の居住地だった本牧。今もたくさんのマンションがありますが、あそこには市営地下鉄の話がありました。それを見込んで当時ニチイ(その後マイカル、そして今はイオン)のショッピングセンターが開業しました。首都圏でも非常に大きな商業施設でしたが、その後本牧への地下鉄延伸の計画が無くなり今のように鉄道から離れた団地が陸の孤島化してしまいます。 

鉄道の計画は不動産や小売業に強い影響を与える大事業ですね。 

ところで、現みなとみらい地区は前林市長の積極的な働きで海外からも多くの大企業が進出しています。ホテルもまた音楽ホールも。 

その後山下埠頭へのカジノ誘致問題で一悶着あり現在の市長交代で再開発頓挫しました。 

いろいろある横浜市です。 

高齢化が進む横浜市としては、経済対策がとても大切なんですけどね。 

 

 

・6大計画のうち、最も重要な柱であった「みなとみらい」開発もほぼ終わり、田村さんの描いた以上の成果になったのではないでしょうか。 

同じく6大計画にあった、地下鉄網の整備、幻の関内から本牧方面の地下鉄延伸をみなとみらい線で実現させることができるか。 

あとは高島貨物線の旅客併用が日の目を見るかですね、大規模イベントなどの開催時にはみなとみらい線一本では心もとないので、活用が出来ないもんでしょうかね。地下化で単線になってるから厳しいか。。。 

 

 

・当時のJRはまだ国鉄で大赤字の時代。横浜市から要請をするも中々計画が進まなかった。一方、東急は横浜駅での利用者が増えホームが手狭になり拡張したくても立地的に難しかった。そこで東急の方から横浜駅を地下化し沿線を伸ばすという案を横浜市に提案。横浜市は念願のみなとみらい方面へ路線が伸ばせるし、東急はホームが拡張できるということで、みなとみらい線が出来たと聞いたことがある。 

 

 

・市の西部の住民のことを考えれば、横浜線と繋いだ方が中心部への便は良くなるが、とない、埼玉方面から観光客を増やすことを考えれば東横線と繋いだ方がメリットがある。 

みなとみらい、中華街の客が増えたのだから、結果的には良かった。 

 

 

・私は横浜線沿線に住んでるけど、当初案の横浜線からみなとみらい線への接続よりは、現在のように東横線からみなとみらい線へ接続する方が東京方面から来る乗客の利便性を高めるのにはやはり良かったんじゃないかと思う。 

 

横浜線ユーザーが桜木町や関内などに行くのは現状でも別に不便ではないし。 

 

 

・東横線から横浜公園、中華街、元町といったエリアへは、もともとJRに乗り換えたり、バスを利用していた。みなとみらい線は東横線と直通することで、沿線から横浜市中心部への需要を拾えている。 

 

これが横浜線との直通だったらどうだろうか。まず、東神奈川から横浜駅を経由しないルートでみなとみらいへ向かったら、東横線や相鉄線沿線からアクセスできなくなる。京急ユーザーが東神奈川で乗り換えるかと言われたら、ほとんどしないだろう。肝心の横浜線利用者自体が、京浜東北線に乗り換えたら初乗り料金不要で関内や石川町に行けるのだから、通勤通学の利用者はみなとみらい線を回避する。定期が横浜経由でなくなるのも不便だ。 

 

じゃあ横浜駅経由にするか。となると、東神奈川~横浜駅間の扱いはどうなる?JRの所管にする?じゃあ、JRが工事費出しますか?いや、出さないでしょ。という訳で、横浜線直通は絵に描いた餅。実現不可能だったと思う。 

 

 

・結局のところ 

JRと繋いだ場合、根岸線の関内、石川町と隣接することになるうえ、今のように横浜線を磯子まで延伸すれば、みなとみらい線が中途半端な位置付けになってしまう 

 

それよりも、いまとなっては京急と繋いだ方が羽田空港との連絡メリットはあると思うが、いかんせん、距離が短い 

 

結局は東急と繋ぎ、渋谷・新宿に出ることのできるルートの方が利用者の利便性を高める結果となった 

 

一方、相鉄はといえば、少し毛色の違う電車であるためみなとみらい方面へのルートは?である 

その点、JRの湘南新宿ラインや東急線乗り入れの方がはるかに利点も多い 

 

しかしみなとみらいエリアが横浜の中心となって久しいが、開港の町、関内エリアが沈下していくのは寂しい限り 

 

 

・横浜線は今のままでも横浜や根岸線沿線から新横浜に出るルートとして十分に機能を果たしていると思います。みなとみらいエリアから新横浜に出るのには一回桜木町に出る手間と時間はかかりますがロープウェイもできたことですしさほど支障はないのかなと。 

今の東横線に加えてこれからさらに横浜線をみなとみらい線に直通させることはできなくはないでしょうが需要も投資効果もさほどではないと思えます。 

 

 

・当時は横浜乗り換えで東横線を使う機会が多く地下に潜ったのは不便に感じていましたが、その後、横須賀線を使う機会が多くなりホームが狭く危険を感じていたところに東横線の跡が拡張されて良かったと思いました。 

 

 

 

・個人的には今のブルーラインの高島町駅を改良してみなとみらいへのアクセスを強化してほしいと思う 

駅を出ても16号を渡れないので、地下道で昔のアンパンマンミュージアムのあたりまで繋いでくれたら新横浜などからのアクセスもよくなるんだけど 

 

 

・ちょっと待てば良かったのに… 

 

東神奈川止まりのJR横浜線を、みなとみらい線に繋ぐと 

 

横浜線沿線民が横浜方面に出るのに東神奈川止まりの列車が多いから東神奈川で乗換え問題が解決出来るし 

 

新横浜とみなとみらい地区が繋がり東海道新幹線からのアクセスも良くなったのに残念 

 

ただ横浜駅の構造上、みなとみらい駅の駅は地下にせざるを得なくなり 

 

また、みなとみらい地区から東京都心方面には横浜駅の地下で乗換えor東神奈川駅で対面の京浜東北線に乗換えしなくてはならない問題が発生したと思うが 

 

現在、みなとみらい線は元町・中華街駅の先に車両を留置する線路の工事をしている 

 

もし、横浜線と繋がっていたらメンテナンスやら車両管理をJRに任せて、JRの車庫を使えた事を考えたら 

 

トータル的には判断を誤った感じがする 

 

 

・みなとみらい線に横浜線直通は 

今とだいぶ違っただろう。 

 

横浜線沿線住人は喜ばしい反面、 

元町や中華街は、今の東横線直通より集客が不利になっていた気がする。 

経済効果考えると、横浜市的にはJRに不義理が有ったのかもしれないけど、今の方が良かった気がする。 

 

 

・昭和の人は旧横浜駅の桜木町駅が好きです。東急JRが乗り入れしてて賑やか。 

今のみなとみらい駅は都市開発のために出来たんだろうけど、ぴおシティ(ゴールデンセンター)はかなり寂れた。バブル計画だと元町中華街駅から先のマイカル本牧まで開発予定なかったっけ? 

まぁ、昭和の年寄りが知る横浜駅は知る人も減ったし未来は又、変わると思います。 

 

 

・発足したばかりのJR東には当事者能力が無かったかの表現だが、果たしてそうだったのだろうか? 

確かに、巨額の旧国鉄債務を引き継ぎながら、収支の行方も不透明な中での船出の時期だったろうから、国鉄時代にタブーとなっていた新線建設を表明するには腰が引けたのかもしれない。 

羽田アクセス線にバンバン投資する現在の姿からは想像できないですね。 

 

 

・みなとみらい線とJRはうまく棲み分けできていると思う。 

ただ、みなとみらい線は早く本牧へ延伸すべきだと思う。 

そして、Kアリーナの真横にあるJR貨物線に新駅を作って、Kアリーナやパシフィコへのルートを作るべきだと思う。 

 

 

・東横線高島町駅、何かディープで好きだった。 

構内の駅そば、ホームは屋根がある部分は一部で、 

目の前にランドマークタワーが見えて、 

そして終点桜木町駅、ここも渋谷よりは屋根が無く、 

とても渋谷の騒々しい世界とは無縁だった。 

国鉄・JR時代の桜木町駅も昭和の駅で、 

幅の広い階段が印象的だった。 

直近で放送してたBS12の探偵物語だったり、 

その昔の日テレの大追跡とか、 

よく映っていた。 

 

 

・JR横浜線ではなく、東横線直通で結果オーライだったと思う。 

JR横浜線直通より都心からのアクセスは有利だったと思われるので。 

 

一方、JR横浜線直通で東神奈川から新線建設だったら、横浜線の東神奈川止まりが減って、町田や新横浜からの横浜直通が今より多かっただろう。 

 

 

・もう開業から20年も経過するんですね。 

横浜線と直通していたら、たぶん運賃差で利用者が少なかったのではないかと思います。桜木町や関内から歩くという人が結構出そうだし、通勤経路として認められなそうです。 

 

 

・元・八王子市民としては、みなとみらい線と直通してたら、現在の東神奈川止まりが無くなって横浜駅にダイレクトに行けたんだろうな…と思います。 

 

夕方以降に横浜方面から帰る時の東神奈川乗換が本当に面倒だった。 

運が悪いと、折り返しが反対ホームにいるから階段の昇降もあるし、しかも町田や橋本止まりだった時の絶望感。 

 

結果論としては東横線直通で良かったのでしょうけど。 

 

 

 

・半分噂話だけで内容がなかった。乗り入れのための工事が大掛かりになったことは間違いないが、横浜駅で東横線全列車直通のいまのみなとみらい線と、当初計画の東神奈川から横浜線直通の場合の、想定の利用者数と収支の比較くらいはしてほしいところ。 

実際のみなとみらい線は初年度から営業黒字、約10年後から利払いを入れても経常黒字になっているが、横浜線直通ではそうはならなかったのではないか。横浜線からの客は菊名や東神奈川で乗り換えて逃げられ、東神奈川で京浜東北線からは殆ど乗らなかったのではと思う。 

その場合、みなとみらいへは桜木町からの歩きか横浜駅からバス。そしてまだ空き地が相当残っていたんじゃないかと推測する。 

 

 

・バスは機動力を活かして需要を追いかけてなんぼだけど、 

その努力を怠り昔の路線を執拗に維持した結果が無様な状況。 

一方で鉄道は一度引いたら身動きとれないから 

周辺に誘致してなんぼ。 

必然的に様々利権が絡みます。 

地方はそれすらやってないから鉄道が維持困難。 

言葉が悪いが鉄道は寝たきり老人と変わらないので 

世話を焼いてやらないとそりゃすぐ死にます。 

問題はその世話人に良い人もいれば 

悪い人もいるということ。 

 

 

・昔見ていたあぶない刑事で、貨物車がたくさん並んでいた場所がたまに出てきましたが、今で言うとどのあたりでしょうか。 

私が1997〜2000年くらいにたまに仕事で横浜に行っていたときには、そんな場所はもうありませんでした。 

 

 

・> 若い人に「横浜の中心地は?」と問えばかなりの割合で「みなとみらい」と答えるそうだ 

 

え、そうなの! 

 

現在、新聞博物館と同じビルに同居している放送ライブラリーに昔の番組を見に行ったのが地下鉄サリン事件の2日前。 

当時のみなとみらいは、なんというか、岸壁と空き地の中に少しだけ建物が建っているような風景だった。当日は雨で、しかも、まだ3月。桜木町駅から10分程度の道のりは結構寒くて大変だった。 

 

まあ、パシフィコ横浜のコンサートや、埠頭の野外ライブにも行って、少しずつ変わっているのは知っていたけど、あそこが、横浜の中心と言われるようになるとは、感無量だな。 

29年も経つと変わるもんだねえ、ホント。 

 

 

・私が九州から横浜に来たのが昭和37年2月右も左もわからず兎に角横浜駅は工事がやたら多く駅から見て反対の川の淵に砂利が積んでありこの世の花と云う飲み屋が並んでいたのを思う横浜は覚醒の感が横浜博覧会な時はタクシー運転手だったから忙しいと思ったら人気がなく春先までガラガラ5月の連休からやっとお客が入り始めた今時イベントは流行らない 

 

 

・横浜の中心は、横浜でも桜木町でもなく、関内でしょ? 

 

横浜駅や桜木町駅が「西区」なのに対して、関内は「中区」だよ。名実ともに「横浜の中央」だからね。 

 

 

・横浜線沿線住民です。 

そりゃぁ、横浜線より東横線ですよね。 

ただ、せめて名前の通りに横浜駅までは常に直通してほしい。 

と、昔からから思ってます。 

 

 

・五島慶太は東横線を広軌にして湘南電車と 

乗り入れる計画があった 

日の出町の急カーブはその名残り 

そういう話しがないから残念。 

 

 

・まあこの手の話は色々あるからね。 

 

関西では、大阪市の市営モンロー主義と私鉄とのスッタモンダもあるし、Osaka Metro堺筋線、現在進行系でなにわ筋線でどちらも南海が関わっている。 

 

 

・田村氏もみなとみらい21の社長も講演会で本音は横浜線沿線の町田や八王子よりも渋谷、新宿、池袋と繋ぐ方が価値が上がると半ば横浜線沿線を差別的発言をしていた 

 

 

 

・若い人の横浜の中心地はみなとみらいらしいって 

みなとみらいに住んでない海なんかない区に住んでる奴らもこのイメージ欲しさに横浜住みですって言ってるんじゃないの? 

 

 

・東神奈川駅発着が多いJR横浜線、中長期的にはその先への延伸があってもよいでしょう。 

 

 

・朝なんか乗り切れない旅客が出るほどです!現在の横浜の中心地に行けるのが強みです。 

 

 

・みなとみらいにとっては、横浜線より、東横線のほうが利便性が格段に 

高いので結果オーライだったでしょうね 

 

 

・みなとみらい線が出来る前は、山下公園など港方面には、桜木町や関内から歩いていたんだよね 

この前、赤レンガ倉庫に行ったらくたびれて、タクシーで桜木町に戻りました 

情けない、、、、、。 

 

 

・もし計画通りにみなとみらい線の起点が東神奈川だったら、横浜線の混雑緩和に貢献出来ただろうに。 

 

 

・渋谷、新宿、池袋と3大都心に繋ぐ事ができたのだから結果的東急で正解だったと思う。 

 

 

・横浜市は、本線としての乗り入れを条件としたとされる。東神奈川からの話をすぐに応じていればといっても後の祭り。 

 

 

・横浜から桜木町までの東横線廃線跡を横浜線に使ってほしかった。 

 

 

・横浜駅の「サグラダファミリア」状態は戦前から続いてるんですね(笑) 

最近ようやく落ち着いてきましたが。 

 

 

 

・おかげで横浜線は東神奈川止まりが多い。自業自得だが、元市民としては面倒だった嫌な思い出。 

 

 

・横浜駅、関内伊勢佐木馬車道、みなとみらいと一体の開発が必要。関内もみなとみらいも死んでる街 

 

 

・市営地下鉄3号線の本牧方面延伸は、関係ないことだったのですかね。 

 

 

・若い人達は『関内は横浜の成り立ちそのものといえる街』だなんて分かんないだろうな。 

 

 

・結果的に東横線で良かったのでは? 

横浜線じゃあ、少々弱い。 

 

 

・MM線は何度か乗車したことありますが、MM号は恥ずかしながら未乗車です(涙) 

 

 

・地下鉄の本牧への延伸は実現しないままかな 

 

 

・横浜駅は現在でも改良工事が続く 

サグラダ・ファミリアですね 

 

 

・この頃から横浜駅はずっと工事してたんだね 

 

 

・関内の「関」って関所のことかと思ってた。 

開港場とは初耳。 

 

 

 

・横浜駅の歴史で文字数稼いで結論は薄っぺら。 

なんだかな~。 

 

 

・てか、あのクソ高い運賃で乗り入れされても困るわ。 

 

 

・記事 長くねぇ?(笑) 

ここまで詳細、必要?? 

 

 

・太田ってやつ、天下りでシーサイドラインラインの社長やってたけど、ろくなやつじゃなかった。 

歴代の天下り社長の中でも、特に評判悪かった。 

 

 

 

 
 

IMAGE