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湾岸戦争、日本の人的貢献の難しさ知る 病院に「〝反動医者〟を糾弾する」との垂れ幕  国際舞台駆けた外交官 大江博氏(9)

産経新聞 8/4(日) 13:00 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/e1e4c705d554c76a94a39c30943eed6fbf797336

 

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外交官として活躍する大江博氏が、異例の外交事情を振り返りました。

湾岸戦争時に日本政府が財政支援を行い、人的貢献が必要となった際に、法整備に関わったエピソードや議論が明かされました。

また、自衛隊員の個人資格での派遣案について公明党とのやり取り、そして最終段階での変更が行われた経緯や結果についても述べられています。

様々な法整備や政策に関わる一連の出来事を通して、外交の舞台裏や実務の厳しさが伝えられました。

(要約)

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加藤良三氏 

 

公に目にする記者会見の裏で、ときに一歩も譲れぬ駆け引きが繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。ピアニスト、ワイン愛好家として知られ、各国に外交官として赴任した大江博・元駐イタリア大使に異色の外交官人生を振り返ってもらった。 

 

【写真】湾岸戦争時の人質解放を巡り、バグダッドでイラクのフセイン大統領と会談する中曽根康弘元首相(いずれも当時)、1990年11月 

 

■「カネを出すが、人を出さず」 

 

《在韓日本大使館赴任中の1990年夏、湾岸戦争が勃発した。外務省から「一時、帰国せよ」との指示があり急遽、東京に戻った》 

 

日本は90億ドル(約1兆2000億円)という巨額の財政支援を行い、増税までしましたが、国際社会から「日本はカネを出すが人を出さない」と非難されました。日本ではそれを受け、人的貢献ができるよう、法整備をしようという話が持ち上がった。ソウルで私は「大変そうだな」とひとごとに思っていました。 

 

外務省に戻ってみると、法律作成のためのタスクフォースができていた。しかし、メンバーの半分以上が過労のため病院通い。法律案らしき物はでき上がっていましたが、さまざまな人が手を入れ、整合性のない、案とはいえない形になっていました。 

 

■「指揮は君が取れ」 

 

条約課長から官房総務課長になっていた加藤良三氏から呼ばれ、「なぜ、君を呼び戻したか分かっただろう」と言われました。「君が必要だと思う人は私に言ってくれ。誰でもタスクフォースに入れる。指揮は君が取れ」と。 

 

《まず、過労で病院通いだったメンバーを全員外し、優秀な若手の人材を加えた》 

 

法律案も自分1人で1日で書き直しました。タスクフォースのメンバーには、私より先輩の人もいましたが、指揮命令系統がはっきりしないと混乱を引き起こす。このため、「今後、私の了解なしに、私以外からの指示を受けるな」と宣言。私が法律案を書き直した3日後から、内閣法制局で審査を受けるという異例のオペレーションとなりました。 

 

■前代未聞の法制局審査 

 

審査は通常、法制局参事官が3回チェックした後、部長、次長、長官へと上がるプロセスを踏む。しかし、超短期間で国会に法律を上げるという自民党からの要請もあり、参事官審査は1回だけ、その最中に部長、次長、長官に確認してもらうという前代未聞の対応となりました。 

 

私は朝から晩まで、法制局で審査を受け、外務省に戻ると国会審議に備えて想定問答を毎日20問ほど作成。若い人たちに口述筆記させ、合計200問以上作りました。国会審議では、答弁者の補佐をしました。 

 

 

■洗濯物、妻が受付に取りに来る 

 

ソウルからの3週間あまりの出張で私は1日も家に帰れず、外務省での宿泊が続いた。省内の受付に洗濯物を預け、取りに来た妻が洗濯してまた届けるという多忙な日々でした。 

 

《自衛隊員を個人資格で紛争地に派遣するという政府案は〝ねじれ国会〟のため、自民党だけで過半数を取れず、公明党の協力が必要となった》 

 

私は公明党とこっそり連絡を取り合いました。公明党が修正案を出して自民党に賛成するというシナリオを描き、公明党の修正案も作ったのです。 

 

小沢一郎氏、土壇場で… 

 

しかし、海部俊樹総理から了解を得ていた当初案について、小沢一郎官房副長官が最終段階で、「自衛隊は『部隊』で動くもの。『個人』資格での派遣はダメだ」と言い、変更することに。公明党はそれを飲めないと言って賛成せず、結局は廃案となりました。 

 

《政府は翌年、平和維持活動(PKO)だけに絞った「PKO法案」を国会で通過させ、日本の人的貢献が始まった》 

 

人的貢献は、その後に成立した周辺事態法、テロ特別措置法で少しずつ、道が開けていきました。しかし、私たちが作ろうとした法律を91年当時に通過させていれば、もっと早く進められたと思うと残念でなりません。 

 

■「君の責任ではない」 

 

さらに、自民党はそれ以降、公明党との関係を重視し自公連立政権となった歴史を見るとき、なぜあのとき、公明党が飲める案で合意できなかったのかと残念に思います。その後、公明党委員長だった石田幸四郎氏が韓国を訪問された際、「法律を通せなかったのは君の責任ではない」と慰めてくれました。 

 

ちなみに湾岸戦争中、日本政府は少数の医療団をサウジアラビア大使館所属との形でサウジに派遣することになりました。ただ、希望者はほとんどいない。国立病院と公立病院の医師を必死に説得し、数人行ってもらいました。 

 

ところが、彼らが日本に帰国した際、病院に足を運ぶと、建物に「反動医者の〇〇君を糾弾する」と書かれた垂れ幕が掲げられていたのです。当時、日本で人的貢献を進めることがいかに難しいかを痛感させられました。(聞き手 黒沢潤) 

 

〈おおえ・ひろし〉1955年、福岡市生まれ。東京大経済学部卒。79年に外務省入省。国連政策課長、条約課長などを経て、2005年、東大教授。11年にパキスタン大使、16年に環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)首席交渉官、17年に経済協力開発機構(OECD)代表部大使、19年にイタリア大使。現在は東大客員教授、コンサルティング会社「神原インターナショナル」取締役などを務める。 

 

 

( 198228 )  2024/08/04 15:41:10  
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- 多くのコメントから、過去の日本の政治や社会に対する強い批判や憂慮が表れています。

特に左翼や極左に対する批判、歴史認識の問題、自衛隊の活動や国際協力に対する考え方について不満や憂慮が見られます。

 

- また、過去の事象に対する懐疑や反省、そしてそれを現在の社会情勢に結びつける意識が表れています。

特に自衛隊の国際活動や安全保障政策について、滞留しがちだった考え方に変化が生じつつあるようです。

 

- 過去の教育や主張に左右されることなく、客観的な情報に基づいて考える重要性や、国際情勢が変化する中での日本の立ち位置に対する不安や疑問が感じられます。

 

- また、政治家やメディア、国民に対する批判的な視点や、歴史への過度なロマンティシズムに対する警鐘も含まれています。

 

 

(まとめ)

( 198230 )  2024/08/04 15:41:10  
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・この時代は、自衛隊を日本領の外に出すなんてとんでもないという考え方が大勢を占めていましたね。 

私も当時は懐疑的でしたが、日本を取り巻く周辺状況が当時と全く変わった今、国際社会に協力せず自分に危険が迫った時だけ「助けてくれ」といっても「金は出すから」と言われれば返す言葉はないな、と考えるようになりました。 

 

 

・戦後教育の影響は今でも強いな。 

戦後教育の基本は、極めて貧しくなった生活の吐口として、本来である国民の責任を問わずして、言うなれば戦争責任ではなく敗戦責任を誰に、どのように何処に取らすかということで、戦争、軍隊、武力に関わるものを全否定したことに、日本の異常さがあるのでないかな。 

現実性のない世界常識から遊離した平和意識が今でも存在している。 

日本人は良い面もあるのだけれど、思想性が少ないからすぐにポキンと折れたりするのかな。 

 

 

・海外諸国の紛争、戦争を全て他人事のように感じて発言している日本国民とメディア、殆どの政治家。これが全て悪いとは言えないが本質をズバリと言う人が居ない。日本がウクライナになった時、果たしてゼレンスキーは登場するのか?それとも日本国民は全て白旗掲げて侵略者の言いなりになるのか?これを議論する勇気もない。国民殆どが目を逸らしている。 

 

 

・病院がこんな垂れ幕を黙って掲げさせる理由ないだろうから組織として左翼化してたって事なのかな?もし一部のそういった医師や職員なら懲戒すべきだし部外者なら正当な理由なく敷地内に侵入したんだから不法侵入になると思うけど。 

そんな中従事された医師の方々お疲れ様でした。 

 

 

・この記事だけでは詳細は解らんが 

自衛隊員を個人資格で送り出すつもりだったのか?。 

それで軍人としての身分保障や特権は与えられるのか?。 

正気の沙汰とは思えん。 

この件だけに関しては小沢一郎が評価されるべき。 

まあ彼の場合動機は別なのもしれないが。 

 

 

・戦後日本で一番の悲劇は、GHQの主力メンバーが当時ニューディーラーと呼ばれた共産主義にシンパシーを持つ人たちだった事です。 

彼らは将来共産主義革命を起こしやすいように、日本の自主性と戦力を奪ったのです。 

 

 

・公明党の案って、自衛隊と違う別組織を作る。自衛官は個人資格で参加すると到底のめるものじゃないんだが。国連平和協力法を公明党案通りに通してたら、今とんでもないことになってる。ちなみにその後公明党は自分達の主張を取り下げて、PKO法に賛成した。 

 

この人、本当に当時のこと分かってるのかな。 

 

 

・1990年位は、「保守派」は事実上存在していなかった。 世の中全部が「極左」「左翼」「リベラル」「ノンポリ」で占められていて、 

国会が大東亜戦争ではなく太平洋戦争の「謝罪決議」を出したのもこの頃。 

 

 

・大江氏は外交官だった方が貢献の難しさを知る?現代も国連は日本は敗戦国で〜悪さすると戦争をして良い国になる事を外交官なら貢献でなく米国から強制的に押し付けられた事を国民に正解に伝える事が政務官の仕事だと思うが〜どうだろう。。 

 

 

・武勇伝は要らん。 

PKO協力法なんてので、自衛隊も海外に。 

 

自衛隊が活動する所は戦地では無いとか、 

後方支援から集団的自衛権なんて詭弁で、 

カネでやり過ごせた事を、カネしか…で、 

面子潰されたと思ってドンドン戦地へ…。 

 

政治外交屋のメンツの為に人命捧げるん? 

しかも自分でなく自衛官が生贄に。 

 

戦前の富国強兵と連勝の驕りでボロクソに 

叩かれ、戦争嫌悪が起きて経済立国に…。 

 

平和憲法なんて有難い言い訳も占領軍の 

米軍が押付けた憲法に、含まれ正統性も。 

メンツならそこで憲法を盾に意地張れよ。 

 

今の米国の対EU政策のように自国一番の 

為に国外の防衛にまで口出し金出させる。 

そんな罠に、見事に嵌まってしまったと 

思う事は無いの? 

 

 

 

・ご老人の武勇伝的回顧録ですね、記述法案が廃案になって本当に良かったと思います、万が一通っていれば現場は混乱し二重三重の屁理屈を考えねばならない事態に陥った事でしょう、 

 

 

・自衛隊員を「個人資格」で海外派兵するという奇妙な法案は、結果的に通らなくて、良かったのではないですか?小沢一郎氏を悪者に仕立て上げた文章でしたけど。 

 

 

・>「反動医者の〇〇君を糾弾する」と書かれた垂れ幕が掲げられていたのです。 

 

当時は今では考えられない程、日本は左傾化していたのですね。それこそ朝日新聞が崇められていた時代。 

 

 

・守秘義務があるなか、いろんな苦労があったのだとわかった。 

 

 

・加藤良三の名前をこんなところで見るとは 

何人のプロ野球選手の選手生命をぶっ壊したか 

 

 

・「反動」懐かしい響きだ。 

今ではそんなことを言う左翼もいなかろう、 

恥ずかしくて。 

 

 

・方向音痴の船頭が沢山居ても何の役にも立たない。 

 

 

・はいはい、民医連ね。 

普通の病院は「反動」なんて言葉使わないから。 

 

 

・湾岸戦争、、、国際的兵役の義務負担を「お金」で解決 

 

 

・野球ファンからしたら顔も見たくない。 

 

 

 

・日本は戦争をしてはいけない国なのです! 

なぜそれが解らないのか! 

 

 

・労働組合は社会党など左翼の巣窟ですからね 

日教組の教員なんて公務員なのに学校休んで安保反対デモとか参加したり授業で自民党批判し民主党を美化したり政治的公正であるはずの公務員が規律違反しまくりです 

国旗掲揚や国歌斉唱も反対するとか帰化人だらけの民主党です 

 

 

・外務官僚は間抜け。よくもこんなことで労力を使ったものだ。宦官共と何ら変わりない発想。外務省はこんなのばかりなのかい?? 

 

 

・>「反動医者の〇〇君を糾弾する」 

 

未だにこのノリでいる痛い人たちが、蓮舫氏を支持しているんでしょうね。 

 

 

・一日も早く左翼が全滅しますように。️ 

 

 

 

 
 

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