( 257158 ) 2025/01/29 17:19:22 2 00 点数至上主義…「東大生」すら企業の即戦力として活躍できない。日本の教育の「根本的問題」【東大元総長×SAPIX代表の対談】THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) 1/29(水) 9:02 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/dada26a62135d3faf71a295d42ab0276d7b7213b |
( 257161 ) 2025/01/29 17:19:22 0 00 (※写真はイメージです/PIXTA)
初の戦後生まれの東大総長として、秋入学構想をはじめとする数々の改革に取り組んだ濱田純一氏。改革は常に順風満帆とは限らず、「失敗」もあったという。秋入学断念の裏側で進められた教育改革の真実、そして濱田氏が目指した「考える力」の育成とは何だったのか。※本記事は、SAPIX YOZEMI GROUP共同代表・高宮敏郎氏の著書『「考える力」を育てるためにSAPIXが大切にしていること』(総合法令出版)より一部を抜粋・再編集したもの。
濱田純一(はまだじゅんいち) 東京大学名誉教授東京大学元総長
1950年生まれ。灘高等学校、東京大学法学部卒。同大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。博士(法学)。専門分野はメディア法、情報法、情報政策など。1995年東京大学社会情報研究所所長、2000年東京大学大学院情報学環長・学際情報学府長、2005年理事(副学長)を経て、2009年4月から2015年3月まで東京大学総長(第29代)。
初の戦後生まれの東大総長として、秋入学をはじめ、さまざまな改革に取り組む。現在は放送文化基金の理事長、映画倫理機構の代表理事などを務める。主な著書に『東京大学知の森が動く』(東京大学出版会)、『東大はなぜ秋入学を目指したか』(朝日新聞出版)など。
東京大学の教育改革/入試改革(2016年度から導入した推薦入試、秋入学導入の断念など)は、全てが順風満帆に進んだわけではないようです。思い通りにはいかなかった「失敗」を、どのように「成功」へと変えてきたのか。この点についても、濱田先生のお考えを事前にご教示いただきました。
「失敗」を経て「成功」することも大切なことです。東大の授業改革、教育改革も、うまくいかなかった制度を別の制度に変化させています。
東大生だから失敗してはいけない、などということはまったくなく、東大という非常に恵まれた環境の中で学べることを前向きに捉え、失敗を恐れずにさまざまなことに進んでチャレンジしてほしいと考えています。
髙宮
ここからは、東大の入試改革についてお聞きしたいと思います。
早稲田大学の田中愛治(あいじ)総長が、教務担当の理事だった10年ぐらい前に、大人数の教室をいかに減らせるかという点に腐心されていました。可能であれば、7割の授業を学生が30人以下の状況で実施したいとおっしゃっていました。現状でもまだ大人数の教室はあるようですが、少人数での教育に対する意識には非常に強いものがあると感じた次第です。
東大の教育改革によって今はどのような教育になっているのか。どのような点が最も変わったところなのか。ぜひともお聞かせください。
濱田
秋入学を実施しようとしたもののうまくいきませんでした。しかし、秋入学で目指そうとした教育の精神、そこで目指していた教育の在り方だけでも実現していこう。そのような思いから、総合的な教育改革を進めました。言い方を換えれば、学事暦の変更を媒介とせず、教育そのものの改革を目標としたイメージです。その改革の柱としたのは、教育の国際化、実質化、高度化の三つの理念です。
当時、大きな課題になっていたのは、しばしば「学生が点数主義に陥っていたこと」「学生の授業態度が受け身であったこと」「学生の視野が狭いこと」の3点でした。そこに焦点を当てて改革を進めていくことに決めたわけです。
髙宮
東大の場合は「レイト・スペシャリゼーション」の仕組みを採用しているので、入学時点ではなく、3年生へ進級する際に学部や学科を決定することになります。2年間の前期課程の成績も大きく関わってきます。基礎的な知識を身につけてから何を学びたいのかを決めることができます。そこにはかなり主体的な意思が働くとも思えるのですが、そうではなかったということでしょうか?
濱田
制度の趣旨はその通りですが、進級決定の仕組みの問題もあって、点数主義から抜け出せてはいませんでした。「広く教養を深める」という本来の目的よりも、「いかに高い点数を取るか」を意識して、大して興味もない授業を選択する。そのようなケースも増えていました。「何を学びたいか」ではなく、「どの先生の授業が点数を取りやすいか」が判断の基準になりかねないのです。
言うまでもないことですが、教養とは専門的な学びにとっての大切な基礎となるものです。また、多様な学びをする出発点ともなります。さらに言うと、社会に出れば、点数だけで評価してくれるほど甘くない。だからこそ、大学では点数主義を改めていかなければならないと、強い問題意識を持っていました。
その一環として、進級決定の仕組みを変更したり、分野横断型のプログラムを強化したり、少人数のチュートリアル方式の拡充によって、学生と教員との距離が非常に近くなっています。補助教員も積極的に採用しました。
チュートリアル方式の授業では、論文の発表方法、討論や論文の基本的な作法、あるいは、実験の基本的な作法などを集中的かつ本格的に教えています。これらの授業には多大な労力がかかっていますが、今の東大の制度だからこそ体感できる授業ばかりです。それが私たちの目指した教育改革の形の一つです。
考えてみれば、昔のほうが教え方は粗かったように思いますが、役に立たない学生を企業や社会に送り込んでくるとは言われませんでした。70年代〜80年代までは、企業や社会に大学卒の人間を教育する力が残っていました。
しかし、今はそうではありません。以前は「大学で余計なことを教えなくても、企業がしっかり教育するよ」といった声を、しばしば耳にしました。それが今ではできなくなってしまっています。実際のところ、私はそれが社会の教育力の根本的な問題だと思っています。
髙宮
確か経済界が「大学できちんと教育してから社会に送り込んでほしい」と言っていたのが十数年前だったと思います。あるいは、産業界から「学士力」という言葉を突然使い出したと記憶しています。
その頃までは、濱田先生がおっしゃったように、大学教育に期待する部分はまるでなかった。しかし、経済力が低下し、日本企業の余裕がなくなってくると、急に「即戦力で活躍できる学生を送ってほしい」と言われるようになりました。それが問題であるという点には、私自身もまったく同感です。
濱田
課題解決的な学習に取り組み、「考える力」や「自分の知識を問い直す力」が伸びてくるのであれば、それはとても良いことです。しかし、企業や社会への目先の適応能力だけが高くなってもほとんど意味はありません。何より大事なのは、学生が長い人生の中で能力を発揮し、成長し続けられるような力を身につけることです。
課題解決的な学習といっても、大学としての対応には限界があります。昨今の大学は学生をかなり丁寧に育てるようになっていますが、その学生を受け入れる企業や社会の側でも、同じように丁寧に教育を進めてくれれば、なおよいと考えています。
例えば、以前の企業には「多少損失を出したとしても、また次に頑張ればよい」と、前に進むことを貴ぶ風潮があったと理解していますが、今の時代には、そのようなおおらかさが衰えてきたように感じます。
厳しい言い方かもしれませんが、成功を目指すのではなく、失敗をしないような人材に優しくなっているような印象を受けます。このような風潮を変えない限り、日本の社会も企業も大学も、長期的に伸びていく余地はないと私は思っています。
髙宮
東大教授で宇宙工学がご専門の中須賀真一先生は、「失敗が大事だ」と主張されています。宇宙開発のプロジェクトには非常に大きな資金がかけられています。300億円もかかるプロジェクトで失敗するわけにはいきません。そうすると、いかに小さい実験段階で失敗の経験が積めるか。そこが大事になってくるというわけです。
小さな失敗の経験を重ねるために、中須賀先生の研究室は、小さなロケットを打ち上げて、目的の地点に戻ってくるというコンテストに参加しているそうです。失敗してもさほど大きな損失になりませんので、安心して失敗を重ねることができるわけです。日本の教育には、そんな「失敗」が圧倒的に足りない。そのお考えにはとても感じるところがありました。
濱田
学生にハードな経験をしてもらうという意味では、東大でも、多くの体験活動のプログラムを設けたり、国際社会における指導的人材の育成を目的とする「グローバル・リーダーシップ・プログラム」を導入したり、といったことに積極的に取り組みました。このような多様な経験を通して、「自分を問い直す力」=「考える力」をどんどん伸ばしてもらう。自分が物事を眺める角度、自分の価値観だけで見てしまうと、どうしても物事の捉え方が狭く、固くなってしまいます。
異なる視点や価値観に触れることによって、「今の自分の在り方は違うのではないか」と問い直すことができる。しかもそれを授業の内外で学び、実践していく。それが成長につながると考えています。
濱田
もちろん、東大生でも失敗することはあります。それは当然のことです。自分にまるで経験値がない、知らない世界で失敗することに不思議はありません。先ほどのお話にもあったように、失敗する経験はとても大事です。恐れることなく全力でチャレンジし、失敗もすること。それが自らを問い直すことにつながり、「考える力」を育んでくれます。そうした力や経験を社会がどのように評価するのか。この点は今後の日本の在り方にも大きく関わってくる、非常に重要な問題だと思っています。
ちなみに、秋入学への変更を議論している際に、「皆は東大生なんだから、いろいろなことに失敗を恐れずチャレンジすればいいじゃないか」と学生たちによく言っていました。「君らは大学で鍛えられ、しっかり勉強して、非常に恵まれた環境で生きている。だから、失敗してもすぐに立ち直ることができるはずだ」とも話していました。
今まで偏差値至上主義の価値観で生きてきたので、高得点を取らなければいけない、つまり、失敗してはいけない、そんな意識で生きてきた学生も少なくありません。それらを払拭することで、社会に出てものびのびと成長し続けることができる。私はそう思っています。
決して安楽には過ごせませんが、「自らを問い直す力」=「考える力」を身につければ、意識はおのずから変わっていくものと期待します。そのための場所と機会を提供するのが大学の重要な役割なのだと考えています。
高宮 敏郎
SAPIX YOZEMI GROUP共同代表
高宮 敏郎
|
( 257160 ) 2025/01/29 17:19:22 1 00 この対談では、日本の高校生や大学生への教育に関する問題についていくつかの視点が述べられています。
1. 高校生までの教育において、競争や点数至上主義が強調され、多様な考え方やスキルが育まれていないとの指摘がなされています。
2. 大学で即戦力を求める考え方が批判されており、大学は学問の場であるべきであり、企業による即戦力重視の姿勢が問題視されています。
3. 大学における教育内容やカリキュラムについて、より実務で活躍できるカリキュラムの導入や、企業との連携を強化する必要性が指摘されています。
4. 日本の大学教育の質や実用性について、海外との比較や、大学内での研究や取り組みについての議論も行われています。
5. 点数至上主義や旧態依然の教育システムについての批判や、大学生が即戦力となれないことに関する意見も多く見られます。
(まとめ)日本の教育システムや大学教育に関して、点数至上主義や即戦力を求める傾向が問題視されており、より実用的な教育や多様なスキルの育成が求められているとの意見が多数寄せられています。 | ( 257162 ) 2025/01/29 17:19:22 0 00 =+=+=+=+=
ペーパーテストという、ひとつの「競技」において共通の「ルール」の元、入学という権利を争うのは、公平という意味では確かにありかもしれません。
しかし高校生までの目標が「この競技に勝つ」しかない人ばかりになっており、高校や学習塾の経営戦略がそれを助長していることが問題です。18年間もこの路線でたたき上げられれば、大学に入っても基本的な考え方は変わらず、大学の4年間で矯正することは不可能に近いと思われます。
高校生までに多用な考え方や行動ができる世の中にしないと、日本は本当に危ないと思います。高校の探求授業も形式化して結局は入試の道具に。「とんがりAO入試」という入試を導入する大学がありますが、わかる気がします。
▲46 ▼9
=+=+=+=+=
大卒=即戦力という考え方は非現実的です。結局学校の講義授業時間は限られていて先生方も10教えたいと思っても5あるいはそれ以下しか教えることができません。結果現場へ出て自分の知識のなさ対応力の無さに愕然とする、それが現実です。だから社会へ出てから勉強を続けようと思わない人はますまこういう難しい社会に取り残されて行きます。
▲104 ▼11
=+=+=+=+=
まず企業は、本当に大学に実業レベルで役に立つ教育を期待するのであれば、そういう観点で選抜し、そして高待遇で雇用することをすべきだね。
結局、良い高校とは良い大学に入りやすいところであるのだから、良い企業に入りやすい大学が高評価されていくはずだ。 しかし何も考えずに学歴を根拠とした新卒一括採用すれば、大幅に手間はかからないのであろうが、それは大学に企業選抜を一任させてしまってることに他ならない。
つまり偏差値教育を促しているのは企業でしかない。
自分の都合の悪いところを下の問題にしてはいけない。
▲84 ▼6
=+=+=+=+=
高校生までは自分の能力を高めるためだけに労力をつぎ込めば良いけれど、社会人は仕事を通じて顧客や社会にどれだけ貢献できるかが問われる。大学はその過渡期で準備する期間だと思う。 即戦力として活躍するにはまずこの自分の利益から他人への貢献へと思考の切り替えが必要なのだが、たしかに企業や大学から成績ばっかり求められれば利己的な考えのまま社会人になっちゃうよね。
▲11 ▼0
=+=+=+=+=
点数主義っていうより、「より楽な方法を選択して要領良くやり過ごす」ことが是となっているのが、問題の本質なんじゃないかな
日本の社会は、物凄く「年齢」を気にするし、社会に出れば減点主義だしね。 そうなると、 絶対浪人したくなければ、自分の力を100%出し切る一般入試より、他の方法で。 早い時期から就活を始めるなら、より単位を取りやすい授業を。 社会に出てからも、面倒な事に巻き込まれるなら、目立つ事、難しい事はやらない …となるのは当然。 失敗したり、とことん追求して学ぶ時間的余裕が無いんですよ。
▲52 ▼3
=+=+=+=+=
日本のほとんどの大学は学生にハードワークを求めません。 理由は指導側が楽をしたいから、厳しい学校は生徒を集めるのに苦労するから、となんとも情けないもの。
昔は大学は教育ではなく研究の場なんて嘯いているアカデミア関係者も多くその名残で今に至っています。 企業内で使えるかはともかく、海外トップ大卒業生に比べて人材の質で大きく劣る結果を生んでいますね。
そりゃ遊んでばかりの大学生とハードワークを重ねた学生では学部卒でも相当な差がつきますよ。
ここをなんとかしないと日本は高度人材競争で負け続けるばかりです。
多様性だの入試改革だのの前にまずはそっちじゃないですかね。
▲33 ▼27
=+=+=+=+=
日本はペーパーテストの比率が大きすぎると思う。例えばアメリカの評価方法が一概に良いとは言えないけど、高校なら定期テストの評価点が2~3割位で、小テスト、提出物、出席、授業態度、議論、発言点みたいなものに細分化されてたと思う。継続や普段の取り組みが評価に繋がってるし、テスト一発勝負みたいなのよりはマシに思える。昔から日本の教育のスタイルは変わってない気はしますが、いい加減変えてく時期じゃないかな。その時のテストだけ良くても、アップデートし続けなければ何の意味もなくなると思うし。
▲12 ▼29
=+=+=+=+=
勉強が好きだったので小さい頃は東大に行きたかったけど、進振りのせいで好きな分野を専攻する為に点取り競争に必死にならざるを得ない、と聞いてから目指す気を無くした。 ドラゴン桜(漫画)に出てくる大沢というイケメン優等生は「好きなことを見つける為に2年間の猶予をくれる」と進振り制度をポジティブに評価してるけど。
▲7 ▼3
=+=+=+=+=
昔と違うのは、今の時代、①ITの操作(MSの商材の操作)、②簿記・会計の基礎、③ビジネス法務の基礎、④英語でビジネスをする能力がどこの企業においても共通して必要な能力になっている。大学では、②③をどの学部でも選択できるようにすれば良い。④のうち英会話は、高校で教えるべきであろう。英作文、英文法は科目としてあっても、なぜか英会話がない。①は、大学でもレポート作成等で必要なので、自然と覚えるが、任意に取得できる科目として講座を設ければ良い。 個人的な感想からすると、文系1年から2年次の一般教養科目は、あまり役に立たないので、すぐに専門教育課程にするか、上記①から④を同時に学べるようにしておくべきである。 大学は、学問を修める場であるといっても、社会科学系の学部では、企業の動向は重要であり、今の時代に合ったカリキュラムに編成する必要があると思う。
▲6 ▼50
=+=+=+=+=
今の学生は、ほぼ全て暗記していますね。数学も問題ごとに暗記して解き方も暗記です。自分で理解した気になっているだけで理解して解くことができる人はかなり少なくなっています。これは高校でほぼ全て暗記科目として教員が憶えることを推奨し、その背景の理屈の部分は簡単に流しているだけになったせいでしょう。できる子はその説明でも十分で、出来ない子は全て暗記です。暗記の範囲を超えると回答できません。全国的に行っている試験により変な評価をされるようになってからこんな有様ですね。理解させることは難しく、暗記で自校の点数は上がりますから。
▲36 ▼41
=+=+=+=+=
中国なんて超点数主義だけど凄い発展をしている。 問題は入試方式ではなくて、入ってからのカリキュラムでは? 中に入ってから進振りで競争させるより、自由に研究や交換留学、資格試験の勉強ができるカリキュラムにしたほうが、卒業後に活躍できる人材が育成できると思います。
▲32 ▼21
=+=+=+=+=
旧帝国大学、とくに東大の法学は官僚要請のために創設されたようなものだが、大学は企業のための労働力養成所ではない。むしろ学問を多少でもかじることで市民とした自律した政治・社会的能力を養い、企業に問題があればこれを批判すそだてる育てることが大学の役割です。企業にとって都合の悪い能力ある卒業者が増えれば増えるほど、大学の名誉というものです。
▲65 ▼7
=+=+=+=+=
東大でも世界大学ランキングだと28位とかだからな。 上位の多く、ノーベル賞が多いところは実業、即戦力重視で、産学連携の私立大学が多いかと。 社会と企業に役立つ研究をし寄付や共同研究で回せるようにすべき。 企業の研究所とかあるがその共同施設的なのが大学になるといい。
▲4 ▼12
=+=+=+=+=
企業が大学に、企業の即戦力となる教育をしてください、というのは無茶ぶりでは。そういうリクエストをするのなら、大学に献金をして、専用プログラムを作ってもらうくらいのことは必要なはず。 大学のいう考える力を身につければ、将来の力になることは間違いないが、企業の即戦力の足しにはならない。
▲6 ▼0
=+=+=+=+=
入学後に進学選択で人気のある高倍率の学科に進みたいとなると点取り競争にならざるを得ない。推薦入試で合格したら進む専門が決まっていて入学後の点取り競争はしなくてよいとしたのはそのためか。
▲14 ▼3
=+=+=+=+=
大学は職業訓練学校ではなく学問の場だよ。即戦力を求めること自体がずれている。日本の社会は本当に短絡的にしか考えられなくなった。経済的に良くなくなり、大学は研究費を減らされた。おかげで日本の研究の力は低下した。例えばジェネリック医薬品。あれのせいで日本の製薬企業は新薬を作る気力を無くし、日本の製薬業界は衰退した。本当に上がダメだと思う。
▲27 ▼1
=+=+=+=+=
受験産業が大学を序列化してから産業界もおかしくなった。受験産業によって分析されたパターンを吸収しそれを吐き出す練習を散々させられて、入学や入社がゴールになってしまう。大学生が増えたのに経済は停滞。新しい産業は米国から生まれ国内は特権階級化した大企業を皆が目指すから、搾取構造が定着し農業建設運輸中小製造業などは人手不足なのに低賃金。特権階級にある少ない椅子を皆で取り合っているから子育てに金がかかり、低賃金の職種は外国依存。これで子供が増えるわけないし、仕事が楽しいと感じられるわけがない。失敗するのを恐れる子供を増やしているだけだ
大学側は100点をとる機械のような人材を避けるために多様な入試制度を創設して塾産業に対抗
イチローの打ち方を手取り足取り教えても意味がないんや。大人の都合で枠にははめ込むをいい加減やめないと。のびのび自分のペースで成長できる環境がある地方から規格外の人物が現れる
▲31 ▼7
=+=+=+=+=
濱田さんが総長だった頃の「東大・行動シナリオ(FOREST2015)」に、学生の学力・意欲の低さの原因として「中等教育が、一方では有名大学への進学を目標としたいわゆる受験教育に偏り、他方ではそのような目標をもてない層の生徒たちに適切な教育ができていない」という指摘があります。 一般入試を主とする受験教育の弊害から、東大でも推薦入試を導入しています。上記の弊害を是正するために、東大においても推薦入試の枠を他大学並(東北大学では既に3割超)に広げるべきでしょう。 東大が推薦入試の枠を広げることで、全国の大学の推薦入試枠がより一層広がることでしょうから。
▲6 ▼5
=+=+=+=+=
経済界の人たちが、大学の関係者に 『確か経済界が「大学できちんと教育してから社会に送り込んでほしい」と言っていたのが十数年前だったと思います。あるいは、産業界から「学士力」という言葉を突然使い出したと記憶しています。』 みたいなことを言うのは大学関係者に対する口先だけの社交辞令に過ぎない。 本心では、しっかりした東大入試さえやってもらっていれば大学大学院教育には期待していない、と思っている。 その証拠に、東大卒、東大卒業見込み、の人に対して、大学で何を学んだか、大学の成績はどうだったか、などを話題にする人は経済界にほとんどいない。 東大を卒業して経済界や政界の大物になった人が、東大でこんなことを学んだことが今役立っている、みたいなこともほとんどない。東大入試で苦労した話をする人は、岸田前首相のような東大入試に落ちた人を含めて大勢いるけど。
▲12 ▼8
=+=+=+=+=
例えば文三に入学した後に「やっぱり理学部がいい」となっても、文三の単位を取りながら理学部進学に必要な単位を取るのは時間的にも厳しい。 後期課程に進学した後に専攻を変えるのも、制度としては用意されているけど、現実的には利用しにくい。 「学びながら専門を決める」という理想を実現する為の制度設計が為されていないから、学生は現実的な行動を取る。
また、知的好奇心の強い学生に応えられる教員は少なく、殆どは「教えたい事」を教えているだけ。 学生の劣化を嘆く前に、自分達の劣化を直視すべきだ。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
とある大手証券会社で勤めてた時 転勤で東大卒の子がやってきた 頭はいいんだけど仕事は全くできない おまけに身だしなみも整えられないからスーツ上着のポケットにものいっぱい詰めてたから 食堂と掃除のおばちゃんからポケットくんって呼ばれた 必死で塾に通って東大入ったタイプは社会に出ると本当に使えない おまけに家庭での躾ができていないことも多い 勉強さえしてれば怒られない環境だったんだろう 最後は最底辺で働いてる人にそんなこともできないのって言われて辞めていった あんなふうになってはいけない典型的な人だった
▲11 ▼15
=+=+=+=+=
東大の2次問題作る方々に是非にお願いしたいのは、東大特化で6年間学校や塾で課金課金してきた出来映えの首都圏の子よりも純粋に地方から天才型の子を合格するような作問していただきたいと切に願います。 自治医みたいに都道府県からごとに合格者の人数枠を決めれば良いと思ってる。 世界ランク凋落の原因はこういう偏りが起因してると見てる。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
そりゃ学問と仕事は別物なんだから東大生が必ずしも仕事できるわけじゃないってのは当たり前のことでは? 東大や京大の数学科なんて変人揃いでリーマンには向かないかもだけど、研究には特化してるわけで、そういう人も必要だと思うけどなあ。
▲6 ▼0
=+=+=+=+=
実は伝統的進学校の生徒は、入学時点でこそ偏差値至上主義かもしれないですが、入学後はそうでもないということをこの人たちはあまり認識していないのだろうと思います。学校にもよりますが、伝統的進学校では成績でがみがみ叱るようなことはまれです。それが再び点数至上主義に陥っていくのはまさに東大入試のせいでしょう。
繰り返しになりますが、さほど点数に拘っていない中高生を点数至上主義に追い込んでいるのは、まさにこの対談のお二人、中学受験塾と大学入試の運営者ではないですか。自分たちにほぼ全責任があるのに、あたかも別の誰かの責任であるかのように語っている。実に不思議な感覚の持ち主たちです。
明白な事実として、日本の小中高校生は、世界規模の各種学力テストにおいて常に上位に位置しています。そういう人材をそこからさらに育てるということに失敗している戦犯はまさに大学であり、企業です。自覚してください。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
小中レベルで、例えば「原爆は両国の戦死者を減らすことができたから使用はやむを得ない」という意見を肯定したり、「同和地区と呼ばれるところの方が立派な家や環境がよいと近所の人が逆差別だと言っていた」「〇〇人とは絶対なくよくなれないし、不法滞在者は追い出すべきだ」とか「生活保護、俺も将来もらおう。年金も払わない」なんて学習で言えないだろうし、言わないだろう。日本の義務教育は言ってはいけない「言論の不自由」と「そんなこと言わなくてもわかるだろう」という忖度を教えているので、必然的に空気を読む、自分の本音を言わない、こう答えればよい評価をもらえるだろうという、思考力を欠いた児童生徒しか生まれてこない教育をしている。そうでない子どもたちや日本版ビルゲイツやイーロンマスクは「教育特例校」から生まれてくるのではないかと期待している。がんばれ不登校。案外君たちが世界のスタンダードかもよ。いやそうだ。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
東大は文科省の策略に煽てられて偏差値の序列で最高位に鎮座して満足している。開校目的が役人養成だから数字で序列を決める基準は丁度良い。ただ問題は創造性のある青年も偏差値トップの権威に靡く風潮に感染させた点、卒後財務省に入り給与面で民間、外資より低い点を妬み、それが天下りで帳尻を合わせる卑屈な人間を造って来た点、これらは日本が欧米諸国に遅れを取った原因である。自由競争を嫌う点数主義は公務員にはピッタリだから真面目で高得点者を公務に就く青年を集めれば役に立っている事になる。創造性のある青年が紛れ込まない様に権威を魅力にしたり、売り物にしたりしない様にすべき。国立は国民の税で運営しているのだから実体のない権威より、社会還元が主にならなければ理屈に合わない。
▲2 ▼2
=+=+=+=+=
昨日,私が反論を書いたときは,理科の科類での進学振り分けについて言及した。文科一類・法学部の出身者は環境がちがうとも書いた。
今回の論点は,進振りについての批判ときたか。
たしかに,私が在学中に在職した日本宗教史の泰斗「ホトケの○○」は,「私は78点と82点しかつけない」と公言していた。900番の大教室が埋まり,私もその一席を占め78点をもらった。専門課程の研究室を訪問して実験するゼミは,1科目1単位でAがつき,私も電子顕微鏡を操作した記憶がある。
いまは冗談めかした昔話だが,点数いがいに得るものはあった。また,語学や理系の必修科目はクラス毎であり,上記以外の選択科目は「鬼か仏か」にかかわらず履修した。
私は,同大の科類を全廃し「3千人1枠」で入試を実施すべきだと考えている。全員が1年半のあいだに自分の進むべき道を考える。かつ,全員に卒業論文(演習を含む)をきっちりと書かせる。
▲3 ▼1
=+=+=+=+=
大学は別に企業のためにあるのではない。 学問をするところ。 役に立つだけなら専門学校に行けばよろしい。理系は即戦力が多いから勘違いされてしまう。そういう意味では大学は文型だけで良いのかもしれない。
▲15 ▼6
=+=+=+=+=
そもそも、大学は企業が望む即戦力を育成する機関じゃないだろ 学問の探究の場なんだから
海外の大学だって企業が望む即戦力を育成しているわけじゃない そのスキルはインターンなり別の機関がになっている
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
点数至上主義を抜け出すのは簡単で、単純に、大学院の研究での評価を上げればいいだけ。日本以外の先進国は、日本より明らかに大学院の学位の評価が高い。日本は高学歴と言われる層が、実は学士号ばかりで、世界のエリート層から見ると低学歴になる。
ジョンズホプキンス大学が大学院を設置してから、アメリカの有名大学は学部生よりも大学院生の数のほうが多い研究型大学になってる。アメリカでは、とよく言ってるのにこの件を無視するのは、修士はないと低学歴と言われると、日本ではエリート層が低学歴だらけになって非常に都合が悪いから。
▲8 ▼1
=+=+=+=+=
こんなの簡単で実際の社会人が大学の根幹に関わっていないからで終わりの話 ガッツリ上層部から関わってるのって豊田関係ぐらいだろ、教授が本業な人なんて世間から一番遠い存在なんだから当たり前 そして即戦力なんて無理なのも当たり前、それは大学の問題ではなく技術革新の問題だもの。だから体力メインの仕事なら即戦力なことも多々ある。 でもそれでいいんだよ結局社会的成長ってのは個人ベースの問題だから、教育ベースで解決するかもって思うこと自体が世間知らずなの証明になってるわ。 日本的教育の本質的な問題は嫉妬と弱者過保護だよ、頑張った人ではなく結果を出した人をを優遇する格差をハッキリつけること、良い悪いではなくどんな分野にも適正と能力の違いはあるんだよ。それを認めて実践することやな。
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
新卒で即戦力になれないだろう。日本の様に新卒採用をやっている国はどれほどあるのか?ヨーロッパはどうなんだ?中途採用だとその人物の能力はわかるが新卒では未知数ではないか?東大生が優秀だと新卒時点でわかるか?
▲11 ▼2
=+=+=+=+=
大学は学問の場であって、職業訓練校ではない。即戦力を求めるなら、戦力として必要な分野の専門学校から取ればいい。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
とりあえず東大は入るのが難しいよね、、、5教科7科目、8科目?センター(共通テスト)8割マスト、さらに二次試験の比率が4対1、、、 東大を語れるのは東大卒だけだよね、東大以外の大学出身者が東大を語ったら滑稽だよね、、私は東大卒というだけで無条件リスペクトします。
▲6 ▼8
=+=+=+=+=
即戦力、って考えがマチガイだろ。
まだやったこともないのに、できろ、って方が無理難題だ。
ちったあこの失われた30年を反省するべきだろ。経営側は。
育成を考えろよ。勉強ができる・できた、ってのは、教えればつったらかっと最速で覚えられる、って事だ。 教えてもない段階でできろ、ってのは筋違いだろ。
で、覚えた事とこれまで学んできた大量の知識で、新しい物を生み出すのは10年後20年後の話、じゃないのか?
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
大学時代は入った頃やる気に満ち溢れてて、単位取りやすい授業より興味ある授業優先して取っていったら、単位が全然取れなくて留年した。
理念で言ってることと、結果が合ってないんよ
▲14 ▼3
=+=+=+=+=
日本をリードするのは自分たちだという自負は当然あるんだろうけど、それにもかかわらず教員も学生も「部分最適化」に血眼になってるからね。自分の点数、もしくは東大の予算、が満足できればとりあえずOKってね。東大は日本没落を端的に表しているわけです。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
東大卒の従業員をうまく使えていない会社の多いことよ。適切なポジション、適切な指導があると、他の追随を許さない成果を出してくれますよ。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
東大生すら即戦力にならないと言ってますが、吸収が早いので夏前には戦力になります。しかし、日東駒専レベルの新卒は1年たっても使えない人は使えません。
▲8 ▼2
=+=+=+=+=
日本のどのあたりが「点数至上主義」なの? 点数で選抜された大学生って今どれぐらいいるの? 1割ぐらい? 今の大学入試って「点数至上主義」から最も遠い位置にあると思うのですが 私の認識間違ってますかね?
▲8 ▼20
=+=+=+=+=
点数至上主義を変えようという勢力が強くなって日本はどんどんひどくなってきた。明確な基準の下で勝ち負けが明確に分かれる社会にしないと日本は崩壊する。
▲19 ▼24
=+=+=+=+=
幾ら優秀な学生を取っても、企業側(人事)に、その新入社員の能力を活かせるだけの能力が無い状態とも言える。
▲9 ▼2
=+=+=+=+=
東大を筆頭に、旧帝大出身者はまだイイんじゃない!? ひとを掌で転がす機会を与えられる可能性があるのだから・・・
▲3 ▼7
=+=+=+=+=
そもそも新卒=即戦力を期待するその前提が間違ってるとしか。 即戦力が欲しいなら中途採用に力点を置けよという。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
今は入試制度の多様化で点数至上主義ではない。 さらにじゃあいつの時代は様々ある職業において新卒が即戦力だったのだ?
▲5 ▼6
=+=+=+=+=
問題は、この対談をしている東大の総長もサピックスの方も、その点数至上主義を潜り抜けてきた方々というところですよね。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
本来、企業の即戦力にするために大学があるわけではないのですが。
それならせめて提携している専門学校でしょう
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
そもそも東大生が好む/東大生を好む知的労働であればあるほど新卒即戦力を期待せんやろ…例外はクイズ業界くらいやぞ…そのくらい考えて…
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
どれだけ頭がよかろうが優秀だろうが経験値ゼロで即戦力になるわけねえじゃん なんか勘違いしてね??
▲14 ▼2
=+=+=+=+=
大学で営業のやり方や会社流の会議の方法教えてないんだから 即戦力にならないのは当たり前
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
今さら何をと思いますが、その志が将来の永田町に反映されるといいですね。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
企業の即戦力を求めるなら商業高校とか専門学校のビジネス科とかでは?
▲10 ▼3
=+=+=+=+=
企業に就職するなら、海外企業のインターン行ったら良いですよ。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
なんで、東大卒=企業即戦力なんだ? この記事書いた記者さんこそ、勉強不足と違いすかね?
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
東大生は、学校法人高宮学園で働くのがいいかもしれませんね。
▲2 ▼4
=+=+=+=+=
受け入れる企業の側に問題はないのか…とは考えないのですね。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
SAPIXの関係者が今更何を?という感想しか持たなかったですね。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
授業に職業訓練を入れたらどうかな?
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
浜田が学長になってから一気に東大の格が落ちた。今ごろ何をホザいているのか。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
ありきたりの話だね。
▲3 ▼3
=+=+=+=+=
そもそも日本人は会社では、仕事ではなく祭りをやってるだけ。何の目的かも考えずに、ひたすら神輿をワツショイしてるのが日本人。 新人が入ってもみんなと同じようにワツショイしろと言うだけなんだよね。だから労働生産性も低いし、頑張るしかないから精神疾患になる。 神輿をいかに必死に上げたかが重要。 祭りなので飲み会拒否や定時で帰る人はみんな悪者になる。みんなで神輿を担いでるのに、楽をしてるのが許せないんだよね。
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
最近は女子枠を利用することで実力より圧倒的に上の大学に入ることができます。受験生が男性であれば愚直に勉強するよりも性転換手術の方が合格率が上がるかもしれませんね。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
コロナ禍のとき、秋入学を導入しておれば、留学生交流で教育の国際化が進み、日本は今のような、スイス評価の「英語力の低能レベル」、ロバートソン警鐘の「世界から取り残された理数系教育」の日本にはなっていなかった。もう一つ、元凶は異常に時間をかけた国語、古典教育。いつまでも高校理数系に古文・漢文を強要している。これでは貴重な時間が失われ、理数系の国際化は困難。合わせて国民が第2言語の英語が話せなくても、平気な顔の政治家や文科省や外務省、それに国語学者。海外から低評価でも危機感がない。昨年、日本語と英語の流暢な中国人に、英会話のできない日本人のことを話すと「日本の英語はテストで良い点を取るための英語」と言った。インドの大卒は9割が英語を話す。日本は3割か。韓国や台湾は言うに及ばず、ベトナムやタイもそれ以上。手遅れと思うが、高校理数系は直ぐ英語重視、古典廃止を。1950年生まれ、高知柏島。
▲0 ▼4
=+=+=+=+=
正直、最近の日本の上位大学を卒業した学生は他国より優れています。卒業の単位だって簡単には取れない。 ただ、年功序列で上の力が強すぎるが故に中々活躍できないだけでしょう。有能な人が上で指揮するわけでもなくただ年を取った無能が有能な若者を潰していく、それが日本です。頑張っても若いだけで給料は増えないし、権限もないまま。 だから、最近の東大生は外資のコンサルに流れてしまうのでは?
▲8 ▼7
|
![]() |